樹海に覆われた0番世界。 世界樹旅団との戦いは双方に数多の死者を出し、それを弔う為の場所はいくらあっても足りない、という有様となっていた。 昼夜となくそこを訪うのは、故人を偲ぶ友人や家族。 寿命による死亡のない旅人達で構成されるこの世界において、およそ構築以来はじめてと想われる程、彼岸へ渡った人の数は多く、それも、実に短期間の内でであったがゆえに、墓守が用意した穴や墓石が足りぬという奇妙な事態を生じさせた。 そもそも、家族や係累がこの世界にいる者は少ない。 故に、通常における「残された人々」による葬儀や「一族累代の墓」等というものは基本的に存在しない。 それでも。故人と親しかった者等、有志によって亡くなった者を葬送するための寄す処として墓標が望まれることは多く。 遺体の残った者は穴を掘って埋めてやり、跡形もなく消し飛ばされてしまった者等であってもその遺品を替わりとして埋葬する。 そしてその上に墓石を置き、決して風化することのないよう、深く、整然とその名を刻む。葬送者らにより追憶の辞が刻まれていく。 そんな0世界にいくつかある墓場の内、仮面をつけた墓守の少女が管理する墓地もまたその例外ではなかった。 もっとも死体の残った者の方が少ない為、実はそれほど忙しいわけではない。 急がねばならない故人の為のものから優先的に穴を掘り、今後の予定地とされているところには遺品の入った棺が整然と並べられているという次第である。淡々とこなす彼女ともう一人の様子はまさに「作業」とでもいうべきものだった。 「人の死」というものを数多く見てきた二人だったからこそ、かもしれない。 「ったく。こればっかりは手だろうがPHYだろうが労力も疲労もかわらねーってんだから、しょうがねえよナ」 ぶつくさ言いながらも手を動かしている青年はジャック・ハート。 「今回は墓守が忙しいだろう」と言い助力を申し出てみたところ、墓石の切り出しからはじまり、次いで穴掘りを手伝う事になったのだった。 わざわざ道具を使って手で掘る理由は台詞のとおり。能力を特化させているがゆえの悲しさで。 その彼がつい一時間程前に掘っていた穴は既に儀式を済ませ埋め直されており、墓石が敷かれた状態となっている。 その墓石に丁寧に故人の名と、依頼を受けたとおりの惜別の句をほり込んでいる少女はマスカローゼ。 普通は置く前に掘るものだが、いかんせん時間がない。 その横でジャックはスコップを大雑把に操りながら、ちらちらとそんな彼女の様子を伺っている。磊落な彼にしては珍しく、タイミングを図っているようにも見えた。句を刻みおえ、一段落とばかりに息をつく少女。その集中が解けたのを見て、意を決したように口を開く。 「なぁ……どうして墓守を職業に選んだか、教えて貰えねェか、マスカローゼ」 ぴた、と少女の動きがとまる。 右半分を覆った少女の仮面はその表情の変化を容易には悟らせない。 それでも、垣間見える。逡巡と、困惑。 「――この世界は、ほとんど人が死ぬことがないと聞きましたので」 旅先ではそういう事例があったとしても、通常0番世界内においてよほどの事件が無い限り、ロストナンバーが死ぬことは少ない。 帰属したロストメモリー達にも、それぞれに時の流れが押し寄せるとはいえ元来長命な種族出会った者であることも多いものだ。 であるがゆえに、平常時、墓守のなすべきことは数少ない死者の弔いと、その墓石の管理のみ。 訪う者も、当然に少ないはずだった――このような事態にならなければ。 そして、それこそが目的だったのだと、少女は言う。 「分からねェ」 手をとめたジャックは、困惑したように頭をかいてそう言い放つ。 「なんでそこまで、自分の生きる道を閉ざそうとしてンのか、さっぱり分からねェ」 「ならば、それでよいのではないでしょうか」 そう言って再び作業に戻ろうとするマスカローゼ。一度首を横に振り、体を移動させて少女の正面にあぐらをかくと、その顔を正面から見据え再び問う。 「分からねェ。だから話がしたい。お前の話を聞きたい……それじゃ駄目か」 『……何のことでしょう。私は、あなたが生きろという間は生きるつもりです』 『引き摺られんなヨ』とかけた声に返された言葉。 根本的に、ジャックの思いとマスカローゼの意思はすれ違っていると、そう思えるから。 だから、話をしよう――教えてくれ。常に巫山戯た調子に隠して言葉を投げかけるジャックですら、取り繕いようがなく率直に発せざるを得なかった問いかけ。疑問。 何故、あの戦いの末に生きることを承諾してくれた少女が、今ひっそりとその生を殺すようにしているのか。 それはその手で殺した者達への弔いなのか。 或いは己が同質の存在と異なるものであるとする主張のためか。 それとも――考えても、わからないことばかりだった。 わからないから、柄にもなく、溺れるものはとばかりに藁――フランへと相談をもちかけもした。 少女が、そんな風に困ったような表情を浮かべる部族戦士のことを、ひたと見つめてくる。 その表情は一見して無表情であったが、何か言いたそうにしているようでもあったし、迷いが浮かんでいるようにも見えた。 けれども精神感応を使うことをやめているジャックだから、自信がない。 かつて己がいた場所であれば、とジャックは思う。 そこに生きている時、明確な言葉は発する必要がなかった。 そんな努力をせずとも、意思は互いに伝えられた。 この世界ではそれが相手を傷つけかねない場合があるのだと知って以来、できるだけ使わないようにしてきたその術。 だから、柄にもない努力をせざるをえない。 「なんつーかヨ。フランと同じ事しろたァ言わねェが……」 じっと見つめてくる少女の瞳は、そんな能力は使っていないとわかってはいても、己の内を見透かされるような気持ちになるほどに強い視線を放っていて。 「フランは1人で居ることが辛い人間だった。好悪じゃないにしろ、お前らが気にかける物は似通ってることが多い。もしも、お前が今1人で何も言えずに死者と向き合うしか出来ないでいるなら……俺も、辛い」 話しながら、段々悄然としていく戦士。その言葉は不器用だが、普段の口調は形を潜め、真摯な思いをにじませたもの。 これが、青年の飾らない本音なのだと、少女に悟らせるだけの思いを篭めたもの。 「俺は今依頼でも滅多に精神感応は使わねェ。話して貰わなきゃ俺にはお前が何を考えてるか分からねェ。だから、俺もこうして話す――俺はお前に、ちゃんと『生きて』ほしいと思ってる」 常に人を喰ったような笑みをうかべ、挑発するような態度をとる彼の、素直な言葉。 同じ存在である少女からは、『あの子が私とは違う経験をして『私』でなくなれば……もしかしたら変われるかも』と言われた。そしてその為にはジャックの存在が必要だ、と。 果たして本当にそうなのか。 そうだとして、自分にそれができるはずはないのだが――それでも、自分と縁を持った人物には、幸せに生きてもらいたいと、そう思うから。 その為にできることは、できうる限り全力で取り組もうと、覚悟しての問いかけだった。 誰も、未だに目の前の少女の内心を聞いた者はいないのだから。そう、同じ存在を根源に持つ少女でさえも。 「俺はお前に生きてほしいと思ってる」 言葉を、青年は繰り返す。 「俺は、お前に笑って楽しく人生を送ってほしいと思ってる……そういう人生を送れると、思ってる。俺はお前にここで――この静寂だけの場所で、死者だけを友として生きてほしくない。殺しの数だけならまだ俺の方がお前より多い……生者に怯まないでくれ、マスカローゼ」 あぐらをかき、両の手をそれぞれの膝におき。 しっかと目を見据え、腹を決めて話しかけてくる青年の視線。その強い意思を、少女は仮面越しに受け止める。 何度か口を開きかけ、そのたびにうつむいていた。 しばし考えまた顔をあげるが、数秒もしないうちに、うつむく。 そんな行動を繰り返す少女の言葉を我慢強く待ち続けるジャックだったが、やがてふ、と肩の力を抜くと、懐から一つ、鍵を取り出して少女の手へと握らせた。 「俺の家の鍵だ。部屋はある。飯は俺が作っていい。お前はそこから仕事に通えばいい……楽しく生きる第一歩ってことで、一緒に暮らさないか。そして、話せるようになったらお前の気持ちを話してくれ」 ‡ 青年の言葉に、マスカローゼが手のひらを開く。そこに乗せられた鍵は冷たい金属だったが、同時にどこか懐かしい暖かさを備えていた。 その熱が、胸の奥深くにしまいこんだ想いの氷塊を、ゆっくりと溶かしていくのを感じ取る。 「すみません、気を使わせてしまって」 そう言いながら、違う、と少女は思う。 胸に抱く思いの数々のうちの一つは、或いは一般的な見地に立てば――例えば、己の裡にいる『フラン』ならば、恋慕の情というべき感情と捉えるかもしれない。 そうでなくとも、こうして気にかけてくれる者に対してありがたい、と感じる心は自然。 そしてすまないと思う気持ちもまた同じ。 それとは別に、手にかけた者達への慚愧の念は存在しないとの思いもある。それは、確固たる意思に基づき行った行為だった――後悔するなど、逆におこがましいと、そう考えるから、後悔しているとは微塵も思わない――思えないだけかも、しれない。 だが、だからこそここにこうしている『理由』となるのはそれらの感情だけではないのだと。それらは違うのだと、思う。 形のない、もやのような、不安定な。 ひょっとしたらかつてそれらは随分とわかりやすい形をしていたのかもしれない。 『待っていてくれ』と言われたその時。 理由を問う為に生かし、帰ってきた言葉に沈黙させられた。一人にはしないという言葉は、素直に胸を突いた。 命を賭して、『幸せになれ』と言った男の言葉は強く胸に響いた。男の自分に向ける想いが恋慕の情とは違うと正しく理解していたし、今でもそう確信している。それ以上を望もうとも思っていない。だが、内から、外から。憎悪を向けられ続けることを定められ、その憎悪によって死ぬために生まれた自身に対して、生きることを承諾させるだけの強さを持った思いを向けてくれたのが彼だった。 だからこそ、応じさせられた。 けれども時が経ち。 竜人達の里で待つ間も。 待ち人としてやってきた者達を見た瞬間にも。 そして和やかに話す「彼女」を見ている間にも。 己の内心が、己に投げつける問いを無視する強さを、その時のマスカローゼは持たなかった。 『お前に生きる価値はあるのか』、と。『彼の少女や、そのまわりの人々、そしてこの男とともに在る権利があるのか』、と。 本体のものであった激情は去り、後に残されたのは己の生み出された理由。 ――己は、叢雲が、『フラン』という意識を殺すために生み出した存在である。 それが、マスカローゼを縛る根幹。 叢雲に取り込まれたフランの魂とでも言うべき大部分を受け継ぎながら、それを殺すために作られた存在としての自己。 その魂を、或いは意識を。村を焼き、わざわざ親しい村人達を、そして無辜の民を殺す様を見せつけたのはそのためだった。 その記憶は叢雲に残された『フラン』の意識にも影響を与え、微かなバグとなっていた部分は完全に崩壊するはずだった――ロストナンバー達の介入さえなければ。 それでも、あの竜のブレスを受ける時。これで死ねるならば、それでよい、と。己の存在意義を全うできるならばどちらでもよいと、そう思った。 殺されるところまでが、自身の存在意義だった。 そんな自分が、『フラン』と同じ世界で、同じ存在として、別の体で同じ空間を共有する。それも、ディラックの空を彷徨う中、孤独に耐え切れなかった『フラン』によって仮初の人格として作られた『マスカローゼ』のままに。 それは――凄まじい拒否感をもたらすものであり、その対象となったのは、同一の存在たる少女ではなく、まさに己自身だった。 いっそ、司書達のように記憶をなくせたならば。 自分自身が何のための存在だったのか。どこの誰なのか。そんな感情を持たずにすむ状況であれたら。 何より、己の中に今も在るフランの存在をどうしたらいいのか。本体との接続がきれたまま。即ち、最期に味わった絶望のままに殻に篭ったまま、彼女は己の裡にある。その己の目の前には、約束を果たされた事で想いを満たされた彼女がいる。 このまま消えてしまうべきではないか。 迎えが来た時に抱いた率直なその想いは、今も拭えない。 目前の青年は、『笑って生きて欲しい、そうできるはずだ』と言ってくれる。 彼がいなければ、おそらく自分は図書館のパスを受けることもなく、己の世界たる叢雲の消失を受けて消え去る運命に身を任せていたことだろう。 いわば、彼から向けられた想いだけが生へと繋ぎ止める鎖であり、命綱であるとも言えた。それを迷惑と思ったことはない。 青年の思いの在りよう。それに対して、寂しいという思いは、多分マスカローゼ自身のものではなく、同等の想いを味わった眠る『フラン』のものだ、と……思う。それもまた、不確かだった。ただ、自分自身の青年に対して抱く感慨についても、恋慕とはいえないと、思ってもいる。 或いは、このまま少しづつ時を重ねれば。彼の誘いのままに、共に暮らし、穏やかな日々の中で家族のように過ごし、他の人々とも交わっていったならば。 もしかしたら、でも。いやきっと――思考は繰り返し、自分は誰かに必要とされたいのだろうか、といつもの自己問答に陥っていく。 必要とされたい……それは、多分少し違う。必要としたい。それも違う。 自分は何がしたいのか――わからない。ただ思う。『彼女』のいる世界に、『彼女』を身の内で殺し続ける自分がいることの理不尽。 それを、ほかならぬ自分が許してはならないのだと。 『彼女』はきっと単純に、自分のことを忌避しているのだろう。彼女の故郷を破壊した自分を。 かつては己もそうだった。深淵の闇に包まれたディラックの空で、孤独と恐怖に耐え切れなかった少女のことを。自分にその全てを押し付けぬくぬくとした殻に引きこもった少女の事を単純に憎悪していた。 だが、それももはや一度吐き出しきった想いであり、それ以上になることはないものだ。 ならばどうして自分はこんなに自分自身を否定するのか――『いなくなるべきだった存在がいていいのか』、疑問はそこへと回帰する。 「―ゼ。マスカローゼ?」 何度か呼ばれていたのかもしれない。 思考に没頭していたことに気づき、はっ、と仮面の少女は顔を上げた。 「――ぁ、すみません……」 唇をかみしめ、またうつむく少女に、青年が肩をすくめる。 「いいサ。返事もすぐにじゃなくていい――考えてみてくれ」 「――いえ」 逡巡は、数瞬。 少女は、整理しきれていない想いを少しずつ口に乗せていく。 ‡ 少女が語るもの。 自分という意識が生まれたそもそもの理由。それにより抱いていた憎悪。 この肉体が生み出された理由。さらに身の内にある存在の状況。 いっそロストメモリーとなれればと思ったこと。 自分という存在への疑問符。 訥々と語られるそれらの言葉を、ジャックは静かに聞いている。 「――これで、多分全てです。まだ整理できていない部分もあるんですが……共に暮らすというのも、ですからご遠慮できれば、と――」 断りの言葉を紡ごうとするマスカローゼ。 それに対し何事か言おうとしたジャックのトラベラーズノートが、不意に通信を受けた。 「すまねぇ、ちょっと待ってくれるか」 通信文を送ってきた相手が誰か知り、ジャックはそうマスカローゼの発言を押しとどめる。 それは、ナラゴニアの地より送られた物。 目の前の少女と同じ顔、同じ声の少女から送られた文は、いわば目の前の少女へ宛てられたもの。 ――彼女からの提案を、ジャックは目前の少女へと投げかけた。 「結論はもうちょっと考えてくれ。とりあえず、だ。死んじまえば敵も味方もねェ…一緒にクランチの遺品を探しに行かねぇか? ナラゴニアの奴の家にいきゃ、何かしら思い出の品もあるだろ――それに、だ」 そう言ってジャックは笑った。 「『あいつ』からの提案でもあるんだ。『あいつ』は、お前が思うよりお前のことを忌避してねェんじゃねぇか。いろいろと複雑そうではあるけどナ。どうだ、一緒にクランチの遺品でも探しにいかないか。奴にも、墓くらいつくってやろうぜ」 まずは墓場から引き離して心身を休めさせたい。そんな想いも交え――ジャックはそう提案し、笑った。 彼女の想いを聞くことができた。 それだけでも第一歩だと思える。 対の少女から、自分を通じてとはいえ彼女へのアクションが起こされた。 それもまた、一歩といえると、そう思えた。 そして青年が投げかけた提案に対する少女の答え――応諾の、頷き。 迷いの末に返されたその応えに、ジャックは再びの笑みを浮かべていた。
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