イラスト/BAKO(iact6305)

クリエイター蒼李月(wyvh4931)
管理番号2189-19904 オファー日2012-10-09(火) 23:15

オファーPC 東野 楽園(cwbw1545)コンダクター 女 14歳 夢守(神託の都メイムの夢守)

<ノベル>

 最も近い陸地から船で十数時間。
 冬ともなれば波が高くなりその船すら行き来しなくなる――そんな孤島が、彼女の故郷。
 島の外縁に程近い緑生す丘で、黒檀の髪、黒曜石の瞳を持つ女性が一人立つ。
 彼女の視界を満たすのは、眩い陽光と、見渡す限りの青と碧。
 煌めく波の輝きと、噴きつける潮風の心地よさに少しだけ、目を細める。
 二十前後の彼女だが、少女が好んでつけるような白く清楚なワンピースに身を包み、漸く昇りきった朝日に照らされる海を、優しい瞳で眺めていた。
 息を一つ吸う。

――Im wunderschonen Monat Mai

 浜風に煽られ短い髪が静かに浮き上がる。
 胸の前で合わされた手は、そのまま全身の力の結節点となり。
 吸われた息は声となり、青い空へと送り返されていく。
 歌は初めそよ風のように優しく、段々とその響きを高く、強く、靭やかなものへと変えてゆく。

――Die Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne

 その声は、高音域から中低音域までを情感豊かに歌いこなすことのできるドラマティコ・アジリタ。
 世界を祝福するかのように清らかな想いを声にのせ、彼女は歌う。
 愛おしい世界の隅々に、この歌声が届きますようにと祈りを込めて。
 歌うのは両親から贈られたレコード等で聴き覚えた物。

――Doch wenn du sprichst: ich liebe dich……

 専門の教師などこの小さな島に居るはずもなく、故にこれは、天性の声。
 入院し、どこへも行けぬ人々にせめてもの慰めを、齎したい。

 だから今日も、彼女は歌う。
 楽園の島で、楽園は唄う。


 世界は こんなにも 美しい


‡ ‡


「歌?」
 小舟に乗って、老人と二人漁をする青年。
 網を引き上げて一段落した頃合いに聞こえてきた、こんな辺鄙な離島に似つかわしくない歌曲と、声。
「あぁ、濡羽姫だろう。最近帰ってきたそうじゃからな」
 彼の祖父は当然のように答えるが、理解できず青年は問いを重ねようとする。
 その瞬間、やや大きなうねりが船底を叩き、彼は強かにその背を甲板へと打ち付けることとなった。


‡ ‡


『世界で一番幸せになれるよう、願いをこめて付けたのよ』
 楽園、という名の由来を問われた母はかつて幼い自分にそう言った。
『もし貴方が世界で一番幸せになれたのなら、次は他の人を幸せにしてあげてね』
 鄙に稀な美しさを誇る母の微笑みは大変綺麗で、その仕事も、またこの世で一番尊く見えた。
 そんな彼女に寄り添われるのは、この世で最も大好きな存在である、父。
 医者としてこの本土より遠く離れた地での生活を続ける中で、島民からの信頼も篤く万事に秀でた最も身近な異性の父。
 そんな二人の姿に抱いたのは、童心に深く刻まれる憧れ。
 生まれた頃は金糸雀のように脆弱だった少女は、自然に囲まれたこの島で両親の愛情を一身に受け、やがて黒歌鳥のように美しい声を持つ健康な乙女へと育つことができた。
 そうして今、楽園は学業を終えて故郷に帰ってきたのだ。



「君が、濡羽姫?」
「あら、まぁ。久しぶりに聞きましたわその呼び名」
 新しく入院してきた青年に幼い頃の呼び名を投げかけられて、少しくすぐったいような気持ちになる。
「本名は東野楽園と申しますの。石井遼様、ですね」
 「楽園」――そう口の中で転がすように呟く青年に、楽園はゆるゆると口元を緩めて微笑みかけ、軽く頭を下げていう。
「数日で退院できると思いますが、それまで担当として、できる限りお世話させていただきますので、よろしくお願いします、ね」
 まだ見習い看護師ですけれど。くす、と笑ってそう告げる楽園の瞳は、チャシャ猫のように煌めいて。
「あ、はい、こちらこそ――痛っ」
 慌てたように会釈しかえそうとして、強打した背中を襲う痛みに邪魔されたらしい。
「大丈夫ですか?」
 楽園は屈みこむと、心配そうな様子で顔色を伺うも、苦笑の笑みが浮かんでいるのを見て、再び笑った。
「問題ないようですわね。それでは検温だけさせていただいて――また、午後に伺いますわね」
「ええ、よろしくお願いします」
 それが、二人の出逢い。
 久方ぶりにこの島に戻った青年と、看護学校へと通う間を除きこの島で暮らし続けてきた女の出逢い。



 日々は続く。
 楽団に所属していたという青年との会話は、楽園にとってとても楽しいものだった。
 手を傷め楽奏の道は諦めたけれど、それでも音楽を愛する青年。著名な楽団で若くして活躍していたその彼に「至上の楽器」と称されるのは、少しだけ心をくすぐってくれる。
 退院してからも、二人はしばしば会うようになっていく。
 「最近よく鏡を見ては髪を整えているのね」、と母にからかわれるようになるまで時間はかからなかった。鏡や、ふとした時に映る自身の虚像に気づいては、どこかおかしいところはないかしらとつい思ってしまう。
 そんなにしょっちゅう気にしなくともいいわよね――自嘲的に笑うものの、一度ついてしまった癖は、治りそうになく。

 そんな日々がしばらく続いた夏の終わり、夕暮れ時の丘の上。
 いつものように歌っていた楽園が満足気に微笑んだところで、背後からかけられた言葉だった。
 草原に座り込んだ青年の表情は、夕陽を背負い殆ど見ることができない。
「まだ、君が六つにもならない頃のことじゃないかな――怪我をした祖父の見舞いをと、両親に連れられて一度だけこの島を訪れた事がある。退屈して迷い込んだ病院の奥深く。療養病室だったんだろう、そこで小さな歌声を聞いた」
 楽園が、青年の話を促すかのようにその横へと座る。語り続ける青年の横顔は、懐かしいものを思い出しているようだった。


‡ ‡


『――Twinkle,twinkle,little star, How I wonder what you ……』

 その日病室に響いていたのは、小さく細く軽やかな声。
「その声を聞いて世界が変わったんだ――」
 懐かしむように呟く遼。

 共に学ぶ同年代に感じる差。コンクールで否応なく決せられる順位。容赦のない評価。
 全てが苦しくて。その心を、容易く打ち砕く天上の声。
「あの声のように。あの声が僕にそうしてくれたように、人に感動を与えられる音が出せたら……それが、僕が頑張れた動機だったんだ。まぁその結果が、練習し過ぎての怪我だけど、ね」
 情けないな――そう言って苦笑した遼が、横にいる楽園に身体を向き直らせる。

「僕はあの日から、もう一度あの声の少女に会いたいと、思ってた――海の上に響く声を聞いた時、すぐに、そうだと判ったよ。そして、今の君はどんな風なのだろうと、思った。こうして会って話ができて、嬉しかった。君は、僕にとって歩む道を照らしてくれる天からの光だった」
 そこまで言うと我に帰ったように赤面する青年。

 その様子を見て、楽園は微笑む。その頬は、軽く紅を載せたかのよう。
「覚えてますわ」
 楽園もまた言う。
「幼い頃、迷い込んできた少し年上の男の子。私の歌声を素敵だと言ってくれて、何処かへ行ったと思ったら、バイオリンを取ってきていたかしら。あの頃私は病室から中々出られなかったのだけれど、一緒に沢山歌ったの」
 あの時の経験があったから、自分は今歌っているのだと、彼女は言った。何もない、人も殆どこない病室に響く、色鮮やかな音の旋律へ抱いた歓び。

「あの時の少年が、貴方だったなんて、なんて素敵なことかしら」
 笑う楽園の頬に、青年の手が触れられる。
「あの時抱いた想いは、今でも変わらない――この地が君にとっての楽園ならば、僕を、君のアダムにしてもらえないだろうか」
 歌うように言葉を紡ぐ楽園に合わせたのか、遼の言葉は少しだけ芝居がかっていた。
 それでも誠実さと真摯さに満ち溢れたその言葉に、楽園はまた、静かに笑う。

「陽がくれてしまったな。そろそろお互いの顔も見えなくなる、帰ろうか」
 照れ隠しなのか、そう言って立ち上がろうとする遼の手に、楽園は自分の手を重ねて引き止める。
「――近づけば、まだよく見えてよ。ほら、このとおり」
 掌一枚程に近づいて視線を絡ませると、楽園はまた、チャシャ猫のように、楽しげに目を煌めかせた。


‡ ‡


 夏がやがて終わりを迎え秋となる。
 樹々の葉も枯れ落ちるころ、この島にも遅い冬がやってくるだろう。
 そんな矢先の、酷い嵐の夜だった。

 屋敷の部屋で、小さく歌いながら明日遼と会う際に着る服を選ぶ楽園は、何枚もの服を取り出しては、姿見に自身とともに映し、迷いを重ねる。小さな小さな、贅沢な悩み。
 姿見に映る自分の姿に、うん、と一つ納得した楽園だったが、不意に不思議なものを見る。

 手首に巻かれた、白い包帯。

 現実の自分の手を見下ろすと、そこには何もなく、もう一度鏡を見ると、やはりそのままの手首。
 気のせいかしら――そう呟くが、一度抱いた違和感は、中々消えてはくれなかった。
 白い輝きで塗り固められていた世界を、緩徐に黒い滲みが侵しはじめる。
 耳に蘇る、遼の言葉。
 私にとっての楽園? この島が、この世界が――私の望む世界?

――誠に結構な事でありますな。

 幸せで満ちていたはずの心に、突如湧き上がる、飢餓感。
 背筋を這う悪寒に両の腕を掻き抱き、強く目を瞑る。
 瞼の裏に浮かんだのは、遼の姿ではなくカーキ色の制服で。
 地から這い上がる怖気は否応なく体中を駆け巡り、助けを求めて視界に入ったのは、姿見に映る、己の姿。

 この世界は正しいのだと。この自分は正しいのだと。確かめるように、楽園は楽園へ問う。
「ねぇ、ここは本当に楽園なの?」
「本当の楽園なら……どうしてこんなに、寂しくて虚しいの?」
 泣き出しそうな表情で相対する虚実の楽園。そこに映る姿が己と違うところは一つもない。
 その事実を確かめて、無理やりに安堵しようとした楽園の背後から、小さく囁く声がする。
『教えてあげるわ、お馬鹿さん』

 振り向いても、誰もいない。
 くすくす、くすくす、と脳裏に響く、嘲弄の声。
 それは、皮肉に満ちた智慧と言う名の蛇の毒。
 段々と、楽園は違和感の正体に気づいていく。

 あるはずの傷。見るはずのない鏡。短く切り落とされた髪。健康的に育った自分。黒真珠の瞳。
 あぁ、これは『私』の声なのね。
 そう悟る楽園の背後で、楽しげな少女の声が、最期の言葉を紡ぐ。

『何故寂しくて虚しいか。簡単よ。此処は楽園じゃなく、失楽園だもの』

 相対していた虚像が、鏡面と共に砕け散った。



 夜の崖は、手の先が見えぬほどに暗い。
 新月の嵐であればなおさらだ。
 柵すらないその崖に、黒檀の髪と猫目石の瞳持つ少女が一人立つ。
 彼女の視界を満たすのは、暗く塗り込められた天と、荒れた水面。
 水平線は見えず、稲妻と海鳴りの響きだけがその耳朶を打つ。
 そんな闇の世界を眺め、黒衣の少女はが息を、一つ吸う。

――O las mich von der Luft durchdringen

 横殴りの風が、空のように闇く濡羽のように艷やかな黒髪を、波打たせる。
 成長しきっていない少女の身体から紡がれる声は、細く、高く、硬質だが伸びやかなもの。
 唸りを挙げる風にかき消されぬその声は、この崩壊する世界の中で、遥か遠くまで響かんとして。

――bin ich nicht deine Braut

 オラトリオ。
 古の先人達の、溢れ出す想いが結実した一つの形。
 崩れ落ちていこうとするこの世界。
 バロックの幻想へ歌う声は、静かに、されど強く、伸びやかに。

――die nur von dir, in dunkler Welt empfangt ihr Licht

 幼い金糸雀は金糸雀のまま。
 只々想いを歌うだけ。けれど、それは少し前までの事。

 緑樹の園で過ごした日々が。
 そこで出会った人々が。
 それまでと違う想いを抱かせた。

 愛する人への想いに、ほんの少し、変化を見せた。

 歌いながら目の前に翳された手首。刻まれた自傷の痕に、楽園は想う。
 逃げるのは簡単。でも、それはしない。
 私は、私のこの手で初恋を精算しなくてはいけないの。

――Ich leben ohne dich, allein……

 だから今日、楽園は歌う。
 失楽の島で、楽園は唄う。

 世界は こんなにも

クリエイターコメント 楽園様の、壺中天での一幕のノベル、ご提供させて頂きます。
 人並みの幸せ。健康、容姿、親の愛情。
 全てがそこにあり、全てが満ちているように見える、幻想の世界。
 歪な真珠が模造の真円に直された世界。
 真円に見える、歪んだ世界。それは真実完全な真珠ではないがゆえに、バロックよりもなお価値の劣るもの。
 そういった感じを主題におきつつ書かせていただきました。
 青年との過去の部分等、ノベルに合う形で捏造させていただきました。いかがでしたでしょうか。
 ご期待に添えていましたら、幸いです。
 この度はご依頼ありがとうございました!
公開日時2012-12-03(月) 22:00

 

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