その情報は、人狼公リオードルによってもたらされた。 ナラゴニア暫定政権の幹部の一人としてターミナルを訪れた彼が図書館長であるアリッサに彼が伝えた事――それは、「クランチ達の一派だった者達の中でヴォロスから未帰還の者達がいる」、「詳細は不明だが世界樹の苗を彼の地に植えつける作戦に従事していたはず」というもの。「クランチの野郎が何を企んでやがったのかは知らねぇし、俺はてっきり先だっての戦いで死んだとばかり思ってたんだがな」 どうやら単純に、帰ってきていないらしい、と言うリオードル。「まぁ、世界樹は沈黙してるし、難民パスってのも受け取ってねぇわけだろ。問題はねぇと思うが、一応伝えておくぜ」 そう言うと、人狼公は当初の予定どおりにターミナルの観光へと向かっていった。 後に残されたのは、眉根を寄せて考えこむアリッサ。 リオードルが問題ないというのは、即ちほうっておけば「消失」するだろう、という趣旨だろうが、そうはならないからだった。 ――難民パスは、世界樹旅団員に対して発行された。 これは、直接受け取ったかどうかによらず、適用されるものである……つまり、彼の地の旅団員達もまた、その効果を受けているであろう、というものだった。 正直なところ、世界樹本体が停止した現状において、彼の地で――もし苗が植え付けられていたとして――世界樹の苗が育っているのかどうかも不明だが、最悪の事態を想定しておくべきだと考えた。 しかし、である。 ターミナルは今、復興と融和の0世界大祭に湧いている。 この中で、世界樹残党の追討や、過去の作戦の事情聴取等、おおっぴらにやって水をさすわけにはいかない。 それに、司令役であったクランチが亡くなり、その「残った人々」はヴォロスに残ったまま世界樹旅団と連絡が取れていない状態なのだ――或いは、彼の地で単純に難民として生活している可能性もある。 あまり、大っぴらにして、結果策を諦めているかもしれない彼らをこの地へ戻りづらくしてしまう可能性を生むのも、よろしくない。「これは……できるだけひっそりと進めるしかない、かしら」 そう結論づけ、彼女はアルヴァク地方をこれまで主に担当していた司書、アインを呼び出し事の次第を告げることとした。 まずは詳細の調査が必要で、その為に、それとなく過去に当該作戦に関係していたであろう旅団側の人物達に事情を聞く必要があったからだ。 ――単純に対象者を呼び出すのも憚られた。 何かあったと知られるようなものだし、それでは視察にかこつけてこっそりと伝えてきたリオードルの配慮を無視する結果になりかねない。 調査隊をいきなり派遣するのも憚られる。 ――無為無策のまま、情報も無しに隊を派遣した場合、情報不足による危険への対処に難がある。「すみません、私は大祭の方を見なければなりませんので、アインさん、あなたの方で秘密裏に、かつ穏当に調査できそうな、信用のおける方を見繕っていただけますか?」「わかりました、探してみましょう」 頷きを返す獣人の司書がその場を後にするのを見やりつつ、アリッサはため息をつき言葉をこぼした。「無事にすんでくれれば、一番なのですけど――」 ‡「――というわけなのです。現状が現状ですから、我々としてもできるだけ大事にしたくなく……一つ、秘密裏且つ穏便によろしくお願いします」 貴方方なら大丈夫かと想いますが。 そう言ってロストナンバー達にアインが依頼したのは、クランチが描いた作戦に従事していた人物らへの秘密裏の聞き取り。 リオードルから、関わっていたらしいと伝えられた対象は、フラン、マスカローゼ、メン・タピ、ドンガッシュ、ウォスティ・ベルの五人である。「ウォスティさんについては図書館において身柄を確保していますので、話を聞くのは容易だと想います。――素直に話していただければ、ですが。それと、他にももしかしたら、聞ける人がいるかもしれません。そのあたりの裁量はお任せしたいと想います。何卒、穏便に、秘密裏に、お願いします、ね?」
0世界にいくつかある墓場の内、仮面をつけた墓守の少女が管理するその地。 休憩用の小屋の前で、地面に座り込み空を見上げる少女。 仮面の墓守、マスカローゼは一段落した埋葬の儀を終え、何を思うでもなく無為な時を過ごしていた。 そんな少女の顔に、影がさす。光を遮ったのは、臼木の身体。 「ねぇ、貴方がマスカローゼよね?」 否と応える必要性は皆無のため、少女は「ええ」とだけ応え、頷いた。 「聞きたいことがあるんだけど。館長からの頼まれ事なんだけどね」 そう前置きをすると、赤く縁取られた眼鏡をつい、と人差し指でなおしおき、臼木桂花は単刀直入に言葉を発する。 「ヴォロス、アルヴァク地方、植樹計画……貴方が知ってる事があったら教えてくれない?」 しばし、沈黙が横たわった。 数十秒。やがて、数分。しびれを切らしたのは、臼木。 「ねぇ、知ってること、あるわよね?」 「あります」 応えたのは、端的な言葉。 「ですが、私の口からは言えません」 そして拒絶。 「黙秘するようなことだとでも?」 それは、つまり今この状態であっても言えないような事をしていたのか、という問いかけだった。だが、少女は首を横に振る。 自身が何をしていたかを言うことは彼女の過去を詳らかにすることであり、己がそれをされることは構わないが、彼女がそう感じるかはわからない。故に、少女のほうへ尋ねよ――仮面の少女はそれだけを言い放ち立ち上がる。 「ちょっと――!」 引き止める間を与えない絶妙のタイミングで、小屋の中へと入っていく少女。これ以上話すことはない、行きなさい。無言の主張に舌打ちが鳴る。 「しょうがないわね。それなら……あっちに当たることにしようかしら」 そう言い、元OLの経歴を持つ女が向かう先。それは、ホワイトタワーの崩壊後に囚人とされるべき者達を捕らえている場所だった。 ‡ 「これは、なんというか、面白い格好だね」 ウォスティ・ベル。ホワイトタワー崩壊のきっかけとなり、ナラゴニアの世界図書館侵攻の号砲を鳴らした男。 彼自体はあくまでも使者に過ぎず、特使である。 いずれはナラゴニアの統率を取ることとなった者たちの下へ返されることになる男であった。 それでも今は軟禁状態となっており、それを知る世界図書館の人員も少ない。そんなウォスティは今、単純に女の格好に感嘆の言葉を投げかけるにとどめている。 「貴方、見たもの全て真似できるって聞いたから。これでも私の真似はできる?」 挑発的な言葉を投げかける臼木の格好は、頭からかぶる茶色い紙袋。目の位置には2つの穴が開いているが、そこから覗く瞳はない。どうも中でサングラスをかけて瞳を覗きこまれないようにしているらしかった。 「きみの真似か。そうだな――真似……いいのかい? きみは僕に話をききにきたんだろう? もしできたとしたら、きみは自分の鏡に向かって問いかけ続ける気分を味わうことになると思うんだがね。よく言われることだが、気持ちが悪いそうだし、おすすめはしないよ」 「へぇ? これでも可能なの」 穏やかに返すウォスティの言葉に、意外だという念を多少覗かせながら、臼木は「やってみせてよ」と促した。 「そうかい……なら これでどうかしら?」 瞬き一つ。現れていたのはまさしく鏡でみやる己の容姿と肢体。服装はそのまま、中身は完全に臼木となっていた。口調も、声も同じである。 「へー……参ったわね――それならこんなもの、かぶってる意味はないか。ところで貴方って群体? あちこちに現れるけど。戦争終わったんだもの、種明かししてくれても良いでしょ? 協力してくれるなら解放が早まるよう館長に進言するわ」 「お断りよ」 一刀、だった。 「私は協力せよと言われれば誰とでも協力してあげる。だけど、安々と種明かしなんてする必要性は認められないわね――それに、貴方、そんな事を聞きにここにきたわけじゃないでしょう?」 「そう思う?」 「ええ」 同じ口調のせいか、はたまた元来の性質か。ぽんぽんと言葉のやりとりを行う二人。 「意外と貴方、嘘つきで強情よね……分かった、質問止めるわ」 「あら、いいの?」 楽しそうに瞳を煌めかせるウォスティに、臼木は頷いた。 「だって、心を許していない人間が、ただ聞いて教えてくれた情報は、信用できないもの。それくらいなら聞かない方がいいわ」 「最もね。ならもう帰ったほうがいいわ。これ以上いたとしても得るものは何もないもの」 そうするわ、と言い残しさっさと部屋を出る臼木。 そんな後ろ姿を眺めやり、ウォスティはうっすら浮かべていた微笑を消し去った。 無。洞。虚。いずれにもあてはまり、いずれでもあらわせないその表情こそ、おそらくは彼の素の表情なのだろう。 そしてまたその部屋に、沈黙が訪れる。 ‡ その日、ゲームセンター「メン☆タピ」を訪れたのは、場違い感甚だしい青年だった。 「精霊の客人よ。話すは裏のスペースがよかろう。しかし心せよ、間より奥へと至れば、そこは容赦なき者どもの巣窟ぞ」 そう言って、メンタピが青年を案内したのは、何もない壁。その付近にあるボタンをメンタピが操作すると、壁としての存在感が消失する。 ついてこい、と言ったメンタピの言葉に素直に応じる青年。 ホログラムでのみ形作られた壁を抜けいかなる話か、と問うメンタピに一度頷き、青年はここへ来た目的を説明していく。 リオードル卿によりもたらされた情報、それを受けたアリッサの判断。 「率直に訪ねたい。彼の地でいかなることを世界樹旅団が展開していたのか、今どんな状況になっているのか。知る限りでいい、教えてくれないだろうか。君はヴォロスの地の守り神だったのだろう? 外部からの侵入で故郷が荒らされるのは望ましくないんじゃないだろうか?」 そう問う青年の言葉は真摯。しかし、我慢できぬとばかりにメンタピが笑声をあげた。 「異なことよ。我はメンタピ――魔神メンタピぞ。数多の小さき者を戯れに屠り、ただ屠るのに飽いたが故に弄んだ。その果てに今があるというものよ。世はしかるべくしてあり、しかるべくなる。世界律の定めは多くの場合において定められたままであり、これなる世界律を乱す害悪もまた世界律の一部。我も含めて、それこそが世界の有り様というものであろう」 無駄に偉そうに指摘してくる魔神の言葉。そんな魔神が不意に笑みを納めて青年を睥睨した。 「弟子たる者、師を超えようとしてはじめてその高みへと至る事ができようというものだ。彼の叢雲に宿る師の意思は凡そただの抜け殻であり、ディラックよりの来敵を屠る機構の一つにしかざれば、真なる師はおそらく彼の箱庭の地にあろうと思えた。故に我はあの科学者に協力し、師の抜け殻を以って叢雲と為したのだ――すべては、姿を消した師を表舞台へ引きずりださんが為。かくて挑まんとせんがため」 虜の身となったがな、と肩をすくめメンタピは笑っている。どうにも、煙にまこうとしている感が強いように、イルファーンには思えた。 「なるほど、君の有り様を間違えたこと、率直にお詫びする。あるがまま、さだまるがまま。けれど、それでも僕は民を守りたい。硫黄と火によって国が焼き滅ぼされる、あんな情景は二度と見たくない――だから頼む。彼の地で蠢く陰謀について知っているなら教えてくれないか」 「私も知りたいわね」 二人の会話に不意に割り込むのは、傷めつけられた黒服を引きずり入り口を入ってきた女の声。 「この前の鬼ごっこ、面白かったわ。それで相談があるの。個室のルーレットで秘密の3回勝負はどう? この奥に、あるんでしょう? そういうの」 「ほう」 莞爾とした笑みを浮かべ、鷹揚に頷く魔神。桂花もまた余裕を見せるかのように笑っている。 「欲しい情報があるの。ヴォロスのアルヴァク地方、ドクタークランチの配下が世界樹植樹計画してたそうじゃない。計画に関わった人員規模、担当者名、進捗状況。ヴォロスの魔神が分かっている範囲の事は全部よ。買ったら情報総取り、負けたら1ヶ月ここで無償で働くわ。バニーでもストリップでも何でもするわよ、ご主人様?」 「くかかかか! すまぬな精霊の客人。今これより貴殿が聞いてきたものは、勝負の対象となった。さればこそ負ければ真正直にすべてを語ろう。我が勝てばその義務は持たぬ。ゆえにお主に話すこともできぬ」 白磁の青年の肩を叩き、メンタピはその宣告に言葉を付け加える。 「だが、より貴殿の望む、陰謀や相手の人物像について知っているであろうものは他にもいよう――復興作業に勤しむ土建の男など、最たるものよ」 その言葉に、イルファーンはうなずきを返し、桂花を見た。 「臼木桂花――ここは後は君に任せた方がよさそうだ。何かわかったら、教えてくれるかい?」 「勿論よ。この身を賭した賭けだもの。意地でも情報奪い取ってあげるわ」 ふふ、と笑みを浮かべる彼女に、イルファーンは頷いて、その場を後にする。 その背後を見送っていたメンタピだったが、やがて臼木の方へと向き直る。 「しからば行こうぞ小さき者――これより先、後悔の入る隙間は微塵もなく、公開されることも無き世界が待ち受けよう」 「望むところよ」 ‡ 「フランちゃん、あの……教えてほしいことがありましてぇ…ヴォロスのアルヴァク地方で、旅団が進めていた計画なんですけどぉ」 今お茶を用意しますね、と突然の訪問にもかかわらずいそいそと応対しようとした少女、フラン。その両の手を互いの胸の前で握りしめ、ひたと目を見据えて撫子が言った言葉は遠慮がちではあったが、しっかりとしたものだった。 「この前私、アルヴァク地方に行きましたぁ。そしたら向こうの隊商さんから、シュラク公国がおかしいって……突然今までなかった川が走ったり、后妃様や宰相が急に人が変わって有能になったり……でも改めてしっかりと思い返さないと、おかしいとも思わなかったってぇ」 それでですねぇ、と撫子は言葉を続ける。 「司書さんが、ドクタークランチの配下の旅団員で、戦争が終了したことを知らない集団があそこに残ってるかもしれないって……その方たち、難民パスがないと消えちゃうかもしれません~。もうしなくていい戦いの準備を、嫌々してるかもしれません~。戦争、終わったんですぅ、その方たちが消えちゃうのも、アルヴァク地方が戦争になるのも嫌ですぅ。私、みんなで仲良くなりたいです、戦争終わったよって伝えに行きたいですぅ」 いなくなる、という言葉。みんなで仲良くなりたいという言葉。 フランの瞳が揺らいでいるのを撫子はしっかりと認識し、だがそれでも聞かなければならないという使命感が、なお続く言葉を後押しさせた。 「そこで今何が起きてるか、どなたがいらっしゃるか……フランちゃん、知りませんかぁ?」 問いかけてくる表情は真剣そのもので、思わず目を逸らしかけたフランだったが、思い返したように撫子の目を見つめ返す。 「残っている人たち――そのうちの一人は、多分サリューンという人です」 そうして少女は語り始める。 ドクタークランチのヴォロス・朱い月侵攻作戦の事。その目的。 朱い月に見守られての世界への侵攻の為、クランチはマスカローゼとメンタピを動員してヴォロスはアルヴァク地方に存在している慧竜の、いわば抜け殻とでも言うべき巨大竜刻。その力を利用し、朱い月に見守られての世界へと侵攻、これを掌握し、世界樹の贄とする――フランが聞いていたのは、ここまでだったこと。 そしてその裏側で動かしていた、2つ目の作戦。それが、シュラク公国の乗っ取りと、その地域内の何処かにおける世界樹の苗の植樹。これはマスカローゼとしての動きが表にでるよりもはるか前から実行に移されており、旅団の構成員の何人かを国の中枢に浸透させることができていたという。 「私――マスカローゼが直接その作戦に携わったのは、世界樹の苗をシュラク西方の大森林の内部に眠る竜刻に、直接植え付けるところのみでした。あくまでも作戦方面司令官として、サリューンさんと私はそれぞれの作戦の指揮を任されていただけに過ぎないのです。ですので、全貌については把握していませんし、あちらの作戦に従事していたその他の旅団の面々については、よく知りません」 そうなんですかぁ……フランの、ゆっくりとした、何か、溢れ出るものを抑えるかのように硬質な声で行われた説明に聞き入っていた撫子だったが、不意に気づく。 少女の呼吸が、荒くなっている事に。 「それから……サリューンと私は、途を分かちました。その後、私、は……」 ぶる、と一つ身震いをした少女。 だがそれが決壊の合図だったのだと、すぐに撫子は悟る事となる。 「皆さんをこの手で傷つけ、故郷の村を……次いで、近郊の村や、騎士団の人々を――」 「もういいです、フランちゃん!」 焦ったように少女を抱きしめる撫子。その腕の中で、少女の震えは止まらない。 「今でも夢に、見るんです……。痛いよ、やめてよって言うおばさんの声。子供を殺されるのを手足をおられてどうしようもないままで見せつけられた母親の表情を――マスカローゼの人格が、私に見せつけるためにやったこと……だけど、彼女は、私が作った人格なんです。私が、私のこの手が……っ!」 ヴォロスで彼女が、クランチや叢雲と共に行なってきた事の記憶。 それは、忘れたく、けれども、決して忘れられず、忘れてもいけないと思わされる、脳裏に刻みつけられた光景と明確にリンクした記憶だった。 夢でだけでなく、時には起きていてもフラッシュバックを起こすその光景を必死で抑え、笑顔を紡ぐ日々。 それでも相手が撫子だったから、少女は話したのだろう。 あるいは、共にいたいと願う青年にも話せない事柄。 きっと撫子であれば自分の内で飲み込んでくれるだろうという無意識の信頼と、撫子の「皆で仲良くくらしていきたい、これ以上誰かがいなくなるのは嫌だ」という言葉が、少女に過去の記憶を掘り起こすことを決意させたのだった。 ぎゅっと己の身を何か目に見えぬものから守ろうとするかのように小さく縮こまる少女を、撫子が優しく抱きしめ、その背を撫で続ける。 大丈夫、大丈夫ですと、ゆっくり声をかけながら――。 ‡ 祭りで良くも悪くも賑わう町中を、イルファーンは歩いていた。新雪の肌、蚕糸の髪。白き布地に包んだその身は、飾られた空色の石がよく映える。 目的とする人物は、祭りの喧騒から少し外れたあたり、まだ復興の轟音が鳴り響き続けている一区画にいると聞いていた。 「ちょっと、いいかな」 その声の先にいたのは、ピンク色の作業着を着たドカタの偉丈夫。 「こんにちはドンガッシュ。実は、君に聞きたいことがあるんだ」 「俺にかい?」 安全ヘルメットを外し、軽く汗を振り払った男が振り返って笑いかける。 その爽やかな笑みは、世界を壊す結果となった活動に納得しないまま従事していた頃よりも、幾分か晴れ晴れとした印象を受けさせた。 「そう、実は館長――アリッサ・ベイフルックからの頼まれ事があるんだ。そしてこれは、僕自身からもお願いしたいことなんだ」 ほんの少しの逡巡を見せたのは、目前のドンガッシュの笑顔を曇らせることになるかもしれないという迷いゆえか。 それでも青年は、問いかける。 「僕の仲間が、アルミラの屋台で飲む君を目撃している。単刀直入に聞くけれど、あそこで何をしてたんだい?」 アルミラ、そう呟いたドンガッシュは、しばし考える風情を見せ視線を明後日の方向へと流した。だがそれも一瞬。 青年を正面から見据えると、「館長からの依頼だと言ったな」と確かめてくる。 頷いたイルファーンに、男もまた頷き、口を開いた。 「俺に話せることなら話そう――そうだな……あんたは、何が聞きたい?」 「僕としては、君が命じられた事。成そうとしていたことを知りたい。そして、施主の望む世界を建築するのが君の仕事だという。ならば、その施主とはいかなる人物なのだろう。君が知っている範囲で構わない」 愚直ともいえるその真っ直ぐな問いかけに、ドンガッシュは表情を引き締め、三度頷いた。 「まず、俺があそこで何をしていたか。現場の下見は最低限の義務だからな。あのままターミナルへの世界樹旅団の侵攻がなければ、今頃あの都市国家が、俺の現場になっていたはずだ……あぁいやわかってる。聞いているのはそんなことじゃねぇよな」 工事をすること、働き続けること。施主の望む施工を行うこと。それ以外に生き方を知らなかった、不器用な漢。 そんな男の言葉を受け、白皙の青年は眉間にわずかながら皺をつくり、その紅玉の瞳を瞼で覆い隠し、口を開いた。 「僕はあの国に思い入れがある」 語る青年の口調には、苦いものが一雫。 「魔女と呼ばれた一人の女性を救えず、むざむざ見殺しにしてしまった。懐剣をその身に突き立て落ちていく彼女の姿を忘れることはないだろう。彼女はあの国を呪って死んでいったが――それでも、僕は民を助けたい」 開かれたイルファーンの目に宿るのは、強い意思を宿す光と、静かながら激しい情熱の焔。 「彼女に同情していた民は本当に一人もいなかったのか――そんな筈は、ない。僕は僕の信念を。逆境にも摘まれぬ、人の善を信じたいんだ」 ドンガッシュへ向けられる視線に込められた意味。イルファーンにとって知りたいこと。ドンガッシュが知っていること。須らく情報を聞き出すために必要なのは、己の信じる途を歩き続ける覚悟を示すことである。 強き瞳に宿る決意が、男に対してこれが僕の想い全てだ、と語りかけていた。 「あそこにいるのは、ただの馬鹿だ」 少しだけ口を緩めながらも、ドンガッシュが再度言葉を紡ぎ始めた。 「自分の世界で陥った失敗が、偶然なのか、天命なのか。それを確かめたいと願う、筋金入りの馬鹿だ。だが、命を賭ける価値があると、奴は言う。ならばと俺は応えた。それが、あの地だ。そして俺がやった世界の再構築ってのは、俺がいようといなかろうとそのままさ。代償となる力の源がなくならない限り、消えることはない。普通なら世界のもつ復元力、クランチはそれも世界律、因果律のうちだとか言っていたがな。それに抗い続けるうちにその力を削られ、崩壊を始めていくのさ」 だがなぁ、と男は言う。 「あいつはそれを百も承知で施主になった。再構築された世界とのつながりは中止したいと思ったところで途切れさせることができるような性質のものじゃない。そして、あいつは世界を半永久的に維持することができないかと、そう考えた。竜刻の力を利用して、だ。要は、バッテリーの蓄電量ってのは限られてるが、外部電源に接続していたら、その間は永遠に稼働しつづけるだろう?」 頷いたイルファーンを見て、ドンガッシュは言葉を続けた。 「旅団に利用される中で行なってきた施工の数々を積極的に是認するつもりはないが、施主が、己の力を、施主自身の生命を賭してでも欲するというならば、全力で応えてやるのが、漢ってもんだろう?」 そう語るドンガッシュの表情は至って真面目なもの。己が納得するしないを横に置き、信念に大して侠気で応え、十全の仕事を以って要望に応えてきた職人としての自覚。 「どんな手段を使ってでも。望みを叶えたいというあの男の信念てのは、まぁ、巻き込まれる側には当然迷惑な話だが、立派なもんだ。おっと、眉を潜めちゃいかん」 何か言おうとしたイルファーンを制し、男は言う。 「俺としちゃこう思うのさ。お互いの信念がぶつかる瞬間があったとしたら、その信念の強い方こそが、成したいことをなせるんだ、と。先のナラゴニアと世界図書館のように、ぶつかった後に融和することもあるだろう。それによって起こる被害も当然ある――それでも、一方が他方の信じるところを否定することはできない。だが両立させることもできない場合がある。できない以上は……」 イルファーンは、最後のドンガッシュの投げかけに、一つ頷く。 「君の知るサリューンは、つまり連絡が途絶えた程度で計画をやめるような人物でもないし、これまでの、そしてこれからの彼の行動は起きうる被害、妨害、影響、すべてを考えつくした上で、それでもやると決めたこととして実行している人物だと――そう感じたけれど、それでいいのかな?」 「あぁ、間違ってはいないだろう」 そう言って作業を再開するドンガッシュに礼を言い残し、イルファーンはその場を後にした。 ‡ ターミナルの街中。人狼公を迎え入れての大祭に沸く街の雰囲気は、明るい。 それは、あの都市国家の雰囲気とは対極にあるものだった。 ユリア。君の無念はけっして忘れない――でもそれでも、僕は希望を捨てない。 歩みをとめぬまま、心中で語りかける精霊の言葉は、今は亡き魔女へ向けられたもの。 処刑を見に集まった千の群衆の中、君を助けようとした者が一人いたかもしれない 物心つかぬ幼な子がもの言えれば、君を庇いに走ったかもしれない――全ては理想論だとわかっていても、その可能性が零じゃない限り……人を信じるのを、僕は、止めはしない。 「それが、僕が僕である証だから」 だから、もし君達の計画がまだ進行しているというのなら。僕は、全力でこれを止めよう。 そう心中で吐露した時、トラベラーズノートに通信が送られていることに気づく。 『名前と、人数だけはわかったわ。後は――無事だったら、また連絡するわね』 人物名の羅列の他に、それだけの通信文。 「臼木桂花、無事だとよいのだけれど……」 地下深くにて勝負を繰り広げているらしい女性を思い浮かべ、イルファーンは大きく息をつくのだった。 ‡ 「くくく、これでまたもや余の勝利だな。イカサマ等はしていないのは承知のとおりであろう。余は運命を牽引するこの力で勝つだけよ」 くかかかと笑うメンタピが、台の向こう側に立つ臼木を見る。3番勝負。1度目はメンタピが、2度めは臼木が。そして3度目の勝利は、メンタピが。 「しかしこれで帰れというのは実に哀れ。どうだ、もう一度勝負をするならば、我の知る人員の名を一人教えよう。そして賭け金にはお主の一ヶ月間の自由を上乗せだ――ただし、倍プッシュである」 ぎり、と桂花が唇を噛んだ。ここで引き下がれるものか。人名だけでも毟り取らねば、あまりに情けない。 「狂気の沙汰程面白い、ってね――その勝負、受けるわ」 ざわ、と周囲の空気がゆらぐ。かくて狂気の一夜は幕を開け、メンタピの豪運に、サマ無しにはサマ無しの方針を貫いた女傑は、誇らしく散っていくのだった。 「さて、お主の罰ゲームであるが。これまでは、バニー、ストリップ。共同経営者の、クラゲによる触手攻め映像コンテンツの作成、などもあったが」 じろじろと全身を値踏みするメンタピ。8ヶ月よりは――それは気の迷い。 「な、なんなら最後のでも……」 「売れぬ」 敢然たる決意を両断する無情の言葉。 「よし、お主には『メンタピたたき』の中に一日一時間、それを8ヶ月。これでどうだ」 「嫌に決まってるじゃないのよ!!!!」
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