ターミナルにいくつかある墓地の一つ。 その内の一つには、特徴的な墓碑が有った。 そこに刻まれている名はない。 ただ、句が一句、刻まれているのみ。 ――汝の悼む名を懐え 故郷から放逐され、懐かしき人がどうなったのか、定かではない0世界。 しかし時は常に流れ行く。 其の中で、おそらくはなくなっているであろう、近しい者。 亡くなっている事をしりながら、故郷に戻れぬがゆえにその墓前に立てぬ者。 この世界において知り合いながら、他の世界でその生死が不明となった者――おそらくは、その運命が確定的な者。 そのような者達を悼む為に建てられたと云われる、その標。 ひっそりとした墓地。 深閑の空間にいる少女は、今日も一人、仮面を身につけ墓所に佇む。 マスカローゼと呼ばれた少女。 ふと、物音がして少女が振り返る。 そこにいたのは、世界を旅する者の一人。「――”どなたか”に?」 人の気配が無かったはずの場所に佇む少女に驚いたのだろうか。 無銘墓標へ歩み寄ろうとしていたロストナンバーが、マスカローゼを見て息を呑む。 そんな旅人の様子を、無表情のままに観察する少女。 数秒の、沈黙。「お茶を淹れていますので」 そう言って、少女は踵を返し休憩所へと向かっていく。 付いて来るも、来ぬも自由。 話がしたければ聞きましょう。 独白したければ耳を塞ぎましょう。 ただし、赦しは与えられず、慰めはもたらされない。 全ては、そこに在るだけの。 その背中が、静かにそう語りかけてきた。
「ナムナム!」 彼女がしゃがみこんで柏手を打つのは、無銘の墓標すらない、ただの空間。 これから穴を掘り、石を被せるべく確保されたその草生す場所で、楽しそうでいて、悲しそうという相反する表情を見せている。 その背後に立ち、それを眺めているマスカローゼ。 しばし、風の音だけが墓地を渡る。 「お茶飲もっか!」 いきなり立ち上がったかと思えば、振り向いて楽しそうに笑う一つ目少女に、マスカローゼが「では……」と休憩所へと足をむける。 お茶をいれようとしたのだが、「いいのいいの!」と制された。 「あたしがいれたげる! サービスサービス!」 「っていうか既にいれちゃったし!」 勢い良く開いた休憩所の扉から転げ出てきた数体の少女。 全て一つ目同じ顔のそれらはてんでばらばらに勝手なことをいいつつ、楽しそうにけたけたと笑う。 手にはそれぞれ意匠の異なるカップを持ち、そそくさと屋外にお茶ができる臨時の机と椅子を用意していた。 地面にごろごろと寝そべるものや、きちんと正座してお茶をすするもの等、様々な動きを見せるイテュセイが続々と周囲へ腰を落ち着ける。 静寂が支配していたはずの墓地は、いつの間にか数多の同じ声のやりとりが織りなす喧騒の渦に包まれていた。 「粗茶でございます」 無理やり席に座らされたマスカローゼ。 出されたお茶は、奇妙な色をしていた。 「これは――」 一体何か、という意図を込めて卓についた3人のイテュセイの内の一人に視線を向ける。 「メロンソーダ茶よ」 「おいしいわよ」 「突き抜ける快感が肝よね~!」 両隣の二人もまた声を揃えて薦めてきた。仕方ないので、覚悟を決めて、一口だけ含んでみて――盛大に、眉を顰めてしまった。 「よくぞ、ここまで……」 「見事っしょ!」 「まういーよねー」 「それ死語よ?」 「もう、いいです」 痛む頭をもてあましつつ、マスカローゼはソーサラーへとカップを置いて、顔を上げた。 「それはそれとして、先ほどは何もない場所で、何をしていたのです?」 「あー」 「それねー」 「まぁこの空間の人じゃわかんないよねー」 卓についていた三人がくすくす笑い合えば、 「さっきの所にはねー、あるコダクタンのお墓が立つのよー」 と地面に寝そべっているイテュセイが答えた。 「あれは確か36万……いや、200年前だっけ? まあいい!」 「時空の概念を超越してるのに余計な記憶があるから……精神のタイムトラベルとでも言おうかー」 「説明しづらいことこの上ないよね!」 「ほらこういうタレ目でへらへらしてて髪がシュッと後ろいってる男なんだけど」 ぴょこん、と対面するイテュセイの後ろから、新たなイテュセイが立ち上がって補足する。 その顔は、コンダクターの一人――最も身近な少女が、最も大切にしている男の顔をしていた。 「どう思う?」 「どう、とは」 意見を聞かれるも、その内容がわからない。 ただそれが、彼の青年の墓が先々にここにできるということであるのならば。 「そういう運命が有ったとして、全ては偶発性の結果によっていくものでしょう。本当におきるかどうか、今考えてもしかたないのではありませんか?」 問い返すマスカローゼに、むー、という表情を浮かべながらも頷く少女。だが納得のいく答えではなかったようだ。 「そうお? まぁそれはそれとして、あたしには兄の記憶なんてないなあ」 「それ思い違いじゃない?」 「弟ならいたと思うけど」 「そうそう、あいつ絶対間違えてるって!」 五月雨式に言葉を投げ込んでくる複数の一つ目娘に少しだけ酔った気分を味合わされつつ、マスカローゼはどうにか口を挟み込む。 「それは、虎部さんの兄、ということでしょうか?」 特段気にしたこともなかったので、聞いたことのない情報だった。 「そうよー」 「いるっていってるのよー。っていうかコンパレス?」 「コンプックレスよ」 「あぁそうそうそんなの!」 「コンプレックスではないでしょうか」 マスカローゼの冷静なツッコミも、聞いている風情はない。 「ただねー……彼にも彼なりの抱負があるのだ」 「人間の分際で全てを救おうとして、その為に力を欲しているのよー。お金・人脈・世界計の針、いっろんなもの!」 「うわ~ぞくぶつ~!」 「しかも人としての己を保ったままでその力を使いたいとか都合のいいこと考えちゃってるのよ。クランケでもできなかったのにね!」 「実に人間らしい」 鷹揚に頷くイテュセイもいれば、きゃー、と両腕を抱え身悶える者もいる。 マスカローゼの頭痛がピークに達しこめかみを揉み込んでいたところ、落ち着いた口調で一人のイテュセイがつぶやいた。 「でも、その御都合主義的想いが世界を動かす原動力になるかもしれないから人間は面白い」 それは同軸の存在でありながら、異質の存在である彼女だからこそ言える一言だったのかもしれない。 理不尽を超越しつつも、現実の枷に囚われた者達の底力を知る者の言葉。 「できたらいいよね~」 他のイテュセイ達も同じように頷いている。 「最近なんかターミナルも静かだしー」 「でもさ、静かなのって、嵐の前の証とも言うし?」 「あたしにはわかってる! 今は言わないけど!」 「えー、なになにしりたーい」 「ふっっふーん。あんたには教えてあげなーい」 嫌な顔をするイテュセイがむきー、と殴りかかれば勝ち誇った顔をするイテュセイが相手の頭を片手で抑え、それを制する。 非常識を絵に書いたような光景の中で、マスカローゼは気になる言葉を聞いた。 目の前の存在は、一種の神性を持つ存在であると理解していた。 そして、本当か嘘か、別時空よりこの地に至り、そして此の地の記憶を多少保有していると。 「これから、また何かが起こるというのでしょうか?」 遙かなるカンダータでも敵性存在が明らかにこれまでと違う動きを活発に見せヴォロスでは――おそらく、彼の企みがそろそろ本格化しそうな頃合いかもしれない。 それらが全てどうなるか、ほんの少しばかりの興味が湧いたことが、その問いを紡がせる。 けれども、対峙する少女は不敵な笑みを浮かべたままで、立ち上がった。 一瞬だけ下をむいて考え込んだ合間に、元の一人に戻ってもいて。 「さてと、じゃあ行くべ!」 「――そうですか。それではお見送りさせていただきます」 茶をもらった義理が――たとえどんなに不味いものだろうとも――その程度の礼儀を尽くさせた。 質問がはぐらかされたのなら、それを敢えて追うことはすまいと、そう考えて何もいわないままである。 だが、墓地の入口へと向かって先を歩いていたイテュセイの足が不意にとまり、振り返る。 「此の先もずっとサカモリを続けるんでしょうけど」 そう言ってマスカローゼを見る少女の顔は、少しだけ酷薄な雰囲気を宿してみせる。 「いつかどこかで運命の大渦に飲まれるときが来て、動かざるを得なくなったとしたら――その時、アナタはどうする?」 唐突な問いに応じることができず、黙りこむマスカローゼ。 そんな彼女を見て、イテュセイはふふ、と大きな笑みを浮かべた。 ここでいーわよ、そう言い残し、ひらひらと肩越しに手を振って歩いて行く人外の者の背後を眺めながら、マスカローゼは墓地の中、一人佇んでいる。 静かに吹く風はこの世界では珍しく冷気を帯びているようで――ぶる、と一度身を震わせた。 「嵐、ですか――」
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