ひっそりと、その催しは図書館ホールの隅に貼られた一枚のチラシだけで告知された。 ――館長公邸・オープンガーデンのおしらせ。 オープンガーデンとは、個人宅の庭を一般に開放し、訪れた人が庭の花樹を愛で、家人のもてなしを受けることでと交流を愉しむというもの。英国では古くからある習慣だ。 今はアリッサだけが暮らしている館長公邸は、七つもの庭園を持っている。うち二つは、つねに訪問者に開かれているが、あとの五つは平素は非公開。それが、このオープンガーデンの日だけは立ち入りが許されるというのだ。「……でも、裏手にある『妖精の庭』だけは、今回も立入禁止なの。ごめんね」 アリッサは言った。「でも、あとは自由に見学してもらえるわ」 今回見学できる4つの庭とは以下のとおりである。・キッチンガーデン菜園とハーブ園からなり、公邸の厨房でつかわれる野菜とハーブの一部はここで育てられている。頼めば、少しなら収穫物を分けてもらえるかもしれない。・ローズガーデン本来は特別な賓客にだけ公開されている薔薇園。多種多様な薔薇ばかりが植えられ、丹精こめて育てられているほか、温室もしつらえられている。・ワイルドガーデンイギリスの自然の風景を再現した庭。荒削りな、丘陵地帯を模した土地で野趣あふれる灌木や野草が観察できる。・プライベートガーデン公邸の中庭。典型的な英国風の庭で、規模は小さいが、あずまやや噴水などが目を楽しませてくれる。「見学は数人ごとの班に分かれてもらって、キッチンガーデン、ローズガーデン、ワイルドガーデンを時間差で巡ってもらいます。最後に、プライベートガーデンで、お茶の時間にしましょう」 紅茶とスコーン、サンドイッチなどが用意され、ちょっとしたガーデンパーティーを楽しめるという。「どうしてオープンガーデンなんて思いついたの?」 ロストナンバーのひとりが、アリッサに尋ねた。 すると彼女は小首を傾げて、答える。「ロバート卿から薦められたの。みんなが公邸の庭に興味を持ってるようだからって。素敵なアイデアだって思ったわ。とっても楽しいイベントになりそうだったし」 *-*-* 当日、集まったロストナンバーたちの前に現れたのは、一人の庭師だった。薄水色の髪は肩あたりで切りそろえられていて、切れ長の瞳は深い海色。整った顔立ちからは『庭師』という言葉から一般的に想像するであろう雰囲気は感じられない。「お初にお目にかかります。庭師のアレクシと申します」 胸に片手を当てて丁寧に頭が下げられると、髪がサラっと流れてちょっと長めの耳が顔を見せる。いわゆるハーフエルフというやつなのだろうか、その耳はエルフよりは短く、人間よりは長かった。「本日はわたくしが皆様をご案内させて頂きます。それでは、参りましょう」 彼の所作は洗練させており、格好さえ改めれば執事としても通るのではないか――そんなことを考えていると、くいくいと袖を引かれる。「楽しみだねぇ~。いつもは見れない庭園が見れるなんて、なんて素敵なのっ!」 そうだった、この人は植物好きだったっけ……隣に立つ世界司書、紫上緋穂をみてロストナンバーは曖昧な笑みを返した。 さて、春の佳き日を楽しもうではないか。 花々が、あなた達を迎え入れる――。======!注意!シナリオ群『オープンガーデン』は、同一の時系列の出来事を扱っています。ひとりのキャラクターの、『オープンガーデン』シナリオへの複数エントリーはご遠慮下さい。また、見学は小班に分かれて時間差で行われ、ガーデンパーティーは班ごとのテーブルになるため、『オープンガーデン』シナリオ間でのリンクはあまり気を使わないでお願いします。======
●First memories 庭師のアレクシの先導で、紫上緋穂を含む六人はゆっくりと足を進めていた。 「壱号、零世界高ぁく飛び回ってきていいからね☆」 川原 撫子のセクタン、壱号は普段はロボットフォームなのだが、今日だけはオウルフォームに姿を変えている。撫子はさりげなーく壱号を空へと放ったが、文字通りたまには羽を伸ばしていいよということではもちろんない。 (立ち止った時や物を分けて貰う時、チョコチョコミネルヴァの眼を繋いで、妖精の庭を観察するの☆) そう、彼女が気になっているのは今回も非公開だという妖精の庭。少しでもその場所についてわかれば……と思うのだが、庭園巡りの間にあまり意識を他の場所に飛ばしていては不審がられるだろう。だがきちんとそれも予想済みだ。 (しっかり観察するのはガーデンパーティでもしゃもしゃご飯食べ始めてからかなぁ。心ここに非ずでも疑われそうにないものね☆) (館長公邸というからにはさぞかし見事な庭なのでございましょう) カーマイン=バーガンディー・サマーニアはちらっと今来た道を振り返って。この分なら庭園にも期待できそうだと心の中で。 「ここを訪れるのは、去年のドバイツアーの後以来だな」 その時もらったコーヒーの苗の発育は順調だ。実をつけるのは2年半後かと心の中で思いつつ、半歩先を行く背中を見るのはマフ・タークス。 「優」 「マフさん、お久しぶりです」 声を掛けられて振り返ったのは相沢 優だ。その優しげな容貌に優しげな笑顔を浮かべて軽く頭を下げる。 「お前――」 普段から空中浮遊をしているマフは、高度を上げて優の耳元で囁く。 「――何か危ない事、考えているんじゃないだろうな?」 「――」 一瞬の間。 そして、優は再び笑顔を浮かべて。 「やだなぁ。マフさん、考え過ぎですよ。大丈夫」 「……そうか?」 優は誠実だ。マフはそう思っている。だがそれと同時に時に無鉄砲で危なっかしい。そんなところを見るたびに、肝を冷やす。だから今回も声をかけてみたのだが。 少しばかり、心配だ。 「そろそろキッチンガーデンです」 「楽しみ!」 ユーフォンが声を上げる。 立ち止まり、振り返ったアレクシは胸元に手を当てて一礼をして、右手で目的地を示した。 ●Kitchen Garden's memories 菜園とハーブ園からなるキッチンガーデンはやはり実用的な雰囲気だ。公邸の厨房で使われる野菜とハーブの一部はここのもので賄われているということだから、味は上等に違いない。 「しっかし、いつ見ても見事な庭園だな、庭師の奮闘ぶりが目に浮かぶよ。オレ様も同じ庭師として、負けちゃいられねェな」 キッチンガーデンだけでもかなりの広さで、更に全てに手が行き届いているのだから、庭師達の働きは褒められるものだ。同業ということもあってマフには維持の大変さや庭師達の奮闘がよくわかる。 複数の庭師が合同で公邸の庭を手がけているとはいえ一人ひとりが高い技術とセンスを持ってしっかりと手入れをしていることに違いはない。負けてはいられない――自宅としているチェンバーに大きな庭園を持つマフの心にちょっとした対抗心のようなものが芽生えた。競おうとしていると言うよりは、やる気を増す炎のようなものだが。 「可愛らしい畑だね! これはどうやって世話しているの?」 自分がかつて見たコンパクトな畑の中でも『可愛い』印象を受けたユーウォンは素直に感想を述べて、近くにあった野菜を指してアレクシに尋ねる。 彼はひとつひとつ丁寧に説明をするがユーウォンの興味は次から次へと移っていき、説明を聞いているかどうかは怪しい。 『楽しむための広い庭=庭園』なんて概念はユーウォンのいた世界にはなくて、勿論聞いたこともなかったものだから何事にも興味津々なのだ。実は異世界の植物に興味があるのでちゃんと聞いてはいるのだが。 「この黄緑色の玉みたいなの、おいしそう!」 「美味しいんですよっ☆」 キャベツのコーナーにて、ユーウォンの隣にしゃがみこんだのは撫子。 「うっ……このキャベツ、凄く美味しそうですぅ!? 焼きキャベツとかロールキャベツとか手羽スープとか見ただけで料理が浮かびますぅ! 是非1玉☆1玉だけで良いんですぅ!」 「……、……」 目をキラキラさせて、胸元で手を組んで上目遣いでアレクシを見上げる撫子。そんな彼女が珍しいのか、庭師は深い海色の瞳でじっと彼女を見つめた。 「キャベツ1玉大根1本茄子2本、安売り蓮根に太葱2本、これでもう千円超えるんですよぉ☆ だ・か・ら……少しで良いので、お野菜くださいぃ」 たたみ掛けるように早口でまくし立てる撫子。ここは勢いで押して、こちらの必死さをわかってもらうしかない。ここで野菜を分けてもらえれば、食費が浮くのだ! 黙って見ている手はない。 「少しずつならばお譲りしても構いませんが」 「きちんと鞄に空きは作って来ました!」 今だとばかりにディパックを下ろしてその口を開ける撫子。底のほうにいくつかタッパーが入っていたが、野菜の入る余地は十分だ。だってその為に持ってきたんだもん。 「そんなにたくさん持ち帰られても、傷ませてしまうだけではないのですか?」 その鞄の空きに全部野菜を詰めていくつもりなのだろうか……庭師のそんな心中が聞こえてきそうだったが、勿論撫子は負けない。貰えるものは多ければ多いほどいいのだ。 「大丈夫、貰った物は絶対ダメにしません……冷蔵庫の空きスペースはバッチリ確認済みですぅ☆」 ニコっと笑ってお願いします、と頭を下げた撫子。アレクシは少し困ったような顔をしている。 「しかし、少しならお分けしても良いのですが、お一方に数種類となりますと……」 自分の権限でどこまでが許されるか、思案しているような表情だ。それを見て最初に口を開いたのは優だった。 「じゃあ、俺も少し野菜を分けてもらおうかな。それを彼女をあげるのは俺の自由だし、大丈夫ですよね?」 「オレの分も持ってけ。最後まで大切に食うならな」 「私の分もお渡しいたしましょう。私はどちらかと言えばハーブに興味があるのでございます」 やり取りを見ていたマフとカーマインも優の案に乗って。 「おれはこの丸くて美味しそうなの! はいっ」 ユーフォンはめりっとキャベツをもぎ取って、撫子に差し出した。 「じゃあ、私はゴボウ! 繊維質が豊富で身体にいいんだよね」 緋穂も離れた畑を指して。 その光景を見て、アレクシは小さくため息を付いた。そして、口元を綻ばせて。 「かしこまりました。それでは皆様に一種類ずつ野菜をお分けいたしましょう」 こうまでされては許すしかあるまい。ただし最後に「他の方には内緒ですよ」と付け加えるのは忘れずに。 撫子は優から大根、マフからジャガイモ、カーマインから人参、ユーウォンからキャベツ、緋穂からゴボウを貰うことができた。アレクシが気を使ってくれてできるだけ大きい物を選んでくれたからして、ほくほくの収穫に頬が緩む。 「それではこれはおまけで、私からです」 最後に鞄に乗せられたのはナス。三本あるそれはどれも大きかった。 「すごく幸せですぅ☆」 リュックを抱いて野菜特有の青い匂いを感じながら、彼女は幸せに浸った。 *-*-* ハーブはここではさすがにしっかりと区分けされて植えられている。 (あ、あのハーブいいなぁ……分けてもらおうか) ついつい今回もハーブに目が行ってしまい、品定めをしている自分に優は気がつく。そして苦笑を浮かべた。つくづく変わっていない。 (やっぱり、分けてもらおう) めったに入れない公邸の庭園だ。あとでやっぱり貰っておけばよかったと後悔はしたくない。 「ね、ちょっとかじってみてもいい?」 「……お気に入られた物を少しお取りになってからお願いいたします」 ハーブ園が気に入った様子で、ユーウォンはクンクンと匂いを嗅ぎながらあっちこっちと移動している。かと思えば足を止めて、アレクシに問うたのが先ほどの言葉。アレクシは一瞬考えるように間を開けたが、その後も冷静に切り返した。 そんな横でじーっと丁寧に観察をしているのはカーマイン。 元いた世界では主のために果物や野菜を育てていた彼だが、羽を生かして主に背の高い樹ばかりを育てていたので、ハーブなどの育て方に興味があった。 「庭師様、ハーブの育て方をご教授願えませんでしょうか。後、よろしければパイに合うハーブを置けていただけると大変嬉しゅうございます」 「そうですね……乾燥に強く湿気が苦手ですので――」 アレクシの説明に、カーマインは時折頷きながら聞き入っている。 パイに合うハーブということでバジルやオレガノ、タイムなどを紹介されていた。 ●Rose Garden's memories そこはまるで時間が切り取られたかのような場所だった。 花の甘い香りが脳を酔わせる。 一面に、だがとても良く手が加えられているローズガーデンは、花と香りの迷路に迷い込ませるようだ。 「すごい素敵ですぅ~。でも、食べられないのですよね~」 薔薇の美しさに瞳を輝かせる撫子だったが、最後に食欲につながるのは先ほどのキッチンガーデンの名残だろうか。 「食べられないわけではありませんよ。エディブルフラワーの薔薇でしたら砂糖漬けにしたりジャムにしたり、ハニーローズというものもあります」 「それもここで作っているんですかぁ?」 アレクシの言葉に俄然、撫子の瞳に光が増した。手を祈るように握りしめて、彼を見つめる。 「ええ、まあ庭師の個人的な趣味で作られているものから、公邸で出されるものまで」 「……」 「よろしければ、後で一瓶ずつお土産としてお持ちいたしましょう」 撫子の無言の圧力に耐えられなかったのか、アレクシは苦笑を浮かべて。 (薔薇のジャムに薔薇の蜂蜜……それをつければパンのミミでも贅沢気分が味わえます☆) 「薔薇はやはり格別でございます……」 薔薇のアーチ、薔薇の生垣、薔薇の路……至る所に咲き渡る薔薇を見て、カーマインは感嘆の言葉を零した。 人に丁寧に手をかけられて育った植物は何でも美しいと思っているが、薔薇はやはり――。 しかもその薔薇が様々な種類集い、一面に咲いているのだ。見事という他ないだろう。 (いつか) それは静かな希望。いつか自分でも育てて、両手いっぱいの花束を作りたい。 (できればそれを) よぎるのは元の世界の主の姿。 口に出したら叶うというものではないから、言葉にはしない。 けれども、思いだけは強く。 (主に差し上げたく思います) それは遠い夢。けれども諦めとは違う感情がカーマインの心を満たしていた。 「ローズガーデンはカリスさんの意見で作られた庭……だったよな」 温室に通された優は誰にともなく呟いたが、アレクシは「そのように聞いております」と小さく返してくれた。 外にも様々な種類のバラが咲いていたが、温室の中もそれは見事なもので。誰もが見ては圧倒されるのではないだろうか。 「これだけ沢山の種類をこんなに綺麗に咲かせるのは、大変だろうね。アレクシさんはここの世話もしているんですか?」 「はい。ここのお世話をすることもございます」 「じゃあ、他の庭の世話もですか?」 と、返答をもらった優の言葉に熱がこもる。 「妖精の庭の世話もしているんですか?」 さりげなさを込めて尋ねられた問い。少しわざとらしかっただろうか? 優の掌に汗がにじむ。 「そうですね、私はどこのお庭のお世話もできるように、知識と技術を学んでおります。妖精の庭は、新人には任せられませんので」 「なるほど、そうなんですか」 特にアレクシは不審に思った様子もなく返答を返してくれた。優もほっと胸をなでおろすのであった。 マフが足を止めたのは、イングリッシュ・ローズの区画。 中でも彼がじっくりと見ているのは『グラハム・トーマス』という種類の薔薇だ。イングリッシュ・ローズのうち最も需要のある交配種で、特徴的なのはその花色。非常に濃い純粋の黄色をしており、これに匹敵する黄色系モダンローズは殆ど無いと言われるほどだ。 その鮮やかで純粋な黄色が、マフの心を捕らえて離さない。 「ねえ、これ全部、同じ仲間の木なの? なんでこんなに色々変身してるの?」 「ん?」 薔薇に見入っていたマフに、後ろから声がかかる。ユーウォンだ。スンスンと薔薇の香りを嗅いで周っていたら、いつの間にか他の皆とはぐれてしまったらしい。 「ああ、元々あった種類を色々とかけ合わせたりして、新しいのを作ってるんだよ」 「同じ種族だけど、みんなが同じ顔していないのと一緒だね!」 「まあ、そういうことだ」 「こっちのとあっちのは違うの?」 ユーウォンはマフが見ていた区画と、少し離れているオールド・ローズの区画を指す。聞けばあっちの区画の薔薇の香りが気に入ったらしい。 「あっちはオールド・ローズの区画だな。新しく生み出されたものじゃなく昔から生き残っている種類だと思えばいい」 「そっかー!」 もう一度嗅いでくる! とユーウォンが小走りに離れていったので、マフはもう一度その黄色い薔薇を見つめた。 何度見つめても、その深い黄色は美しい――心が豊かになるようだった。 ●Wild Garden's memories そこは今まで周った2つの庭園とは違った雰囲気が醸しだされていた。 「この世界に来てからも植物を育てたりはしておりますが、やはり自分の居りました世界とは違った植物が沢山ございます」 楽しそうにカーマインは木を見上げたり、草をかき分けたりしている。 「この、自然体に見えるという所が庭師の腕だな」 自然体に見せつつ必要なところには手入れを怠らない、それは植物をよく知っている者にしか出来ぬ芸当。マフは感心しながらも自分の庭に取り入れられる箇所がないかと目を光らせる。技術は盗むものだ。 「あれ?」 そんな中、誰よりもきょとんとしているのはユーウォンだった。彼はアレクシを見上げて、その袖を引張る。 「ここの植物は随分おとなしいね。暴れたりしないの?」 「……え?」 真面目な彼の問いに、アレクシは思わず聞き返した。ユーウォンはそんな彼の様子に構わず、疑問をぶつける。 「逃げ出したりしないの? 捕まえるの大変?」 「こちらの植物は壱番世界から持ち込んだものですから、暴れたり逃げ出したりはいたしません。自分の意志で動いたりはしないのが常でございます」 「へぇ、なら世話も楽だね!」 この庭が気に入ったのか、彼はトコトコと移動して草花を眺めはじめた。 「ここはイングランドの自然を再現した庭なんですよね。個人的には、ここが一番好きかな」 優はぐるりと庭を眺め、腕に止めていたセクタンのタイムに目をやる。 「上から見たら、違った一面が見れるかもしれないな。ここからとはまた違った……」 タイムは主の意図を察しているのだろう、バサバサと羽音を上げながら空高く舞い上がり、その目に見たものを優の瞳にも映してくれる。 勿論、確信犯だ。庭園の全景が知りたいのは本当だったが、ついでに妖精の庭の場所を確認するというのが真の目的。 (あっちはキッチンガーデン、ローズガーデンで、公邸があるからあそこはプライベートガーデン) 景色を楽しんでいるふりをしながら、こっそり位置を把握していく優。ちらりとアレクシがこちらを見たようだったが、咎められる様子はなかった。 (生垣のラビリンスとフォーマルガーデンがあって……ということは、あそこが?) 消去法で特定された場所の様子があまりにも予想外のものだったので、優はしばしの間、思考に落ちた。 「……これが」 それまで黙って景色を眺めていた撫子が、搾り出すように言葉を紡いだ。 「これがエドマンドさんたちの原風景なんでしょぉかぁ」 古き良きイギリスを表す庭。皆は興味津々で楽しそうではあるが、なんだか撫子には別の意味で胸にくるものがあって。 「私は……ここに1人で立ち尽くしたら、寂しいですぅ」 郷愁や憧憬とはまた違った思いが、撫子の心に広がっていた。 ●Tea Time memories 「皆様お疲れ様でした。歩き通しでお疲れになったことでしょう。どうぞ、ゆっくりお寛ぎ下さい」 白で統一されたガーデンテーブルとガーデンチェアにはサンドイッチや焼きたてのスコーン、プチケーキなどが並べられていた。彼らが戻ってくるタイミングをしっかりはかっていたようで、軽食も出来立てのようだ。 メイドが丁寧に紅茶を入れる様子を見て、優が声を上げる。 「俺、バイトの成果で紅茶を淹れるのは得意なんだけど、良かったら入れさせてもらえませせんか?」 「申し訳ございません」 優の申し出にメイドは心底申し訳なさそうに頭を下げて。 「お客様にそのようなことをさせてしまっては、わたくし達が後で叱られてしまいます。どうか、今日はごゆるりとお寛ぎ下さいませ」 「あ、こっちこそすいません。じゃあ、お言葉に甘えて……」 メイドには悪意があって断ったわけではないとわかっているからこそなんだか居心地が悪くて、ケーキスタンドのサンドイッチに手を伸ばした。サンドイッチの具はキュウリのようだ。 「お待たせいたしました。こちらもどうぞ」 その時、プライベートガーデンに到着してから姿を消していたアレクシが、ワゴンを押して戻ってきた。そしてテーブルに載せたのは、金縁の白い皿に乗せられた薔薇の砂糖漬けと、瓶に銀のスプーンが添えられた薔薇ジャムと薔薇の蜂蜜。 「ジャムや蜂蜜は、紅茶に入れると薔薇の香りのお茶が楽しめます。スコーンにかけても美味でしょう。軽食も出揃っていますね、作法は気にせずお好きなものからお召し上がり下さい」 アレクシの言葉に、迷っていた者も好きなものを食べようとケーキスタンドに手を伸ばす。今日はそんな格式張ったものではないから。 「紅茶に蜂蜜か。次に試してみるかな」 マフは温めのコーヒーを口に含み、蜂蜜を見た。実は今飲んでいるコーヒーにはガムシロップが3つも入っていて。彼は甘党なのであった。 「飛ぶのも好きなのでございますが、ゆっくりと花の中を歩くのも楽しいと感じました。有難うございました」 カーマインはアレクシに礼を述べ、頭を下げる。すると隣に座っていた緋穂も明るい声を出して。 「私も楽しかった!」 「緋穂様も、植物がお好きなのでしたね。どのような花がお好きなのですか?」 「そうだなー。ピンク系も好きなんだけど、やっぱり紫系の花が好きなんだよね。一番好きなのは桔梗かな」 「桔梗……それはどんな花なのでしょうか」 カーマインが興味深そうに尋ねると、緋穂はカップをソーサーにおいて荷物から小さめのスケッチブックを取り出した。そしてさらさらと鉛筆で桔梗の花を描く。 「これは素晴らしいですね。他にも花を教えていただけますか? 沢山花を覚えて帰りたいと思いまして」 喜んで、と緋穂は鉛筆を走らせていく。 「へえー、それにしてもお行儀のいい庭だね」 お茶のマナーを事前に学んできたユーウォンは、そのマナーを生かせることを喜びながらお茶を頂いて。ただ、きちんとおめかししてきたものの、そろそろ芝生でごろごろしたくてウズウズしてきた。 そんな中で黙っているのは撫子。彼女はなにか物思いに沈むようにぼーっとしている。ただし手にしたスコーンは着実に減っている。 (壱号、もっとそこを見せて☆) ぼーっとしているように見えて、撫子の瞳はしっかりと見ていた。今日だけオウルフォームの壱号が映す光景を。 館長公邸の裏手にある庭、そこには案内されなかった。だから、そこが妖精の庭に違いない。だが――その名前から想像されるような明るく、メルヘンな雰囲気は全くない。 (ここが本当に妖精の庭ですかぁ~?) 撫子の疑問も尤もで、そこは沢山の木々が植えられていて、庭と言うよりはちょっとした森のようだ。その上木陰が多いものだから、じめっとした空気が漂っていることが間接的にも分かる。他の森に比べると明らかに陰気で、見ていて楽しい物ではなさそうだ。 (うわー……苔生してますぅ。こっちはキノコがいっぱいですぅ~) なんだろう、名前からくるイメージとは全く違うではないか。名称詐欺もいいところだ――そんなことを思ったその時、撫子の背後から声あがった。 「皆さん、今日は来てくれて有難う」 「館長!!」 その声に慌てて皆が顔を上げ、視線を動かす。メイドがすかさず白い椅子を一脚追加し、彼女は優雅に腰を下ろした。新しいカップに紅茶を注ごうとするのを制して。 「お願いできる?」 「俺でいいんですか?」 視線を向けられた優は一瞬背筋を正して。そして丁寧に紅茶を淹れる準備にかかる。 メイドとの会話を聞いていたのだろうか。そんなことはどうでもよかった。こういう気遣いができるから、アリッサは皆に好かれるのだと思って。 「どうぞ。お口に会うといいのですが」 「ありがとう」 数分後、カップに満ちた赤褐色の液体を静かに見つめて、そしてこくりと口に含むアリッサ。 「……美味しいわ」 にこり、向けられた笑顔に安心して、優は椅子に座りこんだ。 「館長様、まるで、この庭の一つ一つが花束のようでございますね。とても美しゅうございます」 「ありがとう。喜んでもらえたら、催した甲斐があるわ」 カーマインの御礼の言葉を素直に受け取って、笑みを向けるアリッサ。 「薔薇も気に入りましたが、苺などの実のなる花などに育て甲斐を感じました」 「おれのいた世界とはだいぶ違って、大人しくていい子の植物ばかりだね!」 「そうね、みんな庭師の言うことをよく聞いてくれるみたいよ」 ユーウォンの言葉にもよどみなく答えるところはさすが館長。 コーヒーの最後の一口を飲み干したマフは、アリッサに声をかける。 「ところで、アリッサ館長」 「なんでしょう?」 「去年の運動会はなかなか楽しめたぜ、お次はどんなイベントを考えてるんだい?」 カツンとソーサーにカップを置いて、マフは不敵な笑みで尋ねた。対するアリッサも、一口紅茶を飲み干して。 「まだ構想中なので。なにか決まったらお知らせしますね!」 今年のも何かとんでもないことを計画する気なのだろうか……。 「アリッサ館長、ご馳走さまですぅ☆ タッパー持って来たのでぇ、余ったら詰めて帰っていいですかぁ☆」 アリッサの登場でミネルヴァの瞳を使うのをやめた撫子は、戻ってきたディパックから幾つものタッパーを取り出して。その様子にアリッサはくすくすと笑いを漏らした。 「いいわよ。メイドに渡しておいて。詰めて帰りに持たせるわね」 「それとぉ、1つ質問があってぇ」 アリッサを見つめる撫子の瞳が揺れる。 「館長、ご飯どうされてますぅ?」 「え?」 「きちんと食べてます? 一人で寂しく食べているんじゃないですか?」 撫子の瞳に映るのは心配の色。アリッサのことを心から心配しているのだと受け取れて、アリッサは曖昧な笑みを返すことしかできない。 「できればずっと、館長には笑っていて欲しいんですぅ☆ 腕を奮いますからぁ、月に1回、皆で会食とかしませんかぁ?」 「そうね……」 一瞬目を閉じて、揺らぐ瞳の色を隠す。そして次にアリッサが瞳を開けた時、彼女は笑顔だった。 「ありがとう。スケジュールの都合もあるから確実に約束はできないけれど、前向きに考えておくわ」 楽しそうにアリッサと談笑する撫子に混ざるようにして、優は改めて彼女に礼を言う。好奇心を装って妖精の庭について尋ねたが、花を愛でるという感じの庭ではないから皆を楽しませることはできない、と言われてしまった。 ケーキスタンドに空きが目立つ頃になると、他のグループもそれぞれ庭園を辞していく。 「本日はわたくしの拙い案内で失礼いたしました。楽しんでいただけたのならば、恐悦至極でございます」 頭を下げるアレクシにそれぞれ礼を言い、小さな紙袋に入った薔薇の砂糖漬けと薔薇ジャム、薔薇の蜂蜜を持ってロストナンバーたちは帰途に着く。 普段見れぬ公邸の庭を見れたことを喜びながら。 今日の思い出を、一つ一つ思い出しながら。 それぞれが、日常へと戻ってく――はずだった。 ●Another memories ひょこり……人目を避けて公邸の敷地内に留まる人影がひとつ。。 目指すは先ほど確認した、妖精の庭らしき場所。公邸の裏手にある、森のような暗い場所。なにかあるとしたらあそこだろうと人影――優は目星をつけていた。 (……ロバートさんが協力できるのはここまで。後は俺達が自分の目で確かめるしかない) ロバート卿が自力で動くことができない場所。けれども見せたいと思っていた場所。暗に探れと言ってくれた場所。 どうしても気になって、そのまま帰ることなど出来なかった。この機会を逃したら次はいつチャンスが訪れるかわからない。 (……アイツらのこと、怒れないな) 苦笑を浮かべる。今の自分の行動を考えるに、彼女を怒れる立場にはない。最初にマフに釘を刺されたというのに。 むぎゅ、とタイムをリュックに押しこむ。窮屈だけどしばらくガマンしてくれよ、と囁いてリュックを背負った。 パーティの後片付けで忙しいのだろうか、そちらに気を取られてくれたほうがありがたい。何とか、公邸までは近づけた。 あと少しで裏手に―― 「きゃっ!」 角を曲がりざまに人と激突してしまった。どうやらメイドのようだ。だが、ここで見つかったら……。 「すいませんっ」 バランスを崩したメイドの腕を掴み、流れるように首筋に手刀を落とす。 そのままガクリ、メイドが体中の力を抜いたのを確認して、壁によりかからせるようにして座らせた。 相手は女性だから、なるべく手荒なことはしたくなかった。 小走りで角を曲がる。壁の中では声が聞こえても、近くに人の気配はない。 「ここが、妖精の庭……?」 庭園と言うよりは森。木々が生い茂ったそこは薄暗く、他の庭園とは、公邸の雰囲気とは明らかに一線を画していた。 優は注意深く足を進める。足元は苔むしていて、最初滑りそうになったので、注意をする。 じめっとした、爽快だとは言いがたい空気が優の肌を撫でる。なんとなく振り返って、木々の隙間からまだ外の光が見えることに安心した。だがこのまま進んだら、帰り道さえわからなくなりそうな、そんな恐怖が生まれる。 (でも、引き返せない) 折角ここまで足を踏み入れたのだから、何かを見つけねば――そんな使命感に似たものが優の足を進めていた。 どのくらい歩いただろうか、陽の光でも空気でも時間の経過がわかりづらいからして、数分のようにも一時間以上経ったようにも感じた。 「あれ……何で」 ふと、目の前に見えるものがこの場には不釣り合いすぎて、優は思わず目をこすった。だが消える様子はない。幻ではないようだ。 それは、扉だった。 木立の中にある扉。 非常に古めかしいその扉はいつの時代のものだろうか。錆びついたノッカーがついている。一体この扉は、誰の訪れを待っているのだろうか。 (鍵とか、かかっているよな……) 扉の先は勿論気になる。だがなんとなく、鍵が掛かっていてくれた方が嬉しい――そんな相反する思いを抱いたまま優はそっとドアノブを握り、押した。 果たして、ドアはそっと開いて、その身体で隠していたものを露わにする。 「……森?」 別の空間のようだが、扉の向こうも森であった。そっと足を踏み入れようとしたその時。 「妖精郷に何用か! 名を名乗れ!」 「わぁっ!」 鋭い誰何の声が飛んできたものだから、思わず悲鳴に似た声を上げてしまった。視線を揺らして声の主を探してみれば、扉の向こうには小さな椅子が置かれていて。その上におもちゃの兵隊が立っていた。声の主はこの兵隊のようだ。 「あ、俺は相沢優といって……」 「何用か!」 「えと……道に迷って」 さすがにここを探りに来ましたとは言えず、優は無難な言い訳を口にした。するとおもちゃの兵隊は持っているレイピアを優に向けて。 「では来た道を戻るがいい!」 「でも……その……」 「相沢様!」 その時背後から鋭い声が飛んできて、優は慌てて扉を閉めた。そして背中を扉に押し付けるようにして、恐る恐る振り返る。 「あ……アレクシさん」 慌てて走ってきたのだろう、髪を少し乱している庭師を見て、優は深く息を吐いた。お仕置きされるのは覚悟の上だったけれど、いきなり怖い人に見つかるのはちょっと嫌だったから。 「困ります、勝手に出歩かれては」 「……すいません」 「この庭は、私達、公邸の庭師でもみだりに入らないように言われているんです」 さあ帰りましょう、アレクシに促されて、優は彼に従うことにした。さすがにここで彼を気絶させて、再び扉を開ける気はなかった。 ただ、気にならないといえば嘘になる。少しだけでも覗いてしまったら、好奇心が治まるはずがない。 足を止め、もう一度だけ、と扉を振り返る。 「あ……」 見間違いだろうか。扉の隙間から、猫のような影がする~っと抜け出たように見えた。 目をこする。けれどもそんなもの、見えなかった。錯覚だろうか。 「相沢様!」 優がついてきていないことに気がついたのだろう、アレクシがため息を付いて数歩戻り、優の腕を掴んで歩き出した。 「お仕置き、されますよね」 バツが悪そうに呟いた優に、アレクシは苦笑して。 「入ってはいけないと言われた場所に入っただけですから、注意されるくらいでしょう。わたくしの監督不行き届きもありますから、わたくしも一緒に叱られますよ」 仕方がないといった様子で笑うアレクシを見て、優はもう一度彼に謝ったのだった。 【了】
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