ごーん、と鐘の音が鳴った。 重々しい金属の振動が伝える振動は、間近で聞いたものの魂すら揺さぶる気配がする。 背の高い草が方々に生え、まだ初夏であるにも関わらず、すでに夏の虫が全力で体を震わせ叫んでいた。 月明かりの下、ぎぃぃぃ、と軋んだ音を立て、木造の扉は微かに開いた。 古びた寺院、のように見える。 隙間風は生暖かく、鬱陶しい蚊や虻の類も室内に飛びかっているようだ。 いわく。 0世界に数ある放逐チェンバーのひとつ。 かつては寺として使用されていたであろうこのチェンバーも、今となっては手入れするものもいない。 荒廃、という言葉よりも、自然に帰る一歩手前と言った方が相応しい程の惨状だった。 ところどころが腐った床の上、小さな金皿の上に蚊取り線香と蝋燭が置かれ、小さな火が灯る。 独自の香りが広がり、ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりはいっそう室内の薄暗さを強調しはじめた。 広い空間の中央にともったその明かりの傍、最初に口を開いたのはフードを目深にかぶった小さな少女だった。「こんばんは、エミガワ・リエジです。略して、エミリエです」 ぺこり、と頭を下げる。「この0世界、不思議な事はいっぱいあるものです。――それでは私からお話いたしましょう。これは夢の話なんだよ、……じゃない、これは夢のお話です」 どうやら彼女は口調を統一するのに非常に腐心しているようだ。 そして、エミリエは一同を見渡すと、ぽつり、ぽつり、と彼女は口を開いた。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ エミリエ、世界司書やってんですけどね。たまに「エミリエちゃーん」なんて呼ばれちゃって。 で、お仕事でいろんな世界のお話を聞くんですよ。 そん中にひとつ、変わったお話がありましてね。 モフトピア、ご存知ですか? かわいいですよねー、アニモフ。 ねこやいぬもいいけど、くまさんなんかもいるんだよね! ……じゃない、いるんですよね。 こないだも誰かが、うまさんのアニモフを使って競馬やろうかーなんて話したりして。 バカ言ってんじゃないよー、なんて他愛もないこと、ぐだぐだくっちゃべってたんですよ。 そこで帰ってきたロストナンバーの一人、まぁ仮にAちゃんとしておきますけど、Aちゃんって子がいましてね。 かわいい子なんですよ、普段から明るくって、モフトピア行くときなんかも「はいはーい、あたし行くー!」なんてね? で、その子が、モフトピアから帰ってきてから、どうも元気がないんだ。 あたし、聞きましたよ。 Aちゃん。どうしたの? お腹でも痛いの? そりゃ他のロストナンバーも「食べすぎたんじゃないの?」なんてけらけら笑っちゃってね。 ところが、そうじゃない。そうじゃないんだ。 Aちゃん。真っ青な顔して、ガタガタ震えてんですよ。 普段明るいAちゃんなんだ。そんな風にしてるなんて考えられない。 で、聞いてみた。 Aちゃん、モフトピアで遊んでる日に、妙な夢を見たらしいんです。 その夢の中ではね、一緒にいたロストナンバーの人がアニモフともふもふ遊んでたそうなんですよ。 そりゃそうだ、モフトピアに行ったら遊ぶしかないじゃないですか。 一緒にいった三人で、現実も夢も一緒だなー、なんて笑ったりして。 猫のぬいぐるみー、とか、抱きついて、もふもふして、美味しいお菓子いっぱい食べてね。 ある程度のトシの人は、お酒があったらなぁ、なんて言ってましたけど、それは何バカな事言ってんだってみんなで笑ってました。 ところがAちゃん。ふっと気づいたらしいですよ。 あれ? 一緒にいたロストナンバーさん、Bさんって人がアニモフに抱かれてるなー、って。 Aちゃん、考えました。 あれ、モフモフしてて気持ちよさそうだなー、なんて。気楽なもんですよ。 ところが、なーんか様子がおかしい。なーんかおかしいんだ。 Bさんって言うのはね、インヤンガイで暴霊相手に暴れまわったりして、ケンカが強い人なんだけど、強面で硬派なんですよ。 まさか、人前であのBさんがアニモフに抱きついてるなんてねー、なんてくっちゃべってました。 でも、Bさん。アニモフに抱きついてるんじゃないんです。 よーっく見たら、アニモフの体の中に入っていこうとしてるんです。 でも、Aちゃんの周り、みーんな笑っちゃって止めにいかない。 夢ですからね、Aちゃんもそんなもんかなーなんて気楽にしてたそうなんですよ。 で、あーだこーだ言ってるうちに帰りのロストレイルがやってきた。 夢なんだから、あんた、いい加減なもんですよ。 ところが、さっきアニモフの中に入っちゃったBさんがいつのまにか帰ってきてるんだけど、いつまで経ってもロストレイルに乗り込まない。 ずっとアニモフと手を繋いで、動こうとしない。 みんなニコニコしてる中で、Bさんだけ、無表情でじーっとこっちを見てる。 Aちゃん、怖くなりましてね。「ほら、何してるの! 帰ろうよ! それとも、次のロストレイルがくるまでここにいる?」 なーんて、無理に明るく振舞ってみたけど、その人、返事をしないんです。 おかしいな、どうしたのかな。おーい、Bさーん、帰ろうよー! Aちゃん、Bさんの腕を掴んで引っ張ろうとした。 すると、ね。 もふっ、ってしたそうなんです。生身のBさんのはずなのに。 ……と、いうところで、Aちゃん、目が覚めたらしいんですけどね。 そんな話を、まぁ、夢の話だからみんなに言うわけですよ。 あたし、こんなバカな夢見ちゃったよー。って。 すると他のメンバーが不思議そうな顔をしてる。 Aちゃん、そのBさんって今回来なかった人? って。 いや、そんなことないよ。一緒にモフトピアに来て遊んだじゃない、ってAちゃん言ったんです。 でも、そんなことない。最初からこのメンバーしかいなかったじゃないか、って。 Aちゃん、そん時思ったそうなんですね。 ははぁん、からかわれてる。って。 一緒にきたのに、Aちゃんがそんな夢を見たもんだから、からかわれてるんだなって。 だけど、本当にロストレイルに乗って、0世界に帰ってきて、司書さんに報告してもなんもいわない。 おかしいな、Bさん、一緒にいったのにな。 と思って掲示板を見たら、最初からBさん、参加者の中に入っていなかったんですよ。 で、そんなはずはない、って思い出そうとするんだけど、Bさんの顔が浮かんでこない。 その話を聞いた時、エミリエも探したんだけど……じゃない、私も名簿を改めましたが、Bさんなんて人、最初から登録されていないんです。 ……おかしなこともあるもんだなー、と思ったらAちゃん。 昨夜、そのBさんの夢を見たそうなんです。 夢の中でBさん、Aちゃんの方を無表情で見つめて「次はAちゃんだね、一緒に遊ぼうよ」って言ったそうです。 Aちゃん、言ってました。 もし、その手を取ったら、私、どうなるんでしょう、って。 世の中、おかしな事もあるもんですよね。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ しん、と静けさが両肩にのしかかってくる。 エミリエは「これでおしまいだよ」と呟くと、目の前にあった蝋燭を吹き消した。 それまで彼女が喋っていた音が消えただけで、廃屋のような空間に無音という名の重みが漂う。 エミリエはフードを少しだけたくし上げる。「次は、みんなの番だよ! ……じゃない、皆さんの番ですよ」 怪談の夜は今、始まったばかりである。
虫の音はよりいっそう激しさを増し、風がススキをそよぐ音が荒れ果てた室内へと押し寄せます。 時も時、昼間は見事な明かりの下も、今宵は曇った月の下。 夜半をすぎてどこからともかく霧がかかり、乳白色と闇が囲む。 時折、吹いてくる風はといえば、湿気を含んで生臭く、夏の夜独特の生暖かさが肌をなでるようにひゅぅぅ。 月下、夜半に静まりかえり、草木も眠る丑満時、どこで打ち出だしますか遠寺の鐘が陰にこもってものすごく……ぼぉ~ん。 「……落語の語り口よね、それ」 語りだしたのは、白い着物を身に纏ったプレリュード。 普段の服はどこへやら、純白の着物は薄闇に溶け込み、風がまとった湿度まで吸い込んで、墓場より蘇ったと見紛うばかりの白装束。 今にも井戸の上、一枚二枚と皿でも数えそうな……。 「いつまで続けるの?」 おっと失礼、と応えたのは正面の、こちらは真っ黒な布で顔をすっぽり覆い隠した青年の姿かたちに声、抑揚。 姐さんは信じるかい? ひとりの猟師が鳥を撃つ。生業とは、生きる業と書くかのごとく、深い深い業のもと、親の因果が子に報い、生まれた子どもは鳥の顔。ぴぃちくぱぁちく鳴く子の顔に、親心と人心、どちらが勝ったかあたしゃ知らねぇ、されど、その子は……こう成長した。 黒い布をむしりとるように振りほどくと、その下からは鷲の頭に鷲の手足。されど、姿は人に似る。 ああ、げにも恐ろしき妄念よ……。 ぽん、と村山は膝を打った。 「……ってトコで。俺の世界で流行ってた下町の寄席なんかでよくある怪談噺のアレンジなんだが、気に食わなかったかい? ああ。別に俺は親の因果でこうなったわけじゃねぇから気にしねぇでくれ」 独特の雰囲気は嫌いではないであります、とはヌマブチ。 こちらは普段と代わらぬ、略式の軍帽に軍装のままである。 これはこれで怪談のひとつ、昔の軍隊モノに出てきてもおかしくはないが、いかんせん鍛え上げた筋肉は生気を放ちすぎ、怪異とは相性がよろしくない。 彼ら三人の中央で座布団の上、この会の主催者であるエミガワ・リエジ。 まぁ、世界司書のエミリエ・ミィその人なのだが、彼女はちょこんと座ったまま三人のやりとりを眺めていた。 むしろ「ええと、今のは怪談なのかな、どこが怖いのかな」と悩んですらいるようだ。 「おっと、余興が過ぎたな。それじゃ俺から話させてもらうぜ」 人間大の鷲が荒れ寺で座布団に正座しているというだけで、なんかもう怪談じゃないかと言いたげなプレリュードやヌマブチを見回し、最後にエミリエを見ると、彼はおもむろに語りだした。 俺が佐々木興業――ああ、うちの組だ――の系列の店から呼ばれた時の話だ。 キャバレーって知ってるか? 最近は女遊びをするってぇ店に近い使われ方をしてるけどよ、もともとは歌と酒、ダンスに音楽って楽しみ方をする所だったんだぜ。 ジャズにギター、たまにゃ流しの歌謡やってるやつらが舞台に出ちゃ、踊ったり、歌ったり、演奏したり。 こっちはそれ聞きながら酒でも飲んでりゃいいんだ。 もっとも俺ぁ仕事だったからよ、やってんのはくだらねぇ警備だ。 退屈はしなかったぜぇ? ああいうところにゃもちろん酔っ払いが出てくる。 おかしいことに普段マジメなヤツが酒飲んで、身の丈にあわねぇイバりかたするんだよな。普通におとなしくしときゃいいのによ。 まぁ、そんなところでもってよ、俺の仕事はそんなやつらをちょっと「説得」してやる簡単な仕事だ。 大抵のやつは事務所に連れてきた時点で水かぶせられた猫みてぇにおとなしくなるし、そうでないやつはちょっくら本気で相手するだけだ。 警備の仕事なんて、暇してるかケンカしてるかだったからロクなモンじゃねぇな。 まぁ、支払いは良かったし、暇な時にゃぶらぶらしてりゃいいんだから、ワリは良かったぜ。 それで、な。 そのキャバレー、新しいモンも古いモンもあるんだが、あー、なんてぇんだ? 懐メロ? そういうのだけは無かったんだよ。 俺の出身世界じゃちょっと前にでっけぇ戦争があったんだが、その戦前の流行歌だけは歌うなって釘刺されてたんだ。 っつっても、まぁ、トシもトシなんで、子どもの頃に覚えた歌だからよ、口ずさむなって言われると、そりゃ気にもなるよな。 酒のサカナにってのとか、暇つぶしにってのとかで、まぁ、店の連中にそれとなく聞いてみたんだが、そりゃもう言うこと聞くことてんでバラバラでよ。 キャバレーで一番古株の爺さんまで、まだここで働きはじめたかどうかって頃から、戦前の流行歌だけは歌うなってキツく厳命されてたんだってよ。 まぁ、この世界、本気で怖がるヤツなんてのはいねぇしナメられちゃシノギもやってけねぇから、ちょいちょい歌うやつがいたってのも事実だけどな。 ところがだ。数年前、何かの事情で新人を雇うことになったんだがよ、そん時に戦前の流行歌が得意だーってんで、ちょっとマズいかなと思ったんだ。 ま、この世界、いっぺん仲間になっちまえば家族より大切な仲間になるんだが、そうなる前はただの他人様だからな、冷てぇもんよ。 そこでいっちょ、舞台の上で歌わせてみようって事になったんだ。 ああ、歌はうまかったらしいぜ? そこそこ厚化粧のお世辞でなら姐さんと呼べるくらいのトシの姐さんでな。 その時も何人か暇なヤツ呼んできて面接代わりに歌わせてみたんだ。 いい調子で歌ってたんだが、一番が終わり、間奏が終わり、さぁ二番だって時に真っ青な顔して青ざめてやがんのよ。 とっくの昔にはじまってるはずなのに、いきなり貝みてぇに口を噤んじまってよ。 「どうした?」ってそりゃ面接官も聞くよな? そしたら、かぼそーい声で「後ろに誰かいた」ってよ。 そこで、がしゃん、って音がしたんだ。 何かと思ったよ。 さっきその新人歌手にあわせて口ずさんでた従業員の一人が、ハメ殺しの窓をぶちやぶって下に転落してやがった。 ハメ殺しのガラス窓ってなぁ、勢いつけて破ろうったって破れるもんじゃねぇぜ? 思いっきり助走つけて飛び込んで、ようやくどうにかなろうかってもんだ。 自殺するにしても、そのタイミングで、そんな勢いつけて飛び込むわきゃねぇ。 それで、やっぱり戦前の流行歌は禁止って事になったんだよ。 ってトコで話の大半は終わりなんだが。 やっかいな事に、この話。ちょっとだけ続きがあるんだ。 キャバレーにいた頃、どこにいてもな、ときどき「歌って」って声が聞こえるんだよ。 警備室で昼寝してようが、店で酒かっくらってようが、お客さんを「説得」してようが、おかましなしだ。 忘れた頃に「ねぇ、歌って」って耳元でささやかれるんだよ。 どんな声かって? いや、それがわからねぇんだ。 小説や漫画を読んでる時に登場人物の声ってなんかしらイメージするだろ? あんな風にな、今「歌って」って言われた事はわかるんだが、それがどんな声だったかははっきりしねぇ。 声を殺して、ぼそぼそと「ウタッテ」って言われたのはよーっく分かるんだけどな。 まぁ、たまにゃ酒でも飲んで陽気になるんだが、そん時、ちょうどいいタイミングでその「ウタッテ」が来たんだよ。 よーっしやるかーってんで、戦前の流行歌、定番の曲を即興で歌い始め……らんなかったんだな、これが。 口でイントロあたりをハミングした瞬間、俺の背中から何十、何百の合唱が聞こえてきたんだ。 おいおいおい、って酔った頭で逃げ出そうとしたんだが、ソファの下から出てた白い手に俺の足はがっちりつかまれてた。 ソファの下から、だぜ? そっから下は床しかねぇのに。 生暖かいって表現があるけどよ、あれは生冷たいっていうんだぜ、きっと。 そんで俺は全力で、逃げ出した。 そこまでだ悪りぃな実話だから、こっから先どうなったともオチはねぇ。 ぱち、ぱち、ぱち。 エミリエひとりが拍手を送る。 口元が微笑んでいるところを見るとお気に召したらしい。 「得体の知れないもの、でありますか」 「そうね。理由がわかればともかく、どうして歌をうたって欲しいのか。それも知らされないんじゃ、怖くて仕方ないわ」 ヌマブチとプレリュードは顔を見合わせる。 『 ウ タ ッ テ 』 村山は搾り出すような、かすれた声で小さく呟いた。 そして、顔をあげる。 「寝る前に耳元で囁かれたら注意したほうがいいだろう。どうやって注意するかは知らんがね」 そう言って、村山は目の前の蝋燭を吹き消した。 数本の蝋燭がともっている分、一本程度の明かりの有無は大して気にならない。 だが、まだ室内があかるい分、余計に外の暗闇が引き立っている。 今、扉の向こうで何か動いた気がした。それは何だろうか。 風でとんだ落ち葉? 新たな来訪者? それとも……。 「次は私の番ね」 蝋燭を引き寄せたのはプレリュードだった。 私が活動の拠点としていた居住区から出て、少し歩いたところに美しい湖があるの。 草や花を摘みに行くにはちょうどいいんじゃないかしら? 噂だけど、たまにそこで逢瀬を楽しむ恋人達もいたらしいわ。 ああ、そういえば魔獣にやられたって噂は何度か聞いたわね。 今にして思えば、天国のようなデートを楽しみに行って地獄に落ちたのかしら。 さて、そういう居住区の外は魔獣の住処だから誰も寄り付かないけれど。 その湖にはね、子供たちの間である噂が広まっていたわ。 まぁ、他愛のない御伽噺よ。 私の世界はね、昼間っていうのがなかったの。 この0世界には夜がなくてずっと昼間でしょう? 私の世界はね、ずっと夜。 いつまで経っても明けない夜。 別に怖かったとかそういう感覚はないわね。 生まれた時からそうだったんだもの、どちらかって言えば、ずっと昼間な0世界に違和感を感じているくらいよ。 でね、私たちの世界ではお月様があるのだけれど、毎月一回だけ、空の月が血のように真っ赤に染まる日があるの。 子どもたちの噂話はね、そんな赤い月の夜のこと。 『空の月が血の様に赤く染まった夜に、湖に木彫りの獣を投げ込むと護り神様があなたの望みをかなえ、あなたを守る。……ただし獣は自分で丹精に削って作ること、願いをこめて丁寧に彫り上げること』 「魔法みたいであります」 ええ、おまじない。漢字で書けばお呪い、ノロイもマジナイもマホウも同じよ。 ……あれ? なんかあなた、目が輝いていない? 気のせい? …そう? ともかくね。 この居住区には見た目が瓜二つで仲の良い双子の少女たちがいたの。 姉はとても手先がとても器用な少女。細工物もお手の物。そして妹はとても不器用だったわ。 瓜二つでも得手不得手はあるものよね。 それで、妹は噂話が好きだったから、さっきの話を聞いて早速試してみようとしたの。 だけど妹はやっぱり不器用で、獣らしきものを彫ってみたのだけど、誰がどう見てもアンデッドだったわ。 そこで妹は「いつもの手」を使おうとした。 ええ、そう。 優しくて器用な姉に、代わりの彫り物を作って欲しいって頼んだの。 姉は反対したのだけれど。 「姉さんと私はお父さんやお母さんでも見分けがつかないほどそっくりなのよ。護り神様も気づくはずがないわ」 妹の説得に根負けして木彫りの獣を作ったの。 そして妹は赤い月の出た夜に、木彫りの獣を手に持って、湖に行ったの。 姉は妹が帰ってくるのを待っていたけど、帰って来なかったわ。 ――妹が見つかったのは数日後。湖のそばで紅い血を散らして―― 妹が亡くなってしばらくの間、姉は部屋に閉じこもっていたわ。 周りの人たちも最初は気遣ってそっとしておいてくれたのだけど、一ヶ月もした頃かしら、そろそろ両親や友人達を心配させてはいけないと、ある日買い物をしに外に出たの。 その帰り道。いつもは誰かしらがいる賑やかな道に、その日は何故か誰もいなかったそうよ。 広い大通り、ずっと人通りが耐えない道。 なのに今日は自分ひとりだけ。 どうしたの、と、あたりをみまわすと……。 空に浮かんでいたのは真っ赤なお月様。 不意に姉の脳裏を過ぎったのは、妹の無残な姿。 思わず首をふって歩き出したその時。 ――ひたひたひた。 姉の後ろから何かの足音がして。 ――ひたひたひたひたひたひたひたひたひたひた… そして彼女が振り向いた時、そこには……。 「お話はここまでよ、さて、何があったのかしらね」 プレリュードは持参していた水筒からコップに液体をそそぐと、一口あおった。 「守り神様ってのは、替え玉を認めなかったのか?」 村山の問いにプレリュードは首を振った。 コップの中身を干すと、彼女は荒れ寺の壊れた壁越しに空を見上げる。 ここの月は黄金色に煌々と照っていた。 決して、血を連想させる赤を湛えてはいない。 「さて、どうかしらね。ところでこの姉妹、本当に仲が良かったらしいの。妹が発見された時、姉が彫った彫刻は傍になかった、と言うことになってるわ。この話、大人が話す時は、守り神様をだましたからバチがあたったんだっていう事になっているけれど……」 「そうではない、という事でありますか?」 「可能性のひとつよ」 例えばね、と彼女は微笑んだ。 姉が彫った彫刻を投げ込んだ。ということは、守り神様は「姉を護った」のかも知れない。 それとも、姉が彫刻にこめた思いをかなえたのだろうか。 なのに、妹は無残にも何者かに命を奪われてしまった。 ……いや、違う。 納得しかけた一同の中、村山には違和感がひとつあった。 「姉の願いがかなったから、だとしたら?」 村山がぼそりと呟いた。 プレリュードは目を閉じたまま、首を左右に振る。 「結果はわからない、けれど、私がその話を聞いた頃には、誰も湖に行こうなんて考えもしなくなってたわ。魔獣が怖いもの」 真実は闇の中、と言うことか。 プレリュードはふっと蝋燭を吹き消した。 しぃん、とあたりの無音が耳にしみこんでくる。 さきほどまでヤケクソに鳴きつくしていた虫たちもひっそりと息を潜めている。 月明かりは神々しいまでに輝き、なればこそ、よりいっそう表面の黒い斑点を不気味に浮き上がらせていた。 時間はすでに夜明け前。 0世界では基本的に夜はないが、チェンバーの中であれば話は別である。 怪談用のチェンバーにすれば常夜の場所を選べば良いのに、とよく言われるが、それでは万一の時に逃げられないのだという。 「うん、そろそろ夜明けかな。今日の最後の話は、ヌマブチさんで決まりだね」 エミリエにつられて一同はヌマブチを見つめた。 彼はと言えば、マジメな顔で俯いている。 やがて、意を決したかのように視線をあげ、目の前の蝋燭をみつめると、ぽつり、ぽつり、と語りだした。 これは某(それがし)の良くお世話になっているスポットの話であります。 『Bar軍法会議』というのだが、ご存知でありますか? 「知ってるわ。主催者が……筋肉ダルマと聞いたのだけれど」 「歩く大胸筋、だったか? 確か、世界図書館の壁新聞か何かで見たような」 ……ま、まぁそれほど違わないであります。 ある蒸し暑い日、うっかり寝過ごしてしまった時のこと。 たしか宴会のあとだったかな? しかばねの山がみっしり……というような事はなく、眠っていたのは某ひとり。情けないことだが。 にべもなく酔いつぶれてしまったのであります。二日酔い、というのか? 気分はもう最悪なものでありますな、頭はガンガン、喉はカラカラが過ぎてヒリヒリ焼け付くようだった。 ずんっと胃に鉛でも入っているようで、某の呼吸は荒くて酒臭く、お世辞にも規律正しい軍人とは言えない状態だったのであります。 いつまでもそうしてはおられぬと某は立ち上がろうとしたのだが……。 立つことも難しい。いや、それどこか全身が椅子にくくりつけられているようだった。 あれ、おかしい。そう思ったのだが、それを実感した途端に背筋に物凄い寒気が走ったのであります。 なにごとかと思っていると、突然、カウンターから甲高い悲鳴のような声がしたかと思うと、 たて続けにカウンターに並んだガラス瓶が一斉に割れたのであります。 「のぁっ!? 何事だ!? 敵襲か!?」 とんでもない状況にも関わらず金縛りはまだ解けぬ。 これはマズい、と必死に某は立とうとしたのだが、その時だ。 逃がすまいと思ったか何なのか、某の背中に黒い煙が覆いかぶさるように……。 今思えば、不思議なことでありますな。某はカウンターにつっぷしていたのだ。 ややもすると目の前すら分からぬのに、何故、背中に黒い煙があると分かったのか。 殺される……!! 体は動かぬし理屈もわからんが、なぜかそれだけははっきりと分かった。 死を覚悟したその時、であります。「破ァ!!」という気合の入った声が聞こえてきた。黒い煙がその瞬間、霧散したのが分かったであります。 逃げ道を塞ぐように仁王立ちしていたのは普段影の薄いマスターだった。 いや影が薄いというと失礼でありますな。ともかく彼は片手にお神酒と書かれたとっくりを持ち、その中身を黒い煙にぶちまけた。 くくっと煙の中から呻き声がしたかと思うと、マスターはそこに向かってお猪口を手裏剣のように投げ、最後に青白く輝く両手を前に突き出して、再び先ほどの掛け声を……。 「わーっ!!!!!!!」 突然、大声を出したヌマブチを一同は見つめる。 村山とプレリュードは座したまま、エミリエは「きゃーっ!」と叫んで隅っこまで逃げていった。 どんがらがんと荷物が倒れてくる。 崩れた荷物の間から、ピンクの髪が覗いていた。 そこまで怖がるとは、と一同がエミリエを見つめてると、涙目になった彼女がもそもそと這い出てくる。 ごめんなさい、崩しちゃったと荷物を片付け、咳払いをするとゆっくり戻ってくる。 「わっ」とヌマブチが小さく声をあげると、彼女は「ひっ」と二歩下がった。 えぐえぐ、としゃくりあげるような声になっているのは、きっと気のせいではないだろう。 「ともかく、その瞬間、体が動くようになった某だったが、あまりの出来事に呆然と立ちすくんでいると、マスターはいつものように静かにカウンターに入ったであります。そして「飲みすぎは体に毒ですよ」と冷たい水を出してくれた。……いやぁ、酒場のマスター、パネェ。つくづくそう思ったであります」 ふぅ、とため息をついたヌマブチの様子を見て、話は終わったものと考えたのか、一同もまた深くため息をつく。 エミリエはようやく落ち着いたのか、座布団の上でゆっくりと呼吸をしていた。 「そのマスター。暴霊と闘ったのかしら?」 「暴霊ってぇと途端に怪談から冒険活劇になるから困ったもんだな」 プレリュードの問いかけに村山が応えた。 「実際問題として、弾が当たらんもの程怖いものはない。ところで最近、Bar軍法会議でまた何か見たものがいてだな。某は知らんのでありますが、それから十日間というもの、誰一人として軍法会議の門を開かなかったのであります。十日経って入ってきたムラサメ殿というロストナンバーが最初に何を見たのかはわからない。あそこは何かあるのやも知れないな。……おっと忘れるところだった。実はこの話。本当に怖いのはここからであります」 ヌマブチはまだ蝋燭を消してはいない。 彼は一瞬、和んだ空気を一気に引き締めるように真顔を浮かべた。 そして黙る。 しん、と静寂が荒れ寺を取り囲んだ。 視線は彼に注がれている。 そして、彼はゆっくりと口を開いた。 「某は割れた酒代を全て支払わされた」 そう言うと、彼は目の前の蝋燭をふっと吹き消した。
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