一目視線を交わした時から、お互いにただものではないと感じ取っていた。 揺れる駅馬車の中、座っているのは親子連れと商人風のでっぷり太った男、正体のよくわからない旅人の男、それに、用心棒として雇われたジョヴァンニと。 「はは、そいつぁ、豪儀だ…と、いけねえ」 オジロワシが人の形を取れば、このような様子、そういう姿の村山静夫は、ジョヴァンニ・コルレオーネの巧みな話術に引き込まれて笑い、思わず羽毛に包まれた首を竦める。黒の革手袋で軽く嘴に触れ、すいやせん、と律儀に謝った。 「初めて会ったお人に、馬鹿笑い聞かせちまって」 「なあに、構わないさ」 右目に単眼鏡、光沢の美しい黒檀の杖を頼りの柔和な風貌の老人、上品な仕立ての三つ揃いのスーツに穏やかな微笑みを絶やさないとくれば、無害で物静かな上流階級、そう見える自分の裏の姿を、村山が的確に感じ取っているのを知って、ジョヴァンニは楽しい。 「若い人の笑い声には活気がある。私も元気になるよ」 ねえ、と前に座った親子連れに笑いかければ、小さな娘を大事そうに抱えた母親も、さっきからの緊張を少し緩めたようだ。 「はい…」 異形の村山にもおどおどと笑み返す。村山が照れくさそうにちらりと黄色の目で見返し、子どもを怯えさせるまいと気遣ったのだろう、 「ほら、嬢ちゃん、あそこにでっかい山が見えますかい? あの峠を越えるんですぜ」 指差して見せれば、へええ、と子どもは駅馬車の窓から今しも入っていこうとする山道を眺める。 「おじちゃん、あそこに何が建ってるの?」 「おじ…」 村山の顔がかすかに引き攣った。確かに娘は十前後、対する村山は、年齢ははっきりしないが、語る口調や仕草、内容から三十そこそこだろうと当たりはつけている、さすがにおじちゃん扱いはまだひっかかるらしい。 「おじちゃんは可哀想じゃのう、お嬢ちゃん」 ジョヴァンニは笑みを絶やさぬまま、娘の指差した峠に立つ、古めかしい石造りの建物を見やった。 「あれは、昔ここにあった砦の跡だそうじゃよ」 「とりで?」 旅人風の男が、目深に被っていた帽子を少し上げて、同じように砦を眺めた。 「この辺りで土地を巡っての小競り合いがあっての、最後まで抵抗を続けたそうじゃ」 「ふうん」 今でも誰かが住んでるの? 「さあのう」 今はもう誰もいなさそうじゃな。 「つまんない」 これ、リリア、と娘の母親が慌てて叱った。 「怪物とかいないのかな」 リリアは無邪気に村山を振り返る。見ようによっては村山も明らかにワシ怪人なのだが、リリアは全くそう感じていないらしい。全幅の信頼を置いたその目に、村山が嬉しそうに瞬きする。 「居たところで、心配なんかいりやせんぜ、俺はともかく、このお人もいらっしゃるし」 「おじいちゃんも?」 「……ははは」 ジョヴァンニは笑った。おじいちゃん。懐かしくて温かな響きだ。 馬車はゆっくり峠にさしかかる。恐ろしげな廃墟の前を静かに通り過ぎ、何事もなく通り抜けるかと思った次の瞬間。 ぴいいいいーっ。 高い口笛の音が響き渡った後に、それは現れた。 「獲物だああっ!」 「な、にっ」 「そおぉれ!」 「きゃあああっ」 どこにこれほどの手勢が隠れていたのかと思うような、荒馬に乗った一群が、あっという間に駅馬車を囲み、騒ぎ立てながら追い詰め始める。 「強盗団だあっ!」 悲鳴を上げて商人風の男が体を竦めた。 「だからこんなところ、通りたくなかったんだ!」 その男の叫びを消すように、派手な高笑いと銃声が当たりを埋める。 「そおらそおら! テメエらの首か金を寄越せえ!」 馬車はどんどん速度を落とす。止まったら終わり、そうわかっているのだが、何度も行く手を遮られ、山道に阻まれ、ついには停止してしまう。 「女が居るぜ!」 「金もありそうだ!」 わははは、と野卑な笑い声が響き渡って、リリアとその母親は互いを抱き締め、凍りついている。 「素人さんを脅すなんざ、三下のやることだろうが」 舌打ちをした村山が、止める間もなく、隙を見て馬車の外に滑り出した。くるりと身を翻して、馬車の上に仁王立ち、そのまま抜き放った拳銃で次々と周囲を走る荒馬を狙い始める。 「きゃあああああっっ」 激しい銃声、リリアが半泣きになり、母親が子どもを抱えて俯せるのと同時に、ジョヴァンニは扉を開いて突っ込まれてきた無粋な腕を切り飛ばした。 「ぎっ、ああっ!」 鮮血を撒き散らしながら仰け反る相手にのしかかるように外へ、切った腕をさりげなく馬車の外へ放り出す動きは滑らかなもの、ぱたりと背中で扉を閉め、押し寄せた一群に僅かに身を伏せれば。 「うあっ!」「ぐっ!」「がふっ!」 ゆったりとした老人一人、馬の脚で蹴散らしてしまえ、そう大笑しながら近づいた男達は、自分の運命を気づかないまま空中に舞った。返り血など浴びるはずもない、駆け抜けた様子さえない、その場に居た、ただそれだけなのに、押し寄せた男達の半数はもう絶命している。 「なんだこの、くそジジイ!」 「よその親分さんへの礼儀ってもんを知らねえのかよ、くそガキらが!」 馬車の屋根から撃ちまくる村山の銃弾は追尾式、仲間をやられていきり立った強盗団は次々と、鮮やかな軌跡を描く銃弾の餌食になる。 「何だよこいつら!」 「聞いてねえええ!」 「おやおや、もう逃げるのかね」 ご婦人方を怯えさせた、それだけでも万死に価するのに、こちらの力量を見極めもしない無謀さは、それこそ。 「少年老いやすく学成り難し」 古い古い格言は常に真実に一番近い。 「学ぼうとした時にはもう遅い、ということだよ」 壱番世界、イタリア湖水地方に所有する古城の別荘で、同じことばを何度口にしたことか。 お慈悲を、どうかお慈悲を! 叫ぶことばの端から立ち上がって隙を狙おうとする相手には事欠かない、だからこそ、村山のような筋を通す若者は好ましい。 「老い先短い世界にも楽しみは残しておかなくては…そうじゃろう?」 村山の銃が逃した数人をジョヴァンには確実に仕留めて血に沈める。 「お見事!」 「君こそ」 殺気立った村山の笑みを穏やかに見上げると、砦からまたもや新手が押し寄せてくるのが目に入った。 「キリがねえな」 村山がかすかに首の羽毛を膨らませる、と。 「ぜ、全財産くれてやるからワシだけは見逃してくれ!」 いきなり響いた卑怯な声は、さっきまで馬車の片隅で震えていた商人風の男。あろうことか、リリアを片手に、いや盾に、強盗団と交渉に持ち込もうとする。 だが。 「愚かな」 ジョヴァンニの呟きを待つまでもなく、男の額をぶつりと銃弾が貫いた。ぎゃははは、と笑う強盗団の一人が重そうな銃を振り回す。 「命乞いなんか遅いんだよ!」 媚びた笑いを浮かべたまま、商人風の男がぐしゃりと体を崩して馬車から転げ落ちる、その太い腕でリリアを抱えたまま。 「下衆野郎!」 舌打ちした村山が背中に突然翼を生やした。腕を一振り、地面に叩き付けられかけたリリアの体を一瞬風で持ち上げる。次の瞬間、地面すれすれを滑空、リリアを男の腕からもぎ取って空へと攫った。隙ありと見て、強盗団が一気に村山とリリアになだれ込もうとした矢先、 「どれ、年寄りの冷や水にお相手願うかの」 ジョヴァンニは荒れ狂った奔流のように押し寄せる強盗団の前に立った。水が流れる、そう形容するしかないような滑らかさで、奔流の中に呑み込まれる。歓声と怒号、だが、続いて起こったのは奔流の一人一人が馬上で、地上で、空中で、それぞれの顔に驚愕をにじませながら、ジョヴァンニを見る姿。 ルクレツィア。 なぜその名前を思い出したのか。 弱々しい姿を装いながら、圧倒的強さで敵を叩きのめす自分の中に秘めた熱、それを受け入れてくれた彼の人の胸に、本当に自分は居たのだろうか、それとも彼女が望んだ幻の代用品をしていたのか、という問い。 黒の閃光が弾けた。 「ぎゃあああああああっっっ!」 絶叫が響き渡る。 ジョヴァンニに立ち向かうのは、自ら死に突撃するのに近しい。 そう察した流れの幾たりかが、少女を抱えて身動きしにくくなった村山に襲いかかる。 「リリア!」 多勢に無勢、村山の手からリリアがもぎ離される、しがみつくようにリリアを抱えようとする村山の姿が、かつての自分の振舞いそのものだったかもしれない。 「私も協力しよう」 ふいにそれまで襲撃に対して身を竦めるように座っていた、得体のしれない男が割って入り、思わぬ鋭い動きでリリアを抱き上げた。 「この子は私が預かる。思う存分やってきたまえ」 促されるまでもなく、ジョヴァンニは再び仕込み杖を抜き放っていた。 「では心置きなく」 「存分に!」 村山の銃が速射される。ジョヴァンニの杖が空間を切り裂く。互いの獲物は完全に制御され、補いあい、みるみる強盗団の勢いが落ちた。 「く、そっっ!」 「ひけひけっ!」 「引ける、と思っているとは」 随分甘い悪党じゃな。 ジョヴァンニの冷笑を、村山が気持ち良さそうに振り返り、頷く。再び羽ばたいた彼の姿は、逃げ去る敵を確実に捉える。 「う、わああああ!」 「ぎゃあああっ」 悲鳴と怒号、母親にすがりつくリリアに、得体の知れない旅人は静かに語る。 実は自分はこの辺りの治安を守る保安官なのだ、と。そして、さきほど強盗団に射殺された男は、不正に富を増やした悪党の親玉、自分は身分を隠して彼を調査していたのだ、と。 「ずる賢い奴は法律も巧みに使うものでね」 男は母親に肩を竦めてみせた。 「証拠は隠滅、証人は失踪、関係者はいつの間にか意見を変える。いつも被害者が泣き寝入りだ」 そういう組織に嫌気がさしていたのだが、今この時、この襲撃に、何の見返りも持たずに戦い続ける村山やジョヴァンニを見ていると、仁義というものは確かにまだ存在し、縁というものは見事に繋がり満たし合うとわかる、と笑った。 「ああ…終わったようだ……お二方、怪我はなかったかい?」 「怪我…というか」 村山は数回首を捻ってみせ、革手袋を開いてみせた。 「愛用の銃が限界近くで砕けそうだ。この先に銃器の整備をするところはないか?」 ジョヴァンニが呼吸を荒げることもなく、するすると仕込み杖を片付けながら戻ってくる。 「久しぶりの運動じゃった。たまには、こういうのも刺激があって、よろしい」 「武器屋なら、この近くの村にある。疲れたなら休めるぜ」 「あのっ!」 淡々と、あれほどの襲撃を終わってしまったこととして扱う二人に、リリアを抱えた母親が歩み出た。 「私どもの住まいはこの先の村なんです。もしよければ、このまま来て頂いても」 「ああいやいや」 村山が照れくさそうに手を振った。 「俺はこういう性分なだけでさ」 「私もそうだ。この先の村というのも、まだ少しあるのだろう?」 ジョヴァンニは自分と村山が馬車を降りる、と告げた。自分達が一緒だと、余計な怨恨を引き受けかねない。 「そんな…」 「重畳、重畳。旅路に幸あれかしと祈っておるよ」 微笑み返して馬車から離れる。村山が帽子の庇を少し引き下げ、挨拶を送る。 「せめてお名前だけでも」 すがりつくような母親の視線に、ジョヴァンニは微笑を返した。 「『薔薇の名前を聞くなかれ、そは心の中に咲く花のため』……リリア、私達は行くよ」 「……うん」 リリアは小さく頷いて、ぎゅっと唇を結び、母親の腕から滑り降りた。走り寄り、ジョヴァンニに抱きつき、村山を必死に見上げる。 「いつかまた…来てくれる?」 眩いばかりにまっすぐな、雄々しく美しいものに焦がれる瞳。 「風が呼んだら、やってきまさあ」 村山の柔らかな声に、リリアはようやく微笑んだ。 「きっと……きっとだよね」 去っていく二人の背中にリリアは大きく手を振り続ける。 二人の活躍を目の当たりにした彼女は、この後、自分と母親に残された小さな財産から、『リリア・フレッシャーズ』という人材派遣会社を起業し、大成功する。 モットーは『学べる時にとことん学べ』。 そのエンブレムは輝ける太陽を背景に交差する杖と羽根。 あの日彼女の未来を守った二人の、強く鮮やかな記憶の象徴だった。
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