「…驚きましたね」「驚いたな」 事務室の窓から遊園地を眺めながら、白髭園長と経理担当は同時に口を開き、同時に口を噤む。「あれは」「あの子は」 また再び声が重なって、互いに苦笑する。「奇跡だろうか」「奇跡でしょう」「生きていれば」「似てましたね」「……髪の色は違っていたが」「高校ぐらいなら染めておられたかもしれません」「目は」「カラーコンタクトがあります」「………なあ、君」 白髭園長はゆっくりと振り向く。「こことは違う世界がどこかにあって、そこで、英里や、達夫が生きているということは」 あり得るだろうか。「あの世、ではなくて、ですね」「そうだ」 経理担当も振り向いた。「不思議な子ども達がいましたね。真っ白な髪の銀色の目の少女」「どう見ても二本の尾を持つ猫に見える少年もいた」 少し黙り込んだ白髭園長は、決心したように口を開いた。「考えていたんだが、遊園地の無料開放を始めてから、不思議なことが起こったり、奇妙な客が増えているように思える」「………園長はこう考えておられるのではないですか」 経理担当が慎重にことばを選んで問いかける。「私達の知らぬ、どこかの世界があって、そこから不思議なお客達がアトラクションを楽しみにきている、と」「……手紙をもらっただろう?」 白髭園長は溜め息をついた。「この遊園地がどれほど楽しかったかと、私達への感謝が書き並べてあった」 渡してくれたのは『彼』だったが、まるで、全く見知らぬ世界に来ているような顔で事務所の中を見回していた。「………どこの世界から来てもいいじゃないか、私はそう思いつつあるよ」 どこから誰が来てもいい。 夢中で遊園地を楽しんでくれるなら構わない。「………感謝するのは私達の方だ」 この遊園地がこれほど不思議と興奮に満ちた場所だと再確認させてくれたのだから。「従業員も元気になりました。ここが閉園しても他の遊園地で働くという者もいます……ここでできるだけ働きたいという者も」 経理担当の懇願するような口調に、白髭園長は頷く。「私も聞いた……だが」 この遊園地には、観覧車、ジェットコースター、回転木馬、お化け屋敷、ミラーメイズ、コーヒーカップ、バイキング、ゴーカート、射的場、チェーンタワー……他に食堂、売店、花壇に囲まれた噴水がある。トイレも4カ所、休憩のためのベンチは20カ所、チケット売り場も各ブースの他に2カ所、入ってすぐのイベント会場ではキャラクター・ショーや手品、アクロバットなども見せていた。交通手段も駅から5分、バス停留所から3分と悪くない。 だが、ここはもう閉園が決まってしまった。 現在は、これまで当地で営業してきたお礼を込めて、残り時間を存分に楽しんでもらおうと、一日に一つ、アトラクションを無料にしている。「本当に、無理でしょうか」 経理担当が呟いた。「業績は上がってきています。無料開放はかなりの痛手ですが、それを差し引いたとしても赤字どころか、かなりの黒字になりつつあります」 あの遊園地には不思議なものがいる、そういう噂がネットでも広がり始めていて、口コミでお客が増えています。「この先も……もしかしたら、無料開放を続けるなら、『彼ら』が」「……次は『コーヒーカップ』を無料開放しよう」 『コーヒーカップ』はメリーゴーランドに似た屋根つきのテーブルにセットされた、四人乗りのカップがソーサーとともにぐるぐると回転しながら回るアトラクションだ。カップの中央には銀色の輪があり、それを手動で回すと回転する速さが変えられる。可愛らしい見かけとは違って、速く回し過ぎると三半規管の弱いお客は吐き気を催すこともあるらしい。 ここの『コーヒーカップ』はカップとともに、幼稚園児ぐらいの大きさの、ミルクピッチャーやシュガーポットも一緒にぐるぐる回る。テーブルは青と白のチェック模様のクロスをイメージしてあり、中央のポットの周りでぐるぐる回っていると、自分が巨人国のお茶会に招かれ、振り回されている気がするとも聞いた。「八景島シーパラダイスの『ドランケン・バレル』のようにはいかないでしょうが」 経理担当はくすぐったそうな顔で笑う。「最高速度の回転技術をお見せしましょうか?」「……君は、思った以上に不思議な側面を持っているんだな」「皆さん、いろいろとお疲れ様です」 鳴海はぺこりと頭を下げた。「世界の命運について悩まれている方、帰属を考えておられる方、いろいろおられると思います。館長からも皆さんのお疲れを少しでも減らせるようなことを考えて欲しいと言われてまして……」 先日から時々お願いしている依頼ですが、と微笑む。「壱番世界の、閉園間近の遊園地です。閉園までの時間を楽しんで頂こうと、一日に1つ、アトラクションを無料にしています。今回は『コーヒーカップ』だそうです。お知り合い同士、あるいはお一人ででも如何でしょうか」 今回は昼過ぎの便で到着します。「閉園までは数時間ですが、アトラクションそのものは3分もかからないでしょう。食事や散策を絡めて楽しむというのもありですね」 どうぞ、ゆっくりして来て下さい、と鳴海はチケットを差し出した。
遊園地には様々な音が響いている。ジェットコースターの歓声、お化け屋敷の悲鳴、観覧車のゆったりとした曲、回転木馬の哀調を帯びた音色。 「『tazze rotanti』。イタリアではこの乗り物をそう呼んでおったのう」 今しも愛らしい鈴の音とともに動き出したコーヒーカップに、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは目を細める。軽快なリズム、少女達が飛び跳ねるような明るい音調。 「昔両親に遊園地に連れられ乗ったことがあったのじゃが、なぜカップが皆回り続け互いがぶつかろうとも平気なのか、ぐるぐる回ってゆく景色の面白さより気になったことを覚えておる。カップに乗ったままどこかに飛ばされてしまうのではないかといらぬ心配をしたのう」 「へえ、そうなんだー」 仁科 あかりはポラロイドを持参し、さっきからぱしゃり、ぱしゃりと音をさせて、同行者や周囲の客を撮っている。みんな笑顔であちらこちらとそぞろ歩いている様が嬉しいし、写真撮っていいですか、と尋ねると、快く了承してくれた人が多かったのもまた嬉しい。 (園長さんが気にしている母子さん、写らないかなあ) もしだめでも、綺麗に写ったものは無料開放のお礼に園に送ろうと思っている。 セクタンのモーリンは肩で時々シャボン玉を吹いている。さっき売店で買ってやったものだ。きっと楽しんでいるのだろう、肩でぴょこりぴょこりと跳ねるモーリンに、一瞬あかりの瞳に影がさす。 セクタンがコンダクターにつけられた捕食者の目印だという話。満更嘘でもないのだろう。この無邪気に振舞う姿の下で、今も刻々とチャイ=ブレに情報を流しているのかも知れない。 (でも) ぐい、とあかりは顔を上げる。 覚醒前に、家族と遊園地に行った。祖父や、今は亡き祖母も居た。 祖母も遊園地が好きだった。 きっと遊園地は嫌な事を忘れ、何かくれる所だ。ここは幼児や老人も楽しめる。残ってほしい。 ターミナルの司書に、この遊園地のことが知れたのは、従業員達の誠実な働きが奇跡を起こし、司書に届いたんだと思う。 頑張れば何かできる、誰か見ててくれる、そう祖母も言っていた。彼らがここで得た物がいつか何らかの形で実現し、思いが繋がるかも知れない。 自分達もそうでありたい。 「行こう!」 コーヒーカップが止まって次の順番の人々が乗り込む。すぐ側を通った人間に、モーリンがぬいぐるみのふりで動きを止める。 「あ、可愛い〜」「あれ、何? ゲームキャラ?」 通りすがる女の子達に、あかりにはに、っと微笑み、ジュリエッタを見上げる。 思い切りコーヒーカップを回してやろう、エチケット袋は準備済みだ。 「私達もいこっ」 「……うむっ」 何か考えにふけっていたジュリエッタは、はっとしたように大きく頷く。 「売る物、食べ物。ルンは覚えた」 遊園地に入った瞬間から、ルンは生き延びるための本能全開だ。 「いい匂い。食べ物こっち」 くんくん、と空中の匂いの微粒子を嗅ぎ取り、文字は読めなくても的確に食堂に辿りついた。 表のショーウィンドウに並べてある蝋細工に目をぱちくりさせ、訝しげに片眉を上げて覗き込む。隣に並べてあるメニューに頷く。 「分かる。これは食べ物の絵」 文字も貨幣経済もない世界出身だ。半年以上ターミナルで生活してやっと貨幣経済の初歩を学び、食事や遊びは買うものと覚えてやってきた。 食堂に入り、テーブルにつくと、イベンターですか、と尋ねられてきょとんとした後、メニューを差し出されて唇をひん曲げる。 「字? 何だそれ。分からん。載ってるもの、全部くれ」 「全部っ?」 「全部」 おいおいまじかよ勘弁してよ、そういう顔で引っ込んだウェイターがやがてメニューの上から下まで次々と運び込んでくるのを、ルンは喜々として片付け始める。 「コラとコヒ? 同じ黒なのに、全然違うぞ? 冷た甘くてシュワシュワ、こっちは熱苦い」 コーラとコーヒーを横に並べて交互に呑み、首を傾げながら味わう。 「カレーは分かる。食べた」 ターミナルにもおいしい店がある。ルンは頷きつつ、次々とメニューを制覇する。その速度たるや、数人の男が席についているのではないかという喰いっぷり、慌てたウェイターが後二人の増援を頼んで、忙しく行き来するのを、周囲が呆れて眺めている。 「さっき、タコ食べた。イカ食べた。ハンバガ食べた」 ここも美味いな! ルンは絶好調で平らげ続ける。 「あああっ」 応援に駆けつけた一人がルンを指差した。 「お前さっきの大食いライオン!」 「何だよそれ」 「いやさっき、売店のメニューを五人前ずつ喰いやがったのが居てさ!」 それがもう喰いっぷりも旨そうで旨そうで見る間に人だかりができちまって、見る見る品薄になったから今仕入れ頼んでるんだぞ! 「それがあいつだって言うのか!」「見間違えるわけねえだろ!」 うろたえた一人が急ぎ厨房に駆け込んでいく。 「やばい! 何か凄いのが来てる!」 メニュー確保しろ! 悲痛な叫びをよそに、ルンはがたりと立ち上がる。 「腹ごなし。後で来る」 「急げええええ」 食堂を出て行くルンに、急を知らせにウェイターが駆け出していく。 「後から来るぞっっ!」 ルンはもちろん周囲の修羅場には気づかない。 「ここは何を売ってる? 喰い物か」 たったかたったか楽しげに走って覗き込んだのはイベント広場。 最近になって復活したキャラクターショー、道化が投げる体サイズの巨大なボールを『ゆうちゃん』があっちへ走りこっちへ走って受け止める。ぼんぼん、ぼぉん、ぼん、ぼぉん。おどけた仕草で道化が投げるぞ〜いや投げないぞ〜とやるたびに、『ゆうちゃん』がどたばたと走り回るのに、子ども達が笑い転げている。 「イベント? 何だそれ、美味いのか」 ひょいとルンは人混みの後ろから顔を突き出した。 ぼんぼんぼぉん。ぼんぼぉん。 「ほー、へー、ふーん」 今度は道化がボールを受け止めようと走る。走って走って、受け止め損ねた道化が、おお見事、とんぼを切って二回三回、空中回転をしたかと思うとボールの前へ飛び降りて、ぼぉん、と頭でボールを弾く。 うわっはっはっは! 「分からんが、分かった。さすが神の国」 頷いてルンは会場を離れ、明るく軽やかな音楽が流れるコーヒーカップへ引き寄せられていく。 「これがコーヒーカップ? さっき飲んだのと、違うぞ? 黒苦い、どこだ?」 青と白のテーブルクロスにくるくる回るカラフルなコーヒーカップ、形はさっきの食堂に出たものとそっくりだが、中に人が乗って、中央の銀色の輪をぐるぐる回している。 「飲まない? 乗るのか?」 「あんた初めてなのか?」 従業員はルンに目を止めた。 「あそこに銀色の輪が見えるだろう? あれを回すと、カップがぐるぐる回るんだよ。あんまり回し過ぎると酔うけどな」 「む」 ルンは地面に身を伏せた。 コーヒーカップがぐるぐる回るのを眺めながら、一回り、二回りしていく間、耳をそばだて回転音を確かめる。 「分かった」 普通に回っている機械の正常音域を把握すると、大きく頷いて立ち上がる。ちらっと見やった先には、マグロ・マーシュランドが待ち遠しそうな顔で待っている。 「ルンはバーバリアン、陸生王者だ! 海棲王者には、負けない」 言い放つと、ルンはぶん、と首を振って止まりかけたコーヒーカップに向かって歩き出す。さながら、サバンナに潜む獲物を見つけたような笑顔だ。 「地面から浮き上がる位力入れて回す、分かった」 「おい、あんた…」 従業員が突っ込むより先に、ルンはいきいきと走り出す。 女子会? マグロは遊園地を跳ねるような足取りで進む。今回の依頼に参加している仲間全員女性ばかりだったから、女子会だね、いいね、と言われたのだけど。 「んぅ? 女の子ばかりだから気兼ねなく遊べるんじゃないかって?」 確かに女の子同士だと好みも似通っているし、楽しみ方も似ていると思われるのかも知れないけれど、マグロはそんな風には思わない。 故郷では大人の男の人と組んで狩りをするのはよくある事だし慣れてるからかもしれないけど。 「むしろ女の子だけのチームっていうの初めてで、そっちの方が緊張しちゃうよぉ」 しかも初遊園地! 初コーヒーカップ! どんな風に遊ぶのか、何を楽しむのかも全く未知。どきどきする。 「そういえば僕、チームの中で一番年下なんだよね。思いっきり甘えちゃっていいのかなぁ?」 参加する仲間を見回して気になったのはやっぱりルンだ。同業者のニオがするし、年齢はマグロの方が年下だから、後輩になると考えるべきか。 「センパイに異世界の狩りの事、色々聞きたいな~♪」 そんなこんなを思ってやってきたのだけど、遊園地に来たとたんに売店に駆け込み、続いて食堂へ走っていったルンは、今コーヒーカップの前で、何だか鋭い視線をマグロに向けてくる。 「あっ」 はたと気づいた。ターミナルに慣れ親しんで、仲間も一杯できたし、似たような姿の者もいるから気にしていなかったけれど、ルンは人間の狩人だ。ひょっとすると。 「ぼ、僕、獲物じゃないからねー…?」 違う意味でどきどきおろおろしながら、ルンと少し離れたコーヒーカップに滑り込む。 もし将来0世界に帰属すれば。 その思い出も失われるということ。 ジュリエッタはぐるぐる回るコーヒーカップの中で、回転に身を委ねて天井を見上げる。 視界に映るのは元気だった頃の父母の笑顔。 ジュリエッタ、そう呼びかける顔は、明るく、曇りなく、楽しげだ。 数々の思い出は胸を掠め、額を擦り抜け、回転に伴って天井へと昇華していく。 失う。 失う。 ロストメモリーになるとすれば。 この柔らかで温かな記憶全てを失ってしまう。 「そいそいそいーっ!」 おほぉ〜! 一緒に乗っているあかりが夢中になって銀の輪を回す。 「たーのしーっっ!」 周囲にくるくる回るコーヒーカップの中では、金髪を振り立てて物凄い勢いで銀色の輪を回しているルンがいる。あまりの速度にがたがたとコーヒーカップが震えている。限界ぎりぎりの荒技だ。 「まっけるかーっっ!」 「お? おぉおぉぉ~~~」 さすがのルンも目が回ってきたのだろう、高い叫びを上げてすぐ側を掠めるように吹っ飛んでいく。 「わぁ~、ぐるぐるぐる~! こんなの、初めてみたよ~!」 楽しげな声が響き渡った。 「真ん中の輪っか回すと、もっとグルグルになるのー? 僕、頑張って思いっきり回すよー」 マグロが笑いながら銀色の輪にとりついて勢いよく回す。 「大丈夫、目なんて回さないよ。だって海獣の作った渦にグルグルされても、僕へーきだったもんっ!」 マグロの手がルン並みに輪を高速で回す。刺激されたようにルンが、そして他のコーヒーカップの乗り手が輪を回し始める。 「お、お、お、お〜!」 もちろん、あかりも負けていない。ばばばばばっと素早く動く手、自分の乗ったカップが一気に速度を上げるのに、ジュリエッタは目を閉じる。 旋回する体、旋回する意識、渦の中に呑み込まれていく感覚は、記憶を失う瞬間に似ているのだろうか。 「うひゃあああああああ〜」 あかりの声に薄目を開けて、ジュリエッタは明るい陽射しと弾ける色と、そして中心に立つ巨大なポットを見た。 「…いや、例え思い出が封印されたとしても」 ポットは動かずにゆっくりと回る。振り回されるカップ達の中央で、それらがどれほど激しく回ろうとも、決して揺らぐこともなく。 「わたくしは……ここにある」 ジュリエッタは自分の体を意識した。伸びやかな手足と澄んだ緑の瞳を思い出した。記憶を封じられ、父母と暮らした日々が意識の中から消え去ろうとも、ジュリエッタの姿には父母から受け継いだものが溢れている。 「両親の愛により生まれたわたくし自身はここに」 今はただ、この時を楽しもうぞ。 目眩の感覚を全身で受け止めながら、ジュリエッタは微笑んだ。 「さすがにトマトジュースはないじゃろうから、アイスティーをいただこうかのう」 カップを降りたジュリエッタが、少しふらふらしたと売店の前のベンチに向かう。 「やりすぎた……うへぇ~…頭がクラクラするよぉ~…」 よろめくような足取りでマグロがカップから滑り降りた。元から体色が青いからわからないが、かなりぐったりしているようだ。あかりは、大丈夫かな、と思ったが、 「何処か休める場所は~…!?」 呟いたとたん、びくんっと体を跳ねさせると、一気に走り出していく。 「わ~っ、プールがある~! しかもシャワー付きだ~! わ~いっ♪」 「いや、それ噴水だから」 思わず突っ込んだあかりだが、もちろん突撃中のマグロには聞こえていない。あっという間にばっしゃん、と派手なしぶきを上げて飛び込み、 「元気が出たからお弁当にしよーっ!」 嬉しそうに叫んでいたが、確か弁当は魚じゃなかったか。 「共食いじゃないって言ってたけど」 むーとあかりが唇を尖らせると、すぐ側でルンが従業員とカップの間に飛び散った何かを集めている。 「いや、あそこまで回るのを見たの初めてだよ、俺は」 ついでに輪が外れかけたのもな。 呆れ返りながら、従業員はルンの乗っていたカップの修理点検を行っている。 「楽しかった。もっとやりたい」 「そ…そうか。どうやら螺子が緩んでいたらしい。他のも点検しておこう」 「腹ごしらえ、行く」 「お…おう。また後からおいでな、嬢ちゃん」 ルンに満面の笑顔を向けられた従業員が戸惑いながら笑み返す。 「ちょっと待とうか、モーリン」 再び食堂へ驀進するルンの背中を眺めながら、ふと視線を転じて、あかりはぎょっとした。 「祖母ちゃんっ?」 モーリンを抱えたまま、思わず脚を踏み出す。 「祖母ちゃん!」 実はさっきもカップの中から祖母そっくりの姿を見た気がしたのだ。 そんなことはあり得ない。祖母はもうとっくに亡くなっている。 「祖母ちゃんっっ!」 亡くなっている、亡くなっている、亡くなっているのだ、それが本当だ、でも。 「ごめんっ、ちょっと、通して……祖母ちゃんっ!」 遠ざかる小柄な後ろ姿、振り返って欲しい、振り返ってあの時のように、優しく笑いかけて欲しい、話したいことが一杯ある、あれからの時間の中に一杯あるんだ。 「祖母ちゃ……っ」 視界が歪んだ。緩み崩れ流れ落ち、人混みの中に消える姿が見えなくなった。 「私……」 息を切らせ、あかりはモーリンを抱き締め、立ち止まる。 ポラロイドカメラで撮れば良かった。 ひょっとして、ひょっとしたら、写ってくれたかも知れないのに。 とぼとぼと歩いて戻ると、修理点検は終わっていた。 「お待たせしました、どうぞ」 促されて乗り込む人々に混じって、少し小ぶりの白とピンクのコーヒーカップに乗る。銀色の輪に手を載せると、その手の横にぽんとモーリンが座った。 「…一緒に回す?」 誘ってくすりと笑う。モーリンはぷわぷわぷわんとシャボン玉を吹き上げる。 「わ〜、きれい」「何、どこから?」 流れ出す音楽、くるりくるりとカップが回り、シャボン玉が飛び回る。 柔らかいほわほわの玉を一緒に回る小さなカップに投げ入れてみたいと思ったけれど、それは駄目だよ、と従業員に止められた。 「入ったら良い事あるかもって、思ったのにな」 ちょっと笑って、さっきのジュリエッタのように回るカップの中で目を閉じる。 「お父さんお母さん、祖父ちゃん祖母ちゃん。かっちーにバーミヤンに…」 覚醒する前もしてからも、たくさんの人と出逢ってきた。 くるり、と銀の輪を回す。 受けた愛と優しさを忘れず、誰かへ贈りたい。 くるり、とまた輪を回す。 色んな世界で皆頑張って、奇跡が起きるかも。 くるり、くるり。 そうだ、自分に出来る事を精一杯頑張る。 「見ててね祖母ちゃん」 銀の輪の上でシャボン玉を吹きながら回るモーリンを、あかりはまっすぐな目で見つめた。 「モーリンも」 きゅ、と唇を引き締める。 最後まで見て、チャイ=ブレに届けてほしい。 人間の生き様を。 その日、閉園時の清掃で、従業員はコーヒカップに付属して回る小さなカップに入っている、奇妙な形のコインと翼の描かれたカードを見つけた。 カードには丁寧な文字が添えられている。 『また、明日ね』 従業員は空を見上げる。 風が人気のない遊園地を吹き抜ける。 「……また、明日……か」 彼は、胸のポケットに手を入れて、取り出した辞職願いを握り潰した。
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