「……で、……な感じでやして! ……でやんす!」「はぁ、まぁそういう依頼ならここに――あ、こらちょっと!? 確かに危険は全く予言されていないですけれど!」 人体模型は颯爽とその場を駆け去っていき、司書アインの声が、空しくターミナルに響いた。 その日、人体模型がトラベラーズカフェの壁にぺたりと張り紙をした。 何の話かと、物見高い数人がすぐに集まってくる。『ヴォロスの地下に広がる宙を眺めに行く方募集中! ヴォロスの人里離れた洞窟に、石の歌ってぇ伝承があるそうでやんす。 新月闇や日食、彗星や何かが現れる頃、空から落ちてきた石が空に魅かれて瞬くんだとか。 ちょうど今、ヴォロスに小さい彗星が近づいているらしいでやんす。 洞窟の中に溢れる光は竜刻かもしれやせん……どなたか一緒に石の歌を聴きに行きやせんか?』 人体模型に真っ先に声をかけたのはジュリエッタだった。「久しいな、ススム。また随分幻想的な光景のようじゃ、わたくしも行ってよろしいか?」 人体模型が丁寧にお辞儀をして答えた。「わっちは群体でやんすから、あの時のわっちは今日のわっちじゃありやせんが。へい、お久しぶりでやんす。お嬢の参加は心強いでやんすよ」 2人の話に触発され、次々と人が集まってくる。「石の歌か、なかなか興味深い現象だ。席に空きがあるならば、我輩も同行したい」とヴィクトルが言えば、「石も歌を歌ったりするんだね。いったいどんな歌なのかな……」とニワトコがウットリ呟き、「歌う石だなんてとても素敵ね。空を思って悲しげに歌うのかしら…。どんな歌か聴いてみたいわ」と一人が締めくくった。 集まった4人を見回して、人体模型が丁寧にお辞儀をする。「もし歌う石が竜刻なら、拾ってくるのもありかもしれやせん。人里離れた場所らしいでやんすが、どうぞよろしくお願いしやす」 彼の手には司書アインから強奪――もとい、もらったチケットが握りしめられていた。 襲われる予言も、暴走の預言もない。 ヴォロスの片隅にあるその洞窟は、星闇宮、と地元の者に呼びならわされている場所だった。 人里近い森の奥。 谷間を抜けて出た先に、滑らかな岩肌を持つ丘陵が存在する。 人程度の大きさであれば余裕で通れるほどの入り口を持つその洞窟は、不特定の天体現象に反応して発光現象が起きる事で知られている。 しかし、殆ど人が訪れる事はない。 そんな洞窟の奥は広く、天井の一角に大きな穴が開いていた。 屋内でありながら、天窓をとおすかのように夜空を見上げることができるその洞窟で――その日、星の欠片が降り注ぐ。 それに伴い繰り広げられる光景は、如何なるものなのか――まだ見ぬ光景を想像して、ロストナンバー達は胸を躍らせていた。 彼らは知らない。アインの預言書には、危険とは別の預言が記されていたことを。――星の洞に満ちる想いは幻想を描き、彼らはある光景を幻視するだろう それは懐かしい光景。あるいはこれから起こるかもしれない光景 共通するのは、彼らが安らぎを得る事のできる光景であるということ、唯一つ 望む光景を得る者もいれば、或いは望まぬ光景やもしれぬ 追憶の想いと安寧の祈り――星の過ぎ行く間だけ、その光景は現れる 母よ、母よ。 仔は哭いた。 それはかつて谷間に在った風景。 もう会えぬ母を思い、仔は、その再訪を待ち続けていた。 仔よ、仔よ。 母は哭いた。 もはや会わぬと定めた仔へと。 その想いを事象に乗せて。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>旧校舎のアイドル・ススムくん(cepw2062)ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)ヴィクトル(cxrt7901)ニワトコ(cauv4259)脇坂 一人(cybt4588)=========
雲が戻ってきたヴォロスの空。 陽光に溢れていた空は今、闇の布に覆われている。 その布から染み出してくるわずかな光は数多に輝き、ゆっくりと動くことで天空の景色に様々な彩りをもたらしていた。 その星々の合間から、一つ、二つと新たな光が漏れだしてくる。 無数の光が碧い闇から漏れだして、やがて地上へと降り注ぐ。 滑るように落ち来る光はやがて燃え尽きるように消え去るも、次々と、光は溢れだし。 その日、ヴォロスの夜に、星が満ちた。 ◆ 少しだけ、時は遡る。 目的地近くの渓谷に降り立ったロストレイルからの徒歩の旅路。 「ここから先は、この川に沿って歩けばいいそうでやして、どうやら源流近くに洞窟の入り口があるらしいでやんす」 夕刻か、夜になるころにはつくんではなかろうかと見解を示しつつ歩くススムくんの後ろをついていくのはそれぞれに特徴のある三人と一人。 「結構歩くのねぇ、まぁ構わないけれど、どうせだったらすぐ側に降りてくれたらいいのに、不便ね」 周囲を飛んでいるセクタンのポッケに構いつつ柔らかな口調で感想を漏らすのは、脇坂一人。 後で使うから、とレジャーシートやクッション、お弁当やら飲み物やらとあれこれと積み込んだレジャーバッグを肩にかけのんびりと周囲を見渡しつつ歩いている。すらりとした身長は一行の中でも高い部類に入るが、その隣には同じくらいの背丈の、だが存在感は数倍もある人物がいる。 「そこまで都合のよいことも中々ないだろう。それに今回は危険も予言はされていないそうだしな、たまには物見遊山気分で歩くのもよいだろうよ」 ローブを羽織った爬虫類のような風貌のヴィクトルの台詞も、状況ゆえか実にのんびりとしている。彼自身は何を持つでもなかったが、脇坂が持ってきたひざ掛け等の荷物の一部を肩代わりしている。 「そうねぇ、まぁ運動不足って程ではないけれど、大自然を満喫するってそこまで多くはないものねぇ」 「そうでやんす、これはメインディッシュ前の気分を高める前菜でやんす! ついでになんか面白いものでも拾ったり捕まえたりできたら重畳でやんすが!」 言葉どおりというべきか。やたら気合の入ったススムくんの手には謎の虫取り網。 竜刻を眺め、場合によっては拾いにいくだけの旅に何故虫取り網。 先程から浮かんでいた一行の疑問に自分から答えた形になる。 とはいえ「何故」というツッコミの念は消えない。 「ススムくん今回はやたらに気合がはいっておるのぅ。気合がはいりすぎて、まるで後光でもさしておるかのようじゃぞ」 そういって先頭を行くススムくんに笑いかけたのは、ジュリエッタ。ポッケと一緒に飛び回っているマルゲリータを時折あやしながらの道程であり、こちらも気楽な様相だった。 「はっはっは、何しろいつも以上に念入りに磨いてきやしたから! 今日のわっちは竜刻をGETできるかもしれやせん……そうなったらわっちと竜刻の記念すべきマリアージュでやんす。わっちの元気と勇気がいつも以上にりんりん鳴り響くのも、それはもう仕方ないことでやんす!」 「ついでに鈴虫でもとらえる気じゃろうか……」 ぶんぶんと振り回される虫取り網に目をやって、ジュリエッタは思わずくす、と笑みを浮かべた。 「竜刻をGETしたらそのまま胃袋にしまうでやんすよ。もしかしたら魔力乾電池的サムシングな役割を果たしてくれるかもしれないでやんしょ? 病は気からと言うでやんす、なんとかの一念岩をも通すともいいやす」 「それを自分でいうのはどうなんだ?」 「ほんとよねぇ」 年長――と見える、というべきかもしれないが――組の二人が苦笑して肩をすくめあう。 「でも、洞窟についてまで騒ぐのはだめよ? 折角の雰囲気を壊しちゃうもの。石の唄が、聞こえなくなっちゃうかもしれないし」 そう先頭を行く人体模型に言った一人の言葉は、サムズアップで返される。 「分かってるでやんす、星の歌が聞こえる間はわっちも静かにするでやんす。任しておくんなせぇ、わっちは違いの分かる漢でやんすから」 どうだか――やはり苦笑を浮かべつつそんな感想を抱く一人。 「唄う石、か」 ヴィクトルは呟く。 それは竜刻によるものなのか、それとも別の何かなのか……。空から降る星に反応して歌うのならば……元は隕石か何かかもしれぬな。 内心呟きながら歩を進める彼の横で、「これ、二人ともはしゃぎすぎじゃ!」と頭上で遊ぶ二羽のセクタンに声を投げつける少女の声が響く。 その彼等の後ろから、ゆっくりと裸足で歩きながらてくてくとついていく緑髪の少年は、皆の様子を見て楽しそうに微笑むだけで言葉を発する事は無い。 少年。ニワトコは足裏に触れる土の優しさを感じつつ、周囲の植物の気配ともいうべきものを楽しみ、その中で、彼の眼前で繰り広げられる仲間達のやりとりを、心から楽しんでいた。 故郷にいたころのように緑に囲まれた環境は、彼にとって心地いいものなのだろうか。 にこにこと微笑みながら皆に遅れないように懸命にあるくニワトコ。 「早すぎない? 大丈夫かしら?」と問いかけてくる脇坂の問いにも、「ううん、平気」と返すのみ。 ゆっくりと流れる川の水音を聞きながら、一行は目的地へ向けて、騒がしく歩き続けていくのだった。 ◆ たどり着いた洞窟は、奥にむかって入口が狭く、奥に向かってだんだんと広くなっていくような作りをしているらしかった。 少しずつ天井が高くなっていく通路を、灯りを持って歩む一同。 内部の様子は一番世界の洞窟のそれとさほど変わらない。 だが、自然の作用によってつくられたその作りの神秘性は、人の手による遺跡とはまた別の雰囲気を醸し出していて。 その光景が、ジュリエッタの過去の記憶を呼び覚ます。 その時共に行動していた人の記憶と相まって、その記憶はこの上ない切なさと温かさが共にある。細部こそ思い出せないものの、その時感じた感情だけは心の奥から湧き出してきて、思わず彼女は目を細めて呟いた。 「南イタリアのカプリ島には青、白、緑など神秘的な洞窟が多々あるのじゃ。わたくしも幼き頃一度回ったことがあるのじゃが……さすがにおぼろげでしか憶えておらぬのう。と、マルゲリータ! まだ夜じゃないであろう! 静かにせぬか!」 オウルフォームの二羽が、ここぞとばかりに楽しそうに遊ぶのを見て、周囲を気にし注意するジュリエッタ。 「そうよお、ポッケちゃんも、ほら、おいでなさいな」 一人もまた、己のセクタンを呼び戻した。二羽とも、大人しく主の肩で羽根を休める。 「いやぁ声が響いていい感じの雰囲気でやんすねぇ。おっと押さないでくださいでやんすよ、転んじまってうっかり内臓がばらばらになったら困っちまうでやんすからね」 わいのわいのしている三人の後ろで、ヴィクトル、そしてニワトコはそれぞれ周囲を見渡しつつ歩いている。 「暗闇であれば、発光する藻や鉱石などが星の光のように見えているものかと思っていたが」 不意に発されたヴィクトルの声に、ニワトコが疑問符を浮かべた表情で見上げた。 「いや、そうした気配がここに至るまで欠片もないゆえ疑問に思ってな。……この洞窟の何処かに、竜刻があるのか?」 顎に手をあてて考え込むヴィクトル。 「おいていかれちゃうよ?」 くい、とローブの裾を引かれ、ヴィクトルはわいわいやっている三人がやや先の方を歩いて行ってしまっていることに気づく。 「む、すまんな。とりあえず、皆と逸れぬようにしなければ……」 見知らぬ地での集団の分離は危険である。そう考える彼は、教えてくれたニワトコを促し、先を急いだ。 トラベルギアである小型カンテラを後列用の灯りとしていたニワトコは、それに頷き、歩みを進めた。 彼は元来植物の特性を色濃く残す。 野に生える百日草が、陽が落ちればその葉を閉ざし眠りに落ちるように、彼もまた暗闇が苦手だった。 怖くはないが、眠気が襲ってくる。その中で、手に持ったカンテラの灯りが我慢の支えとなっている。 こうした洞窟の中で睡魔に襲われると、かつての故郷で、仲間達に爪弾きにされ、一人で過ごしていた日々をふと思い出してしまう事があった。 その時の条件反射というわけでもないが、油断したらうとうととしかける自分を奮い起こす。 ニワトコにとって、今日の旅は「まだ見たことがない、しらないこと」を知るための旅だった。 故郷では風で揺れる葉の音で、樹達が唄っていたことを憶えている。 けど、石も同じように唄う事があるなんてしらなかった。 ひょっとして、本当は気が付いていなかっただけで、周囲の他の色々なものも、それぞれがそれぞれの方法で、歌をうたっているのかもしれない――もしかしたら、今日の事はそれを知るきっかけになるかもしれない。 そうしたら、また一つ、新しい世界を、事象を、知ることができる。――あの老木が言ったように。 この洞窟の中に、石達の光と歌が満ちるところを想像すると、少しだけどきどきした。 楽しい歌だろうか。それとも淋しい歌? その気持ちは、空に届くのかな――そんな事を、ニワトコは思う。 空を滑るお星さまと、地面で唄う石たちのやりとり。 それがなされているのなら、それはなんて素敵な光景なんだろう。――思いが、とどけばいいな。 そう、思う。 その時は――ぼくも一緒にうたおう。 「……わぁ」 思考に没頭していたニワトコ。 不意に横を歩いていたヴィクトルがとまった事で顔をあげると、そこにはニワトコが100人以上も寝られそうな、広大な空間が広がっていた。 上の方には、やっぱりニワトコが両手をひろげても十人くらいは必要そうな、大きさの穴が開いている。 そこから、柔らかな月の光が差し込み、雨水により削られ、たまったのであろう泉がその下にできていた。 穴から見える空はもう青々とした闇に包まれていて、煌めく星が、いくつか月の光にまけじとその存在感を地上へととどけているのだった。 ◆ 「贅沢な天窓ね。素敵」 感嘆のため息を漏らすのは、脇坂。 彼は持ってきたレジャーバックからクッションやレジャーシートを取り出すと、農作業の休み時間の要領で、手早くそれらを広げていく。 その出来に満足したらしい彼は、「さ、座って座って。御飯にしましょ」とにこやかな笑みを一同へ向けると、率先して腰をおろし、さぁ座りなさい、と地面をたたいた。 促され、他の面々も大きなシートに腰を下ろす。 その位置は天然の天窓直下ではないが、そこから上空を見通せる位置にある、泉のほとり。 一同にふるまわれたのは、サンドイッチと水筒に入れられたお茶。 それに、日持ちしやすいものとして選ばれたコッペパンや焼きおにぎりだった。 「あなたたちも、こういうの大丈夫かしら?」 ヴィクトルとニワトコに向けられた言葉には、二人ともが頷いた。 「あなたは……いらない、のよね?」 「へい、あっし見てのとおり木材でやすから、飲食不要なんでやんす。ちょっと残念でやんすが……」 「そう、ならしょうがないわねぇ」 そんなススムくんと一人の会話の横で、「ほれ、マルゲリータも少しは食べておくがよいのじゃ」とちぎったパンを与えるジュリエッタ。 「そうじゃ、ススムくん。食べられる心臓とやらがだせるそうじゃが、もらってもよいかの?」 自らもパンを食しつつ言ったジュリエッタに、「お安い御用でやんす!」と胸をたたいたススムくん。その勢いのままに、彼の口からコロコロといくつか心臓が転がり出てくる。 それを手で受け取ったジュリエッタは、手の中でころころと転がしてためつすがめつしていたが、「ふむ」と一つ頷くと、おかず替わりとばかりに口にしていく。 「うーむ、これはまた確かにイチゴ味……」 「私はちょっとそれ食べられないわ……あなた中々ね」 むにむにと口の中でイチゴ味心臓を味わうジュリエッタに、感心したように――実際感心しているのだが――呟く一人。 ヴィクトルは瞑目しつつサンドイッチを咀嚼し、ニワトコはといえば、すぐ側の泉にシートから出した足を浸しながら、両手でもったお握りを少しずつ口にいれていた。 「――あ」 そんなニワトコの声に、全員がその視線の先を追い、天井へと目線を向けた。 ツ、と夜闇から染み出すように現れた光が、穴の淵へと向かい滑り出し、そして消えていく。 それが端緒。 やがてそれは一つ、二つと数を増し。 少しずつ光の糸が増えていく。 「ねぇ、灯り――消してもらってもいいかしら?」 手持ちのランプの灯りを消した脇坂が、光を放つギアを持ったニワトコにそう語り掛けてくる。 少し迷ったような様子を見せたニワトコだったが、一つ頷くと、光を収束させていく。 「あ、それくらいなら大丈夫かしら――あんまり真っ暗になっちゃうのもあれだ、し……」 脇坂の声は、途中で細く、消えていく。 洞窟の中に響く、微かな音。 しぼられた光は天井まで届くことなく、そうすると天井にあいた穴と夜空の境目が、殆ど区別のつかないものとなる。 流星が光を滑らせるたびに、天井の穴の淵へとその光を消していく。 だが、その光を受けるかのように、洞窟の天井が瞬いたのだ。 小さな煌めきが、洞窟の岩肌をなぞる様に滑っては消えていく。 それは一か所ではない。 空の星に連動するかのように。 或いは空をすべる星々を地上へ呼び込もうとするかのように。 岩肌を縦横無尽に光がはしる。 「ほぉぉ、この光や音が石の歌でやんすか……こりゃまた幻想的で……?」 呟くススムくんの横では、事象に心奪われたかのように、脇坂が空と、壁面に視線を釘付けにしている。 更に子供の笑い声や、はしゃぐ声のような微かな音に気づくと、ポッケと一緒に目を閉じて、耳を澄ませた。 手の届かないものを求めるような、懐かしむような感情を湧き上がらせる、その細やかな音――いや、声。 歌は思いを伝える手段でもある。これがもし石の歌だというのならば、石は空に何を思い、届けたいのだろう。 そんな想いに浸る脇坂の頭上で、なおも柔らかな光が無数に明滅する。 それとともに、耳の奥へ忍び入るような、微かな音が窟内に響き続けていた。 ある者はそれを鈴の音のようだと感じ、ある者は木の葉のさざめく音のようだと想い――あるものは地下水脈が為した水面の音と感じ取る。 決して眩しいわけではない。 視界を白く染め上げるわけでもない。 けれども、徐々に意識を染め上げて行くその光。 煌めく洞窟の光に心を吸い寄せられる中で、耳の奥になる光が、一同の意識を不可思議の境へと誘ってゆく。 敢えて抵抗しようとする想いすら抱かせぬ程に、自然に胸のうちへ入り込むその事象。 明確に認識したものは、その時点では誰もいなかった。 ◆ 青々と茂る林檎の葉。 成りはじめた実のいくつかを間引きする摘果の作業をようやくに終え、袋かけの段階に入ろうとしていた。 「ちょっと休憩しようや」 夏の日差しも頂上に至ろうとしており、額に流れる汗はとめどない。 首にかけていたタオルでそれをぬぐっていた一人の背後から、祖父がそう声をかけてきたので、一人はもうそんな時間なのね、と心の中で呟きつつ「そうしましょっか」と返した。 木陰に敷かれたシートに腰を下ろした一家の側では、ずっと流されっぱなしになっていたラジオがこの地方の民謡を流している。 こんな昼間の時間は、老人達向けの見んようの放送か、主婦に向けた情報番組等が主体だったが、今日選ばれている局は、どうも前者らしい。 国営放送アナウンサーらしい穏やかな口調のMCが局の合間に流れてくる。 そんなアナウンサーの言葉も話のタネにしつつ、全員で広げられた弁当を囲んだ。 祖父母と両親。それに姉と並んで食べる労働後の昼ごはんというのは格別なものがあるのだが、その時交わされる雑談は様々だった。 「最近どうもいかん。昼寝しても疲れがとれんわ」 祖母の台詞に、それでも儂の嫁か情けない、と祖父のからかうような声が重なる。 「儂なんか、今年も体育祭シニアの部で、優勝せなならんからな! 夕方には特訓じゃ。おい一人、お前も付き合うんだぞ」 「おじいちゃん、そんなに無理して3連覇目指さなくていいじゃないの!?」 年甲斐なく張り切る祖父。実際に体力もかなりのものがあるのだが、肉体労働の後にそんな祖父につき合わされてはたまらないと、一人は「やあよ私」と手を振りながらそう返す。 「そうだぜ父さん。こいつらももう年頃だし、働いた後は自由にさせてやらにゃあ。――お前ら、彼氏や彼女くらい流石にもう出来とるだろ?」 「いや、いないし……」 またその話題か、とばかりにげっそりしたように呟く姉と、苦笑して「いないわよ」と表情で示す弟。 「せめてあんたに一人くらい女子力があればねぇ……」 「母さんうっさい」 しみじみと呟く母の声は、からかうようなものではなく割と真に迫っていたからだろう。姉の声も一瞬尖る。 「大木君の言うとおり、もも●ロは可愛いのぅ。今度ライブにいこうかのぅ」 「「おばあちゃん!?」」 何故もも●ロ!? とばかりに一人と母の声が揃った。 「若いねーおばあちゃん」 感心したように言うのは姉。 ちなみに大木君は今現在流れている番組のパーソナリティの名前である。 「若い娘からえなじいをもらわんとね、年寄が農作業続けるにはそれが一番さね」 さっきまで疲れがとれんとか言ってたじゃない……と呟く一人の声。 姉がその感想にかすかに吹き出し、やがてそれは家族全員の笑い声へとなっていく。 屈託のない笑い声。 休憩時間にお茶やお菓子、漬物をつまみつつ雑談を交わす、その場の温かさ。 農作業は辛いし、作物の出来もコントロールできない部分は多い。 不況は農家にまで直撃するし、決して楽な生活じゃなかった。 そうだわ、と一人は思う。 それでも、何物にも代えがたい温かさがそこにはあった。 ロストナンバーとなり――諦めなければいけなくなるであろう、その生活が。 一人にとって農業という職種は誇るに足るものだったし、家族もまた同様だと思っている。 その中で繰り広げられる時間ややりとりは、他人にはつまらないもの、つまらないことかもしれないが、大切な時間だった。 今の自身の現状――この現実で、いつまで一緒にいられるかはわからない。 それでも。 せめて、少しでも長く――光と歌に包まれる中、一人はそう祈らずにはいられなかった。 ◆ ふとススムくんが気づくと、そこは見慣れた教室の光景。 視線を下にやると、教室の床に座ってわいわいと騒ぎながら、内臓模型に胡乱な落書きをしてふざけている三人の人影があった。 「……平井君、曾根田君、中垣君?! やっぱりわっちの内臓に落書きしたのはお三方でやんしたか……」 思わずくすり、と笑うススムくん。だが出したつもりの声は出ていなかったらしい。 目下で作業にいそしむ三人は誰一人として顔をあげようとはしなかった。 今では顔も思い出せなくなってしまった三人の楽しそうな声を聴くうちに、その顔をあげてもらえれば、今こそしっかりと記憶に焼き付けられやすのに、と残念な想いを抱く。 声をかければいいかとも思ったのだが、その場ではどうもススムくんはかつての彼――すなわちただの人体模型になっているようで。 自分を前に楽しそうに笑いながらいたずら書きを続ける三人の様子。 見ているだけで懐かしさが心に溢れてくる。 「懐かしそうだね」 不意に背後から声がかけられ、ススムくんは振り向いた。 振り向いて気付いたが、動けるようになっていて――でもその時には、もうその教室はかつてススムくんがいた教室ではなかった。 そこは、今では彼のチェンバーとなっている校舎の一角。 そして振り向いた先にいたのは、かつてその主であった少女の姿。 「いやぁ、知らなかったな。ススムくんのいた学校、結構賑やかなんだね」 「お嬢……そうでやんしたな、あの頃は学校にも活気がありやした……」 その学校がかつてススムくん自身がいた学校のことなのか、或いはこのチェンバーに前の主がいた頃のことなのか。 それは口にしたススムくん本人も、どちらともつかず、ただ無意識に口をついて出た言葉だった。 言葉とともに、その眦から雫がおちる――わけもなく。ただ彼の心がそうさせるのだろう。指で涙をぬぐう真似をすると、目の前の少女に向かって彼は語りかけた。 「ダメでやんすな、齢135を数えると、人体模型と言えども涙もろくなるようで。やっぱりわっちは学校の精霊、子どもの歓声が聞こえる場所に居てこその生き物だと思い知りやした……」 そう言って窓の外をみやるススムくん。 くらい教室の外側には、夜の校庭が見えて。 「馬鹿だなぁススムくんは」 少女が笑っていった。 「そんなのわかりきってたことでしょ。だからススムくんに託したんだからねっ! 楽しくって賑やかで、歓声の聞こえる――ススムくんがここをそんな風にしてくれるといいなって思ったから。ってわけで私はこれで! さよなら!」 しゅばっ、と手をあげた少女が明るい笑顔を残し、扉をあけて廊下の向こうへと去っていく。 そんな彼女の台詞や言動が、本当に彼女の意志なのかどうかはススムくんにはわからなかった。 或いはこの不可思議な体験がもたらした幻想や、無意識の願望なのかも、と。 だが、一つだけ確かなことはある。 子供の歓声が聞こえる場所にいてこその自分――抱いたその想いだけは、確かに、本物だった。 ◆ ふと気づくと、ヴィクトルは屋敷の中にいた。 見覚えがないはずなのに、奇妙に懐かしいと思えるその空間。 珍妙な調度品、ガラスの箱に納められた道具類。 ――博物館。 そう脳裡に閃かせる光景がそこにはあった。 一度も訪れたことのないはずのその光景は、しかしやはり懐かしさを感じさせるそれ。 亡くした記憶に関係することなのかもしれぬ、とヴィクトルは立ち止まり、考え込んだ。 先程まで確かに自身は洞窟の床に腰を下ろしていたはず――であれば、これは幻か何かか。 或いは、己の心中に宿る何がしかの記憶か。 後者の可能性が高いと、彼は判断し、再び周囲を見回した。 改めて見回しても明瞭な形で湧き上がるものはなく、ただ懐かしさだけが心を満たす。 記憶を失う前の我輩は、この博物館を訪れたことがあるということか? 素直な疑問。 深く考え込む前に、自然と足が動き、一つの場所を目指していた。 ここだ、何故かそう確信できた目の前の扉。 掲げられた標識に記載された文字――『館長室』。 難なく開かれた扉の向こうを見やって、ヴィクトルは苦笑した。 何の事は無い、0世界における、我輩の部屋ではないか。 そう思った。だがその次に、或いはあの部屋はこの部屋を元にしたものか、とも考えた。 その証拠であると主張するかのように、見慣れた光景の中に異物が一つ。 硝子の箱に、『それ』は納められ、存在をひっそりと部屋の中へ溶け込ませている。 そこに存在するのが当たり前であり、本来は違和感を感じさせるものではないのであろう程にしっくりと、実に空間に馴染んでいるもの。 ――写真、だった。 ヴィクトル自身と、彼が一生涯をかけて愛することを誓った妻の姿がそこには映っている。 「これは――」 どういうことか。思わず知らず呟こうとしたその時、背後で声がした。 『お戻りですか、館長――』 ◆ 「わぁ――!」 幼かった頃のジュリエッタが歓声を上げている。 船でゆっくりと入っていくその洞窟。 神秘的な青い光に魅入られたかのように船べりから身を出して水中を覗きこむジュリエッタの身体を、苦笑しながら彼女の母が引き戻した。 「駄目よジュリエッタ。そんなに身を乗り出したら落ちてしまうわ」 幼い彼女を腕の中に抱きしめる。 もっとー、ともがいていた彼女だが、頭を優しく撫でてくれる母にあやされて、次第に大人しくなり。 周囲の景色に魅入られて、ただただ瞬きする間も惜しんで視線を動かしている。 「おとうさまみれなくてかわいそうです」 幼い口調が色濃く残った少女の台詞に、少女を抱きしめていた母親がくすりと笑う。 「そうね――また今度きましょう。わたしのアントニオにも、この光景を見てもらわなくてわね」 あんとにおー? 不思議そうにそう言うジュリエッタに、お話の中の人物よ、と語り掛ける母。 かの怪しき翁の舟の、狹き穴より濳り出しをば、われ明かに記憶せり。 夢まぼろしにてはよもあらじ。 さらば彼洞窟は幽魂の往來するところにして、我は一たび其境に陷り、聖母の惠によりて又現世に歸りしにや。 われはかく思ひ惑ひつゝも、わが掌を組み合せて彼舟中の少女の上を懷ひぬ。 まことに彼の少女は我を救へる天使なりき。 当時意味もわからぬまま記憶の底に落とし込まれた、母が諳んじた鴎外の一説。 今なら、と幼女ではなく、少女の姿を取り戻したジュリエッタは思う。 「あの時は……そう、お父様は仕事の都合で遅れてしまい、お母様と二人で巡ったのじゃった。このような事象でなければもう二度と出来ぬ光景じゃが……自分に伴侶ができた暁には、いつか娘と共にここを訪れたいのう」 幽世と現世の混じる窟。 まさにここはその通りなのやもしれぬのぅ――未だ視界は青い光に満ちた洞窟にあって、けれどそれが己の記憶の中――或いは幻想か――の光景であると理解した少女は、ただ眦にたまった涙を零れるがままに任せている。 また一つ、当時の想い出を思い出すことができた。 その、思いがけぬ僥倖によりもたらされた少しの切なさと、胸いっぱいの、優しい気持ちが溢れるままに任せたからだった。 ◆ ニワトコは、洞窟の光を目にしながら、不思議な切なさと嬉しさを抱いていた。 石の歌は木の葉のさえずりのように心に響き。 伝える言葉はわからないけれど、伝えたい想いは彼の身に水のようにしみこんでくる感じがした。 ひとりを畏れる想い。 懐かしいあの頃――信頼できる存在と共に過ごしたあの時間。 その頃を欲し、その頃を懐かしみ、戻りたい、と強く思う願い。 その想いに触発されるように、彼はかつて洞窟で過ごした嵐の一夜を思い起こす。 その足で、広い世界を見てきなさいと言ってくれた、年老いた樹を思い出す。 ひとりぼっちの夜は、淋しい。 周囲の闇が押しつぶそうとするかのように気配を増し、宿る地のなかったニワトコにとってはそれらは明確な恐怖の対象だった。 けれど、と今ニワトコは思う。 今、ニワトコは一人じゃない。 さっきから皆光と音に心を乗せて、一言も発することはないけれど。 けど、皆が互いの存在を認め合ってることを知っている。 ニワトコもここにいていいんだよ、と思っていてくれることをニワトコは知っている。 みんなと一緒に、ここに来れてよかった。 ひとりじゃない今は、こんなにも心があたたかい。 だからこそ、ニワトコは心からそう思う。 みんなと一緒にいることができる――それこそがニワトコにとってのやすらぎの光景。 だから、ニワトコは石の歌に声を沿わせる。 この場を創りだしてくれてありがとう、と。 今は、ぼくがあなたと一緒にいられるよ、と。 万感の思いをのせて、身体で感じる石の歌に、自らの歌を重ね合わせて。 昼も、夜も。 雨の日も、晴れの日も。 心安らぐ誰かと一緒にいられたら、それはどんなに素敵で、どんなに幸せなことだろう。 この洞窟に宿る想いの淋しさは、きっとその裏返し。 だから、ニワトコは共に唄う。 少しでも、その淋しさを埋めてあげられますようにと――そう祈って。 ◆ 声のするほうへ振り返ったヴィクトル。 だが、それは正に夢から覚めたかのような感覚を彼にもたらす。 身体は地面に腰をおろしたまま。 ひねったはずの動作をした形跡もなく――周囲にいるのは、共にこの洞窟を訪れた同胞達のみ。 既に洞窟は光を放つのを止め、歌ももう聞こえない。 ニワトコのギアが、やや明かりを強めていた。 男の声だということしかわからない声の主のことは、振り返った瞬間に現実に引き戻されたがゆえに、結局は不明確なままだった。 「あの光景は……竜刻が見せたものなのか?」 思わず呟いたヴィクトル。館長とは。あの建物はどこにあるのか。 尽きぬ疑問が頭をもたげる彼の横で、しみじみとジュリエッタが呟いていた。 「やれ、懐かしいものを見せてもらったのじゃ――皆も、似たようなものらしいのう?」 ススムくんや一人、それにヴィクトルの様子を眺めやってそういったジュリエッタ。 「おかえりなさい」 にっこり笑ってそういってくれたニワトコの様子は少しだけ自分達と違っているようだと気づいたジュリエッタだったが、それを気にする事は無く。 「どうやらただいま、なのじゃ」 とだけ答えてやはりにっこりと笑みを返した。 「ほんと、懐かしい光景だったわ――この場所に、こんな力があるなんて本当に竜刻か何かの力なのかしら……それとも、メイムみたいな場所なのかしらね」 手を頬にあて、ため息をつく一人に、ススムくんも頷いた。 「いいものを見せていただいたでやんす」 「右に同じ、じゃのう」 「いいものといえば、まぁそうかもしれんな――」 ジュリエッタとヴィクトルも、小さく頷いた。 「さぁって、そろそろ帰りましょうか――乗車時間は明日の朝だもの。それに間に合わせて合流場所に向かわなきゃね」 徹夜でお肌あれないといいけど。 呟く一人の言葉に、「む、それは大問題なのじゃ」と同意するジュリエッタ。 「まぁ、今回は――うん、まぁ気にする程ではいかのぅ」 どうやらこの場に彼女の婿候補はいないらしい。 「時に、貴殿らは竜刻らしきものをどうするのだ――?」 言ってみれば、竜刻といえそうなものはこの洞窟全体のようで。 「ちょっと持って帰るには大きすぎるのぅ」 ジュリエッタがそう言えば、 「私は歌だけで十分。もし持って帰れるものだとしても――なんとなく、ここに置いていきたいの」 一人はそういって笑う。 ニワトコはにこにこ笑いながら、ぼくはどちらでもいいよ、と言った。 ヴィクトルが残ったススムくんに目をやれば、ススムくんはそこらに落ちていた小さな石を拾い上げたところだった。 黒く、見た目の割に重みのあるその物質。見れば、いくつか同じようなものが洞窟に転がっているようだった。 岩肌のところどころにも、細かく散らばっているそれの欠片であろうと思われて。 「こりゃあ竜刻というより、隕石とか隕鉄とか、そういう代物でやんすかねぇ……まぁ、どっちでもいいでやんす!」 拾い上げた石を大事層に懐にしまった彼は、ヴィクトルに向かって固定化されたアルカイックスマイルを向けた。 「竜刻であってもなくても、わっちの大事な旅のメモリーでやんす。持って帰って理科準備室に飾るでやんすよ」 そういってサムズアップする彼の様子に、ヴィクトルは、ふ、と微笑みを浮かべる。 「では我輩もそうするとしよう」 そんな二人の様子を見て一つ頷いた一人が、まとめとばかりに声を上げる。 「話はまとまった? じゃあ、撤収準備開始するわよー!」 「「おー!」」 ◆ その洞窟は、今日も静かにその地に在る。 時折降り注ぐ流星の夜――歌を唄い、旅人に幻想を見せてくれるその洞窟の名を、現地の人は星闇宮と呼びならわす。 その由来も、現象の理由も、いまだ解明されては、いない。
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