クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号1151-18141 オファー日2012-06-23(土) 17:48

オファーPC ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人

<ノベル>

 ナレンシフが揺れ、ヌマブチは目を開いた。
 ついうたた寝をしてしまったらしい。眼の下の隈を隠すように軍帽のつばを引く。円盤は濃い霧の底に、孤島のように着陸していた。
「お疲れのようだねえ」
 ざりん。錆びてひずんだ鈴の音。霧の町にローブの老婆が立っている。
「そのなり……遠くから来た軍人だね。神託が欲しいのかい」
 ヌマブチは答えず、紅の眼を慎重に眇めた。乳色の霧はあまりに密で、ともすれば老婆の姿を塗り潰してしまいそうだ。
 あるいはこちらが霧に呑まれているのか。だから視界が曇っているのか。
「お疲れのようだねえ。長いこと戦っているんだねえ」
 ローブの暗がりに醜悪な笑みが浮かんだ。
「少し休んだらどうだい?」
 亡霊めいた背中が石造りの小屋に入っていく。入り口から寝台が覗いている。
「さあ……おいでえな」
 木乃伊のような手がゆらゆらとヌマブチを招く。

 ざりん。鈴の音。

「ヌマブチさん!」
 心地良い声が降ってきた。
 ヌマブチは眼を見開き、飛び起きた。ごちん。額をしたたかに打ちつける。慌てて視線を彷徨わせると、ふくよかな婦人が額を押さえていた。ヌマブチの肝が激しく収縮した。
「ショウ、」
「安心した。お元気そうね」
 和装の婦人は腫れた額をさすりながら微笑んだ。
 ヌマブチの体の下には布団が敷かれていた。見覚えのある壁と天井。婦人はいそいそと台所に入り、小さな鍋を持って戻って来る。
「食べられるかしら」
 鍋には白く濃密な粥が詰まっていた。
 ヌマブチは無言で粥を貪った。熱が喉を焼く。それごと飲み下すように咀嚼する。不覚にも鼻の奥がツンとした。粥とはこんなにも美味い物だったのか。
「うなされていたようだけど」
 おかわりをよそいながら婦人が問う。ヌマブチは返事を濁しながら記憶を手繰ったが、すぐに放棄した。悪い夢を見た。それでいい。
 婦人は物憂げに溜息をついた。
「やっぱり何も言わないのね。あの方と同じ」
 ヌマブチの手がぴたりと止まった。
「私たちはいつも黙って待っているだけ」
 婦人の視線はヌマブチから逸れて遊離する。違う。これはヌマブチの知る婦人ではない。
「あなたはいいわ、自分の意志を貫いたんだもの。さぞご納得でしょうね。お幸せでしょうね」
 戻ってきた眼差しが猫のような金色に変わる。ヌマブチの手から椀が落ち、粥がどろりとこぼれた。蠱惑的な金眼は、婦人の目と入れ替わりながらとめどなく涙を流していた。
「あらあら……沼淵さん」
 和服の袖がゆっくりと椀を拾う。
「自分だけの問題だとでも思っているのかしら。お馬鹿さん。本当にお馬鹿さん」
 袖がゴシックドレスで覆われていく。ドレスはたちまち黒猫へと変ずる。
「結果が自分だけに帰するなら……自分だけが破滅して済むなら良かったのにね?」
 んなあああああごおおおおお!

 ばくり。生臭い闇がヌマブチをひと呑みにする。

 したたかに腰を打ち付けた。それでも軍人の性か、すぐさま跳ね起きて銃剣を構える。まだ生きている。まだ動ける。
 真っ暗闇だ。眼が馴れない。しかし何者かの気配を感じる。戦わねばならぬ。
 何のために? 生きるためだ。
「軍曹」
 血まみれの手が足首を掴んだ。ヌマブチは軍帽の下で軽く眉を持ち上げた。部下が血を吐きながら這いずっている。
「沼淵軍曹」
 部下は血の泡を吐いた。津波のような蒼色が迫っている。部下はもう歩けない。ヌマブチは逡巡の末に部下の腕を掴み上げた。
「今際の刻ぐらい、好きなことを言え」
 部下の面が決定的にこわばった。
 ここに残せば部下は死ぬ。連れて逃げればこちらまで狙い撃たれる。蟻の理は、ただ数だ。
「軍曹の眼、血の色だ」
 部下の口から紅色が溢れる。ヌマブチは答えない。軍帽のつばで全てを隠し、刺すように部下を見つめている。
「好きなことを言え、って?」
 血まみれの手がヌマブチに縋りついた。
「じゃあ聞かせて下さいよ。あんたは何のために生きてるんだ」
「某には生が全てだ」
 ヌマブチの答えは揺らがない。声は些か震えたようだが。
「――本当に?」
 部下は弱々しく俯いた。そして再び顔を上げた。
「あなたは何故旅団に渡ったのですか」
 どろりと、廃人のような目がヌマブチを見上げる。曇り、ひび割れた眼鏡にヌマブチの面が写り込んでいる。
「……生きるためであります」
 ややあってからヌマブチは呻いた。
「図書館か旅団かは問題にならん。どちらにも未練はない」
「ならば何故旅団への妨害を?」
 青ざめた指がヌマブチに絡みつく。
「生が目的ならただ旅団に従えばいい。その方が生き残る確率が高いじゃありませんか。何故ジャンクヘヴンで――」
「やめろ!」
 悲鳴じみた怒号がびりびりと闇を震わせた。
「偽者め。牧師は貴様のようなことは言わん」
「偽者?」
 相手の唇が三日月形に歪み上がった。
「貴方が知る牧師は壊れました」

 ゴッ――。
 死神のような魔法が押し寄せ、二人を虫けらのように薙ぎ払う。

 吹き飛ばされたヌマブチを剣が貫いた。
 くれないの血が溢れ、逆流する。食いしばった歯の間からもだ。ヌマブチは膝をつき、獣じみた唸りを上げて剣を引き抜いた。刺さったままのほうが消耗が少ないというのに。
 ただただ厭うた。この身に何かが刺さっているのは不快だった。ぼとりと、剣を泥の中に捨てる。ヌマブチの血もまた泥のようだ。両者は重たく、粘つきながら混じり合っていく。
 霞む視界は薄闇に浸されていた。あちこちに剣が屹立している。ヌマブチは傷口を押さえながら懸命に目を凝らした。そして瞠目した。
 剣ではない。卒塔婆だ。ヌマブチに突き刺さったのも卒塔婆だった。
 陰気な霧が這い寄ってくる。
 不可視の気配が蠢いている。
 ヌマブチはすぐさま銃剣を向けた。戦うのだ。生きるのだ。傷口は泥のような血を排出し続けている。敵影は窺えない。ただ陽炎のような素振りだけがある。
 霧の向こうを睨めつけながら慎重に後退した。同時に背後に気配を感じ、弾かれたように振り返る。一面の霧。ヌマブチは立て続けに発砲した。やみくもに銃剣を振り回した。気配は四肢に絡みついて離れない。
 霧を振り切るように走り出す。
 足取りが覚束ない。痛みが脳髄を貫く。下肢がもつれ、転倒した。たちまち血と泥にまみれる。銃を杖代わりに立ち上がる。走る。卒塔婆の群れがゆらゆらと追いかけてくる。
 死者だ。ここにいるのは死者ばかりだ。
 ヌマブチには彼らの重みが分からない。蟻は数のみを重視する。多を救うために少の犠牲はやむなしと――非情ではあるがそれが最善と――考えてきた。
 ならば何故死者しかいないのだ。
 卒塔婆に毛筆の文字がのたくっている。記された名はジャンクヘヴンの要人。牧師。いいや、牧師は生きている。しかし生きているといえるのか。あれは死んでいないだけだ。
 ヌマブチはどこで間違った。何を間違えた?
 間違いとは何だ。
 間違いでさえなければ良かったのか。
 目の前に広がるのはただ事実だけ。事実は絶対に覆らぬ。

 知らず、左腕を庇っていた。世界樹旅団の部品が埋まっている箇所。今のヌマブチが生きるために必要な物。左腕はまだ無傷だ。しかしヌマブチは人としてフェータルな何かを欠いている。
 冷静な自覚がヌマブチを軋ませ、歪ませる。

 とうとう膝が折れた。獣のように、溺れる蟻のように泥を這いずる。しかしヌマブチは諦めなかった。二本の足で、人間として立って歩くのだ。たとえ真似事にすぎなくとも。
 目の前には卒塔婆が建っていた。『沼淵康之丞』。
「父さん」
 掠れた声と血まみれの指で縋りつく。これだけか。襤褸雑巾のようになりながら生きて、残ったのはたったこれだけか。父と親交のあった婦人は泣いていた。ヌマブチが泣かせた少女と同じように涙を流していた。
 ヌマブチは生きている。生きて、こんな光景が見たかったのか。
 灼かれるような疼痛で我に返った。血と、むき出しの肉に蟻がたかっていた。蟻は数をもってヌマブチを制圧しようとしていた。強靭な顎が肉を噛み砕く。おぞましい節足が神経を這いずる。ヌマブチは怒号を上げて蟻を振り払った。しかし蟻の軍隊は無尽蔵だ。ヌマブチを喰らい尽くさんと大波のごとく押し寄せる。
 蟻はやがて人の手へ変ずる。死者のように蒼白な手だ。誰の手だ?
(情けない)
 懐かしい声にはっと顔を上げる。卒塔婆の前に陽炎のような父が立っている。
「父さん」
 ヌマブチは血を吐きながら慟哭した。父は相変わらずだ。見えるのはいつだって背中だけなのだ。
(誠司)
 霧が苦笑に似て揺れた。
(お前は生きているだろう)
 振り返った父が銃剣を振り上げる。
(為すべきことを為せ)

 父の顔を見る前に体が両断された。

 ヌマブチは思わず呻いた。背中から床板に落ちたのだから無理もない。
「“ヌマブチ”で」
「あ、俺も俺も」
「“ヌマブチ”で!」
 数多の声がヌマブチを呼ばわる。徐々に視界が開けていく。
 酒場。カウンター。酔いどれの客。見知った顔たちがヌマブチのツケで飲んでいる。無愛想なマスターは黙々と酒を作り、ホールの中央ではなぜか筋肉自慢が始まっていた。
「皆」
 ヌマブチの手は彼らに届かない。ヌマブチは陽炎と化して揺らめくばかりだ。
 顔。顔。顔。客が帰り、また新しい客が来る。グラスも絶えず入れ替わり続ける。立ちすくんでいるのはヌマブチばかりだ。
 動けない。旅団に戻らねばならぬのに。未練はないと吐き捨てたというのに。
 ふと見覚えのある影が窓を掠めた。ゴシックドレスの少女が酒場を覗いている。少女は口許を歪め、黒髪の気配だけを残してその場を去った。
「飲め飲め。どうせツケだ」
「ヌマブチさん、破産するぞ」
 陽気な宴会のただ中でヌマブチの頬が蠢動した。イレギュラーなその動きは苦笑に似ていた。
「……ツケは支払わねばなりませんな」
 ぐん、と体が引き上げられた。

 ざりん。いびつな鈴が鳴る。
 乳色の天幕が水面のようにたゆたっていた。
「おぉかぁえぇりぃ」
 ざりん。老婆が鈴を揺らす。ヌマブチは黙って体を起こした。乱れた裾を素早く直し、軍帽を引いて視界を遮る。
「何を見たんだい」
 ぬうと老婆が視野に割り込んだ。
「誰を見たんだい?」
 歯のない口が傷口のように裂けていく。黄色く濁った眼球から膿のような涙が溢れる。
「今更どうにもなりやしないよ。なしたことは取り消せも取り戻せもしない。望まぬ荷を負わされるのはいつだって周りさア。それでもあんたは生きるのかい。生きて、戦って、ええ? 何ができるんだい?」
 ヌマブチは無言で、一直線に銃剣を閃かせた。
 醜悪な老婆が真っ二つになって崩れ落ちていく。
「今の己に為せることを為す」
 二本の足で立ち上がったヌマブチは決然と宣言した。
「如何に悔いようとこの道を選んだのは某だ。己が悔いは己が行動で晴らす。死は償いにはなり得ん」
「おお、おお。やってみるがいいさ」
 黒ずんだ血に沈みながら老婆が嗤う。
「某は――」
 擦り切れた軍服の襟を立てた時、意識がぐんと宙に浮いた。

 ヌマブチは静かに目を開いた。
 ついうたた寝をしていたらしい。ぬるい汗がじっとりと首筋を濡らしていた。ナレンシフはちょうどヴォロスに着陸したところであった。妙な夢を見たのは竜刻を抱く大地に干渉されたせいなのだろうか。
「着いたぞ」
 旅団員がヌマブチを呼ぶ。ヌマブチは軍帽のつばを引き、霧の中へと降り立った。圧倒的な質量に一瞬たじろぐ。しかし寡黙に歩き出した。
 生きるのだ。より多くを生かすために。

(了)

クリエイターコメントありがとうございました。ノベルをお届けいたします。

オファー文どこ行ったと思われたかも知れません。申し訳ありません。要点は概ね反映してあります。
かなり嫌な感じの書き方をしたのは老婆を一刀両断する前振りです。迷いを断ち切るイメージで。

楽しんでいただければ幸いです。
ご発注、ありがとうございました。
公開日時2012-07-12(木) 21:20

 

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