クリエイター黒洲カラ(wnip7890)
管理番号1149-16620 オファー日2012-04-08(日) 00:18

オファーPC ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人
ゲストPC1 三日月 灰人(cata9804) コンダクター 男 27歳 牧師/廃人

<ノベル>

「あはは……はは、あははははははははは!」
 音韻の狂った、調子はずれの、ひどくものがなしい哄笑が響き渡る。
 遮るものなど何もない、ブルーインブルーの真ん中、海の上で。
 空のあおも海のあおも、目を瞠るほど高く深く澄んで美しく、それゆえにこの場面においては不釣り合いだった。
 笑い声は止まらない。
 そして、制止する声もない。
 すぐに、鈍く光る銀の円盤の上から、細かな白片がばらまかれる。紙、しかも破り取られ、ばらばらに千切られた書物の一部だ。明らかに人の手で破り捨てられたと判る紙片には、さまざまな文字が印刷されている。
 中には、力が足りなかったのか、ほとんど一ページ丸ごとの姿で空を舞っているものもあった。

『Enter by the narrow gate; for the gate is wide and the way is easy, that leads to destruction.』
『Love your enemies, bless those who curse you, do good to those who hate you,and pray for those who spitefully use you and persecute you. 』
『One does not live by bread alone,but by every word that comes from the mouth of God.』

 そんな文言が、舞い落ちてゆく紙片の上で踊っている。
 今、この場所で破り捨てられ、海へと堕ちてゆく、その書物が何であるか、判るものにはすぐ判るだろう。そして、その光景を、ひどく暗示的だと、かなしく、苦しく見るだろう。
「はは……は、ははは」
 ナレンシフ、と呼ばれる円盤から笑い声を響かせ、ひょろりと細長い体格の男が空を見上げる。
「I curse you」
 表面だけ見れば優しげな、誠実と理知と気遣いの伺える穏やかな顔に明確な憎悪と狂気を載せ、もう何ヶ月も眠れていないような、落ち窪み血走った眼で、青年は空へと呪詛を放つのだ。
 カーキ色の軍服を着た小柄な男が、少し離れた場所から自分を見ていることにすら気づかぬ――否、頓着していないだけかもしれない――様子で。
「私は、赦さない」
 以前の彼を知るものがみれば、ひどく哀しんだだろう、断絶とゆがんだ決意に満ちた眼差しが、天を睨み据え怨嗟の言葉を吐く。

 ――海は、空は、それでもただ静かに凪いで、美しくあり続ける。

 * * *

 天を砕く激しさで雷鳴が轟く。
 空は、鉛を呑んだような沈鬱さでもって、彼らの頭上を覆い尽くしている。
 叩きつけられる雨粒は大きく、涙というより非情な断罪のようだ。
「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない」
 無残に崩れた石柱が突き立つ、古い文明の名残たる遺跡である。崖下に海を臨む、遠い昔は王城か神殿であったのだろうと推測させるその片隅を、低い低い怨嗟の声が這いずっている。
「私は敬虔で誠実な信徒でした。少なくとも、そうあらんとつとめ、あなたの言う善を実行していた。彼女も、アンジェもまた。彼女ほど、あなたのいう善を、愛を体現していた女性を私は知りません。――それが、なぜです? なにゆえの、この仕打ちなのですか」
 苔むした石柱を、拳が傷つくのも構わず殴りつけ、唇をかみしめて呻く。
 三日月 灰人の頭の中を締めているのは、今やそのことばかりだった。
 ごぉん、ごぉんと、鉄槌のごとき不穏さで雷鳴が鳴り響く。
 轟音が灰人を殴りつけるたび、意識の隅をちかちかと忘れていたはずの記憶が瞬く。
 産褥の妻。
 床に横たわる最愛の妻の、青褪めた顔。
 子どもは?
 子どもはどうなった?
 少しずつ冷たくなっていく妻の腕に抱かれ、泣きもせずぐったりと――ぐんにゃりと沈黙する赤ん坊は?
 違う。
 これは、何の記憶だ。
 こんなものは知らない。見たこともない。
 そのはずだ……そのはずなのに。
「あああ」
 くいしばった歯の隙間から呻き声が漏れる。
 明滅する光に脳を叩かれるように、その時の光景がフラッシュバックする。
 ――死んだのだ。
 いいや、そんなはずはない。
 妻は、アンジェリカは、もうじき生まれる我が子とともに、灰人の帰りを待っているはずだ。
「あああああ」
 頭を抱え、うずくまる。
 眼の奥に錐でも差し込まれたかのような痛み。
 ちかちかと明滅する、青白く冷たい、最愛の女の骸。
「違う……違います、彼女は生きている。いや……そうだ、あのとき、死んだんだ。アンジェも、あの子も、死んでしまったんです」
 意識の表層だけを滑り、脈絡のない言葉がぽろぽろと零れ落ちていく。
 灰人自身、それを意識できているのか、判らない。
「神よ……なぜ、彼女を。なぜですか、なぜ……!」
 ただ、我が身を抉るような哀しみと絶望、そして激烈な憎悪と怨嗟が灰人の中を満たしている。それゆえに、あんなにも純粋に信じ、敬愛していた存在は、今や妻子を殺し灰人にひどい運命を押し付ける憎むべきモノへと転じていた。
「呪われろ……滅びてしまえばいい。誰も、何も救えない、救うつもりもないというのなら!」
 我が身を叩く雨粒の、その勢いに劣らぬ激しさで天を仰ぎ、草に覆われた大理石の床を叩き掻き毟って神を呪詛する。かつては絶対者として崇め敬ったモノを、粉々に砕け散れと罵り、身悶える。
 拳が傷つき、爪が割れてもなお続く灰人の狂乱をいっときであれ止めたのは、
「……灰人殿、どうぞお鎮まりを。今の貴殿は我を見失っている、それが貴殿にとって佳い結果を招くとは、某には思えないであります」
 背後からかかる静かな声だ。
 しかし、灰人は声の主を睨み据えた。
 血走った黒眼に射られても、カーキ色の軍服を身にまとった男の表情に変化はない。どこまでも無表情に、赤い眼が灰人を見つめている。それが灰人の癇に障る。
「妻と子どもが死んだんです。それで、我を見失わない夫が、父親がいますか。いるとしたらそれは、誰かがつくりあげた幻想に過ぎない。――ヌマブチさん、あなたのように」
 叩きつけるように言ったが、ヌマブチの表情は動かなかった。
「あなたは私の中にあなたがよしとする『理想の父親』像を幻視し、捏造しているだけです。あなたは、そんな都合のいいモノが存在すると、本当に信じているのですか」
 厳しく、断罪に似た口調で吐き捨てたとたん、絶望が込み上げてきた。
 妻子がいないのに、自分がここに生きている理由などあるだろうか。否、妻子はもういないのに、どうして自分は生きていなければならないのだろうか。
 そんな疑念が根ざし、足元から世界が崩れてゆくような錯覚に陥る。
「もう……もう、私は!」
 崩れた建物の向こう側、崖めがけて走り出す。
 あそこから飛べば楽になれる、そう誰かにささやかれたような気がしたのだ。
「灰人殿!」
 初めて、ヌマブチが声に感情をにじませた。
 そこに含まれた焦りめいたものを感じ取り、灰人は唇をゆがめる。
 俊敏な動きで灰人に追い縋り、手を伸ばそうとするヌマブチを振り切って、崖下へと身を躍らせようとし――……
「……駄目だ」
 しかし、脚はそこでぴたりと止まる。
 蹴飛ばされた小石が、からからと音を立てて落下していく。
 その先、数十メートル下でぶつかり、砕け、泡立つ海。飛び込めば何もかもが終わる。
 けれど、灰人はそこから先へは勧めなかったのだ。
「灰人殿」
 わずかな安堵をにじませたヌマブチの声に苛立つことすらできなかった。
「私には、出来ない」
 歯を食いしばり、瞑目し、崖から離れる。
 離れた瞬間、力が抜けて膝から崩れ落ちた。
「ここで死んでも、アンジェには会えない……」
 実を言うと、聖書には、明確に自殺を禁じる文言はない。自殺を悪だと断じる言葉もない。自殺が死の中でもっとも不名誉とされているのは、イスカリオテのユダが自ら死を選んだからだとされているし、過去の統計では、カトリック宗派よりプロテスタント宗派に自殺者が多いとも言われている。
 何より、現代においては、自殺を罪とし、救われぬとする考えかたは薄れつつあるのが現状である。
 しかしながら、プロテスタントは宗派の数が多く、戒律も様々だ。そして、灰人の所属する教会は、自ら死を選ぶことを禁じている。命とは神から授かったもので、当人が自由にしていいものではない、という教義からだ。
 その教えは灰人を縛り、追いつめられた彼をさらに痛めつける。
「神など滅びてしまえばいいと思うのに、彼の法に縛られて、身動きも取れない」
 自嘲の笑みで唇をゆがめ、灰人は石くれを握り締める。
 この、恐ろしい閉塞感。
 閉ざされたいびつな箱庭の中でもがくたび、分厚い壁が四方八方から迫ってくるような息苦しさを感じる。
「写真も、なくしてしまったんです。もう顔さえ、彼女のぬくもりさえ思い出せない……」
 今でも誰より愛していると言えるアンジェリカ。
 それなのに、絶望のショックでショートした記憶は、灰人から彼女に関する様々なことがらをどこかへやってしまい、彼は思い出の中で最愛の女性に逢うことすらもう許されないのだ。
 この絶望、この苦しみを、いったいどう癒せというのだろうか。
「だから……せめて」
 つぶやく灰人を、感情の伺えない赤眼がじっと見つめている。

 * * *

 灰人の妻子が亡くなっていたことを、雷雨吹きすさぶ遺跡をさまよい歩いたあのとき、ヌマブチは初めて知ったのだ。
 ――妻子のことを話すときの、灰人の幸せに蕩けた顔が忘れられない。
 よき妻の夫であり、生まれてくる子どもの父であることが幸せでたまらないのだと、自分には護るべき家族があって、だからこそ子どもがつらい、苦しい目に遭っているのなら放ってはおけないのだと、そのときばかりは背筋をぴんと伸ばして凛々しく語る灰人に、護るために戦い斃れた父の姿を重ねていた。
 灰人の言うとおり、ヌマブチは彼に、理想の父親像を押し付けていただけだ。
 それゆえ、灰人に突きつけられたとき、ヌマブチは反論の言葉ひとつ紡げなかったのだ。
「なぜです……なぜ、キャンディポットさんを。答えてください、なぜ!」
 狂おしい怒りと絶望で、もとは穏やかだった顔をどす黒く染め、灰人がヌマブチに掴みかかる。ヌマブチは甘んじて胸ぐらを掴まれながらも無言だった。弁解も弁明も、今さらするつもりはなかった。
 灰人がキャンディポットに感情移入していたのは知っている。おそらく、子どもの面影を重ねていたのだろうとも納得はできる。
 しかし。
「絶対に彼女を取り返す。もう子どもを亡くすのはごめんです」
 けたたましい、どこか狂おしい哄笑を響かせる彼の、
「どんな手を使ってでも、誰を傷つけてでも……私の命をかけてでも! 理不尽な運命に、まして神などに家族を奪わせてなるものか!」
 命を軽んじる言動を認めることは出来なかった。
「それで子どもは救われるのか」
「なんですって?」
 生を、己が存続を何より重視し、結果旅団へ渡ることとなったヌマブチにとって、生きるとはとてつもなく重たいことだ。諦めることも投げ出すことも許されない、どこまでも続く徒労のごとき道のりを命と呼ぶのだ。その徒労の中で、己が務めを果たし、生ききることが人間の課された使命なのだ。
 だからこそ、灰人のそれを認めることは出来ない。
「アクアーリオの次はキャンディポットか? 代替品にしているのはどちらだ!」
「なッ……」
 あえての、意図的な挑発に、灰人の眼差しが激昂のあまり色をなくす。
「あなたがッ、それを、言うのかああああぁッ!」
 振り上げられた拳が己を襲うのを、ヌマブチは静かな面持ちで見ていた。
 ――旅団への不信が意識から消えない。
 キャンディポットを世界図書館に引き渡したのもその不信が理由だった。無論、灰人に言うつもりはない。言ったところで受け入れられるとも思ってはいない。
 身勝手はお互いさま、彼我に差などない。
 ――ヌマブチは後悔していたのだ。
 ジャコビニの正体に気づけず最悪の選択をした。
 灰人の精神悪化を見抜けなかった。
 何より、精神状態が悪化した灰人に、フォンスのとどめを行わせてしまった。
 ヌマブチは、それらを激しく後悔していた。そして、自分の迷いがその過ちを犯したという事実も。
 神託の都で父の夢を見た。あの日から、己の選んだ道の正誤に迷い始めた。冷徹な軍人の姿を保つことで、どうにかその迷いから目を逸らしてきたが、それがもとで灰人にひどい傷を負わせた。
 何もかもが今さらだ。
「……だが」
 固い拳に打ち据えられながらつぶやく。
 非力な牧師の、とはいえ、力任せに殴りつけられれば血は出るし、怪我もする。痛みもある。しかし今のヌマブチにとって、それらは別世界のものだった。
 ヌマブチは今、灰人のもろさと直面している。
 そのおかげで、父親という存在への憧憬を重ねた、無条件のまぶしさは消えたと言っていい。
「だからこそ、生かさねば」
 納得の上で旅団に渡ったと言いながらキャンディポットを切り捨てた。灰人を助けたいと思いながら、保身のためすべて信じることは出来ずにいる。なんと身勝手で矮小な人間だろうと思う。
 こんな自分が、父親のように誰かを護ることなど出来ないのかもしれない、とも。
「なぜだ……なぜです、どうして殺した、どうして奪ったのですか! 私にとって彼女は世界のすべてだったのに! 答えてください……答えろ! あはははは、答えられないなら、あはは、滅んでしまえばいい!」
 喚き、ヌマブチを殴り続ける灰人は、いつしか、泣きながら笑っていた。もう、自分が誰を殴っているのかも判っていないのだろう。彼の拳は、ヌマブチが流した血で赤黒く染まっている。鼻が砕け、唇が切れ、歯が折れてどこかへ飛んでも、ヌマブチは抵抗どころか身じろぎすらしなかった。
 ヌマブチはむしろ冷静だった。
 神を激しく呪詛しながらも存在自体は疑ってもいない、神などいないとは言わない、言えない灰人の、その無垢さ純粋さをいとおしいとすら思う。――だからこその絶望か、とも。
(今さらだ)
 もはや事態は引き返せないところまで来ている。
 もう、足を止めることなど許されはしない。悩んでいる暇などない。
 悩むことこそ、身勝手というものだ。
(生きるために生きてきた)
 灰人のもろさを知って、ヌマブチの中には新たな決意が生まれた。
(だが、同時に、より多くを生かすために生きてきた。始まりはそれだった)
 灰人を見捨てるという選択肢はない。
(思い出した……)
 異世界の動乱や殺人に麻痺し、忘れかけていたのだ。
 彼の生は確かに厳しく、冷酷だったが、同時に、より多くを生かすためのぎりぎりの選択の繰り返し、積み重なりでもあったのだと。
「ならば、迷う道理はない」
 どこへも行けない、かえれない。――たとえそれが、真実だとしても。
 生きると決めた。生かして帰すと決めた。
 灰人に恨まれ、憎まれても構わない。
 彼を想う人々のところへ灰人を返す。
「もはや僕に、戻るべき故郷などないのだとしても」
 郷愁にひたるには、彼の理は強固に過ぎる。
 しかし、郷愁を捨て去るには、彼の記憶は色鮮やかに過ぎる。
 命を預けるに足ると信じた男の鋭利な横顔、にぎやかな仲間たちとの厳しくも愉快な日々、そして覚醒してからの、彼にたくさんのものをもたらした数々の旅、言葉、心。
 それらが、ヌマブチを駆り立て、衝き動かすのだ。
「……構わない」
 いつしか疲れ果て、ヌマブチにしがみつくようにして力なくうずくまる灰人の、小さくしぼんだ背中を見つめた。流れ落ちる鼻血を無造作に拭い、血を吐き出して独白する。
「あのとき、腹をくくると決めた」
 十七、十八世紀の壱番世界において、郷愁という言葉のもととなった本来の『ノスタルジア』とは、精神の病の一種であるとされたという。戦局が逼迫するにしたがって表れ、兵士たちの戦意をそいでゆく、憂慮すべき病だと。
 その病の痛みをヌマブチは否定しない。否定せずにいようと今は思う。
 痛みは、いのちの糧でもあるからだ。その痛みが、誰かを救うこともあるからだ。
「――生かして、みせるとも」
 つぶやきは誰に届くでもなかったが、彼の赤い眼差しには、静かで強い意志の力がたゆたった。

 運命の分かれ道、綱渡りに近い細い細いそれは、予測のできない未来へ向かって今日も伸び続けている。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました。
お届けがぎりぎりになりまして申し訳ありません。

それぞれの思いから旅団へと身を投じられたおふたりの、心の動きを描写させていただきました。困難な状況におられるおふたりの、悲嘆、懊悩、辛苦、そういったものの中に、ひとすじの希望があるよう祈ってやみません。

ちなみにNostalgiaという言葉は、十七世紀にスイスの医学生によって新しく提唱されました。困難な状況下において、故郷を思い胸を痛めるというのは、人間にとって自然な心の動きなのでしょうね。

どうかおふたりが、それぞれのお心のまま、それぞれの思いをまっとうされますように。

こまごまと捏造させていただきましたが、その部分も含めて少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。


それでは、どうもありがとうございました。
ご縁がありましたら、また。
公開日時2012-07-21(土) 16:00

 

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