クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号1151-20345 オファー日2012-11-03(土) 21:16

オファーPC ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人

<ノベル>

 一年ぶりのターミナルは様変わりしていた。とはいえ道が変わるわけもなく、ヌマブチは黙々と目的地へ向かう。ヌマブチの足音は変質していた。軍靴の底はすり減り、厚めの踵の骨が露出しかけている。
 もっと大きな変化は左腕だろう。左の袖は空になり、ぶらぶらと宙を彷徨っている。
 無言のままチェンバーの入り口をくぐった。
 崩れかけた長屋の周囲で重機と人々が蠢いている。中心で働くのは和装に襷をかけた婦人だ。
 菖蒲殿、と呼ぶ前に婦人が振り返った。
「……ヌマブチさん?」
 鬢に憔悴を浮かべた婦人は呆けたように口を開けている。彼女はヌマブチを罵るだろうか。それとも、平手打ちの一つでも見舞う気か。しかしヌマブチの紅眼は凍りついたままだ。何をされても受け止めるなどとうそぶくようなロマンチストではない。
「お帰りなさい」
 婦人の口唇が複雑な形に綻び、ヌマブチの眉がぴくりと動いた。
「お腹空いてない? 中、散らかってるけど」
 踵を返す婦人の姿が母と重なる。
『お帰り。お腹減ったでしょ』
 女性は相手の空腹を気にかけるものなのだろうか。

 長屋の前を通り過ぎ、婦人の自宅へと招き入れられる。埃っぽい空気の匂いを嗅いでいると婦人が鍋を運んできた。蓋を取った途端、濃密な湯気が立ち上る。鍋の底に横たわるのは蒸気より白い粥だ。既視感が湧き、静かに目を逸らした。
「お嫌い?」
「……いえ」
 椀を取るためについ左肩を前に出してしまう。しかしすぐに右手で茶碗を持ち、啜った。離乳食のように柔らかな粥はするすると口内へ流れ込んでくる。
「おかわりは?」
 明日は晴れるかしらと言うような調子で婦人が問うた。
「もう充分であります」
 ヌマブチはことりと椀を置く。思い出したように新香に箸をつけ、機械的に咀嚼する。空になった食器を婦人が下げた。
 屋外では重機の咆哮が続いている。婦人が食器を洗い始め、かちゃかちゃという音が聞こえてきた。囁きに等しいその気配は、重機が立てる地響きを超えてヌマブチの耳朶を打つのだった。
「雨、止めてもらったのよ」
 前掛けで手を拭きながら婦人が戻ってくる。何のことかとヌマブチは考え、やや遅れて得心した。天井にぽつぽつと穴が開いている。
「復旧する間だけ、ね。雨漏りしたら大変でしょう」
 畳や床にもまだらに陽が差していた。
 婦人と向かい合ったまま会話が途絶える。
 重機の震動。作業夫の掛け声。現在という名の日常がゆるゆると流れていく。
 日常。戦場からは最も遠い場所。軍人たるヌマブチは何故ここに帰って来たのだろう。仮宿とはいえ住処だからか。それとも婦人に会わねばならぬと考えたか。住処を提供してもらった恩があるから?
 恩か、と胸の内で呟く。随分人間臭いことを言う、と。
 婦人の鬢のほつれにもさして感慨は湧かぬのに。
「生きていたのね」
 噛み締めるように婦人が呟く。ヌマブチは軽く唇を引き結んだ。
「菖蒲殿こそ御無事で」
 世間話として言葉を選ぶ。馴染みの相手との雑談を拒むほど無愛想でもない。婦人は「どうにかね」と頬を緩めて立ち上がった。
「ヌマブチさんのお部屋は壊れちゃったんだけど」
 ヌマブチは黙って後に続いた。
 長屋の外壁は半分ほど崩れ、家という私的な空間が節操なく露出していた。誰の住処なのか、ひっくり返ったちゃぶ台や座椅子が覗いている。ヌマブチの部屋も似たような有様で、壁はごっそり失われ、畳には巨大な鉤裂きが出来ていた。倒れた箪笥の引き出しからは衣類がはみ出している。
「まだ手を付けていないの。もう少ししたら――」
「心遣いは無用であります」
 ヌマブチは右腕一本で箪笥を起こし、はらわたのようにはみ出た衣類を押し込んだ。
「でも、そのお体じゃ」
「確かにこのザマでありますが」
 軍帽の庇で目許を隠す。
「己の部屋くらい己で片付けねば」
 乾いた目尻は小皺でひび割れていた。

 半開きの障子が小刻みにわなないている。障子も窓も歪んでしまい、開け放すことも閉め切ることもかなわない。穴だらけの障子紙を一瞥し、ヌマブチは軍用の手袋をはめた。
 起こした箪笥を壁際に押し付け、倒れた戸棚や冷蔵庫を元に戻す。棚にも冷蔵庫にもさほど物はないが、さすがに食品は惨憺たる有様だった。覚えのないタッパーにも腐敗物が詰まっている。爛れた形状から察するに、芋の煮物らしい。
 留守の間に婦人が入れておいてくれたのだろうか。何にしろ処分するほかない。戸棚からゴミ袋を探り当て、かつて煮物だった塊を放り込んだ。
 この煮物にしろ部屋にしろよく残っていたものである。ヌマブチが大家であればさっさと掃除をして他の人間に貸していただろう。婦人はヌマブチを待っていたのだろうか。否、ただ見放し、部屋を解約するのすら億劫に感じたのやも知れぬ。それともヌマブチではなくヌマブチの父を偲んでのことか。
 しかし婦人はヌマブチの名を呼び、お帰りと言って粥を振る舞ってくれた。
 キャタピラの轟音が鼓膜を揺さぶる。
 思考を放棄し、黙々と手を動かすことにした。飛散したガラスを拾い集め、古新聞でくるんでゴミ袋に放る。泥まみれになった座布団も共に廃棄した。馴染んできた品々を淡々と、事務的に選り分けていく。選別基準はまだ使えるかどうかのみ。愛着や情が介入する余地はない。
 障子の桟がかたかたと囁いている。重機のアームが唸る度に床が震える。
 尚もゴミを集めていると、足の下がみしりと軋んだ。畳が一部剥がれ、床板が剥き出しになっている。足を引っ込めたヌマブチはわずかに目を見開いた。
 床板の隙間から箱のような物が見える。縦長のそれは文箱か何かに見えた。
 ここはかつて父が住んでいた部屋だ。
 床板を外し、床下の暗がりから文箱をすくい上げた。赤と黒の漆で塗られた箱は紐できつく縛られ、土埃をかぶっている。手袋をはめたまま埃を打ち払い、紐に手をかけた。しかし結び目はあまりに固く、やむを得ず手袋を外す。無防備な素手をひんやりとした空気が撫でていく。
 擦り減った爪を紐に食い込ませ、ようやく封が解けた。
 乾いた香り。何かと思う間もなく中身が溢れ出す。紙の束だった。硬質な手蹟で、ヌマブチとヌマブチの母の名が表書きされている。
 几帳面に折り畳まれた便箋には父の言葉が満ちていた。
『そちらは夏だろうか、冬だろうか。こちらにいると季節感が希薄になってしまう』
『寒くなったら私の半纏をほどいて誠司に仕立て直してやってくれ。いずれ私の丈を追い越すのだろうが』
『あの子は寒がりだから。帰ったら共に柚子湯に浸かりたい』
 己は寒がりだったろうかとヌマブチは考える。幼少時のことゆえ記憶にないだけなのか。
『苦労ばかりかける』
『待っていて欲しいなどとは言えぬ。お前はお前の道を生きてほしい』
 これは母に向けた言葉だろう。
『来年こそは帰る』
 毎回同じ結びで手紙は続く。一年に一通、ヌマブチの誕生日であろう日付と共にしたためらている。
『またこうやって文を書くはめになった』
『皆、変わりはないか。息災でさえあればそれで良い』
 ヌマブチが十五歳になり、十六歳を過ぎても手紙の熱は冷めない。
『文はこれで止めにする。あの子も二十歳だ、さぞ立派になったろう』
 最後の手紙はやけに簡潔だった。
『法が変わっていないのなら徴兵される歳だ。あの子は戦場に行くだろうか。私のように兵となるのだろうか』
『いかなる道を選ぼうとあの子の人生だ。しかし、どうか』
 筆跡が乱れ、震えている。
『死ぬな』
 ヌマブチの紅眼は――色合いの激しさとは対照的に――身じろぎすらしない。
『愚かな父の願いだ。生きろ、誠司。生きてくれ』
 手紙はそこで途絶えていた。
 ヌマブチはただ考える。
 父はどんな思いで手紙を書き続けたのだろう。燃やすでも棄てるでもなく隠しておいたのは思いを持て余していたからか。叶えることも断ち切ることもおおっぴらにすることもできぬままくすぶり続けていたのだろうか。
 しかし父は死んだ。願い叶わず落命する際の心情を推し量ることはできない。
「おおーい、こっちだ……」
「違う違う、逆……」
 屋外では瓦礫をどけるための掛け声が飛び交っている。
 ヌマブチはかさかさと音を立てながら便箋を畳んだ。元通りに箱に収め、蓋をして軽く紐で縛る。そして再び手袋をはめた。軍服と揃いのそれは、武骨な素手を呑み込んでぎちぎちと軋んだ。
 父の遺品を前にしてもヌマブチの心は揺れない。ヌマブチの前には現実しかない。センチな過去から何かを見出すには歳を取り過ぎ、父との関係も希薄すぎた。
 何より、揺れるだけの情など最早残っていない。
 重機が地響きを立て続けている。紅のまなこは凍りついたままだ。目尻の皺だけがさざなみのように蠢き、胸がひょうひょうと音を立てる。がらんどうの洞を吹き抜ける風のように聞こえて、ひんやりとした欠落を締め上げるように己の胸を掴んだ。胸も手袋も軋みながら悲鳴を上げる。しかしヌマブチは手を緩めない。ヌマブチは己に対してすら冷徹なほど客観的だ。
 父は死んだ。生きるヌマブチの前では文箱が沈黙している。生きて帰るとかつてこの部屋で誓った。父とて同じ決意を胸に文をしたため続けた筈だ。
 多くの者が生を望んでいた。ある者は喪い、ある者は生きた。
 命の意味とは何だ。
 突然、悲鳴とも怒号ともつかぬ声が耳をつんざいた。鈍い衝撃音が続く。同時に何かが飛び込んで来て、ヌマブチの横っ面をしたたかに打った。
「何やってるの!」
「き、気付かなかったんだ! 瓦礫に混じってて……」
 重機が止まり、人がわらわらと駆けて来る。上体を傾がせたヌマブチはゆっくりとこうべを巡らせた。傍の障子が吹っ飛ばされ、足元には黒ずんだ丸太が転がっている。
 丸太ではなかった。損傷して腐敗した死体だった。
「だ、大丈夫ですか……?」
 駆け付けた人員はヌマブチの前で立ち竦む。死体の直撃を受けたヌマブチの頬がべっとりと汚れているのだ。ヌマブチは機械的なしぐさで頬を拭った。
「引き取りを待てる状態ではない。このまま埋葬を」
 目の前の死を見下ろし、素早く下知する。
「墓穴を掘っていただきたい。某はこのザマ故」
 そして右腕一本で丁重に抱き上げた。

 埋葬の準備は滞りなく行われた。
 ヌマブチの足元に穴が掘られていく。暗く深い、化け物の口のような墓穴だ。感慨は湧かない。戦場に死者は付き物だし、自分が手を下したこととてあった。
 暗く湿った土の中に死体が下ろされる。
 いずれヌマブチもこうやって埋められる。
「黙祷」
 誰にともなく呟き、堂に入ったしぐさでこうべを垂れた。傍目には死者を悼んでいるように見えただろう。
 深意などない、単なる作法だ。
 せめて礼は尽くさねばならぬ。人として。欠けている情を補うために。
 
 埋葬さえ完了すれば長居をする理由はない。ヌマブチは速やかに長屋に戻って片付けを再開した。死体の直撃を受けた文箱は床下に転がり落ち、横倒しになって手紙をぶちまけている。
 拾おうと屈んだ時、ぱたぱたと足音が近付いて来た。
「ヌマブチさん」
 婦人だ。
「大丈夫だった? 人から、死体が――」
 振り返ったヌマブチの前で婦人はぶつりと言葉を切る。ヌマブチの頬の汚れと、墓穴のように口を開けた床下を交互に見比べている。
「……何があったの?」
 何かあったのではなく何があったのときた。これが女性の勘というものなのか。
「大事ないであります」
 ヌマブチは軍帽のつばを引いて背を向けた。
「畳が剥がれていたので。穴を埋めませんと」
 はらわたのようにはみ出した文に畳で蓋をする。文箱も手紙も暗がりで塗り潰され、見えなくなった。今はこうしておくほかない。

(了)

クリエイターコメントありがとうございました。ノベルをお届けいたします。

人が己の生を考えるのは誰かの死に触れた時だと言います。スタンドバイミーしかり、リバーズエッジしかり。卑近な例だと近しい人のお葬式でしょうかね。
それはともかく、お帰りなさいです。

楽しんでいただければ幸いです。
ご発注、ありがとうございました。
公開日時2012-11-29(木) 21:10

 

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