曰く、その館には永遠の命を与える『宝石』があるのだという。 曰く、その館の近隣では見目麗しい男女が次々と行方不明になっているのだという。 曰く、その館にはけっして姿を見せない正体不明の権力者が住んでいるのだという。 曰く―― * * 「なぁんで、こんなところで鉢合わせちゃうんですかね?」 大食堂から舞踏室を経て、再びエントランスへと戻ってきた深山馨は、三雲文乃とともに思いがけない出会いを果たす。 蝋燭が揺れるシャンデリアの下で、仲津トオルは溜息混じりに肩を竦めていた。 「不思議な縁と言うべきなのだろうね」 深山は、穏やかな笑みの中に深い思案を滲ませながら、トオルを、そしてこの館内部を眺めていく。 肌を粟立てるほどに冷えた石造りの屋敷には、極端に窓が少なく、厚いガラスで隔てられているせいか外の光がこのエントランスホールに届く様子もない。 「この場所に惹かれたとなれば、厄介事ではあるのだろうけれど」 「目的とか、聞いちゃっても? ほら、情報交換って大事じゃないです?」 「手を組もうということかね?」 「……」 けれど文乃は、何も言わずに彼から顔を逸らし、トオルの脇をすり抜けるようにしてエントランスから伸びる螺旋階段を無言で昇っていく。 つい先程までこの館内で見た美術品の数々について自分と深く穏やかに語り合っていた彼女はもういない。 同じ空間にいること自体が不快だとでも言いたげな棘のある空気が周囲を覆っていた。 「あー、やっぱダメですか」 嫌われてるわぁと苦笑する彼へ、深山は自分の得た情報をさらりと提示する。 「彼女はどうやらこの島に眠る曰く付きの《宝石》に用があるらしい。目当てが違えば、探すところも自ずと変わってくるのではないかね?」 「へえ、曰わく付きのお宝」 「永遠を約束する石らしいのだが……しかし、君の目的は違うようだ。君の視線はモノの隠し場所を探る目じゃない。この館そのものに興味があるようにも見えないが」 「そういう深山さんはアレですね、人捜しの目をしてますねぇ」 互いに互いの行動の意図を探り、そして笑みを交しあう。 「私は行方不明者の捜索なのだよ。この島を訪れた男女はけして帰ってくることがない、という話でね……しかし、その痕跡は今のところ見つけられずにいるのだが」 「ほうほう! えとですね、ボクは数十年姿を見せない館の主人の正体をですね、探りに来ました。なんかこの島、いい感じに使いたいお偉方がいるようで、まあ、交渉材料を探しに?」 しかし、迷宮のごとく入り組んだこの館は3人を引き合わせはしたが、目当てのモノには容易に辿り着かせてはくれないらしい。 「何かあればトラベラーズノートで。彼女もきっと答えてくれるだろうから」 「はあ……それじゃまあ、よろしくしてやってください」 謎があれば解かずにはいられない―性分というのは、そうやすやすとは抑えられない代物だ。 もう一度肩を竦めて、螺旋階段を登りはじめたトオルの背を見送り、深山もまた、探索を再開した。 * 『……本当に永遠を望まれるのでございますか?』 * 文乃は、しんと静まりかえった石造りの館内を歩き続ける。 階段の手すりはもとより、天井の梁や大広間から食堂へとつづく通路に施された彫刻はどれも繊細で、掲げられた絵画もまた興味深い作品ばかりだった。 ただし、それらは所々が罅割れ、修復されずにあるために純然たる賛美を思い止まらせる。 蝋燭が灯り、誰かがいることをほのめかすのに、まるで長く閉ざされた廃墟であるかのようにあらゆるものが死に絶えたかのごとき空気が満ちている。 ここにあるのは《停滞》であり、ゆるりとした歪みだ。 それはまるでロストナンバーのように。 「……」 客室に使われていたとおぼしき部屋から別の扉を経て廊下へ出てみると、それまでの風景画から絵画の内容が切り替わった。 亜麻色の髪の少女の誕生から、年を経るごとに祝っているのだろうパーティの様子が連作として緻密に描かれている。 少女の絵画は全部で7つ。 その絵の終わりに、別の扉が口を開いていた。 「ロングギャラリー……ですのね」 魅せる場所を意識した、数十メートルを誇る縦長の空間には、壁と天井、柱への装飾はもとより、贅を凝らした彫刻や絵画、宝石をあしらった美術品の数々があふれていた。 どれも百年ではきかないだろう年代物ばかりと見える。 惜しむらくは、その美術品たちのほとんどが長い年月のうちに蓄積した埃を始めとする汚れでくすみ、本来の輝きを失っていると言うことだろう。 その中で目を引くのがセイレーンの彫像だった。 ところどころに汚れの目立つ青銅や真鍮、大理石、様々な材質で作られた人魚たちが、一様に何かを見つめている。 瞳に嵌め込まれたルビーやサファイヤを思わせる宝玉の視線が注がれる先に何があるのか、追いかけたいという衝動に駆られ、文乃はそっと足を踏み出し、手を伸ばす。 途端―― 「……失礼ですが、どなた様でしょう?」 それまで誰もいなかったはずのギャラリーに、忽然と1人の老執事が姿を現した。 「お客様をお招きするというお話は伺っておりませんが」 「わたくし、古美術商をしておりますの。鑑定を依頼されている品があると聞き及んで参りましたのにどなたも迎えに来られないので不思議に思い、探させていただきましたわ」 「鑑定?」 「ええ。奇譚郷と、そう告げれば分かるはずだと。これが紹介状ですわ」 けっして整っているとは言えない、むしろ醜悪と呼ぶにふさわしい長身の老執事は、文乃が差し出した封筒を受け、封蝋の紋章と名を改めた。 「こちらの主人に会わせていただけますかしら?」 「……」 しばらく無言で封筒を見つめていた男は、やがて、 「大変失礼致しました」 恭しく頭を垂れ、そして、無表情のままに言葉を続けた。 「申し訳ございません。ご主人様は現在、重い病で人前に出ることが難しいのでございます」 「では、わたくしに帰れと?」 「……確認して参りますゆえ、お待ちいただけますでしょうか」 「分かりましたわ。……けれど、わたくし、あまり長くは待てませんの」 優雅にそれだけ告げて、執事を送り出す。 もちろん、自分に彼を待つつもりなど毛頭ない。 相手が消えたのを確認し、文乃は人魚の像たちが見つめる先――波をモチーフとした装飾で埋め尽くされた鏡台へと歩み寄った。 * すべてを取り戻そう……すべての望みは、このセイレーンが叶えてくれるのだ。 * 「なんですか、これは」 トオルは思わず、目の前の光景に声を上げた。 階段があるから昇った、ただそれだけなのだが、階段とは大概どこかと繋がっているものであり、上と下を繋げるものであり、つまりは『螺旋階段の終着点がのっぺりとした壁にして天井』という展開は想定されていない。 扉もなければ、踊り場もなく、廊下もなく、壁から直接階段が生え、ここまで来たトオルの努力すべてを無駄にする徹底した拒絶だ。 これで一体何度目なのか数える気力も失いながら、トオルは来た道を引き返す。 「あなたは、だあれ?」 不意に声がした。 弾かれたように振り返れば、そこにはビスクドールもかくやと思える白い少女が佇んでいた。 「あなたはだあれ? お客様?」 彼女がことりと小さく首を傾げれば、真っ白な髪が真っ白なドレスの背を流れて揺れる。 「どもども、お邪魔してますー」 反射的に笑顔を作り、トオルは少女の前に膝を折って、目線を合わせた。 この島とこの館を管理する人間はいるとは思っていたが、こんな小さな子供が住んでいるなど聞いていない。――が、ここで悲鳴を上げられては差し障りがあるのも事実なのだ。 「ボクはですねぇ、トールちゃんと言います。迷子です。それで困ってるんですけど、キミ、助けてくれます?」 「あたしにできること?」 「キミにしかできないコトです。ボクをですね、ナイショでキミのパパさんのお部屋に連れてってほしいんですけど。できれば、本がたくさん置いてあるお部屋がいいなぁと思います」 できる限り哀れっぽく懇願してみれば、彼女は無垢な瞳を瞬かせ、そうしてこくりと小さく頷きを返してくれた。 「あたしについてきて、トールちゃん」 幼い少女の歩みに迷いはない。 そんな彼女の後に付き従いながら、ふとトオルは周囲を見回し、気づく。 壁に掲げられたいくつものタペストリー、それらの多くが人魚をモチーフとしていた。童話のような幻想性はない、獰猛な海魔たちを何故好きこのんで蒐集しているのか分からない。 「……なんで人魚?」 「パパはセイレーンが好きなの。しってる? セイレーンはね、永遠を約束してくれるのよ」 「はあ……永遠、ですかぁ」 「トールちゃんは、永遠がほしい?」 「いや、あんまり興味ない。キミはほしい?」 「分からないわ。でもパパもママも、それからセバンも、永遠を探しているの。あたしのためなんですって」 この館の主はどうやらセイレーンにご執心らしい――しかし、トオルの中でセイレーンや人魚といえば、不穏な伝説ばかりが思い起こされる。 「パパさんには会えないのですかね?」 さしたる期待もせずに何気なく問いかけたのだが、彼女は思いのほか深刻な表情でトオルを見上げ、人差し指をそっと自分の唇に押し当てた。 「あのね、パパもママもいまはだれともお話しができないの。ナイショよ?」 「ナイショ?」 「時々あたしと遊んでくれるわ。でも、すぐに具合を悪くして、動かなくなってしまうのよ」 「はあ、動かなく……」 少女の言葉を小さく繰り返しながら、何とも言えない薄ら寒さにそっと腕をさすった。 依然、この館の空気は死んでいる。 これほどの屋敷ならば使用人の数も膨大な数に上るはずだ。せわしなく、どこかで誰かが動いていなければ成り立たない。 なのに、少女だけがふわふわと自分の前を歩いている。 彼女は本当に、この世界のモノなのだろうか――そんな漠然とした疑問が頭を過ぎった。 「これに何か意味はあるのだろうか……」 大広間を目指す深山は、歪でバラバラの階段や、無意味に折れ曲がった廊下を経、石の壁を背景に扉が並ぶ3階の廊下で、頭上を振り仰いだ。 天井と床の間、のっぺりとした壁の真ん中にポツンと扉があった。 幾度も見かけたあの不可解な扉。 少なくとも、向こう側からあの扉を開けたものは、間違いなくそのまま3メートル下の床である《ここ》まで落下する。 そして、こちらからあの扉を開けようと思えば、まずは脚立をどこかから調達せねばならないだろう。 「……カラクリ屋敷、とも言い難いかね」 継ぎ足しに継ぎ足しを重ねて、いまだ建設中としか思えない屋敷内部は、こちらの視覚情報を狂わせる。 まるで絵画のような世界だ。ソレもとびきり不条理な錯視画を思わせるこの館は、まるで何かから逃れるためのようにも、あるいは何かを閉じ込めているようにも見える。 迷宮の奥には、獲物を待つ怪物が付きものだ。 所々で壁が欠け、ガラスに罅が入り、燭台の一部が落ちているのは、その怪物が暴れ回ったからだと言えないこともない。 だとしたら、数十年という長い年月に渡って多くの人間がここで消息を絶っている――この事件の結末にハッピーエンドは期待できそうもなかった。 それに、館はひどく肌寒い。 一定の温度、一定の湿度に保たれた、この館はまるで一種の保冷庫だ。 壁伝いに延々と歩き続けていた深山の指先が、ある一点でぴたりと止まった。 「……ここは、まだ新しい」 色調のわずかな違い、微かな石同士の溝の引っかかりが、最近補修されたばかりであることを知らせてくる。 そっと、耳を押し当ててみた。 奥の奥、ほんの微か、流れる水音がする。 空洞になっているのだとしるだけではない。そこまでカオを近づけたがゆえに、見つけられた物もあった。 壁の隙間にこびりついた、どす黒いシミ。わずかなその痕跡は、おそらく血液だろう。 誰かがこの奥へと引きずり込まれたのか、あるいは逃げ込んだのか。 周囲を見回し、指でなぞる。 ガコン、と鈍い音ともに、唐突に壁の一角がへこみ、そして、すぐ傍の壁がぽっかりと、人ひとり通れるほどの大きさに口を開いた。 隠し扉だろうコレは、罠なのか、それとも純然たる秘密を内包するモノなのか。 深山はシンプルな黒コートの内側からペンライトを取り出すと、そっと闇の中へ光を差し入れた。 目を凝らし、気づく、きらりとわずかに闇の向こうで反射するもの――それが虹色に輝くパールビーズの髪留めだと判明した瞬間、ひとつの確信を得るに至る。 迷うよりも先に進まなければならない。 深山はふたりの同胞に宛ててトラベラーズノートに情報を記載し、そして石の壁の向こう側へと足を踏み入れた。 * あなたもまた、永遠には値しないのでございますね…… * 少女に案内され、トオルはようやく目当ての《書斎》に辿り着いた。 扉を押し開けば、開けた視界のそこには円柱が並び、高い天井には妖精をモチーフとした絵が描き込まれている。 等間隔に並ぶソファセットが、ここは書斎と言うよりはむしろ一家の団欒を目的とした部屋なのだと知らせてくるのだが、長く遣われていないのか、部屋に満ちた空気は暗く重く冷たかった。 もちろん、それでも書斎は書斎。壁面を埋める書架にはびっしりと本が詰まっていた。手に取れば、それらのページがすべて布製であることが見て取れる。 書架の合間に設えられた暖炉の上には、巨大な肖像画が掲げられていた。若い男女、そしていま隣に佇む少女がそこには描かれている。 「ここに描かれてるのって」 年号を見て、首を傾げる。亜麻色の髪をした絵の中の少女は、目の前の彼女を描いたモノではあり得ないのか。 だが、その問いが明確なカタチを為すより先に、どこかで大きく鐘が鳴り響いた。 「あ、いかなくちゃ」 安楽椅子に腰掛けていた少女が弾かれたように立ち上がり、ぱたぱたと扉の前へ駆けていく。 「あたし、お茶の時間なの。トールちゃんもお呼ばれする?」 「いえいえ、おかまいなくー。あ、また迷子になった時は助けてくださいね?」 「うん」 彼女は頷き、そして踵を返すと、扉の向こう側への消えてしまった。 「……それにしても」 彼女を見送ったのち、トオルはトラベラーズノートに浮かぶ文字をちらりと確認し、改めて書斎内を見回してみる。 指で、そっとドアノブ、机、椅子、書棚の縁、そして本たちの背表紙を順になぞっていく。 「ふうん……」 錬金術を始めとする魔術書の類い、死者蘇生の方法、さらには海魔にまつわる伝記がずらりと並ぶ所など明らかにオカルト趣味だ。 中には、迷宮への考察や建築関連の書籍まで見受けられる。 「あ」 一冊だけ妙に分厚く浮いていると感じたが、手に取った瞬間、トオルは軽く後悔する。 引っ張りだしたトオルの指にぴたりと収まる赤黒いシミの正体に、うんざりとした溜息を落とす。 途端。 ガコン―と、この部屋のどこかで何かが動き、開く音がした。 * さあ、お嬢様。鐘が鳴ったら、この部屋でのティータイムといたしましょう。 レディなのですから、席を立ってはなりませんよ? * 文乃の靴音が、闇色に染まる石の通路に反響する。 地下へと下りていく階段は館内の装飾されたモノとはまるで違う。実用性のみを追求し狭い螺旋だ。 肌を刺すような冷気が、ひたひたと足下から忍び寄ってくる。 「……どれほどの仕掛けがここには存在しているのでしょう……」 かつて数百万という死者の呪いを躱すために複雑怪奇な増築を繰り返したものが壱番世界にはいたが、ここもやはり似たようなモノなのだろうか。 無秩序で奇怪な造形は、呪いを避けるために意図されているのか。 時折、鼻先を錆びたニオイが掠める。長年に渡って染みついた独特のニオイに混ざるのは、潮の生臭さだろうか。 水音が遠く近くこだまする。 そして―― 方向感覚を完全に失いながらもようやく終着点へと降り立った文乃は、そこに先客の影を目視する。 「何でまた鉢合わせちゃうんですかねー?」 「どうやら、館の隠し通路はすべて、この場所へ繋がっているようだね」 深山とトオルが、文乃を迎えた。 「……またこうしてお会いすることになるとは思いませんでしたわ……」 ぴちゃん、と音がする。 耳を打つ、微かな水音。 どこからともなく届くその音に導かれ、彼らは再び集うのだ。 「さて、ここから先に続く扉はどうやらひとつきり。水の音も、このニオイも、ずっとあそこから漂っているのだけれどね」 「……参りましょう」 「あー……あー、やっぱ行きます? いきますよねぇ」 表に見える場所に探すモノはなく、代わりに隠されたモノによってここへと導かれた。 だとしたら、目指さなければ始まらず、終わらないのだと文乃たちは悟っている。 「では開けるとしよう」 深山が、方々から延びた通路の先に立ったひとつぞんざいする鈍色の扉へと手を掛けた。 「……これは」 煌びやかな光が、暗色になれた目を貫いた。 痛みの刺激に思わず目を閉ざし、そうしてゆっくりと瞬きを繰り返しながら光に慣れさせていくと、今度はその異様な光景に目を見張る。 使用人の部屋ではあり得ない。 厨房でもリネン庫でも洗濯室でもなく、そこに広がるのは、円柱に丸天井が支えられた豪奢なサルーンであり、同時に人形の博物館とも言えた。 ドレスや礼服をまとった等身大の人形たちが、ある者はテーブルに着き、ある者は安楽椅子に座り、ある物は手にティーカップを持って佇み、ある物は書物を手にし、ある一定の物語性を持って配置されている。 あの階段の先にこのような展示室が隠されているなど、誰が想像するだろうか。 「なんか、やばい感じがするんですけど?」 生理的な嫌悪が全身をざぁっとなぶっていく。 両腕をさすりながら、トオルは深山と文乃を振り返る。 文乃は躊躇うことなく時も動き求めた人形へと手を伸ばし、その指先で己の感覚が正しいのかを確認すべく、その肌にそっと触れ、確かめた。 そして、確信する。 「……これは人形ではありませんわ……これは……」 人間の、剥製―― 「ようこそ、セイレーンの間へ」 彼女が明確なる答えを口にするより先に、うっそりとした声が、闇の中から響いてきた。 剥製の向こう側に掛けられたカーテン、それがするりとふたつに分かれると、宝石箱を抱いた老執事が3人の背後から姿を表す。 「皆様もやはり、この《永遠》を試しにいらしたのでしょうか?」 執事の手には、ベルベットに包まれた丸いガラスケースの中で揺らめく赤の色彩があった。石のように見せかけたその液体は、ひどく禍々しい輝きで見るモノを魅了する。 「約束をしていただけるのならば、どうぞ、永遠を手になさってくださいませ」 「約束というのは?」 あえて深山が問う。 「お嬢様はまだ7つでございます。ご両親が必要なのです。私の時間も多くは残されてはおりません。ですから、お嬢様のおそばにいてくださる方を見つければならないのです」 「あー、つまり彼女のパパとママになってほしい、的な? でも剥製になっちゃったらダメじゃないです?」 あえておどけて告げたトオルに、執事は無感情な視線を送る。 「彼らは、お嬢様と同じ時と過ごす資格を得られませんでした。それ故、このような姿となって過ごしていただいているのでございます」 3人が3人ともに、ほぼ同時に真相へと至っていた。 「あー、人魚の肉を食べたら不老不死になれる、でも毒に耐えられないとバケモノになって狂い死ぬ……なぁんて話があったりしてたんですけどねぇ」 数多の隠し通路はすべて怪物から逃れるための避難経路だというのなら、そして我を忘れた怪物が自滅するのを誘うモノなのだとしたら。 「この歪な建築は、毒に耐えきれずに狂った者たちから逃れるためのものなのかね?」 「左様でございます……旦那様は《セイレーンの血》を入手するに辺り、いくつもの対策を講じておられました」 深山が見た館の至る所に飛び散っていた血の跡はおそらく、狂乱ののちに拭われたモノだ。 数十年、主が姿を現せないのも仕方がない。 当主はとっくの昔に、海魔の肉を喰らい、その毒性に絶えきれず、数多の使用人たちを道連れにしてこの世を去っていたのだ。 ふと、文乃は思い出す。 自分が見た、7つの連作とも取れた白い少女の肖像画。7つで途切れてしまっている肖像画。 あそこには、サインがあった。画家のサイン、そしておそらくその絵が完成した年だろう、数字の羅列が。 それはもう、70年以上も前の―― 「彼女には既に、永遠があたえられているのかしら?」 「お嬢様の時間は止まったままでございます。それ以上でもそれ以下でもございません」 それが自分の使命だと、無表情ながらも彼は告げる。 「あなたはそれを試されたのかしら?」 「……この姿になって尚、時は止まりませんでした」 その瞬間だけ、彼の瞳に深い哀しみが揺らぐ。 「さあ、どうされますか?」 彼は問う。 ふと、老執事の命が尽きた時、たった独りで冷たい館に取り残される少女の姿が目の前に浮かんだ。 少女の淋しさを埋めるためだけに流されていく血液。 永遠の命を授ける宝石は、所詮は海魔の血を瓶に詰めた美しいガラスだ。 行方不明となった男女はもう元には戻れない。 姿の見えない当主は、とおの昔に幼い少女へと代替わりしてしまった。 噂がヒトを呼び寄せる――だが《真実》は、ひとたび外へ漏れ出れば、少女の安寧を奪うことにもなるだろう。 文乃が欲しているのはこの館の破滅ではなく、執事が手にしているモノだけだ。 では、どうするのか。 「セバン、どこにいるの、セバン!」 不意に、少女の声が聞こえる。 至る所に張り巡らされた水を通す管が、館のどこかにいる彼女の声をここまで届けたらしい。 わずかな沈黙の後、文乃と深山に視線を送ったトオルがそっと口を開いた。 「あのですね、話すとややこしくなるんで省きますけど……ボクらが来ますんで、もうここらで誰かの血を流すのはやめにしません?」 * * 後日。 満月の夜には決まって、セイレーンが集う孤島の館で時の止まった者たちによる茶会が開催されているのだという噂が囁かれることになるのだが、それはまた別のお話。 END
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