「おや、これはめずらしいですね」 ヴァン・A・ルルーは黒い瞳を瞬かせ、来訪者たちを見やる。 ずらりと並んでいるのは年齢も身長もバラバラな六人――榊原薊に山之内アステ、枕を抱いた早瀬桂也乃、深山馨、伊原、そしてモルティ・ゼグレインだ。「突然すみません……あの、実は僕たち、ルルーさんにおねがいごとがありまして……」 上目遣いに申し訳なさそうに、話を切り出すのは薊だ。「あのさ、《探偵双六》ってヤツの話を聞いたんだー」 モルティが、もっふりとしたしっぽをパタパタさせながらルルーを見る。「探偵の肩書きを持つ身として、ぼくも一度はしておかなくちゃと思ってるんです」 アステが大きな瞳を輝かせながらソレに続き、「ソルベナでのイベントも楽しませてもらいましたし、同じような体験ができればと」 伊原はふんわりのんびりと告げる。「……俺は……あれ、なんで来たんだっけ……?」 ふわあ…っと大きく欠伸をして、早瀬は愛する恋人《枕子さん》を抱き直して、ウトウトとし始める。「私も噂には聞いていてね。試してみたいと思っていたところで同志が集まったというワケなんだ」 深山がモノクルの奥の瞳を細めて軽く微笑み、言葉を添える。「いいかな?」 ルルーは改めて順に来訪者たちを見やってから、「ええ、もちろん。探偵双六は人数が多い方が愉しいゲームですしね」 ふふ…っと意味深な笑みをこぼして、書棚と書棚とキャビネットと書棚の間から、赤いゲーム盤を取り出した。 クローズド・サークル――吹雪の山荘、絶海の孤島、航海中の豪華客船、そんな限局された場所で起きるのは凄惨な殺人事件だ。 目の前に再現された光景の中、参加者は『探偵役』になりきり《推理》を展開、謎を解きあかす。 しかし。 物語のはすべて《ダイス》に委ねられている。 運命はいかなる紡ぎを見せるのか、ソレは神のみぞ知る―― * 周囲の景色を映し込み、陽の光を受けて鏡のような硬質な輝きを放つ湖は、その昔、彼岸と此岸をつなぐ役割を果たしていたという。 それが真実であるかどうかを知る術はない。 ただ数十年に一度、この湖には一体どんな地殻変動のたまものなのか、湖底に沈んでいる《島》が中央に浮かび上がるのだ。 島の至る所に建てられた無数の鳥居とともに姿を現すその光景を目にすれば、誰もが《島の言い伝え》を信じる気になるだろう。 例えそれが、この地へはじめて訪れたものであろうとも。「第三と第四の洞窟で祭事の準備が始まるというのに……朔矢はどうした?」 いらつくように、佐神現当主が周囲の者たちに声を掛けていく。「時間は守れとあれほど言って聞かせていたのに。アレを見なかったか?」「朔矢さんですか? そういえば……」「お兄様の姿を朝から見ていないような?」 湖の浮島と集落との渡し船による行き来、そして島内の洞窟への参拝には《案内役》佐神家の同行がなければままならない。 8つある洞窟のどこを行けばどこに辿り着けるのか、把握できているのはその一族だけだ。 故に佐神家は当主の他に、長男朔矢と長女桜花がやってきている。 しかし、今日になって長男が島内のどこにも見当たらなくなっていた。 洞窟へ誰かを案内しているのかとも思っていたが、どうやらその気配もない。「朔矢!」「お兄様!」 その事実に気づいたが最後、何かに追い立てられるようにして当主と妹は島の人々ともに捜索を開始する――そのとき、突然湖の畔から悲鳴が上がった。 思わず、誰もが声のした方へと駆け寄っていく。 もしや朔矢の身に何か起きたのではないか――そんな不安と焦燥に駆り立てながら駆けつけ、瞬く間にできた人垣を掻き分けながら進み。 必死になって前へ前へと進んだ後――目にしたのは、蒼白の肌に白無垢をまとった美しい女性の、生命活動を永久に止めてしまった姿だった。 桜花の悲鳴が高く短くあがる。「……祥子さま……っ!」 ソレを皮切りに、ソレまで辛うじて持ちこたえていた人々もまた、悲痛めいた、そして恐れを滲ませた呻きと呟きを次々とこぼし落としていく。「八神の祥子さまが、なぜ……」「なぜ」「どうしてこのような場所に……」 戦き、怯え、疑問と不安の言葉が入り乱れていく。 八神祥子――島の神事を執り行う一族の末娘だった彼女は1年前、朔矢との祝言が決まった夜に忽然と姿を消した。 集落の外へなど行けるはずもなく、ならばどこへ消えたというのか、神隠しが起きたのではないかと噂され、遂には口にすることすら憚られるようになった末の――この光景だ。「祟りか? 祟りなのか……?」 ざわざわと不吉な波紋が人々の間に広がっていく。「おい、誰か八神の旦那様を呼んでこい!」 なんとか《現実》へと意識を引き戻すように、誰かが叫ぶ。 そして、賽は投げられた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>榊原 薊(ctmc8462)山之内 アステ(cvys4605)早瀬 桂也乃(cfvt3650)深山 馨(cfhh2316)伊原(cvfz5703)モルティ・ゼグレイン(cwrh9914)=========
白無垢をまとった彼女の亡骸は、八神当主の到着を待って、佐神桜花の案内のもと、村人たちの手により洞窟の奥にある《祀》へと運ばれた。 石を切り出した祭壇には細緻な波紋のレリーフが刻まれており、何処からか射し込む光によって表面を水の反射が揺らめいている。 そうして八神祥子は、あたかもはじめからそこに在ることを定められていたかの如く、厳粛な空気をまとい、横たえられた。 ◆家族から証言を得る 「……祥子は……妹は、もうこの世にはいないんだね」 薊は、祥子の冷たい頬へそっと指先を触れさせる。 「これで、僕の八神での居場所は完全になくなってしまった」 眠っているだけのように見えるのに、彼女はもう生きていない。 そして、濡れた髪をそっと払えば、完璧なまでに美しい造形である彼女の首筋には痛々しいほどに鮮明な扼殺の痕が見て取れた―― 「祥子、君の身に一体なにが起きたんだい?」 「薊さま」 桜花の潤んだ双眸が自分を見上げる。 彼女が自分に向けるのは、幼い頃から何ひとつ変わらない、いやあの頃よりなお強い熱を帯びて縋る眼差しだ。 「八神のおじさまや蓮さまは大事なときに連絡が付かないと怒ってらしたけれど、桜花はきっと薊さまは帰ってきてくださると信じていました」 「でも、間に合わなかったよ。……父さんと蓮兄さんは?」 「父の案内で別の洞窟へ。お兄様の捜索に加わってくださっています。なので、私がここで祥子さまをお守りすることになりました」 「そうか」 一度だけ頷き、薊はやんわりと哀しげな笑みを浮かべる。 「祥子にとっても君にとっても、そして朔矢にとっても、この祭事がはじめて《役割》を果たせる機会だったのにね」 「いえ……」 彼女はそっと首を横に振った。 「桜花は、望んでいませんでした……今日が来るのが怖かった」 「桜花……」 「まさか、こんな結果が待っているとはねぇ……」 「伊原さん」 結納品として箪笥を所望されたのをキッカケに、家具職人として一年前から八神と関わりを持つようになったという伊原は、ただ静かに横たえられた彼女を見つめていた。 薊は、伊原を知らない。 希有な島の祭事と、婚姻の行方を気にして島を訪れたという彼の言葉にウソはないのかもしれないが、ただその瞳に揺れる光が、なにか特別なもののように感じられていた。 村人の話によれば、彼は『家具の声が聞ける』のだという。 それが、不思議と納得できてしまう空気を彼はまとっている。 「花嫁衣装なのかな、これは……桜花さん、彼女はこの恰好でいなくなったの?」 「……わ、わかりません」 「そもそも、祥子さんはどうしてこの姿なのだろう? 失踪したのが一年前、祝言の決まった夜だというのなら、この衣装をまとうのは早すぎる気がするのだけど」 彼はどこか飄々と、淡々と、言葉を紡いでいく。 「祥子さんがどんな様子だったのか、どんな状況だったのか、なにか知っていることは?」 伊原に対し、彼女は爪を噛むような仕草を見せながら、薊に身を寄せつつ、答えていく。 「祥子さまはお父様たちに呼ばれた席ではとても静かで……じっと俯いていらっしゃいました……でも、」 「でも?」 「あの時、祥子さまはすべてを決めてしまわれたのかもしれません」 「……ふうん。……なら、これはやっぱり花嫁衣装なのかな? そうでないなら、この神聖な白無垢は、神に捧げられるために誂えられたと思えるのだけどねぇ」 「神に?」 「違う?」 意味深に言われ、薊も桜花とともに祭壇へ視線を向ける。 「あとねぇ……祥子さんの祝言は誰が決めたのかな?」 答えが出ないままに次へと続く伊原の問いに、桜花は戸惑うように薊を見やってから、応えを返していく。 「それは、八神と佐神の現当主が……」 「きみはそれを喜んであげたのかな?」 「お兄様と祥子さまの結婚を、ですか? ……それで、みんなが幸せになれるのなら……」 そう言って、彼女は視線を地に落とした。 「桜花?」 「おや? もしかすると、この婚姻は祝福されるものではなかった?」 「お父様と八神のおじさまの取り決めを、村の人たちは良く思っていませんでした……水神さまがお怒りになるだろうって……ソレに、祥子さまも……」 「不思議だね。父は八神の人間として規律と伝統を重んじてきた。迷信深い村の人たちを怯えさせるような真似をするとは思えないんだけど」 薊は冷たい指先で自身の唇をそっとなぞる。 「朔矢の様子はどうだったのかな? その、婚姻が決まった夜なんだけど」 「……お兄様も、特にはなにも。祥子さまと同じように静かに、ただ無言を通してらして。そういえば、いつものお兄様らしくはなかったかもしれません」 「そう」 幼い頃から佐神家の兄妹と過ごしてきた薊にとって、この一見には些かの違和感を覚えた。 朔矢は妹の桜花を溺愛しており、どちらかといえば、八神の自分や兄の蓮と仲良く過ごすのをよしとしない向きさえあった。 しかも、彼は仕切りとこの村を出たがっていたはずだ。 その彼が、いくら親の取り決めとは言え、祥子との婚姻に素直に従うとは思えない。 一旦気に入らないとなれば、とことんまで突き詰める。説明を求め、抗議し、我を押し通しもするだろう。 その彼が本当に何も言わず従ったのだろうか。 「……薊さま……お父様たちは、村の人たちが言うように、祟られるようなことをしてしまったのでしょうか? お兄様ももしかして」 怯えた子猫のように自分を見つめる桜花の頭を、薊はそっと痛ましげに撫でた。 「とにかく、朔矢を見つけないといけないね。それに、村の人たちがこれ以上祟りだと騒いで何か起きては大変だから」 「では、私も探しに行くとするよ……ああ、そうだ。ね、彼女は失踪した夜からずっと、この島にいたのかもしれないよ?」 ◆村人たちから証言を得られる 湖上に浮かぶ祭事の島には、希有な《物語》や《現象》がいくつも存在しているという。 民俗学者として日本中を旅する深山にとって、数十年に一度しか執り行われないこの島の《祭り》は強い興味の対象だった。 島全体を覆うように建てられた朱色の鳥居はなにを意味しているのか。 数十年に一度しか浮上しないというのに、不自然なほど水による腐食が進んで折らず、木々も茂っている。 なにか特別な処置が施されているのか、それとも不可解な力でも働いているのか。 深山は、以前請われて講義したことのある大学の生徒――民族学部の早瀬と共に島内を歩き続け、情報を集めていた。 「……できれば、村の方で文献を当たれたら良かった……けど……」 「ああ。祭事の期間は、一度島に入ったものは島の外に出てはいけないことになっていると言っていたね……島から出る船がないというのに驚いたよ」 ここは入ることはできても出ることが叶わない、一方通行の閉鎖空間なのだ。 「そういえば、早瀬君は何故ここへ?」 深山の問いに、ウトウトと眠り込む寸前のような重い瞼の下で、彼は呟く。 「俺も先生と同じ、です……祭りに興味があったから、ですねぇ」 そこに謎が在ると気づけば、解き明かすのが《学者の卵》のつとめだと彼は言う。 「友人がこの集落の出身で……祭りの話は彼から。自分は帰ることができないから、彼女に会ったらヨロシクと伝えてほしい、と」 「なぜ帰ることができないと?」 「……彼女の姿を見るのは辛いからだって、……叶わぬ恋だから、忘れる時間が必要だからと」 一見覇気のない青年に見えるが、その瞳には静かな決意が見て取れた。 もう彼の伝言は、未来永劫彼女に届けられることはないのだ。 「では、その友人のためにも、解決しなければならないね」 「はい」 そうして2人は、佐神家と八神家、双方の人物像を調査するにいたる。 「八神家と佐神家は代々この集落をとりまとめてきたお家ですよ」 「祥子さまは本当にお優しい方で……我々に対しても分け隔てなく接してくださる方でした」 「巫女姫様として皆にも慕われておりまして」 「八神の当主様は非常に規律に厳格でいらっしゃいます。やはり神事をとりまとめられるお家ですから信心深くていらっしゃる」 「佐神の当主様も非常に規律に厳格でございます」 「朔矢さまは少々気性の荒いところもございますが、妹の桜花さまをソレはもう可愛がってらして」 「蓮さまですか? 無口で穏やか、非常に静かな佇まいの方でして朔矢さまとはよく対照的だと言われておりまして……」 「八神のご次男である薊さまは……十年前に家を出られております。今は母君の旧姓を名乗られ、冠婚葬祭といった行事ごとの時のみお帰りになられますね」 だが、神事について、そして祟りについて問いかけると、彼らはそろって口を閉ざす。 「水神さまは、この山陰一帯をお守りくださる神様なのです」 「遠い遠い昔から、我々を八神家の巫女姫様とともに守ってくださっています」 それ以上語らずに、ただ畏怖を滲ませる彼らのために、深山は穏やかな笑みを送るに留める。 そして、 「話をありがとうございました。我々はもう少し島内を見て回りますので、もし何かありましたらまたよろしくお願い致します」 彼らは解放されたことを知り、明らかに安堵したようだった。 答えられないことを詫びながらそれぞれの持ち場に戻っていくのを見送ると、深山は早瀬を振り返る。 「ところで、ひとつ思うのだがね」 「はい」 「君は、祥子さんがいかにしてあの場所へと辿り着いたのか、考えたかな?」 島が浮上すれば、佐神の人間たちを中心に幾人も出入りしては、祭りの準備を執り行っていく。 果たして、彼らの目につかずにいられるだろうか? それに、湖に半ば浸るようにして横たわっていた姿は、演出的といえば演出的だ。 「簡単なのは、案内役となる佐神家の誰かが島に忍び込み彼女の遺体を置くことだがね」 果たしてそれを正解とできるのか。 「それでは面白くない、と思わないかね?」 「先生?」 「彼女は失踪当時に既に命を絶たれていたと考えていいだろうと思う。でなければ、あの狭い集落で誰にも見つからず生活などできないだろう?」 「かくまわれていたと考えることもできますが」 「本当に、そう思うかね? 人がひとり生活するのに、どれほど多くのつながりを必要とするだろう」 不可能ではないかもしれない。だが協力者を選ばなければ、秘密は瞬く間に公然のものとなってしまうだろう。 祟りだと怯える村人たちが、果たして祥子の失踪に見て見ぬふりなどできるだろうか。 「……先生、俺もひとつ考えていることがあるんです。ソレを確認するために洞窟へ行ってみます。朔矢さんを見つけないと」 「では、私は八神家の現当主を探して水神について聞くことにしよう。部外者にどれだけ開示してくれるかは分からないがね」 ◆死体を発見する 「事件が起きたね。しかも、全員この島から出られないんだからすごいよ」 カメラを手に、アステは、祥子が見つかった湖畔周辺をモルティとともに巡っていた。 見るモノすべてが新鮮でたまらない。 山之内と佐神の付き合いは古く、祭事をはじめ、村における出資援助はかなりの割合を占めている。 自分自身も幾度となく父に連れられて島には来ていたが、今回のような祭事は初めてだ。無数の鳥居に囲まれた景色は異様ではあるが、絵的な面白さを醸し出す。 「嬉しそうなニオイもしてくるな。さっきから声も弾んでいる」 「嬉しいよ。だって、うまく解決できたら記事にできるんだから」 にっこりと無邪気な笑顔を向けてから、再びアステは歩き出す。 多数の村人たちが無遠慮に踏み荒らしたおかげで現場保存など望むべくもなかったが、彼女の着物の裾や足下がどうだったのかだけは確認済みだ。 祥子は、驚くほどに綺麗だった。 ツクリモノのような白い肌は、おそらく『屍蝋化』したためだろう。 死後1年――そう考えると、彼女は失踪した当時に既に命が絶たれている可能性が高い。 「現場検証の次は、みんなに話を聞いてまわらなくっちゃね。祥子さんは祝言が決まった夜にいなくなってるんだから、朔矢さんとの結婚がいやだったっていうのが自然だし」 年の近い桜花になにか打ち明けていたかもしれない。 あるいは兄の蓮や離れて暮らしている薊にならば、本当の想いを告げていたかも知れない。 「聞くなら蓮さんかな。伊原さんと薊さんが桜花さんを当たっているし」 「モルティさんはどうしてこの島に来たんですか?」 小さく首を傾げて、自分よりも小さな少年へと問いかける。 「探偵として……事件解決を依頼されたからな」 目を眇め、すんっと鼻を鳴らして、モルティは周囲を見回す。 「事件? 君が祥子さんの?」 「もうひとつ別の依頼も受けている。どっちに転ぶかは、まだ分からない」 「へえ」 何十年も湖底に沈んだままの島は、浮上しても至る所に水たまりができており、時折どこかから給った水が流れ落ちる音すら聞こえてくる。 岩の窪み、木の洞、鳥居やわずかに残る朽ちた建物の隙間、そして当然足下にもソレはある。 「ここもあっちの集落みたいに洞窟が多いし、うっかり水のたまった穴にはまらないよう気をつけなくちゃね」 あはは…と軽く笑ってから、ふとアステは閃く。 「そうだ! モルティさん、祥子さんのニオイは辿れる? 彼女の詳しい足取りが追えたら犯人も分かっちゃうかも!」 「……それは、残っていない。ここにいて、運ばれていった……そのニオイしかしない」 「そうなんだ……あ、じゃあ、他に何が分かるのかな?」 「伊原と薊が洞窟、桜花とは別れた。ふたりは移動をはじめている。馨と桂也乃は山の方を歩いている。桂也乃は洞窟に入ったようだ」 「へえ、便利だね。そんなに鼻がいいんなら、殺人鬼のニオイだってすぐに分かっちゃうんじゃないの?」 試しにそんな話を振ってみれば、彼は至極当然の如く頷いて見せた。 「狩りをするヤツかどうかなら、分かるな。狩られたヤツの場所も分かるよ」 そして、つい…っと、モルティは視線を遠くに投げたかと思うと、なんの前触れもなしに唐突に湖に背を向け、細かな枝と木の幹が折り重なって道へと飛び込んでいった。 獣のような身のこなしは、行く手を遮る木々の障害を障害と思わせない。 「え、待って!」 慌ててアステも彼の後を追う。 湿った木々は妙に重く、不快感が強い。 しかし、なにかを発見できそうな予感に鼓動が速くなる。 「ねえ、なにを嗅ぎ取ったの!?」 こちらの声が聞こえていないはずはないのだが、モルティは答えない。 答えないままに突き進んでいく。 そして―― 視界の向こう、岸壁に穿たれた洞の前、普通ならそう簡単に見つかることはなさそうな場所に、ソレはあった。 「コレだ」 「あ……」 ぐっしょりと水に濡れてすでに息絶えている変わり果てた姿ではあったが、アステはそれが誰であるのかすぐに分かった。 はやる気持ちを抑えるように深呼吸をひとつ。 それから自前のカメラを構え直すと、角度を変えながら幾度もシャッターを切っていく。 「自殺だと思う?」 「ニオイがする。水でかなり消されてしまっているけど……殺したヤツに会えるかもしれない」 洞は奥へと繋がっているらしい。 「そっか、なら悪くないかも」 これから事件はどんな展開となっていくのか。そしてソレはどんなカタチで紙面を飾ることになるのだろうか。 考えるだけで、アステの足取りは軽くなる。 「話を聞くまえに、蓮さんも死んじゃったけど、まあ仕方ないか」 ◆殺人を犯す 見つめられ、見つめ返す。 「どうして……」 問われて、問い返す。 「……“どうして”?」 首を絞められる苦しさ故か、縋るように伸ばされる手はしかし、空しく空を掻く。 「どうして、祥子は……」 そして彼の言葉の続きは、水の中に泡となって永遠に消えてしまった。 ◆湖に沈めかけられる 深山は、祟り神を鎮めに行くという八神当主につき、水神の像が祀られている島の山頂へとやってきた。 そこに至るまで、相手の口から、娘の死を悼む言葉はひとつとして聞かれない。 しかし、その瞳にはなにか厳格な光が宿っていた。 「祭壇は洞窟内にあるし、神事もそこで行われるというのに、神像がここにあるとは不思議なものですね」 「水神を祀る祭壇は《8つ》ある。そのひとつがここというだけでな……祥子が今いる場所は7番目になる」 「そうでしたか」 「この湖はまるで一枚鏡のように見えるだろう? その昔は異界へ続く門として機能していたと伝わっているのだよ」 八神は目を細め、そうしてひとつの物語を聞かせてくれる。 かつてこの近隣は、『湖』に引き寄せられた魑魅魍魎たちによって壊滅状態に追いやられていたのだと言う。 厄災に苦しみ続ける人々のために、ひとりの美しい巫女が自らの命を賭して『扉』を開く儀式を行った。 湖は彼女の願いに応え、神をよこした。 その神は彼女との婚姻を条件に厄災を退け、永遠に門を閉ざす役割をも担うと約束し、この地に留まることとなった。 「この《祭事の島》は、その神が姿を変えたモノだとも言われているのだよ」 「……そして、その神事を執り行ったのが八神の家の人間だった、ということでしょうか?」 「そうだ」 「なるほど」 頷き、そして深山は手帳を広げる。 「もうひとつ、よろしいですか?」 「なにかね?」 使用人たちなどからの証言もあわせ、深山は佐神と八神の家系図をも手帳に書き上げていた。 不完全にして未完成ではあっても、そこにひとつの現象を見て取ることができる。 「……祥子という名前が、何代にも渡って続いていますね?」 「代々、神事を執り行う八神家の長女は《祥子》と名付けられる。そういう習わしとなっているのでな」 「しかし、時には女児が生まれないこともあるのでは?」 「本家で女児の誕生がなければ、その時は分家から養子を迎えることになっている。時には佐神から受けることもあるだろう」 「ふむ」 もう一度、深山は自身の手帳に目をやる。 「……ところで代々の《祥子》さんに家族はいないのでしょうか? 名前が出てこないようで気になっているんです。それに、祥子さんが女児を産めば、同じ名が何人も連なることにもなりかねないと思うのだけど」 「そんなことは起こりえないのだよ」 哀しげな、けれど言いようのない憤りをも宿した面持ちで視線を落とす。 その台詞に含まれた《毒》――不穏な因習の予感に、不快感を伴ってざわりと肌が粟立つ。 嫌悪とともに蘇るのは、忌まわしい記憶―― 「もしかしてそれは……」 だが、台詞はそこで途切れた。 途切れざるを得なかった。 八神の当主との話に意識を向け、崖の淵に立っていた深山の背を、何者かが強く押したから。 抗う術はなかった。 深山の身体がゆっくりと、崖下へと転落していった―― ◆秘密を聞く 「伊原、さん?」 祥子のいる第7の祭壇から離れ、山頂に続く第1の祠に向かう途中で、気づけば薊の前から伊原は姿を消していた。 どうやらどこかの分岐点ではぐれてしまったらしいのだが、幸い、この辺り一帯の地形はさほど複雑ではないと桜花も言っていた。 多少道を違えたとしても、島のどこかには出られるようになっているらしい。 そして、思いがけない人物と出くわすこともできるのだ。 「薊くんか」 佐神の当主が、そこにいた。 「朔矢はまだ見つからないんですね?」 「大事な祭りの時期だというのに、アレはどこで油を売ってるのか、まったく」 そう言いながらも、彼の顔色は真っ青だ。 虚勢を張ってはいるが、怯えているのは明らかだ。なにがそんなにも恐ろしいのか、なにを予感して怯えているのか。 「考えてみたら、僕はこの島のことも祭りのことも本当は何ひとつ分かっていないのかもしれません……八神の役割、祠の意味、そもそも《祭事の島》とは一体何なんですか?」 「ソレを知ることができるのは、当主となるものだけだ、薊くん」 「……」 次男の、まして村を捨てた男には問いかける権利すらないと言うことだろうか。 「ですが、この祭りは外に開かれていますよね? 余所者を受け入れながら、閉ざされる祭事というのは……」 「余所者?」 「大学の先生や生徒さん、それに伊原さんたちのことです」 そして自分も、ある意味ではもう余所者といっていいだろう。なのに、島に入ることが許された理由が分からない。 「……昔、八神が言っていた。この島には《縁》で結ばれたもの、そして罪人だけが集えるのだと」 「それはどういう……」 「……君には分からんよ。分かるときにはもう、遅いかもしれん」 そして佐神は口を閉ざした。 そのまま、じっと波紋を描く祭壇を見つめ続ける。 彼らはなにかを知っている。抱えて、隠して、それを大切に守ろうとしている。 「変わりませんね」 「変わってどうする?」 家の慣習、相続、身分関係に古い因習……それらが煩わしく、広い世界を求めて出奔したのが薊だ。 それはつまり、生れた家と育った場所を全て等しくどうでも良いと断じたからに他ならない。 「……ありがとうございます。では、僕はこれで……早く、朔矢を見つけたいと思います……」 ◆犯人とニアミスする 伊原は、ふらりふらりと洞窟を抜け、崖を背にして、今は湖畔に向かって歩いている。 ここの空気は不思議と肌に馴染む、懐かしい気配だ。 記憶の中の少女――縁側に佇んだ祥子の姿を、あの日交わした彼女との会話をゆるゆると思い返していく。 『伊原さまは家具の声をお聞きになれるのでしょう?』 『たとえば私の部屋にいる箪笥たちがどんな想いでいるのか、その声も聞こえたりするのですか?』 『祥子の想いを聞き続けた家具たちの声も、お聞きになれますか? あの子たちはなんと言っているのでしょう?』 彼女は真摯な瞳で自分に問い続けた。 桜花の話では、彼女――祥子にはすでに想い人がいたという。 嫁ぐ先が決まっていながら、その心は、魂は、既に別の存在へ捧げられているのだとしたら、果たしてソレを知って婚姻相手はよしとするだろうか。 ヒトの心の機微を、微妙な揺らぎを、伊原に知る術はない、分からない。 だが、なすべきことならば分かる。 捩れたものは早めに元に戻さねばならないだろう。 その足は、ふと止まる。 「あれ?」 いまだ多くの水を含んだ木々を掻き分け、男がひとり茂みのなから唐突に目の前に現れたのだ。 「ええと……君は?」 「……モルティ、探偵をしている。この島でたくさんヒトが死ぬからね、行く末を確認するために動いているよ」 彼の物言いは何故か断定的で、伊原はほんの少し首を傾げる。 「たくさん死ぬって、もう決まっているの?」 「決まっているさ、はじめから」 当然だと、なんの躊躇いもなくモルティは断言して見せた。 「ニオイがするだろ? 死人のニオイ……蓮も朔矢も佐神も死んだ。どこで誰が死んだのか、俺には分かるよ」 すんっと短く息を吸い込んで、モルティは辺りを見回し、それから身を屈めたかと思うと、いきなり伊原の懐まで一気に距離を詰め、首もとに顔を埋めるようにして囁く。 「あんたが何をしてきたかも、分かる」 俊敏な獣は、捕えた獲物へと視線を向ける。 「もうすぐ他のヤツも死ぬんだ。なぜだと思う?」 「私はただの箪笥……職人だから、難しいことは分からないよ」 けれど、と続けようとしたそこへ重なるように、複数の人間の声が飛び込んできた。 『おい、客人と八神の旦那様が湖に落ちたらしいぞ!』 『桜花さまが消えた!』 『佐神の旦那さまが』 「君はどう思う? 何故、ヒトは死んでいくんだろう? 何故、殺されるんだろうねぇ?」 「そんなの、殺すヤツがいるから死んでいくんじゃないか」 当然だろう、と告げて、モルティは目を細め、もう一度すんっと鼻を鳴らしてなにかを嗅ぐ素振りを見せた。 「ここまで来たら、後はもう夜を待つだけだ」 ◆死体を発見する 早瀬はひとり、湿った洞窟の奥へと進みながら、思考を巡らせる。 白無垢に包まれ、屍蝋化した美しい死者。 大学の友人が恋慕していた、神事の家の巫女姫。 祥子を殺したのは朔矢なのではないか。そして、彼女の死体を隠したのは妹の桜花、ではないのか。 「……でも、動機は?」 聴くもののいない推理に、自身の声で小さく問いかける。 動機は―― 「……あ、良かった! 早瀬さん!」 突然、自分の名が呼ばれた。 物音が不自然に反響する洞窟の中、向こうから駆け寄ってきたのは、山之内アステ――新聞記者だと名乗る少年のような青年だった。 「……どうして、ひとりで?」 「実はモルティさんとみんなに合流しようって話してたんだけど、案内してくれるはずの彼は消えちゃうし、薊さんには会えないし、気づいたら出口は分からなくなっちゃうしで、とにかく早瀬さんに会えただけでも良かったです」 たたみかけるように告げる言葉に押されながら、早瀬はゆっくりと瞬きを繰り返す。 「俺も……迷子だよ?」 「え?」 「勘で、歩いてみただけ……君はよくここまで来れたね」 「偶然ですけどね。そうだ、まだ知らないと思うから伝えなくっちゃ。蓮さん……八神家の長男が遺体で発見されましたよ」 「……え?」 「正確には、僕とモルティさんで発見しました。この島では今連続殺人が起きつつあるってことです。危ないですよ、独りで歩いていたら」 「……君は……祟りだとは思わないの?」 「この事件が《祟り》だったなんて、僕は絶対認めませんよ? そもそも、ここの人たちは信心深そうに見えて、実際どうかなんて分からないじゃないですか」 「……君は、ここの人たちや島について詳しいの、かな?」 「小さい頃はよく出入りしていましたから、それなりに。いなくなった子供を見つけたことだってあるんですよ」 「いなくなった、子供……?」 「10年以上も前のことですけどね。小さなドロップが解決の決め手。あの子、イチゴのドロップにつられやすかったんだよね。あ、でも、島の言い伝えとか水神についてとかは全然知りませんよ? 興味ないから」 「……そう……」 「ね、早瀬さんはこの事件をどう見てますか? 朔矢さんの姿が見えなくなったからって、どうしてあんなに慌ててるんだと思います?」 きらきらと子供のように目を輝かせるアステに対し、早瀬は別のことを頭の片隅で思考しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 「仮説なら……ひとつ。祝言の決まった夜、別の人間と駆け落ちしようとしていた祥子さんを、朔矢さんが衝動のあまり殺害した可能性……」 桜花はその現場を目撃し、兄が現場を去った後、兄が捕まってはならないと死体を彼女だけがひそかにしっている、湖の島に地下でつながっている洞窟をとおり、湖の島に隠した。 「浮上した島に祭りの準備で入った朔矢さんは、別の道からたまたま『隠し場所』に辿り着いてしまい、その死体を発見した、とか……」 「ああ、確かに冷たい洞窟の中は冷凍庫状態。湿度的にも条件は申し分ないですね!」 「一年前に消えたままの姿だった《彼女》を見て、“自分は裁かれねばならない”と悟った彼は」 早瀬は言葉を切り、足を止める。 「……自ら命を絶ったというわけですね?」 アステが早瀬の台詞を引き取り、そして彼もまた自分と同じ場所へと視線を向ける。 一体ここが洞窟のどこに当たるのかは分からない。 しかし、頭上のいずこからか微かな光が届くそこもまた、水神をまつる祭壇であるらしい。 そんな反射する水面に伏して、『彼』は蒼白な肌を晒し、息絶えていた。 「ねえ、早瀬さん。たとえば、こんな推理はどうです?」 アステは死者のもとへ歩み寄り、そうして屈み込んだかと思うと、佇む早瀬に向けて肩越しに振り返り、告げる。 「……真犯人は、次期当主の座を欲した桜花さんなんです。彼女は一年前に佐神に嫁ぐ祥子さんを殺害、その殺人をキッカケに再びこの島で罪を重ねていくことにした」 彼の手には、水の滴る女物の髪飾りがひとつ握られていた。 ◆…… ゆっくりと、祭事の島に夜の帳がおりはじめる。 闇が深まる中、彼はひとり、明かりのひとつも持たずに山頂の祠を目指す。 その手にはかつてある者から託された、一振りのナイフが握られていた。 ◆殺人を犯す 祥子のそばを離れ、姿を消した桜花は、やはり別の祠の前にいた。 「……ずっと、好きだったんです……桜花は、ずっとずっと……」 熱を帯びて潤んだ瞳が揺れる。 「言ってはいけないと思っていました、でも今告げなければ、もう永遠に言うことができなくなってしまいます」 胸元に縋り付きながら、少女は言葉を紡いでいく。 「祥子さまは、本当は蓮さまをずっと慕ってらしたのです……実の兄である蓮さまをずっと。そしてお兄様は……本当はここを出たがっていた……薊さまのように、自分もすべてを捨てて、桜花と一緒に外へ出ようとしていたのです」 小さく震える華奢な肩に、そっと手を置く。 少女は懸命に言葉をつなぐ。 「気づいていらっしゃるのでしょう? 八神も佐神も女性は長く生きられない……たとえ妻であっても……家に入れば、二十歳を超えて10年は生きられないこと……」 家系図を見れば、そして人々の言葉を聞けば、分かることだ。 八神にも佐神にも妻はいない。 その前も、その前の前も、何代にも渡って、女性たちは早くに命を落としている。 「お父様たちは……それでも村のためだからって……だけど、おかしいの。そんなの、おかしい!」 憐憫の情を掻き立てる、切なげな訴え。 「桜花は……お兄様と一緒に村を出ることも、お父様たちの願いどおりに生きることも、したくなかったのです……祥子さまのように……」 「君は、何かを見たの?」 「……祝言の決まったあの夜、祥子さまは……祥子さまは、箪笥職人に恋をしてしまわれた」 そして。 「もしかして」 「伊原さまの手を、取られたのです……望まれたのです、あの日……」 自分の見たモノが信じられず、あまりに恐ろしく、ついなにも知らないとウソをついたと告げる。 「桜花は知ったのです。祥子さまが何故、それを選ばれたのか……何故、あの夜でなければならなかったのか」 しかし、そうして怯える彼女の瞳には今、憧憬の色が揺らめいていた。 「……桜花を、どうかヒトであるうちに、死なせて、ください……桜花は、水神には嫁ぎたくありません」 どうか、と彼女は続ける。 いたいけな子供の顔ではない。 悲痛な願いとともにせがむ彼女の瞳には確かに、熱情が見て取れた。 「……どうか、薊さま……」 「桜花……それが、君を救うことにもなるんだね……」 切なげに、哀しげに、けれどすべてを諦め、同時に決意し、薊はそっと冷たい指を少女の首に掛けた。 ◆過去の罪が暴かれる 村人たちがこぞって、湖畔の方へと走っていくのを、早瀬とアステは幾度も見送った。 「また何かあった……かな……」 「誰かが湖に落ちたとか、祟りだとかなんか叫んでましたね。ナンセンスじゃないです?」 「俺は……友人のために、真実を追究したいだけ……島の謎も…すべてを……」 「学者さんも業が深いんですね」 あはは、とアステは笑う。 「そう、業が深いのかもしれない……気になることがあると……いろいろなことをハッキリとさせたくて……たとえば、さっきの君の話」 「僕?」 きょとん、とした顔でアステは首を小さく傾げた。 「15年前かな……僕の友人の2才だった弟がね、涸れ井戸に落ちて亡くなったそうなんだ……幼い彼が何故そんなところまで、って思うような場所で」 記憶を辿りながら、早瀬はゆっくりと問いかける。 「……君が見つけたんだよね?」 「あ、ああ! そうですよ、聞き込みをして、彼の行動も分析して、見事居場所を探し当てたんです!」 誇らしげに笑うアステに、早瀬は静かな、けれど鋭い刃を言葉に乗せて告げる。 「君は……本当に、推理をして彼を見つけたのかな?」 「もちろんですよ。どうして?」 「……飴の話……どうしてイチゴドロップだって分かったんだろう、とか……もしかして」 だが早瀬の疑惑と追及を、アステは笑顔で遮る。 「さあ、早く事件を解決しちゃいましょうよ! 朔矢さんも死んでるって知らせてあげないといけないし、桜花さんの捜索をお願いしなくちゃ。でないと、せっかく推理をしても、聞いてくれる人が誰もいなくなっちゃいますよ」 やることは沢山あると、嬉しそうに語る。 邪気のない悪意――そんなモノが存在しているとしたら、きっとソレは彼のような者を指すのかもしれない。 「きみは――」 だが、台詞はそこで途切れた。 地面が大きく揺らぐ。 ◆実は… 黄昏の中、伊原が湖畔の寄り合い所に着いたときには、深山は、死者となった八神当主ともに村人たちの手によって無事湖から引き上げられた後だった。 厚意で寄せられた着物に着替えた深山に、村人たちはこぞって不安を滲ませながらたしなめる。 「あの場所へは不用意に踏みこんではならないのですよ。祟りは既に始まっているのですから」 「八神の当主とご一緒したのに、かね?」 「それでも、です……あの日から、もう、誰にも止めることはできなくなってしまったのです」 「……やはり、あってはならないことだったのです」 怯えながらもしきりに、アレは間違いだったと言い続ける彼らに、深山はそっと眉を顰める。 古い因習に縛られた者たちは、すべての《死》を、祟りだと決めつけているようだった。 そこに人為的な殺意が介在していないと、何故言えるのだろう。 「私、ここには生贄を要求する八つ首の神様がいると聞いたことがあるよ?」 「生贄……何故、君はそれを?」 深山の問いに、伊原もまた不思議そうな表情を浮かべる。 「家具が教えてくれるから、といっても信じてくれないかな……家具を通じて得られる情報、と言った方が分かってもらえるのかなぁ」 かしかしと項を掻きながら、家具職人と名乗る男は困ったような、説明あぐねた表情で言葉を選び損ねている。 その彼のために、深山は別の問いを投げかける。 「では、君はどこまでなにを聞いたというのだろう?」 「八神というのは、その神様を祀る家系なんだ。そして《祥子》という名前はね、《吉兆を表し神の意向を示す子》とされ、代々八神家の長女に与えられてきた名だよ。その重みは分かる、かな?」 祥子ははじめから神のものだ。 誰かに心を移してはならない。 誰かのモノになってはならない。 「神との契約はけっして破棄できない……それをしようというのなら相応の代価を支払わなければならないというのが、どうして彼らにはわからないのだろうね?」 穏やかに、ゆったりと、伊原は告げる。 「……君は、彼女が《水神に嫁ぐ娘》だったと知っていたのだね?」 「祥子さんは水神さまの花嫁なんだ。ソレを横取りしてはいけないよ……大切な神事を台無しにした者たちには、それ相応の罰を与えなくちゃいけなくなる」 しん…と静まりかえった人々の中で、深山だけが真っ直ぐに、伊原を見つめる。 「君は何者かね?」 「私は……」 不意に大きく、地面が揺れた。 ◆そして、扉は開かれる 日が沈む。 島に《夜》がやって来る。 数十年に一度だけ訪れる、湖上の島の夜の狭間で、モルティ・ゼグレインはひとり、崖に祀られた祭壇の上に佇む。 八神祥子。 八神蓮。 佐神朔矢。 佐神当主。 八神当主。 佐神桜花。 そして――今、薊が自ら命を絶った。 「これで八神と交わした《契約》はすべて無効になる……あんたと《祥子》との約束はなかったことになった」 天を仰ぎ、モルティは告げる。 鏡のように静止したままの湖面に漣が立ち、月の光を受け、ありえないほどの光でふつふつと輝き始める。 「だから、これでおしまいだ。ぜんぶ、ぜんぶ……!」 ぐわん…と大きく、地が揺れた。 途端―― 無数の朱塗りされた鳥居たちが、一斉にざわめきだす。まるでそれは、毛並みを逆立てた獣の背の如くに。 湖上に浮かぶ島全体が巨大な生き物のように、身悶えし、地の底から咆哮を上げる。 まともに立っていられる者など、この地にはモルティ以外にもういない。 「自由になれ!」 かつて自身に託された、ナイフを祠の中心に突き立てた。 そして。 千年閉ざされていた異界の《門》が、開かれた―― ◆…終わりに 「……え、あれ、これってもしかして探偵不在の皆殺しエンドなの?」 「私、一体何人殺したのかなぁ」 「僕も手に掛けてしまいました……」 「俺は異形の神になった……のか?」 「……、……しゃべりすぎて、……つか、れた……」 「ふむ……どうやら、罪が入り組みすぎて、謎がほとんど解かれていないね」 6人が6人ともに、自分の出目と、そして物語の結末に瞬きと苦笑と不服申し立てと驚きを口にする。 そんな彼らに向けて、ルルーは紅茶を淹れながら、ゆったりと微笑んだ。 「以前、皆様と同じような結末を迎えられた方もそうされたのですが……リベンジなさいますか?」 彼らは揃って、頷きで返す。 ソレが、まさかある奸計を含んだ《悪魔の囁き》であり、あのような悲劇的事態を引き起こすことになろうとは、その時の彼らには知るよしもなかった―― END
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