『加官晋爵』ほら貝のソテー、鶏のとさか添え。 『哈兒巴肥』野生豚の片足丸焼き。 『海胆章魚蛋』タコ卵の水煮と生ウニの合わせ盛り。「へええ…」 インヤンガイの一角の『夢宝苑』で、色鮮やかな桃色と緑の衣装をつけた女官風の女達が次々と料理を運び込んでくるのに、ベルダは感嘆の声を漏らす。「何品あるんだい? まだ続くのかい?」 珍しく無邪気な問いかけは微笑みを浮かべているジョヴァンニ・コルレオーネに向けられている。 『蟹肉蝦子麺』エビ卵入り麺、カニスープ。 『玻璃海葡萄』海ブドウの子持ち昆布、生なまこのグラス盛り。 『白花鶉包瑶』ウズラすり身と卵白の平貝包み揚げ。「満漢全席の全てをと望むなら、数日かかるじゃろうな」 壱番世界の満漢全席は、清の時代から始まった。もともとは中国の富裕な商人達が山海の珍味を皇帝に献上したことがきっかけとされているが、150品以上の高級料理を数日間から一週間かけて堪能していくものだったらしい。「そんなもの、食べきれるのかい?」 ベルダの視線はなお運び込まれ続け、円形のテーブルを埋めていく料理の数々に釘付けだ。 普段はカジノディーラーらしく白いブラウスにスーツ姿でいることが多い彼女だが、今夜は色白の肌を引き立てる黒のシルクドレス一枚、柔らかで温かな曲線をあからさまにする胸元、腰近くまで開いた背中を無防備にジョヴァンニに向けている姿は、年齢を重ねただけのしなやかさを備えていて、彼を楽しませる。「壱番世界の有名な女帝は、300品出させて、そのうち30品ほどしか食べなかったとも言われておるな」「そりゃ、そうだろうね、こんなに出されちゃ、見るだけでお腹も膨れてくるよねえ」 呆れ声で目の前を通り過ぎていくクジャクの姿を模した料理を眺め、ベルダは唐突に振り向いた。ジョヴァンニの視線が、軽く絡めた自分の脚に向けられているのに気づいたのだろう、片方の肩に流している緩くウェーブのかかった薄い金髪に触れ、「なあに?」 紫の目を細めて首を傾げた。 ことばは問いだが、自分の魅力を十分に心得ている女性の仕草は艶やかで好もしい。 ジョヴァンニは微笑みながらここへ来るまでに求めた小さな箱をそっとテーブルに載せる。「足もとが寂しげかと思ってのう」「……年の功ね」 ベルダは勧められるままに小箱のリボンを解き、現れた中身にくすりと笑う。口元に寄った皺は若い娘しか目に留まらない若造にはわからない、妖しく甘い約束をほのめかす。慣れた仕草でさっそく右足につけてみる。「こういうのを贈られても嫌みじゃないわ」「…よく似合っておるよ」 シルクドレスの裾から覗いた足首は、思った以上に細かった。用意したアメジストのアンクレットが踝にかかる。鎖をつなぐプラチナの薔薇が黒いヒールによく映える。「飲み過ぎるなってこと?」 ベルダはくすくす笑って、アメジストの意味を口にする。「飲み過ぎてもらえるなら重畳……この店では幾許かのチップと引き換えに一夜の夢が見られるのじゃよ」 ジョヴァンニはアイスブルーの瞳を部屋の片隅へ投げた。 大きなホールでは舞踊や変面芸、ワイヤーパフォーマンスにマジックなどが繰り広げられる『夢宝苑』だが、特別の客には特別のショーが準備されている。 二人のグラスに白酒が注がれ、部屋の灯が少し落とされると、ジョヴァンニが視線を向けた一角にするすると一人の少女が現れた。頭の両側で髪の毛を団子に結い、目元に朱を入れ、赤い唇、白い長衣に包まれた手に桃の枝と白い酒杯を持っている。浅い杯には薄紅の酒がたたえられている。 ぺこりと一礼した少女が、ふいにふわりと空中に舞った。『闇を召しませ 風の夜 雨に散ります 花の波』 哀切を帯びた唄を歌いながら、少女はくるりくるりと前後左右にとんぼを切る。手にしていた枝から花弁は散るが、酒杯からは一滴も零れない。 やがてもう一人、同じような姿の少女が走り出て来て、今度は銀色の酒壺を抱えてとんぼを切り出した。中身は何も入っていないのかと思えば、一瞬止まった二人が、片方は杯の酒を我が袖に散らし、空いた杯に酒壺から紅の酒を注いで見せる。「見事じゃ」 ジョヴァンニが小さく手を叩くと、少女がもう一人走り出た。今度は炎のような朱色の布を閃かせて二人と同時にとんぼを切り、それが残り二人には一切絡まない見事さだ。「…賭けようか?」 ベルダがちらりとジョヴァンニを見やった。おいしそうに前菜を口に運ぶ。「何をじゃな」「この後、何人出て来るか」「しかし、ここはわしのなじみじゃ」 勝つのは難しいのではないかね? ジョヴァンニがモノクルの奥で細めた目に、ベルダが軽く片目を閉じた。「だから、よ」 「……よろしい」 ジョヴァンニは空いた皿を新たな料理と取り替える女官に、笑いかけた。「では、わしが負けたなら、この店のメニューが尽きるまで、料理を持ってきてもらうとしよう」 残り何品かな? ジョヴァンニの問いに、女官は大きく目を見開き、150品ほどでございます、と深く頭を下げた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)ベルダ(cuap3248)=========
「今宵は儂のおごりじゃ、遠慮せず召し上がれ」 どれもとてもおいしいよ、と、それこそカードを操る滑らかな手つきで料理を味わうベルダを好もしく眺めながら、ジョヴァンニは笑みを深める。 「貴方とはかねてより懇意にしたいと思っておったのじゃ」 「へえ?」 ベルダは赤い唇につやつやしたホタテ貝を運んだ。 「噂は儂の耳にも届いておる」 ジョヴァンニは鮮やかな緑を残したままの枝豆と絡むエビを堪能する。 「裏社会で名の知れた腕利きディーラー……知らん者はモグリじゃよ」 「そう」 一瞬瞳を煌めかせたベルダは金糸卵に包まれた蒸し物を掬い上げる。 「実はの、かねてより儂が経営しとるカジノに貴女を招きたいと思っておったのじゃ……今宵の晩餐は互いを知る良い機会じゃ」 「私を?」 ベルダはくすりと悪戯っぽく笑う。 「欧州暗黒街の帝王…噂には聞いていたけれど、まさか、ご本人に出会えるなんて思っても見なかったね」 飲み干されたグラスにはジョヴァンニの僅かな視線で知らされた女官が新たな酒を注いだ。 「帝王などとは大仰な」 自らも酒を口に含みながら、アイスブルーの瞳が満足げに細められる。 「儂など過去の遺物、通り過ぎる影のようなものじゃよ」 その影の巨大さに怯える輩、片鱗が掠めただけで逃げ惑う輩は数知れず、だが今この老翁は力よりも経験でベルダを楽しませようとする。 「貴女の半生が知りたい……どこで生まれ育ち何を見てどう感じたか……人生の転機は?」 ベルダの空のグラスに今度は自ら酒を注ぎ、静かに相手を見つめた。 「これまで想いを寄せた男性は?」 「……ジョヴァンニ」 一瞬その瞳に翻った危うげな色に、ベルダは軽く息を呑み、苦笑する。 「ああ、とんでもないわね、あんたってば」 上品な手つきを裏切るはすっぱな口調は照れ隠し、足を組み替えてさらりと触れたアンクレットにベルダは甘い声を出す。 「一体これまで何人そうやって口説いたの」 「女性の背景を詮索するのは野暮だと先刻承知」 くつくつとジョヴァンニは笑みをこぼした。 「それでも魅力的な女性ほど本性を暴きたくなるのが愚かなる男の業じゃて」 「私の本性? そんなもの、お見通しでしょうに、そのモノクルには」 軽く揃えた脚には品がある。食事中に無闇に髪を掻きあげないのはマナーだと、わからぬ女性はかなり居るがベルダは違う。スプーンを取り上げ、蟹を包んだ半透明に震える淡雪状の包みを少なめに掬うのは、満腹してきた口に呑み込めない量をとらないように。 ベルダの所作から、様々なものを読み取って、ジョヴァンニは静かに微笑む。 「儂に見えるのは、柔らかく行き届いた配慮のできる、上品な貴婦人じゃよ」 さて、とさりげなく立ち上がって手を差し伸べると、心得て舞っていた少女達が振り返り、仲間を招いた。同じような衣装の、金冠を被った少女が一人、胡弓を手に現れる。 「宜しければマダム、胡弓の調べに乗って儂と踊ってはくれんかね」 立て続けの料理に、女性の手がいささか止まりがちになったのを慮ってのジョヴァンニの応対、 「そういうところが悔しいね」 目を細めながら、それと察したベルダが頷き立ち上がる。 差し出したジョヴァンニの掌に指先を与えて歩み出しながら、ベルダはすい、とジョヴァンニを流し見た。 「後一人、出て来るね」 「……ほう」 口にしたのはさきほどの賭けだ。 「春夏秋冬を表しているんだろう、この娘達」 くすりと笑って与えられた指に軽く唇を触れ、ベルダが拒む前にさりげなく顔を上げてジョヴァンニはさらりと応じた。 「儂の予想では後九人」 十二色という発想もあるじゃろう。 「ちょっと多すぎるんじゃない」 ホールに溢れるじゃないか。 「そんなものに妨げられるほど、へたなリードはせぬよ」 キスに動じた気配もなく、ジョヴァンニの手に指を預けながら、ベルダはシルクドレスを翻す。少女達が壁際に引きながら、二人のステップに見惚れている。 ジョヴァンニとベルダではヒールも手伝って身長差はほとんどない。艶やかな女性が自信たっぷりに振舞うならば、男は押されがちになるものだが、ほっそりした容姿のジョヴァンニの腕の中でベルダは少女のように抱かれている。 「でも…そうさねぇ…私が負けたら、またデートしてあげるわ」 「それは重畳」 片目をつぶってみせたベルダに、ジョヴァンニはうっとりとしたような顔で囁き返す。 「女性とダンスするのは何十年ぶりかのう。久しく忘れておったわ、この感覚」 彼は知っている、女性を何より美しくするのは、自分にだけ与えられた賞讃の眼差しであることを。 若者のようにくるくる回るのではなく、導かれた手に滑り込むように、守られた腕の中で憩うように、ベルダはジョヴァンニのリードに身を委ねる。 彼女もまた知っている、男性を誰より誇らしく思わせるのは、自分にだけ向けられる絶対の信頼であることを。 勝てる、そう思わせてこそのディーラーだ。 胡弓の調べは低く高く、部屋の空気を静かに切なく温める。テーブルの料理は冷めた物が入れ替えられ、新たな酒と新たな皿が加えられる。踊る間に味わいが落ちたと判断されたものは、次々と女官達によって運び出され、並べ直される。 「いいの、手もつけていないのに」 それぞれまたとない一品を、ダンスのためには振り返ることさえないジョヴァンニは、料理に気を逸らせたベルダに平然と微笑む。 「ならば、後で又運ばせよう……さて、ベルダ嬢には忘れられない異性がおるかの?」 頃合いと見たのか、ジョヴァンニはベルダをゆっくりとテーブルにエスコートして戻りつつ、尋ねた。 「忘れられない、異性…」 誰かを思い出すのか、それとも思い出した誰かが本当にその相手なのかと戸惑うのか、ベルダの瞳が微かに迷うのに、ジョヴァンニは静かに続けた。 「儂の運命の女性は亡き妻じゃ」 「奥様…」 ベルダも知らないわけではない。報告書にひそやかに語られたジョヴァンニの情熱と、なくした妻との関係は、人の業とそれが描く夢を語る。 「もし心に焼き付いた面影があるのなら……その面影を追い続ける儂らは覚めない夢を見ているようじゃの」 「覚めない夢、か」 ベルダの脳裏を横切ったのは翻る白く繊細な手、両方の薬指に彫りつけられたトライバルタトゥの羽根。 確かに彼はベルダにとって異性でもあったが、それより何より、全く知らなかった新たな世界の扉を開いてくれた存在。 運命の女性が亡き妻であったと言うジョヴァンニもまた、彼女によって自分の属する世界とは違った場所へ導かれたのかも知れない、計り知れぬ運命の翼によって。 「モナコのグラン・カジノ、サン・カジノ、ロンドンのザ・リッツ・クラブ、フィフティ……どこにも彼はいなかった」 ふわりと金髪を払って座るベルダが、気遣うようなジョヴァンニの視線ににこりと笑う。 「彼が開いた世界は、私にぴったりの世界だった。ロストナンバーになったのも満足してる。歳をとらないし、色んな世界に行けて、いろんなギャンブラーと知り合えて」 くすくすと笑ったのは、赤いもふもふな相手と過去を賭けての一戦を思い出したせいか。きらきら輝く紫の瞳は、生き生きとした色を満たしている。 「でも…今の0世界の状勢には興味が無い…面白い事を捜してるんだけどね、何かないかしら?…」 「さて、貴方が面白がるような刺激的なこととなると、さすがの儂もお手上げじゃが」 「よく言ってくれる」 ベルダは楽しげに唇を歪める。 「報告書には目を通してるよ。その体のどこにあれほどのエネルギーがあるか知りたいところだ」 「……貴方にとっては、出逢いさえもギャンブルの一つなのじゃろうな? それでも今宵に儂は感謝しておるよ」 ジョヴァンニはそっと酒のグラスを押しやりながら、僅かに指先を揺らせた、と、そこに現れたのは一輪の薔薇、深みのある赤紫のイントゥリークだ。 「紫の薔薇の花言葉は気品、誇り……コケットリーとエレガンスが黄金律で溶けあう貴女にぴったりじゃ。どうか受け取ってくれたまえ」 差し出された指に、ベルダの目は羽を探す、鮮やかに刻み込まれた思い出とともに。 「綺麗……紫色の薔薇なんだね」 「香りもまた見事じゃよ……蕾から花開くまでの時間の魔法じゃ」 ジョヴァンニの柔らかな声音は、過ぎ去った思い出を包み込む。 と、胡弓を鳴らしながら少女が立ち上がった。再び桃の枝を持って花を散らし、酒壺を抱えて宙返りし、翻る朱色の布を舞わせる仲間の間で、彼方を見やって差し招く。 やってきたのは、体を覆うほどの大皿を手にした少女、色鮮やかな建物や木々が描かれた皿を、時にごろりごろりと転がしながら、他の少女同様に宙返りを見せていたが、やがて、胡弓がぴいん、と鋭い音を弾いたのを合図に、杯の少女が酒を仲間に振りかけた。 紫の薔薇を手に振り返ったベルダの前で、少女達は踊りながら集まっていき、朱色の布を互いに手にとり、中央に皿を置いて円陣を造る。やがてぴたりと動きを止めたところで現れたのは、朱色の布と、酒で濡れた衣服を互いに引いたり伸ばしたりして形づくられた巨大な花。 如何なる仕組みか、中央に置かれた大皿に立った金冠の少女が胡弓を差し上げた瞬間、ぱっと黄金の炎がその体から弾ける。息を呑む二人の前で、炎が消えれば何事もなかったように、少女達が五人、並んでにこやかにお辞儀をした。 「なるほど」 ジョヴァンニが笑み綻び、手を打った。 「壱番世界の五行か」 「五行?」 「木(桃の枝)、水(酒壺)、火(朱色の布)、金(金冠)、土(大きな皿)……貴方の勝ちのようじゃな、賭けた時から確かに二人じゃ」 「残念ね、次のデートを逃したようよ、ジョヴァンニ」 ベルダは紫の薔薇に魅入った後、ジョヴァンニを見返す。 「でも、私だって見立てが正しかったわけじゃない」 だから私の勝ちとも言い切れないけど? 「では、こうしてはどうかな」 ジョヴァンニはテーブルに溢れてしまった料理に加えてなおも運び込んできて、既に行き場を失って皿を支えたまま並んでいる女官達を見やり、 「折角の満漢全席、店を貸し切って従業員にも振る舞おうと思うのじゃが……よいかね、マダム」 「もちろん。私の胃が底なしだなんて思ってないでしょうね?」 このままだと、新しいドレスを買ってもらわなくちゃならなくなるわね。 悪戯っぽく笑ったベルダの指先は、体の線を見せつけるように辿る。 ウィンクを返してジョヴァニは笑い、振り向いて、全ての料理を注文する、と宣言した。 それから、新しいグラスに満たした酒を静かに掲げ、微笑んだ。 「貴方の魅力は時が立つにつれ輝きを増すばかりじゃよ」 願わくば、その輝きが絶えぬことを。 「新たな夢に」 「新たな世界に」 ベルダもまた、グラスを差し上げて微笑んだ。
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