オープニング

「ここかい?」
 ベルダが店の前で訝しげに眉を上げた。黒のタフタのショートドレス、胸元はハートネック、珍しく膝を出したドレスの裾を大きなリボンが飾る。足下は黒と銀のハイヒールだ。
「ああ…ベックの奴、まだ現役だといいが」
 ゆっくり扉を押し開けるファルファレロ・ロッソは、ストライプスーツに黒と銀のペイズリー柄のネクタイ、緩めた喉元が端整な容貌に甘さを乗せる。
 小さなドアの内側は典型的なアメリカのバーだった。木製の磨き抜かれたカウンターにスツールが十個前後、小さな空間には他にも小テーブルと椅子が配置されている。ぎっしり入ったとしても、二十人も入らないだろう。
 カウンターの向こう側に居たのは、驚くほど澄んだ青い瞳の男だった。くるくるした焦茶のくせ毛、同じような髭は鼻の下から顎、頬まで覆っている。痩せぎすな体を派手な赤チェックのシャツとクリーム色のベストで包み、手にしたグラスを棚に戻しながら、入ってきた二人を見やった。
「よう…ベック」
「ファルファレロ…? ああ、そうだ、ファレロだ!」
「…よせよ」
 ひくりと引き攣ったファルファレロの顔に、ベルダが含み笑いをする。
「どうしたんだ、ずいぶんお見限りだったじゃねえか」
「いろいろ忙しくてな」
「女にか、娘にか……今日はずいぶんと見事な相手だな」
「ハァイ」
 ベルダはベックに片目をつぶってみせた。
「おめかししてるのに申し訳ないな、ここはしがないショット・バーだよ」
 ベックはベルダの衣装を眺め、続いてファルファレロのネクタイも見つめると、
「ほんとに申し訳ないよ、ファルファレロ、あんたもおめかししてるのに」
「酒だけ置いたらさっさと失せろ」
「へえ? 『おめかし』してくれたんだ、あたしのために?」
「もう酔ってやがるのか? 俺がいつ、誰のために『おめかし』したよ」
「それはないぜ、ファルファレロ」
 ベックはいそいそとショットグラスに酒を注ぎ入れて、二人の目の前に置く。何を呑むかと聞きもしない、ファルファレロも改めて注文もしない、滑り込んだカウンターですぐに唇に注いだ。
「俺ぁ、何度あんたが『おめかし』したか、律儀に覚えてるんだぜ。アビエラだろ、リリィだろ、ファニにリズにブレンダ…えーとあんたは」
「ベルダよ。よろしく、ベック」
「よろしくベルダ」
 ベックはにこやかに伸ばしたベルダの片手を握る。
「ああそれに、ファッグのときも『おめかし』してたよな」
「…知らなかったわ、ファルファレロ」
 ベルダもショットグラスを一息に開け、驚いた顔をしてファルファレロを見やる。
「あんた、両刀使いになってたの」
「えええ、そうだったのか、ファルファレロ、あんたファッグとまで一発…」
「ベーック」
 ファルファレロの額にうっすらと青筋が浮いた。
「俺とお前の間にあった約束は何だ」
「約束、ああ、そうかそうだっけな」
 ベックは二人のグラスに次の酒を注ぐ。
「俺はあんたが何をしてようと気にしない。いつも好みの酒をたっぷり用意する。あんたは俺に支払いの心配をさせない。いつも必要な『おアシ』をたっぷり用意する。そうだよな? ああもちろんだよ、ファルファレロ、俺はあんたが誰と寝ようと気にしないさ、相手があんたの数倍ある男でももちろん気にしない、それはあんたの好みだもんな、そうだろ、ファルファレロ」
「……ベック」
「ああそうだ、ファルファレロ! 再会を祝そう、俺はボトルごと用意する、もっともっと用意する、十分にやっててくれ!」
 ファルファレロがファウストを抜き放つ前に、ベックはあっさり姿を消した。
「いつもああなの」
 ベルダが微笑む。
「言っとくが、ファッグってのは地回りのチンピラだ、俺がどうこうしたわけじゃねえぞ」
「わかってるわよ、何年付き合ってると思うの」
 ベルダはショットグラスを指先で突いた。
「でもこうしていると、昔のまんまだね、ファルファレロ」
「……ああ」
 揺らめくベルダの瞳に、ファルファレロは少し目を閉じる。
「無茶ばっかりやってきた」
「そうだな」
「ねえ、ファルファレロ」
 これを聞くと、あんたが嫌がるのはわかってるから聞くけどさ。
「あの子をどうするつもりなの?」
「……」
 目を細めたファルファレロがベルダを見据える。
 あの子は誰か、確かめなくとも、ポケットに入れっぱなしの指輪が熱を持った気がする。
「このままずっと、ターミナルで暮らす気?」
「……」
 ファルファレロはショットグラスを煽った。
「…もう、決めなきゃならないよ」
 ベルダが静かに囁いた。
「あたしも……あんたも」
「……面倒くせぇな」
 呟いたファルファレロが小さく息を吐く。
 ベルダは静かに酒を注ぎたしながら、微かに笑った。
「……面倒くさいね」
「……『Blow Up』、か」
 ファルファレロはカウンターの背後に光る店の名前を眺めた。

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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>

ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)
ベルダ(cuap3248)

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品目企画シナリオ 管理番号2722
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございました。
いろいろ山もあり谷もあったであろうお二方の、過去話+この先の話シナリオです。
『Blow Up』の中には、現在お二人しかいません。ベックはどこへ隠れたのか、それとも逃げ出したのか、姿が見えません。
どうぞ思う存分語り合って下さいませ。
酒は浴びるほど、準備されております。
夜があける頃には、見えてくるものもあるでしょう。

参加者
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア
ベルダ(cuap3248)コンダクター 女 43歳 カジノディーラー

ノベル

 派手なネオンが瞬くのを眺める黒い瞳は、眼鏡の奥でゆっくり細められている。
 あの眼鏡が邪魔だねえ。
 ベルダは胸の奥でごちながら、自分のショットグラスにも酒を継ぐ。
 そんなことを考える自分がくすぐったくなる。
「まぁ、家出しちまった、ワタシが家族とか語るなって言われそうだけどねぇ」
 出会った時を思い出した。元気のいい跳ねっ返りの『坊や』。ボディガードになったことが不服で、一々噛みついてくるのを相手にするのは楽しかった。見かけのスマートさとはけた違いの荒削りの魂は、女から女を渡り歩き、闇夜に銃弾をばらまき、血しぶきの中で歓声を上げる。
 カードの覚えもよかった、ベルダにとってはお遊びだったが、すぐに周囲から巻き上げる程度には腕を上げたから、そういった方面の勘もよかった、なのに。
「いつかの夜……女房気取りで世話焼くガキに銃をつきつけた……寝てるこいつに引き金を引けるか賭けをした」
 『Blow Up』のネオンを眺めながら、ファルファレロが口を開く。
「ったく、焼きが回ったぜ」
 吐き捨てる声は、スモーキーな酒ほどに甘い。
「最もお互い様だ。あいつは寝たふりしてる俺に銃をつきつけて、声を殺して泣いてやがった……皮肉だな、親子で血は争えねえってか」
 どうして、男ってのは、娘のことになると、甘くて鈍くて救いようがなくなるのかねえ。
 そう言えば、あの時の事件も、娘に不器用なことしかできない男の事件だった。
 気が強くて、ここぞというところで勝負する気満々で、けれどどこか奇妙にまっすぐなところ、ファルファレロと娘は確かに同じ血を引いていると思う。
 娘に嫌われるのが、それほど怖いのかい、と突っ込んでやりたかったが、まだまだ話したそうな『坊や』の声を聴くのは悪くない。
「夢じゃないのかい」
 できすぎた話だろ、と酒で濡らした唇を笑ませて促す。
「……夢? そうかもな……どっちがどっちだかわかりゃしねえが、俺ん中じゃどっちも同じだ」
 掠れた声で呟いて、一気に煽るショットグラス、仰け反った喉仏が艶かしいと気づいてもいないのだろう。
 子ども一人授かっておきながら、この『坊や』はいつまでたっても『大人の男』になりきれない。娘を正面切って愛することができない自分を持て余し、裏切られてもいいとほざきながら、誰より失うことを恐れている。
「最期は腹の底から笑って死にてえ、くだらねえ、最高に最低の人生だったなって」
 おやおや全く可愛いことだ、人殺しで女殺しのファルファレロ、そんな口で一体何人落としていることやら。
 ベルダはくすくす笑いながら、相手のグラスを満たしてやる。一瞬戸惑ったような視線でグラスを見下ろす相手を、こういう時に『ファル』と呼んでやりたくなる。
 坊や、ファル、あんたは自分がどれだけ愛らしく見えるのかわかってるかい。それとも、私が酔い始めてるのかね。
 脳裏を掠める羽のついた指先に、熱っぽい心の裏側をくすぐられて溜め息を漏らす。いつかの夜、追いつけそうで追いつけなかった幻。ファルファレロならどういうだろう、cascare come una pera cotta、そう吐き捨てるだろうか、皮肉に歪めた唇で。
 彼は神出鬼没だから、もしかすると同じロストナンバーになっているかも知れない。ターミナルで暮らすうち、どこかですれ違うかもしれない。あるいはベルダが旅をするうち、訪れる世界のどこかで、再び後ろ姿を追えるかも知れない。けど。
「俺は俺の事を許すとかほざく奴を絶対に許せないし愛せない。心底憎み抜かれた方がマシだ。人を殺す時ゃ自分の意志で引き金を引くのがスジってもんだろ。じゃなきゃ殺す相手に失礼だ」
「殺す相手を、そこまで尊敬してるとは知らなかったよ」
 ベルダの軽口に、ファルファレロは少し視線を逸らして呟く。
「あいつに手を下されるなら悪くねえ幕引きだと思ったんだがよ…」
 何だい、そこまで娘に愛してほしいのかい。
 ベルダはショットグラスを一気に空ける。
 傍目にはそう見えなくとも、相思相愛の二人がいじらしいやら、妬ましいやら。
 自分のそういう感情を、醒める距離ではなくて包み込みように眺められるほどは年齢を重ねてきた。その歳月を悔やみはしないが、と揺れた気持ちを、酒を注いで宥めてやる。
 ファルファレロがカウンターに両肘をついて、ショットグラスを指先で支えた。琥珀の色がネオンを弾く。瞳にかかった前髪が、一層幼い顔に見せる。
「あの頃は殆ど家を出て 稼いだ金を置きに戻るだけだったが」
「…」
 時間がなお戻ったのか、それでそんな顔なのか。
 ベルダも片肘をついて、ファルファレロに半身向ける。
「酔っ払ったあの女に口汚く罵られて、こうぶちまけた……俺より稼いでから、でかい口叩けよ売女、干上がったんなら死ね」
 ぽつんと切ったことばを、丁寧に継ぐ声に聞き惚れる。
「元から生理中はこっちに質悪ィの寄越してたが、今じゃ筋違いの仕返しの為に股からひり出したガキのお零れで生かされてる始末…」
 くくく、と小さな笑いは、聞き違えじゃなければ自嘲だ。
「その一言が自殺の引き金になった」
「……そう」
 同情じゃ軽い。共感などできない。理解をするなどおこがましい。
 ベルダとファルファレロは親子ほど歳が違う。立場ならファルファレロに罵られた母親側だ。生活のためか、それ以外の感情か、男娼として十分な稼ぎ手となった息子を持つ気持ち、老いて惨めになっていく自分を支えているのがその息子だという現実を目に、女としての矜持なんて粉々だっただろう。
 心底憎み抜かれた方がまし。
 何てそっくりな親子だろうねえ。
 心底憎み抜かれて殺されたいという願望を引き継いだ親子、ファルファレロは母親に殺されたかったのか、そこまで強く愛されながら? けれど、母親はファルファレロを殺さずに、自分を殺してしまった。そして今、ファルファレロは娘に殺されたがっている、強く深い愛情とともに。
「…穿ちすぎかねえ」
 ディーラーの悪い癖だ、読み取らなくてもいい綾を読み解くことに夢中になる。
「懺悔じゃねえ、酒入って血迷った昔話だ」
 唐突にファルファレロは体を起こした。空になったベルダのショットグラスに酒を継ぎ、自分にも注ごうとして舌打ちし、空瓶を放り出してカウンターの奥へ入る。面倒だとばかりに次々と並べてくる酒、全部空けてしまったなら、ベックがさぞかし嘆くだろうが、ファルファレロに文句を言うつもりはないだろう。
 新たな酒の封を開け、顎で促してベルダのグラスを空けさせて、そちらからまず酒を満たした。
 ちょっとは大人になったのかい、『坊や』。
 唇を尖らせながら、自分のグラスに注ぐファルファレロの横顔にベルダは微笑む。
「ヘルは何も知らない。知らねえままでいい。俺のいる地獄に道連れにする気はねえ」
「らしいね」
 渋い顔するようになったじゃないか。
 応じたベルダの声は聞こえていないのだろう、くいっ、と勢いよく空けたショットグラスを指先に残したまま、ファルファレロはベルダを振り向いた。
「わかったろ。俺はこういう生き方しかできねえ。いい女と美味い酒がありゃなべて世は事もなしだ」
 前髪の奥から見据えてくる瞳は揺れている。
「てめえとは死ぬ前に一回寝たかったんだが…俺が知ってる中で二番目にいい女だしな。いや。三番目か」
「失礼な物言いだねえ」
 ベルダは苦笑した。
 そりゃあ、不器用なまんまに育っちまった男の言い草だろう、ちゃんと『欲しい』と白状するのが、立派な『大人』というものだ。自分の死をちらつかせて誘惑するなんてのは、まだまだお子様の領域だ。
「私は今の暮らしを楽しんでる。いろんな世界の人間と出会えるし、飽きる事がないよ」
 普通未来を語るのは若者だって決まってるんだけどね。ほらほら、そんな顔して誘ってくるんじゃないよ、揺れるじゃないか、百戦錬磨の女でもさ。
「いや、でも待てよ…あんたが一緒に帰属しようって、誘ってくれるなら、どこでも一緒に行こうじゃないか…まぁ、拒否っても腐れ縁ってのが有るからねぇ」
「………」
 ぱらりとファルファレロの前髪が落ちる。表情が半ば隠される。
「……口直しにキスさせてくれ」
 やっぱり眼鏡が邪魔だよねえ。
「いいよ、ファル」
「…っ」
 カードを扱うようにしなやかに軽やかに、相手の眼鏡を外すと、一瞬淡く不安げな表情を浮かべたファルファレロが目を閉じ唇を寄せてきた。黙って受け取る、おそらくはファルファレロが示す、初めての、殺しではない敬意の接触。
 一瞬だけ触れ、じれったがるように重ね直し、眉を寄せてファルファレロは文句を言う。
「聖母みたいなキスをするんじゃねえよ」 
 うっとりと緩む瞳で切なげに呟くのに誘われる。
「これは失礼」
 くすりと笑って眼鏡を置き、ショットグラスの酒を含む。伸ばした指で相手の頭を引き寄せる。開く唇は酒で溢れ、そのままでは先へ進めない。
 じれったそうに喉を鳴らすファルファレロに、ベルダは胸の中で囁く。

 
 『Blow Up』
 必然が、満たされるまで。

クリエイターコメントこの度はご参加ありがとうございました。
大変遅くなって申し訳ありません。
加えて、いささか暴走しました。
思い出話のあれこれになるはずが。はずが!
お互いを誘惑し合う男女のやりとりに!
いや、でも非常に楽しかったです。
お二人ともしたたかですし、色っぽいですし、思い出話を語るよりも、今のお二方の姿そのままが人生を語ってるとか言う感じで……すいません、言い訳です!
書きたかったんですごめんなさい。

えーと……とにかく、またのご縁をお待ちいたしております。
公開日時2013-07-04(木) 22:00

 

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