―――チン! 響くベルの音。 近づくトラム。―――チンチン! 後部扉より乗り込んだ貴方は、空いた席を見つけた。「次は――」 走りだすトラムの中で、運転手の案内が聞こえる。 各駅停車のトラムは、0世界でのロストナンバーの足である。ターミナルの中なら、誰でも、どこへでも行くことができる。 世界図書館から駅前広場へ、公園へ、繁華街へ、住宅地へ、高台へ、そして貴方の知らないところへ、トラムのレールはどこへだって連れて行ってくれることだろう。 もし、うっかり乗り過ごしても、焦ることはない。停留所の間隔は短い。思わぬ散歩を楽しむことができる。 窓の外には、今や見慣れた風景が過ぎゆく。覚醒してから過ごしている0世界の町並み。異世界からの旅人たち。配達するセクタン。貴方の知り合いの姿も、時には。 トラムは今日も0世界を巡りゆく。●ご案内このソロシナリオでは、主に、0世界を巡る「トラム車中の場面」が描写されます。0世界での日常、走行中のトラム内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・トラム車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。
冒険旅行を終えたユーウォンは駅前広場にいた。ここから見上げる0世界の風景は、いつも変わりなくてユーウォンを落ち着かなくさせる。空には雲もなく、ただただ真っ青で、気候も時間も読みにくい。 トラムの鐘が鳴った。動き始めた列車に少しだけ思案し、今は歩くことにする。 ユーウォンはトラムを結構気に入っている。それ自体面白いと思うし、座ってじっくり町を見たり、人を見たりするのは、楽しいと思う。そして同じくらい、自分の足で街歩きしたり、翼で飛んで眺めてみたりするのも、好きだった。 (毎日決まったところに通ったり、自分のチェンバーに毎日帰るようなニンゲンは、トラムをよく使うっていうけど、おれはそんなことないしなあ) 急ぐときもあれば暇なときもある。特に用事もないのに楽しみに乗りたいこともある。だから、トラムには乗ったり乗らなかったり、歩いたり飛んでみたりと、移動はいつも気まぐれだ。 大通りを歩くと、街はそこはかとなく浮き立っていた。 バーの看板にライトを飾り付けている黒服。蝋燭を売り歩く行商人。仮装をしてはしゃいでいる子供たち。 ――もうすぐ「夜」だよ。 時刻も季節もないターミナルに、普段「夜」はこない。ただ時々、誰かの発案で「夜」が来たり、「雨」がふったり、「雪」になったりする。今日は「夜が来る日」だと、図書館から知らせが出ていた。 こういう時を、ユーウォンはできるだけ0世界で過ごすようにしている。0世界にも『変化』がある。それをちゃんと、見ておきたかった。 ターミナルで一番見晴らしがよい(とユーウォンが思っている)高台へは、夜になる時刻の前に辿り着けた。窓から見える空は、まだ明るい。 「よかった、間に合ったかな」 人の良さそうな笑顔で、トラムの運転手はユーウォンを振り返る。 いつものように好奇心を発揮して寄り道してしまったユーウォンは、途中からトラムに乗ってきたのだった。乗客がほかにいなかったこともあって、運転手とはすっかり打ち解けていた。 「うん、助かったよ。ありがとう」 「いえいえ、どういたしまして。それじゃ、よい夜を」 坂を下っていくトラムを見送って、手を振って。それからユーウォンは、高台にある一番高い木の、てっぺんの枝へと飛んでいく。 そこには既に先客がいた。黒いカラスが、硝子のような瞳でユーウォンを見ている。 「隣、いい?」聞けば、 「……空いている」と、しゃがれ声。 「じゃ、座るね」 遠慮なく隣へ腰を下ろして、ユーウォンはまじまじとカラスを見つめて問いかけた。 「きみも、夜を見に来たの?」 と、そのとき。 不意に暗くなった。 すぐにも闇へと対応できるユーウォンには、ターミナルも、樹海も、遠くあるナラゴニアもが、もう、よく見えている。真っ暗な、0世界。 「……」 「……」 ターミナルのどこかで花火が打ちあがった。ぽつりぽつりと家々に灯りがつき始める。トラムの窓から漏れる光が流れてゆく。 「キレイだね」 ユーウォンが漏らした言葉に、カラスは何も言わず飛び去っていった。途中で人の姿へと変化した鳥を見て、ユーウォンもターミナルへと降りていく。 この特別な日に、催されるイベントは数多あった。 怖い話を語り合う集まり、墓場での肝試し、蝋燭の灯りでの食事会、夜空の元での演劇、1日だけの光のモニュメント作成、それから、闇の中でないと出歩けない人々のための街案内、などなど。 それら全てに顔を出しながら、ユーウォンは「夜」を楽しんでいた。仲の良い友達からの招待状もいくつかもらっている。そろそろ、次の場所に移らないと。 モニュメントを見終わったユーウォンは、次の目的地まで時間も距離もあるとわかると、トラムを利用することにした。 光で飾られた大通りを外れると、ぐっと人影が少なくなる。ライトを付けて闇を走るトラムは、妙に大きく見えた。停留所にはユーウォンのほかに待つ人の姿もなく、遠くの喧噪がエコーのように響く。 走り来たトラムはうっかりと行き過ぎそうになり、軋みながら止まった。 こんな日にこんな人気のない路線へくるなんてどうしたんだい、と、その運転手は弾んだ声を出す。どうやらユーウォンが乗車したことが嬉しかったらしい。 二人きりの車内、ユーウォンは運転手のすぐ横の席へ腰掛けた。 このトラムは雰囲気を出そうと車内の灯りを付けていないのだと、そんな話から、今し方参加してきた肝試しで起きたことやら、演劇に飛び入り参加してきた幽霊のことやらから、ブルーインブルーでの幽霊船の噂や、運転手イチオシのおいしい魚介料理の店を教えてもらうまで、話はあちこち飛躍して。 「ああ、俺もまた行きたくなってきたなあ。次の休暇はいつだっけ」 1つ1つの料理を子細に教えてくれた彼は、食道楽なのだろう。とにかくブルーインブルーの魚はどれも美味い、と、何度も繰り返していた。 「アンタ、どこまで行くんだい?」 しばらくおしゃべりを楽しんでいた運転手が、そういえばと改めて問う。 「降りる場所、忘れてたとかない?」 二人で話しこんでいる間、乗客もいなかったこともあり、いくつもの停留所を過ぎていた。知らぬうちに過ぎこしてしまったかと、運転手はふと心配になったようだった。 「大丈夫だよ。もうちょっと先なんだ」 ユーウォンが招待状を取り出して行き先を示す。2つの停留所の間を占めている広い公園が目的地だ。 運転手が、描かれた簡易な地図をちらりと見る。 「ん? そこ、入り口は電停と電停の間じゃなかったっけ?」 「うん。どっちの場所からもちょっと遠いんだよね」 でも仕方ないよ。歩けばいいしね。 あまり気にしていない風に答えるユーウォンの、その翼に目を留めて、運転手は少し思案しているようだった。 「いいの?」 降りるはずの停留所を少し行過ぎて、今、ユーウォンたちの乗ったトラムは、公園入り口前にこっそり停車していた。 中からは、集った人の歌う声や、屋台の光が漏れてきている。 「いいっていいって。早く降りちゃいな」 トラムのドアは開いていない。ただちょっとだけ、窓が開いている。ユーウォンが飛んで降りられるくらいの、ちょっとだけ。 窓から出てもいいよと、運転手の計らいだった。 「でも、内緒だよ」しーっと口に手を当てて。 嬉しくなったユーウォンも、同じように口に手を当て、くすくすと笑って。 「うん、内緒だね。ありがとう!」 弾むようにトラムの窓から外へ飛び出した。 何もなかったように、そろりとトラムが走り出す。 ユーウォンは感謝もこめてトラムへと手を振ると、次のイベントへ向かった。 「夜」はまだ続いている。
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