インヤンガイでの依頼はスムーズに済んだ。冬路 友護自身がトラベルギアのノート型電子地図帳を生かして、囲もうとする敵を撃滅したのもあるし、同行したコタロ・ムラタナは元蒼国軍戦列歩兵部隊第十八番隊隊士、つまりはきっちり軍人さんだったので、友護の攻撃を擦り抜けた敵も殲滅できた。 二人は依頼の成果に安堵しながらロストレイルの駅に向かっていたのだが。「フォニス? おーい……フォニス…?」 普段は明るく軽い口調なのだが、今は弱々しく頼りない自分の声が、薄暗がりにか細く響く。「どこにいるッスか…?」『おい友護! グズグズしてないでさっさと行くぞ!』 いつもならそう憎まれ口を叩きながら側に居てくれるはずの翼竜型ロボットがいない。「はぐれっちまったスか…?」 友護はゆっくりと周囲を見回す。狭い通路で、前後は長く伸びて闇に消えている。「コタロ…さん……?」「じっとしてろ」「うぉっ!」 すぐ間近で声が聞こえて友護は文字通り跳ね上がった。確かに見かけは灰色の鱗のリザードマン、曲がった角を頭に生やし、蝙蝠のような翼が背中に、尖った耳と尻尾の先はV字型と、壱番世界で言うところの悪魔的な風貌だが、中身は全く違う。しかもここはどう見てもその、「びびびびっくりするじゃねッスか!」「……っ!」 振り返って、壁の凹みに身を潜めていたコタロが真っ青な瞳を見開いて凍りついているのに気づき、ついでに力の限り口を押さえているのも見つけ、お互い何を考えているのかわかってしまった。「あの、コタロさん、ここってその」「言うな」 間髪入れずに答えが返り、自分より先に気がついていて、しかもしばらく暗闇に一人悶々と耐えていたのだと知る。「けど、一応確認しときたいッスが」「認めるな」 ぼつんぼつんと戻ってくる声は緊迫感に溢れている。依頼の戦闘中の方がまだ緊張が少なかったと言えるかも知れない。だが、「認めても認めなくても、ここってその」「見なかったことにしろ」 ああそうかそうなんだー、もう見つけちゃったわけだねーうん。 友護は小さく吐息をつきつつ、コタロがひたすら視界に入れまいとする斜め上にぶら下がっている白骨に絡まれた男の屍体っぽいもの、つまりは布と木と紙とで作られた『展示物』を眺める。暗闇に慣れてきた目には、それ以外にもいろいろと見えた。通路の凹みから伸ばされたドロドロの腕。壁に描かれた血しぶき。「インヤンガイにもお化け屋敷ってあったッスか…」「っっっっ!」 どがっっ!「………壁……殴んないほうがいいッスよ」 コタロがぎりっと歯を食いしばって拳を叩きつけたあたりから、ばらばら崩れる瓦礫に友護が呟いた。「どうやらとっくの昔に閉まってたみたいッス。あちこちボロボロだし、変に壊すと崩れてくるかもしんないッス」『何だ何だ? でっかいのがぶるぶる震えて転がって、通行の邪魔だろ、さっさと立ちやがれ!』 フォニスの声が耳元で詰る気がする。「あいつら…何だったッスかね…」 よいしょ、と立ち上がって、目の前に釣り下がった白骨をちょんと突いた。かさりと乾いて軽い音がする。よくできてはいるが、空洞になっているはずの眼窩には黒い紙が貼られているだけの作り物だ。「…意図は不明だ」 会話がこの場所から離れて少し落ち着いたのだろう、コタロも腰を上げた。壁に背中をつけ、油断なく周囲に視線を配りながら続ける。「殺意がないせいで対応が遅れたな」 不覚、と悔しがるが、無理もないと思う。 駅近くまで来ると一人の少女が走ってきた。これといって特徴のない五、六歳の女の子、二人の側を通り過ぎた瞬間、微かに花の匂いがした。奇妙な違和感に二人が少女を振り返り、その傍らを、駆け去った少女と同じぐらいの子ども達が次々に駆け抜け、花の匂いが強くなった。二人が警戒した矢先、足下がふらつき、意識が霞み、続いてうわあああああっと大声を上げて走ってくる大人達が突進してきた時には、二人とも崩れ落ちるように気を失ってしまった。 気づけば、この廃屋と化したお化け屋敷の中だったというわけだ。「とにかく脱出ッス」 トラベラーズノートに事情は書き込んだ。万が一のことがあっても二人の状況は把握してもらえるだろう。「…あれ…?」 視線を上げて、友護は赤い瞳を瞬きする。「あんな所に灯……あったッスか?」 闇に慣れた目には結構眩しい光。闇の奥にゆらゆらと揺れ、止まり、揺れ、止まり……その側に誰かが立っているようだ。「…」「…誰ッス?」 コタロがじりっと身を引き、壁に背中を押し当て身構える。友護もその側で電子地図帳を開き、視線を落として困惑する。「あそこ…壁の中ッスね…」 けれどどう見たって灯がともり、側に立つ誰かがゆっくりと顔を上げ……、次の瞬間、「でええぃい!」「わうっ!」 裂帛の気合いで踏み込んだコタロの勇気を称えたい。瞬時にして目の前に広がった笑う大女の真っ赤な口に切り込んだコタロの剣が空振りしたのは結果論だ。が、その踏み込みは何かのスイッチを押したことにもなったらしい。「わあああっっっ!」「くっっ!」 いきなり開いた闇の穴、転げ落ちる友護とコタロ、咄嗟にコタロが剣を壁に突き立てて落下を止め、友護の手をがちりと握る。「……まじッスか」 お化け屋敷じゃなくてこれは。 コタロにぶら下がりながら見下ろせば、真下にぎらぎら輝く針の山、一歩間違えれば串刺しか。だが、「ふっ」「コタロ、さんっ!」 いきなり手を離されて友護は驚く。翼を羽ばたかせて落下は免れたが、コタロは石つぶてのように落ちていき……。 ぐしゃり。「へ?」「偽物だ」 コタロは針の山を踏み潰していた。足下から闖入者に驚いた鼠達が逃げ去って行く。「あ、なーんだ、じゃやっぱり、ここって」「言うな」 コタロが制したとたん、けたたましい女の笑い声が響き渡った。「あれって何かの仕掛けッスかね、それとも」「脱出するぞ」 コタロが無表情なまま顎をしゃくった。すぐ側に矢印が描かれた通路が開いている。軍人って凄い、どんな時でも沈着冷静ってこのことッスね、そう感動しかけた友護は、通路に触れたコタロの手がぶるぶる震えているのに気づいた。 あ、やっぱり怖いんだ? 友護はもう一度上を見上げた。さっきの女がいきなり降り落ちてきそうな気がして、体が竦むのを感じる。化け物とか敵ならいいんだ、うん、でもあれは。「だ、大丈夫ッスよ! うん、きっとすぐ側に出口が…!」 後に続いて空元気を振り絞り、どしん、と足を踏み鳴らしたとたん、「うおっ!」「わあっ!」 二人の悲鳴が闇に響いて、どごんどごんと落ちていく音がした。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>冬路 友護(cpvt3946)コタロ・ムラタナ(cxvf2951)=========
「こーゆーの勘弁してほしいッスよぉ~! ホントなんでよりによってこんな所にぃ…」 いててて、と顔を歪めつつ起き上がったのは、友護が先だった。見かけがどうであれ、性格がヘタレな上にホラーは苦手。泣きそうな顔をしながら、 「とにかく脱出ッス。ね、コタロさん」 「……」 「コタロさん?」 側にぐったりと寝そべったままのコタロに手をかけ声をかけるが、なおも身動き一つしないばかりか返事もない。 ヘンジガナイ、マルデシカバネノヨウダ。 「コタロさんっ!」「何だっ!」 思わず総毛立ってがしりと握って引き起こせば、見当違いの方向から勢い良く返る声に振り返ると、壁際に張りつくように立ったコタロの視線と絡む。 「あれ? いつの間にそんなとこに、ってじゃあこれは…ひえええい!」「ひゅっ!」 片手で吊り下げたのはボロに包まれた屍体っぽいオブジェ、元からそういう造りだったのか、それとも引き起こしたついでに壊れたのか、がくりと千切れた首の断面からどろどろと得体の知れない何かが溢れ出し、友護は悲鳴と共に思わずそれをコタロに向かって投げつける。だが、さすがにコタロもただ大人しく食らってはいなかった、一撃必殺、蹴り一発、投げつけられたと同じ速度で蹴り返し、でろでろどろどろの奴が正面から友護に戻ってくるのを、 「うわああっ!」「くっ!」「ぎやあああ!」「はっ!」 なぜそうなるのだろう、お互いにオブジェ屍体を叩きつけ返し殴りつけ返し、幾度となく往来したそれは、ついに空中で四散する。 「はっ…はっ…な…っ…なんでこんな……ことで体力を…」「…む…っ」 はあはあ喘ぎながら両膝に手をついて俯く友護とは対照的に、コタロは平然としている。さすが兵士の体力伊達じゃない。けれど、既に頭の中というか、心の力はもう信じられないぐらいに消耗しちゃっているのだった。 もちろん、本物の死体や暴霊、怪物の類いならば問題無い。兵士が死体を恐れてどうする。だが作り物、それも『他人を驚かす事』を目的に作られた設備となれば話は別だ、明確な悪意でないならば単純にそれを破壊する訳にもいかないだろう。 頭の中でぐるぐると考え続けているのは、所詮大人な理屈であって、見下ろす先の屍体っぽいオブジェは、今や血液の代わりにねったりしたとろみの蛍光緑の液体に塗れ、臓物の代わりに中途半端に薄汚れた綿やらスポンジやらをはみ出させた、どう見ても変形したプラスチックの網かご、それを見れば見るほど、何とも形容し難いものがふつふつと湧き上がってくるのを感じる。 そもそも故郷にこんなものは無かったし、ロストナンバーになってから漫画等の知識で存在は知っていたが、実際に足を運んだ事は無かったのだ、お化け屋敷には。 このどう見たって、明らかに人間の屍体とは全く違うこの代物が、どうしてあれほどまでに身の竦む感覚を呼び起こすのか、戦場にあっては髪の毛一筋の隙間で突きつけられた剣先でさえ、躱す隙、受け止める手立てを見つけられるこの自分が、なぜこう闇雲に、たったこれだけの塊相手に渾身の力でやり合い叩き返し、あまつさえギアのボウガンまで使おうなどとしてしまうのか…。 「コタロさんっ、危ないっ!」「ふぉっ!」 友護の悲鳴に顔を上げた瞬間に、顔面一杯に広がった薄赤い幕、咄嗟に身を伏せてやり過ごし、体を捻って背後から撃ち抜くために構えたボウガン、だがしかし、ここは戦場ではないのだ、もし、もし万が一、相手が『お化け屋敷の従業員』とかであった場合は無辜の民を傷つけることになるのだと言う一瞬のためらいが動きを怯ませた、そのとたん、薄赤い幕はくるりと翻ってコタロの頭から被さってきた。 「うひやぁああ…っ」「コタロさん、今助けにっ、ぎええいいっ!」 飛び込む友護は別口の薄赤い幕に襲い掛かられ、振り回した両腕に絡みついたそれを引きはがしつつ、床にすっころんだコタロを引っ張りつつ、近くに開いていた通路に退避。 そこでようやく二人は気づく。 薄赤い幕は、壱番世界で言うところの透明なラップのようなものに絵具を塗りたくり、大きな口を描いたもので、そこにはケチャップらしいものがべっとりと塗りたくられている。細い紐に吊られていたそれが、誰かが通り掛かると上から落ちてくるようになっており、当たったものにはとにかく絡みつくようになっている、ただそれだけだ、と。 「ったく、チャチな仕掛け残してるんじゃねえッスよ!」 「……」 ぷんぷん怒りながら、友護は先へ立って通路を進む。通路は次のイベント場所への連絡路のようなものらしく、壁にいろいろ描いてはあるが、何かが飛び出るほどの広さはない。 「ここは何も出そうもないッスね。とにかく次の区画まで言ったら、上に吹き抜けになっているみたいなんで、そっからコタロさん連れて飛び上がってみるッス。落ちた階層分、稼げるかも知れないッス」 「……」 電子手帳に周囲の状況を表示させながら、友護は頷き、そっと横目でコタロを眺める。 「というところで、ここはたぶん大丈夫ッスよ?」 「……いや」 通路に入ってからずっと、コタロはボウガンを掲げてゆっくりと左右に振り続けている。狭い通路だからあんまり派手に動かされると正直危ないのだが、相手が真剣そのものなので止めろとも言い出しにくかったが、そろそろ落ち着いてほしいところだ。 「そういう油断こそが惨劇を生む」「…そうッスね」 コタロの髪も友護の頭も、あちこちに拭き残しのケチャップと塗料がついている。傍目から見れば、二人の姿の方がかなり化け物っぽいが、それについては触れないでおこう。友護は一つ頷いて、目の前のアーチをそろそろと潜った。 一転、明るい光に瞬きする。暗い通路から出て来たせいか、二階まで吹き抜けになっているこの空間が奇妙に眩しい。 「何スかね、ここ」「……」 コタロはボウガンを掲げて大きく周囲に弧を描き、再び同じ動作をややゆっくり、次は少し素早く繰り返した。片手を腰に据えているあたり、何か舞台俳優が新たなダンジョンで儀式を行っているかのように見えないこともない。当人至って生真面目に同じ動作を繰り返し、やがてようやく気が済んだのか、溜め息まじりにギアを片付けようとして、ぴくりと顔を上げた。 「あそこに」「え」「何か光った」「どこに」「あそこだ」「どこ…うわっ!」 地図上は壁だ。コタロの指差した場所をギアと目視で確認しようとした矢先、があああっと派手な音が鳴り響いて、立っていた場所が沈み始めた。 おかしい、ここは廃墟ではなかったのか。 「コタロさんっ、手っ!」「しかし」「また下行きたいんスか、手!」「くっ!」 伸ばした手と手、必死に握り合ってそのまま友護は力一杯羽ばたく。細身に見えても、コタロは武人、筋肉質の体は正直重い。 「ふんぬうっぅ!」「…すまん」「今謝ら…なくて…いい…ッス!」 ばたばた、ばたばた、必死に羽ばたく翼に吊り下げられつつ、コタロはいささか情けなく顔を歪める。 放置していた思考にようやく戻ってくる。とにかく、ここは『お化け屋敷』というものなのだ、様々な仕掛けは大掛かりだろうが子どもじみていようが、人の恐怖と不安を煽るために作り上げられている。さきほどの透明フィルムにしても、ただひらひらと舞っている限り、誰が引っ掛かるわけもなく怯えるわけもない代物が、どうしてあそこまで恐怖と混乱を巻き起こすのかと言えば、在りもしない状況を在るかのように錯覚する、この心というものの在り方に由来するのだ。突然降ってきた物体、いきなり目の前を覆う幕、そういうものに人は戸惑い正確な判断を下すことができなくなる、もちろん軍人としては、それが攻撃であると予測される限り十分な対処ができるように訓練はしている、ならばここにある問題は、恐怖と混乱を煽る物体そのものではなく、それが攻撃ではないということなのか。しかしそれが肉体的な被害を想定したものではなくとも、心理的な被害を想定しているとなれば、これは十分に攻撃として捉えるべきもの…。 「あ、あれっ、あれっ」「…どうした」「何か、何かが下から」「下?」 友護の声に周囲を見回すと、ちょうど筒状になった空間の、さっき何かが光ったようなと感じた壁を、紅の影が過って消えた。視界の端、別の壁にも同様なものが一瞬映って消える。 「いやここ、廃墟ッスよねっ! 閉店してるッスよねっ?!」「待て、今…っ」 急いで振り向き、体を捻る、ゆらゆらと揺れる体勢は不安定だが、それは別に問題ではない、問題なのは、あちらこちらの壁にぱっぱっぱっと飛び移るように現れながら見る見る迫ってくる影、その姿を一瞬はっきり捉えたコタロは息を呑む、口を裂けるほど開いた妙齢の女性の顔、振り乱した髪、歪めた眉、半笑いの表情のままどんどん迫ってきたかと思うと、身動きするコタロを支えかねたのか、壁にすり寄っていく友護の真下、つまりはコタロの正面の壁に、があっと口を開いて大写しに広がる笑顔が、鼻先数㎝の距離で。 ぎゃああああああああっっっっ!!!! 「うひゃああっっっ!!」 コタロの絶叫と咄嗟に立て続けに放ったボウガンの音、目の前の壁に見えていた何かの映写装置が粉々に砕け散る音、それに友護の悲しげな悲鳴が重なった。 「ひええええいいっっ……フォニスぅ…っ」 もうだめだ、落ちる、そう思った矢先、壁に飛びついたコタロが何とか開いた穴から自分を引き上げてくれ、おそらくは順路とは全く違う場所を友護は泣き泣き、這いずって移動している。立ち上がりたいのだが、腰が言うことをきかない。はっきり言って抜けてしまっているのだ。 「もう出たいッスよぉ…」 ひょっとして一階こそぼろぼろだったのだが、実はあれこれ仕掛けの方は健在で、二人はどこかのスイッチか何かを押してしまったのか。それとも、ここはただただ廃墟で、二人が怯えまくっているから、ありもしない幻影に追い回されてしまうのか。 「出口は一体どこッスか」 友護は電子手帳を開いて、とにかく脱出口を捜そうとする。 対するコタロは、派手に施設をぶちこわしたことで、何か吹っ切れてしまったのか、どこか醒めた顔でじっと周囲に施設を眺め、 「攻撃と考えてもいいのか」 いささか物騒な一言を漏らした。 「はい?」 「兵士たるものこの程度で怯えてどうするそうだこれは模擬訓練だそう思え思い込め思い込むんだ雑作もないことそうだその意気だ訓練なんだから」 破壊しても構わない。 「ほえっ」 淡々と言い切られた内容にぎょっとして思わず友護の腰が入る。 「ちょっとちょっと待つッス。コタロさん、何を物騒なこと」 「うん?」 振り返ったコタロの瞳は蒼く輝き、活気というか殺る気に満ちあふれている。隈の入った顔さえ心なしか明るく、やや紅潮しているようにさえ見える。今にも、にこやかに微笑みつつ、ボウガン片手に勝利の雄叫びを上げて周囲に撃ち込みそうだ。 「どうしたんだ友護何か問題でもあったのか」 もしもーし。既に人が変わっちゃってませんか。未だかつて、ここまでフレンドリーに明るくコタロが応対したことがあっただろうか。まるで長年の知己を見つけ、やあ久しぶりだね、ちょっとそこで、ああいつものおでん屋だ、一杯飲みつつ世間情勢とかお互いの悩みについて語り合ったりしちゃおうじゃないか、はははとか、そういう信じられない展開まで可能にしてしまいそうな突き抜け感がある。しかもかなり棒読みっぽい。 「いや、コタロさん、破壊はまずいッスよ、ここインヤンガイだし、ただでさえ、旅人の評判はびみょーって、コタロさんっ!」「破壊なんかしないよほら俺は機械と相性はよくないから接触するだけでひょっとしたら装置が停止しないかなと思って☆」「やめてーっ!」 ぶち壊れたコタロでないコタロは、友護の悲鳴にも関わらず、すぐ側にあった装置の幾つかにしっかり両手を置いた。 がんっ、と開いたドアから真っ黒な影が飛び出してきた。 どすんっ、と血塗れっぽい何かが転がってきた。 ぼうんぼうんぼうんっとはね飛んできたのは、さっきの女の生首もどき。 そういう類が、次の瞬間、四方八方で一斉に起こった。 ぎゃああああっ! 響き渡る絶叫。ざああっ、どすんっ! ひゅうんっ! 飛び渡る生首、骸骨、アンデッド風腐乱死体。ばしゅっ! ばしゅっ! ばしゅっ! 桃色の水色のオレンジの煙で視界ゼロ。どううどううどうう! 揺れる床と壁、振動と流れ落ちてくる水。がばっ、がしっ! 無作為に開け放たれ閉まるドア、挟まれる偽物の手足が勢いに千切れ飛ぶ。 「コタロさんっ!」「……」「ってか、白目かよっ! これだけのこと引き起こしといて白目かよぉおおおおおっっ!!!」 友護は飛びかかってくる人形を尻尾で跳ね飛ばした! 降り落ちてきた生首を腕で弾き返した! 次々前に塞がる何かを、もう光線銃で撃ちまくった! ついでに、気絶したコタロを引きずりながら、たぶんどこかにがんがん当ててしまったとは思うが、軍人だし丈夫なはずだし脱出が最優先事項のはずだしターミナルにはちゃんと医務室も治癒能力者もいるはずなのでこの際いろいろ気にしないことにした! 走る走る走る。 「きゃぁぁぁ~っ!?」 通路をとにかく泣きながら友護は走る。 壁に張りつき、すうーーっと追いかけてくる大口女はげたげた笑いながら行く手行く手に立ち回る。飛び出そうとした戸口に塞がり、抜け出そうとした入り口を遮り、戻ろうとする進路に飛び交う。 「出口どこッスかーっ!」 ギアを確認すると、周囲四方は壁になっており行き止まり、真上に飛ぶしか脱出路はないが、そんな造りになっているお化け屋敷など聞いたことがない。それでは普通の人間は誰も脱出できないではないか。それとも、コタロの破壊でどこかが狂ってしまったのか。 「くっそーっ!」 ぶくぶく泡を吹いているコタロを引きずり上げて飛び上がる。笑い女の映像というか幻がぐるぐる周囲をからかうように舞い飛んでいる中、真上は天井で行き止まり、周囲に小部屋も通路もない、これで終わりかと涙に曇った目を瞬くと。 「あ…」 ふわり、と白いものが正面に動いた。真っ白な着物、真っ黒な髪、真っ赤な口紅の、それでも今までここでは見たことのないような美女の姿。その美女が空中に浮かびながら、両袖を口許に当て、かすかに微笑み頷いて、ふい、と背後の闇に消える。と、その消えた場所に、うっすらと小さな扉があるのが見えた。点検口、そうあるようだ。 「そこッスか!」 たありゃああっ! 友護はコタロを抱えたまま、その小さな扉に体当たりした。外開きだったのだろう、がうん、と大きな音とともに開かれて、そのまま明るい光の中へ飛び出したかと思うと、どさりと投げ出された。 「うがっ」「むぐっ」 くらくらしながら周囲を見ると、真上に飛び出したはずなのに、地面に投げ出されており、開いたはずの扉は背後の建物の『壁』にある。 「あれ? 真上に飛び上がったはずッス……なのに??」 わけがわからず、隣でのびているコタロを見やり、そろそろと建物を見上げると、屋根のあたりに派手な看板が毒々しい赤と黒で掲げられていた。裂けるような大口を開けて笑っている女の顔は、屋敷の中でたびたび見かけたあの顔だ。 と、入り口から慌ただしく人が出入りし始めて、何やら剣呑な雰囲気になってきた。どうやらここを離れた方がよさそうだ。 「コタロさん、やばいッス、ちょっとこっから離れるッス」 ぼんやりと体を起こしたコタロに声をかけていると、背後から、 『この馬鹿野郎がーっ! 油断してるからそうなるんだよこのアホ!』 「フォニスっ?!」 聞き慣れた罵声に慌てて周囲を見回すと、インヤンガイの密集した建物の間を擦り抜けて飛んでくる翼竜型ナビゲーターロボの姿があった。どうやら、友護の姿が見えなくなってから、いろいろ捜していてくれたらしい。 『大体、依頼済んで気を抜くなんてそれこそ半人前だ半人前!』 「ふぇぇぇ…! もうホンット怖かったんスからぁ…!」 安心した、加えて一気に気が抜けた、溢れ出る涙に手放しで訴えると、さすがにフォニスも驚いたのだろう、軽く舌打ちを一つして、それでもこう応じてくれた。 『…ったく、でも無事帰って来てホント安心したよ』 ターミナルに戻った後、友護とコタロは『恐怖の館〜追いかけてくる笑い女』がずいぶん前に閉鎖されていたことを改めて知った。数年前、中で女性が一人殺され、それをきっかけに暴霊達が寄り集まったために、浄化され封じられ、廃墟となっていたらしい。 「え? 飛び回る女の顔? そんなものないない、せいぜい、紙で作った骸骨とかかが並んでて、ときどきひゅーって風が吹くぐらいの……って、二人ともどうしたんだ? 顔色悪いぞ」 「コタロさん、じゃあ、あれ」「言うな」「オレっちが最後に見た」「認めるな」「ってか、あそこ浄化自体が失敗」 だんっ。 コタロは手にしていた酒のグラスをカウンターに叩きつけた。 真顔で友護を真正面から見つめて一言。 「考えるな」 「……ッスね〜」 思考停止は最上の友。 二人は新たな酒を開けた。
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