オープニング

 集められたロストナンバー達の目前で、世界司書・湯木は椅子に腰かけたまま卓上に積まれたトマトの山をもくもくと食していた。ロストナンバー達が集合してから、既に五分ほどが経過している。その間、彼らは未だ一言も言葉を交わしていなかった。

 湿った咀嚼音だけが淡々と続く沈黙に、ついに耐えきれなくなったロストナンバーの一人が彼に声をかけようとする。そのとき、湯木はようやく椅子を少し後ろにずらし、立ち上がる仕草を見せた。トマトを右手に持ったままロストナンバー達と向き合い、そこで彼は初めて視線を自分の元へ集った者達の方へ寄越す。
「インヤンガイ行って、ちぃと殺し合いしてこい」
 それだけ告げると、再びトマトを齧り始める。さすがにそれだけでは何がなんだか分からない。ロストナンバーの一人が詳細の説明を求めると、湯木は仮面のようにまったく感情の揺らぎが見られない顔で軽く頷き、空いている左手で卓上のトマト山の傍らに置かれている導きの書を開いた。

「お前ら、『壺中天』のこたァ聞いたことあるかの。こないだのトレインウォーで使うたやつもおるかもしれんが、インヤンガイで普及し始めとる技術でバーチャルリアリティ使うたインターネットみとぉなもんじゃ」
 『壺中天』は壺のような形状の端末を頭に被ることによってアクセスが可能となり、それによってインターネット上の仮想現実空間に使用者の意識体を送り込むことができるものだ。去年、巨大ワーム「ハンプティ=ダンプティ」を退治するため多くの冒険者達がこの壺中天内で暴れ回ったことは記憶に新しいだろう。
「その壺中天はの、ほれ、インヤンガイじゃけ、霊力で動いとるんじゃ」
 インヤンガイのあらゆる技術は、霊力をエネルギーにして発展したものである。よって、壺中天もそれによって動作しているのは当然のことだ。
「ほんで、今回はどうやらその壺中天を動作させとる霊力の一部が暴霊化したらしくての。利用者数名がそいつに捕らえられ、仮想現実空間から脱出できんくなったっちゅうことだそうじゃ。そんで脱出できんくなったヤツの関係者が現地の探偵に救出を依頼しての、こっちもそれに協力することなった」
 曰く、壺中天で暴霊に意識を捕らえられ、脱出が不可能となった者達は徐々に霊的エネルギーを暴霊に吸収され、精神を消滅させられてしまうらしい。そうなれば、現実世界に残された肉体も衰弱死することになる。彼らを救出するには、壺中天内に出現した暴霊を退治しなければならない。

「暴霊が発生したサイトは『死華遊戯』っちゅうとこじゃ。普段はアクセスしたもん同士で殺し合いゲームみとぉなことして遊んどる……まぁ、多少悪趣味なとこじゃの」
 仮想空間上のゲームで殺し合ったとしても、現実の肉体が死ぬわけではないのだ。身体の危険を伴わずして生死をかけたゲームが体験できるということは、日常から隔絶したスリルを求める者には願ってもないことなのかもしれない。
「暴霊はそのゲームの支配人、『シーワン』っちゅうNPCにとり憑いとる。じゃけェ、そいつを倒せばいいんじゃが……シーワンは、ゲームが終了するまで出てこなァらしい」
 『シーワン』は死華遊戯で行われるゲームの支配人という設定の人物だが、ゲーム内で参加者達に指示を与える際は声と画像だけでしか現れることがない。彼の姿を見ることが出来るのは、彼の紡ぐ死のゲームに勝利者が現れたときだけ。彼が自分のゲームに敗北したときだけなのである。
「生き残るんは、最後に残った勝者のみ。ゲームに勝利者が出ると、シーワンは敗北者の自分を処刑しよる。つまり参加者の誰か一人ゲームに勝てば、自動的に暴霊はシーワンと一緒に倒せるわけじゃ。じゃけェ――」

 殺し合ってこい。

 始めに彼が発した言葉は、暴霊の退治法を率直に表したものなのである。ここに集められたロストナンバー達はこれよりインヤンガイへ行き、壺中天で『死華遊戯』の殺し合いのゲームに参加する。そこでゲームの勝利者を出し、暴霊に憑かれた『シーワン』を処刑するのだ。

「殺し合い言うても、仮想現実空間でのことじゃ。あっちで死んでもゲームオーバーになるばっかしで、現実の肉体に害はない。じゃが、万が一勝利者が出んかった場合、ゲームオーバーんなったヤツがどうなるか……」
 そこで言葉を切り、司書はずっと手にしていたトマトを齧る。同時に、卓上の導きの書の傍らにあった人数分のチケットを、ロストナンバー達に差し出した。
「壺中天の手配ァあっちで依頼受けとる探偵がやってくれる。ゲームの詳しいルールも、事前に説明して貰えるじゃろ」
 もう一口、トマトを喰いちぎる。グチャリ、と湿った音と共に柔らかな赤い実はひしゃげ、液体は司書の白い手を伝った。

* * *

 ロストナンバー達は現地で関係者から依頼を受けている探偵と、カフェのような雰囲気のする店で合流した。店の中には壺中天が幾つも並んでおり、これらを時間制料金で利用できるようだ。
「死華遊戯の掟を紙に書きだしてきた。まずはそれに目を通せ」
 探偵の差し出した掌ほどの大きさの紙には、些か人に読ませる気配りに欠けるような荒れた文字がのたくっていた。

――――――――――――――――――――

一 五人の参加者は全員、珠の嵌めこまれた首輪を装着する。珠は参加者の首輪に付いている五個の他、遊戯舞台内に一個隠されており、総数は六個。

二 首輪に嵌めこまれた珠は装着者の死亡により固定具が外れ、取り外しが可能となる。

三 自分以外の参加者の珠四個と、隠された一個、計五個の珠を入手し、遊戯舞台内にある台座へそれら全てを嵌めこんだ者が勝利者となる。

四 制限時間は四時間。制限時間までに勝利者が現れない場合、首輪に内蔵された小型爆弾が爆発し、その時点で残っている者全員が死亡する。

五 首輪や珠を無理に外そうとした場合、爆弾の解除を行おうとした場合も上と同様。その時点で残っている者全員が死亡する。

六 全ての参加者は「一般の人間」として同一の条件の元で遊戯に参加する。武器は遊戯舞台内で確保し、物品の持ち込みは不可である。

七 参加者が全員死亡した場合、遊戯の支配人を勝利者とする。勝利を掴めぬ者は、死あるのみ。

――――――――――――――――――――

「覚えたか? つまりどう足掻こうが殺し合わねぇと話は進まねーってことだ。お前らは舞台内で一個の珠を探しながら殺し合い、集めた五個の珠を台座に嵌める。舞台内は暴霊の影響で多くの罠が仕掛けられてるらしいから、気をつけろよ。珠探しや殺し合いに気ィとられて、罠かかって全滅じゃー格好がつかねぇぞ」
 遊戯の舞台は毎回変化するらしい。故に、今回の遊戯がどのような舞台なのかは参加してからのお楽しみというわけだ。覚悟を決めたロストナンバー達は、探偵に促されるまま壺中天の準備に取り掛かる。

* * *

 虚ろな鐘の音が、夜中の校舎に響く。ロストナンバー達は、それぞれ異なる教室でそれを聴いていた。
『――ようこそ皆様。お待ちしておりました。まずは皆様を歓迎して、歌でも歌いましょうか』
 どの教室の隅にも、大きなテレビが置かれていた。そこに映し出された絵画、真黒い背景に赤と黄色の二色で描かれた髑髏の絵、その口がまるで生き物のように動いている。発せられる低いしわがれた声は、呪文のような歌で参加者達を歓迎した。

――君が求めるのは真珠の涙 偽りの肉体に剥きだしの心 その気持ち一度壊れてしまえばもう戻らない 戻らないから涙こぼれる――

髑髏の絵画は口を無理矢理笑みの形に変え、それぞれの教室で佇んでいる参加者達を画面越しに見つめる。
『今宵が皆様にとって、快適な殺戮の夜となることをお祈りしております』

品目シナリオ 管理番号1159
クリエイター大口 虚(wuxm4283)
クリエイターコメントこんにちは!大口虚です。
今回は殺し合いガチンコ勝負ーなシナリオをご用意してみました。

 シナリオの特性上、参加されたPCさんがゲームオーバーとなった場合、そのPCさんが死亡する演出が入ります。仮想空間上でのことですので実際にPCさんが死亡することはありませんが、そういった描写がお嫌いな方、苦手な方は参加をお避け下さいますようお願いします。また、スプラッタや軽度のグロ表現が苦手な方もお勧めできません。
 死亡の演出については一行程度のあっさりめに済ますことも可能です。あっさりめ希望の方はその旨をプレイングか非公開設定にお書きください。

 なお、途中でゲームオーバーとなったPCさんはそれ以降、ゲーム終了まで一切の行動が不能となります。それにより、PCさんに多少描写量に差が出る場合がございますのでご了承ください。(ただしそれについては最良の努力をさせて頂きます)

※ご参加頂くうえで、以下のことに特にご注意ください

・『死華遊戯』はPCさんの能力設定に関わらず、全員【壱番世界の一般人レベル】の能力でご参加頂きます。特殊能力は一切使用できず、武器やセクタンの持ち込みも不可とします。

・ゲームの勝利者一名は公平に、私の方で参加順に番号を割り振り、サイコロを振って決定させて頂きます。「むしろ殺してくれ!」という奇特な方がいらっしゃれば、最大四名様まで除外可能です。全員がそんな奇特な方ばかりだった場合、やはりサイコロを振らせて頂きます。「自分を勝利者にしてくれ」という要望は一切引き受けられませんのでご留意ください。

・ステージとなる学校には、一般の学校にあると想定される物は大体置いてあります。逆に、学校にはないであろう物は一切置いてありません。武器などは学校にあると思われる範囲でお選びください。

それでは皆様のご参加をお待ちしております。

参加者
テオ・カルカーデ(czmn2343)ツーリスト 男 29歳 嘘吐き/詩人?
レウィス・リデル(chdp8377)ツーリスト 男 28歳 狙撃屋
ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人
リヒャルト・ワーグナー(cpsu2498)コンダクター 男 27歳 軍人
ファーヴニール(ctpu9437)ツーリスト 男 21歳 大学生/竜/戦士

ノベル

 テレビの映像が砂嵐へと変わり、耳障りなノイズばかりが撒き散らされるようになったところで、リヒャルト・ワーグナーは自身の周囲を軽く見まわした。首には銀色の首輪。その中央部に青いビー玉のようなものが嵌めこまれていた。何の変哲もない無人の教室、勉強用の机と椅子が丁寧に並べられ、黒板と教卓がそれらの前面に君臨している。黒板は教室の後方にも存在し、リヒャルトが目をつけたのはその脇にある成人と同等の大きさのロッカーだった。
 その正面に立ち、罠に警戒しつつ慎重にロッカーの扉を開く。ロッカーに仕掛けがないことを確認すると、そこに収められていた幾つかの掃除道具の中から、モップと箒を取り出した。
「殺し合い、か」
 七十年近く前、戦火の中を軍人として命をかけてきたリヒャルトにとっては、互いに殺し合わなければならないという状況は決して珍しいものではない。
「全員が一般住民並の戦闘力……これは、経験がモノをいいそうだな」
 如何に身体能力が全員同一といっても、これまで培ってきた経験だけは明らかな差異として現れる。その点において、彼は確かな自信を持っていた。
「とにかく、武器になるものを探さなくては」
 校内を移動するのに何もないよりはマシだが、モップと箒だけではさすがに心もとない。
「ナイフ……それに近いものがあるとすれば……」
 教室後方の扉の脇に立ち、引き戸を数センチだけずらす。そこからモップを使って押し開くと、静かな廊下を覗き込む。人影は、まだどこにもないようだった。


 教室の外に見えるのは、瞬く星の一つもない夜空だ。黒を何度塗り重ねればこれ程までの暗闇を創りだせるのか、それ程までに濃厚な色をした空である。その暗闇を壊すように、ガラス窓へ叩きつけられたのは教室にあった椅子の脚の部分だった。音を立てて割れたガラスはファーヴニールの足元に散らばる。それを踏まないようにしながら、ファーヴニールはその中で使えそうなものを選び出す。
「大丈夫、俺は――」
 やれる、という言葉は喉元で詰まり、吐き出されることはなかった。既に、彼は自身の体の違和感に気づいていたのだ。現在の自分の肉体、竜の力を持つはずの肉体、その力が消失してしまったかのような感覚。ある種、それは懐かしい感覚でもある。
「一般の人間としてって、こういうことか……」
 先程から彼の心中に飛来している陰鬱とした感情は、能力を失った不安によるものなのか。否。能力を失うことは、ルールの説明を聞いた段階で予想がついていた。ならば、彼は何に惑うというのだろう。
 ファーヴニールの脳裏には先日の戦いの記憶が蘇っていた。ターミナルのあるアリーナで、自分の分身達と戦い、敗北した記憶。ドラグレット戦争の中で、さらなる力を手にしたはずだった。その力があれば、あれだけの強さがあれば、もう何を恐れる必要もない。はずだったのだ。しかし彼は敗北した。いったい、何が間違っていたというのだろう。攻撃するだけの強さでは――その言葉が蘇る。
「なら……強さって、力って、何なんだよ……?」
 今、彼は自身が持っていた能力の一切を奪われている。よって、いつものように竜の力を頼りにした戦いはできない。自分自身そのものの力だけで、この殺し合いのゲームに挑まなければならないのだ。
 それでも、ファーヴニールはガラスの破片を手に、教室の外へとのりだす。この戦いの中で答えを見つけられるのか。それさえも不確かなまま、彼は冷たい廊下を進む。


 家庭科室の戸棚から、レウィス・リデルは食事用ナイフの一本を取り出し、その刃の具合を確かめるように触れてみていた。それが充分殺し合いに利用できるものであると確信すると、怪しい微笑を浮かべる。
「仮想空間で殺し合い、ね。悪趣味だなぁ。……開発者とは気が合いそうだ」
 戸棚からナイフの他、包丁やフォークなども幾本か拝借する。それらを衣服にしまうと、もうここに用はないとばかりに入室のとき開けた扉へ足を向けた。
「今回の依頼の最終目的は『ゲームの支配人であるNPCの破壊』、経過目的として『他の参加者との殺し合いと、隠されている球の捜索・確保』……とりあえず、殺し合いより珠の捜索を優先した方が無難かな」
 ぼやきながら悠々と家庭科室を後にする彼には幾らか余裕があるようだった。入室の際に天井から落下してきた砲丸を跨ぎ、次の目的地を目指す。珠の捜索を行うならば、ある程度の目星はつけておくに越したことはない。珠を隠すに適した場所、あるいは珠の在り処についてのヒントはなかったか、レウィスは思考を巡らせる。時間は限られているのだ。目的を確実に果たすには、効率よく行動する必要がある。
「頃合いを見て、『離脱』することも考えといた方がいいか」
 このゲームで死んだとしても、現実に死を迎える訳ではない。最終目的であるNPCの破壊を達成するならば、自身の退場のタイミングも思慮に入れて然るべきだろう。とはいえ――レウィスの笑みに不敵な色が宿る。
「……易々と殺されるつもりもないけどね」


 足取りは軽く、テオ・カルカーデはどこか楽しげな様子で廊下を歩いていた。傍らの教室を窓から覗けば机と椅子がずらりと並び、長い廊下を歩けばその教室というものがまた幾つも並んでいる。テオは学校を題材とした創作物に触れたことはあるものの、こうして実際に建物内を歩いたことなどなかった。浮かれているのか、と問われれば、彼はおそらく肯定してみせるだろう。初めて来る場所、そして普段とは異なる身体感覚、それらは彼の好奇心をくすぐるには充分なものだった。
 やがて彼はある一つの教室の前で立ち止まる。教室の名を確認し、先程トイレで調達してきたゴム手袋を手にはめた。
「さて、最後の真珠の涙はどこでしょう?」
 ゲーム開始時に、シーワンが歓迎と称した歌。テオは、その歌詞が六個目の珠の在り処を示したものであると確信していた。偽りの肉体――そこから連想可能なものは、学校という限られた場では決して多くない。テオは、美術室の戸に手をかけた。
 戸を開け、ぐるりと内部を見渡す。他の教室より大きな机、それを囲むように置かれた椅子。教室の後方には石膏でできた胸像が幾つも棚に並んでいる。偽りの肉体と表現する以上、少なくとも人を模した物に真珠の涙が隠されているのは間違いない。校内にあるとすれば、模型や石膏像の類の物だろう。そこで手始めに、この教室を訪れたのだ。しかし、教室の全体を見渡したとき、テオの視線はその目的の石膏像よりも教卓の脇に置かれているものに惹きつけられた。使い古された三脚型のイーゼル、そこに置かれていたのは、ゲーム開始時にテレビ画面で見た黒地に赤と黄で描かれた髑髏の絵画である。
「シーワン?」
 しかしその絵画が先程のように動く様子はない。テオはそこへゆっくりと近づいた。近づいて観察してみても、特に変わったところはない。ただの飾りか、と石膏像の方へ行こうとしたとき、その絵画の右斜め前方の扉――美術準備室と書いてある――の脇に、机が一脚置かれているのに気がついた。美術に並ぶそれではなく、クラス教室に置かれている一人用の机である。そしてその机の上には、五つの丸いへこみのある厚さ二センチほどの金属板があった。
「台座……そう、こんなところに」
 床に目をやると、ひどく見え辛くはあるがピアノ線が台座を囲う蜘蛛の巣のようにして張り巡らされているのが分かる。天井を見上げると、包丁が数えきれないほどぶら下がっていた。そのあまりに分かりやすい様に、テオは可笑しげな笑みを浮かべる。しかしながら、テオは罠がこれだけだとは思っていなかった。その視線は、台座の置かれた机に注がれている。
「私ならそこに仕掛けるんですよねぇ。最後のドッキリって素敵じゃないですか」
テオは躊躇なくピアノ線の方へ一歩近づいた。


 薬品や実験器具が数えきれないほど敷き詰められた棚を、ヌマブチは手早く順番に検めていく。教室を出てすぐに確保した消火器以外にも、使い勝手の良い武器を探そうと理科準備室を訪れたのである。
 消火器を持ちながらここまで移動する間に、普段との筋力の差をすでに自覚していた。しかしそれもこれまで培ってきた軍人としての経験を生かせば充分補える程度である。
「……ここで見つかっては逃げ場がない。長居は無用、でありますな」
 棚から先の鋭いステンレスバサミや硫酸、アンモニア水などの薬瓶を幾つか拝借し、入ってきた扉の方へ移動した。扉の傍にしゃがみ、耳をあてて理科室が無人であることを確認する。それから立ちあがって、扉の上部の小さな擦りガラスを覗く。動くものがないか注意深く観察しながら、ドアノブに手をかける。

――ガタリ、

 扉越しに聞こえた音。ヌマブチは反射的にその場にしゃがんで、息を潜めた。今のはおそらく、理科室の引き戸が開く音だ。そして、床を踏む音が今、一定のテンポを保ち侵入してくる。扉を開ける前に音を聞いたことが幸いだったのだろう、足音が理科準備室に近づいてくる様子はない。しかしここを訪れた目的が珠の捜索や武器の確保であるとしたら、準備室に気づく可能性は充分にある。戦う準備は既に出来ていた。しかし早くに居場所がばれれば、自分が不利になる。戦うにせよ、脱出するにせよ、ここはしばらく様子を伺うことが無難と判断すると、ヌマブチは再度扉の向こうへ耳をすませた。

「偽りの肉体、剥きだしの心……ね」
 珠を探し、理科室を訪れたレウィスは教室の隅に置かれていた人体模型に気をとめ、立ち止まった。プラスチックでできた肉体に、露になっている内臓。その姿を見て、ゲーム開始時にシーワンが唄った歌を思い出したのだ。じっと、人体模型を見つめる。剥きだしの心。心――模型に心はない。あるのは、心臓。
 レウィスは人体模型から心臓を抜きとった。からり、と中で何かが転がるような音がする。
「なるほど。この心を壊せば、涙がこぼれてくるわけだ」
 机の前に移動し、心臓を置く。包丁をその表面につきたて力を込めると、心臓は思いの外簡単に割れた。割れ目を広げ、心臓を引っ繰り返し揺らしてやると、青い珠がコロリとこぼれる。
「これで、珠は確保。あとは殺し合うだけかな」
 珠を上着のポケットに入れ、穴の開いた心臓を隅のゴミ箱へ放ってから、一度周囲を軽く見まわしてみる。さすがに珠のすぐ傍に台座は置かれていることはないだろう。特に変わった様子はない。レウィスは入ってきた方の戸へ足を向ける。

 理科室を出てくるレウィスの姿を、テオは階段の傍の壁に隠れて眺めていた。先程まで扉越しに理科室内の様子を伺っていた彼は、レウィスが珠を入手したことを把握している。戦う準備の整わない段階で他のロストナンバーと接触するのを避けたかったというのもあるが、探す手間が省けるならそれに越したことはない。手間が省けたおかげで、後は自分の好きなように動けるのだから。
 テオの手元には今、美術室で回収したピアノ線と数本の包丁があった。それを手で弄びつつ、理科室前の廊下から視線を外す。
「では早速、これで遊ばせて貰いましょうか。……鬼が来る前に」
 別方向から近づいてくる微かな足音を聞きながら、テオは軽い足取りで階段を下っていった。

「おや、こんにちは」
 理科室のすぐ前で、彼らは互いの姿を確認し、同時に刃を向けあう。レウィスの挨拶にリヒャルトは応えなかった。沈黙し、ただ、目の前の人物の指先の動き一つ見逃さぬよう感覚を研ぎ澄ます。レウィスの手には食事用のナイフやフォークが。リヒャルトの右手に握られているのは、技術室で入手したクラフトナイフだ。左手には、教室のロッカーからとったモップ。
 先手を打ったのはレウィスの方だった。ナイフやフォークが空を切り、真直ぐにリヒャルトへと飛ぶ。しかしリヒャルトはレウィスの予備動作からその攻撃を瞬時に見抜いていた。咄嗟に左に避けると、理科室の戸を開けて中へ飛び込む。尚も追撃してくるナイフ達を机の陰に入ることで凌ぐと、理科室のさらに奥へ走る。再び理科室を訪れることとなったレウィスは、それを深追いせず一定の距離をとり、自身もまた机の陰に隠れて相手の動きを伺う。幾つも並ぶ机の隙間を縫って隠れた相手を狙うなど余程普段から投擲の訓練をしない限りは不可能だ。投擲を防ぎやすい状況で無理に近づけば、モップというリーチの長い道具を持っているリヒャルトの方が有利だろう。
「躊躇わないな」
 逆に、リヒャルトも動きづらい状態であるのは同様だ。攻撃のため接近を試みれば、それだけレウィスからは狙いやすくなる。
「ええ。これは、『仕事』ですから」
 緊張感で張りつめた空気の中、二人の声は異常なほど落ち着いていた。この一つの会話だけで、その声色だけで、自分の相手が場馴れした経験者であると二人は互いに理解する。
 沈黙。どちらかが一瞬でも隙を見せれば、ただちにこの戦闘は終わるだろう。故に、どちらもひたすら互いの動きに意識を集中するしかない。この均衡をどちらから破るか、それに全てがかかっていた。動きのないまま、時間だけが過ぎていく。
「懐かしい。この感覚は、戦場を思い出す」
 命を曝す緊張感の中、どれだけ精神を平常に保ち続けられるのか。リヒャルトは嘗ての記憶を呼び起される。
「実際の戦場とは違い、銃器を使えないというのは少々手痛いところですね」
「同感だ」
 普段銃器を扱う者からすれば、銃器の使用ができない状況での戦闘は少しばかり慣れないところがあるのだろう。それに使い慣れた銃器を用いることができれば、横たえられてすらいない机など障害物にならず、現在のような拮抗状態に陥ることもなかった。
「……拮抗は時間の無駄、ですね」
 刹那。レウィスが聞こえるか聞こえないかほどの声で呟くと同時に、動く。立ちあがり、ナイフを投げる。それは当然リヒャルトに当たることはなく、彼の足元に散らばった。その間に距離を詰めようとするレウィスに対し、リヒャルトは臆することなく自分からも接近する。モップの柄がレウィスの喉元めがけて突き出されるのを、レウィスは咄嗟に一歩後退することでなんとか回避した。その次の瞬間には、レウィスはズボンのポケットから何かを掴みリヒャルトへと投げつける。ブワッ、とリヒャルトの正面に白い煙が現れた。
「――!?」
 それは、真白いチョークの粉だった。怯んだ、その一瞬の隙を狙って包丁の刃がリヒャルトへと襲いかかる。その切っ先はリヒャルトの体へ届くかと思われた。しかし、包丁を持つ右腕はすんでのところでモップの柄により叩き伏せられる。金属が床に落ちる音。レウィスはすかさずもう一本用意していた包丁に手をかける。……しかしそれを再び構えることは、しなかった。
「どうした」
 再度レウィスの喉を狙おうとモップを引いていたリヒャルトが、構えを解かないままに問う。
「やはり、先に動くのは不利でしたね」
 事もなげにそう答えると、レウィスは包丁から手を離し、降参と言わんばかりに両手を上げた。
「分かっていてやったのか」
「こんなゲームで生き残ったところで嬉しくもありませんよ」
 時間は限られている。今回の依頼を達成するのに停滞は禁物なのだ。なら、拮抗した戦闘はどちらかが死を承知で動くしかない。
「ああ、でも痛いのは嫌いなので、出来れば一撃で済ませてくださいね」
「……了解した」
 リヒャルトはレウィスの首にクラフトナイフの刃を軽く当て、それから、振りかぶる――。

 コトリ、と首輪から外れた珠が床に転がった。



 静寂を迎えた理科室で、ガチャリと、理科準備室の扉が開く。思わぬところで時間をとられてしまった、などとぼやきつつ、ヌマブチは今度こそ素早く理科準備室から脱出した。床に広がっている赤い液体を踏まないよう足元に気を配りつつ、倒れている人物を一瞥する。暴霊を倒すまで、彼はこの状態のままゲームの支配に捕らわれるのだろう。依頼の失敗は許されない。
「……む?」
 血だまりから少し離れたところに、何かが落ちている。歩く過程でそれを蹴飛ばさなければ、危うく気がづかないところだった。慌てて蹴飛ばしたそれを追い、拾い上げる。戦っている最中に落ちたのか、ともかく、それを適当なポケットにしまう。
それから、どれほどの時間ぶりかにヌマブチは理科室を後にした。


「――ッ!」
 あるクラス教室の戸を開けた途端に飛んできた包丁の脅威から、ファーヴェニールは間一髪のところで逃れることができた。わずかに刃先が掠った左頬の血を手で拭う彼の顔には、苦虫を潰すような表情が浮かんでいる。
「……体が重い。普通の人、って、こういうことなんだっけ……」
 普段ならば、自分の体はもっと素早く反応ができるはずだ。こんな傷を負うようなことなどない程には、もっと。
教室内を覗くが、中には誰もいない。無人であることは罠が発動したことでなんとなく予想ができていた。しかし見たところ、六個目の珠や台座の在り処とは特に関係はなさそうである。
「当てずっぽうは、さすがに無茶か」
 ゲームが始まってから、何度目かの溜息をつく。動けば動く程、いつもと異なる身体感覚への戸惑いは募るばかりだった。
「これが、今のこれが。竜の力を持たない、俺自身の力なんだな」
 強力な技を習得し、浮かれていたときのことを思い出すと、ひどく惨めな心持ちになる。竜の力を失った、本来の自分がここまで頼りないとは。
「……なんて無力なんだ、俺って」
 もう一度、溜息をつきかけたとき。少しばかり離れたところから何者かの足音のようなものが聞こえた。教室内から目を離し、急いで廊下の音がした方向を見る。既に人影はない。しかし校内で動くものがゲーム参加者しかいない以上、音をたてたのは今回の同行者の誰かに違いない。
「いつまでも、グズグズしてられないよな」
 長い廊下の中央の階段に辿り付き、螺旋状の階段から下を覗くと確かに何かが移動しているようだった。一瞬、それをこのまま追っていいものかどうか躊躇うが、これ以上何もせずただウロつくのみというのには耐えられそうにない。
 二階分程階段を降り続け、やがて一階まで辿りついた頃、それがどこかの教室に入るような音がした。どの方向に行ったかは分かったが、あくまでも慌てず、それがどこの教室に入ったのか確かめようと慎重に角から廊下の様子を探るため顔を出す。
 廊下には、すでに誰もいない。ファーヴニールは角から出、何者かが通ったと思われる方へ向かう。保健室や職員室などとは反対の方向だ。そこにあったのは、靴用のロッカーが並ぶ広い玄関口と、図書室。

 図書室の観音開き式の扉を微かに開けてみる。今度は罠が発動することはないようだ。中は他のどの教室より広く、貸出・返却用のカウンターや利用者用の大机数台がある他、本棚が幾つも規則正しく整列していた。そこに何かが動くような気配はない。今のところは。
「入って、調べてみるか……? でも、」
 どうにも嫌な予感がするのは、ただ自分が弱気になっているだけなのか。しかしここで引き返し、危険を回避できたとしても、依頼が達成されなければ何の意味もないのだ。意を決して、扉を大きく開け放つ。
しかし、扉を開こうという瞬間に、急速に接近する足音が。図書室内からではない。背後。自分が歩いてきた方向だ。ファーヴニールの視線が図書室内から外れるのと、消火器がその体に叩きつけられるのはほぼ同時だった。
 ファーヴニールは衝撃を受け倒れそうになるところをなんとか踏ん張り、消火器をくらった左脇腹を庇いながら図書室に駆け込んだ。そのまま図書室の奥へ走りつつ、チラリと、扉を振り返る。見覚えのある、カーキ色の軍装姿。
「ヌマブチさんか……!」
 ひとまず一度身を隠そうと、立ち並ぶ本棚に紛れる。隙間を縫って走り、その中の一架の陰にしゃがんだ。消火器の攻撃をまともに受けた左の脇腹からは強烈な鈍痛が続いていた。衣服をまくり、具合を見てみるとすでに大きな内出血が広がり、腫れかけている。
「仮想空間で良かったよ、本当にさ」
 口でそう言いつつも、その表情は悔しげに歪んでいた。

 消火器を抱え直し、ヌマブチは図書室の中へ足を踏み入れる。階段を降りていくファーヴニールを尾行したことにより、不意打ちが成功したのは大きい。しかし、それでも本番はこれからだ。
 ファーヴニールが本棚の集合している方へ入っていったのは見ている。問題は、ここからどう仕掛けるか。本棚が一、二メートルおきに並んでいては、相手を見つけるのは一苦労だろう。しかしそれはむしろ、自分も身を潜めやすいという点で好都合でもある。
 書棚の間をいちいち覗きながら、気配を悟らせぬよう慎重に奥へと進む。あまり時間を与えては、はじめの不意打ちの効果が薄まる。接触は早ければ早い程、こちらに有利だ。
「ならば、いっそ――」

 足音は、ゆっくりと近づいていた。一定のテンポを崩さず、淡々と、ファーヴニールを確実に追い詰めている。
 しかしまだ、ファーヴニールは負けるつもりはない。勝ちたいというよりは、まだ自分はやれる、という意地だった。知りたいのだ。自分の力だけで戦う、その意味を。
 脇腹は、まだ痛む。しかし、まだ自分は何の答えも見いだせていないのだ。手にしていたガラス片を、強く握りこむ。
「まだ、やれる……!」
 足音が自分の隠れている棚の手前に来たところで、ファーヴニールは陰から飛び出した。消火器を左手に持ったヌマブチに躊躇いなく接近し、右手に持ったガラス片を振りかぶる。しかしガラス片が仕留めたのは、人ではない。ヌマブチが後方に避けつつ放り投げた、茶色の薬瓶だった。薬瓶はガラス片によって叩き落とされ、液体を撒き散らしながら床に落ち、割れる。
「――ッ!」
 右手と、左脚の液体のかかった部分に焼けるような激痛が走る。液体の正体は劇薬の類の物だろう。しかしそれが何かを確認している暇はない。痛みで取り落としそうになったガラス片を、一部赤く爛れた手からさらに血が出る程強く握る。
 自分が飛びだしてから薬瓶が投げられるまでの早さからして、わざとこちらから仕掛けさせたのだろう。咄嗟に薬瓶を叩き落とさなければ、おそらくもう決着はついていた。
「容赦ないですね、ヌマブチさん」
「依頼のためであります。躊躇う必要などない。……これが現実でないなら、なおさら」
 それはファーヴニールも同様のつもりだった。これはあくまでもゲームなのだから、相手を殺すことに気負う必要などない。だからこそ、見知った友人を前にしても自分はまだガラス片を捨てる気がないのだ。……そこまでしてまだ戦おうとする理由は、もはや自分でもよく分からない。
「一つ、訊いてもいいですか」
 ヌマブチは、消火器を一度床に置き、黙することでそれに応えた。互いに相手への警戒は解かないまま、ファーヴニールは先を続ける。
「ヌマブチさんは、力って……なんだと思います?」
 問いの真意を測るように、ヌマブチはファーヴニールの表情を伺っていた。
「俺、最近新しい技を使えるようになって、自分は強くなったんだって、思ってたんです。でも、攻撃だけの力じゃいけなくて……。それから、ここに来て、いつもの力が封じられたら、自分がどうしようもなく無力に思えて……それで、だから……」
 どうにも言葉がまとまらないのは、疲労と痛みのせいか。あるいは、自分の中でも思考がまとまっていないからか。
「……ファーヴニール殿は、何故力が必要だと?」
「それは、――二度と、失いたくないから。そして、護りたいから」
 大切な人を、二度と亡くさないために。もう二度と、同じ悲劇を繰り返したくないからこそ、自分は強さを求めたのだ。そしてドラグレット戦争の中で、思った。あの、恐ろしい力でも、その力で護れるものがあるなら、護りたいと。
「それは、強い力がなければ不可能なことでありますか」
「え?」
 思いもよらない言葉に、ファーヴニールは眉を顰めた。
「例えば。今と同様、力が封じられている状況で、強力な敵から大切な人を護らなければならないとしたら?」
「……戦う」
 本当に大切な人なら、状況がどうあれ見捨てることなどできるはずがないだろう。だからファーヴニールは素直に、そう答えた。
「勝てそうにもないとしたら」
「それでも俺にしか助けられないなら、諦めない。例え――どんなことをしても」
 力で敵わないなら、それこそ逃げ道を探すなりして自分に可能な限り足掻けばいい。本当に、護りたいと思うなら。
「……そういうことであります」
 話は終わりだとでも言うように、ヌマブチは消火器を抱え直す。
「え、ちょっと待ってまだ俺の思考が追いついてきてない!」
「力は、目的のための手段の一つにすぎない。以上」
 消火器が振りあげられるのを見て、ファーヴニールは慌てて棚の方へ逃げ込んだ。それを追い、ヌマブチも棚の並ぶ通路へ入る。ファーヴニールはそこですかさず立ち止まり、ガラス片をヌマブチの首を狙って突き出す。それが避けられるとすぐに数歩後退し、距離をとった。
「速さは、消火器よりこっちの方が有利みたいですね」
 正直に白状すれば、左の足の痛みは相当でそこまでの有利さはない。それでもあえて、ファーヴニールは笑ってみせる。
「……そのようでありますな」
 もう一度、ファーヴニールは突進する。先程より幾分早く振りあげられた消火器を、左手で押さえ込みにかかった。至近距離で、ガラス片が今度こそヌマブチの喉を狙いにかかる。
 しかし、ファーヴェニールの目は捉えた。ヌマブチが開いた片手で取り出す銀色の物体を。下から突き上げるように繰り出されたステンレスバサミを、ファーヴニールは間一髪のところで回避した。無理矢理回避した反動で、バランスを失い後ろに数歩よろめき下がる。途中、何か細いものに引っかかるような感触があった。
 しかしそれにかまう暇もなく、ハサミの鋭い切っ先が再びファーヴニールに迫りかかってくる。体勢を立て直しきれず、今度こそ避けようがない――という、そのタイミングでヌマブチは制止した。何かが倒れるような音が、すぐ近くで聞こえたのだ。ハサミを引き、その場からの退避を試みる。その理由は、ファーヴニールにももうすでに分かっていた。当然だ。真横に聳えていたはずの書棚が、自分達に向かって倒れかかってきているのだから。

 凄まじい轟音が、図書室全体に響いた。

 背の高い棚が一つ倒れれば、あとはドミノ倒しのように他の棚も倒れていくのは当然である。あらかじめ本の量を調整し倒れやすくした棚に、ピアノ線を何本か使って仕掛けをしてあったのだ。それは、あらかじめ設置されていた罠ではない。
「派手で面白くはありましたが、こうなると珠を探すのが手間ですね」
 本の海のようになった一帯を、テオは軽く見まわした。二人がどの辺りにいたか、カウンターの裏に隠れていたテオに詳細までは分からない。
「……おや」
 一つ目の珠は、本の海から数十センチ離れたところに転がっていた。一つが見つかれば、もう一つもすぐ近くだろう。すぐ傍の棚を押して僅かばかりにずらし、本をかきわけていく。はじめに見つけたのはカーキ色の軍帽、これが手前から探し始めてすぐ見つかったということは、先程拾った一つは彼の物だろう。棚に押し潰されたのは、もう一人いるはずだ。
 それからもう少しばかり時間をかけ、もう一つの珠を回収すると、テオは何事もなかったように図書室を出た。


 轟音を聞いて、図書室のある一階まで降りてきたリヒャルトが遭遇したのは、紫髪に獣のような耳を持つ男だった。
「これは、調度良いところでしたね」
「どういう意味だ?」
 右手に持ったクラフトナイフを構えながらリヒャルトが問うと、テオは微笑を浮かべながら、先程回収した珠二つを左の掌に乗せて差し出す。
「残ってるのは、貴方と私だけです」
 リヒャルトが怪訝そうにするのに、テオは特にかまう様子はない。
「台座は、美術室にあります。周囲にかけられていた罠は解除しました。最後の難関もありますが、私が置いておいた物を使えばどうとでもなるでしょう」
 先を促されることもなく、テオは一人語る。校内に仕掛けられていた罠の詳細な位置を。ついでに自分で仕掛けてみた罠の位置も。
「これで、私の今日の仕事は終了です。記憶はできましたか?」
「いったい、どういうつもりだ」
「好奇心ですよ。一度、死の瞬間の風景というものを見てみたくて」
 テオは楽しげに笑ってみせた。右手に持つのは、美術室で回収した包丁。その切っ先を自身の左胸にあてがう。
「それでは、私の心を捧げましょう」
 リヒャルトの見ている前で、テオは自身の左胸を突き刺した。じわりと、壱番世界の人間のそれとは多少異なる色合いの赤が、彼の衣服に滲む。如何なる景色を見ているのか、倒れる男の表情は相変わらず楽しげだった。
「奇妙な奴だ。……だが」
 彼が手に持っていた珠二つと、彼自身の珠を拾い上げる。それから、自身が先にレウィスから回収した分を取り出す。
「これで、四つか。あともう一つは、まだ見つかっていないようだな……」
 美術室に向かう前に、それを探す必要があるだろう。リヒャルトは図書室に背を向け、歩き始める。どこか、隠し場所に心当たりはあったかと思考しながら、降りてきた階段をまた登りだす。思考の最中であったが故に――
「!?」
 背後から接近していた気配に気づくのが、大きく遅れることとなった。銀のハサミが、リヒャルトの背に突き立てられる。
 リヒャルトは咄嗟にクラフトナイフを逆手に持ち、背後に腕を振った。しかし、その腕は掴みとられて封じられる。背に刺さったハサミが引き抜かれ、今度はその首めがけ真直ぐに突き立てられた。
 切れた動脈から血が噴出し、階段を赤く塗らす。リヒャルトの首輪から落ちた珠を、ヌマブチは落ち着きはらった様子で拾い上げた。


 ドミノ倒しのドミノは、地へ隙間なく倒れ伏せるわけではない。次のドミノに引っかかって、ドミノと地面の間には必ず隙間があるのだ。棚が倒れる寸前でその場に伏せたヌマブチは、運よくその隙間に収まることができたのだった。理科室で回収した珠を落としたのは、おそらく慌てて伏せたそのときのことだろう。
 ヌマブチは美術室に入り、美術準備室の手前に配置された台座を見下ろしていた。銀の台座に、窪みが五つ。その傍らに置かれていたのは、ゴム製の手袋だ。
テオが図書室を出た直後に本の海から脱出したヌマブチは、テオとリヒャルトの会話も聞いていた。テオは自分が置いておいたものを使えと言っていたが、それはおそらくこのゴム手袋のことだろう。
 早速ゴム手袋を付け、試しに床に落ちていた包丁を台座に近づけてみる。と、包丁の刃先に弾けるような音と共に青い閃光が走った。
「ここに電流、とはまた、姑息でありますな」
 しかしそれも最早特に大きな障害ではない。ヌマブチは淡々と回収してきた珠を台座の窪みに嵌めていく。全て嵌め終えると、美術準備室の扉からカチリと鍵の開くような音がした。


 中で待っていたのは、簡素な木椅子に鎖でグルグル巻きに拘束された黒いスーツの男、らしき人物だった。顔は、真白い無地の仮面に隠されて分からない。
「おめでとう! おめでとう! 君の勝ちです、君を心から称賛しましょう!」
「黙れ」
 美術室で拾った包丁を、男の顔面に突きつける。それでもその男は、シーワンは、甲高い笑い声を上げながら称賛の言葉を叫び続ける。ヌマブチは、鬱陶しいと言わんばかりに包丁を男に喉に突き刺す。それでようやく、シーワンの笑い声は納まる。
 しかし、男はなおもその首を持ち上げた。今度は声に出さず、嗤う。
「……それでは皆様、ごきげんよう……」
 そう言い終えると、シーワンの腰掛けていた木椅子の背もたれが爆発した。シーワンの肉体が炎上し、黒く、消える。

 そして残されたのは、ただ一人。

【GAME CLEAR】

クリエイターコメント 大変お待たせ致しました。

 8面ダイスの目は8(振り直し)→3と出ましたので、今回のデスゲーム勝利者はヌマブチさんとなりました!
 とはいえ、勝敗に関わらず参加してくださったPCさん一人一人を格好良く書こうと小さい脳みそを捻りつつ書かせて頂きました。少しでも気に入って頂ける場面があれば幸いです。

デスゲームシナリオまた機会があればやりたいなぁと企みつつ。この度はご参加ありがとうございました!
公開日時2011-02-21(月) 21:30

 

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