1.鳥の渡り ばさり、と翼をたたみ、降り立ったのはひときわ高い崖の上だ。 「……美しいな」 見下ろせば、どこまでも広がる豊かな緑に、自然と唇がほころぶ。 「歩くのも、飛ぶのも、心地よい」 神秘的な紫の双眸を細め、迦楼羅王は空を見上げた。 荷ひとつない、身軽な出で立ちだが、こう見えてヴォロスの絶景を求めての旅のさなかである。風を友とし、また翼持つ迦楼羅王にとっては、ヴォロスの民でも分け入るのに苦労するような緑深き秘境へ出かけることも、ちょっとした小旅行程度の感覚でしかない。 「風や光、緑に強い力を感じる。ここは、エネルギーに満ちたよい場所だな」 司書の依頼を受けてではなく、自らナレッジキューブを負担しての、自由気ままなひとり旅である。 霊力に満ちた『場』を訪れ、幻獣たちと語らい、いかなる技術をもってかつくりだされた古代文明の名残に触れて、太古に滅んだと言われる竜の息吹をそこかしこに感じながら、迦楼羅王は森を、山を、海を超えた。 瑞々しいエネルギーに触れて、身体のすみずみにその力が行き渡るのが判る。 清冽な風が、彼の、深い紫の髪を吹き散らかしていくと、陽光の粒をはらんだ髪は踊るように跳ね、周囲にきらきらとした輝きを撒いた。 「ふむ……」 次はどこへ行こうか、と、遠くを見晴るかしながら思案する。 飛ぶことは、鳥の王ガルーダの末裔たる迦楼羅王にとって喜びのひとつだ。 豊かかつ遠大な自然を眼下に臨みながら飛ぶだけで気持ちが清々するのは、もう本能と言うしかないだろう。 「少し、北のほうへ行ってみるか」 深紅の翼を広げ、空へ舞いあがる。 風が、彼の翼を歓迎するようにびょうびょうと鳴き、迦楼羅王に笑みを浮かべさせた。獲物を狙う隼の速さで空を飛び、遠くのほうに明らかに人為的な煙が上がるのを見出して、 「……そうだな、今度はひと気のあるところにでも、」 言いかけたところで迦楼羅王は眉をひそめた。 煙の色が、妙にどす黒かったからだ。しかも、ひとつところからだけでなく、そこかしこから上がっている。 あれは、人々が暖を取ったり、煮炊きをしたりするたぐいの煙ではなかった。 そう、まるで、 「あれは……家屋や生き物を、力尽くで燃やした時の煙だ」 ひとつの集落が、なにものかの襲撃を受けたかのような。 「……」 迦楼羅王は眦を厳しくし、翼に力を込めた。 2.竜の怒り 「……ひでえな」 黒煙の上がる、集落の真ん中で、清闇は顔をしかめていた。 深く神秘的な森のそばに、控えめにつくられた小さな村でのことだ。 世界司書から、辺境の村が何ものかの襲撃を受け、壊滅的な被害をこうむった旨を聞かされたのが半日ほど前だった。不幸中の幸いで、死者は出ていないとのことだが、住まいを失った人々は、少し離れた集落に身を寄せ、不安な思いを抱えながら暮らしているのだそうだ。 その集落が襲撃されるという予言があり、更に竜刻がかかわっている可能性があるとのことで、その阻止と回収を依頼されて清闇はここへ赴いたのだった。 「なんだコイツ……同属じゃあねえみたいだが、神聖な気を感じる。よこしまな、濁った気配はしねえ。だが、なんでそいつが人里を襲う?」 そこかしこにしみつく、人ならざる大いなる存在の気配。 撒き散らされたさまざまな情報を丁寧に拾い、観察しつつ状況の把握に努める。 「……コイツが人間の集落を襲わなきゃいけねえ理由が判らねえな。腹を減らして、っていうには、死者が出てねえのが気になる。だいたいにして、その辺の森で獲物を探したほうがよっぽど手っ取り早いだろ。食うため、生きるためのことじゃあねえな、これは」 まるで、自分の持っている力を自慢げに見せびらかすかのような、傲慢で不細工なやり口だ。 「気に食わねえ」 丈高い身体から、じわりと怒気が滲み出す。 「その地に暮らす民の生活を脅かして、神聖もくそもねえ。それが聖なる存在だってんなら、俺が叩き潰してやる」 『世界を滅ぼす』と恐れられた最後の黒竜でありながら、人間を愛し、人間とともに生きることを――その営みを護ることを自らに課した清闇である。強大な力を持つ何ものかによって、人々の暮らしが破壊されることには強い憤りを覚える。 死者は出なかったとはいえ、家屋を破壊され、畑や家畜を焼かれた人々はどんなにか不安だろうか。再度の襲撃に怯えながら眠る夜は、どんなにか寒々しいだろうか。 「見つけて、叩きのめして、二度とこんな真似が出来ないようにしてやろう」 人間たちは強靭で勤勉だ、脅威さえ取り除かれれば、すぐに新しい生活を始められるだろう。 「よし、なら……」 襲撃の予言を受けた集落の周辺一帯を保護するべく、移動しようとした時だった。 ばさり。 空から、大きな羽ばたきの音がした。 降って来るのは、羽ばたきの巻き起こす風と、肌をぴりりとさせる冷ややかな怒りと、そして紛れもない神聖な気配。 「……てめえは」 見上げると、そこには、真紅の巨翼を負う紫眼紫髪の青年の姿があって、 「貴様……恥を知れ」 彼は、両刃の長剣を腰から引き抜きながら地面へと降り立った。 青年の全身にみなぎる強い力と、美しいと表現して過言ではない四肢のすみずみに満ちる神聖性が、清闇に確信を抱かせ、彼は片眉を跳ね上げた。 「恥、だあ? てめえにだけは言われたかねえよ、くそったれ」 青年を睨み据えながら、清闇もまた剣を抜く。 清闇の相棒、鎮吼王は、彼の内心を表すかのように震え、熱を持った。 「戦おうというのか、私と。……愚かな選択だったと後悔するなよ?」 「は、てめえの思惑なんざ知ったこっちゃねえ。てめえこそ、あとになって吠え面かくな?」 向かい合い、睨み合い、次の瞬間。 ――ゴッ! 突風を思わせる勢いで、剣と剣がぶつかり合う。 ギチギチ鳴く刃を押し合い、 「てめえみてえのがいるから、人間が苦労するんだろうが!」 「その言葉、そっくりそのまま貴様に返してやる」 言葉の応酬のあと、後方へ跳ぶ。 青年が手をかざすとかまいたちがふたつみっつと発生し、清闇へと襲いかかったが、 「舐めんな」 精霊の愛を一身に受ける清闇にそれは届かず、彼の一言でそよ風に変じて消えた。 青年が忌々しげな――どこか憐れむような表情をする。 「惜しいな。なぜ、それだけの力を持ちながら」 「俺が訊きてえよ。なんでてめえが判らねえのかってな」 清闇は嗤い、彼の長剣を弾いた。 それから、双方口をつぐみ、無言のまま打ち合いを続ける。 ――むしろ自分たちが周辺に壊滅的な被害をもたらしそうな激しさで剣を交えるふたりは、気づいていなかった。 相手の頭上に、真理数と呼ばれる、階層を示す数字が浮かんでいないことに。その数字が浮かんでいないからには、すなわち、自分たちが同じロストナンバーなのだということにも。 なにせ、互いが互いを、この集落を壊滅させた犯人と思い込んでいたのだ。 互いに相手を襲撃者として糾弾しながら、自分の物言いが相手を誤解させているとは思ってもいなかった。 更にいうなら、拮抗した実力と、久々に感じる手ごたえに、血が騒いでいたのも事実だ。 「ち、面倒くせえ」 清闇の左手が宙に弧を描き、青年の周囲に闇色の茨を発生させる。 「……こんなことまで出来るのか。ますます惜しいな」 「ほざけ」 漆黒の茨は、触手めいた動きで蠢き、青年を搦め捕ろうとしたが、 「だが、甘くは見るな?」 彼の周囲に発生した、純白の炎によって灼き尽くされ、塵となって吹き散らかされる。 「魔法戦じゃ埒が明かねえな。ガチでやるしかねえか」 清闇は獰猛な笑みを浮かべ、青年も同類の笑みでもって答えた。 このまま、勘違いによって発生した激闘が延々と続くのかと思われた、その時。 ゴオオォアアアアアアアアァ!! 突如、すさまじい咆哮が辺りに響き渡った。 獅子の双頭、大蜥蜴の眼、虎の身体と前脚、鷲の後ろ脚と翼、蛇の尾、雄山羊の角。物知りならばキメラと称したであろう、身の丈十メートル近いそれが、牙を剥き、口から黒煙を吐きながらこちらへと突進してくる。 禍々しいが、どこか神聖でもあるその気配に、ほんの一瞬意識を奪われたのは、清闇だけではなかったようだった。 3.強欲は罪か、憐れか が、しかし。 ゴアアアアアア! ヒトの姿をしたちっぽけな存在など取るに足りぬとでも思ったか、勝ち誇った声を上げて突っ込んでくるそいつに、 「やかましいぞ、取り込み中だ!」 「こっちは忙しいんだ、邪魔するんじゃねえ!」 阿吽の呼吸で吐き捨てて、素晴らしいとしか言いようのない呼吸の合いようで別方向へ跳躍、双頭がそれぞれに気を取られた隙を見逃さず、瞬時に間合いを詰めて、腹と首に猛烈な一撃を喰らわせる。 迦楼羅王は天界に反旗を翻すほどの戦馬鹿だし、相手の男からも同じようなにおいがするから大きな違いはないだろう、ふたりからの一撃はよほど強烈だったらしく、キメラもどきはぐぐぐ、と呻くとそのまま引っ繰り返り、目を回したようだった。 「……無粋な邪魔が入ったな。続きと行くか」 「ああ。次こそ決着をつけてやる」 何事もなかったようにそれを見届け、互いに剣を構えたところで、 「な、ななな、なんだってええええええ!?」 森の木陰から、真っ黒なローブに身を包んだ貧相な小男が飛び出してきた。 「ん? なんだ、アイツ」 目玉が転がり落ちそうなくらいに眼を見開いた男は、よほど驚愕したのか、口から泡を飛ばす勢いで狼狽している。 「馬鹿なッ、馬鹿な、そんな馬鹿な! “いにしえの森守”だぞ、上古の昔よりこの地を絶対的な力で支配し守護してきたという旧い神獣だ! それがなぜ、貴様らのような連中に……!?」 しばらく前のめりの姿勢でなにやらぶつぶつつぶやいていた小男は、 「まさか、貴様らも、あれを狙って……!? 渡さん、渡さんぞ、竜刻も貴鉱脈も希少植物も、すべて私のものだ、渡してなるものか!」 くわっと血走った目を見開くや、ふたりを睨み据えた。 彼が空に手を掲げると、その手のひらが光を放ち、森守と呼ばれたキメラもどきが呻き唸りながら身を起こす。 金色の眼が、ふたりを睨み据えた。 「……同属の匂いがする。てめえ、竜刻、持ってやがるな」 片眉を跳ね上げ、男が迦楼羅王を見やった。 真紅の左眼からは、先ほどの剣呑な光が消えている。 「おう、鳥」 「誰が鳥だ」 「羽生えてんじゃねえか」 「……羽が生えていたら貴様にとってはすべて鳥か」 「んじゃ鳥じゃねえのかよ」 「いや、まあ、確かに鳥だが。……調子の狂う男だな。私は迦楼羅王だ、そう呼べ」 「そうかい。俺は清闇ってんだ。今気づいたが、お前もロストナンバーだな」 「……ん、そういえば、そうか。ということは、村を壊滅させたのはあの森守とやらで」 「その森守を操ってんのがあの小男ってことだな。この辺りには竜刻だの資源だのが豊富に存在するってわけだ」 ここに至ってようやく互いの勘違いに気づき、ことの真相に思い至る。 村を壊滅させたキメラもどきは、この地域に封じられていたかもしくは眠りについていた森の守護者かなにかで、それを男が魔術や呪術のたぐいと竜刻の力で操っていたのだ。男は、守護者を暴れさせて人々を追い出し、誰も近づかないようにして、この地に埋蔵された竜刻や豊富な地下資源、希少な植物資源を独占しようと企んでいたのだろう。 「事情が判ってみると、気の毒なくらい小物の発想だな。力ずくで奪ったものは、真実自分のものにはならないのだと、なぜ気づかない」 はああ、と、うっかり同胞との殺し合いを演じてしまった迦楼羅王は盛大な溜息をつく。 「村人たちと協力して森守をよみがえらせ、資源を発掘して村の発展に尽くした、とかだったらなア。尊敬されて懐もあったかくなって、誰からも感謝されていいこと尽くしだったんだけどな。三下にゃ、目先のことしか見えねえか」 清闇はむしろ面白そうだ。 「人間てのは、金剛石みてえに磨き抜かれた魂のやつがいるかと思えば、てめえみてえなつまんねえ魂のやつもいて、まあ、見てて飽きねえのは確かだよな」 「な、な、な」 言いたい放題言われた男は、貧相な身体をわなわなと震わせていたが、血色の悪い顔を怒気に染めて金切り声をあげた。 「だッ、黙れ! 貴様らごときにこの私の偉大にして遠大なる計画が……」 「まあ、判らんな。判りたくもない」 迦楼羅王の、とどめとも言うべき素っ気ない物言い。 「ぐぐぐ」 身体と同じく貧相な顔を怒気一色に染めた男が、 「この私を愚弄した罪、その身をもって償わせてやる……!」 森守をふたりへとけしかける。 男の手が光を放つと、牙を剥き、炯々と眼を輝かせ、森守が激しく咆哮した。 口から黒煙がもくもくと上がり、口腔内にちらちらと朱炎が揺れる。 それを見て、清闇が思案顔をする。 「おい、鳥」 「迦楼羅王だと言っただろう」 「長すぎて面倒くせえ」 「……好きに呼んでくれ、言い募るだけ無駄な気がしてきた。それで、なんだ?」 「俺はあの三下から竜刻を奪ってあいつを解放する。その間、あいつと遊んでられるよな?」 「質問ではなく確認で来たか。……お前とやるほど手ごたえはなさそうだがな」 「は、そいつぁ剛毅だ」 言うと同時に、双方、動いている。 迦楼羅王は火を吐きながら突っ込んでくる森守と真っ向からぶつかり、自分の何倍も大きな獣に一歩も譲らない力比べを演じてみせる。 それどころか、森守の下に潜り込んで十トンは超えそうな巨体を持ち上げ、 「少々痛い思いをさせるが、許せよ……?」 余裕の言葉とともに投げ飛ばしもしたのだ。 放物線を描いて宙を飛び、大地に叩きつけられて、森守がむぎゅ、という声を上げた。 「なああ!?」 声を裏返らせる小男の背後には、 「お、竜刻発見。いただいてくぜ?」 いつの間にか清闇がいて、男がペンダントにして首からかけていた竜刻をひょいと取り上げてしまう。 「あッ、き、貴様!? 返せ、それは私の……」 「てめえに持たせて碌なことが起きるとは思えねえからもらって行くわ。つーか、そんなこと言ってる場合か?」 「え」 素っ頓狂な声を上げ、清闇の指し示す先で、森守が自分を睨みつけていることに気づいて男は蒼白になる。 ゴォオオオァアアアアアア!! 咆哮する森守の眼は、理知の感じられる青へと変化していた。 術が解けたからだろう。 当然、それは、力ずくで森守を操った男の末路を示すものでもあり、解放され怒り狂った森守が、己をいいようにした人間への反撃を開始する。 「ぎゃあああああああ!」 恐ろしい勢いで突進してくる森守に追われ、「人間ってこんな速さで走れる生き物だったのか」といっそ感心するほどの健脚ぶりで男が逃げ出す。 「ま、頑張れよ。運がよけりゃ、逃げ切れんじゃねえの? あと、森守が途中で馬鹿らしくなってやめるとかな」 「後者のほうがありえそうだな。まあ、神の名を冠する獣が、人間ごときに容易く使役されると思ったのが間違いだ」 悲鳴と黒煙が遠ざかっていくのを見送り、迦楼羅王は翼をたたんだ。 出し入れ可能なそれが、溶け込むように身体の中へ消えるのを見て、清闇が小首をかしげる。 「ん、鳥じゃなくなったな。この場合はなんて呼ぼうかね」 「だから、迦楼羅王……というのは、長くて面倒臭いんだったな。いや、まあ、好きなように呼んでくれ。こちらから提示しても適当に改変される気がひしひしとする」 「ああ、よく判ったな」 「判ってもあまり嬉しくはないがな」 冷徹で高飛車、現実主義のクールビューティー、迦楼羅王ともあろうものが、なぜかこの男にはペースを崩されっぱなしで、彼は重々しいため息をつく。 「……どこかで会ったことがあるか? なんだろうな、妙に覚えのある気配が……?」 「さあな? お前とは初対面のはずだが」 「私もそのつもりなんだがな。……まあいい、ここで会ったのも何かの縁だ。どうだ、これからターミナルで酒でも」 「ん、ああ、悪くねえな。んじゃ、この依頼の報酬で奢ってやるよ」 「そうか。なら、言葉に甘えよう」 踵を返しかけ、壊滅した村をぐるりと一望する。 ここに元の営みが戻るまでどれだけかかるのかと思ったからだ。 傍らの清闇に、同じ表情を見出して声をかければ、 「お前も気になるか」 「ん? ああ、まアな。でも……あとは人間がやんだろ。あいつらの強さと来たら、竜も神も到底敵わねえくらいだからな」 打って変った穏やかさが返る。 それへ肩をすくめてみせ、迦楼羅王はゆったりとした調子で歩き出した。 ――以上が、ヴォロスの片隅にて鳥と竜が出会った話の顛末である。
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