「雪が降りはじめまして」 そう切り出したのは、中性的な風貌の世界司書。少しの沈黙の後、ぱらぱらと『導きの書』をめくりながら話を続ける。「ヴォロスの北部にある森で雪が降りはじめまして……。多く積もる前に、お使いを頼まれて欲しいのです」 そこは人の気配ない深い森。 遠い昔、小さな部族がそこで暮らしていた。 理由定かではないがその部族も絶滅し、森の中にはかつてそこに人が住んでいた痕跡は殆ど塵と化した今となっては、この森に人が住んでいたとは俄には信じがたいだろう。 ただ長い年月をえて尚変わらないものが1つだけ。それはその部族が神器と崇めていた一つの煌びやかな楽器。三日月を象った高さ100センチ程度のハープの様な形状。部族の祭儀に使われただろうそれは、荒れた天候を鎮め、人々の心を穏やかにしたと言い伝えられている。 長い年月を得てもまだ切れる事のない弦は、風に煽られるだけで木につもった雪が落ち、それに触れるだけで優しく温かな音色を奏でる。 音に惹かれたか、白く耳の長い獣が近寄る。その振動で先ほどより少し大きめの音が響くと――獣はころんと横たわりそのまま小さな寝息をたてた。 小さな体は、空から降り注ぐ白き粉に覆われ、徐々に見えなくなって……。●○●○●○●○●「お察しかとは思いますが、その楽器には竜刻が飾りとして埋め込まれています。楽器を奏で受けた恩恵は、竜刻の力によるもの。皆様方にはこの楽器に装飾されている竜刻を、楽器から取り外して持ち帰って頂きたいのです」 聞けば行く手を阻むのは森の木々とはらはら舞い落ちる雪だけで、命脅かすような獣が出てくるわけではないという。故に戦う事が苦手な人でも問題無く任務に当たれる。「竜刻があると記されてるのは、森の中央。部族の跡地になります。天候も手伝って、中は昼間でも薄暗く、むき出しの根などもあり歩きづらいやもしれません。楽器の音もまた場所を特定するに役立つかも知れませんが、音を探す余りそれに囚われる危険性はあるかと」 その楽器は少し風が吹き抜けるだけで、ほんの少し触れるだけで音を発するという。音色に誘われれば、体温を奪われて永遠の眠りを手に入れかねない。「それからもう1点。その竜刻は微かですが、淡い色合いの光を発します。その光を探すのも手段の一つでしょう」 そういえば、と思い出した様に書をめくり改めてそれを伝えると、世界司書はうんうんと顔を上下に振るう。「この機会を逃すと、竜刻が雪に埋もれてしまいます。寒さ対策と、音に対する対策は十分に現地へ向かって下さい。皆様のお帰りを心待ちにしています」 そう言い終えると軽く頭を下げ、皆を送り出すのであった。
かつては、とある部族の住む都、とある部族の聖地だっただろう森。その森に大きく冷たい白の結晶が降り始める。生活の音を無くしたその森の中にある神器は、今日も風と雪の振動で音を鳴らしていた。 「ゼシ、みんなの足手まといにならないようにがんばるから、あの、よろしくお願いします」 森の中に残された神器、竜刻を回収せんと向かう一人、ゼシカ・ホーエンハイムは、同行する他の3人に丁重に挨拶をした。肩に乗っている緑色のセクタン……アシュレーもまねをしてお辞儀のまねごと。目的地の森はもうすぐそこ。歩くたびに、ぎゅむっと音をたてて、その感触が心地よいのか、耳栓付きのイヤーマフ―を外して音を楽しんでいる。 「みんな一緒に仕事をするのは初めてだよね。よろしくね。…あ、見えてきたあの森がそうかなぁ?」 春秋 冬夏が指した先、ほんのり雪を被った木々の群れ。 『ここが入り口です』なんて親切な標識がある訳ではない。とりあえず此処がの隅なのだろう、そういう場所まで辿りついた。 「ここから森。入る前、これどうぞ」 既に寒い外を延々歩いてきている。皆の体を温めようと、キリル・ディクローズは持ってきていたホットココアを配り、そしてふと空を仰いだ。曇った空から降り注ぐ白の結晶。 (……雪、いっぱい、いっぱい) ふと、キリルにとって大切な人――ワードの事を思い出す。出会った時もこんな雪の日だった、雪がいっぱいだったと懐かしい気持ちが胸の中を温める。 「ありがとう。モフモフさせてくれたらもっと温かくなるんだけどな」 冬夏が悪戯っぽく笑みを浮かべながらそれを受け取り、ゼシカと、南河 昴に回していった。 「ありがとう~。あ、あったかい」 昴が一口。甘く暖かいココアが体の芯を温める。コート、マフラー、カイロ、それから女性はおなか冷やすと駄目だから……腹巻も、レッグウォーマも必要だよね、と過剰なまでの防寒着で臨んだ彼女だったが、それでも寒さのほうが強かったらしい。ふぅ、と一息ついて、よしと意気込む。他は自分よりも幼い、年いった自分は尚更頑張らねば……とアルビレオに「いってきて」と空に放った。 「アルビレオが見た情報はわたしに届くの、だから違う方向をさがそう?」 でも放ったセクタンが届ける映像は、開けている雪景色。 「でも、セクタン…。森の外、森の外飛んでる。」 「え、え、え、アルビレオ、あっちに行って~~~」 「きゅ!」 了解!と言いたかったのだろうか、放たれてから暫く森の周りを捜していたアルビレオは、小さく鳴いた後、森の中へ入っていった。 「じゃあ、ぼくたちは違う方向から探そう」 そうして一行もまた中に足を踏み入れた。 ●○●○ 森の中は天候が雪であることも手伝って薄暗い。昴の持ってきたカンテラの仄かな光を頼りに、歩けそうな場所を選んで進む。人の手を離れたその森に人工の道は存在しない。辛うじて獣が踏みしめた跡がある程度。 「動物たちが向かった先にあるかも」 地面をみれば、まだ真新しい獣の足跡もいくつか点在。雪が覆ってないということは、まだ最近のものだろうし、そのなかのいくつかは同じ方向を向いている。その事実に気がついた昴は方向を指し示して。獣が通ったということは足場が悪くても、道にはなっているだろうと、それを辿る事にする。 「手を、手を繋ごう。雪、雪に足を取られると、転ぶ、転ぶから」 「もし歩きづらいなら、抱っこしようか?」 キリルと冬夏はゼシカに手を差し伸べる。最年少の彼女を心配しての事であるが、当の本人からは「大丈夫!」と元気な声が返ってきた。先頭を歩く昴も、幼いゼシカが置いていかれないか心配ではあったが、キリルや冬夏が彼女を心配してくれるなら大丈夫か――と、カンテラで前を照らし歩きやすそうな場所を選び、雪を踏み固めゼシカの道を作りながら足を進めた。とはいっても、やはり心配ではある。必然と、昴の後ろにゼシカ、その横にキリル、最後尾を冬夏が歩く事に。 「孤児院の先生が教えてくれたの。手のひらにお日さまがあれば体もぽかぽかするでしょ?」 心配を余所にゼシカはといえば、キリルにあったかくなるおまじないでホットココアのお礼をしようとお日さまマークをキリルの手に描こうとしてうまく描けず苦戦。 「大丈夫、クレヨンの魔法、魔法伝わってる」 ありがとう――と、キリルは微かに微笑むと、ゼシカも嬉しそうに笑みを返した。 ゼシカも何かしらで役に立とうと、彼女のセクタン、アシュレーに植物に緑のしるしを命じて。せめて迷わないようと目印を施していく。本人もまた色とりどりのビーズを雪の上に落としては、 「絵本で読んだの。これなら小鳥さんに食べられないし安心でしょ」 と、満面の笑みを浮かべる。 キリルは自身が一番耳がいいだろうと、音を拾うことに集中する。 風で葉がこすれあう音。 雪が森の中に着地する音。 自分たちが雪を踏みしめる音。 その中に聞き慣れない音は無いか、静かに探る。 ゆっくり、ゆっくり、森の中を歩いてどれぐらいたったか。 しゃん。 自然界の音ではない、何か知らない楽器の音がキリルの耳に響いた――気がする。 「聞こえた。音、音聞こえた」 すぐ周りにそれを伝えては見るが、それが目当ての音だと言い切れないのか、少し控えめに呟くと一行は足を止めてその音を探る。 しゃん。 もう一度、キリルの耳に確かに届く。「届いた」小さく縦に頷くと、他の3人は横に振る。ならばと昴はアルビレオを呼び戻し、キリルの指す風上に行くよう命じた。風がその音を運んでいるかもしれない。ならばその上を辿れば…と。 「少し休もうか。紅茶とお菓子とお弁当、持ってきたんだよ」 アルビレオから何かしら情報を得るまではへたに探索も危ないかなと、冬夏の提案にしばし休憩をとることに。レジャーシートを引いてその上に腰をかけるが、下が雪のせいか冷たい。冷えるといけないね、とゼシカを自分の膝の上に乗せながら、持ってきた温かい紅茶やお菓子、そして弁当を振る舞った。 「キリルさんは耳栓とかしたほうが…あ、耳的に無理かな」 「大丈夫、いざとなったらこれある」 昴の心配に頷きながら秘策『唐辛子入り特性ドリンク』を見せる。真っ赤なその飲み物を一口。ぷるぷる、と顔を振り、辛さを紛らわす。 「ゼシも飲む!」 「だめ、辛いから。眠った時に飲ませる」 「これは効きそうだね、あ、昴ちゃん、何か分かった?」 「それが……。突然見えなくなって」 どうして?とおろおろ。途中まで向かっているヴィジョンは見えていたのにと、突然起きた事に混乱しているようで。 「音を聞いて、眠っちゃったの?」 というゼシカの一言で、なるほど、ならばその方向に向かえば、近くにあるだろうと、一行は休憩を終了し、アルビレオの飛んで行った方向を目指し、さらに森の奥へと進む。 先に進めば進むほど、雪に覆われたまま眠りにつく動物の姿が確認できるようになると、これは確かに先に目的のものがあるだろうと期待が募る。既に音が届いているキリルは両手で耳をふさぎ、特性ドリンクを「寝たら、寝たら飲ませて」と冬夏に託し、3人も耳栓をして音に備えた。次なる目標は、光――。 (あ、アルビレオ) 進んでいくと、ほんのり雪化粧を施したアルビレオを発見すると、昴は駆け寄って抱き上げる。すやすやと眠るセクタンをぎゅっと抱きしめた。念のため、キリルの特性ドリンクを一口含ませると、凄い形相で飛び回った。その様子を見て、先ほど飲みたがったゼシカは、 (ゼシ、飲まなくて正解だったの) と、思っていたとかなんとか。 さて、と、倒れていた方向を確認すると、木々の群れの先にほんの少しだけ木の無い空間。中央には大きな切り株と、雪で振動する楽器があった。各々顔を見合わせると、あれがそうだよねと頷きあって。ようやく見つけたそれに何か期待するかのように近づいていった。 ●○●○ それは本当に微かな光を発する、琴…というよりはエオリアン・ハープのような形状の楽器でで腕で抱えられる程度の大きさである。ベースは木と弦、側面は蔦や何かの欠片で装飾されていた。その欠片の一つが、蒼白い光を放っている。耳を塞いでいる一行には、間近で音を聞くことはかなわないが、確かにそこには音を奏でる楽器が存在した。 (光、光発してる、あれが竜刻…) 暫くの間、光に見惚れていたのだが、は、と我にかえりタグをつけて封印しないととタグを取り出そうとするが、その手は自分の耳を塞いでいて貼ることはかなわない。 それを察したか、「まかせて」と大きく口ぱくした冬夏が扇型のトラベルギア【四季花扇】を振るう。ひとふるいで、楽器の周りに椿の花が咲き乱れた。白の大地に大量の赤い花が舞い落ち、そこに佇んでいた楽器を覆い尽くす。 「これで音が届きにくくなったはずだよ」 グッジョブ!とみな親指を立てたあと、各々耳栓を外し、ゆっくりゆっくりと近づいて。 4人で囲めば、一番の難敵である風はある程度抑えることができたし、埋もれ尽くす椿が雪から弦を逃すことができた。椿をそっとかき分けて、竜刻が埋まる装飾部分がでてくると……。 「おやすみなさい」 タグを張り付けたのは昴。光るその場所に貼り付ければその光も封印され、ゆっくりと消えていった。 タグによる封印で、音による影響が無くなると、まだ眠っていただけの動物が春の訪れのごとく目を覚まし、何事もなかったように体を震わせ雪を払うと各々の住処へと戻っていく。しかし、目覚めない動物たちの数も多かった。 「ゼシのパパは牧師様だったの。だから神様の御許に召されるようゼシも祈ってあげるの」 眠りながら天に召された動物たちに、できるだけ……と、本当は埋めてあげたかったのだけど、すべてにしてあげるのは難しく。冬夏が気持ちを察してか【四季花扇】で咲かせた椿を渡して、手向けの花とした。 「眠るように死んでいけたら、しあわせ…なのかな」 その様子を見ながら、昴が呟いた。竜刻の力で眠りについて、体温を奪われ死んでいった動物たちは幸せだったのだろうか?周りに訪ねたい気持ちもあって……。臨んだ死ではないだろうけど、どの動物たちも幸せそうに眠っているように見えたから。 「ここ、ここに住んでた部族、部族……なんで滅んじゃったんだろう」 キリルもまた、かつてこの森を寝床にしていた部族に思いはせる。神器とされた楽器を昴が持ち上げると、摩天楼の様な風が吹き荒れ、風に乗せて済んだ優しい音色がその場に広がると同時、その音に呼応するかのように木々が光、その光を雪が反射し、薄暗い森に光が溢れた。 「うわぁ」 「森、森と雪のひかり?」 「森さんが光ってる!」 初めは神器を持ち去ろうとする自分たちに怒りを表しているのかと思ったのだが、光は光として温かく、その光景があまりに綺麗で、自分たちに悪意を持つものではないことは分かる。 (これが答え、なのかな…) あまりにも抽象的ではあったが、昴にはそう思えて。 「かつての貴方方の神器をお預かりします。遥か昔から、この場所で奏でて来たんだね。あなたのお陰で沢山の人が恩恵を受けれたと思うよ」 森に語りかるは冬夏。言葉に呼応するかのように、一度光は一層大きく輝き、そしてゆっくり、ゆっくりと消えていった。 「眠った、かな」 キリルが空を見上げ、そう呟く。どんな部族がどんな風に生活しどんな終わりを迎えたのか、それは既に遠き歴史の中の出来事故知ることは敵わないのだが。 (きっと幸せ、幸せだった) 残された温かさからそう感じ取って。 その後、指で弦をはじいてみたが何も反応せず。ただ、記憶の中に光と温度なき温かさが残った。 やめば気付く――森の中はより暗さを増している事に。 雪が降っているからあまり気にはならなかったが、夜が間近に迫ってきていた。帰り道はゼシカのアシュレーが記していた緑のしるしを頼りに、来た道を逆戻り。その為か、行きよりはずっと随分楽に歩くことができた。ビーズは残念ながら意地悪な雪が上から隠してしまったのだが……。 森を抜ければ足早に、彼らを待つ汽車の元へ。 列車に乗り込む前、冬夏は一度立ち止まり森のあった方向を見つめる。もう見えないその森の方向を見やる。 「お疲れ様。ゆっくり休もう」 そう呟き列車に乗り込んだ。 かつては、とある部族の住む都、とある部族の聖地だっただろう森。その森に大きく冷たい白の結晶が降り始める。生活の音を無くしたその森の中にある神器は、今はロストレイルの腕の中。 ―完―
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