オープニング

 ヴァン・A・ルルーは、世界図書館のホールで何やら難しい顔をしていた。
 まるで、犯人はすでに分かっているが鉄壁のアリバイを前にそのトリックが美しく解体できずに頭を悩ませる探偵のごとく、彼は思案している。
 何があったのだろう。
「先程、この世界図書館に、ある相談事が持ち込まれたところなんです」
 脇に抱える『導きの書』が、彼もまた世界司書のひとりであると暗に告げていた。
 だが、しかし。
「ターミナルのご近所トラブルを解決するのもまた世界司書の務めであると認識してはいるのですが……いかんせん、私自身は別件で詳細な調査が難しい有様で」
 憂いに翳る横顔で溜息をつくその姿は、どこからどう見てもタキシードを着こなした真っ赤な毛並みのクマのぬいぐるみなのである。
 穏やかで冷静な物腰をしていても、もふもふのクマのぬいぐるみなのだ。
 そのうえ、首元からはファスナーのチャームがわずかに覗いている。
 彼の話よりはむしろそちらの方に気を取られかけながら、それでも一応は持ち込まれたものの内容を聞いてみようと思う。
「……ああ、話を聞いてくださるんですか? ありがとうございます」
 こちらの意思を伝えると、ヴァン・A・ルルーは、その表情を和らげた。
 そうして、たった今持ち込まれた『相談ごと』について、彼は話しだす。
「ターミナルの一角に随分と古い屋敷があるのです。管理者がいなくなって久しい廃屋ながら、ノスタルジックな落ち着いたゴシック様式は見応えがあるでしょうね。……ええ、その廃屋でですね、このところ奇妙な出来事が続発しておりまして」
 曰く。
 屋敷の中から、奇妙で不思議な鳴き声が聞こえてくる。
 ガタゴトと何かを動かす物音が真夜中に聞こえてくることもある。
 時には、何かが壊れるような大きな物音や、それに伴ってちょっとした異臭も漂ってくることまである。
「勝手に遊び場にしているらしい子供たちがそこで怪我でもしては大変だということで、取り壊そうという話になったんですね。それでまず調査に入ったところ、さらに奇妙な出来事が起こってしまったという有様で」
 意を決して、屋敷に踏み込んだ大人たち。
 だが、扉が勝手に閉じたり、鍵を掛けられたり、何かに追いかけられたりと散々な目にあったという。
「しまいには、もうひとりの自分に出会ったとかいう話まで出ています。気絶した時、額に落書きされた方もいらっしゃるようですね」
 それで取り壊すに壊せない、かと言って、いつまでも放置では不安が募る、というのが今の状況らしい。
 聞いてみる限り、本当に彼らはそれで困っているのだろうかと若干思わなくもない。
 いまいち緊迫感に欠けるうえに、不穏というよりはむしろ、妙なほのぼのさすら感じてしまった。
 だが、わざわざここに持ち込まれたのだから見過ごすわけにもいかないのだろう。
「いかがですか? いわゆる《正規の依頼》とはなりませんが、屋敷を見学がてら、何が起きているのか、何故こんなことが起きているのか、どうすればこの怪異は無くなるのか……この謎、解いてみませんか?」
 そう言って穏やかに微笑むヴァン・A・ルルーの黒いつぶらな瞳には、知的好奇心が閃いていた。

 *

 子供たちは額を突き合わせ、ひそひそと内緒話をしている。
 さあ、どうしよう。
 大人が世界司書に相談しに行ってしまったらしい。
 ここが本当に取り壊しになってしまったら、どうしよう。
 ここを守りきれるだろうか。
 この秘密を守りきれるだろうか。
 ひそひそひそひそ。

品目シナリオ 管理番号458
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
クリエイターコメントこんにちは、高槻ひかるです。
モフトピアから0世界へと舞台を変えて、今回は、ターミナルのご近所トラブルの解決をお願いに参りました。
洋館を探索がてら、『怪奇現象』の謎に迫ってみませんか?
アプローチとしては、屋敷内の探索方法を提示していただく他、怪異に振り回されてみるもよし、真相を予想して絡め手で挑んでいただくのでもよし、でございます。
なお、このシナリオには『深刻さ』や『殺伐』『悲壮感』といった類の成分は含まれておりません。
どちらかというと、『お化け屋敷を探検♪』的な方向性でございます。
そのうえで、はたして何が起きているのか、そしてその廃屋は取り壊すべきなのか、ご検討いただければ幸いです。

それでは、ターミナルに佇む件の屋敷の前にてお待ちしております。

参加者
エドガー・ウォレス(cuxp2379)コンダクター 男 39歳 医師
音成 梓(camd1904)コンダクター 男 24歳 歌うウェイター
バナー(cptd2674)ツーリスト 男 17歳 冒険者
ゲーヴィッツ(cttc1260)ツーリスト 男 42歳 フロストジャイアント/迷宮の番人

ノベル

 煉瓦造りのその屋敷は、優美かつ確かな存在感をもってロストナンバーを迎えた。
「ルルーは“見て回るだけでも楽しい”と言っていたけど、確かに興味深い建築だね」
 エドガー・ウォレスはしみじみを頷く。
 ゴシックな佇まいは、壱番世界で言うならばイギリスのチューダー様式を取り入れているようだ。扁平アーチの玄関ポーチから覗く邸内は、時を経てなお壮麗さを湛えている。
「さて、オバケはいると思うかい?」
「色々起こってるって話だけどさ、まさかホントにオバケってことはないんじゃないか? いるわけないじゃん。なぁ?」
 振られた問いに懐疑的なスタンスで応える音成梓の姿はしかし、彼の言動とは少々ギャップが激しい。
 ニンニクの首輪に巨大な十字架のネックレス、悪霊退散のお札に数珠に梵字の本と、一体どこから仕入れたのか、宗教の垣根を越えたありとあらゆる魔除けグッズが燦然と輝き眩しい限りだ。
「ですよね! オバケはいない、ですよね」
 背の高い二人のコンダクターの間で、頭ひとつ分低い獣人のバナーはふるりと身震いする。リス特有のふっさりしたしっぽが気持ちふくらんでいた。
「まあ、実際に探索してみればわかるよ」
 楽しみだねと言いかねないエドガーの笑みに、バナーと梓は若干ひきつった笑顔で返す、その直後、
「ふうむ」
 ズシン…という重みすら感じさせる足音が、三人の背後から響いた。
「!?」
「え、だ……ひゃあ!?」
 いきなり視界に影が差し、梓はぎょっとして眼を見開き、バナーの口からは挨拶より先に驚きの声をあげていた。
 クマがいた。
 いや、クマの毛皮をマフラーにして無数の氷柱を髭や髪とした白い白いどこもかしこも白い大男の間違いだった。
 ゲーヴィッツは、虹彩も瞳孔もない白い目で屋敷を見上げている。
 彼の手には、何かさまざまな道具を収めているらしい大きなズタ袋と、そしてペンキの入ったバケツ数種類が握られていて、彼の目的が『謎の解明』でないことは誰の目にも明らかだ。
「直さんとなぁ、やっぱりなぁ」
 ぼそりと呟かれたのは、ひとりごとか否か。
「え? おっさん、直すのかよ、このオバケ屋敷」
「ん~? あぁ、壊れそうで危ないなら誰かが直してやらんと遊び場がなくなってしまうだろう。本当に危なければ、子供らも近づかんもんだしなぁ」
「オバケ出るかもしれないですよ?」
 オバケごときに彼が脅かされるとはとても思えないが、気遣いをみせるバナー。
 エドガーはどこか頼もしげにゲーヴィッツを見上げ、目を細めた。
「こちらの入り口では狭いかもしれない。ゲーヴィッツ、あなたは裏手の扉から入ることをお勧めするよ。大食堂やサロンのある側には確か両開きのガラス戸があったはずだから」
「ふむ? ではそうさせてもらうかなぁ」
 玄関のアーチと自分の巨体を見比べ、彼はゆっくり頷く。
「これから屋敷の修復をするからなぁ。そこで遊んでる子供たちぃ、一度出て行きなさーい」
 そうして、どすどすどす…と地響きがしそうな勢いで声をあげながら裏手へと回っていった。
 正直怖い。
 正直、シャレにならない迫力がある。
 思わず出入りしているという子供たちの混乱を想像してハラハラドキドキと見守ってしまった彼らだったが、
「それじゃ、俺たちも行こうか」
「おう」
「はい!」
 どこか少年のような快活さで屋敷に乗り込むエドガーに続き、梓とバナーもまた曰くつきの物件へと足を踏み入れた。

 壮麗にして荘厳、そして『怪奇現象』が潜む子供たちの領域へ――



「オバケは出そうにない、かな?」
 キョロキョロと周囲を見回しながら、バナーはひとまずほっとする。
 想像していたよりも屋敷の中は綺麗だ。壁や床や天井など至る所が古び、綻び、微かなカビと埃の混じったようなニオイもするにはするが、決して不快ではない。
「オバケ屋敷っていうから、もっとおどろおどろしいのを想像してたんだけど」
「オバケってんじゃなくて、んー、……結局さ、犯人はツーリストじゃねえかと思うんだよな。そいつがこの屋敷の中に隠れて怪奇現象を起こしてんだろ」
「え? そうなの?」
 いきなりの梓の言葉に、バナーは小さく首を傾げた。
「ああ、たぶんな。俺が思うに謎ってほどの謎でもないだろって感じ」
 そう言いつつも、梓はエドガーの背中に張り付いて、自ら前に進み出ようとはしない。強気で理論的な台詞と完全不一致の怯えっぷりだ。
「俺も梓に意見に賛成かな。原因と結果の繋がりは明白だから、あとは問題点さえ取り除けばこの一件はうまく収まると思うんだけどね」
 対して、背の高い男に背にがっちり貼りつかれているエドガーの笑みは崩れない。しがみつく梓の腕を宥めるようにぽんぽんと軽く叩き、顔をあげた。
「さて、どこを探せばいいかな?」
 エドガーの言葉につられるようにして、三人は改めて室内を見回す。
 扉の代わりに重いカーテンで閉め切られたホール横の部屋から探索を始めるべきだろうか。あるいは――

「カエッテ」

 突然降ってくる声。
「入ってこない方がいいよ」「怒ってるんだ」「クルナ」「危ないよ」「アブナイ」「近づいちゃダメなんだから」「呪われちゃうよ」「ノロウ」
 甲高い声が反響する。
 子供たち、のはずだ。なのに反響するその声には何か別の音が混ざり込んでいる。

 バタン――っ!!

「うわあぁ」
「出た出た出た!?」
 バナーと梓は手に手を取って、階段のある廊下の端まで脱兎のごとくダッシュしていた。その瞬発力たるや、まさしく生命の危機に瀕した草食動物のごとし、である。
「なんだよ、なんなんだよ、怖くねぇからな、ぜんっぜん怖くねぇからな!」
 首から下げた大きな十字架を握りしめ、頭上に掲げ、ただしもう片方の手で思い切りバナーのシャツにしがみつきながら、梓は全身で威嚇する。毛を逆立てた猫のようだ。
「こここ、こわくない、こわくない!」
 しがみつかれたバナーも涙目で『怖くない』を連発する。
「い、いい、いるわけないって、オバケなんて絶対いねぇよ、そうだ、アレだ、イタズラだろ、分かってるって、分かりきってる、きっちりはっきり謎を解明しようじゃん、な! だいたいこんなも――」

 ぎィ…ぎぃぃ…ギィィィ……っ

「なんか、聞こえ……」
「ひゃあぁ……っ」
「あ、梓、バナー?」
 分厚いカーテンの向こう側から軋んだ音が聞こえてきた次の瞬間には、二人は長い廊下の突き当たりから左に折れて別棟へ続く廊下を全速力で走っていた。
 もう背中も見えない。
 実に驚かしがいのある派手なリアクションと共に逃走した彼らに置いていかれたエドガーは、しかし、どこか微笑ましげだった。
「なるほど。これはうまいなぁ」
 まだ物陰から自分を窺っているらしい子供らの気配を意識しつつ、少しの間思案する。
 そして、
「それじゃ、俺はこっちを行ってみようか」
 あえて二人は追いかけず、ホール左手側にある階段へと足を向けた。
 ゆるやかなカーブのその先、二階のホールでちらりと誰かの走り去る姿を見た気がした。


 裏手から屋敷へと踏み込んだゲーヴィッツは、邸内に踏み込んで早々に手厚い歓迎を受けている梓たち三人とは真逆の立場となっていた。
「ほらほら、危ないぞぉ! 出て行きなさーい」
 工具とペンキバケツと大量の掃除道具を抱えた強面の巨人の登場は、大方の予想通り子供たちに軽いパニックを引き起こす。
「ひゃあ!」「きゃあ!」「総員、撤退だぁ!」
 世界司書の依頼を受けてやってきた2メートルを超える氷の巨体に追い立てられ、クモの子を散らすようにわらわらと逃げ惑う。
 屋敷の表からでは分からなかったが、相当数の子供がいるようだ。
 逃げろ、とにかく逃げろ、非常事態だと、ワアワアきゃあきゃあと泣きそうになりながら騒いで駆け回る姿を眺め、改めてゲーヴィッツは声をあげる。
「ああ、でも、お手伝いしたい子は残ってもいいぞぉ」
 方々に散っていく子供たちの足がピタリと止まった。
「……おっさん、なにすんの?」「直してくれるの?」「おれたち、くったりしない?」
 ひんやりとした冷気をまとった巨人に対し、勇気ある子たちが恐る恐る近づいて、そろりと問いを投げかける。
「ん~? 別に取って食ったりはしないぞぉ。……さあ、掃除だ。空気も入れ替えんとなぁ。屋敷中の窓を開けていけば、カビ臭さもましになるだろう」
 端から次々と窓を開けて行きながら、ゲーヴィッツはのんびりと子供たちに告げる。
「危険だから壊されるっていうならな、危なくないようにすればいいんだろう?」
 それまで怯えていた子供たちの目が、きらりと閃き、輝いた。
「て、手伝う」
 小さな少女がおずおずと、ひんやりとしたゲーヴィッツのブーツ紐に手を掛けて告げた。


 できる限り遠くへ。
 だが、遠く遠くへ逃げた二人の逃げ込んだ先は、ガランとした何もない小さな部屋だった。
 書斎、だったのかもしれない。
 埃のかぶった執務机に応接セット、その傍には繊細な彫刻を施された木製の書架が壁に据えられているけれど、どこにも一冊の本もない。
 空っぽの書斎は住人の不在を見せつけているようで、妙に寒々しく淋しげだった。
「ん?」
 ふと、梓の目が何かを捉えた。
「なあ、やっぱりさ、どっかに子供たちが隠れてんじゃねぇか?」
「オバケじゃなくて?」
「オバケじゃなくて。大体、オバケがこんなとこに抜け殻残したりはしないだろ?」
 屈みこみ、ひょいっと机の下からつまみ上げたのは、白く大きなシーツだった。典型的な《オバケ》変装アイテムである。
「大体、ここって子供たちが遊び場にしてんだろ? 取り壊しが決まってエスカレートしたんなら、当然そいつらがなんかしたんだろうし」
「そっか」
「異臭騒ぎとかだって、うっかりヘンなもん燃やしたってオチじゃないか」
「あ」
 ふと、何かを閃いたらしく、バナーはするりと器用に窓枠を伝い、壁を登り、天井から下がる真鍮のシャンデリアに手を伸ばした。
「梓さん、羽根だ」
「羽根?」
「鳥の羽根があるんです。白と黒の二種類。……すごく大きくてキラキラしてます」
 ととと…っと壁伝いにまた器用に降りてきて、梓の前に羽根をかざした。
「これではっきりしたな。ここにいるのはオバケじゃない。イタズラ好きの子供と、それから羽根を持ったツーリストだ」
「ですね! オバケなんかいないし、もし何かあればこれで――」
 証拠に励まされ、バナーが自身のトラベルギア《ラジカルドライバー》を構えて毅然と顔をあげる。
 だが、その表情が凍りついた。
「ど、どうした、バナー」
「梓さん、う、後ろ」
「後ろ?」
『ウシロ?』
 指さすバナーに返した梓の声が重なる。梓の背後から、梓に似た声がして、そして肩を叩かれた。
「え?」
 思わず振り返り、梓もまたバナーと同じモノを見てしまった。
『エ?』
「なんだよ、これ」
『ナンダヨ、コレ』
 鏡に映る自分……ように見えるけれど、待て、そこに鏡なんかない。
 何より、梓は今、自分の肩を自分に掴まれている。自分が自分の背後から自分の肩を――
『ナンダヨ、コレ……コレ、ェ?』
「う、うわあ!?」
 不自然な抑揚で同じセリフを繰り返す自分の口が耳まで裂けた。
「あ、アズ、梓、さん!?」
 ニタァッと、あり得ないくらいに裂けた口を晒して笑う自分の姿に悲鳴をあげて、梓は何もかもを振り切って見知らぬ屋敷の見知らぬ廊下を全速力で駆けた。
「うわあぁぁ……っ!」
 つい数瞬前までの、謎解きに挑戦する理論的かつ冷静な梓はものの見事に消し飛んでいた。もちろんバナーも同様に。
 誰かにすがりつきたい、誰かに頼りたい、なんだかもう何でもいいから助けて欲しいと混乱した頭の中でぐるぐる考えた。
 全身を飾る魔除けグッズが、胸や背中や頭の傍で軽快に跳ねる。
 二人はオバケ屋敷からの歓待をまだまだ全力で受けていた。


 エドガーは事前に頭の中に入れておいた屋敷の構造を思い描きながら、邸内を見分していく。
 黒に近い赤色の絨毯は、玄関からホール、そして曲線を描いて二階に続く階段の上まで敷かれており、まるで訪問客を誘うようだ。
 ゆるやかなカーブを描く階段の先、二階踊り場の端には、ちょうどエドガーの目線に文字盤が来る大きな柱時計が置かれていた。
 ルルーの話では、ここから先にはたしか婦人室や資料室、別館へ続く渡り廊下があったはずだ。
「ずっと放置されていたなんて勿体無いな」
 見れば、時計の振子は止まっている。
 けれど沈黙したままの振り子時計が不思議と郷愁を呼び起こす。
 心地よい《思い出》が持つ独特のくすぐったさについ口元がほころんだ。
 懐かしい。
 日本に住んでいた子供の頃、よく幼馴染と公園の片隅やちょっとした雑木林の中に自分たちだけの世界を作り上げたモノだ。
 中でも廃屋を利用した基地の出来はよく、日が暮れるまでそこにいた。
 そろりと柱時計を撫でてから、奥へと踏み込んでいく。
 寄木張りの床と漆喰の壁は傷みが激しいけれど、むしろそれが雰囲気づくりに一躍買っており、悪くない。
 別棟からさらに上に行ける階段を見つけた。けれど、それよりも目を引いたのは、階段下の扉だ。
「ここは……」
 いかにも子供がいそうな《秘密の扉》然としているそれに手を掛けて、あっさり開いたその場所を覗きこむ。
 物置、といったところだろうか。
 明かりをつけるスイッチを探るように壁へ手を合わせた瞬間、不意に背を押された。
「え?」
 どんっと前のつんのめるように広くはない物置へ足を踏み入れれば、次には扉が閉まり、さらにガシャンと鍵まで掛けられる。
 そうして、ガガガガ…とラップ音と呼びたくなるような騒音が壁や天井や扉の向こう側から襲ってきた。
 一瞬、ドキリと心臓が跳ねる。
 けれど、すぐにエドガーはかつて自分がした悪戯の一端を思い出し、笑みを取り戻す。
「いいね、こういう演出は面白い」
 なかなか凝った連係プレイだね、とも告げて。
「秘密の遊び場所ってとても特別なものだね。大人には絶対教えないとか、他にも色々ルールを作ったっけ。仲間だけで共有することが重要だった」
 ともすれば音に掻き消えそうな中、よく通る声で《ラップ音》相手に語りかける。
「そんなことをしたのは随分と昔だけど、それがどれだけ自分たちにとって大切なものだったかは忘れてないつもりだよ」
 だからね、と、続ける。
「どうかな。少し、話をさせてもらえると嬉しいんだけど。大人たちは、ここが危険な場所だから取り壊したいって思ってる。不気味な現象が起きているここで子供が怪我でもしたら大変だってね。でも、もしここが危険な場所じゃないっていうのなら、世界司書にそのことを伝えることができる」
 ぴたりと、怪奇現象が止まった。
 探りを入れるように静まり返った暗い部屋の中で、なおエドガーの声は響く。
「ヴァン・A・ルルーは頭の固い男じゃない。きっと依頼主にも説明の場を作るよ。心配なら、俺がそうしてくれるようにルルーへ掛け合っても構わない」
 そのためにもきちんと話をしたい。
 そう、子供扱いせずに交渉をもちかけてきた彼の言葉に、《空気》が変わる。
 沈黙ののちに、そろり、ひそり、ちらり、と、動き出す。
 ガチャリ、と扉は開かれた。
「話し合いの場を持つよ」
 物置に差し込む光を背にして立ち並ぶ子供たちのシルエットの中、口を開いたのはやや年嵩の少年だった。
「この屋敷に危険なことなんて何もない。ムーとアーは別になんにも悪いことしてないんだ」
 きりっとした理知的な声音が、彼がこの集団のリーダー格であることを窺わせた。
「ムーとアー?」
 首を傾げて問うエドガーに、今度は小さな子どもたちの幼い声が次々と注がれる。
「ものまねするの。じょうずなんだよ」「とっても上手なんだから」「ムーはいま他のヤツらと一緒に走り回ってるよ」
 彼らはそうして揃って願う。
「ねえ、ムーとアーを追い出さないで」


 どこをどう走ってきたのか分からないまま、梓とバナーはいつの間にかやや狭い渡り廊下に辿りついていた。扉はなく、部屋と部屋を繋ぐだけの廊下のようだ。
 ぜえはあと肩で息をしながら、ウェイターと冒険者のコンビは壁に手をついて一時休憩する。
 そよりと風が吹き込む窓はわずかに開かれていて、そこからは中庭、ソレを挟んで別棟となる部屋の窓が見えた。
「「あ」」
 二人の視線がそこで止まった。
「い、今なんかアレだよな、見えたよな」
「見、み、見えました見えました、あ、でも、気のせいじゃないかな?」
 互いの腕にしがみついてカタカタ震える。認めたくない、断じて認めたくない、なのに――
「あそこにいるのってさ」「……はい」「おまえだよな」「ボクですね」
 獣人が手を振っている。ケタケタと笑いながら、白いシーツをかぶったモノに囲まれながら手を振っているのだ。
「お、おば、おば――うわあ!?」
 ばさり、といきなり頭から何かをかぶせられた。
 不意打ちの、視界シャットダウン。
 続く、騒音。
 ガンガンと金属音が彼らを取り巻いて響き渡り、すぐ傍で打ち鳴らされる爆発音が聴覚すらも奪い掛ける。
「「うわあぁあ!?」」
 パニックに陥った二人は揃ってドタバタと無闇にもがいて暴れて悲鳴をあげて、もつれて倒れて転がって。
「うおぉぉ…と、ふざけんな、ダメじゃん、全然ダメじゃん、ありえねぇだろぉ!?」
「くるなー、こないでー、こないでよぉ!」
 でたらめに振り回していたバナーのトラベルギアが臨戦態勢となる。
 ドライバーが巨大化、一メートルを超える大型武器へと変じたかと思うと、
「こないでったらぁ……っ!」
 先端部分が剣となった。
「ぐああー、やめろって、あぶねって、ぎゃあ!?」
「うわぁぁああん!」
 完全にパニック状態のバナーは、剣を振り回して白い布を引き裂き、それでも飽き足らず、バタバタガンガンと響くラップ音に向けてドライバーの先端を更に変化させ、頭上へ向けて砲弾を発射した。

 どっごん――ッッ!


 大食堂から始まったゲーヴィッツの修復作業は、着々と部屋を変えながら進んでいた。
 ガラスの大窓からテラスへと出ていけるサロンには、すっかり色褪せてはいても繊細なパターンが見て取れる絹織物の掛かった壁がある。
 その裏には釘だの壁素材だのといった棘の多い巨大な穴が開いていた。
「この穴は危険だなぁ」
「あのね、あのね、これはこのまんまにしてほしいの。ムーちゃんのおきにいりなの」
「大丈夫大丈夫。心配しなくたって、なんでもかんでもは塞がないからなぁ」
 指でちょっと触れてから、ゲーヴィッツはおもむろにヤスリを取り出すと、ちまちませっせとその棘を削り取っていく。
「なあなあ、おっさん、コレはどうすんの?」
「ん~? 板を打ち付けるからあっちに運んどいてくれ。手を怪我せんようになぁ」
「ゲーヴィッツさん、コレは?」「おじちゃん、ネジの取り付け終わった」「家具みがいたよ」
 いつのまにかゲーヴィッツの周りには、次々と子供たちが集まっていた。
 4~5さいくらいの小さな子から12~3歳くらいの年長まで、一体どこに隠れていたのか、はじめは恐る恐る、やがて自ら進んで寄ってきて、今では立派な修復隊だ。
「おっさん、ちょっとこっち頼むよ。オレじゃ無理だからさ」
「おお」
 ゲーヴィッツによじ登り、本来なら脚立を使っても届かないかもしれないシャンデリアの釣り鐘部分を少年が補修する。
「シャンデリアが落ちてくると怪我してしまうからなぁ」
「おじちゃん、なんか変な音がする」
 大理石の暖炉の端が欠け、脇の壁にも大きな穴が口を開けている。そこを覗きこんでいた少女が手招きして呼ぶ。
「どおれ、中も見ておくかぁ」
 そう言ってゲーヴィッツが肩車していた少年を足元に下ろし、屈みこんだ途端――
 《どっごん――!》
 と、派手な破壊音が響く。
 天井からパラパラと埃とも剥げた塗料ともつかないものが目の前に落ちてきた。
「あ」
 重厚な造りではあっても、過ぎた年月による老朽化のためだろう、あまり衝撃への耐久性は高くない。
「どうしよう。壊れちゃう」
「なぁに、大丈夫大丈夫」
 不安そうな子供の頭をそろりと撫でて、ゲーヴィッツは大工道具をかついでのっそりと部屋から顔を出す。
「ちょっと様子を見てくる。それまで雑巾掛けをしていてくれる子はいるかぁ?」
「はーい」「はいはーい!」
 すっかりなついて馴染んでしまった子供たちから、元気のいい答えが返ってきた。
「それじゃ頼んだぞ? 行ってくるからなぁ」
 のっしのっしと重い体で、ゲーヴィッツはいまだ断続的に続く衝撃音のする上の階へと向かっていった。


 エドガーは、子供たちの案内で、入り組んだ迷路のような狭く高低差のある屋敷の中を三階まで登っていた。
 床の軋みは一段と強く、天井の一部には割れた天窓が張り付いている。
 覗きこんだ白いバスタブの中には、子供たちが持ち込んだのだろう毛布を巣の代わりにして真っ白な大きな鳥が蹲っていた。
「アーちゃん、来たよ」
 鳥は子供の声に反応し、むくりと首をあげた。
「アーはほとんどここから動かないんだ。……ね、アー、エドガーさんだよ。オレたちの話、聞いてくれるってさ」
 白鳥を思わせる優雅なフォルムのその鳥は、ふっとその姿の輪郭を揺らめかせ、覗きこんだエドガーの姿に変わる。
 バスタブの中から手を掛けて自分を見上げる、もうひとりの自分との対面。
「これは……なるほど」
 ドッペルゲンガーの正体は、この《鳥》の能力によるものらしい。
 しかし、驚きとともに納得の答えを手にしたエドガーの観察眼がふとあるものに気づかせる。
「腕か肩を怪我しているのかな?」
「え? なんで?」
「動きが少し不自然だからね。……診せてごらん。場合によっては治療が必要になるかもしれない」
「おじさん、分かるの? もしかして、お医者さん?」
「まあね」
「オレたちみんな、ムーとアーが大好きなんだ」「ここは僕たちの秘密基地だけど」「こいつらの居場所でもあるんだ」
 そう言葉を重ねる彼らの視線を一身に受けながら、エドガーは鳥の姿に戻ったアーに診察のための手を伸ばす。
 途端――“どっごん”っと派手な音が響いた。
 ぐらりと、屋敷全体が揺らいだかのような衝撃、錯覚、そして不安。
「な、なんだろ、今の」
「行こう。なんかあったかもしれない」
「アーも連れて行こうか。このままここにいても心配だろうしね」
 エドガーは白い鳥をそっと両腕で抱きあげて、そうして子供たちとともに《音》の発信源へ急ぐ。


「おおい、なぁにをしとるんだぁ!」
「ぎゃあ!?」「ひゃあ!?」
 涙目で砲弾を撃ったあげくに天井に穴を開けたバナーと、そんな彼の手を引いて階下に逃げようと走っていた梓は、突如現れた巨大な障壁に全力でぶつかり、二人揃って弾き飛ばされた。
「アズサにバナーだったか。あんまりドタバタやってると子供らが不安になるんでなぁ。派手に壊さんように遊んでくれ」
「「へ?」」
 ひょいひょいっと、迷宮の番人改め屋敷修理人は二人を猫の仔のようにつまみあげて立ち上がらせる。
「おまえたちも、頼んだぞぉ?」
 ゲーヴィッツは二人の後ろにいるのだろう誰かに向ってもそう声を掛け、そのままぐぅっと背を丸めるようにしながらのそのそと階段を下りて行った。
「いま、いまさ、あいつ《子供ら》って言ったよな?」
「う、うん」
 顔を見合わせ、梓とバナーはほぼ同時に手を伸ばし、
「待って、待ってくれ!」
 探索ではなく修繕を目的として屋敷内を動く彼の後を全力で追いかけた。
「ん~? 一緒に直すのかぁ?」
「おっさん、大丈夫か?」
「おい、みんな無事か?」
 気になって様子を見に来てしまったらしい子供たち、向かいの棟から大急ぎで駆けつけてきた白い布を引きずったり金属缶やクラッカーを持った子供たち、彼らの頭上を低空飛行する黒い鳥が揃ってドタバタと集まってきた。
「おい、今すんごい音がしたぞ!」
 さらには、別棟の三階からこちらへ来たのだろう子供たちと、そして白い大きな鳥を抱いたエドガーまでが、大時計のある2階エントランスに集合と相成った。
 一度は別れ別れになった調査員たちの再会と、方々に隠れていた子供たち全員との対面。
「やっぱり全部イタズラなんだ! オバケなんかいなかった!」
「モノを動かしたり妙な声が聞こえてきたってのも、全部アレか、こいつらの……」
「ムーとアーはここに住んでんだよ」「ここはオレたちの大好きな場所なんだよ」「楽しい場所なんだよ」「なのにこわすっていうんだもん!」「だから、追いかえしてやったんだ!」
 バナーと梓の台詞に、ようやくきちんと姿を見せた『怪奇現象』の正体達は口々にそう主張した。
「どうやら、このアーは怪我をしているらしくてね。動けない理由にはこれもあるらしい」
「危ないなら危なくないようにすればいいじゃないかぁ」
 エドガーとゲーヴィッツは、すでに様々な事情を了解しているらしい。
 脅かされ疲れた梓とバナーは微妙に複雑な想いを抱きつつ、互いに互いの顔を見合わせる。
 だが、すでにもうどうするのかは決めていた。
「なら、そう言えよ。ちゃんと話ぐらいは聞くし、なんなら家の修繕も手伝うから。だからもうイタズラはなし、脅かしっこナシだかんな」
「OK! でもさ、兄ちゃんたち、ビビりすぎなんだよ」
「リスちゃん、しっぽさわっていい?」
「え? ……う、うん。ひっぱんないでよ?」
「うん。えへへ、リスちゃんふかふか」
 少女に抱きつかれ、バナーはくすぐったさと共にようやく笑顔になった。
「それじゃあ、続きをするかぁ」
 ゲーヴィッツの声に、全員一致で拳をあげて応える。

 埃をはたいて、家具は乾拭きして、曇っていた窓ガラスもキレイに水拭き、一部はペンキも塗りなおして、ゲーヴィッツの持ち込んだ道具の数々で屋敷はすっかり見違えた。
 それでも、そこかしこに開いた穴のいくつかはそのまま残されているため、ここがオバケ屋敷と呼ばれるに足る場所の雰囲気は十分に残っている。
 玄関ホールに揃って並び、修繕の完了した邸内を見渡し、ゴミもきちんと袋に詰めて並べて、誰もが清々しい達成感に浸った。
「遊びに行くのは構わないけどな、うちの人が心配するからちゃんとひとこと言ってからにするんだぞぉ」
「「「「はーい」」」」「「ハーイ」」
 見事に揃った子供と鳥たち全員のいい返事に、思わず梓は瞬きする。
「なんだ、ずいぶん素直じゃん」
「でも、ボクもなんだか嬉しくなっちゃうな」
 散々な目に遭わされたけれど、しかも一部屋敷を破壊しかけたけれど、お互いに謝って、協力し合って、今では不思議な連帯感を覚えている。
「さてと、それじゃあ俺たちは最後の仕上げといこうか」
 エドガーは微笑み、梓、バナー、ゲーヴィッツ三人を世界図書館に誘う。
「世界司書ヴァン・A・ルルーへ事の顛末を伝え、屋敷の存続を認めてもらって初めて《依頼》は完遂されるんだからね」
 笑顔がまた大きく弾けた。


 後日。
 報告を受けたルルーの計らいで、廃屋はご近所の理解のもと、《モノマネ鳥》ムーとアーの正式な住居となった。
 お祝いと称して子供たちがこっそりと企画した《秘密のパーティ》には、エドガーとバナーと梓とゲーヴィッツだけが特別ゲストとして招待を受けた。
 そこで全員を巻き込んだ不可思議な騒動が起こるのだが、ソレはまた別のお話。



END

クリエイターコメントエドガー・ウォレス様
音成 梓様
バナー様
ゲーヴィッツ様

はじめまして、こんにちは。
このたびは世界図書館に持ち込まれたご近所トラブルの解決に乗り出してくださり、誠にありがとうございます!
存分に怪奇現象に振り回されてくださったり、屋敷のために色々と配慮してくださったり、まったく違う方向性からアプローチしてくださったりと、行動計画は素敵で可愛らしくて温かくて、ほんわりしてしまいました。
皆様のおかげで、《屋敷》の謎は無事解明されました。
ドタバタしつつ、楽しく、元気に、ほのぼのとしたひと時となった曰くつきの《屋敷探索》はいかがでしたでしょうか?
エドガー様、梓さま、バナー様、ゲーヴィッツ様、皆様にとってこの依頼が思い出に残るものとなりましたら幸いです。

それではまた、別の案件で皆様とお会いすることができますように。
公開日時2010-05-18(火) 19:30

 

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