インヤンガイに落ちた世界計の欠片を脳に所持した状態で保護されたキサ・アデルは力のコントロールが出来ると司書から判断されて再帰属が決定した。 ロストレイルが地下にある駅に到着し、地上にあがると太陽の眩しい日差しが出迎える。「キサは、インヤンガイに帰りたい」 駅から一歩出てキサは目を眇める。「キサは、待ってる人がいる」 一歩、また進んでキサは呟く。「……けど私は」 キサは護衛であるロストナンバーたちの和やかな笑顔や呼びかけに突如足を止め、逆方向に走り出した。 誰も彼女を止めることは出来なかった。 どこをどう走ったのかは覚えていない。建物の密集した路地のなかで息を乱したキサは立ち尽くし、胸の上に光る小さな鍵のついたアクセサリーを握りしめた。「私は、まだ消えたくない。みんなといたい。私は……私は、私は……私は、……!」 ――見つけ、タ 不気味な囁きがキサを飲み込んだ。 彼女を探して、ようやく追いついたロストナンバーが見たのは昏い路地に佇む少女だった。その瞳は妖しく輝き、口元ににっと笑みを浮かぶ。「すばらシい、これほどノ力とは! ワタシの所有する記録、すべてヲ使っテ、今度こそ! 星を手に入れヨウ、イヴ! 今度こそ、星にだって手が届ク! 死者だって蘇ル、この落ちてきた星の知識と力を使っテ!」 めきぃと音をたてて少女の内側から出現したのは薄い紫色の化け物――チャイ=ブレ? と誰かが囁くが、こんなところにそんな化け物がいるはずがない。 だが、少女は完全に蚕じみた化け物に飲み込まれ、その姿は見えなくなっていた。 化け物は嘲笑う。それに合わせて空気は響き、割れ、何かが、 ――さぁ、死者の門を開キましょウ?★ ☆ ★ 緊急事態としてロストナンバーを集めた世界司書は深刻な顔で語った。「理由は不明だが再帰属するはずだったキサはインヤンガイにつくなり、逃亡した。その結果、インヤンガイのネット上で記憶を食べると言われるチャイ=ブレに似た化け物に捕まり、利用されている」 インヤンガイでたびたび起こった神隠し事件に関わっているチャイ=ブレに似た化け物は記憶を食らう。それは過去世界樹旅団がインヤンガイに放ったワームのデータを元に強欲な一部のインヤンガイの者たちが術と霊力によって作った劣化コピーだと推測されている。 その飼い主であるイヴという少女は大切な人を失って、死者を蘇らせようとした。霊力をエネルギーとするインヤンガイのサイバーシステムには悪霊が入り込むことからヒントを得て、魂のソフトウェア化を企んだのだ。しかし、それは失敗した。 飼い主であるイヴを亡くした化け物はたった一匹で暴走をはじめた。 己の持つ記憶を正しく使うことのできる世界計の欠片を所有するキサを襲った。 キサの所有する欠片は力を与え、吸収し、生み出すこと。「化け物はキサの欠片から知識と力を得て、自分の所有する死者のデータ……インヤンガイに死者を復活させた。これはすぐに鎮圧する必要がある」☆ ★ ☆ 五大非合法組織・美龍会――暮れてゆく黄昏のような、朱色の鬼がアヤカシたちを統べる。 狂声――誘惑 銃声――合図 歌声――はじまり、だ。 鮮やかな朱、金、銀……目にも眩しい歓楽街にあがる悲鳴、逃げ惑う人々を追うのは黒い靄が人型をした、顔の箇所に面を被った鬼だ。 ある者は刀をふり、ある者は爪をのばし、ある者は牙で生者を食らう。 そのなかをぬっと移動する大きな影があった。二メートルほどの巨体、肉体は鮮やかな紺と朱の着物を着崩し、ひとふりの刀を持って鬼どものなかを平然と歩いていた。――美龍会の長であるエバだ。 彼は纏った衣をひらめかせ、刀をかかげる。とたんに大地が悲鳴のような音をたてて、地脈のなかにある霊力は高められて街全体を包む。「さぁさぁ! 生きる者よ、逃げろ、怯えよ、この街を百鬼夜行がとおるぞ! 死して迷うならこの道に通じよ、そして殺せ、壊せ、奪い取れぇ! 我が名は、エバ・ヒ・ヨウハァ! 鬼のなかの鬼、朱天鬼! 向かう者があれば正々堂々と受けてたつ!」 エバが壮絶な顔をした赤い鬼の面をかぶると、その体がよりいっそ力を増したように思える。 赤い、紅鬼がそこにいた。 鬼の影からぬっと黒スーツの老人といってもいい年齢の男が笑いながら姿を現した。鳳凰連合の相談役であるリョン。その両手には黒い手袋をはめ、億劫げに首を軽く曲げた。「サシで殴り合うね。ま、おれにゃあ、ちょうどいい。いくらだって相手してやる。お前らが正しいっていうなら、な」 ざし。目にもとまらぬ速さで崩れた建物から落ちた瓦をリョンは殴り飛ばした。「鳳凰連合暗部隊長、リョン・服部! 鎖拳によって直々に相手願う! 向かってくる者はどこか!……いっまさらだぁ、逃げもかくれも命乞いもナシ、正面きって殴りあおうぜ。お前らのいいたいことも伝えたいことも含めてその力で聞いてやるよ。逃げ道も、悪いが塞がせてもらったぜ」 にぃとリョンが笑う。 同時に、背後で爆発音が轟いた。 街の入り口前。黒い影が二つ、踊る。街全体が歓楽街となっているため、周囲は壁で包まれ、西、南、北、東の四か所に門が存在し、そこから出入りする作りとなっている。東門に外へと逃げようとする人々が一気に押し寄せてくるのに黒い影の一つが人々の前に現れて手に持っていた瓶を叩き割る。「なんだ、これ」「っ、眼が、鼻が」 あまりの強い香りに視覚、嗅覚、果ては味覚もやられてまともにしゃべられない人々に瓶を叩き割った人物――暁闇に属する香師のハイリーブは無感動に見つめて、一緒に移動していた白い仮面をつけた女をちらりと一瞥した。 彼女は地面に手をつくと数分後懐からライターを取り出して火をつけた。小さな火は驚く勢いでうねりあげて龍の形となって人々に襲い掛かった。 ハイリーブは自分の鼻先に小瓶をあてて一定的な興奮状態に肉体をもっていくと素早く彼女を横抱きにしてその場から逃げ出した。 世界は炎によって変わる――炎は世界を飲み込んでいく。「本当に霊力の流れが読めて、編みこめるのか……特殊な力に秀でた人を魔女っていうらしいけど、本物の魔女にお目にかかったのははじめてだ。キサ」 白い仮面で顔を隠し、口元しか見えないために表情も一切読めない彼女は燃える炎を見つめていたがふと口を開いた「次は西よ、そして南、北は最後でいいわ。逃げ道をすべて炎で封じれば、この街はおしまい。霊力の炎は容易く消えないから行きましょう。私の霊力を編み込むには時間がかかるし、戦うとなると霊力の糸で相手の動きを封じたり、邪魔したり程度だし。それに旅人のなかで呪いを解けるやつがいたら厄介、やるならはやくしないとめんどくさいわよ?」「はいはい。あなたさ、旅人とはわりと親しかったらしいけど、いいの?」「……お墓参り」 ぼそっと彼女は告げた。「鴉刃も、優も、ムシアメも、来てくれた……幸せの魔女たちは仇をとってくれた、だからもうこれ以上は望まない。私は私のすることをするわ、おたくもおたくのことしたら?」「俺は、ボスの望みのままに動く」 ハイリーブは眉根を寄せてキサを見た。「お前、旅人と殺し合えるのか? 裏切ったら殺すぞ?」「必要なら私はいくらだって騙すし、嘘をつくわ……あいつらのせいで身内が死んだわ。莫迦でろくでなしだけど、私のたった一人の大切な、存在だったの。それをもう一度戻してもらえるチャンスならに、すがりつくわよ」「ふぅん。ならいいけど、その面は?」「もう会す顔はないから」「ま、やるべきことしてくれたら別にいいけどさ」 ハイリーブが前を見るのに彼女は小さく囁いた。「嘘つくし、騙すくらいするわよ、必要なら、ね……もう十分、してもらったから」==============================================================================!お願い!イベントシナリオ群『星屑の祈り』は同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。==============================================================================
空は純粋な闇を孕むのに、地上を見れば淡い赤が広がって悲鳴と雄叫びが轟いていた。 相沢優は痛ましげに顔をしかめた。街区は違うが、ここには友人であるリオ、リエ、ベンジャミンがいる、自分が知らなくても普通に生活をしている者たちが大勢いるのだ。 このまま一夜の悪夢として復活した死者たちにインヤンガイを破壊されるわけにはいかない。 優はタイムを空に放った。 街のひどい有様をただ見ていたくない。出来れば、逃げ道を確保する手伝いをしたい。それに司書が伝えたことが本当なら死んだ知人であるキサもいるのだ。まずは彼女を探して、問いかけたい。 「あーあ、えらいことになってるなぁ」 横にいるムシアメの顔も険しい。現在は人間であるが、本性は蟲であるムシアメにとって炎は最も苦手なもののひとつだ。街のなかに吹き出す炎を見れば恐怖を抱いたとしても仕方のないムシアメは拳を握りしめて、一歩も引かずに向き合っていた。 「ここに、キサはんおるんやなぁ」 「ムシアメさん」 「作戦、わかってるで、よろしゅうな。炎は怖いけど、たちむかわんとな」 「ええ……いた! あれは、やっぱり、キサさん? けど、仮面をかけて、まるでフェイさんみたいな」 優の目に建物の小道を移動する影が見える。一つは知らない男、もう一人は長い髪を一つにくくって仮面で顔を隠しているが、記憶のなかにあるキサが蘇る。それに仮面はフェイのもののように思えた。 「やっぱりキサはんおるんか。あかんな、わい、キサはんには弱いかもなぁ」 ぼりぼりと頭をかいたムシアメは、よしっと気合いをいれる。 「けど、逃げるわけにはいかん。矜持『呪い紡ぎのムシアメ』にもかかわるからな」 「じゃあ、移動を」 「キサがいるとは真か?」 するりと黒闇の化身のような飛天 鴉刃が長い尾をひらりと揺らして歩み寄ってきた。 「すまぬが、その場所に教えてくれぬか」 「構いませんが」 「なに、挨拶しに行くだけだ。そのあと私は大通りの騒動に行かせてもらう、こいつとな」 ちらりと鴉刃が片方だけの金目を動かして示すのは機械戦士のガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロード 「相沢殿。ムシアメ殿。貴殿等は此度の敵と因縁が深いようであるが、であるからこそ徹底的に打ちのめし二度と蘇る事の無い様にするべきである。それが死者への弔いというものである。頑張られよ」 優は頷き、己の目で見たものを口にする。 そして四人は己の目的のために走り出した。 ★ ☆ ★ 星が遠い。 深い闇。 そして彼女は再会する。 「久しぶりであるな。生まれ変わり、と言われている赤ん坊……今は少女か。の手によって黄泉還った心地はどうだ?」 しじま 淡々と まるで昨日の会話の続きのように 「やはり。お前の方が『キサ』であるな。それで、フェイをどうこうしにきたわけか? 別に私はお前と死合いに来たわけじゃない、別の者がお前に用があるであろうしな、そいつに任せるさ。ただ何だ。昔馴染みにちゃんとした別れを告げておこうと思ってな。黄泉還りというのは信じてはおらぬが、こうして目にした以上は仕方あるまい」 じれったくなる、しじま 淡々と まるでいつもの会話のように、けれどなにかが欠けていた 「目、どうしたの」 「目? 百足を殺した時に持ってかれた、それだけである。まぁ支障もでたが……今は慣れた。問題ない」 「幸せそうね」 「ふふ、馬鹿な私に付き合ってくれる、可愛い素敵な猫がいる」 「そう、手に入れたのね」 しじま。 「だったらどうして、ここにきたの。幸せなままでいればいいのに、切り捨てればよかったのよ。災いはすべて。片目を失った暗殺者なんて役立たず……欲してくれる人のそばにいて、幸せになればよかったのに」 「先ほども言っただろう、別れを告げに来たのだ」 「ばかね、ほんと」 愛しげに 「……エバ」 優しく 「約束を守れなくてすまなかった。けれどこれでもうすべてチャラだな」 「約束? ……待て! お前は」 「ありがとう、さようなら……もうこんな遠くで、祈るしかできないから」 しじまを破壊する紅蓮の炎のなか、彼女は消えた。 「……お前はキサか、それともフェイなのか?」 残されたのはただ祈りを孕んだしじま ★ ☆ ★ 「ほな、作戦通りにいこか」 ムシアメは「加速の呪い」を自分と優にかける。通常よりも体は軽く、空気の抵抗も少なく二人は混乱した街に並んで建つ平屋の屋根の上を移動した。 ロストレイルで優はまず友人がインヤンガイに行くというのに餞別としてくれたシュールストレミングの缶を持っていることをムシアメに告げた。 これは壱番世界で「もっとも臭い」といわれる缶で封を開けるとその臭さに目も嗅覚もやられてしまうほどである。 一体、あの悪戯好きな友人はどこで購入したか知らないが、これが役立つだろうと渡されたときは素直に感謝した。 それと一緒にガスマスクも二つ、用意してある。その一つはムシアメに渡した。 作戦はいたってシンプルだ。 ムシアメがキサを押さえつけ、その間に優はハイリーブに接近して缶を開ける。そうしたらどうなるのかははっきりと予想できないが、混乱している間にすべてのカタをつければと願わずにはいられない。 優は足をふと止めた。 「優はん?」 優の目は燃える街中を見ていた。紅色に染められ、建物のきしみ音と人の悲鳴が聞こえると胸が痛くなる。 なんとかしたい。そう思ったとき自分のズボンのポケットに水の魔力を秘めた水の魔力を宿した小さな玉があることを思い出した。 人を救えるのなら 玉を取り出して優は力いっぱい投げた。玉は優の心の願いを聞き入れ、宙に放られると優しい雨となって降りそそいで火を消し、傷ついた人々を癒していく。 「……あ」 水の玉は宿していた力をすべて使い果たしてひび割れた状態で優の手の中に律儀に戻ってきた。優が手のなかにひび割れた水玉を握りしめた瞬間、首に鞭が飛んだ。 「優はん!」 ムシアメが悲鳴をあげたときには遅く、優は屋根から地上に落下する。ギアを握りしめて結界を張り、落下の衝撃を最低限に抑えたがそれでも肉体に響く痛みは骨まで震わせた。優は四つん這いの状態で雨に濡れ、自分の首を絞めつける鞭の先を辿った。 「っ、ごほ、ごほっ……あ」 冷たい雨のなか、優は震える声で呟く。 「キサ?」 彼女は何も言わず、拳を握りしめて殴ろうとしてきたのに優は咄嗟に動けなかった。邪魔をしたのはムシアメのギアの針だ。鋭い針に「雷の呪い」を宿したそれがばちり! 水も協力してキサを弾き飛ばした。 「優はん! ……キサはん」 雷に吹き飛ばされたキサは水たまりのなかゆっくりと起き上がる。その横に男がいた。 「ふーん、こいつらが旅人か。まさか先回りしようなんて考えていたのか。この女がお前らの仲間を見つけるといい、先ほどの水といい随分と派手に動いたじゃないか」 先回りそのものには成功したが、キサは別の旅人と会い、自分が狙っていることを察した。それに優の人々を助けたいと思う行動はハイリーブたちに居場所を発見させてしまった。 「なんや、いまのはわざとばらしてやったんやで。わいらは強いからな」 ムシアメの挑発にハイリーブは目を眇める。 「ハッ、殺されたいみたいだな」 「それはこっちのセリフや。わいは呪術道具やき。いくらだって残酷に」 「なにが、呪術道具だ。役にも立たない蟲が」 凛とした声でキサが吐き捨てた。ゆらりと起き上がるとハイリーブの前に出た。 「どうしてここまできた? 馬鹿な蟲、お人よしの優、ここにこなければ見逃してあげたのに、ほっておけばよかったのよ。私たちのことなんて、この世界は私たちのもので、こうなったなら自分たちでケリをつけるしかないのに」 「キサはん、あんたの言う通りや、わいはいつも手遅れやけなぁ。その分、止めるには力尽くすつもりやねん。キサはん、弟分のアマムシから伝言。「墓参り行けずに、ゴメンな」っ!」 ムシアメの言葉を最後まで聞かずにキサが飛び出してきた。撓る鞭がムシアメの左頬を掠めたがムシアメも引かず、ギアを片手に握りしめて切りかかる。 風を切り、真っ直ぐに。 キサは身軽な動きで地面に手をつくと肉体をバネとして鋭い蹴りを放つ。ムシアメがそれをギアを盾に受けた。キサは迷わずさらに鞭で追いつめにかかる。 「……わい、道具やで。死ぬんちゃう、壊れるだけや。だから、壊れるまで、相手できる」 「道具? 壊れる?」 キサが動きをとめて、問いかけた。 「そうや、わいは道具や、やから壊れるだけや。死ぬんと違う」 キサが急に黙り込んだ。 「キサはん?」 「この馬鹿蟲がぁ!!」 激昂したキサは素早くムシアメの懐に駆けていく。 まるで考えのない突撃だったのにムシアメは防御を忘れた。胸倉をつかんだキサの拳はがつんとムシアメの左頬を殴りつけた。 「お前なんてここにくる価値もない! とっさと消えろ!」 「っ、キサはん」 肩を怒らせてキサは怒声をあげる。 「ムシアメさん!」 優が慌てて駆けつけようとしたがキサの背中を見てとまった。キサは、どうしてそんなに怒るんだ。ムシアメ相手に。先の発言だって、まるで 違和感が胸をいっぱいにする。もしかしたらと 「よそ見している暇があるのか!」 「!」 ハイリーブが迫ってきたのに優はギアで結界を張る。缶を開ける隙をつきたいが、さすがに簡単にはいかない。 「お前はずっとそう思っていたのか? ずっと、ずっとか? この馬鹿め!」 「なにが馬鹿なんや! わいは……ずっと手遅れやった! 手遅れで、何が最高の呪術道具や!」 自分を作り出してくれた術者と、その娘。キサと、フェイが……ほら、いつも手遅れじゃないか。ムシアメ。 最高だと言われても肝心なときに何もできない、それで何が道具だというのだ。道具であることは自分にとって大切な存在意義。それがどんどん揺らぎだした。何かを感じて怒りを覚え、大切だと思えて 「そうやって、いつも壊れていいと思っているから前に進めない。私が叩いたの、痛かった? 私も痛い。壊れたらもうそれもわからないのよ。お前は道具よ、けれど多くの人が求め、必要としてくれている、だから在るのよ。簡単に壊れるって言うのは、その人たちや、お前を大切に思っている私の気持ちを踏みにじっているのよ」 「キサはん」 「失望したわ」 キサはムシアメに背を向けると、優のそばを飛び回っていたタイムを鞭で捕えた。 「タイム! あ」 キサがもう懐に飛び込んでいた。掌打がさく裂して胃のものが逆流する痛みに優は呻いた。 「っ! キサ、……また、会えるとは思わなかった。嬉しい、けど、けど、こんな再会じゃなくて、あの時みたいに、当たり前みたいに君に、会いたかった」 優の手が弱弱しく伸びてキサの腕をつかむ。 キサは死んでしまったから、もう本当は再会できないはずだった。けど、目ま前にいる。だから信じたい。 「何も出来なくて、傷つけて、ばかりで、ごめん……ごめん、キサ」 「どうして謝るの、それに貴方が泣くの?」 わからないと、崩れるなかで優は、それでも力を振り絞ってキサの腕をしっかりと握りしめる。ここで彼女の腕を離してはいけないと思ったのだ。 「別に、お前が背負う必要なんてないのよ。私たちのせいだし」 キサはやんわりと優を振り払った。 ★ ☆★ まるで黒い矢のように彼女は突撃した。 立ち並ぶ建物の屋根を風となって進み、壁を蹴って赤鬼の首に真っ直ぐに狙って刃を落とす。鬼は大きな刀で、受け止めて弾いた。 剣戟。 矢はくるりっと宙で舞い、地面に落ちる。 「旅人か、名は?」 「ふむ、ではそちらの作法に則りこちらも名乗ろうか」 よく研いだ墨を垂らしたような龍人の鴉刃は今や、片方しか見えない目を三日月に細めて、しなやかに髭を揺らした。 「我が名は飛天鴉刃。ただの、隻眼の龍のアサシンである」 まったく、アサジンが正面からやりあうとはおかしな話であるがな、と鴉刃は冷やかにつけくわえる。 尻尾だけはひらりと揺れる。戦いに対する無意識に感じる興奮が胎の奥を熱くする。 「さぁ、『エバ』よ。鬼と龍、どちらが『エバ』か、死合おうか!」 鬼は牙を剥きだして笑った。 か か っ て こ い ! 龍と鬼の放つ気迫にリョンは顔をしかめた。 「ありゃ、火がついちまったな。で、俺の相手はテメェか?」 「鴉刃殿、そちらはまかせた! 我が名はガルバリュート•ブロンデリング•フォン•ウォーロード!アルガニアの誇り高き騎士にして姫の忠実なる守護者! そして星と星をまたいでおしおきしてしまう戦士である!」 「……俺のほうは暑苦しい全裸の変態かよ」 「なぬ! 拙者は星と星を」 「はいはい、わかったてのっ――!」 ふらりと近づいたリョンの左拳がガルバリュートの鉄面を叩いた。じりっと熱くなるような痛みにリョンは顔をしかめて、さっと左拳をひいた。その甲は皮膚が破けて血が流れる。 ガルバリュートは見た目こそ筋肉裸で変態臭すら漂っているが、そのひとつひとつは鍛え上げた筋肉には鉄が埋め込まれた完璧な戦士だ。人の拳などたいした威力にはならない。 「……へぇ、ただの変態じゃねぇってことか」 「不意打ちとは卑怯な! それがお前たちのやり方か! ふ、街のマフィアと星をまたぎ戦う騎士の格の違いを見せ付ける」 「言ってくれるじゃねぇか、坊や。久々に楽しませてくれよ?」 懐から紙煙草を取り出したリョンは口にくわえてガルバリュートと向き合い、不敵に笑った。 死の舞いがはじまった。 鴉刃は一瞬も止まらなかった。素早く動き続け、壁を蹴り、大地を飛び、正面から背後からと攻撃につぐ攻撃を繰り広げる。 たいして鬼のエバは刀で応戦する。強烈な奪う風となった鴉刃を追いかけ、攻撃を叩き落とす。その動きは流れる水のように無駄なく、放たれる一撃は火のように強烈だ。 ゆえに回避に重点をおいた鴉刃の行動は正しかった。さらに刀だけの一撃では防がれると理解すれば尻尾、蹴りすらその動きに取り込む。大地を蹴って飛びあがり真っ直ぐに放つ蹴り。鬼が腕で防ぐのに、さらに尻尾におる一撃。それは顔にあたると鬼が口を開いて噛みついた。 「くっ!」 鬼の爪は鋭く、黒肌を裂く。 「はぁ!」 龍は怒気を孕んだ声をあげて、鋭い爪にため込んだ力を叩きこむ。鬼の片腕に突き刺し、内側から爆発させる。血が飛ぶと、それに片目の視界が覆われ――きらめく刃が右から、なんとか身を反らしたと思ったが、右腹を抉る熱。 「ぐっ」 「はぁああああ!」 間髪入れずに掌打が放たれるのに刃を持って応戦する。 ――切り捨てればよかったのよ。災いはすべて。 まったくだな。 鴉刃は心のなかで答える。 別にインヤンガイがどうなろうと知ったことてばない、黄泉がえりなんてものは認められない。 けれどあれはキサだと思った。だから会いに来た。単純明快な理由。 恋人にまた心配をかける。傷だらけである自分を見せてしまう。ただの女になるのも悪くないと多くのものを振り払い、生きてきた ――もうこんな遠くで、祈るしかできないから そうか。 私は幸せになってもいいのだな。それを祈る者がいる。それを望む者がいる 単純明快な答え この現象はこの世界のものではない、ならば正そう。それが今の私に出来ることだ。 「それ故に私は貴様を殺し直す!」 距離をとって鴉刃は鬼と向き合う。血で濡れた刃を矢のように構え、片目に力をこめる。 片目では勝てない。だったら、神経をすべてそぞく。血が滾る、体の内側から熱がこみあげてくる。 祈りでは少なすぎる。私はここにいる、ここにいるから動く。放つ、刃となる。 全身で集中した鴉刃の肉体が黒く燃える魔力に包まれ、その開いた片目にほっと黒灯りが宿る。鬼は鴉刃が次の一撃の勝負に出たことに察知して、敬意をこめて、構えた。 燃えろ、 燃えろ、 私よ、 燃 え ろ ! 全身が刃となって、炎となって、鴉刃の片方の赤目が見る。 音もなく、風もなく、すべてが停止して、はっきりと見える! 「はぁああああああああ!」 「うおおおおおおおおお!」 鬼の放つ刃と龍の放つ刃が重なり合い、火花を散らす。 龍の刃は鬼の首を、鬼の刃は龍の左首の薄皮を裂いた。それは鴉刃の放つ刃が鬼の刃の軌道を僅かにとはいえ反らした、勝利であった。鬼は大量の血を流しながら笑った。 「くくく、楽しかったぞ、旅人!」 ガルバリュートとリョンは距離をとり睨みあう。下手に動けば狭い建物の道、すぐにぶつかりあうこととなる。 孕んだ殺気。 ガルバリュートが動いた。リョンはすっと目を眇めて地面を蹴って飛んだ。先ほどの攻撃で盛り上がった筋肉に突き手をすることが愚行だとはリョンは学んだので回避に回るつもりらしいが、それをガルバリュートは許さなかった。背後に回ることをバーストの炎で牽制し、動きが鈍ったのを片腕を伸ばして、その細い足を捕えた。 「何故ここへ来たか……適材適所。強いて言うならば、この馬鹿げた幻灯を終わらせる為。それが生きる者の勤め! 貴様ら亡霊でもないデータの残骸に興味はない。速やかにdeleteしてくれる!」 ふらっと片足を掴んだままリョンを地面に叩き付ける。 「ぐはっ!」 リョンは両腕で致命傷をギリギリで回避したが、その口から血が溢れる。 「貴殿たちは問うたな! 正しさとは己の中の信念。そして強さとは信念を実現するものである。わが信念は、貴様らの様な命を軽んじる者から弱き者を守ること!」 「ご立派だねぇ、戦士さまはよなぉ!」 片腕を捕えたままリョンは笑い、ガルバリュートが再び大きく持ち上げたのに身を捻って蹴りを腕に放った。 「ぐっ」 ガルバリュートは再び乱暴にリョンを地面に叩き付けるが、そのときようやく自由になったリョンは蛇のように素早くガルバリュートの懐に飛び込んだ。唯一残った右腕でガルバリュートの腹を撃つ、撃つ、撃つ 骨が砕けることも気にしない死を狙う一撃はひとつ、ひとつが重く、鉄を撃つ。 膨らんだ筋肉が熱を抱き、ぐしゃっと血を吹き出す。 「うおおおおおおおおおおお」 ガルバリュートは素早く動き回避を試み、リョンの捕獲を試みる。リュンもバカではない、それを察してバックステップを踏んで距離をとろうとするが、すぐにそれを止めて突撃に変更した。スピードと筋肉でガルバリュートが勝るのであれば下手な逃げは意味がないと理解したからだ。 「はぁ!」 ガルバリュートの渾身の一撃をリョンは既に使い物にならない右腕を差し出した。右腕が吹き飛ばされるのに、左拳が腹を叩き、また血肉が散る。 「く、おおお!」 怯む体を前へと押しての進行によってリョンの首を掴んだ。このまま力をいれて首の骨をへし折るつもりなのにリョンは殺意をたたえた目を向け、笑い、片足にすべてを賭して放った。 「しねぇ!」 「ぐっおおおおおおお」 最後はもう力と力のせめぎ合いだ。 ガルバリュートの迷いのない力がリョンの首をへし折り、リョンの片足はガルバリュートの仮面を凹ませ、ひびをいれた。 二つの力は崩れ、散る。 起き上がったのはガルバリュートのみだった。 「く、軽く眩暈がするが……鴉刃殿、無事か!」 「うむ」 鴉刃は全身からじっとりと汗をかき、黒い魔力に包まれていた。それがふっと消えると、くらりと崩れた。大量の魔力を放出しすぎたのだ。ガルバリュートがそっとその体を支える。 「鴉刃殿、無事でなにより。我々は所詮殺傷機械に過ぎぬ。だがその力を正しく使うこともできれば放棄して新しい生き方と幸せを掴むこともできる。貴殿のこれからに神の祝福を」 「まだだ……ムシアメたちは」 ☆ ★ ☆ 失望した 自分は道具で、だから壊れるだけだと口にしたとんたにキサは激怒して、低く吐き捨てた言葉がムシアメに重くのしかかる。 けど、これがわいや。 道具は壊れても、構わない。けれどキサは殴り、痛みがあると聞いた。痛い、痛い、そうだ、痛くてたまらない。大切なものをなくしていくたびに痛みが胸を焦がす。 だからムシアメは優とともに走っていた。 「見つけた!」 ムシアメがギアの針に糸をつけて飛ばすと前を走る彼女は足をとめて、鞭を振って相殺した。仮面の奥に見える目は激しく怒りを孕んでいる。 「まだ、来たの。飽きないわね。ハイブ、悪いけど、門をお願い」 ハイリーブが駆けていくのに優は迷って足をとめたがムシアメが頷くのに頷き返し、駆け出した。 「キサはん」 「がらくたが何の用?」 「あんたを倒す!」 「壊れる覚悟で?」 キサは再度問うのにムシアメは体をかたくした。 「そんな考え、誰も歓びはしない。道具なら、良く知りなさい。人は想うから思われるのよ」 「それは人のことや」 「道具も同じよ。あんたは今までなにを学んできたの?」 キサは小首を傾げた。 ムシアメはキサを殺されて怒り、立ち向かった。炎を恐れながらも。そのあとクランチと向き合い、赤ん坊の誕生に立ち会い、その子に生きてほしい、大切にしたいと、はじめて知った感情に戸惑って。 「わいは」 「壊れてもいい安いぽいものならたいしたことないって自分で口にしているのと同じね」 「! ちがう!」 ムシアメが声を荒らげたのにキサは残酷な笑みを浮かべた。 「壊れてもいいんなら、壊れろ! 私は死にたくない、壊れたくもない、私の目的を達成する」 それは炎のような言葉だった。 壊れてもいいと、はじめからどこか諦念を孕んだムシアメの心がちりちりと見えない紅蓮で焼かれる。 キサは真っ向から挑むのにムシアメはギアの針を握りしめて向き合う。 「わいは……わいは壊れへん! 作ってくれた人やお嬢や、アマムシはんが、わいは道具や! 最高の呪術道具や! その誇りがある!」 道具はいつか壊れる、そうだ壊れても仕方がない。けれどそれはちゃんと使われて、役目を果たして、大切な人が笑ってくれたときだ ムシアメの雷の呪いを宿した針がキサの肩を突き刺し、貫く。 キサは声にならぬ悲鳴をあげてその場に崩れた。 ハイリーブがキサに意識を向けた一瞬の隙をついて優は懐からガスマスクをとりだした。 「タイム、遠くに飛ぶんだ! いくぞ! ムシアメさん!」 ぷしゅっ。音をたてて缶をあけた瞬間にガスマスクをしていたが思わず優は吐き気を覚えた。 ハイリーブは鼻を押さえて身悶えた。 「ごっふ、きっつぅ。め、目ー!」 キサを助け起こそうとしていたムシアメは一瞬、動作が遅れて悲鳴をあげてガスマスクを取り出した。 噂に聞いていたが、まさか、ここまでやられるとは思わなかった。 優は咳き込むハイリーブの懐に入ると、腕をとって捻った。 「きさま!」 「ムシアメさん」 「わかっとる!」 ムシアメの投げた針をハイリーブは憎々しげに睨むと懐から小さな瓶を取り出して優にぶつけてきたのになかの液体が視界を歪めて腕を離してしまい、ハイリーブが逃げようとしたが、その前に紅の炎が現れて遮った。 「今や!」 ハイリーブが炎の壁に動きをとめた隙をついてムシアメの糸が、彼を拘束した。 「……いまの、炎は……あ」 優は声をあげる。 仮面をとったキサの目は赤――フェイが持つ忌眼を宿していた。 「フェイ?」 「ああ……双子のせいかな、あの化け物の記憶のデータが混じってこんな復活をした」 キサであったものが冷たく返事する。 「フェイ、さん?」 くすっとキサ、否、フェイは笑う。 「……お前たちにはいつも迷惑をかけて、合わせる顔がなかったが。キサと混じって復活したとき、どうしても、この街を守ろうと思った、ここは俺たちの世界だ。俺は……いろんなものを壊してきたが、キサは守りたいと口にして、せめて、こんな形でも償いが出来ればと思った。最後のチャンスに、だから敵の隙をつく必要があったんだ。悪かったな」 優はふるふると首を横にふると、笑顔を作った。 「信じてました。キサのこと、フェイさん……っ、ごめん、ごめんなさい」 そっと手が伸びて優の涙を拭った。 「なぜ謝るの?」 「だって」 「私は出会えてうれしかった。あんたらと馬鹿するのも楽しかった。救ってくれた。いつも。だから感謝してる。今回もさ、来てくれて嬉しかった。信じてくれて。……俺とキサだけじゃ、何も出来なかった。もう十分だと思った。けど、来てくれた。ありがとう。お前たちには、感謝している」 優が見たのは本当に嬉しそうな笑顔だ。 「わい、キサはん、フェイはん」 迷うムシアメの胸を双子は叩いた。 「壊れるな。キサにまた殴られるぞ。お前も俺と一緒で手間がかかるやつだな」 双子は首を傾げた。 「殴ったの、謝らないわよ、ムシアメ」 「キサはん、フェイはん」 「あんたはちゃんと来てくれた。助けてくれた。戦ってくれた。なにも手遅れじゃない。この街を救ったのは私の知るなかじゃあ、最高の呪術道具のおかげよ。ありがとう」 ムシアメはゆるゆると笑った。 「わいは、呪術道具や。人の役に立つんや。そのために存在するんやで」 街に風が吹いた。冷たさと微かなぬくもりを宿した、優しい風が。
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