陰と陽が混ざり合ったインヤンガイの月陰花園。 なかなか物騒な世界であるが、そのなかで他の街の争いとは距離を置いた夜の美しさと夢をばらまく花街。 そこは他街の権力者においては『中立街』として、争いはご法度となっている。唯一、他街の権力者同士が平和的な話し合いなどの席を設けることのできる貴重な場所。 ここ最近、インヤンガイの街の平和は乱され、大きく変化した。 現在、かなりの広い範囲の街をその手中に収め、混乱した街の統治と経済回復をはかるために奮闘しているのがヴェルシーナのハワード・アデル。 彼は護衛も連れずに月陰花園にやってきた。「久しいな。銀鳳」「ほぉ、本日は何用で」 銀鳳は鷹揚に応じた。その後ろには護衛のリオがいる。「なに、ビジネスの話だ。ここ最近、争いが多かったがもうすぐ正月だ。その前に死んだものたちの供養をしたいと世界図書館の者から言われてな。せっかくだから、それは応じようと思うが、それだけでは少しさみしいだろう。そちらで彼らを出迎えてやってくれないか?」「うむ。そうして少しでも他の街の者たちが楽しめば、まぁ、一つだろう」「インヤンガイは陰と陽の世界。なら、ちょっと陽らしく振舞ってみるか」「インヤンガイのラオ・シェンロンから情報です」 珍しく鳴海はにっこり笑いながら、クリップボードを見下ろす。指先で中身を追う仕草はいつも通りだが、内容が無害、むしろ楽しげなせいだろう、或いは【年越し特別便】であって、自分も出かけられるかも知れないと思っているのか、心なしか嬉しげだ。「今年インヤンガイで大規模な抗争と破壊があったのはご存知かと思いますが、世界図書館からの発案で、鎮魂と復興支援の催しが行われることになりました」 インヤンガイの広範囲の街を安定させつつあるハワード・アデルからの申し入れがあり、月陰花園を取り仕切る『弓張月』の銀鳳が同意して、月陰花園でも人々の傷みを和らげる催しを計画したらしい。「戦場跡での鎮魂の催しに加わる形で、月陰花園の『花塚』……もとは『捨塚』と言ったそうですが、ここで『灯送り』という催しが行われます」 元々、不遇な亡くなり方をした仲間を、公的に見送れない娼妓達が始めたもので、油を入れた小さな皿に火を灯し、心残りがないように、とか、次の命では楽しく暮らせるように、と祈って、皿に伏せられるような盃でちゃりんと音をさせて蓋をし、火を消す。「客が来る前の宵闇にちゃりん、ちゃりんと音をさせてやると、祈りが届くという伝えがあったそうです。他にも、えーっと」 鳴海は文章を指先で追いながら読み上げる。「『闇芝居』が花街行列を、『金界楼』『銀夢橋』の娼妓達が露店を、『幻天層』では舞台を、とそれぞれに趣向を凝らし、古い年を送り、新年を迎えるにふさわしい催しをするということです」 ちなみに、『弓張月』『菊花月』は『灯送り』を仕切る。「皆さんも、もしよろしければ、インヤンガイの復興と安寧を祈り、年が変わる一時を月陰花園で華やかに楽しまれては如何でしょうか」 鳴海は準備したチケットを、扇のように広げてみせた。「お初にお目にかかる。『弓張月』が用心棒、楊虎鋭と名乗る半端者だ」 『闇芝居』の一室に通された虎鋭は、現れた『暗闇姫妓』に頭を下げる。 和風の一間、しかし中央には紅の毛氈が敷かれ、細かな鳥や蝶の図柄が螺鈿で描かれた漆塗りの机と椅子、周囲には贅沢の限りを尽くした壺や鉢が磨き抜かれた漆の棚に飾られている。 障子を下子に開かせ、椅子も引かせ、自分は何一つ触らぬままに正面の椅子に座った『暗闇姫妓』は、艶やかな黒髪のおかっぱの下、瞳を煌めかせて、虎鋭をねめつけた。「あたしが来なければ、どうする気だった?」 ずっとそうやって立って待っているつもりかい。「こちらは金鳳の手下、主の顔を潰すようなまねはしない」「昨今、よく聴こえてくる、『菊花月』とクソ女を表になり裏になりして庇う男の話が。別世界から来て、そんなにリーラの具合がよかったのか?」 かかっ、と男のように嘲笑う声に、虎鋭は平然としたものだ。「『暗闇姫妓』は商売に聡いと聞いている」「ふん?」「今回の催しでは、花街行列をお願いしたい」「ふざけるんじゃないよ」 『暗闇姫妓』は引き裂かれたような傷跡がある両肩を大袈裟に竦めてみせる。「あたし達はみんなこんな傷持ちさ、艶やかさとは無縁だ。そんな話なら『銀夢橋』か『金界楼』に振りな」 けれども、その傷だらけの両肩に、なお刺青を入れて傷を際立たせ、しかももろ肌脱ぎの衣装を着て唇を歪める『暗闇姫妓』に、芯から落ち込んでいるそぶりはない。「『暗闇姫妓』は恐がりなのか」「何い」 虎鋭は微笑した。初めて見る女は誰でも魅せられるという、悪戯っぽい苦笑に黄金の瞳が細められる。巨大な美しい虎に射すくめられるような視線、『暗闇姫妓』も一瞬ことばを呑む。「傷があっても、いやむしろ、傷があることで客を引き寄せている、そう思っていたんだが、噂だったか」 傷は自分の生き様だ。『闇芝居』は生き様を晒して男に問うている、お前の人生と自分が釣り合うのか、考えてから買いに来い、と。「そういう女達なら、一緒に並んで歩いてみてえと思ったが、とんだ見当違いだったな」 邪魔をした、と踵を返す虎鋭に、「お待ち」「何だ」 肩越しに振り返る顔は、本人が意識しているのかいないのか、かつて間諜として名を馳せた実父にひどく似ている。「あんたがあたしらと歩くって?」「俺もまた、傷持ちだ」 声音が深くなる。「衣装を貸してくれるなら、女装もしよう」 今回の催しに協力してくれと連絡をよこした仲間の顔を思い浮かべる。 どんな顔をしやがるだろうな?「……面白い」 にやりと『暗闇姫妓』は唇の片端を上げた。「リーラの前で絡んでやろうか」「ああ、残念だが」 虎鋭は苦笑しながら肩を竦めた。「あいつには、見物してる暇はなさそうだ」 「『花王妃』、本気で妾に望むのかえ」 『銀夢橋』と手を組み、月陰花園に露店を並べよ、と。 きつい黄金の瞳は見慣れている。浅黒い滑らかな肌を金糸銀糸の豪華な衣で覆っている『金剛砂妓』は、顔が映るほど磨かれた床に、かつかつと神経質に靴を鳴らす。「妾はしきたりには筋を通す。『花王妃』が権限もって妾にそうせよと言い、こちらの手下が『花王妃』を殺せぬのなら、仕方なく応じもするが」 『金剛砂妓』はさらりと物騒なことを口にしたが、特に自分が相手を脅しているとも思っていないようだ。床に直に座っているリーラを見下ろし、何度かその金色の尖った靴の先を、リーラの目の前で上下させているのもそうだ。ただ、手持ち無沙汰に、或いはまた、足先が暇故に、と応えることだろう。「では、ただいまは殺されておりませんので」 リーラは微笑んだ。「是非にお願いいたしましょう。『銀夢橋』にはリオが出向いております。あちらの『虹宮妓』は海鮮の煮物焼き物、菓子に酒などを振舞う予定を聞き及んでおります。『銀夢橋』は『涙宮妓』がお休みになられてから、いささか客足が遠のいているご様子、この催しにてお客樣方に店の名前を覚えて頂こうとされるようです」 ぴたり、と『金剛砂妓』の足が止まった。ぎらりと瞳を輝かせて、リーラを見る。「聞き捨てならぬな、『銀夢橋』のみに栄えの機会をやるのか」「よって、私は『金剛砂妓』にお尋ねに参りました」 『金界楼』は如何されますか、と。「相も変わらず、無礼な女め」 妾が『虹宮』に恐れを為したと嘲笑われるのは我慢がならぬ。「よかろう、『金界楼』はお客方に遊んで頂こう」 弓やつぶてや羽根玉による射的、細工物のくじ引き、繭玉釣り。「繭玉釣り…とは」「知らぬのか」 『金剛砂妓』が大仰に溜め息をついてみせる。「紅粉を溶かした水に、白い繭玉を浮かべてな、それを小針と糸で釣る。紅粉はすぐに繭玉にしみ込む、真っ赤になれば沈んで釣れぬ。釣れた数を競うて遊ぶ。ああ、なるほど」 『花王妃』は下賎の生まれ、貧困の暮らし、繭玉のようなものはとても買えぬか。「手が届かぬものでございます」「ふむ、ならば大盤割りはどうか」「大盤割り、とは」「それ、そこに皿があろう」 『金剛砂妓』が顎で指し示したのは、赤や青、緑や黄色で鮮やかな絵が描かれた皿だ。「ああいう皿を一撃で割ってみせる、力勝負よ」「しかし、それで皿が」「勿体無いか、これだからのう」 『金界楼』にはあんな皿、叩き割って捨てるほどにある。「ついでに、処分いたそう。妾も力の技は見たい」 楽しませてもらおうぞ、『花王妃』。「有り難う存じます」 満足げに頷く『金剛砂妓』に、リーラは静かに頭を下げた。「あい分かった」 『幻天層』の『茜海妓』は手にした扇をぱちりと閉じる。 金銀の刺繍鮮やかな緑の薄物、額に虹色の三枚鱗、黒髪にしゃらしゃら鳴る銀細工の冠、耳には魚の鰭を模した金飾りが重たげに揺れる。 目の前の眼帯の男をひんやりと眺めながら、「『弓張月』がまとめた話ならば、背く訳にもいくまいよ」 それで演目は何が望みなんだい。「まあもっとも、あんたは見られないだろうけどね」 嘲笑う口調は金鳳にも辛辣だ。「確かに俺は見えないが、歌は聴こえる、天上の美歌は」「…」 ぴくりと『茜海妓』が扇を揺らせていた手を止める。「『菊花月』の女どもが、『灯送り』で多少は音曲をやるかも知れない。だが、『幻天層』では、そんなもので済ませる気はないだろう?」「『菊花月』か。『涙宮』はどうしてる?」 鋭い視線で問いかける。「まさか、あれが歌うわけじゃあるまいね?」「歌ったところで、華宇海には及ばないだろうよ」「っ」 はすっぱな口調で応対していた『茜海妓』が息を呑んだ。「……当たり前さ」 華宇海は『茜海妓』の前の一番娼妓、『茜海妓』にしてみれば、誰にも代え難い姉娼妓だった。「華宇海姉さんに叶う歌い手なんぞ、あるわけないよ」「月陰花園の幻は『幻天層』が描いている、俺はそう思ってたんだが、違ったのか」 口調が虎鋭と似て来たぜ、と金鳳は苦笑する。だが、効果的なんだよな、これは。胸の内の呟きに応えるように、声が響いた。「……あたしじゃ、華宇海姉さんの後釜も務められていないって言うのかい」 『茜海妓』は扇を机に置いた。金鳳には見えない一礼を、誰かに向かって深々と頭を下げる。「では、銀鳳さんにお伝え下さい。『幻天層』は確かに舞台を引き受けました、と」「演目は」「決まってるじゃないか」 『茜海妓』は掠れた声で言い放つ。「『悲恋幻天夢』」「街が浮き立っているな」 銀鳳はそれぞれからの報告を聞き、薄笑みを浮かべる。「ハワード・アデルには感謝しておくか」 だが、中立地帯でもいざこざはあるかも知れない。「揉めるようなら手加減しなくていい」「わかった」 リオが静かに頷いた。=============●特別ルールこの世界に対して「帰属の兆候」があらわれている人は、このパーティシナリオをもって帰属することが可能です。希望する場合はプレイングに【帰属する】と記入して下さい(【 】も必要です)。帰属するとどうなるかなどは、企画シナリオのプラン「帰属への道」を参考にして下さい。なお、状況により帰属できない場合もあります。http://tsukumogami.net/rasen/plan/plan10.html!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
「うわ…」 インヤンガイ月陰花園、世界司書鳴海は目を見張る。 巨大な、人の背ほどある顔の被り物を両手で高く掲げた男衆達が、ほぉいほぉおいと声をかけながら、艶やかに微笑む娼妓達の顔を振り回す。 そのすぐ後から歩いてくるのは着飾った娼妓達。顔に大きな傷のある娼妓はその傷を中心に花を描き、左腕に火傷のある娘はそこに作り物の黄金の蛇を巻き付かせてしなを作る。傷があることに引け目があるどころか、その傷こそが己の存在証明であるかのようにしたたかな顔に沿道の誰もが魅せられている。 娘達の後ろから黒塗りの車が、半裸の体に赤と黒の入り乱れる紋様を描いた男衆に引っ張られてやってくる。乗っているのは桐島 怜生、捩じり鉢巻きに晒しを巻き、顔は朱の染料で隈取り、それに合せて体にも朱を入れて法被を羽織り、背中には四方に乱れる伸びる孔雀の羽根、短い黒のスパッツの脚を大きく広げて手にした鉦銅鑼を叩き鳴らす。 「よっさえよっさえよっさえなあっ!」 軽快に車の上で躍る怜生の足下には、重そうな黒髪の鬘に金銀鼈甲の櫛簪を傾くほど刺した花魁の姿、顔は狐面で見えないが、重ねられた極色彩の衣は金糸銀糸が織り込まれて、並の女ではその圧巻の重量級の衣装は着こなせまい。恥はかき捨てと女装に踏み切った冷泉 律と誰が気づく。 「華やかで賑やかだな、これが花街か」 ロウ ユエは物珍しく花街をぶらついていた。湯気をたてながら焼き上がる魚や貝の香ばしい匂いに思わず覗き込みながら、つい、 「この焼き物と酒を頼む……ありがとう」 にっこりしながら手にした後、少し考え込んで、 「持ち帰れる様に、いくつか包んでもらえないだろうか?」 頼み込むと、ようがす、と店の男衆は満面の笑みで包みに小さな花を乗せた。 「?」 「おあにいさん、どうやら花街は初めてらしいが」 その花を行列の女に投げてやってくれ、焦がれ惚れられ女は開くものだからよ、と頼まれて振り返ると、ちょうど黒塗りの車の周囲を歩きながら舞い踊っていた娼妓の一人が、座興のつもりか律の狐面を剥がしたところ。 ううむ、凄みが有り鮮烈、見事だなと魅入っていたロウは、訝しげに首を傾げ、一人ごちる。 「……? 男女関係なく練り歩くのか?」 「う、わああっっ!」「律っ、こらああっ!」 狐面で顔を隠してかろうじて恥ずかしさをごまかしていた律がぶち切れた。車を飛び降り、駆け出していくその前を、狐面を掲げた娼妓がけらけら笑って走っていく。それらを追って極彩色の戦車のように爆走する律、いつもと逆じゃん落ち着けってこら!と叫びつつ、孔雀の羽を揺らして怜生が追う。 「…っ」 微かな吐息が離れた互いの唇から漏れた。驚いたように見開かれた脇坂 一人の目をじっと覗き込みながら、ドアマンは静かに囁く。 「…“二人で居る今”だけを考えなさい」 「ドア…マン…」 ついさっきまで、ドアマンと一緒に露店を見て歩いていた。まるで年上の恋人みたいに落ち着いたエスコート。こんな場所でさえ慣れていて、繭玉釣りも大盤割りもほどほどに巧みだった。色鮮やかな衣装や面、不可思議な形の猿や虎のストラップ。ドアマンに可愛いものを上げたくて、願ってくじを引くと白色の羊のストラップを引き当てた。 寄り添って歩き、あれはこれはと指差して眺め、互いを振り向いて笑い合い。 デートっぽい…否、デート? そう途中で意識し始め、少しばかりいかがわしい想像もしてしまって、一人は心の中でそっとドアマンに謝った。 それでも、どこかで別れる時を考えていた気がする。 彼が引いたくじは、同じ羊の薄紅のお揃いのもの。渡される前に自分が受け取った白い羊と一瞬並べて握り込む、その仕草が、まるで離れた後も記憶に残れと言いたげで。 胸が締め付けられて、思わず声が零れた。 「いつまで一緒にいられるんだろう」 守られたい守りたいなんてなんて、当たり前の事は言わない。ただ、出来るだけ傍に居られたらと。 胸の中で囁いた声が零れ出すのを封じるように塞がれた唇。 「…失礼いたしました」 慇懃に告げられた謝罪、けれど、相手の仄かに明るんだ顔に、お互いに望んでいた、と気づく。顔が熱くなる。ドアマンの顔を見られずに、俯いてそっと、相手の胸に額を寄せた。 「おいおい、なんだあ?」 ヴァージニア・劉は大騒ぎしつつ後方へ走り抜けていく娼妓達とそれを追うロストナンバー二人に目を見張る。衣装を借りて花魁になっているが、これだけ賑やかな行列、妙なちょっかいを掛けようとした輩はやっぱり居たから、危なそうな奴には鋼糸を走らせて,早々にご退場願っている。 「俺の刺青も傷みてえなもんだ。でもこれは誇れる傷だ。ケチつけるヤツにゃ容赦しねえよ」 冷笑する劉の胸、タランチュラの刺青は周囲に巣と花びらを描かれ飾られている。胸を晒しての花魁姿、娼妓ではないとわかっていても、目を惹かれる男女が熱い視線を送ってくる。 「く、くくっ」「笑うな」 隣で金冠を被り、長身の体に目の醒めるような青と白の衣装を身に着けて歩くのは星川 征秀だ。女達を密かに護衛するため女装して紛れておこう。意図は劉と同じだが、劉が横目で笑うのは、顔立ちの端正さを裏切るごつさが、美人だけど迫力満点だといささか周囲の男に引かれているからだ。 「ぼちぼちどうだ、抜けないか」 「だな。思ったより馬鹿は少ねえし。露店でも冷やかすか」 暴走した律と面白がって行列をかき回す怜生に周囲の視線が集まったのをいいことに、征秀達はするりと行列を抜け出した。 「糸操りは十八番だ。負ける訳ねえ」 劉が始めたのは繭玉釣り。 「俺が勝ったら一日パシリになれ。なんでも言うこと聞け」 子どもじみた条件に征秀が乗ったのは考えがあったからだ。あっさり大負けし、近くの露店で劉に酒を奢った。 「う、めえっ!」「もう一杯どうだ?」 周囲を煙らせながら焼き上げられるイカ、湯気とともに運ばれるエビ団子入りスープ、差しつ差されつ盃を交わす。劉の仕草が女そのものに見えてきたが、そういう自分も結構女に馴染んできた気がする。 「慣れって恐ろしいな」 「あん? おい、あっちの店のも旨そうだぞ、買って来いよ」 「わかったわかった、けど、その前にもう一勝負どうだ?」 とろんとした視線の劉に大盤割りを誘いかける。 出された大盤は抱えられる程度、劉が短い気合いと鋼糸で割り砕く。征秀はそれより二回りは大きな大盤を出させる。金泥と緑と赤で巨大な亀が描かれている、その甲羅に征秀は魔力を込めた片手を振り下ろした。 がしゃんっっ!! 「俺の勝ちだな」「ちぇっ」 始めっから計算づくかよ、そうふて腐れた劉は河岸を変えようと言い出した。行き先は別街区の鎮魂の祭り、もう十分楽しんだよな、と互いに視線を交わして離れていく。 こうした祭を見ると、守る為に戦う意思を持ち続けられる。 村山 静夫は笑い興じる人々の顔を見回し、満足げに微笑み……振り返って、やがて深い溜め息をついた。 「もう好きにしろよ…」 小テーブルは紅の漆塗り、そこには買い込んできた酒や菓子が山積みにされていたはずなのだが、今はもう三分の一を切ったか。無心に口に運んでいる業塵は、花饅頭、黒糖饅頭、栗饅頭、芋饅頭、紅白あんこ蒸し、型抜き砂糖菓子、七色水飴…と、並んでいたありとあらゆる甘味を楽しんでいる。 飼い主二人から資金提供されて良かった、本当に良かった。 村山は密かに思いつつ、またふらふらと歩き出す業塵の後を追う。相手は、すぐ側で新たに蒸し上がった桃饅頭の匂いにつられたようだ。 花街に普段はいない子どもが露店に気を取られて業塵にぶつかったが、業塵は叱ることもせずに優しい瞳で走る背中を見送っている。 買い込んできたものを再び食べ始めて、業塵はふと指を止めた。溜め息まじりに同じテーブルで酒のグラスを傾けている男の顔を眺める。 やがて、そっと護身の蟲と自腹で買った瓶入りの酒を村山に渡した。 「些少ながら先んじての褒美よ」 業塵は、北極星号に志願している。村山の腕と心映えを知っている。 自分が旅立った後の同居人達を託せるのはこの男だと思っている。 「故郷に戻りし後、再び会うやも知れぬ」 一瞬固い視線で業塵を見返した村山は、新たな酒をグラスに注いで呟いた。 「……またこの祭に来ようぜ、旦那」 村山にとって業塵は少々苦手だが、強さや隠れた優しさは知っている。意味深な言葉の意味は分からないが、彼の頼みは引き受ける価値がある。男として違える事は無い。 安堵したのか、業塵は両手にがっつり大きな黒糖饅頭を掴みあげた。 「優…」 まさか会えるとは思っていなかった、そんな顔で青い瞳が見開かれる。 「やぁ、リオ。元気そうだな」 笑いかけられてはにかむリオの顔に、一瞬昔の小さな子どもの顔が甦る。 「来てくれてたんだ」 「もちろん。どんな屋台がお勧めか、聞こうと思ってさ」 片目を閉じて頷けば、ぱあっとリオの顔が綻んだ。 「あ、俺なら、チャイ魚の甘酢あんかけかな。『銀夢橋』に昔から伝わってる料理でさ、娼妓に滋養を与え客に勢いをつけるって、壱番世界の薬膳?みたいな使われ方してるけど、旨いよ。それに、だんだん貝と生姜と青菜の煮込み。薫りがいいんだ。菓子なら、黒糖饅頭か。大中小とあって、大は顔ほどあるよ。それに…」 リオはいそいそと先に立って食べ物を見繕い、優に楽しんで素直に味わう。 「美味いなあ」 「だろ? でも、きっと優ならすぐに味を覚えるよ、ターミナルでも作れるって」 「うわ、これ甘いっ」「あはははっ」 黒糖饅頭を頬張って思わずぶるっと震えた優にリオは笑う。 「作るのはいいけど、食べる人がどれぐらいいるかな」 困惑顔の優に破顔する、そのリオの表情にほっとした。 「笑顔が増えたな」 「え?」 「あ、いや、そういえばリーラさんとリエ、結婚するんだってな。めでたいな。何かお祝いを買わないとな」 「そうなんだよ、とうとう、リエが兄貴なんだ」 きっと口うるさいぜえ、と悪ぶって肩を竦めるリオの背は、ぼつぼつ優の肩を越しつつある。 「リオは好きな子とかいるのか?」「えっ、あ…っ、あの、それは」 珍しく見る見る薄赤くなったリオは少し押し黙り、やがて微かに笑った。 「居ても、俺には約束ができないから。けどさ」 目を見開いて優を見上げる。 「俺が誰かを好きになるとか! 不思議な感覚だよな?」 問いかけてくることばが大人びていて、きっちり男で。それが俺には不思議な感覚だよ、リオ。優は思う。 「いつかリオに身長こされないといいんだけど」「何だよ、それ」 「お久しぶりです、リオ様」 唇を尖らせたリオの背後から声がかかって、リオがはっと振り向いた。咄嗟に固めた防御、手首から走り出しそうな鎖、どれほど甘えた気配になろうと、用心棒として生きていることはその動きでわかる殺気を放ちつつ、相手を見据えたリオが、一気に気配を緩める。 「ジューンさん!」 「お元気ですか」 「もちろん! ジューンさんも元気そうだね!」 笑みかけたリオの顔は続いたジューンのことばに一瞬くしゃりと歪んだ。 「ペッシ様とアリエーテ様よりご伝言です」 「ペッシとアリエーテから?」 「ペッシ様があの時、飛ぶかと仰っていたので。近況を伺ってから来た方が宜しいかと考えました…相沢様もでしたか?」 ちらりと見やったジューンに優は首を振る。軽く頷いて、ジューンは続けた。 「『ターミナルで新しい発見があって、自分の世界を見つけられる手立てができた。アリエーテと話し合った結果、俺達もターミナルの連中のように、自分の世界を探しに行こうと思う。アリエーテは俺の世界で暮らしてみたいそうだ。もう会えなくなるかも知れないが、お前の幸運を祈っている』だそうです」 「……自分の、世界…」 リオは軽く唇を噛んだ。 「そうか……ペッシは、飛ぶんだね」 「討伐される者再帰属する者…ターミナルに残る者にも変化があります。私もカンダータに再帰属するまでは、知っている方の縁を繋ぎたいと考えます。ペッシ様たちにご伝言はありますか」 「ジューンさんはカンダータに帰属するの?」 ゆっくり頷くジューンに、リオがまた一瞬くしゃりと顔を歪めた。 「皆、離ればなれになるんだな…」 一旦ことばを切り、それから少し顔を上げて、リオは伝言を頼む。 「ペッシに伝えて。僕には君と会えたことが幸運だった。君は、僕の一番初めの幸運だ、って」 「かしこまりました」 頭を下げるジューン、ちょっとしょんぼりした気配のリオに、優は静かに笑った。 「俺はまた来るよ、ここへ。俺がロストナンバーでいる限り」 「ほんとっ」 慌てて顔を上げたリオが、まずいなあ、と掠れた声で笑った。 「俺ってガキだあ」 『闇芝居』の『暗闇姫妓』が乗った輿がやってきた。 輿の上、『暗闇姫妓』は煙管を吹かしながら進む。もろ肌ぬぎの肩を覆う引き攣れた傷は、今夜は蜘蛛の巣に見立てられており、金銀宝玉が散りばめられている。真っ黒で艶のある着物は袖も裾も長く引き、頭から流れる黄金の鎖がじゃらりじゃらりと音を立て、打って変わって生身の素足、高々と脚を組み、男達の目線を体の奥へ奥へと誘い込みながら、『暗闇姫妓』は顎をしゃくる。 と、そのすぐ側に控えていた背の高い細身の娼妓が立ち上がった。『暗闇姫妓』と相対するような白銀の着物のもろ肌ぬぎ、素肌に描かれた紅蓮の蜘蛛の巣、散らされた銀糸と真珠が肌に散った玉の汗を思わせる。癖のある短い髪を結い上げて差し止めた銀の簪は先端にきららかに宝石を光らせ、滑らかな首筋には一筋描かれた紅の傷。それでも、簪の下からゆっくりと周囲を見渡した黄金の瞳の艶やかさには及ばなかった。 誰だ誰だ、あれは誰だどこの娼妓だ『闇芝居』か。 ざわめく観衆はやがて息を呑む。細身の娼妓が銀色の剣を手にゆっくりと舞い始めたその動きに、見知った輩が囁き交わす。 「紅蓮だ」「紅蓮の虎だ」「まさか紅蓮が」「むぅ」 沿道の観客ににっこりと笑いかけたリエ・フーを見て、唸った男、鷹遠 律志。 花街行列に出ると聞いた息子の晴れ姿(怜生なら、それ違うからと突っ込んだことだろう)を一目みたいとやってきた。 「……そうやって装うと秀芳に…楊貴妃にそっくりだ」 呟いた声は間違った方向の親馬鹿を体現している。息子の成長に胸を熱くし、ゆっくり話したいがその暇もないと諦めた気持ち、せめて沿道から見守ろうとしていたが。 「俺は不器用だから、こんな事しかできぬ」 息子よ、立派になった。すっかりここに馴染んでいるな。 感動ひとしおの律志は、息子の祝言には出席しようと固く心に誓っている。 賑やかで騒がしい通りから外れ、『花塚』で『灯送り』を見届けている銀鳳の側には、ファルファレロ・ロッソが居た。 話の種に美人が出る舞台も見てえ、ストリップじゃねえのが残念だが、と『幻天層』が魅せている『悲恋幻天夢』も眺めてきた。 「悲恋ねェ……いまいちぴんとこねーが、昔の女の顔を思い出しちまった。いい土産話ができたな」 一人ごちる土産話の相手に浮かぶ顔があるあたり、ファルファレロもいろいろ変わってきたということだろう。 「よう、元気でやってるか」 ちゃりん、ちゃりんと鳴る音に耳を傾けていた銀鳳が思わず笑みを浮かべたほど、その声は親しげだった。 「極上の酒をかっぱらってきた。一緒にやろうぜ」 差し出された酒は確かに極上、どこでどうしてと聞くのは野暮だなと苦笑する銀鳳と、かなり盃を重ねている。 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん。 すずやかに鳴る音は通りや娼館の熱を砕いて散らすようで、どこか遠い視線の銀鳳が何を思っているのか、少なからず察した口調でファルファレロは続ける。 「隠居にゃまだ早すぎると思うがね……ま、そうしてえならそうしろよ」 あっさりと切り捨てる口で、俺にゃ悼みたい人間はいねえ、けりはもうついてる、そう続けると、銀鳳が苦笑を深め、ふと眉を上げた。 「あれは…」 銀鳳の視線を追って、ファルファレロは一人の少女が『花塚』に小菊を備えたのを見つける。十字を切り黙祷する姿はジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ、備えた小菊はイタリア日本に共通する墓前花、『双子殺戯』事件で逝った二人を追悼しに来た様子だ。 視線に気づいたのか、立ち上がって振り向いたジュリエッタが近づいてくる。ファルファレロは何も言わずに、手にした酒を静かに含む。 「……あの時は愛する者の為に死んだ二人をただただ哀しいとしか思わなんだが…」 ジュリエッタは一瞬ためらって口を噤んだ。 ちゃりん…ちゃりん。ちゃりん…。 「愛する人ができた今は彼女達の気持ちもわかる気がするのう」 微かな声でも喧噪を離れたこの場所ではよく響く。銀鳳は音曲を楽しむように目を閉じる。 「もっとも同じ状況に立たされたならば、わたくしの場合、絶対に共に生きる道を選択するがの」 「そうか」 目を閉じたまま頷いた。 「これから何度ここに来れるか分からぬが…今はただ安らかに」 『花塚』を振り返るジュリエッタに誘われるように、ファルファレロも塚を見やる。銀鳳もゆるゆると目を開ける。 ちゃりん。 小さく鳴った皿の音を合図にしたように、ジュリエッタが振り向いた。 「銀鳳殿も息災で」 「……命果てるまで」 女達のために働くと、今改めてここで誓おう。 銀鳳の声は、柔らかく深まる闇に消えていく。 絆を結び、断ち切られ。 そしてまた、新たに繋がれ、結ばれて。 鳴海はまだまだ賑やかな街を眺めている。 頬に流れる一筋、二筋の涙。 捨て去ることはなかったんじゃないか。 何度も繋ぎ直せば良かったんじゃないか。 たった一つしかないなんて思わずに。 「何で泣けてくるのかなあ…」 鳴海は唇を曲げて、込み上げる嗚咽を呑み下した。
このライターへメールを送る