「ひぃえええええええええええええっっ!!」 ――事件は、この情けない叫び声から始まった。「お集りいただき、ありがとうございます」 褐色の肌に銀の髪を揺らし、世界司書のリベル・セヴァンは無表情に会釈をする。「今回の依頼は、ロストナンバーの保護です。“彼”はどうやら、霊力都市・インヤンガイへ転移してしまったようですね」 その言葉で、幾度となく依頼をこなして来たコンダクター及びツーリストたちは頷いた。 ロストナンバーとは、何の前触れも無く知られざる<真理>に覚醒してしまった者を指す。 <覚醒者>すなわちロストナンバーは、自分が帰属していた世界――帰属階層数――を見失い、見知らぬ世界へと放り出されてしまうのだ。これを、ディアスポラ現象と言う。 帰属していた世界から放り出されることは、自身という存在そのものが放逐されるということ。それは、自身及び人々の記憶からの完全な消失を指している。 そうしたロストナンバーの過酷な運命を食い止め保護している組織、それがこの0世界に設立された『世界図書館』である。 世界図書館に保護されたロストナンバーは、壱番世界――地球――出身の者をコンダクター、それ以外の階層出身の者をツーリストと呼ぶ。彼らは、世界図書館に保護してもらう代わりに、世界図書館に協力することを約束している。 そして、世界図書館から依頼を出す者たち……それがリベルら世界司書である。 リベルは青の瞳をトラベルギア『導きの書』に落とし、ページを捲った。「しかも、そのタイミングが非常に悪かった。インヤンガイには多数の犯罪組織がありますが、それらの抗争の真っ直中に転移してしまった上、その姿が珍しいため、それらの犯罪組織に追い回されているのです」 ため息のようなざわめきが広がる。淡々と話すリベルに、表情の変化は無い。 リベルは更にページを捲った。「“彼”はいわゆる獣人です。ヒトと獣の2つの姿を持ちます。自身の意志でどちらの姿も取れるようですが、心身の疲労が極度に溜まると獣の姿になってしまいます。その場合、“彼”の救出は困難を極めるでしょう」 ロストナンバーたちは顔を見合わせ、リベルに視線を戻した。「“彼”は、ネズミの獣人なのです」 その頃のインヤンガイ――「クソッ、どこへ行った!」「すばしっこいヤツだ」「だが、アレはきっと高値で売れるだろう」「ああ。何せ、獣の耳と尻尾が生えているからな」「生きてても死んでても金になりそうだなァ、イヒヒヒ」「しかしな、ガキだぜ。しかも男だろ。興味ねェなァ」「なぁに。そういう趣味を持ったヤツなんか、この街にはゴマンといるさ」 まるで計画性も無く建て増しされ、複雑に入り組んだこの薄暗い街区は、物騒な獲物を下げた屈強で厳つい男たちであふれていた。 そんな男たちを見下ろす黒い目――ネズミの耳と尻尾を生やした少年がいた。「ひぃ、ひぃ……ここはどこなんだよぅ……怖いのがたくさんいるし言葉は解らないし……」 えぐえぐと少年は大きな目をこする。 背丈は110cmほどだろうか。灰褐色の髪から覗く大きな耳が、忙し気にピクピク動いている。足元には背丈と同じか、それ以上の細長い尻尾が垂れていた。 少年は胸元を探ると、首から下げた緑に輝くペンダントを見つめた。「ヨニは……ヨニは、おうちへ帰るんだ」 ペンダントを握り締め、少年は唇を引き結ぶ。「待ってて、ミーア。ヨニはいま帰るよ」「――“彼”は、小さな体を活かして狭い路地を縦に横に走り回っているようです。時には獣の姿に変身し、樋などに隠れてやり過ごしています。警戒心が非常に強いようですね。ただし、言葉も通じずに追いかけ回されているので、言葉が通じる我々には友好的になりやすいかと。あと、きっとお腹を空かせていますので、ご飯で釣るのも良いかと思われます」 リベルの顔色1つ変えない淡々とした説明が続いた。「繰り返しますが、今回の依頼は“彼”の保護が最優先事項です。インヤンガイの犯罪組織との衝突は、可能な限り避けるべきでしょう。“彼”を保護し次第、速やかに帰投してください」 ふたつの組織、それも犯罪を生業とする彼らと接触する事は、ロストナンバーの生命を脅かす事は間違いない。「人型の身長は110cm程度、灰褐色の髪をしています。特徴は首から下げた緑色のペンダント。これはガラスのようです。あとは言わずもがな、ネズミの大きな耳と尻尾です。獣型の体長は14cm程度で、尻尾を含めるとほぼ倍になります。身体的特徴から、壱番世界でいうクマネズミに酷似していると推測しました」 どうぞご参考まで、と付け加え、リベルは導きの書を閉じた。
おにぎり、サンドイッチ、ドーナッツ、ショートケーキなどなど、美味しそうな香りを纏った一行は、薄暗くピリピリとした空気のインヤンガイの、とある一角に来ていた。 「こんな場面に飛ばされるなんて、何とも運がない子だなぁ」 多くの人間が蠢く不穏な空気を肌で感じながら、ユーウォンは真っ青な丸い瞳をぱちくりとした。 「全部の世界がモフトピアみたいになればいいのですー」 シーアールシー ゼロが真っ白な頬をぷくりと膨らませる。 浮遊諸島・モフトピアは、危険な事は何もなく、不思議な風物が数え切れないほどある世界である。平和な楽園とはまさしく、この世界を指す言葉と言える。 「そうですよね、ゼロさん! 全世界モフトピア計画、素敵です! 見渡す限りふわもこ一色! そうすればインヤンガイの人だって、獣人さんを追いかけなくなります」 力強く同意したのは、吉備サクラだ。犬や猫のような恒温動物のふわもこを、もふもふしながらブラッシングするのが大好きな彼女の手は、若干怪し気にわきわきと動き出そうとするのを必死に抑えている。彼女の熱視線の先にいるのは、カワウソの獣人ハルク・クロウレスだ。 ハルクは軽く咳払いをし、帽子のつばをくいと下げた。 「ともかく、まずはヨニとやらの安全を確保する事が先決であろう」 「そうだな。タイム、頼むぞ」 相沢優が肩に乗せたオウルフォームのセクタン・タイムに声をかけると、何でそれで飛べるのか不思議なくらい小さな羽をぴろぴろと羽ばたかせ、ゆっくりと上昇して行った。 「あ、わ、私もっ……ゆりりん、お願いしますね」 サクラはハルクへの熱視線を止め、タイムと同じオウルフォームのセクタン・ゆりりんへと移す。ゆりりんは180度回していた首を戻し、サクラをちょっと見つめてから飛び立った。 「……何か……意味深な気がするのは、私だけでしょうか……」 「気のせいだと思うのですー」 ひよひよと上昇して行くセクタンたちを見送り、霧花はすと歩き出した。 「霧花殿、どちらへ」 一人離れようとしたその背中を、ハルクの声が追いかける。 霧花は口元に小さく笑みを浮かべてわずかに振り返った。 「——もちろん、ヨニ様を探しに行くのじゃ」 「ならば、我輩も同行させていただこう。全員が共に行動するより、効率も上がるであろうからな」 ◆ 「ヨニさー……もごもご?」 「ちょちょちょちょ、ちょっと。何してるんだい」 大きく息を吸って大声で叫ぶゼロの口を、ユーウォンが慌てて塞ぐ。同じように叫ぼうとしていたサクラは、慌てて口を噤んだ。 ゼロはきょとん、としてユーウォンの青い瞳を見つめた。 「この街にヨニさんの名前を知るものはいない筈なので、名前を呼べば味方と思ってくれると思うのです」 「だからって大声で呼ぶのはダメでしょ」 「ユーウォン、先にここを離れよう」 優が周囲を見回しながら、目配せをする。ユーウォンが頷き、サクラとゼロが少し首を傾げながらそれに続いた。 周囲を警戒しつつ、優が先導して早足にその場を離れる。 充分に離れたことを確認して、ユーウォンはゼロに向き直った。ゼロは銀の瞳をまん丸くして見つめ返す。 「あのさ、今、ヨニくんを狙ってる犯罪組織のニンゲンがいっぱいいるんだよ」 「はいなのです」 「ヨニくんは、彼らの言葉がわからない」 「はいなのです。だから」 「でも、おれたちの言葉は、この世界のニンゲンはわかるんだよね」 「はいなのです。……あ」 ぽぉん! とサクラも手を打った。 世界司書から発行されるチケットには、『旅人の言葉』という効果がある。 降り立った地域で「もっとも一般的な言語」を理解し、会話や読み書きができるようになる、という効果だ。その為に、ロストナンバーはどの世界へ行っても不自由無く、意思疎通ができるのだ。 双方の言葉がわかるということは、大きなアドバンテージだ。だが、今ここに至っては、それを過信する事は危険である。 「それに、大声で呼んでいたら、おれたちが犯罪組織に襲われるかもしれない」 そうなってしまった場合、ヨニが近寄って来る可能性は限りなく低い。 彼は、逃げ回っているのだから。 「ごめんなさいなのです……」 しゅん、とするゼロの横で、サクラも又しゅん、と肩を落とす。 そんな二人の肩を、優がぽんぽんと叩いた。 「とにかく、地道に探すしか無い。幸い、俺たちは良い匂いがする食べ物をたくさん持ってる。大声を出さなくても、きっと近付いて来てくれるさ」 そこで優は、ゼロが真っ赤なカーネーションを持っている事に気付く。 「なんでカーネーション?」 「クマネズミの好物らしいのです」 それなら、と優が笑って、ウェーブがかった銀髪にカーネーションを挿した。 「ヨニは高い所にいるかもしれないから、こうしておけば彼から見えるかも」 「ゼロさん、かわいいです!」 銀髪に赤がすごく栄えますね、とサクラが微笑み、ユーウォンは「かーねーしょんっておいしいの?」と興味深そうに目をぱちくりさせた。 一方の霧花とハルク。 「——さて、そろそろ聞いてもよいであろうか」 4人と充分に離れてから、ハルクは口を開いた。霧花はゆるりと振り返る。 「霧花殿が何を考えているのか」 「何を、とは」 霧花は口元に笑みを浮かべたまま、ハルクの赤い瞳を見つめた。 「霧花殿がヨニ殿を探す素振りはまるで無い。お主はヨニ殿を探すつもりなど、毛頭ないのであろう。ならば、やろうとしている事はただひとつ。犯罪組織との接触ではないかね?」 ハルクが言い放つと、霧花はただ笑みを深くした。 だが、それが答えだ。 ハルクは小さく息を吐く。 「悪党共の集団は2つ。どちらに接触するつもりなのかね? まさか、両方とは言うまい。また、うまく接触できたとして、そこから脱出する際には危険を伴う上に、場合によってはお主を置き去りにしなければならない。我輩たちの任務はヨニ殿の保護であるからな」 霧花は、ハルクに向けて一歩進み出る。 「わっちを止めますかえ?」 さらに一歩。それに対して、ハルクは笑って返した。 「いいや」 予想外の答えに、霧花は歩を止め、ハルクを見返す。 「ヨニ殿の保護は、あの4人で十二分事足りるであろう。そもそも我輩はロストナンバー1人の保護に、6人の動員は少々大掛かり過ぎると思っていたのだ」 言いながら、ハルクは鞄から皮のカバーがかかったレトロなデザインの手帳を取り出す。それはトラベルギアの手帳だ。 「これは、本当はヨニ殿の安全確保の為に用意していたのだが」 その中の一枚を破り取り、差し出す。そこには、複雑な数式がびっしりと書き込まれていた。 「光学操作の魔導方程式を記したものだ。生物の物体認識の原理は、光の屈折と反射にある。それらを制御すれば、物体の存在を隠蔽する事も容易い。霧花殿がどのような方法を考えていたかは知らぬが、こちらの方がよほど安全に事を運べるであろう。さて、どうするかね?」 差し出された紙切れとハルクを交互に見ながら、霧花はかくりと首を傾げた。 「何故?」 ハルクはニヤリと笑った。 「面白そうであるからな」 ◆ 建物の合間をヒョイヒョイと上り、ユーウォンは周囲を見回した。 人間にとって、頭上というのは死角になりがちである。まだヨニが見つかっていないということは、彼は本能に類する何かでそれをわかっているのだろう。 だからユーウォンも、高い所から探してみようと考えた。 その考えは優やサクラも同じようで、見上げれば二人のセクタンがゆっくりと旋回しているのが見える。 「……ネズミくーん……いるかーい?」 人間が入れなさそうな狭い通路や隙間を選んで、そっと声をかける。自分の顔を見たらきっと驚くだろうということも想像ができているので、トラベルギアである鞄の蓋も、ちょっと開けてみる。 トラベルギアの鞄の中には、ほかほかの肉まんを入れていた。食欲をそそる、ステキな香りである。 薄暗い隙間を、丹念に見つめる。暗い場所も見通すことができるユーウォンの目は、微かな動きも見逃さないように見開かれている。 やがてユーウォンは少し首を傾げ、素早くビルの中に身を隠した。そのビルは荒れ果てていて、既に廃ビルとなっているようだ。手近な小部屋に入り、北側と東側にガラスの無い窓があることを確認して、声をかける。 「ネズミくーん……?」 しばらく耳を傾けたが、コソともしない。動くものも無し。 ふむ、鼻息を漏らした所で、カンカンカンと階段を上る複数の音がした。 ユーウォンはそっと東の窓に近寄り、窓の外をちらりと見下ろす。黒い頭と、小さな黒い筒が見えた。鞄をぱちりと閉め、音を立てないように窓から離れる。 バタン、と乱暴にドアが開かれた。 「いたか?」 「いや。ガキだから体力もそんな無ぇと思っていたが、意外にうまく隠れる」 「クソ。——ヤツらよりも先に見つけるぞ」 「おう」 北の窓の外から部屋に戻りつつ、ユーウォンは軽く息を吐いた。 それにしても運がない子だ、と改めて思う。自分並に運が良ければ、覚醒先でもそれなりに面白く過ごせただろうに。ニンゲンとは散々追いかけっこをするハメになったが、ヨニのような危機的状況ではなかった。……と、思う。多分。 「ん、なんだ?」 遠ざかって行く男たちの声が、急に緊張を帯びた。 ユーウォンはそっとドアに近付き、聞き耳を立てる。 「どうした」 「通信がうまくできねぇ」 「電波ジャックか?」 「いや……どことも繋がらねェ」 「なんだと?」 「どうする。一旦戻るか」 「本部にヤツらが来たのかもしれねぇからな。行くぞ!」 バタバタと離れて行く足音が聞こえなくなるのを待って、ユーウォンはドアを開けた。理由はよくわからないが、彼らの本拠地で何か問題が起きたらしい。 これは好機だろう。 廊下に出て、鞄の蓋を開ける。殺伐とした廊下に、ふんわりと肉まんの香りが広がった。 「ネズミくーん……」 声をかけ、しばらく待ってみる。 ダメかな、そう思い蓋を閉じようとした時、ふと視界の端で何か動くものがあった。パッと振り向くと、壁際をちょろちょろ移動していくネズミの姿が。 ユーウォンは「あれ」とそれを目で追う。 壁際を真っ直ぐ進むネズミ。忙しなく鼻が動いている。その毛並みは灰褐色で、尻尾はかなり長い。もしかしたら体長の倍くらいあるかも。 ちょろちょろと進むネズミが、一瞬、こちらを見た。……ような気がした。 「……ネズミくん?」 試しに声をかけてみる。ネズミの耳がピクピクと動いた。更に言葉を重ねる。 「もしかして、ヨニくん?」 その瞬間、ネズミはびくりと動きを止めた。野生のネズミだったら、この反応は有り得ないだろう。 「見つかって良かった。おれ、きみを探しに来たんだよ」 ユーウォンはにっこり笑って、一歩前出る。するとネズミは飛び跳ねるように毛を逆立て、元来た道を脱兎の如く走り始めた。 「ちょ、ちょっと待って!」 走ったと言っても所詮は14cmほどのネズミである。ユーウォンが2、3歩進めば、すぐに回り込める。だが、ネズミは更に反転して駆け出した。 「ね、驚くのはわかるんだけど、落ち着いてよ。きみを食べたりなんかしない」 ユーウォンが先ほど出て来た部屋に、ネズミは飛び込んでいく。 小さく息を吐いて、ユーウォンはゆっくりと部屋に近付いた。覗き込んだりはせず、廊下で立ち止まる。 「ネズミくん、そこにいるかな?」 返事は無い。 だが、なんとなくその部屋の中にはいるような気がした。 「お腹が空いていると思って、食べ物を持って来たんだ。これは肉まんっていう食べ物。ここに置いておくから」 ユーウォンは肉まんを床に置き、そこから何歩か離れた所に座り込む。 それからトラベラーズノートを取り出し、見つけた旨をエアメールで送った。ちょっと考えて、保護はこれから、という事も書き添える。 「ねぇ、ネズミくん。これから何人か仲間が来るけど、怖がらなくても大丈夫。おれたちは、きみと同じなんだ。だから、迎えに来たんだよ」 そこまで言って、ユーウォンは口を閉ざした。 見つけたのはいい。でも、そこから先を話す事は気が重かった。 何が起きて、異世界に来てしまって……そして帰る事は難しいと聞いたら、ほとんどの者が気を落とす。 しかし、ユーウォンはその気持ちを共有したり共感したりする事はできない。 毎日、物理的な意味でも変化する環境で育ち、運び屋として集落から集落へと旅を続けたユーウォンには、変化しない環境へ『帰る』という感覚がよくわからない。 もし、ヨニが故郷へ帰りたいと強く思っているのならば。 ——自分には、その気持ちは理解してあげられない。 だからユーウォンは、それ以上について喋る事はしなかった。ヨニが自分から出て来てくれる事を、仲間が来る事を、待った。 ユーウォンがエアメールを送ってから10分ほどして、優、サクラ、ゼロの三人が揃って到着した。 「あれ。ハルクさんと霧花さんは、まだ到着してないんですか?」 サクラがきょろきょろと見回す。 「ちょっと遠くまで行ったみたい。時間掛かるかもってエアメール来てたよ」 ユーウォンが答えると、サクラは残念そうに肩を落とした。 「それで、ヨニは?」 「あそこ」 ユーウォンの視線を追って三人が顔を向けると、ドアの影で肉まんを頬張る、ネズミの耳を持った少年がビクリと飛び跳ねた。 優はすかさずにっこりと微笑む。 「こんにちは」 「ゼロはゼロなのです。ゼロたちは、ヨニさんを助けに来たのですー」 両手で肉まんを持ち、硬直していた少年は、黒い目を泳がせる。 灰褐色の髪、ネズミの耳、ちらりと見える足元の尻尾、胸元に見える緑のペンダント。聞いていた特徴は合致している。 「いきなりの事で驚いてるとは思うけど……とりあえず、お腹空いてるだろ?」 優は鞄を開いて、水筒やおにぎり、ドーナツを並べる。ちなみに、おにぎりはお手製である。 「あ、私はチーズとハムのサンドイッチ持って来ました!」 「ゼロはデザートを持って来たのです」 殺伐とした廊下に、ちょっとしたピクニックのような食べ物がずらりと並ぶ。 「よければ、こっちに来て一緒に食べないか?」 優が言うと、こきゅ、と少年は喉を鳴らし、上目遣いに三人を見た。一歩踏み出そうとして、少年は何かに気が付く。瞬間、部屋に逆戻りしてしまった。 「え!?」 「ど、どうしたの?」 優とサクラがお茶を注いでいる横で、オウルフォームのセクタンが二匹、ひよひよと二人の肩に止まった。 「もしかしてセクタンが怖いのです?」 ゼロが小首を傾げ、「あっ」と声を上げたのはユーウォンである。 「フクロウって確かネズミを食べるんじゃ」 まさに天敵。 優とサクラは慌ててパスホルダーにタイムとゆりりんを入れる収納する。 「ご、ごめんなさいっ! もう大丈夫ですよっ」 「う、うん! もういないから! と、とりあえず気を取り直して、ヨニ自身とどうして俺らとは言葉が通じるのか、そこから話をさせてもらえないか?」 ほんの少しの間。 おずおずと少年はドアの隙間から顔を出す。ピクピクと耳を動かし、きょろきょろと周囲を探る。 「……それ……」 「? これですー?」 ゼロが頭に挿していたカーネーションを指すと、少年はこっくりと頷く。 「それも、食べていい?」 「もちろんですー」 にっこり微笑むと、少年はようやく部屋から出て来た。ちょこんと4人の前に座って、もじもじと上目遣いにゼロを見つめる。 「どうぞなのです」 「あ、ありがと……あの、ヨニ、です」 ぺっこりと頭を下げる。 「よろしくなのです、ヨニさん」 3人が微笑むと、ヨニはぎこちなく笑った。 「それじゃ、食べながら聞いて欲しい。俺らの言葉、わかるよな?」 カーネーションの花弁をもしもしと頬張りながら、ヨニは頷く。「美味しいのかなー」と不思議そうに眺めているユーウォンの横で、優は言葉を続けた。 「突拍子も無い話に聞こえるかもしれない。でも、事実だから言うよ。ここは、君の住んでいた世界じゃない。言葉が通じないのは、その為だ。俺たちと言葉が通じるのは、君と同じ——世界から放逐された者、ロストナンバーだからだ」 「怖い人たちの頭の上に、変な数字が浮かんでいるの、見ませんでしたか?」 サクラが言うと、ヨニは視線をさまよわせる。そして、こっくりと頷いた。 「でも、私たちの頭の上には、数字は浮かんでいませんよね?」 それにもヨニは頷く。 「それが、ロストナンバー。自分が住んでいた世界を見失って、迷子になってしまった証なんです」 「迷子……ヨニは、迷子になったの?」 不安そうに見上げるヨニに、優たちは頷く。 「私たちは『世界図書館』と言って、貴方のように世界から迷子になった人たちで作られた互助組織です」 「元の世界に戻る為の手がかりを探す組織、と言っても良い」 「帰れる? 本当に? ヨニは、おうちに帰らないと。ミーアが待ってる」 身を乗り出したヨニに、ゼロが首を傾げる。 「ミーアって誰なのですー?」 「ミーアは、緑の瞳の女の子。ミーアは、ヨニの伴侶になるの。やっとやっと、一緒になれる」 首から下げたペンダントを握り締め、ヨニは微笑んだ。 「これはミーアに貰ったんだ。ずっとずっと、一緒にいようって約束した証」 自分がペンダントを送ってから返事が届くまでは長かった。幸せだった。 でも、そうした幸せな時に、ヨニは覚醒してしまったのだ。 4人は困ったように顔を見合わせる。 「どうしたの?」 不安そうに見上げる黒い大きな瞳を、真っ直ぐに見つめ返すのが苦しい。 今ここに居るロストナンバーの中で、最も強く帰りたがっているのは、彼だ。 優とサクラはコンダクターで、覚醒はしたものの壱番世界がプラットホーム化しているお陰で、壱番世界の友人と会う事も出来る。 ゼロはまどろみ続ける世界で、一人だけの存在だった。何も必要とせず他者の存在しない世界に強く帰りたいと願っているかと聞かれると、よくわからない。すべての世界がモフトピアのように、安寧に満ちた世界になれば良いとは願うけれども。 ユーウォンは、自分の世界を懐かしむ気持ちが全く無いわけではないが、淡白である。 重たい沈黙が流れた。 「君は、すぐには、故郷へ帰れない」 その沈黙を破ったのは、優だった。 ヨニの大きな瞳が見開かれる。 「君はもう知っているはずだ。世界は多層構造であるという、<真理>を。限りなく無限に近い世界がある中で、自分の世界を見失ってしまう事、それがロストナンバーになるという事だ。そしてそれは、自分が元居た世界に存在したという記憶が、少しずつ消えていくということだ」 「記憶が……消え……る?」 優は頷く。 「ある日突然姿を消したりして、長い時間戻らなかったらどうなる? 少しずつ忘れて行く。そして、いつかは完全に忘れられてしまう」 「そんなことない! ヨニは忘れない、ミーアも忘れたりなんか」 「それでも、もし」 ヨニの言葉を遮って、優は続けた。 どうしても、伝えなければならない。 <真理>に覚醒し、ロストナンバーとなってしまった以上、過酷な運命からは逃れられない。 「もし完全に忘れられてしまったら。——君自身も、消えてしまうんだ」 「そんな」 ヨニの身体から力が抜けて行くのが、目に見えて解る。 「そんなの、ウソだ……」 「残念ですが嘘じゃありません。世界から放逐されたままだと消滅の危機です」 サクラも重たい口を開く。 重い沈黙が、再び流れた。 「だからさ、一緒に行こうよ!」 場違いなほどの明るい声が響く。 ユーウォンが立ち上がり、真っ青な瞳でにっこりと笑った。 「おれたちを保護してくれるのが『世界図書館』って言ったよね? そこでパスホルダーっていうのが貰えるんだ。これを持っていれば、少なくともネズミくんが消える事はなくなる。『世界図書館』が、ネズミくんが存在しているって保証してくれるからね」 ユーウォンの明るい声に励まされ、ゼロとサクラも口を開く。 「『世界図書館』は、0世界というところにあるのです。色んな世界から色んな人が来ているのです」 「私たちと一緒に、0世界へ行きませんか?」 「色んな世界へ旅するのも楽しいよ!」 優も、口を開く。 「俺たちと一緒に旅をしながら、故郷への道を探さないか? 大切な人に、再び会う為にも」 真っ直ぐに黒い瞳を見つめ、手を差し出す。 ヨニはペンダントを握り締めた。 「ヨニは……ヨニは、ミーアに会いたい」 ◆ ハルクはトラベラーズノートを閉じ、周囲を再度確認した。 どうやらヨニの保護はうまくいったらしい。ならば、速やかな撤退が必要だ。 ハルクと霧花は、透明化の効果を現す方程式を書いた紙を所持し、姿を消して犯罪組織の組員らの動向を観察していた。そして、一方の本部を見事突き止めることに成功した。 通信のやり取りを行う電波の中継所でもあった為、それを破壊すれば、通信の遮断が行えることもわかった。 だが、当然そうした要所には多くの組員が張り付いている。 小規模の爆発を起こしてかく乱する事も考えたが、霧花がもっと効果的な方法があると言って、透明化の方程式を書いた紙を破いたのだ。何をする気かと問う間もなかった。 固唾をのんで見守っていると、霧花は言葉巧みに組員に取り入り、たちまち魅了してしまう事に成功した。そうして組員がすっかり霧花に気を取られている隙に、ハルクが機械を破壊したのである。 だが、それによって本部の異変を察知した組員が、大量に戻って来た。 ハルク自身は透明化の効果を得ているので隠れられているが、霧花はそうはいかない。おまけに、大層な人気ぶりである。 (やれやれ。少々派手にやる事になるな) 小さくため息をつき、しかしその目には楽しそうな光が宿っていた。 ハルクは手帳にいくつかの複雑な方程式を書き記すと、組員らに気付かれぬよう、それらを壁や床に設置していく。一通りの作業を終えると、霧花の居る部屋まで戻り、エアメールを送った。 ——少々面倒な事になった。<駅>で落ち合おう。 突然、地響きのような爆音が轟いた。 「なんだ!?」 組員たちがバタバタと爆音のした方へ駆けて行く。更にひとつ、ふたつと爆音が続く。 「ヤツらか!?」 「いえ、見当たりません!」 「じゃあ誰が」 怒鳴って、一人の組員が霧花へと目を向ける。霧花は嫣然として立ち上がる。 「まさかお前」 「はて、何の話かえ?」 更に組員が詰め寄ろうとした時。 霧花の姿が、煙のように掻き消えた。 「なっ!?」 「き、消えた」 「まさか暴霊……」 その間にも、爆音は轟き続ける。悲鳴と怒号。 混乱する組員たち、その中で突如組員たちが暴風に吹き飛ばされ、階段を駆け下りる足音が響いた。 「逃げたぞ!」 「クソ、どんなトリック使いやがった!」 「ふざけろ……追え!」 「で、でも見えな」 瞬間、ドアが爆発し吹き飛んだ。 阿鼻叫喚を背中に聞きながら、ハルクと霧花はその場を離れていく。 ◆ 霧花とハルクが<駅>に辿り着いた時、他の4人は既にロストレイルに乗って待っていた。 「霧花さん! その足、どうしたんですか?」 「なに、少々挫いただけじゃ。大事ない」 「爆発音がしてたけど、もしかして」 「まぁ気にするな。ところで、ヨニ殿は」 ハルクが言うと、ユーウォンの影からネズミの耳を生やした少年が顔を出す。 「ヨニ、です。よろしく」 それを見たハルクはがっくりと肩を落とした。 「獣人というから、我輩の同類かと思っておったのであるが……耳と尻尾のみであるか」 「ご、ごめんなさい」 何か理不尽な理由で責められたような気がするが、ヨニは思わず謝る。 ふぅ、とハードボイルドにため息を吐き、ハルクは首を振る。 「まぁいい。お主は獣型にもなれるのであったな? ならばせめて獣型で二足歩行をしてみせるがよい」 瞬間、ヨニが「ひぃ」と悲鳴を上げた。 「たっ……食べっ……」 カワウソ。 その食性は、主に魚・カニ・エビ、その他ネズミなどの小動物である。 「……怖い人たちが来ないうちに帰るのですー」 微妙な沈黙が降りた所を、すかさずゼロが車掌に合図した。 車掌は頷きもせずに車両を去り、やがて螺旋特急ロストレイルが走り出す。 なお、ロストレイルに乗車した時、車掌の奇妙な仮面及びアシスタント機械・アカシャにヨニが怯えたのは言わずもがなである。 「二人もお疲れではないですか? お腹が空いているならどうぞなのです」 ゼロはビルの廊下では食べられなかった、ショートケーキやシュークリームなどを改めて広げる。 「そうですねっ! 動いた後は、甘いものが一番です!」 「お茶もおにぎりも残ってるし」 「0世界まで、のんびりしよう」 優、サクラ、ゼロ、ユーウォンが微笑み、ハルクは微妙な顔をし、霧花は静かにそれを見守る。 ロストレイルはディラックの空を駆け抜け、やがて見渡す限りの樹海が広がる地へと降りて行った。 0世界、『世界図書館』である。 ロストレイルから降り、優は車両を振り返る。そして、ヨニに微笑んだ。 「ようこそ、ターミナルへ」
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