インヤンガイに落ちた世界計の欠片を脳に所持した状態で保護されたキサ・アデルは力のコントロールが出来ると司書から判断されて再帰属が決定した。 ロストレイルが地下にある駅に到着し、地上にあがると太陽の眩しい日差しが出迎える。「キサは、インヤンガイに帰りたい」 駅から一歩出てキサは目を眇める。「キサは、待ってる人がいる」 一歩、また進んでキサは呟く。「……けど私は」 キサは護衛であるロストナンバーたちの和やかな笑顔や呼びかけに突如足を止め、逆方向に走り出した。 誰も彼女を止めることは出来なかった。 どこをどう走ったのかは覚えていない。建物の密集した路地のなかで息を乱したキサは立ち尽くし、胸の上に光る小さな鍵のついたアクセサリーを握りしめた。「私は、まだ消えたくない。みんなといたい。私は……私は、私は……私は、……!」 ――見つけ、タ 不気味な囁きがキサを飲み込んだ。 彼女を探して、ようやく追いついたロストナンバーが見たのは昏い路地に佇む少女だった。その瞳は妖しく輝き、口元ににっと笑みを浮かぶ。「すばらシい、これほどノ力とは! ワタシの所有する記録、すべてヲ使っテ、今度こそ! 星を手に入れヨウ、イヴ! 今度こそ、星にだって手が届ク! 死者だって蘇ル、この落ちてきた星の知識と力を使っテ!」 めきぃと音をたてて少女の内側から出現したのは薄い紫色の化け物――チャイ=ブレ? と誰かが囁くが、こんなところにそんな化け物がいるはずがない。 だが、少女は完全に蚕じみた化け物に飲み込まれ、その姿は見えなくなっていた。 化け物は嘲笑う。それに合わせて空気は響き、割れ、何かが、 ――さぁ、死者の門を開キましょウ?★ ☆ ★ 緊急事態としてロストナンバーを集めた世界司書は深刻な顔で語った。「理由は不明だが再帰属するはずだったキサはインヤンガイにつくなり、逃亡した。その結果、インヤンガイのネット上で記憶を食べると言われるチャイ=ブレに似た化け物に捕まり、利用されている」 インヤンガイでたびたび起こった神隠し事件に関わっているチャイ=ブレに似た化け物は記憶を食らう。それは過去世界樹旅団がインヤンガイに放ったワームのデータを元に強欲な一部のインヤンガイの者たちが術と霊力によって作った劣化コピーだと推測されている。 その飼い主であるイヴという少女は大切な人を失って、死者を蘇らせようとした。霊力をエネルギーとするインヤンガイのサイバーシステムには悪霊が入り込むことからヒントを得て、魂のソフトウェア化を企んだのだ。しかし、それは失敗した。 飼い主であるイヴを亡くした化け物はたった一匹で暴走をはじめた。 己の持つ記憶を正しく使うことのできる世界計の欠片を所有するキサを襲った。 キサの所有する欠片は力を与え、吸収し、生み出すこと。「化け物はキサの欠片から知識と力を得て、自分の所有する死者のデータ……インヤンガイに死者を復活させた。これはすぐに鎮圧する必要がある」☆ ★ ☆「簡潔にお伝えします。が、まず、この依頼は生命の危険を伴うものです」 世界司書リベル・セヴァンは、挨拶もそこそこに本題へと移った。「インヤンガイの下層地域、カジノ『レプリカ』跡地に元殺人鬼カン・ホゥカが蘇ります。また死体型の暴霊も多数現れるようです。目的は彼らの征伐です」 そこまで言って、リベルは顔を上げた。「カン・ホゥカは娼婦を狙った連続殺人の罪で捕まり、一度死刑となりました。しかし『レプリカ』の支配人によってその魂は機械人形に押し込められ、ゲームの駒として蘇らせられた事があります」 この事件は約3年前の出来事だ。予言が現れた為、機械のボディを倒し、カンの霊魂を封印すべく数人のロストナンバーが向かった。そして、封印に見事成功したのだった。「……ですが、今回、チャイ=ブレに似た化け物によって、再びカン・ホゥカが蘇ると『導きの書』に予言が現れました。機械の身体、鉄の仮面、そして数多の暴霊を従えて、住人に危害を加えると」 普段は無表情のリベルの目が、僅かに沈痛の色を宿した。「この依頼を受ける方は、相応の覚悟を持って臨んでください」 フロアに静寂が満ちた。 リベルは再度、一同を見回して、『導きの書』に目を落とす。「彼に関する依頼を受けるのは、『レプリカ』に程近い場所に事務所を構える女探偵・リーシェン。戦闘力はありませんが、情報分析能力は信頼できます」 それではよろしくお願いします、とリベルは無表情に頭を下げた。 真っ暗な店内。埃が厚く積もり、かつては深紅のカーペットであったろうものも、今は黒ずんでいる。高価そうな壷やソファ、数々の遊戯盤も、部屋を明るく照らしていたシャンデリアもただ沈黙していた。唯一、金で作られたドアだけが、変わらぬ姿でこの荒れ果てたカジノ『レプリカ』を守っている。 その中で。 ジ。ジジ、ジ――バヂン。 それは、唐突に現れた。 闇よりもなお黒い影が、ゆっくりと立ち上がる。全身を覆う、ボロボロの黒いマント。その顔面は、つるりとした仮面で覆われていて表情はわからない。 影は手に握っていた獲物を見下ろす。どこからか差し込む光に反射するのは、刃渡り30cmほどのナイフだ。 その柄を何度か握り直し、首を巡らせる。ナイフを握った右腕を振る。マントが翻り、振るわれた右腕は鞭のように伸び、撓り、シャンデリアを粉々に砕いて分厚い埃の積もった深紅のカーペットを引き裂き、コンクリートの床を砕いた。「ギひ、ひヒぃひひ。また、まだ殺せと言うのダな。こノ無様な機械の身体デ」 いいだろう。それが望みと言うならば。「ハは……はハハぁハハハ。ギヒひャあははハハハハはハハハ!!」 その嘲笑に揺り起こされたかのように、腐った腕が地中から姿を現した。「っあー、よく来てくれたね。あたしがリーシェンだよ」 派遣されたロストナンバーたちが戸を叩くと、黒髪をひっつめ、襟ぐりが伸びきったTシャツに色あせたジーンズ生地のショートパンツを身に着けた妙齢の女が出迎えた。「やー参った参った。もう血みどろの惨劇だよ。手当たり次第って感じでさ」 ロストナンバーたちを室内に招き入れつつ、リーシェンは真っ赤に腫れた目をこする。扉を閉じてガサガサと書類の山を探ると、パソコンを掘り出した。「こんな所だけど、みんな生きるのには必死だからね。『レプリカ』を経営してたヤツはもういないってのに、迷惑な事だよ」 言いながら、リーシェンは写真を映したパソコン画面を示した。 パソコン画面には、黒いマントとつるりとした鉄の仮面を被った者と、腐敗し始めた身体でカンの後ろに付いて暴虐を働く男たちの姿があった。「えーっと、一番暴れてるのはこの仮面の男。カン・ホゥカ。特徴は、なんといっても機械の身体だね。腕が鞭みたいに伸びるのと、あと放電してるから気をつけてね。おまけにビョンビョン跳び回るし……跳び回ると言っても、空を飛ぶんじゃなくてジャンプね、ジャンプ」 その高さは優に2mに達すると言う。着地の際には地割れが起こり、また壁を利用して三角跳びのような跳躍も目撃されている。「それから腰巾着みたいに暴れてるゾンビが8体。理由はわかんないけど、カンに従ってるみたいだね。図体のデッカイ2mくらいのが3体と、180cmくらいのヒョロイのが5体」 振り回しているのは金属の棒だが、その膂力は一撃で頭を潰すほどのものだ。「どいつもこいつも使い捨てにされたヤクザみたい。ヒョロイのは俊敏だけど、あんま丈夫じゃ無い。んで、デカイ3体はカンが盾にするし、なるよ」 盾になる、と誰かが呟くと、リーシェンは肩をすくめた。「っそ。カン・ホゥカを狙うと、丈夫なゾンビが攻撃を受けるってことさ」 こんなモンか。と呟いて、リーシェンは髪をぐしゃぐしゃとかき回す。「悪いけど、あたしは戦えない。全部アンタ達に任せる事になるけど」 ヨロシク頼むよ、とリーシェンは真っ赤に腫れた目で、ロストナンバーたちを見回した。 夜明け前。 殺戮者たちは、元カジノ『レプリカ』に姿を現しつつあった。==============================================================================!お願い!イベントシナリオ群『星屑の祈り』は同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。==============================================================================
——サァ、覚悟ハデキテイルカ? 探偵の狭い居室に、張り詰めた空気が満ちていた。 いずれも腕に覚えのある者たちだ。 「……で、何でてめぇがいるんだ」 ファルファレロ・ロッソが顔を引き攣らせながら、一人の少女を睨め付けた。 それは、意識しなければそこにいることさえ意識の外に放り出されてしまうような少女だった。 「ゼロはゼロなのですー。どうぞよろしくなのです」 長いウェーブがかった白い髪、真っ白な肌、真っ白な服を身に纏い、銀の瞳をにっこりと微笑ませ、シーアールシー ゼロはちょこんとお辞儀をする。 意識してみれば、彼女ほど美しい少女はいないだろう。だが、それもほんの僅かな間のことで、一度目を外すともはや彼女がいることすら忘れてしまいそうになる。 「怒るな、ファルファレロ。来たからには何か考えがあってのことだろう」 翼人の女将軍、アマリリス・リーゼンブルグが間に入る。だが、ファルファレロは眉間に皺を寄せたまま舌打ちにも似たため息を吐いた。 それをまったく気にした様子も無く、ゼロはのほほんと続ける。 「死者の安寧は万人の物なのですー。彼ら自身と、彼らを野放しにすることで喪われる生者の安寧の為にも、きちんと昇天していただくのです」 「そうですね……どうにかこの事態を打破しましょう!」 力強く同意したのは、角と尻尾を持つ青い瞳のユイネ・アーキュエス。ゼロの言葉はのんびりとしたものだが、その言葉の実はゼロの強い信念を表している。 「そんじゃ、作戦会議といこうじゃねぇの」 わずかに風が吹き込んで、ティーロ・ベラドンナがタブレット機のようなものを示す。全員が振り返ると、ティーロはにっかと笑った。 風の精霊たちによると、元カジノ『レプリカ』前は、広めの路地が真っ直ぐに伸びている、見通しの良い場所だ。左右は無計画に建て増しされたかのような、インヤンガイ特有の摩天楼が聳えている。隠れて狙撃するには打ってつけだ。 逃亡の可能性も検討されたが、行き止まりの細い路地が1本あるだけだった。 「挟み撃ちにしようぜ。そうすりゃ、万が一の逃亡も防げる」 「通常なら一考の余地はある。……が、このメンツでどう挟み撃ちにするつもりだ?」 ティーロの提案に、アマリリスがばっさりと言い放つ。 見回してみれば、実際に接近戦が可能なのはアマリリスぐらいしかいない。かろうじて中距離で戦えるのが、瞬間転移で安全地帯へ移動出来るティーロ、ずばぬけた身体能力を持つファルファレロ、傭兵業をしていたというユイネだろうか。 ドルジェは初の依頼であり、武器も弓である事から援護に徹するつもりだった。武器が長銃であるフカ・マーシュランドも、それは同じだ。 ゼロはそもそも、攻撃手段を持たない。 「それなら、ゼロが壁になるですよー。ゼロは大きくなれるのです!」 ゼロの思いもよらない提案に、一同は口を閉ざした。うまく想像ができないのだ。 「ゼロはうんとうんと大きくなれるのです。逃げられないように道を塞ぐなら、大きくした枕も道に詰め込むですよ」 「ま、枕……ですか?」 ユイネが思わず聞き返すと、ゼロはパスホルダーから得意げに枕を取り出す。 「トラベルギアか……なるほどな。その巨大化した枕で、奴らを押し潰したりはできないのか?」 アマリリスが言うと、ゼロはかくりと首を傾げた。 「ゼロは誰も、何ものも傷付けることはできないのです。道を塞いだら、ゼロにできるのは応援する事だけなのですー」 「OK、そんじゃゼロの巨大化で道を塞ごう。そんで、奇襲を掛けるのが良さそうだな」 ティーロが言い、全員が頷く。 ——いや、一人だけ小さく舌打ちをした者がいたのだが。 「しかしそうすっと問題は、前衛が一人ってことだな……」 思わずティーロが呟くと、アマリリスの目が僅かに細められた。 「それは、私の実力を疑っている、ということか?」 「いや、そうじゃなくてだな……」 「これでも将軍を務めた身だ。心配は無用」 ティーロは頭を掻く。 「前衛が一人だからこそ、アマリリスの存在が重要なのは、確かよ」 そこへ、鮫獣人のフカが口を挟んだ。 「敵さんの獲物や特徴、鉄砲玉と腐肉の盾の行動を考えると、近接主体の狩人にはやり辛いものがあるわ。近付かなければ良いという考えは、みんな同じだと思う。っていうか、だから、このメンツが揃ったとも言えるわけだし」 フカはかなり正確に双方の戦力について分析していた。 「だからこそ、アマリリスの存在はかなり重要なわけよ。接近戦に持ち込まれたら、私やそっちの……ええと」 フカが目をやると、左目を眼帯で覆い隠した青年は慇懃に頭を下げる。 「ドルジェ、と申します。どうぞお見知りおきください」 「ドルジェね。こちらこそよろしく。——ドルジェも私も勝ち目はないもの。そうなると私たちがやるべき事は決まってるわ。アマリリスの援護よ」 フカの武器は、壱番世界でいう対物ライフルと呼ばれる大型の銃器だ。個人武装用ライフルとしては最大級に匹敵するとも言われる弾薬を使用するため、その破壊力は凄まじい。そもそもが大型の海獣を狩る為のライフルだ、ゾンビに向けて撃てば跡形も無く吹き飛ばす事ができるだろう。 だが、その破壊力故に、扱いは慎重にならなくてはならない。 「固まり過ぎると、逆に撃てなくなる。つまり、乱戦が過ぎれば中遠距離の私たちは手も足も出ないわ。アマリリスにはある程度の距離を置きながら、敵さんたちを引きずり回してもらわないといけないのよ」 「わかるけどよ、それじゃ彼女の負担が大き過ぎるだろ?」 ティーロが思わず声を上げる。フカは「もちろん」と頷いた。 「アマリリスの危険を減らし、かつ彼女の攻撃の手助けの為の援護が私たちの役目になるわね。誤解してほしくないんだけど、これは前衛がアマリリスだけだから、何度も言っているのよ。囲まれないようにフォローしなきゃ、絶対に勝てないわ。っていうか、カンの能力が厄介過ぎる」 それにはアマリリスもティーロも、頷くほかなかった。 カンの放電体質は全員が頭を悩ませる所だったし、接近戦で戦えるのがアマリリスだけだという事実はどうしようもない。 その時、ポォンという電子音が響いた。 振り返ると、リーシェンがパソコンを操作し、画面を食い入るように見つめている。 「作戦会議はそこまでみたいよ。カンたちが『レプリカ』の通りに戻って来た」 ピリと緊張が走る。 だが、肝心のカン・ホゥカに対する対策だけが話し合われていない。盛大な舌打ちで流れかけた沈黙を破ったのは、ファルファレロだ。 「まず盾を叩く、ザコは適当にツブす、カンの放電体質を逆利用する、これでいいじゃねぇか、めんどくせぇ」 カン・ホゥカの周囲を固めるゾンビを先に叩く、というのは皆考えていた事だ。 ドルジェも大きく頷く。 「本人もろとも感電させる、ということでございますね。私も、一度は試してみる価値があると考えておりました」 「その場合、中途半端な水の量じゃこっちに危険があるな」 やはり、ゾンビは先に倒すべきだろうと、暗黙のうちに頷き合う。 「私、先に行ってるわ。銃の組み立てに時間がかかるから」 「待った、武器を出しなよ。強化してやるぜ」 フカはパスホルダーからジュラルミンケースを取り出す。蓋を開ければ、黒光りした巨大な銃器の部品がびっしりと敷き詰められている。 ティーロが見回すと、各々が武器を取り出す。ファルファレロを見やると、嫌そうに顔をしかめた。 「てめぇの援護なんざ、ごめんだ」 笑った気配がして、ファルファレロは更に眉間の皺を深くする。ついと反らした視線の先に、小さな小瓶を見つけて眉を跳ね上げた。 「おいチビ、そりゃなんだ」 「聖水なのですー。ご近所の教会でもらってきました。ゾンビさんたちに効くかもしれないと思って」 そもそも、インヤンガイの暴霊に聖なる力が効くのかも定かではないが、効けば助けになるかもしれない。 「待て。どうせ使うなら——」 ◆ ◆ ◆ ——サァ、血ノ雨ヲ降ラセヨウ。 空は未だ薄暗く、わずかに靄のかかった夜明け。 腐れた肉と、無機質で無表情で無慈悲なそれらは現れた。 灰色の街で真っ赤に染まったその姿は、どれだけの殺戮が行われた証しだろうか。 それに相対するのは、真っ白なゼロ。 通りに一人立ち、ぺっこりと頭を下げた。 「カンさん、ゾンビの皆さんはじめましてなのです。ゼロはゼロなのです」 白い髪を揺らして、ゼロが顔を上げる。瞬間、彼女の身体はこの世の法則の全てを無視して巨大化していった。 「殺セ! 殺セ殺せギャハはぁっハははハハハハハは!!」 バヂ、ン! 黒いマントが大きく翻り、電流が目に見えて弾ける。 嘲笑と共に、一足飛びにカンが迫った。 空気を引き裂いてライフル銃の轟くような銃声が一発、雨のように降り注ぐ矢が、ゼロとカンの間を埋める。カンのマントがふわりと停滞したところへ、忽然と現れた斧が四方からカンを目掛けて振り下ろされた。 「ギャハはハハ! あァ! 知ってイる、知ッていルぞ。新シいゲームの駒共メ!」 地面に激しい衝突の跡が残り、声が上から降って来る。 地上二メートル付近。鉄の仮面を被り、黒いマントを翻した男がそこに居た。 すかさず剣と矢が降り注ぐ。それをカンは腕の一振りで弾き落とし、着地した。 「サてさて、今度のゲームノ主催者ハ誰かナ?」 機械とは思えぬほど器用に、カンは道化のように肩を竦めてみせる。 リィン……と高く澄んだ鈴の音が響き、カンの周囲を守る小型ゾンビの腕が飛んだ。 仮面を被った頭が、飛んだ腕を追うように動く。 「答えてやる必要があるのか?」 アマリリスの凛とした声が静かに降る。 ギシ、と仮面がアマリリスに向いた。 「ギゃハっ!」 電流が迸り、それが合図となったかのようにゾンビたちが一斉にアマリリスへと迫る。 「おっと、てめぇらの相手は、この俺だぜ!」 カンを直近で固めるゾンビたちの足元へ、ファルファレロが寸分の狂いも無く弾丸を撃ち込む。トラベルギア・白銀の拳銃ファウストは、退魔に特化し、射程圏内を氷結させることができる。 「冷凍肉になりな!」 アマリリスは軽やかなバックステップで、ゾンビたちを引きつけながら、距離を取る。そして愛刀【彼岸花】の柄に括り付けたトラベルギア・銀朱の鈴を高らかに鳴らした。 風は僅かに向かい風。 迫り来るゾンビたちから、腐臭と共に濃い血の臭いが漂って来る。 アマリリスは自分が高揚していくのを感じた。思わず口元がほころぶ。 ——落ち着け。 アマリリスが一つ二つと羽撃くと、幾人ものアマリリスが現れる。彼女の幻術だ。だがそれに惑わされた様子もなく、ゾンビたちは本物のアマリリスに突っ込んで来る。 その伸びきったゾンビの列を、フカの弾丸とドルジェの炎を纏った矢が襲う。 仲間が吹き飛ばされ、炎に包まれてもゾンビたちは進撃を止めない。腐れた筋肉の塊で血塗られた鉄パイプを力任せに振り下ろす。 その勢力に、アマリリスは受け止めるのではなく、飛び上がって避ける事を選んだ。 瞬間。 「ギひッ! 頭ガ空っポだぜ」 カンの、機械の声。 つるりとした鉄の仮面に、アマリリスの顔が映る。 「アマリリス!」 バ、ヂ。 カンの腕が無慈悲に振るわれ、アマリリスが吹っ飛ぶ。 だが同時に、カンもまた地面に叩き付けられていた。 激しい放電と意味不明な言葉を喚き散らしながら、カンは即座に跳ね起きる。わずかに風鳴りがして、一瞬前まで居た場所に鋭い衝撃が走る。それは、よく見れば半透明な水色の影のような剣だ。 地面に突き刺さったそれが、突如カンに向かって弾け飛ぶ。カンは咄嗟に後ろへ飛び、背中が壁に当たると身体を反転してその場を逃れ、電撃をまとった腕を鞭のように振るった。ほとんど視認出来ない刃を弾いた瞬間、カンの機械の体に雷撃が迸る。 「グォおおおオおぉおおォオオオオオ!!!」 無茶苦茶に腕を振り回し、体のどこかで線が切れる。余剰な電流が放出されると、カンはがっくりと膝をついた。ガクガクと震える体を嗤い、グラグラと立ち上がる。 土煙の向こうで、両手に鉄扇を構えたユイネが真っ直ぐにカンを見据えていた。 「こう見えて傭兵業をやっている身なんです。甘く見ないでくださいね……?」 ギシ、とカンの仮面が軋みをあげた。 ◆ ドルジェは摩天楼内を移動していた。 上から戦場を見下ろしていた彼女は、初めての依頼に対して緊張がありながらも冷静に戦局を見ていた。 戦況は概ね、狙い通りに行っているとして構わないだろう。 ただ、予想外だったのはカンの行動だ。 そもそも戦闘の開始からして、カンの動きは予想だにしなかったものだ。見境なしに殺戮を繰り広げているという情報は得ていた。だが、カンが先駆けとなって迫り来るとは、誰が予想していただろう。 またカンが盾にし、盾になるという巨躯のゾンビをファルファレロが足止めした途端、カンはゾンビたちを無視してアマリリスへと突っ込んで行ったようだ。 アマリリスの援護を主としていた為、彼女にばかり意識を取られていた。フカと共に、ゾンビたちに向けて攻撃を仕掛けたとき、爆煙の中にカンの影を見つけて冷や汗が吹き出した。 カンの右腕がアマリリスを打ち付けたと思った瞬間、それは弾き飛ばされた。見えない盾のようなものが、彼女を守ったのだ。そしてカンに突風が吹き荒れ、カンは地面に叩き付けられた。その後は土煙に遮られ、ドルジェからはよく見えなかった。 武器を持っていなかったユイネがどのように戦うのかと思っていたが、どうやら彼女は魔法を使うらしい。 ドルジェは窓の外を見る。 視線の先に、ユイネが見えた。忙しく動き回りながら鉄扇を振るい、神出鬼没な宙を舞う武器でカン自身に直接触れないよう、攻撃を防いでいる。 カンはやはり、標的をユイネへと変更したようだ。 ドルジェはトラベルギアの西洋弓を構える。 カンの素早い動きを鈍らせる為には、石化の効果が良いだろう。そうイメージすれば、何もなかった弦に魔力の矢が出現する。 カンが跳び上がり、土煙の上にその姿が停滞する、一瞬を狙って。 ドルジェは矢を放った。 ◆ 「おい、大丈夫か!」 防御姿勢を取る間もなく吹っ飛ばされ、衝撃を覚悟した時に降って来たのは自分を支える感触と、ティーロの声だった。 アマリリスが目を開けると、ティーロはほっとしたような表情になり、すぐニヤリとした笑みを浮かべた。 「無事で何より、ってな。ゼロも、ありがとよ」 視線を上げれば、ゼロの大きな手のひらがティーロとアマリリスをすっぽりと包み込んでいる。 「どういたしましてなのですー」 ゼロはティーロたちが人形のように見えるほど巨大化していたが、その声は面と向かって話すようにしっかりと届いた。 「すまない。警戒はしていたつもりなのだが。ゼロのように可愛らしいお嬢さんに守られてしまうとは、私もまだまだだな」 アマリリスは素直に詫びた。ひっそりゼロに何か言いながら。 カンの伸びる腕と跳躍は、厄介なものだと自覚していた。去なすでもなく飛び上がるなど、飛び込んで来てくれといっているも同然だった。戦闘時において、誰よりも制空権を握っているアマリリスだからこそ、注意を払っていたはずなのに。 鼻腔の奥に微かに残る甘い香りが、アマリリスを惑わせる。 「反省会は後にした方が良いみたいだぜ」 言いながら、ティーロはトラベルギアの食品用ラップフィルムケースを土煙に向ける。戦場にはまったく不似合いだが、ティーロはそれをワンドとして扱う。 二人の鼻腔に鉄臭い腐臭が流れ込む。 アマリリスは彼岸花の柄を握り直し、体勢を整える。 「——おいでなすった」 ティーロが腕を振るうと、風で土煙が吹き飛ばされていった。鉄パイプを振り上げたゾンビたちが突進して来る。 高らかに鈴の音を鳴らして、アマリリスは低い姿勢のまま突進した。駆け抜けるように横一線、白刃が閃く。それはゾンビの足首を切り飛ばした。ぐん、と地面を踏みしめる。片足を失いバランスを崩したゾンビの首を、身体を半回転させながら刎ね飛ばした。鈴の音が絶え間なく鳴り響く。アマリリスはぐっと腰を引き、右足を強く踏み出すと同時に彼岸花を振り抜く! ギギィン! と鈍い金属音が響き、彼岸花と鉄パイプが火花を散らした。 アマリリスは薄く笑う。 血の臭いが理性を溶かし、凶暴な衝動が全身を駆け抜けて行くのを自覚する。 「くはっ……」 笑みが止まらない。思わず口をつくほど。 鮮やかとは言い難いが、腐肉から噴き出した血煙は紛れも無く真っ赤な花を咲かせる。 ——戦場に、血花を。 「はは、は……」 ゾンビが鉄パイプを力任せに振り抜く。アマリリスは羽撃き、ふわりと飛翔した。 アマリリスの端正な顔に、歪んだ笑みが浮かぶ。 鉄パイプが下段から振り上げられる。鈴の音が絶え間なく鳴り響く。アマリリスは空中を蹴り、ゾンビの頭上を回転して飛び越え、背後から首を斬り飛ばす。 腐肉から血煙が噴き出した。 「あははははははははははははははは!」 ——血に酔った。 「アマリリス将軍」 耳元に低い声が響いて、アマリリスはびくりと身体を震わせた。 「可愛いお嬢さんが後ろから見てますよ、ってな」 からかうような、軽い調子の声がして、アマリリスの死角を突風が吹き抜ける。壁に叩き付けられたゾンビが、嫌な音を立てて潰れた。 振り返ると、顔に何かが張り付く。引き剥がしてみれば、それはラップフィルムだ。 「将軍は、可愛いお嬢さんに弱いと見た」 ニヤリと笑っていそうな声が、すぐ間近で聞こえる。どうやらラップフィルムを媒介として、声を届けているらしい。 アマリリスは思わず苦笑をもらした。 「可愛い人のために、私は剣を振るっているのでな」 「さっきみてぇのは、ちょっと見る目変わっちまうじゃねぇの?」 「君が私に畏れ入ったと解釈しておこう」 はは、と軽快な声がラップフィルムを通して聞こえた。 ◆ ファルファレロは盛大な舌打ちと、思いつく限りの罵詈雑言を吐き散らしていた。 カンと巨躯のゾンビを結果的に分断することに成功したは良いが、なんと3体の相手をファルファレロ一人で行う図が構成されてしまった。 とはいえ、身体が大きい分当てやすく、また足元から凍らせる作戦は悪くなかった。だが、想像以上の馬鹿力と素早さで凍り始めた足を引き剥がし、意味不明な従順さで、カンを守ろうと土煙の中へ突っ込んで行ったのは、さすがに予想外としか言いようがない。 「この俺から逃げられると思ってんのか、クソッタレ共が!」 特に面倒であろうと思われた腐肉の盾は、カンのスタンドプレーによって、あっさり動く的と化したのだ。 だが、ゾンビ共はバカバカしくも自ら銃火の雨に飛び込んだ。味方の銃火の雨に飛び込むことほどバカバカしいことは無いが、放置すればアマリリス一人で全てのゾンビを相手にすることになる。 悪口雑言を並べ立て、今度こそ腐れ肉を冷凍肉とするため、ファルファレロは土煙に飛び込んだ。 ファルファレロは五感の全てを研ぎ澄ませる。 土ぼこりと炎、肉が焦げ腐った血の臭いに塗れながら、眼鏡の奥の鋭い眼光がそれを捕らえた。それと同時に、白銀のファウストが立て続けに火を噴く。五芒星の魔方陣が錬成され、紫電が暴れる肉体を絡めとる。 ほんの僅かな間だが、ファルファレロが次なる弾丸を撃ち込むには十二分だ。 氷結の弾丸が足と言わず頭と言わず打ち込まれ、三本の氷柱がそそり立つ。腰から覚醒前から愛用しているメフィストを引き抜き、冷凍肉目掛けて引き金を引く。 「骨まで氷の欠片になって散りやがれ!」 高笑いと狂ったような銃声。 その両方が止んだ時、3つの氷柱は跡形も無く砕け散っていた。 「ギャヒャひャひゃハははハハハハははハッッ!!!!」 狂った笑い声が聞こえたのは、その時だ。 声の方へ走り出すと、霧が晴れるように土煙が引いて行く。小さく舌打ちをしたのは、それがあの魔導師の仕業だろうと解ったからだ。 視界が晴れ、ファルファレロが目にしたのは、ユイネが宙を舞い、カンの右腕が襲いかかろうとしている所だった。 ◆ ◆ ◆ ——サァ、フィナーレヲ飾ルトシヨウ。 「ユイネ!」 誰ともなく叫ぶ声が聞こえる。 だが、ユイネにはどうしようもなかった。 何もかもが一瞬の出来事のように思える。 カンの腕が、自分に向かって伸びた。 ナイフが突き刺さった瞬間、思考という思考が停止した。 気が付いた時には、明るくなり始めた空が見えた。 「ギャヒャひャひゃハははハハハハははハッッ!!!!」 狂った笑い声。 一瞬の空白。 銃声が轟き、風が吹き荒れ、金属がぶつかり合う音が鳴り響き、ユイネはやわらかなものに覆われた。 「ギッヒャぁアっはっハハハははハハはァっハはははは!!!」 嘲笑なのか、絶叫なのか、もはや判別はつかなかった。 機械人形は銃弾に撃ち抜かれ、突風に腕をねじ切られ、ナイフを弾き飛ばされてなお、躍り続ける事を止めない。 「コろす! コロス殺す殺スころスコロすころす殺ス殺す殺しテヤるッ!! ギヒャひゃヒャひゃはハアアっははハはハハアぁああアアアアッッ!!!!」 機械人形は嗤う。 嗤い続ける。 ファルファレロは、ファウストを構えた。 「生きてる限り殺し続けなきゃいけねーなんざ、とんだ悪夢だ」 銃声がひとつ。 カンの身体がビクリと跳ねる。 突風がふたつ。 カンの体が人体では有り得ない方向へねじ曲がる。 体中の線が切れて行く音が耳に聞こえ、激しい放電が発生する。 「チビ!」 「みなさん、離れてくださいなのです」 全員がその意図を一瞬にして理解する。 ゼロが巨大な瓶をカンの真上に翳し、それをフカのトラベルギア・携行式長距離銃狙撃砲が撃ち抜けば、大量の聖水が一瞬にして降り注ぐ。 「俺がお前を終わらせてやる。恩に着な、キリングドール」 雷の弾丸がカンを撃ち抜き、目が眩むほどの閃光と耳を劈く爆音が轟いた。 「終わった、か……?」 光と轟音が鳴り止み、アマリリスは顔を上げる。 路地には爆風がすべて吹き飛ばしてしまったかのように、何も残っていない。 いや—— 「なぁ、カン。壊れきる前に教えてくれよ。なんで娼婦を殺した?」 ファルファレロは地面に転がる鉄仮面に向かってぽつりと呟く。 「娼婦を殺して、どんな気分だった?」 俺だったら、殺すより抱く方がよっぽどいい。 死んだらそれまで、つまんねーだろうが。 まだわずかに放電しながら、鉄仮面は調子の合わないラジオのように言葉を紡いだ。 「ショウふとハ殺サレるもノであリユえに殺スモのダ」 くつくつと忍び嗤うような音がして。 ——ジ、ジジ……バ、ヂン。 電流が迸り、カン・ホゥカは光の粒子となって消えた。 カン・ホゥカ。 彼は、娼婦の母から生まれ、五歳まではその母親に育てられた。 だが母親は梅毒に冒されて狂い死に、その時カンは母親に殺されかけた。 その後孤児院に引き取られたカンは、十五歳の時に院長神父の養子となり、神父となる。 院長神父は、母親の客であった。 カンが娼婦殺しを始めたのは、養父が死に、孤児院の後任に就いた後である。 「何はともあれ、依頼完了だな」 アマリリスが一同を見回して告げる。 幸い、ユイネの傷は深いものではなかった。治癒魔法を使える者が複数人居たことも、大きな怪我人が出なかった一因だろう。 土煙で身なりこそボロボロだったが、依頼を受けた七人全員が、そこに立っていた。 ゼロは普段の大きさに戻り、昇り始めた朝日に祈る。 今度こそ、誰にも邪魔されず、迷わず永眠する事を。 「帰ろう」 誰かが言い、七人は<駅>を目指す。 今回の事件の発端、キサについても、きっと吉報が届くに違いないと信じて。
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