窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
ロストレイルはディラックの空を駆けていた。 依頼を完遂し、0世界へと帰る途中である。 四人掛けのボックス席で、ロストナンバーたちは笑顔でお喋りに興じている。そしてそのお喋りが、ふと途切れ……ユーウォンは窓の外を見つめた。 そこには見慣れたディラックの空が広がっている。 見慣れた。 そう思って、ユーウォンは青い大きな瞳をゆっくりと瞬いた。 「見慣れた」景色の中を駆け抜け、「いつものように」同じ場所へと「帰る」ことに「慣れた」自分。 「ただいま」や「おかえり」は、最初こそ耳新しかった挨拶だが、今ではターミナルにロストレイルが発着するたびに、当たり前のように交わしている。 それはユーウォンにとって、驚くべき事柄だった。彼はいつだって旅をしていたし、同じ場所には気が向いた時だけ、気が向いた分だけ滞在していたのだから。 ——けれど。 とも、ユーウォンは思う。 他のみんなの言う「ただいま」や「お帰り」の中にこもっている気持ち……それがまだ、ユーウォンにとって理解することが難しい。 ユーウォンの言う「ただいま」は、「無事に帰って来たよ!」だ。 「お帰り」は、「お疲れさま、また会えたね」という意味だ。 そして彼にとってこの二つの言葉は、この二つの意味以外の思いを含まない。 ——よく分かんないな。 ユーウォンは小さく息を漏らした。 ニンゲンの「ただいま」と「お帰り」には、もっと特別な意味がある、らしい。 「ただいま」が言える人がいること、「お帰り」を言ってくれる場所は、特別なものなのだ、と聞いた。 いくつかの報告書を読んでみたり、人に尋ねたりもしてみた。 多くの旅人にとって「帰属する」ということも、「ただいま」を言う相手、「お帰り」を言う場所を見つけた、ということ、らしい。 そしてそれは、すごく暖かくて、とっても素敵なこと、らしい。 ユーウォンにとっては、それは未知の感情だった。すべてにおいて「らしい」と付くのは、その為だ。 ——なんだか、残念だな。 過酷な環境や、急激な環境の変化に短時間で順応出来るのが、ユーウォンの生まれながら持つ特性だった。好奇心が強く、感じたままに行動して来た。運び屋という職は、ユーウォンにとって正に天職である。 彼に“懐かしい故郷の風景”は存在しないが、いわゆる出身世界はあらゆるものが変化し続ける世界であった。そうした中では、一期一会はごく自然な心構えで、出会いがあれば別れがあり、別れがあればそれはまた新たな出会いがあった。 だから、変化のない0世界は、ユーウォンにとって最も縁遠い世界。 だから、彼は度々依頼を受けては異世界へと旅立っている。 けれども、たくさんの人と出逢って、たくさんの「ただいま」と「お帰り」に囲まれて、ユーウォンは今、とても興味があるのだ。 ニンゲンの言う「ただいま」と「お帰り」の意味に。 けれど、その感情の流れがよく分からない。 そう言ったら、それを「羨ましい」と言ったニンゲンもいた。 それは、「ただいま」や「お帰り」を言う相手が居ない方が良かった、ということなのだろうか……そう、首を傾げてしまうのだけれど。 でも、ユーウォンが分からないことを、そのニンゲンは知っているのだ。 だから「羨ましい」と言えるのだ……そう思うと、やっぱりユーウォンは残念だと思う。 もしも一所に留まり続けることを決意するほどの何らかの執着が生まれたならば、自分にもニンゲンの言う「ただいま」と「お帰り」が分かるのだろうか? 視線を上げれば、ディラックの空の向こうで七色のカーテンが揺らめいている。 それを見つめて、この空の向こうには知らない世界が、まだまだたくさんあるのだと期待が膨らむ。 ——やっぱりおれは、旅を続けたいな。 一期一会。 出逢いと別れ。 旅をし続けることが自然であること。 それが、彼が生まれながら持つ性だ。 もしも知らないところへ行けなくなったら……そんなことを考えるだけで、とても我慢などできない。 だからユーウォンはきっと旅を続けるだろう。 ——でも。 ユーウォンは、同じボックス席に座る仲間たちの顔を見つめる。 会話が途切れたことで、ある者は船を漕ぎ、ある者はなにやら書き付けをしたりしている。 そう。 こんな時間も、悪くない。 いつもの帰り道。 これから辿り着く変わらない場所。 「ただいま」と「お帰り」の挨拶。 0世界や図書館が変わって行くのは、旅人として大歓迎だけれど…… 「どうした、ユーウォン」 仲間の一人が、じっと仲間たちの顔を見つめるユーウォンに、首を傾げる。 ユーウォンは青い丸い瞳を細めて「うん」と頷いた。 「おれ、今の暮らしもすごく気に入ってるんだ」 ロストレイルはディラックの空を抜け、0世界のターミナルへと降りて行く。
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