リュカオス・アルガトロスは世界図書館公認の戦闘インストラクターである。 彼は、戦闘インストラクターとして『無限のコロッセオ』管理の任についているが、その職業の全体的な趣旨としては、ロストナンバー内の希望者に戦闘訓練を施すことだ。「ほほう……ヴォロスなる異世界で鍛錬、と」 その一環としてリュカオスが始めた訓練キャンプに食指を動かした男がいた。 この訓練キャンプ、要するに、基礎体力や運動能力の向上、戦地におけるサバイバル経験を積むといったことを目的にしたもので、当然、闘技場を離れて行われる。 リュカオスが今回立てたのは、竜刻の大地ヴォロスの一角にある砂漠での訓練で、厳しい環境に身を置くことで肉体のみならず精神的にも成長が見込めるというものだった。「アゴール砂漠を横断してオアシスまで行き、そこから折り返すという内容だ。基本は足腰と精神の鍛錬ということになる」 リュカオスが言うには、砂漠には大規模な岩山もあり、一筋縄では行かないのだという。「そうだな、度胸試しのために断崖絶壁から縄一本で飛び降りる、というのも入れよう」 さらっと無茶なことを言い、更に付け加える。「砂漠は一夜では超えられない規模だから、砂漠で一泊、オアシスで一泊する。オアシスは潤沢で芳醇な清水の湧く美しい場所だ、鍛錬のあとの息抜きも出来ることだろう」 しかもその砂漠、近辺でも有名な危険地帯で、灼熱の砂礫地獄であるのとともに、様々な種類・大きさの危険生物が出没するのだそうだ。「とにかく多様かつ凶暴な生き物が多くてな、砂漠の踏破同様、実戦的な鍛錬には持って来いだ。それに、出没する生き物はどれも食えるそうだから、糧食には苦労するまい」「それは素晴らしい。是非とも私も同行させていただきたい」 碧眼を輝かせて言うのはゲールハルト・ブルグヴィンケル。 先だっての魔女騒動で、ロストナンバーたちの説得の結果無事に世界図書館に所属することになったツーリストである。 保護された際には視覚的破壊力抜群のいでたちをしていたが、あれはどうやら彼の特殊能力に由来するもののようで、今は有事ではないため、普通の、壱番世界の同年代の男性としておかしくない程度の服装をしている。「そうか、判った。だが……過酷だぞ?」「望むところだ、よろしくお願い致す」 頷くリュカオスへ頭を下げた後、ゲールハルトがふと思いついたといった風情で彼に問いを発した。「つかぬことを伺うが、リュカオス殿はらーめんなるものをご存知か」 突拍子もない質問にリュカオスが首をかしげる。「いや……? それは一体なんだ?」「料理の一種なのだそうだ。先日壱番世界の日本なる国を訪れた際、擦れ違った若者が世界で一番美味な食べ物だと言っていた」「ふむ……俺の故郷で言うところのコウノトリやウツボのようなものか。それで?」「不肖ゲールハルト、実を申すと調理や菓子作りが趣味でな。せっかくこうして覚醒したのだ、異世界の料理も学んでみたいと思い、そのらーめんについて調べたところ、小麦粉の麺に、動物や魚介の出汁でつくったスープをかけ、その上から大きな塊肉を甘辛く煮込んだものを載せて食すものなのだという」「ほう、それは興味深いな。大きな塊肉ならば幾らでも獲れそうだ、材料を持って行ってオアシスでの晩餐にしてもいいかもしれん」「貴殿もそう思われるか」 ゲールハルトがぐっと身を乗り出し、リュカオスが大きく頷く。「それほどの美味なら、他の参加者たちも喜ぶことだろう」 世界の食通が聞いたら裏拳で訂正に入りそうだが、残念ながら、真面目で融通の利かない異世界人たちが真に受けてしまった大きな間違いを正してくれるツッコミはこの場にはいない。 ツッコミ不在の悲劇……かどうかはさておき、こうして、二泊三日の砂漠訓練・お楽しみはヴォロスの食材を使った叉焼麺ツアーが発足したのだった。
1.出発進行、二泊三日HELLの旅 午前八時、アゴール砂漠手前の、壱番世界におけるサバンナを髣髴とさせる平原にて。 「さあ皆さん出発ですよ、準備はOKですか!」 元気いっぱいの藤枝 竜が、拳を宙に突き上げて宣言すると、あちこちからぱらぱらと同意の声が上がった。 ターバンで頭部を覆い、砂避けのマントを身につけた竜は、まるで中東の戦士のようだが、 「砂漠では肌を見せちゃ駄目って教わりましたからね。ちょっと、いやかなり暑いですけど……あれ?」 なにせ砂漠の手前ですでにこの気温、気候である。 そもそも炎を全身にまとっているかのごとき彼女ゆえ、暑さで身体から火が噴き上がり、それを見た同行のロストナンバーたちが「うわあ」という表情で竜から距離を取っていく。 「ああ、待って……離れないでください~!?」 いきなりハブられて驚愕の表情の竜。 その傍らでは、擬人化した蝙蝠のような姿のベルゼ・フェアグリットが、持ち物の最終チェックを行いつつぶつぶつと愚痴をこぼしている。 「えーと、三日分の水だろ、クーラーボックスの中にりんごいっぱい、あとテントに寝袋。予備のフード付きローブ二着もいるよなァ、あとヒマな時読む童話とマンガ二、三冊……っと。武器はトラベルギア一択でいいや、こいつの練習もしてーし」 結構な大荷物だが、それを苦でもない様子で担いだ後、ギラギラ照りつける太陽を見上げて「あー」と溜め息をつく。 「つか……砂漠かァ、あちぃのニガテなんだよなー。あーチクショウ、クアールの野郎! ただの砂漠旅行かと思って乗ってみりゃ訓練だとォ? 騙しやがって!」 ここにはいない作者のことを罵りつつも、淀みない手つきで作業を終えたベルゼを見遣り、雪峰 時光も担いでいた荷袋をやわらかく丈の短い草に覆われた地面に降ろした。 「持ち物の確認でござるか……拙者ももう一度ちぇっくしておくといたそう」 と言っても、彼の荷物はそれほど多くない。 「水、ランタン……武器防具はトラベルギアだけで充分ではござらんか? 長距離を移動するのでござる、なるべく身軽の方が良かろう」 「おまえ……軽装過ぎねェ? 食いモンとか、持って行かなくてもいいのかよ?」 ベルゼの指摘に胸を張り、 「何、拙者もサムライの端くれ。どんなゲテモノでもかぶりつく精神で行くでござるよ!」 「ちょ、今からゲテモノって断言すんなよ、『オアシスでの晩餐』ってのがおっかなくなるだろ……!」 目を剥いた彼から突っ込みを喰らう時光である。 「大丈夫、どんなものであれ食べてみれば案外美味しいものだ。見てくれは恐ろしいものも多いけど」 冷静極まりない声で、フォローのようなそうでもないようなことを穏やか勝つ真面目に言うのはテオドール・アンスラン。今回、もっとも行き届いた準備をしてきた人物だ。 「鍛錬とはいえ急激過ぎる負荷には気をつけなくては。疲労回復と塩分・水分補給につとめつつ、慎重に進むことを提案したい」 冒険者として世界中を巡っていた青年の一家言であるから、説得力もある。 ちなみに彼の持ち物は、日光と暑さ、夜間の寒さ対策である薄手のフード付マント、解毒や消炎、下痢止め用の薬、登山時の手掛り作成用に楔・小型金槌・縄、多めの水に塩分補給用の燻製肉、水で戻して粥にも出来る乾燥雑穀。 その他、武器にはギアの短剣、毒虫を撃退するためにも使える、先を金属補強した杖など、とにかく痒いところに手の届く手配振りで、 「すごいわぁアンスランさん。気配りの出来る人って素敵よね」 同じく万全の準備をしてきた脇坂 一人が共感と感嘆の眼差しで頷いたほどだ。 自分から逃げ回っている、とある人物を捕まえるため、足腰を鍛えようと思い立って今回の訓練ツアーに参加した一人は、シャープなデザインのスポーツウェアに身を包み、日よけに帽子を被って、足元はよく慣れたランニングシューズで固めている。 その他、夜の寒さに備えてのカイロ、飲料水、タオル、日焼け止め&スキンケア一式、ウェットティッシュ、救急箱を用意していた。日焼け止めとスキンケア関係は、自分だけでなく女子たち(必要とあらば男子にも)に使ってもらおうという思いから多目に持参したという気配りっぷりである。 「そういう一人さんも。……そうだな、やはり、必要なものを万全に整えるという行為もまた大事な訓練なのではないかと思う」 「なるほどね、アンスランさんは冒険者なのだっけ? 説得力あるわぁ」 うんうんと頷く一人、微笑むテオドール。 その傍らで先ほどからしきりにゲールハルトを気にしているヌマブチはというと、画廊で描かれたとおりのいつも通りの――要するに兵装である――出で立ちにいつも通りの武器、いつも通りの持ち物なのだが、つまるところそれは長い行軍にも適した装備のため、大した不具合はなさそうだった。 ただし、若干暑そうではある。 リュカオスが出発を告げるまであと数分と目されるこの状況で、皆、それぞれに準備をして来ているわけだが、そうは言っても、現在一言も言葉を発しない墨染 ぬれ羽など普段の出で立ちに菅笠を被っただけだし、リュカオスに話しかけるので大忙しのトリニティ・ジェイドは、持ち物と言えば小型のサバイバルナイフ、一口サイズのお菓子だけで、いつも通りの露出度の高い衣装に足首を痛めないようタオル状の布を巻いた格好である。 普通の依頼のように危険はないだろう、と、レジャー感覚の息抜きで参加したというルイスも、獣型になったとき衣装を仕舞うための風呂敷と飲料水、日焼け止めとギアしか持って来ていない。 「……ところ変われば品変わる、ってことなのかなぁ」 彼らを見遣って、狩谷 幸次郎が小首を傾げる。 彼は、料理人らしく調理器具一式、日よけのサングラスとタオルを持参していたが、武器防具には出刃包丁と、頭には鍋を被って手には盾用の中華鍋を持っているという、ツッコミ気質の人々が指摘するべきか否かを悩むような微妙なラインの出で立ちをしていた。 ともあれこの場に集う全員の、訓練に対する心構えが整ったのも(恐らく)事実で、彼ら彼女らを見渡したリュカオスは満足げに頷き、 「よし、準備も終わったようだな。では、二泊三日HELLの旅を開始することにしよう」 いきなり過酷度MAX決定のツアー名称を口にした。 途端、今回、この中では一番のツッコミ役(という名の苦労人)決定であろうと目される一人が目を剥く。 「ちょっと待ってアルガトロスさん、どうしてそこにHELLなんて残念な単語を入れちゃったのかしら……!?」 「知り合いのコンダクターがツアーのタイトルをつけてくれたのだが、何か問題でも?」 「割と大アリだと思うんだけど! だってヘルって地獄でしょ!? 私は訓練に来たのであって地獄に落ちに来たんじゃないもの……!」 「ん、そうか。……そうだな、聞く話によると、そもそもHELLとは『名誉の戦士を遂げられなかった者』がゆく冥界だそうだから、この場においては相応しくないか。……では二泊三日ヴァルハラの旅を開始する」 「いえあの、それも正直戦死前提なんですけど……ッ」 己が発言に何の疑問も抱いていないような、真顔のリュカオスに、ずっとこのテンションで行くのはどう考えても辛すぎる、と出発前にして崩れ落ちそうになる脇坂さんである。 が、リュカオスの掛け声を合図に、総勢十二名の訓練ツアーが始まってしまったのもまた事実だった。 2.灼熱の牢獄、アゴール アゴール砂漠に足を踏み入れた途端、空気が変わった。 熱帯風であるとはいえ、先ほどまで彼らがいたサバンナ状の草原が、どれだけ草木によってその暑さ――熱気による痛さを和らげられているか、全員が思い知らされるほどの変化だった。 「うわ、すご……」 全身を重たい熱気に覆われ、目鼻や口を蒸されたタオルで塞がれているような感覚だ。 状態としてはサウナに近いだろう。 ――激烈な日差しと、充分に茹だった後飛び込む冷水風呂がないという点で、サウナよりも過酷ではあるが。 当然、全員歩き始めて十分もすると汗だくである。 おまけに、小さな石くれとサラサラの砂が入り混じった砂漠に足を取られ、一歩一歩進むだけで体力を奪われる。 自然、『砂漠を歩いて渡る』ミッションが開始されてしばらくすると、ロストナンバーたちの口数は減っていった。 「すごい暑さね。でも、途中でへばったりしないわ。帰り着くまでがキャンプよ!」 しかし、リュカオスの隣を歩くトリニティは気合充分、テンションも上昇したままだ。 「あ、ねえねえリュカオス、栄養補給にお菓子持って来たのよ、ひとつどう?」 「……では、あとでいただこう」 「うん、欲しかったらいつでも言ってね! あとね、気懸かりなこととか、気持ちが揮わないこととかがあったら聞かせて。私、そういうのを解決するのが得意だから」 「……いや、今はそういうのはないな」 「あ、そうなんだ、じゃあね、ええとね……」 「トリニティ」 「えっ、何?」 「……あまり喋ると体力を消耗するぞ」 「あっ、そうね、うん。教えてくれてありがとう、嬉しい」 とはいえ、彼女のテンションが高い理由は、リュカオスに向ける眼差しや言動から見れば判るように、どうも別にあるようだったが。 「ふう……暑ー。まあでも、今回の目標は、泣き言を言わないこと、かしらねー」 首に巻いたタオルで汗を拭いつつ、照りつける日差しをちらりと見遣って言い、 「夏の農作業で暑いのは慣れてるつもりだけど、やっぱり砂漠は一味違うわね。砂漠って初めてなのよ、ホント、歩くだけで足腰が強くなりそう」 小まめに水分補給しなきゃ危険かも、と一人は水筒に口をつけた。 その横では、鍋を被ったままの幸次郎が――滴り落ちるくらい汗をかいているが、鍋を脱ぐ気はないようだ――、 「ん、このサボテン、メキシコで見た水分補給用のに似てるな……うん、いけるいける」 傍らに生えていたサボテンを出刃包丁で切り取り、そこからあふれた水分を啜ってにっこり笑っている。 「あら、素敵ねそれ。狩谷さん、砂漠慣れしてる感じかしら?」 「ああ、うん、あちこち旅をしていたものだから。汗は出るけど、暑いのも砂漠も好きだなあ。あ、これ、脇坂君もよければどうぞ?」 「ありがとう、試してみるわ。……ところで藤枝さん、貴方の持っているそれは何かしら……?」 切り分けてもらったサボテンを手ににっこり笑った一人が声をかけたのは、汗だくだがとても楽しそうな竜で、彼女は赤みがかった紫色の、ぬらぬらとした光沢のある――どうも、生き物の一部分を髣髴とさせる――皮のような質感の水筒に口をつけようとしているところだった。 「あ、これですか? 出発前、小さな街に立ち寄ったでしょう、そこで買ったんですよ。なんだかよく判らないんですけど、ジゴクウラミツラミトカゲっていう生き物の胃袋を使った水筒なんだそうです。たぶん砂漠の知恵ってやつですよね」 「ちょっと待って、よく判らないも何も、ものすごく危険な香りがするような気がするのは私だけかしら!?」 「えー? でも、現地の人がお勧めしてくれたんだし、大丈夫ですよきっと」 晴れやかかつ爽やかに言った竜が、わくわくを隠しもせず水筒に口をつけ、中身をラッパ飲みする。 途端、 「う……ッ!」 驚愕の表情とともに口元を押さえる竜。 それを見た一人が大慌てで彼女の元へ走り寄る。 「え、ちょ、藤枝さん大丈夫!? まさか、ど、毒とかそういう……」 「う……」 「しっかりして、すぐに薬をアンスランさんに、」 「うますぎですよ、これ……!」 「そうね、おいしいのならよかった……って、えええー!?」 別の意味で驚愕の表情をする一人、興奮気味に皮袋を掲げる竜。 「ただの水を入れてきたはずなのに、中身が、ほんのり甘くて冷たい、ゼリーみたいなのに変わってたんです。歯ごたえがちょっと独特でね、ええと、あの……ほら、刃物でカチ割るみたいな名前の……」 「ええっ何かしら、それ」 「あっそうそう、ナタデココでした。そんな感じのゼリーっぽいものになっていて、とても美味しかったです。買った甲斐がありました」 「うん、そうね、鉈でどこを割るのかしらってツッコミはともかく、何ごともなかったならよかったわ……!」 怒涛のボケ連打にツッコミクオリティを維持せざるを得ず、目尻の涙を拭いつつアルカイックスマイルを浮かべる一人である。 そんな一人の胸中を知ってか知らずか、竜は、抜き身の剣、トラベルギア『フレイムたん』を手に大手を振って走り出し、あっという間に前の方へと進んでいってしまった。 「若いって……いいわね……」 それをなすすべもなく見送り、遠い目とともに言ってサボテンに噛み付く一人の少し後方では、テオドールがルイスとともに周囲の警戒につとめている。 テオドールは、汗はかいているものの、本人の持つ雰囲気が平静であるためか、妙に涼しげに見える。 「しっかしまぁ……あっちぃなー。日差しも『これぞ砂漠!』って感じだし、日焼け止め持って来てよかったー」 滝のような汗を流しつつ、日焼け止めをペタペタ塗りながら歩くルイスとは対照的だ。 「しかし、テオドールは何かあんまり暑いって感じしねぇのな?」 「そうかな。……故郷では、隊商の護衛をして砂漠を渡ったこともあるから、多少は慣れているのかもしれない」 「ふーん」 「まあ、そうはいっても、極度の暑さは俺も辛い。物事には、慣れられることとどう頑張っても慣れないものというのは存在すると思う」 「はは、至言だな」 「しかし、そういうルイスも適応しているように見えるが」 「ん? そうかな? 砂漠に関する記憶はねぇんだけどな、なんでか、どういうとこでも快適に過ごせるように身体が順応するみてぇなんだよなー」 言いつつ、風の魔術を施して、皆が砂に足を取られないようにしてくれる。 砂が踏み締めやすくなって歩きやすくなり、疲れにくくなった……と喜ぶものが続出する中、 「これでは鍛錬にならん。却下」 リュカオスの鶴の一声で魔術が解除させられてしまったというのはまた別のお話。 そんな珍事を挟んで黙々と砂漠を歩くこと数時間。 容赦なく照りつける太陽、砂と石ころと岩、時折サボテンという代わり映えのしない景色の中で、生き物の姿を目にすることもないまま――何の変化もないまま歩く、というのは別の意味でも苦痛のようで、疲労感を滲ませるものが出始めた。 滝のような汗をかきながらもずっと無言のぬれ羽、仮にも一般人の一人、明らかに鍋が重たい幸次郎、日差しを避けようもないトリニティ辺りである。 ヌマブチはというと、やたら楽しそうなゲールハルトにぴったりくっついて、何かを狙っているらしく――それはまるで敵兵の様子を調査する斥候兵のようだった――、あまり疲労を感じているようではなかったが。 そんな中、時光もまた、真っ直ぐに前を向いてひたすら歩いていた。 顎を伝った汗が地面へ滴り落ち、あっという間に乾燥してゆく (……拙者は、もっともっと強くならねばならん。あの方との約束のため、これから守らねばならぬ方のため) 熱波に揺らぐ砂漠の向こうに、喪った人々の笑顔が浮かび上がる。 (強くならねば) 二度と逢えぬ人々との約束を果たすためには、まず剣の腕を上げなくてはならない。 時光がこの訓練に参加したのは、そういう理由からだった。 「はっはっはっ、このくらいの暑さでバテるとはまだまだでござるな」 疲労感を滲ませる人々を鼓舞すべく、声をかけた時光は、 「拙者? 拙者はサムライでござるから、これくらいの暑さは屁でも……」 言いかけたところで眩暈を起こして引っ繰り返り――見事に顔面から砂漠に突っ込んだ、というのが目撃者たちの証言である――、トリニティ、一人、幸次郎の三人を慌てふためかせるのだった。 3.激戦、群雄割拠の混雑バトル 「いやあ、面目ない。砂漠は初めてでござったゆえ、少し暑さを甘く見ていたようでござる。これでも暑いのは好きでござるのだがなあ」 大急ぎで岩陰に避難し、水分と塩分の補給を行ったところ、時光はすぐに回復し、訓練は再開された。 照れ臭そうに頬を掻きつつ歩を進める時光の傍らで、周囲を見遣ったリュカオスが静かに言い、 「……そろそろ、『牙と刃の舞踏場』と呼ばれる地帯に入る。獰猛な生き物と激しく争わねばならない区域ゆえにこの名がついたらしいから、気を引き締めて行け」 皆の表情を引き締めさせる。 「どんな生き物がいるんでしょうね? 異世界なんですから、珍しい生き物も多そうですし」 身体のあちこちから火を噴き上げながら竜が言うと、皆に日よけや団扇代わりに使われてご立腹だったベルゼが「そりゃおまえ」と声を上げた。 「砂漠でやべェ生き物っつったらトカゲじゃね? ヴォロスのトカゲってデッケェのかなー、ドラゴンみてぇにデケェなら面白ェのに。倒し甲斐があるって意味でなっ、キシシシッ!」 「それは拙者も思ったでござる。さらまんだー、という炎を吐くトカゲなど、砂漠には相応しいと思わぬか? 後は……そうでござるな、砂漠で行き倒れになって亡くなった人のぞんびや骸骨戦士なども出て来るかもしれぬな」 頷き、自分の想像を披露した後、ハッとなって、 「……いや、今のは聞かなかったことにして下され。拙者、幽霊の類は非常に苦手で……万が一出てきた場合、目にした途端即逃げするでござるから、承知しておいて欲しいでござる」 若干青褪めた顔でそんなことを言った。 「何、トッキーったら幽霊が怖いんだ? へー、面白ぇこと聞いちゃったなー」 何かを企む顔で楽しそうににやにや笑うルイス、そこに何かを感じ取ったのか「しまった」的な表情をする時光……訓練と言うよりは遠足っぽい空気が流れるが、それは彼らが暑さや足元の悪さに慣れて来たということでもある。 「……ゲールハルト殿」 その頃、ヌマブチは、『牙と刃の舞踏場』に足を踏み入れつつ、男なのに魔女ッ娘な壮年にようやく声をかけることに成功していた。 「む、ヌマブチ殿か。いかがされた」 小首を傾げるゲールハルトへ、重々しく頷いてみせる。 ところで、ヌマブチの参加理由は、自己鍛錬のため、である。 建前、表向きは。 ――本音は、ヴォロス大好き&魔法使いになりたい……だった。 要するに、彼は、最初から例のビーム狙いだったのである。 魔女ッ娘になってしまおうがなんだろうが、足元がスースーしようが男としての何かを試されようが、周囲で阿鼻叫喚の女装地獄が展開されようが、魔法が使えるのである。 そんなチャンスを逃すことが出来るだろうか、いやない。 ということで、先ほどから隙を見計らってはビームの話を持ち出し、目から例のアレを放ってもらいたいと虎視眈々と狙っていたのだが、残念ながらそれはまだ果たされてはいなかった。 しかし、危険地帯へ入り込んだことで、各メンバーが自然と互いを補い合うような立ち位置になり、幸運にもヌマブチの隣にゲールハルトが来たもので、千載一遇のチャンス、とばかりに声をかけたのだ。 「うむ、唐突だが、何でも噂によれば貴殿は特殊なビームを、」 言いかけた途端、地面が激しく震動した。 「うわあ巨大ザリガニだあああ!!」 ずごごごごごごご。 「魔法のビームについt」 「ひいい巨大トカゲが火を噴いたあああーッ!」 ごおおおおおおおおうううううう。 「魔女っk」 「巨大ガラガラ蛇の皆さんが社交ダンスを踊っておられるううううう!!」 「……手も足もないのに社交ダンスとはなかなかやるな」 結局例のビームの話を持ち出す前にガラガラ蛇たちの社交ダンスとやらに意識が移ってしまい、ヌマブチが振り向くと、すでに大型モンスターが何体も出現していて、なんだかエラいことになっていた。 一、業火をまとった深紅の巨大蜥蜴、サラマンダー。 二、二匹一組で行動する身の丈二メートル前後の蜥蜴、『ホコ』と『タテ』。 三、人間サイズの砂蟹十匹。 四、身体の組織が保水性の高い組織で出来ているしらたきワーム。 五、鳴き声が「オレマズイヨー」の巨大砂ザリガニ。 ざっと見ただけでこれだけのモンスターがひしめいているのだから、その騒々しさや圧迫感、そしてロストナンバーたちの突っ込みたい気持ちは推して知るべし。 ちなみに巨大ガラガラ蛇の皆さんは冷やかしだったらしく、一曲踊り終えたら帰って行かれたそうだ。 「なんだろ……このチャンポン感……」 戦闘態勢を取りつつルイスがぽつりと呟き、 「私としては多様すぎるヴォロスの生態に一言物申したいわー」 顔を引き攣らせた一人がアンニュイな溜め息をつく。 そんな中、何の躊躇いもなく飛び出していったのはぬれ羽だった。 「……」 彼は、強敵と戦えると聞いて参加したのだが、暑さというか熱さ及び痛さに食傷気味だった上、腹も減ってきていて、次に何か出てきたら、たとえぬとぬと粘液だらけの巨大ワームだろうが口から火を噴こうが血の色が蛍光ピンクだろうがなんでもいいから殺して食べよう、と思っていたのだ。 そこへ、巨大な鋏を振り上げた巨大なザリガニが見えて、なんだ幻かと思ったら本物で、しかも想像以上に不味そうだったので一瞬沈思黙考に入ったものの、もう蛋白質ならなんでもいいや……とナイフで切りかかったのである。 しかし彼は、慣れない暑さと足場に苦戦していた。 跳躍するにも、全力疾走するにも砂は彼を妨げる。 気温と日差しによって噴き出した汗が視界を阻む。 しばらく、果敢にもナイフ一本で攻めたぬれ羽だったが――ちなみに他面子は他のモンスターを相手取るのに忙しく、ザリガニの担当は彼ひとりだった――、思いのほか俊敏なそいつにイライラが募り、 「……」 それがピークに達した瞬間、ギアで目をぶち抜いていた。 ごおん、と音を立てて崩れ落ちるザリガニに、よし、と拳を握り、手足を落とし動けなくなったところをべきべき解体してゆく。 が。 「……!」 何とこのザリガニ、中身が麩のようにスカスカだった。 外殻の強化に力を入れすぎた結果なのかもしれない。 食う場所がない、と、そこで更にイラッとして、落ちていた目玉を八つ当たり気味に握り潰そうとしたのだが、本人も気づかぬまま疲労がピークに達していたようで、手に……身体に力が入らず、そのまま力尽きて引っ繰り返る。 あっという間に意識が遠くなった。 ――墨染 ぬれ羽、他面子の戦闘が終わるまで放置決定。 無論、その間にも、ロストナンバーたちとモンスターとの戦いは続いている。 「拙者、積極的に前へ出る所存! ベルゼどの、共闘をお願いしてもよろしいか!」 巨大なサラマンダーを前に、トラベルギア『風斬』、切れ味抜群の日本刀を手にした時光がそう呼ばわると、同じくトラベルギア【ヴォイドブラスター】を手にしたベルゼがキシシと笑った。 「仕方ねぇ、やってやろうじゃねぇか。まあ心配すんな、俺のギアで蜂の巣にしてやるさァ! 貫通効果をつけた散弾だ、巻き込まれねぇよーに気をつけな!」 「承知!」 応えるや否や、時光は地を蹴っている。 砂が地面を踏み締める力を殺してしまい、膝に多大な負担がかかるのが判るが、その程度で怯むような時光でもない。 「雪峰時光、推して参る!」 高らかな名乗りとともに、時光が大きな前脚を振り上げたサラマンダーの懐へ飛び込むと、振り下ろされようとした前脚を、ベルゼのトラベルギアが撃ち抜き、火蜥蜴に身の毛もよだつような叫び声を上げさせる。 前脚から紫色の血を流したサラマンダーが、憎悪に燃える目でふたりを睨み据え、口を大きく開いて火山の噴火を思わせる業火を吐いた。 それは速く、強烈な熱風を伴っていて、 「む……」 「ちッ」 さすがにこの脅威は無視できず、ふたりが回避しようとするより早く、彼らと炎の間に、何か大きなものが飛び込んで来、香ばしい匂いを立ち昇らせながらこんがり焼き上がる。当然、それが盾代わりになったお陰でふたりは毛一筋すら焼けてはいない。 「ふたりとも、大丈夫か」 駆け寄ってきたのはテオドール。 こんがり焼きあがったのは人間サイズの砂蟹で、どうやらこれを相手取っていたテオドールが、ふたりの危機を目にして、絶妙のタイミングでこの蟹をぶん投げたものであるらしい。 「ケッ、別に手助けなんか要らなかったけどな! ……まあでも礼のひとつくらいは言っといてやるよ、あ、ありがとなっ」 「かたじけない、助かったでござる。しかし、よい匂いでござるな、腹が減る」 「……ちょうどいい加工が出来てよかった、ということかな。あれはあとで回収するとして、ひとまず、あのサラマンダーを」 「言われるまでもねェや」 「では拙者は右から」 「なら、俺は左から行こう」 「つーことは、俺は空からだな。抜かんなよ、お前ら!」 「承知!」 「了解した」 頷き合うと同時に動いて、サラマンダーが狙いを定めきれずにいる間に時光がその懐へ飛び込む。テオドールは前足を足場代わりにその背中へ駆け上がった。 空へ舞い上がったベルゼが、貫通効果をつけた魔力の散弾をぶっ放すと、身体に穴を空けられ、紫色の体液を噴きこぼしながらサラマンダーが吼える。 「……覚悟!」 裂帛の気合とともに、頸部目がけて時光が刀を一閃させ、テオドールが短剣をサラマンダーの首筋へと叩き込む。それはほぼ同時で、前後から斬撃を喰らったサラマンダーの首が、ぐらぐらと揺れてからゆっくりと落ちてゆく。 ずううん、という震動があって、サラマンダーの巨体が、首が落ちるのと同時に地面へと倒れた。 「うしっ」 ベルゼが拳を握ってガッツポーズを取る。 時光とテオドールは笑みを交わしながら拳をぶつけ合った。 一方、幸次郎と一人、トリニティとリュカオスは苦戦を強いられていた。 「もう、なんなのこいつらー!?」 彼らの相手は、二匹一組で行動する大蜥蜴のホコとタテである。 ホコは俊敏で、何でも切り裂く鋭い牙をもち、タテは鈍いがどんな刃物も通じない甲羅を持つ、ペアで行動されると非常に危険で迷惑な連中だった。 一人がトラベルギアでホコを攻撃しようとすると、タテがその前に出てきて防御し、次の瞬間ホコが突進してくるのだ。リュカオスがつくりだした武器を投擲して牽制してくれなかったら、恐らく凶悪な牙に串刺しにされていただろう。 俊敏なホコが縦横無尽に辺りを駆け回り、思いもよらぬ位置から攻撃してくるため、彼らは多大な緊張のもとにあった。 「きゃー、リュカオス助けてー、きゃー!」 「待てトリニティ、そこでしがみ付かれると動けん……!」 悲鳴を上げて逃げ回るトリニティが隙あらば背中に隠れようとするため、リュカオスは別の意味での苦戦と緊張をさせられているようだったが。 「このままじゃ埒が明かないな……そうだ!」 言って、幸次郎が魔法瓶を取り出す。 別に、心頭滅却のためこの場でティータイムにしようと思ったわけではなく、これが彼のトラベルギアなのである。念のため。 「脇坂さん、ホコの足止めを頼んでいいかな」 「何か考えがあるのね? いいわ。――ポッケちゃん、お願い」 一人が頷き、フォックスフォームのセクタンとともにホコへと向かう。 ぐるると唸ったホコが牙を剥いて襲い掛かってくるのへ、セクタンが幻想の炎をぶつけて怯ませ、その隙を狙って、トラベルギア――剪定用の鉈である――で後ろ足の関節を斬りつけ、一瞬動きを止める。 「よし!」 ホコの動きが止まった途端、幸次郎がギアを作動させ、魔法瓶の中にホコを吸い込んだ。 「タテを倒すんだ!」 その掛け声とともに魔法瓶から解放されたホコは、一直線にタテのもとへ突っ込んでいき――牙がタテの甲羅に引っかかって身動きが取れなくなる。 ばたばたと足掻くホコの腹に、「タマとったりゃああぁー!」という幻聴が聞こえて来そうな勢いで出刃包丁を突き刺し、返す刃で頚動脈も切断、これで血抜きも完璧という仕事きっちりぶりでとどめを刺す。 「今……狩谷さんの背後に、頬に×印のあるガタイのいいおっさんの幻影が見えたわ……」 慄きつつも鉈を振り上げた一人が――絵的にはちょっとシュールだった――、甲羅からはみ出たタテの首に勢いよく一撃を入れて倒す。 ずずん、という鈍い音を立てて二体の蜥蜴が引っ繰り返ると、ようやく彼らは一息つくことができた。 「ふう」 「お疲れ、脇坂さん」 「狩谷さんもね」 「うん、いい運動になった。……ところでこのホコ、いい感じの肉質だよね」 「ああ、ええと……食材的な意味で?」 「もちろん。トカゲってアジアじゃちょっとしたご馳走だし。よし、じゃあこのいい感じに脂の乗ったバラの辺りをもらっていこう……あと、タテの甲羅の裏側はコラーゲンが取れそうだし、骨はいいダシが出そうだな……」 などと言いながら、幸次郎が二匹の蜥蜴を手際よく解体してゆく向こう側では、 「いやあ、さすが異世界ですよね~」 地中からぐばあと出現した巨大しらたきワームをフレイムたんでまっぷたつにした竜が、ひどくすっきりした表情でしらたき部分を拾い集め袋に詰め込んでいるところだった。 「あ、これラーメンの替え玉に出来そう。……きっとヘルシーですよね!」 ラーメンがもっと楽しみになってきました! と笑顔の竜。 その更に向こう側で、ルイスとヌマブチ、ゲールハルトが最後の砂蟹を倒したところで戦闘は終了となる。 気を失ってぶっ倒れているぬれ羽を回収し、倒したモンスターたちから使えそうな食材をありがたく押し頂いて――腐敗しないように、とゲールハルトが魔法で食材の時間を凍結させている間、ヌマブチが目を輝かせていたことを追記しておく――、 「さて、では先へ進むか。ここをもう少し行けば安全な日陰がある、そこで少し休憩しよう」 リュカオスが一行を促す。 やれやれ、などと言いつつ進み始めた一行の中で、 「なかなか大変な戦いだったけど、でも、アレが出なかっただけマシだよな」 「ルイス殿、アレとは?」 「トッキーったら知らねぇの? 生きた伝説と言われるサンドワーム『リバイアサン』。砂ン中を泳ぐ、超巨大砂虫なんだぜ。数十年に一度覚醒して、巨大な口ですべての生き物を呑み込んじまうんだ。もう、自然災害ってほどの脅威だから、逃げるしかねぇんだよな」 「ほう……それは確かに恐ろしい生き物でござるな。しかし、ルイス殿はよくそのような存在をご存知で」 「……なんてな」 「ん?」 「やだなあトッキーったら、信じたの? 出任せよ、口からで・ま・か・せっ」 「はあ。さようでござるか……?」 時光が呆気に取られた時、 ずごっ、ごご、ごごごごっごごおおおおおうううううんんんん…………! 不吉な音が周囲一体に響き渡った。 次の瞬間には、全員がよろめくほどの物凄い震動とともに、『牙と刃の舞踏場』をぱっくり割るような勢いで、全長二百メートルを超えようかという、灰色の、巨大かつ長大なモンスターが姿を現し、金属が軋むような気味の悪い咆哮を響かせる。 伝説の超巨大サンドワーム『リバイアサン』その人(?)である。 「え、ちょ、うっかり実在ー!?」 「ルイス殿ったら、口は災いの門でござるなああああああ!?」 驚愕の表情のルイス、思わず突っ込む時光。 さすがにこのサイズとなると手も足も出ず、総員速やかに撤退と相成ったのだった。 その際、モンスターの気をそらすため、と、言いだしっぺのルイスが生餌としてリバイアサンに進呈されかけたことを付け加えておく。 4.無茶振り連発、すごいぞ戦闘インストラクター そこから二時間後。 一行は、風に晒されて年経た枯れ木のような形状になった奇岩山を進み、オアシスを抜けるためにはどうしても通らざるを得ない断崖絶壁へとやってきていた。 「ここを通らないと、オアシスまで少なくとも二日はかかってしまうんだ。ということで、度胸試しの意味も込めて、皆にはここから跳んでもらう」 何でもない風情でさらっと言われた『ここ』であるが、 「あのー……すみません、ここから地上まで、どう軽く見積もっても三十メートルくらいあるように見えるんですが……」 恐る恐る崖の向こう側を見遣った一人が言うように、要するに正真正銘断崖絶壁なのである。 「心配は要らない、ちゃんとロープを用意してある」 言いつつ、しっかりと岩に結び付けられた一本のロープを指し示し、何がどう心配無用なのか判らないが、「ほらちゃんとフォローしてあるだろう」的な表情をするリュカオス、リュカオス素敵ーと声援を送るトリニティ。 そこへ、冷静極まりない表情のテオドールが声をかけ、 「待ってくださいリュカオス殿」 「あっ、さすがはアンスランさんね、やっぱり頼りになるわぁ」 一人に期待に満ちた表情をさせたが、 「ん、どうした」 「いえ、跳ぶこと自体に問題はないのですが、岬のように突出したところでないと岩壁に激突して危険なのでは?」 「待ってアンスランさん、激突する以前に危険だってことに気づいて……!」 「そうだな、テオドール殿の意見には一理ある」 「ヌマブチさんもそう思うか」 「ああ。さすがに何の訓練も受けていない者たちにそれは厳しいだろう、……縄は二本にすべきじゃないか」 「待ってヌマブチさん、縄が二本になってもまず跳ぶこと自体が危険なんだって気づいて……!」 結局、常識人がひとり疲労感を抱え込むという負け戦である。 「心配は要らない、この崖が岩壁に対して突き出していることは調査済みだ。この俺が岩壁に激突するなどと言う危険を強いるはずがない」 「なるほど、さすがはリュカオス殿。疑問に答えてくださってありがとうございます」 「それならば問題はなさそうだな、了解した」 「あああ、色々と問題だらけなのに何ごともないように事態が進展していくわ……!?」 その流れで一撃必殺級バンジーがなし崩しに決定し、そもそも自分で飛べるベルゼや、身体を使った訓練ならどんと来い、な竜、そもそも出身世界での日々のお陰でそういった事柄に恐怖感を覚えることのない面々が軽々と崖の向こう側へ降りてゆく中、 「度胸試しにしても、ハードル高すぎて下から潜ることすら怖い!」 顔を引き攣らせて叫ぶ、仮にも一般人、仮にも壱番世界人の一人である。 「跳ばなくても死なないけど跳んだら死ぬかも知れない! 砂漠の怪物に臆さなかったことでひとつ! ひとつ! よろしくお願い致しまああああぁす!」 完璧なまでに美しいラインを描いたスライディング土下座で内面を吐露する一人の傍らでは、 「いやあ、そんなバンジーなんて……って、あれ? あれ?」 気づけば縄を巻かれていた幸次郎が、 「では」 リュカオスの低い掛け声とともに、放物線を描いて放り投げられるところだった。 ――長く尾を引く悲鳴。 もちろん、それを聞いた一人が更に蒼白になったことは言うまでもない。 一人が跳んだか飛ばないかは、想像にお任せする。 「ああ……これが、戦闘インストラクターの率いるツアーに参加するってことなのね……」 断崖絶壁を越えた後も、リュカオスの無茶振りは衰えるところを知らなかった。 例えば、向こう岸まで五百メートルある砂河を泳いで渡る訓練。 要するに、サラサラの砂が普通の河のように流れているのだが、水ではなく砂であるから、その質量は相当のもので、足を踏み入れると立っていることすら困難なほどだ。 ちなみに砂河には巨大蟻地獄がいて、虎視眈々と獲物の体液を啜ろうと狙っている。 しかしリュカオスのオーダーは、『緊張感を上げるためにも両手に大きな石を持って渡れ』だった。 その河を必死で越えると――中には死相っぽいものが表れているメンバーもいたが、たぶん気のせいだ――、次は全長百メートルを超える特大バオバブ登りと、その天辺からバオバブ森の向こうへの綱渡りが待っていた。 この綱は、温厚な性質で、集団生活を営む程度には知能の高いアシバツムギグモという人間サイズの蜘蛛がつくった彼らの生活用の通路で、それ自体は頑丈で切れることはないし、綱と言うより網状に張り巡らされているため渡り難くもないのだが、なにせ地上百メートルである。 しかも足元は網なので下の風景が見えまくりである。 高いところは嫌いじゃないけど限度があるってもんでしょ、的な人々が腰を抜かしかけたのは仕方のないことだったし、結局身動きが出来なくなったメンバーが心優しい蜘蛛さんたちに森の向こう側まで送り届けてもらった、というのには、リュカオスにも目を瞑ってもらうしかあるまい。 ――と、いうような無茶振りが、ここから延々と、日が暮れるまで続くのである。 5.オアシス到着、憩いのひとときとらーめん作り 一行がオアシスに到着したのは次の日の午前十一時ごろだった。 昨日、砂漠というよりは岩山の麓で夜を明かすことになり、交替で火の番をした際、運悪くルイスとペアになってしまい、延々と怪談を聞かされて眠れなくなった時光以外は皆元気に到着することが出来た。 壱番世界の感覚でいえば、小学校の体育館くらいのサイズのある清らかな泉がふたつと、その周囲に生い茂った背の高い木々、木々がもたらす涼やかな影、水辺の草などによってかたちづくられたオアシスである。 この辺りはキャラバンの行き来もほとんどないようで、町などがつくられることもない代わりに、水は汚れておらず、また枯れ木などの物資も豊富だ。 「やあ、これは素敵な場所だね」 鍋を脱ぎ、荷物をおろしながら幸次郎が言い、テオドールや一人、ベルゼがそれに倣う中、 「やったー、一番乗りですよー!」 歓声を上げた竜が、オアシスの中央目がけてすっ飛んでいき、服のまま泉に飛び込んだ。 盛大な水音、水しぶき。 「ふふ、服の下に水着を着てきたんですよ! うーん、冷たくて気持ちいい!」 「おっ、いいねいいねー!」 竜の様子に目を輝かせたルイスが狼型へと変化し、同じくオアシスへと飛び込んでゆく。 それを見た一人が、夜になったら私もお肌のお手入れを……と胸中に呟く中、昨日、昨夜の疲労がまだ抜けていないらしい時光とぬれ羽が、具合のいい草が生え揃った木陰に陣取り、ごろりと寝転がる。 「ぬれ羽殿も昼寝でござるか? この木陰は心地よいでござるな、拙者、あっという間に眠気が……」 「……」 大きな欠伸をする時光、頷くと同時に自分も大欠伸をするぬれ羽。 同じく木陰に座り込んだベルゼは、俺ここで漫画読んでる、とすっかり休憩モードに入り、これで五人が脱落したが、人手も足りているし、と料理人たちからも目こぼしされた状態だった。 「さて、じゃあ……」 この中で唯一の本職である幸次郎が、背負った大きなリュックから特大の寸胴鍋をはじめ、まな板やお玉杓子など様々な調理器具を取り出すと、他の面々が持参した食材やこの道すがら集めてきた食材を草の上に並べ始める。 香辛料、調味料の類い、小麦粉や卵、砂漠では手に入れようもない野菜や海藻、魚介製品。そして、戦闘以外でも手に入れた、全長一メートルくらいの蜥蜴や鶏に似た野鳥、揚げて食べると美味という小型の蠍など。 「僕はスープと麺作りをしようかな」 「あ、じゃあ私も手伝うわ」 「ならば不肖ゲールハルト、具材作りを任せていただこう」 「……某もゲールハルト殿を手伝わせていただく」 「ふむ、スープと麺には熟練の技術が必要と聞いた。俺は料理が得意と言うわけでもないから、具材作りの手伝いをする程度が関の山だろう」 「じゃあ私、リュカオスを手伝うー!」 「そちらは人手が足りていそうなので、俺はこの蟹と乾燥雑穀を使って雑炊でも作ろうかと思うんだが、どうだろうか」 「あらっ、それは素敵ね、アンスランさん。とっても楽しみだわ、蟹雑炊!」 と、いうことで調理開始。 「まずはダシを取ろう。ホコの骨を……っと」 寸胴鍋に叩き割った骨を入れ、生姜や大蒜、葱、煮干や鰹節を放り込んで、オアシスから汲んで来た水を入れて火にかけると、アク取りを一人が申し出てくれたので、ありがたく任せ、幸次郎は麺作りに取り掛かる。 「ラーメンっていいよね、あんなに大衆的なのに、色んな味があって、色んな好みがあって、色んな研鑽があるから」 「そうねぇ、お店ごとのこだわりがあそこまでハッキリする食べ物もないわよね。狩谷さんはどんなラーメンが好きなの?」 「僕は味噌かな。野菜がたくさん入っていて、少し辛くて、スープが濃厚なやつが好きだなあ。脇坂さんは?」 「私は醤油ベースかしらね。叉焼は脂身が少なめのあっさりしたものが好きだわ」 「叉焼は人によって好みが分かれるよね。そうそう、醤油ベースって言ったら、『風来軒』ってラーメン屋さん、知ってる? あそこの醤油葱ラーメンは、スープが絶品で、一滴残らず飲み干したくなるほど美味しいんだよ」 「へえ……今度行ってみようかしら。場所、教えてもらえる?」 「もちろん」 和気藹々とラーメンの話題で盛り上がりながらも、幸次郎は持参したボウルに小麦粉、鶏卵、塩、梘水(かんすい)、水を加え、巧みに混ぜ合わせてひとつの塊にしてゆく。 「あら……お見事」 「ふふ、それはどうも」 沸騰し始めた鍋からアクを掬いつつ、一人が感嘆の声を上げる。 作業はとても順調である。 ――が。 「さて、では諸君、まずはちゃーしゅーなるものをつくらねばならんわけだが」 雄々しく腕まくりをして何故かピンク色のエプロンを身にまとったゲールハルトが重々しく口を開く。 「ものの本によると、ちゃーしゅーとは、まず獣の背肉や腿肉を塊のまま縛り上げ、醤油、酒、砂糖、生姜、大蒜、八角などという香辛料を配合した漬け汁に浸すそうなのだが」 「なるほど……それで?」 「その後、縛り上げた肉を吊るし、全員で祈りを捧げることでちゃーしゅーになるらしい」 具材班、とっても前途多難。 しかし残念なことに具材班にツッコミはいない。 「……では、まず漬け込み液を。この配合は調べてきてある、心配は要らない」 手先は器用で料理も得意というゲールハイトが――つまり足りていないのは正しい知識と常識という残念なラインナップである――、手際よく材料を合わせて煮立て、タレを作り上げる。 「あっ、この漬け込み液、いいお味ね。確かにこれでお肉に味付けしたら美味しくなるわよね」 味見をしたトリニティからお墨付きが出る中、 「よし……ならば、肉を縛ろう」 リュカオスがこれから儀式を執り行う神官のように重々しく言い、全長一メートルの蜥蜴にいきなり縄をかけた。なんとかしてリュカオスに喜んで欲しいトリニティも、不器用な手つきながら一生懸命彼の手伝いをして縄を巻いている。 「待たれよ、リュカオス殿、トリニティ殿」 「え、どうしたの?」 「何だ、ゲールハルト」 「……いや、せめて皮を処理した方がいいのでは」 「ああ、なるほど」 ツッコミになれない人たちが常識を豪快に破壊してゆく中、皮だけを剥かれた蜥蜴に縄がかけられ――見事なまでに亀甲縛りだったらしい――、タレに漬け込まれた後、木に吊るされる。 鶏に似た野鳥も、成人男性の手のひらサイズの蠍も同じ運命を辿った。 「では……仕上げと行くか」 「うむ、私も全身全霊で祈るとしよう」 「しかし、コレで本当にちゃーしゅーなるものが出来るのだろうか? 某、一抹の不安が……」 「ヌマブチ殿……心配は要らぬ。舌がとろけるようなちゃーしゅーが出来上がるに決まっているだろう」 「……そうか、まあ、ならいいのだが」 自信満々のゲールハルトに、現物を知らないヌマブチが丸め込まれるまで一分もかからない。 木に吊るされた、まだ生き物の形状をそのまま残したどこか恨めしげな肉塊から、ぽたぽたと血のりよろしくタレが滴り落ちる。 その下で、敬虔な信徒のように跪き、一心に祈る具材班の面々。 ――傍から見ると異様である。 そこへ作業を一通り終えた一人がやって来て、 「具材班の皆さん、叉焼作り巧く行ってるかしら……って、ヒィ、何この黒魔術会場!? 何、何を召喚しようって言うの……!?」 当然のように、思わず恐怖の悲鳴を上げた。 大慌てですっ飛んできた幸次郎によって方向性が修正されるまで十分。 大急ぎで用意された即席オーブンでこんがり焼かれた叉焼が、食欲をそそる匂いを立ち昇らせ始めるまで――何せ、タレの配合は完璧だったもので―― 一時間。 テオドールが見事な手つきで捌いた焼き蟹が、雑穀や葱、野菜くずなどとともにダシで煮込まれ、とろとろのたまごをかけられて風味豊かな雑炊へと変身してゆく頃には、太陽も少しずつ西へと傾き始めていた。 昼寝から目覚めた時光やぬれ羽が、漂ってくるいい匂いに空腹を覚え始め、水浴びを楽しみ、甲羅干しを満喫したのち再度オアシスに飛び込んで素潜り自己ベストに挑戦した竜がもっとストレートにラーメンを連呼し始める中、晩餐の支度は着々と進んでゆく。 その頃には、料理が得意ではない面々も、器の用意をしたり、飲料水を冷やしたり、御座を敷いて座る場所を整えたり……と手伝いに精を出し始めた。 (あああ、あれー、えーと、あれー?) そんな中、オアシスで遊んでいるうちに人間用の衣服がいつの間にかなくなっており、狼のまま晩餐とキャンプを続行するか裸で続行するかで真剣に悩むルイスの姿が目撃されたが、その結末に関してはまたのちほど。 6.賑やかな晩餐、プチ地獄も展開中 満天の星空の下、夕飯は午後七時から開始された。 大蜥蜴と野鳥肉の叉焼、タレにつけられて焼かれた蠍が載ったラーメン、醤油ベースのあっさり味。メンマと葱、もやしと煮玉子入り。替え玉にはあっさりしたしらたきワームを。 ホコのバラ肉をタレにつけて焼いた即席山賊焼き。 サラマンダーの皮のパリパリスパイス焼き、砂蟹の身をミソで和えたもの。 とろとろに炊かれた砂蟹の雑穀雑炊。 デザートは竜が獲って来た地中移動性の甘いサボテン。 机も椅子もなく、地面に御座を敷き、器を直接置いての食事だったが、細かいことを気にする面子はおらず、夕飯は賑やかかつ和やかに進められた。 「うーん、美味しー! 何せこのために来たようなものですからね! ラーメンもお肉も雑炊も最高です! 皆さん、この替え玉も試してみてくださいね、歯ごたえがよくて美味しいですから!」 大興奮の竜が、見事な食欲で料理に次々と箸を伸ばしてゆく。 一人はそれを微笑ましげに見つつ、 「皆との食事は楽しいわね。お皿とか足りている? 取ってほしいおかずがあったら言ってね? ……色んな世界の人、壱番世界では会わなかったかも知れない人と同じ物を食べて同じ物を見るって凄く不思議で、素敵ね」 甲斐甲斐しく皆の世話を焼き、自分もまた、見てくれはすごいが味は一級、という料理の数々に舌鼓を打っていた。 リュカオスの隣に当然のように陣取ったトリニティは、ラーメンに舌鼓を打ちつつ、今回の訓練についての感想などをメンバーたちと談笑しつつ、リュカオスのために肉を切り分けたり、替え玉を用意したり、飲み物を注いでやったりと世話に忙しい。 リュカオスは、トリニティがセオリーの「はい、あーん」までやっても素で受けただけで、まったく彼女の気持ちに気づいていないようだったが、あまりにもバレバレな態度に、周囲からは励ますような気の毒がるような視線が寄せられていた。 「ベルゼさんはラーメン食べないんですか? 林檎ばっかり食べて、もったいない」 「だって俺、肉食えねェし」 「えー、なんで? 蝙蝠って血を吸ったりお肉を食べたりするもんだと思ってました」 「俺は吸血蝙蝠じゃねェえ! 俺はフルーツバットなんだよ、意外とか言うな意外とか……むぐッ!?」 「まあそう言わずに食べてみてくださいよ、ほら、この山賊焼きとか、ジューシィで最高でしょう?」 「おま、ちょ、無理やり突っ込むな……むぐぐー!」 悪気皆無の竜に、笑顔でスペアリブを突っ込まれ、ベルゼが目を白黒させる傍らでは、彼に林檎を分けてもらったぬれ羽が、それを大事そうに隣に置きつつ、ずずずと音を立ててラーメンを啜っている。 まったく喋らない彼だが、目元が少し和んでいることからも、この晩餐を喜んでいるのは確かなようだ。 そんな、賑やかかつ和気藹々とした中、 「嗚呼、これも砂漠の見せる幻でござろうか……そうに違いない……」 心ここにあらずと言った風情の時光、 「いやあ、これは素晴らしいものですな! 某、このように愉快な気持ちになったのは初めてであります!」 喜色満面、テンション最高潮のヌマブチ、 「これはつまり、不測の事態に対応するための鍛錬ということか。……そうだな、皆、ともにこの試練を突破して、新たな自分を見出そう」 びっくりするほど晴れやかに突き抜けた表情で給仕に精を出すテオドール、 「皆さァん、何か不足がありましたらこの魔女ッ娘メイド・ルシーダちゃんにお申し付けくださいねェん。……あれ、なんかルシーダって名前、どっかで聞いたことがあるような……?」 胸中に血涙を流しつつも廃テンションでお送りするルイス。 「いやー、このラーメン、見ただけだとちょっと『ええッ』て思うけど、食べてみると本当に美味しいね。ここで、料理人として、狩谷幸次郎って言う人間として、皆と一緒に食事が出来るってことに喜びを感じるなあ。……エエッマジョッコナンテボクシラナイヨ、ナンノコトカナア?」 料理に舌鼓を打ちつつ、若干現実逃避気味の幸次郎。 ――などを見れば判るように、上記の面子は魔女に変身済みである。 裾に可憐なレースとフリルを使用した、ゴージャスかつ可憐な、膝上十センチ二十センチが基本のゴスロリワンピース姿の殿方が鎮座する様は異様というか涙なしには語れないというか、とにかくすごいインパクトなのだが、これには理由があった。 「ルイス殿、それもこれも、貴殿が……」 「まあまあそうカリカリされるな、時光殿。何せ魔法が使えるのでありますぞ。そのように些細なことを気にしても致し方あるまい」 「いや、それを些細と言っていいのでござろうか……」 という会話を聞けば察せられるかもしれないが、先刻、衣服をなくしてオロオロしていたルイスの元へゲールハルトがやってきて、何故か「衣装を紛失するほど水練に精を出したとは素晴らしい」と若干(彼の脳内で)歪曲された事実にいたく感激し、その際気持ちが昂ぶったようで目から例のアレをぶっ放したのだ。 その軌道上に、運の悪い――いや、一部には幸運だっただろうが――上記面子がおり、見事に巻き込まれた、という次第なのだった。 狂喜乱舞したヌマブチが、使える魔法を一から十まで試し、まさに大きいお友達状態であったことも報告しておく。 そして当然ながらゲールハルトも魔女姿である。 残念ながら似合ってしまっている面々はさておき、筋骨逞しい壮年のおっさんがするにはハードルの高すぎる格好だが、無論、ゲールハルト当人には普通のことなので、まったく気にはしていない。 むしろ魔女化した面々の美しさなどを誉めそやし、ダメージを増加させている体たらくである。 そんなゲールハルトを見遣って、 「ゲールハルトさん、正直もったいないわあ……」 せっかくダンディなのに何故魔女化、と思わず突っ込む一人だった。 とはいえ、美味な料理となんやかやで気心の知れた仲間たちとの食事であるから、時折盛大な溜め息を吐き出しつつ、箸はどんどん伸ばされ、皿はあっという間に空になってゆくのだった。 同じく、夜もまた、ゆっくりと更けてゆく。 7.砂漠の夜、星の下で 夜更け。 明日になればターミナルへ帰還する、砂漠最後の夜である。 疲れ果てた人々が寝息を立てる中、 「……ああ、美しいな」 テオドールは満天の星空と、半分の月を見上げながら水辺を散歩していた。 静謐で清らかな夜だ。 元の世界で仲間たちと過ごした楽しい夜を連想し懐かしみながら、慈しむように水辺を進んでいたテオドールは、泉の縁に佇んで空を見上げている竜を見つけ、首を傾げた。 「竜?」 声をかけると、月明かりに照らされていた少女は、ゆっくりとテオドールを見遣り、にこっと笑った。 「溜め息が出るくらい、綺麗な月だなって、見惚れてました」 「ああ。……邪魔をしたかな」 「いえ。ひとりで見るのはもったいない気がしていたので」 竜の言葉に笑ってから、足元に落ちていた褐色の石を拾い上げる。 「それは? へえ、薔薇のかたちをしてるんですね」 「そう、その名も“砂漠の薔薇”。でも……自然のかたちなんだそうだよ。ああ、ほら、そこにも」 「本当だ。これ、お土産にしようかな」 「俺も、同じことを考えたんだ」 「それは奇遇ですね」 言い合って、くすくす笑う。 と、木の傍らで人影が動き、目を凝らすとそれが、起き出してきたぬれ羽だとおうことが判った。 どこか茫洋とした表情で月を見上げた彼が、何かを思い立ったように周辺を探る手つきに、 (あれは、武器を探す手だ) 何故か確信し、同じことに気づいていたらしい竜とともに彼の傍へ歩み寄る。 「どうした、ぬれ羽」 声をかけると、少年はハッとしたような――したくないことをさせられていた子どもが、ようやくそれをやめていいと言われたような――どこか脆い表情を見せて、探り当てたナイフをサッと仕舞い込んだ。 (殺せと言われていない) 唇が、音のないまま言葉を紡ぐ。 その無音の中に、本当は殺したくない、という叫びを聞いた気がして、 「……ぬれ羽さん?」 ふたりが首を傾げる中、少年はそれ以上何も応えず、ごろりと身を横たえ、すぐに寝息を立て始めた。テオドールは、竜と顔を見合わせた後、小さく頷きあってその場を離れる。 数多の異世界があり、数多の民がいて、数多の事情がある、そういうことなのだろうと思いつつも、この、恐らく自分と――他のロストナンバーたちと同じく様々な過去や痛みを抱えてきたであろう少年が、ロストナンバーになったことで光や救いを見い出せればいい、などと祈る。 そんな風に、静かに――様々な事情と思惑を孕んで更けて行くヴォロスの夜であり、少しずつ終わりに近づく砂漠訓練ツアーだった。 ――ちなみに、魔女ッ娘化してしまった憂さを晴らすために狼型で遠吠えしまくったルイスが、喧嘩を売られたと勘違いしたオアシス周辺の動物に襲われ、ずたぼろの姿で朝を迎えていた、というのはまた別のお話である。
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