世界司書アインが、ロストナンバー達を前に預言書ではなく報告書を繰りながら語りかける。「ヴォロスのアルヴァクで、気になる情報が入りました――世界樹旅団の一部が未だ彼の地にいる事は既に確定事項ですが、かなり内部に食い込んでいるようです。現地の王が、不審を覚えない程に」 それだけならば、既に密やかに語られている内容となんら変わらなかった。「更に、ナレンシフが確認されました。稼働可能な、です」 それはある重要な事実を示唆していた。 かつてナレンシフは世界樹の活動が停止するのと時を同じくして停止したはずだった。 ヴォロスに存在していたからといってその法則から抜け出せるとは思えない。「竜刻を組み込んで稼働可能にしたのか、或いは」 世界樹が彼の地において根付いてその力を発揮しはじめたのか。「そのいずれであるにせよ、友好的とは言いがたい勢力が世界間の移動すらも可能とする手段を有していることは、重く見るべきだと判断します」 これは、館長とも検討した結果ですが、と前置きして彼らに視線を向けてきた。「先般のように穏やかでない目的で、直接シュラクの地へ降り立つ事は危険もあろうかと想います。或いは、敢えて見過ごされていただけなのかもしれません。まずはアルスラの地にいる岐阜さつきやランガナーヤキと連絡をとり、可能な限り、情勢や、世界樹の在り処の可能性を探ってきていただきたいのです」 よろしくお願いします、と獣人の司書は頭をさげてそういうと、一行へとチケットを手渡してきた。‡「ごめんなさい、侍祭さんに呼ばれてるんです! そうだ、よろしければ一緒にお願いしてもいいですか?」 アルスラを訪れた世界図書館のロストナンバー一行を出迎えた岐阜さつきが、開口一番にそう問いかけてくる。 是、と頷く以外に無い勢いで問いかけてきたさつきは、ロストナンバー達の首肯を確認すると、そのままぱたぱたと司令区から駆け出していった。 ――尋常ではない慌てぶりだった。 遙か遠くの砂地で砂嵐が吹き荒れ、北の方には雪を降らせそうなほどの重たい雨雲が空に浮かぶ。 かつてロストナンバー達が訪れた時には一面に澄み渡った晴れ間が広がっていた地とは思えない、不安定な気象に包まれるアルスラの地。 さつきに連れられた一行は、そんな荒れ模様の空の下、アルスラの中心部にある岩城へと歩みを進めていく。 その最中さつきがロストナンバー一行に説明した、お呼び出しの理由。 それは、シュラク公国による、本格的且つ大規模な侵攻が、ついに砂漠都市国家群の中核たるアルスラに迫っているというものだった。‡「来たか――」 部屋に立ち入ったサツキとロストナンバー達を迎えたのは、アルスラの実質上のトップ集団であるイル=サルハーン達が五人。 うちの一人は、先だって図書館側が訪問した際に応じた男だった。その彼が、眉をひそめて、問いかけてくる。「呼んでないもの達がいるようだが?」「この方達とても頼りになります! 使者さんの話が本当なら、一緒にお話を聞いていただくほうがいいです!」 イル=サルハーン――竜に侍る者、と名乗る複数人からなる集団は、一種の政治エリートとしてこの都市に君臨する。 同時にこの地を含む都市国家群の代表たる者達であり、犬猫の移住や水の供給等のやり取りを行う役目を担っていた――押し付けられたともいう――サツキと彼らは何度かやりとりがあるのだろう。 気位の高そうな『侍祭』の面々とサツキは今一つ友好的とは言いがたい雰囲気だったが、さつき達は安定した居住地を求める心から、侍祭達は犬猫達の有用性から、互いに確たる断絶には至っていないというところが実情なのだろう。「くだらんやりとりを重ねている暇はないのではないかね」 不意に、両者の間に割って入る声がした。 声の主は、擬神の腕に抱かれたランガナーヤキ。 この都市内部に拠点を構える彼もまた、同じ内容で呼ばれていたのだろう。 入り口付近に立ったままだったさつきやロストナンバー達の横をさっさと通りぬけ、空いている席の一つに腰を下ろした。「要件を聞こう。これでも私は忙しい」 人を模した人形の腕に抱かれながら、一同を睥睨するランガナーヤキ。 その視線を受けて、侍祭はさつき達にも空いた席へ座るよう促してきた。「助力を要請したい」「そのつもりがなければわざわざ来るか、馬鹿が」 重々しく放たれた侍祭の言葉は、ランガナーヤキによって一言のもとに切って捨てられる。「私が聞きたいのは、状況と今後のお前たちの対応方針だ」「無礼な!」 侍祭の中で最も年若い者が激高の声をあげるも、年嵩の者に諌められ、席につく。「ならば結構。これより状況を説明する。――貴殿らが、この都市に根付いた住人となるならば、この地を侵略するものに対し、共に対抗してほしいのだ」「ぼくは……」「それで?」 何事か言おうとしたさつきの声を、ランガナーヤキが遮って問う。「現状、都市国家群としてのアルスラの防衛戦は壊滅した。民衆の蜂起によって国王が処刑されたアルミラはその後攻め寄せたシュラク公国に抵抗する術を持たぬまま、降伏開城。これによって、協力関係を築いていたスレイマン王国との連絡線に楔を打たれた形となった。更にシュラク軍の総大将オルドルは首都と前線を行き来しながら、我々が構築した防衛戦を同時に突破している」 同時……思わず呟いたロストナンバーの言葉に、侍祭の一人が苦々しげに頷く。「いずれか一国が襲われたら周辺国家がこれに駆けつける。同時に複数の城が襲われれば、第二線の国家がこれを援助する――小国家群たる我々がこの戦乱の中で生み出した平穏の為の策だったのだがな。あっさりと崩壊させられた。第一線をすりぬけた軍勢が第二線にある国家を直接攻略、その間に第一線にあった国家の内いくつかの国は調略によってシュラク側に降る始末だ」 壱番世界の現代においては無意味とされる要塞群による防衛――かつての独仏戦におけるマジノ線等のように、永久築城による要塞は有機的なラインの一部を崩壊させる、浸透戦術により迂回される等の方策がとられることで攻略されたが、この文明レベルにおけるこの地域においては有用な仕組みだったのだろう。 基本的に兵站、あるいは師団編成の概念を持たない中世の軍隊において、資材及び食料は現地調達が基本であること、長距離間の通信の運用に難があることなどから、相手の支配域の奥深くに分け入って橋頭堡を築く事はあれど、本格的な侵攻においては前線基地から叩いていくのが常だった。「見事な戦闘計画の功というべきだろうな」 電撃戦、浸透戦術、諜報戦、兵站――それらの考えを応用・複合したものの結果と言える戦況の説明をひと通り聞き終えたところで、ランガナーヤキが嘆息し、呟く。 まだ見ぬ相手の主将に敬意をはらうかのようなその言葉は苛立つ若手の侍祭を更に煽る結果となったが、最年長の侍祭はうなずきを返してくる。「ついては我々は東部国家群の援軍を率い、アルスラ西方の砂丘地帯――といっても多少の緑はあるが、その地で会戦を挑む事とした。予てより軍の編成はしていたが、予想以上にシュラクの侵攻が早く、対応が後手に回っているのが正直なところといえるだろう」「それで援助を、と?」「兵力が足りんのだ――貴殿らには、なんと言ったか、様々な兵器を所有しておられよう」「アヴァターラ」「そう、それを筆頭に、様々な兵器を有しておると聞く。運用に関しては我々より貴殿らの方が得意であろうからこそ、こうして頭を下げているのだ」 どこが下げているのやら、と思う者もいたが、彼らにしてみればこうして丁寧に状況説明をして助力を求めるというだけでも大事なのだろう。「ぼくは、この地が攻めて来られるというのなら、協力したいと想います。この地に住もうとしている犬達は、きっと皆そう!」 それはおそらく、叢雲によって侵攻された竜星を思い出したがゆえのものだろう。 その意志は硬そうで、侵略者を排除するという意思、安住の地にしたいと考えていたこの地を守りたいという意思が強く声音に表れていた。「私も協力するにはやぶさかではないのだがね――そこの面々のお仲間に、武器を売るなと強要されてしまっているのでは、協力もしづらい。下手に売ると怪力の小娘に縊り殺されかねん。だがしかし商品を提供する以上、代価をもらえぬとあっては商人としての沽券に関わる」「言い値で支払う心づもりはある」 売り手市場とみたランガナーヤキに対し、全面降伏の意思を示す侍祭。 その様子に満足そうな笑みを浮かべ、ランガナーヤキは気がついたら事態に巻き込まれてしまったという態のロストナンバー達を顧みた。「それで……どうやら殆ど無理やり連れて来られたようだがね。君達はどうする? ああ後、私は武器を売ってもいいのかね? あの小娘に殺されるのは御免だから、君達の意思に従う事にするよ」 それはどちらかというと、蝙蝠を決め込むよ、という意味じゃないのかと思わずロストナンバー達が思ってしまっても、無理のない言葉だった。!注意!企画シナリオ『【竜世の黄昏】醒めた温室』参加予定の方は、このシナリオへのエントリーをご遠慮下さい。同企画シナリオへの参加をしないことにした場合はこちらにご参加いただいても構いません。
「……正直俺ァテメェらの国は滅びても良いと思ってる」 席上、侍祭らの話に飽々したという風情を隠すことなく言い放ったのは、ジャック=ハート。 彼は苦々しさすらも見せず、それが当然とでもいうかのごとき表情で、後を続けた。 「人にも物にも国にも概念にすら寿命がある。秘祭失敗して水を絶たれたなンて当の昔に噂になってンだヨ。アルスラッてェ国は今が死に時だ。そしてシュラクは今が盛り……交代の時って事だろ」 降伏勧告とでもいうべき言葉に、居並ぶ侍祭達の表情が厳しいものとなっていく。 すわ内通者かという目線で見る者もいる中、背を深く椅子に預けている体勢でねめつけていたジャックが、身を起こしカカッと嗤った。 「ッてもテメェらは納得しねェヨナ? どうやら俺らんとこの死の魔女もおトモダチ増やす気満々だしナ。俺はアルスラの人間もシュラクの人間もなるべく殺したくねェ……それはヨ、これがこの世界の中の闘争だからだ。マァ、せめて1日はシュラクがアルスラの地を踏まねェよう協力してやる」 ――その間にテメェらも進退決めろや。 最後の言葉は、侍祭達の心に直接たたきつけられた。 自身の異能を見せつけ、侍祭達の及び腰を更に砕こうという意思の現れなのだろう。 「あら、ご指名ですかしら?」 青白い肌に紅い瞳。色味の悪い蝋人形のような少女がうっそりとほほ笑み、ジャックの後を引き取るように侍祭達へと視線を向ける。 向けられた者らはといえば、目をそらすか、嫌悪感を隠さず睨み返してくる者ばかり。 神と謳われるモノに仕える者にとって、死臭の禍々しさが色濃く漂う死の魔女の容貌は生理的に受け付けないのだろう。 「私、協力自体は構いませんわ。只、私の行う事に一切の口出しは許しません。宜しいですわね」 哂いながら、魔女は言う。 彼女にとって世界情勢だなんだという事は一切興味が無いらしい。傍目に見ても、それは明らかだった。 彼女の行動の記録を遡れば、その狙いはジャックの言うように、容易に推察できる。 戦場。普く生命体が死者となりゆく場所。 無数の燦めくダイヤモンドが一山幾らで叩き売りされる場所。 "お友達"が欲しくて欲しくてたまらない、そんな彼女にとって、そこはそれ以上ない魅力の情景である。 死が、死を招く場所。 それほどに彼女に相応しい場所が他にあるだろうか。 「病院、墓地、カタコンベ――それらからありったけの死体を用意して欲しいのですわ。状態は問いません――ランガナーヤキさんには、死体の数と同じ位の武器が欲しいですわねぇ。人間を殺すことが出来るものなら何でも良いのですわ」 死の魔女の言葉を邪魔したのは、桃色の髪を持つ人造人形、ジューン。 「……本件を特記事項Ω軍属、サイドA11反乱分子からの拠点防衛に該当すると認定。リミッターオフ、反乱分子に対する殺傷コード解除、事件解決優先コードB1及びB6、保安部提出記録収集開始。旅団と図書館が融和した以上、旅団反乱分子のみを敵とし殲滅します」 彼女の思考が弾きだした結論は、犬猫への不戦の要請。そして敵の中核――旅団主流派と決別していると見られる「反乱分子」の排除であった。 「そしてランガナーヤキ様、武器の販売は容認できません。シュラクとアルスラの戦闘はシュラクとアルスラの現有戦力のみで行われるべきです。玄武に搭乗しての一時退去を推奨します」 人は守られねばならない。しかし、これから行われるであろう戦闘の主体たる両者、アルスラもシュラクも、惑星を代表する主権国家ではない。 である以上、シュラクの邪魔をする事は、主権国家成立を阻む愚挙かもしれず、もしそうなった場合、連盟法では星系内の主権成立を阻むのは最大の同盟違反にあたる事項である。連盟法など関係ない地であるといってしまえばその通りだが、それは彼女の中にある規律であった。 彼女にとって、それは避けるべき事象だった。 であるならば、ジューンはシュラクも敵に出来ない。 しかし、他者の意思についてまで規制することはできない。 「私は戦いに出ますよ。そういう生き方しか知らないのです、この身体と魂は。ただ、この数相手に一匹狼を決め込むつもりはありません。さすがに無茶です」 ライベ・ラピリト・スズシラの不思議な物言いに少しだけ違和感を覚えるが、しかしその内容にリーリスはうっそりと微笑んだ。 彼らには悪いが、自分には自分の思いがあると、そういうかのように。 「リーリス、猫ちゃんが軍備を売るのは反対。でも猫ちゃん自身が自主的に戦争に参加するのは止めないよ。ただどっちでも撫子お姉ちゃんにクイッってされると思うけど」 そう言い、リーリスは犬猫の代表二人を見て言葉を続けた。 「商人なら機を見て退いた方が得策じゃない? 猫ちゃんの才覚なら誰とでも良い商売できるもん。わざわざ次の支配者の覚えを悪くする必要ないと思うな」 それに、と言って少女は侍祭達へと向き直る。 「この街はとっくに約定を破って竜の加護を喪ってると思うな。だから海龍騎みたいなのが攻めてくるの。スレイマンを襲った海龍騎の狙いはここだったはずだよ? 前のはリーリス達が退治したけど、どうせ同じのが何度も来るのよ? さっさとシュラクに降伏して良い条件で逃げた方が良いと思うな」 それはやはり撤退勧告。海竜騎と呼ばれるモノが本当にここを狙っていたのかは定かではない。だが脅威としてかさに着ることは十分可能だと判断してのものである。 「ねぇ、貴方達もそう思わない? リーリスが見てきた景色、見せてあげるからよく考えたら?」 その言葉のとおり、魔術師の卵のふりをしたままに、つい先日のスレイマン王国襲撃の元凶の姿を居並ぶ侍祭や犬猫達に見せるリーリス。 侍祭達に見せる分には、恐怖心を煽るかの如く肥大化させた禍々しさを添えることを忘れない。 リーリスの内に秘められた汚穢がゆっくりと侍祭達の精神を染め上げていく。 ほら、逃げなさい――そう誘いかける吸精の民の囁きが、ゆっくりと侍祭達の心を汚染していった。 大半の侍祭らはそれに抗う術を持たず、茫洋とした表情を浮かべ、思考もまた、ゆるやかなものとなっていく。 怯えろ、逃げろ、心折れよ。 リーリスの声が、彼らの心に繰り返し木霊し、それは確実に効果を及ぼしているかのように見えた。 そんな彼らの様子を満足気に眺めた後、リーリスはライベと死の魔女へ向き直る。 「リーリスは二人に協力してもいいよ。でもシュラクの幹部は殺すのは無しにしてほしいな。だって、この人達より、あっちの方がいい国をつくってくれそうだもん」 無邪気な笑みを浮かべる魔術師の卵の言葉に、死の魔女とライベが顔を見合わせる。 「保証はできかねますわ」 「ですがまぁ、可能な限りには」 二人の言葉に、リーリスは三度笑みを浮かべるのだった。 ‡ 「ランガナーヤキ、さつき……ちょっとこっち来い。海龍騎が狙ったのはテメェらの機械だ。ヴォロスに異物認定されたンだよ、その技術レベルがヨ。今回……いや暫く表立つのは控えとけ。シュラクにちょっかいかける旅団を蹴散らして、慧竜にテメェら認めさせるまでヨ。お前らにも手を貸して貰うが……入植を認めたのは図書館だしナ」 侍祭らがリーリスの精神汚染にさらされる中、ジャックが犬猫の二人を呼び寄せ、そう告げる。 「でも、ぼくは戦いたいんです! この地を――ぼく達の、新しい地を守りたいんです! ぼく達も頑張ってこの土地に溶け込んで、それで、ランガナーヤキさん達のようにこの地に根付きたい……そうじゃないと、『かみさま』にもきっと会えません」 こう、と決め込んださつきが、度重なるジャック、リーリス、ジューンの勧告にも応じようとせず――否、応じたい怯心を必死に抑え、健気に首を横に振る。 だが、その仕草は力ない。 彼女の中にある絶対の存在、「かみさま」。それがいなくなり、世界から放逐された。 そんな彼女が――いや、彼女たちが、一時は「かみさま」と思っていた者らに導かれ降り立ったこの地。 きっとここが約束の地に違いない。 伝え聞く「かみさま」と同じ――擬神により伝えられた、その姿と同じ人々がこれだけいる世界。 もしかしたら、「かみさま」もぼく達とおなじようにこの世界に逃げてきているのかも……ううん、きっと。 そしてこの地に住まう人々を創造したのではないかしら。 そんな思いが、彼女が、彼女らが、この地から退去するということを、躊躇させる。 竜星から降り立ち、この地への入植を試みたのも、ひとえに「かみさま」を探したいからだったのだ。 それなのに、今、かつて世界樹旅団とかいう人達に住んでいた場所を壊されそうになったとき、救ってくれた人達はこの場を放棄せよという。 どうしたらよいか、さつきには判断がつかない、というのが正直なところだった。 「ぼくは、どうしたらいいんでしょう………」 「さつき様、犬族がロストナンバーである限り、もう一族が増える事はないのです。貴方は独断で犬族を滅ぼすおつもりですか。竜星のポチ夫様にご判断を求めてはいかがでしょう。私は同じく現状において退去を推奨します」 目前で迷いを見せる獣人の娘をあやすかのような口調で、ジューンが提案を持ちかけてきた。 「ポチ夫様に……そう、ですね。一度、玄武に戻って通信してみたいと想います」 それがいい、と言うジャックとジューン。 そんな彼らを見ながら、ランガナーヤキがふん、と鼻を鳴らしてみせた。 「結局君達も一枚岩ではないということでいいのだな? ならば私は好きにするぞ」 「私は、武器は売ってもいいと思いますよ。敵に手加減をする理由がわかりません」 ランガナーヤキに同調するように己の意思を表明したライベ。 死の魔女も、頷いて見せる。 「そうですわ。協力していただかないと、私のお友達が、シュラクの兵隊さん達と戦えませんもの」 「おまえらナァ……」 二人の言い分に、ジャックが苦笑とも諦めとも付かない笑みを浮かべる。 「非合理です。撤退するにあたって現有戦力を二分する事は、攻勢防御としても最善の作戦とは申し上げかねます」 「そも――誰が撤退すると決めたのかね?」 不意に、重々しい声が響いた。 壁が開き、数人の付き添いに伴われた老爺の、見かけに伴わぬ張りのある声。 それが、茫洋としているかに見えた侍祭らを一瞬で蘇らせていく。 リーリスの精神汚染の影響は未だにあるようだが、それを上回る恐怖が彼らを支配しているかのようだった。 その鬼気を発する男の皺は深く、豊かな髭を蓄えている。 侍祭らの中で、年も格も圧倒的に上であると、容易に悟ることのできる男だった。 「ここは要石じゃ――我々がここに国を創ったのは支配の為ではない、守護のため。臆病風に吹かれるものはそれで結構。だがそれで退くような輩に侍祭は務まりはせぬ」 そこで言葉を切り、老人が一同を睥睨してみせる。 数人の侍祭が視線を彷徨わせ、俯いた。 「むー」 嬉々として精神を汚染し、会戦から撤退へと追い込もうとしていたリーリスが、不満の表情を浮かべる。その有様は、まるで玩具を取り上げられた幼子のそれのよう。 だが老人は一切気にする様子を見せず、一同に視線を投げかけてきた。 「客人ら、ご忠告については感謝する。貴殿らの意見、最もな部分も多々あろう。それでも譲れぬことはある――我々は、ここを犯されることのなきよう死守するのみ」 其処まで言うと言葉を切り、同胞らに視線を向けた。 「何をしておる――議の場はとうに尽きた。後は各々の為すべきことをなすのみぞ」 沈黙のまま、老爺に対し辞儀を行う侍祭ら。 その光景に、チッとジャックが舌打ち一つ。 リーリスは「つまんなーい。リーリス今度は兵隊さんたちと遊んでこよっと」と言い残し、部屋の外へと歩き出していく。 「私は前線へ兵らとともに赴きましょう――貴女は?」 「私? 私は先ほど申し上げたとおりですわ。お友達を起こしてさし上げて、そしてお友達を一杯つくらせていただきますわ」 ライベの言葉に、死の魔女はうっそりと笑うと侍祭の一人を捕まえ、死者達の眠る地を――半ば無理やりに――聞き出し、姿を消した。 次に見えるのは戦場であろう、そう判断したライベも部屋を出て、兵士たちのいる場所へと向かっていく。 岐阜さつきはポチ夫との通信を行うべく玄武へと戻るとのみを言い残し、部屋を出た。後に続いたランガナーヤキはランガナーヤキで、何か思惑を巡らしている様子。 ジューンはそんな人々の様子を見て、しばし考え込んでいた。 「世界樹を竜刻に植え付けた噂が本当なら、旅団の狙いは城地下の巨大竜刻でしょう。そこに向かい竜刻装置の調査と死守を行います。私の敵は旅団反乱分子です。邪魔はさせません」 「そうかヨ。ならそっちは任せたゼ。俺は城門で待機だ。最後の壁ってのもガラじゃねェけどナ」 互いの持分を決め、二人もまた議場を後にする。 残った侍祭達も彼らの動きを受け、自身らの、そして兵達の動きについて話し合いを再開していく。 開戦までの時間は、残り僅かしかなかった。 ‡ アルスラ西方――おおよそ二日の行軍で到達できる丘陵地帯にシュラク軍が着陣したのはその翌日の事だった。 先行していたアルスラ軍は、地の利を活かすことのできる丘陵部を複数抑え、それぞれに陣地を構築、守備隊形をとっている。 それでも、状況がシュラク軍側に有利であることは、誰もが疑いようのない事実として眼前に横たわっていた――それほどの、戦力差だったのである。 五倍近い彼我の戦力差は、わずかばかりの陣形の有利で補いきれるものではない。 それでも、侍祭、そして各部隊の将により構築される部隊は、決死の覚悟で踏みとどまる、その決意を顔に浮かべ、敵の襲撃を待ち受けていた。 眼下に展開するシュラクの軍は、左右に大きく展開した陣、いわゆる鶴翼の陣とでもいうべき形状に、各大隊が配置されている。 一つの大隊はおおよそ2000、それが左右に4つずつ、中央に1。 それら各部隊に所属する長槍歩兵の、柄で地面を叩き威圧する音が、低く大地に響く。 最先端にあたる両翼にはシュラク兵の中でも最大の破壊力を有する竜刻装備を有する騎兵、竜装騎兵の一群もみえた。 ザン、ザン、と無言の圧力を発する兵達の熱気を背景に熱気が高まっていく。 「両翼、竜装騎兵、突撃せよ!」 覇王と称されるものの声が、静かに唸りをあげる戦場に響く。 途端鬨の声が大地に満ち溢れ、シュラク軍両翼が突撃を敢行し始めた。 それはさながら大きく開かれた竜の顎。 滋味を求め、数多の小さきものを無尽蔵に喰らい続ける高次元の生命体による、捕食の瞬間であるようで。 ――だが、竜は知らなかった。 今度の獲物の中に、身中からその身を喰らおうと企んでいる者が紛れ込んでいることを。 ‡ 突撃を敢行する馬蹄の響きに、高地に陣取ったアルスラ兵達の足が、一歩引かれる。 かれらの陣は三つ、五百人規模の両翼に、中央が千人程。後衛かつ本隊に千人という配置で、守備的というよりはいっそ戦う前から逃亡を考えていると評すべき配置である。 だが侍祭達の戦力配分の外で、ロストナンバー達もまた、それぞれの陣に散っている。 中でも突撃部隊の一方に対するライベは、一人、左翼陣地の前方に突出し、敵騎兵の到達を待っていた。 「心臓に呪われし母よ、再びワタシが人を手にかけること、ゆるしたまエ」 ギアでもあるソードオフ・ショットガンを掲げ、今は共にいない存在へと祈りを捧げる。 しばしの瞑目――馬蹄の響きが近づくのを聞いてとり、彼は初めてギアを構えた。 「行きましょうカ」 ギアの発砲音をいくつか発すると同時に、彼は巨大な圧力を伴って突撃を敢行してくる騎兵達の群れに飛び込んだ。 ‡ 他方、右翼陣地において、敵騎兵の突撃を止めるものはいない。 竜刻使いの一群が放つ魔術の数々はその兵装による効果でいなされ、物理的な結界も容易に踏み潰されていく。 長槍と盾を構え、弓兵と竜刻使いを守る役目を与えられた歩兵達は、次々に瓦解していった。 「攻め立てろ! ここを崩し次第中央後陣を突き崩す!」 竜装騎兵中隊指揮官の声が戦場に響く。 騎兵が突き崩した一角からは、それに続けと走りこんできた短槍歩兵が陣内を蹂躙せんとして雄叫びを上げていく。 「こら、退くな! 踏みとどまれ! 貴様らが引けば残るは本陣のみだぞ!」 アルスラ右翼軍を指揮する若き侍祭の言葉も、彼我の個人戦力の圧倒的な差を受けてあっさりと壊乱に陥った兵達の耳へは届かない。 我先にと凶悪な兵力を持つ騎兵らから逃げようとしはじめ、陣後方の出口へと殺到し――そして、次々と命を散らせていった。 無数の発砲音。 火線を形成する軍隊は、シュラクのそれではない。 「ひ、ひぃ!?」 悲鳴をあげ、後退を押しとどまるアルスラ軍。 指揮官にできなかったそれを為したのは、死の魔女が操る、文字通りの死兵達だった。 ランガナーヤキから死の魔女が譲り受けた武器を持ち、カタコンベより蘇った、砂漠地帯の特性からミイラ化していた兵達が百数十体。 死の魔女とともに、一軍を形成しアルスラ右翼陣地後方に、突如出現していたのだ。 「ふふ、あははは! さぁ、兵隊さんたち、お戻りなさいな。私の、私のお友達が協力してあげますわ。だから、さっさとお戻りなさい。でないと、貴方達も私のお友達にいたしますわよ」 死の魔女の言葉を待つことなく、無数の軽火器が放つ火線が敵味方を問わず死体を作り出していく。 「さぁさぁお友達の皆さん。楽しい楽しい殺し合いの始まりですわ。全ての1を0にして差し上げるのですわ。今こそ、こここそ、私たちの宴の始まりの場所ですわ」 悲鳴と怒号が交差する。 血と消炎の匂いが死兵団の周囲に満ち、竜装騎兵に幾度踏み潰されようともすぐさま立ち上がる。 そしてそれらはやがて騎馬に取り付き、兵を引きずりおろし、新たなお友達を生み出していく 「敵は勝ち戦に浮き足立っているのですわ。我らは死兵。生者が死兵に勝てる道理無し、ラグナロクの始まりなのですわ」 開戦後まもない右翼の戦場には、死の嵐が吹き荒れた。 通常の戦での死亡率は3割程度――だがその高地において、今敵味方問わぬ死亡率は、既に8割を越えようとしていた。 「さぁ皆さん、ここが終わったら次に行きますわよ。丘を下り、野に降り立ち、今か今かと突撃の機会を伺っている未来のお友達の皆さんへ、死という甘美な果実を差し上げるのですわ」 魔女が戦場で高らかに笑う。 今久々に、彼女は彼女が彼女らしくあることの出来る場にいられることで、至上の喜びを抱いていた。 ‡ 「みんなの幸せを模索してくれる分、シュラクの王様はおじさんたちより善人だもの。人を喰い潰す国よりはましな国を作ると思うな……だからリーリス、肩入れしてるの。旅団抜きでやれてたならもっと良かったけど」 中央の陣からも、左右の陣からもはなれたかなり前方。両軍の中間地点あたりにいたのは、魔術師の卵の皮を被ったままのリーリスだった。 これから彼女が行う事は、この場の誰に見られてもよろしくない。 ゆえに彼女は、孤軍で竜の顎の中程までその身を運んでいたのだった。 「でも、だからってさつきちゃん達が逃げ切れないのも困るから、少しだけ手伝ってあげるね」 そう楽しそうに囁いたリーリスが、両翼の先駆け衆に続こうとしている中衛部隊を眺め、微笑む。 その力の渦が少女の周囲にゆっくりと渦巻くように広がり始め、不可視の波が次第次第に丘陵の合間にある平地を進もうとしていた兵達を包み込む。 ざぁ、と吹き渡る風とともに、それは醜悪な幻を兵達に運んでいくだろう。 「さぁて、リーリス後はお城に向かわなくっちゃ」 そこにはきっと旅団の幹部の誰かが来るに違いない――そう考えての行動。少女は白い鳩になり、戦場を飛び立っていく。 後に、阿鼻叫喚の幻を残してその姿を消していた。 ‡ 「この数を相手にするのハ、いつぶりダロウ」 ライベの表情が、目が、口元が、愉悦の色に歪んでいる。 ギアから放たれる弾丸、三種の属性を持つその弾丸が次々と放たれていくなかで、何十人もの騎兵と、雑兵達が打ち倒されていく。 二千の軍勢による突撃といえどもその勢いを生み出し、構築された陣地戦を破るのは騎馬の役割である。 そこを留められた軍勢は、丘陵の中腹で押しとどめられ、其処に弓兵、そして竜刻使いによる術が頭上から降ってくる。 「ええい、まずは奴を止めろ! 第1中隊から第3中隊までは横をすりぬけて、敵陣を目指すのだ! 数の上では優に優っているぞ、臆するな!!」 「真理数ガアる、ナラバ貴様はこノ地の民ダナ」 必死に馬上から檄を飛ばす指揮官。その背後に、血まみれになったライベが姿を表した。 「ダガ貴様ガ死ねバコノ辺りハ壊滅ダ」 ごり、と指揮官の後頭部と銃口が接する音がなる。次の瞬間、脳漿を撒き散らし、顔面の上半分を破壊され、指揮官は彼岸へと渡りゆく。驚愕した馬が何処かへ走り去り、辺りには親衛の小隊がひとつ、残された。 「サテ次は貴様ラダ、気ヲツケロ、今ノワタシは中々トマレンノダ」 ゆっくりと左目側から背後を振り返り、そう告げてくるライベの顔は、凶悪な力を宿す、この世に在るべからざるモノのそれ。 「うわあああああああ!!」 残された面々が走り出していく。 潰走。 「ツマラんナ――」 周辺から敵が消えていくのを敏感に察知し、彼は再生能力を再度活性化させる。 ほんの少しの間――指揮官をうつまでの間だけ止めていた痛覚が蘇り、全身を数多の傷が苛んでくる。 「ウ、グ、ァアァアアアアア!!」 天へ響く咆哮。その咆哮が止んだ頃……無尽蔵の再生能力を発揮したライベが、完全に傷を消し去ってその場煮立っていた。 「――さて、次の戦場へ参るとしましょうか」 こき、と首を一つならし、彼は退却する敵兵らの後を折って、丘陵地を駆け下りていった。 ‡ 「右翼、左翼、共に壊乱! 特に左翼陣地の兵の消耗は酷く、見聞役のものですら半数程が帰陣しておりませぬ」 「中央軍、足並みを見だしておりまする。奇妙な幻に囚われ足を止めるものが後を絶ちません。王、いかに」 開戦当初、圧倒的速度で敵陣を蹂躙するはずの竜装騎兵。 それが足止めをされたとの報が入ったのはまだわずかばかり前の時だった。 「宰相」 「はっ」 陣奥の天幕、天鵞絨の長椅子にその身を横たえて勝利の報を待っていたオルドルが、その身をゆっくりと起こして傍らの男に声をかける。 「随分と、予想外の戦力が敵に味方しているようだな」 アルスラの兵にやられているはずがない。 そんな可能性は、既に皆無に至るまで叩き潰した後だからだ。 考えられるとしたら、最近この地に降り立った犬の風貌をした人型のものや、猫の姿をした言葉を話す者らの力か。 或いは別の勢力か。 時折この地で起きだしては暴れまわる巨人らでは「ないはず」だ。 「おそらくは、この地の外よりこの周辺に入り込んでいる、世界図書館と名乗る勢力でしょう」 「――ああ、あいつらか」 少し前、戯れに開いた舞踏会に何人か、道化もどきも含めてやってきた者達がいた。 民をやすんずるならば戦をやめ安寧を与えよ、衣食住を与えよと高らかに告げていった者達。 考え込んだのは、数秒だった。 「アルミラまで退くぞ」 「退きますか」 「ああ退く」 つまらなそうに舌打ちしたオルドル王が、立ち上がりサリューンに向き直った。 その間にも続々と見聞役からの報告が飛び込んでくる。 左翼側は第三大隊まで食い込まれ、更に敵側が加速度的に勢力を膨れ上がらせているとの報告だった。 その兵力の源は、兵の死体。敵に、味方に関係なく、死者が全て蘇りシュラク軍に噛み付いてくる。 シュラク軍自慢の竜の上顎は既にその大半を死滅させていた。 右翼軍は第一大隊長の戦死に伴い壊乱に陥ったものの、その戦力に左程の殲滅力はない 「奴ら、死体まで操るのか」 その報告を聞いた王が、初めて楽しそうに笑った。 「義兄よ」 あに、と呼びかけたオルドルに、サリューンが真面目くさって頷き応えた。 「殿は私で」 「頼んだ。では後程」 「ええ」 二人の将が互いに握った拳をぶつけ合う。 その図は、世界図書館側が思い描いているような、世界樹旅団の残党に操られている傀儡の王の姿ではない。 「貴様の力がなくては困る――俺は俺の、貴様は貴様の野望を満たすまで、互いに利用しあう約束だからな」 それだけを背中越しに言い残し、オルドルが天幕の入り口に掛かる布を払って外へ向かう。 一人天幕に残されたサリューンは、その後姿を静かに頭をさげて見送っていた。 ‡ そこは竜刻に乙女を捧げる儀式場として使われていた場所だった。 その部屋に一羽の鳩が降り立つと、人の姿へと顕現する。 「あら、あなたももう来ていたの?」 魔法使いの卵としての無邪気な笑みを浮かべリーリスが語りかけたのは、桃色の髪のアンドロイド、ジューン。 「世界樹を竜刻に植え付けた噂が本当なら、旅団の狙いは城地下の巨大竜刻でしょう。よって竜刻装置の調査と死守を必要と判断しました。また、私の敵は旅団反乱分子です。邪魔はさせません」 「リーリス邪魔する気なんかないの。竜刻を抑えようとおもって、これを貼りに来たのよ」 ひらひらと目前で振ってみせるのは、封印のタグ。 かつて生贄の儀式が行われていたと思しきこの部屋にこそ竜刻があるだろうと睨み、そして訪れた。 だが、以前にはひたひたと水で満たされ、少女の身体があったとされていたとされる場所には、何もなかった。 少女の亡骸もなければ、竜刻らしき何かもない。 この奥津城に強く脈動する力の波動は存在するというのに、そのものの姿を見て取れない。 「ここに竜刻はないの?」 「それらしき波動は感じますが、その物はこの場に存在していないようです。記録らしきものも、見つかりませんでした」 ジューンの言葉に、リーリスの頬がぷうと膨れる。 「つまんないー、せっかくリーリス旅団さんたちがここに来ると思って戦場を放ってきたのに肩透かしなの?」 「この部屋以外に竜刻が安置されているとしたら――知っている人から聞き出すのが、一番早そうです」 「ほう、拷問でもするつもりかね」 二人が不意を打った声に勢い良く振り返る。 「リーリス、おどかされるのきらぁい」 そういうでない、と翁が少女らに対し笑ってみせた。 「若さゆえか、知らぬがゆえか。己の視野の狭さを人のせいにしよる――より大きく視野を広げよ。そうして初めて見えてくるものもあるじゃろ」 謎かけのような言葉を残し、老爺は踵を返した。 追いかけ、洗脳により情報を聞き出そうとしたリーリスに何かを感じたのか、ジューンが腕を掴み、止める。 「リーリス様。今この国の民に手をだすことは、許容できません。我々がいずれの立場にあるのかが、一層不明瞭なものとなる可能性が、非常に高くなります」 「……そうね」 その瞬間、終始ご機嫌だったリーリスの眉間に初めて皺がよる。 見通せない何かがこの場にはある、それが、不愉快でならなかった。 ‡ 「ポチ夫さまをお願いします」 さつきが、玄武より竜星へ向けてチャンネルを開く。 交換手が、聖域にいるポチ夫をよぶ為画面から姿を消した。 早く話をしたい。自分達のありようを相談したい。もしこのままどっちつかずの状態だと、ボクは――焦燥がさつきの心を縛り、身を焦らす。 不意に、彼女にかけられた声があった。 「あなたが、犬猫の一族の指導者、岐阜さつきさん?」 振り返ったさつきの前にいたのは、妙齢の女性。 美神と謳われる女神像もかくやという黄金比の造作はいっそ人間離れした風情を漂わせている。 「あなたは誰ですか?」 「かみさま」 ぴく、とさつきの耳が動くのを、女は見逃さず微笑んだ。 「――の使い。あなたが探しているものはそれでしょう? その答えを見つける旅にお誘いしにきたの」 「旅ですか……?」 そう、と女が頷く。 「あなたさえその気なら、あなたがかみさまと呼ぶにたる存在の元へ連れて行ってあげる」 甘美な誘いとともに差し出された手。 道に迷い、世界に惑う少女の視線がその手に吸いよせられていた。 ‡ 「さあさあ皆さん、もっと、もっとやってしまってくださいな!」 楽しそうに、高らかに戦場を蹂躙する死の魔女。 死者の輪舞曲はその輪を広め、今や戦場の過半が死兵団で覆われていた。 奮戦する殿軍――サリューンの指揮する軍隊は退いては叩き、退いては叩きと際立った小隊司令官のいない死兵団の弱みを突いて本隊の逃亡を補佐する。 下の顎に当たる右翼軍は既に南方方面へと撤退を開始しており、中央本隊だけを逃せばシュラクは戦力の過半数を維持したままこの戦いを終えることができる。 「ああ楽しい、楽しいわ! この地を全て、私のお友達で埋めてさしあげるのですわ」 死兵達を先導する死の魔女。 だが、不意に膨大な魔力が戦場を覆った事に気づき、彼女は足をとめてしまう。 「――誰、私の邪魔をするのは?」 死の魔女と、死兵達との繋がりが急速に断ち切られていく。 少し前まで動く不死兵であった者達が、今また只の肉塊へとその本質を変えていく――それは、あまりにも急速なもの。 魔力の元はどこかと視線を彷徨わせた魔女が見たもの。 それは、一人の少女だった。 ――これ以上、この地の律を変えてもらっては困るのだよ 少女のか細い声が、死の魔女の脳裏に響き渡る。 「なんですの、ああ気持ちわるい!」 背筋に伝ったその怖気。まるで、まるであの時のよう! 斬首の魔女にこの首を落とされた時や、聖なる力に触れた時のよう。 少女の圧倒的な魔力が、その場を支配する。 急速に時が進められ、死兵達が風化していく。 ‡ 「なんだこいつァ」 門番をしていたジャックが、不意に巨大な魔力を迸らせ始めた背後の巨岩に向き直る。 傍目には何の変化もないが、何らかの素養があるものならば感じ取れたことだろう。 さながら城が心臓のように脈打っていることを。 リィイイン――響き渡る明瞭な鼓動。 力の行先は、戦場の方向。 「見極めねェと、後悔するナ」 瞬間、ジャックは転移の力を発揮、その身を戦場へと運び込んだ。 彼が眼にしたのは数多の死体。それも、砂となる直前のもの。 死の魔女がランガナーヤキから提供を受けた武器だけがその場に取り残されていた。 その光景を顕現させた力の中心に立つは、実体を持たぬ一人の少女。 緋色の髪。深緑の瞳。真雪の肌。砂漠に生きる人の格好とはかけ離れた薄く青いワンピースを身に纏う、美貌の少女。 可愛らしいというより、凄絶な美という表現が相応しい容姿の少女が、爬虫類のように細長い瞳孔をジャックや死の魔女達へと向けてくる。 ――これ以上、我の箱庭を荒らされては困るのだよ 二人に語りかけられたその声は、幾星霜もの年月を感じさせる重みを伴っていた。 「その波動、覚えがあんゼ」 かつて牧師が、有翼の女将軍が放っていた波動に近いもの。 竜刻の波動に共通して感じられる気配。それが極限まで強められていることで、初めてジャックは気づいた。 「世界計の力と似てやがんナ」 ――我は傍観を望む。だが、心せよ。あまりに外の者として大きく律を違えるならば。次は、行使者にまで及ぼう。それは、彼も此も同様である。 死兵達のことを告げているのだと、すぐにわかる言葉。 次の瞬間、その姿は掻き消えた。 それと同時に戦場を満たしていた魔力も消え去っていた。 残されたのは「お友達」を壊滅させられ地団駄を踏む死の魔女と、その戦果により辛うじて会戦に勝利したアルスラ軍。 敵味方問わぬ数多の死体のなれの果てと――今この場から確認はできない、再び沈黙を保つように力を潜めたアルスラの竜刻……岩城そのものだけだった。 ‡ 「火器の威力、よく理解できただろう?」 ナレンシフに乗り込んだランガナーヤキが、戦場の様子をトレースしていたエルシダに対して語りかける。 「同様にアヴァターラもある。雑種同盟と名乗る一団はこれと同様の躯体に竜刻の力をあわせる技術を試験運用中だ――いずれ、お前たちの下へ届けられもするだろう」 「そうね、魅力的。この地の争いに関与する為には世界の民としてでなければどうなるかも見れたことだし、ね。その意味では世界図書館の者に感謝しなくちゃ」 うっそりと笑うエルシダの言葉に、ランガナーヤキが興味無さそうに頷いた。 「それで、岐阜さつきをどうするんだね」 「彼女を基盤に竜星の民を取り込むの。何にでも神輿って必要でしょう?」 「犬はひっかかるかもしれんがね――どちらにせよしょうのないことだな」 「あら、失礼だこと」 くすくす、くすくすと笑う妖姫の声がナレンシフに響き、ランガナーヤキは目的地に至るまでの道すがら、軽く眠りを貪ることとしたらしい。 その笑声をとめようとはしないままだった。 ‡ 猫たちはヴォロスに順応しつつあった。 雑種同盟は、身内に与えられるだけの竜刻をかき集めようとしている。これも竜星との決別だ。 竜星の犬族は、再びディラックの空にこぎ出でることを検討し始めた。彼らは彼らの真の神々と再開を夢見ている。 流星がヴォロスの蒼穹を流れた。 巡礼の旅路でシュラクの森林に入り込んだ岐阜さつきは第四の道を見いだそうとしていた。
このライターへメールを送る