優先度が最も高い、として司書である黒猫にゃんこは旅人たちを呼び集めた。現在は三十代のスーツ姿の男性の黒に化けている。「キサが狙われた理由がわかった。あの赤ん坊の脳のなかに欠片がはいっている」 誰もが息を飲む。 世界計の欠片……宿った者に恐ろしい力を与えるそれが赤ん坊の脳みそにあるとどういう事態になるのかは何度か欠片の回収をしてきたが、まるで予想できない展開だ。「キサの場合は、赤ん坊だ。それが幸いだったのか災いだったのか……キサはまわりにいる者に過剰に力を与える。もしくは奪い取って己のものとしてしまう。今、キサのいる屋敷には大量の暴霊が赤ん坊の力を求めて集まっている。さらに言えばキサは赤ん坊で自分の宿った力を正しく理解する知恵がなく、欠片を奪う者に対して激しい拒絶感を示してしまう。脳に直接何かしようとすれば攻撃されると感じて本能的に自己防衛をとってしまうんだ。欠片だけを転移や精神を支配しようとして、肉体から奪おうとすると無意識に拒絶して無効化してしまう」 それじゃあ、どうやって欠片を回収しろっていうんだ? ロストナンバーの一人が青白い顔で訴えるのに黒は冷静に説明を続けた。 この事態についてはキサの父親であるハワード・アデル氏にすでに説明し、彼からキサの身柄についてはすべて委ねられた。「問題が起こった。キサを連れて母親である理沙子が逃げた」 逃げた?「子供をどうするかわからないというのに彼女は激しく反発したんだ。お前たちうすうすはわかっているだろうが欠片を回収するにはキサを殺すしかない。欠片を持つ者はすさまじい回復を有するからな、できれば素早く、的確に」 赤ん坊を殺せっていうのか? 一人が反発した。キサという赤ん坊の誕生から成長まで世界図書館の者たちは何度か関わり、赤の他人というにはあまりにも親しい。「そうだ。今、事態はさらに悪い方向に向かって進んでいる。困ったことにキサが暴走した」 暴走?★ ★ ★ 理沙子はキサを抱えて、街のなかを逃げていた。行くあてなどないが、このままではわが子が殺されることは明白だ。 ハワードの冷静な、赤ん坊を殺すという言葉に理沙子は激しく反発した。「あなたは父親でしょう! どうしてそんなむごい結論をたやすく出せるの!」「理沙子、私とてつらい。しかし」「キサを殺す結論を選択した人がいわないで!」 夫を振り切って、義足でまともに歩けない己を呪い、追いかけてくる暴霊を恐れながら理沙子はキサを両手に抱えてふらふらと街中を逃げ続けた。「旅人でも、信用できる、セリカやエクがいてくれたら、キサを守ってもらうようにお願いするけど……だめね。彼らは信用できない」 路地に隠れて理沙子は途方に暮れていると、つかつかと足音が聞こえてきた。「あら、やだ。はやく殺してしまわなくっちゃ」 聞き覚えのある甲高い少女の声に理沙子は恐る恐る顔をあげた。一メートルほど先に赤髪のセーラー服姿のアイリーンが立っていた。 以前誘拐されて自分を殺そうとした双子の姉妹。片方のアイリーンは死んだが、もう一人のアイリーンは生き残って逃亡して行方はわからなくなっていたが……「力を嗅ぎつけてきたの。面白いわね。とっても力が溢れているの。誰かが退屈して、もっと面白いことをしなさいって言ってるみたい。だからはやく殺してしまわなくっちゃ。ふふふ。ふふふ、あっはははは! ようやくお前を殺せる! 私の狼を奪ったあばずれ!」 アイリーンの赤髪が理沙子の首に巻きつく。赤ん坊が泣き叫ぶ。 理沙子はキサを地面に置いてアイリーンと対峙した。「私は殺してもいい、けど、キサは、娘は殺さないで!」「あら、やぁよ。そんなの。ぜんぶ、ぜんぶ奪うの!」「っ、あ、あああ」 理沙子の首は髪の毛によって絞められ、じりじりと地面から浮き上がる。赤ん坊は泣く。 理沙子の手足から力が抜け、だらりと垂れる。まるで出来の悪い人形のように。赤ん坊は泣き叫ぶ。「あら、もう死んだの? 手ごたえのないけどいいわ。はやく回収しなくっちゃ。これをもっていけば、私はもっと完璧なアイリーンに、え?」 ざらっ。音をたててアイリーンの体が塵と変わる。「い、いゃああああああああああああ!」アイリーンは悲鳴をあげて己の力が急激に奪われていくのを感じて泣き叫ぶ赤ん坊を見た。無垢な瞳が自分を見ている。見て、そして 無へと消えた。――き え ち ゃ え …… ……ま …………ママ? おきて、おきて、ママ……ねぇ、おきて…………おきたぁ! だっこ、して、まま、まま ……………ママみたいになりたいなぁ。……なりたい!「わぁい! さぁ、素敵な遊びをしましょう! ここぜぇんぶ、キサの遊び場所! ねぇ、ママ!」 そこには赤ん坊はいなかった。かわりに出来の悪い人形のようなぐったりとした女と手をつなぐ女王がいた。★ ★ ★「キサは欠片の力を使い、一つの街をのっとった。暴霊や生きている人間、すべてから力を吸収してな。その街の周りは白い壁が立って封じられたような状態だが扉があって入ることはたやすい。ただし、その壁の内側でキサが不要だと思うものは容易く滅する、つまりは空間のなかにいたらたやすく殺されることになる。死体一つ残らずな」 赤ん坊のキサは目の前で母親をアイリーンに殺されようとしているのを目撃して、幸せな場所を願った。それが今乗っ取られている空間。 赤ん坊のきらきらとした喜びにあふれたメルヘンな動物たちのいっぱいいるところで女王として君臨しているキサ。 その王国を維持するため彼女は生きている限り、周囲の者から否応なく力を、命を、存在を奪い続ける。 その結果、インヤンガイにある生命という生命はすべて失われることになるだろう。「必ず、キサから欠片を奪い取れ。キサはお前たちを歓迎するだろう。遊び相手になってくれとせがむだろう。その一瞬の隙をつけば奪うことはたやすいはずだ。……通常の方法ならばキサは死ぬだろう。……お前たちが赤ん坊とどうかかわってきたかは知っている。その点を考慮して今回だけは欠片の回収方法はお前たちの判断に委ねる。しかし、赤ん坊に善悪の基準なんてものはない。見た目はどうであっても知恵のない赤ん坊であることを忘れるな。これが失敗したら次はないと思え」★ ★ ★ そして旅人たちはそこに訪れる。 白い壁に作られた扉をくぐって霧を抜けた先――絵本から飛び出してきたような二足歩行の可愛らしい動物たちはモフトピア。ビルには緑生い茂る木々と野生の動物たちがいるのはヴォロス。青い空には舟が飛びブルーインブルー。――いろんな世界がごちゃまぜになったような空間だ。 この不可思議な世界を上から見下ろすようにもっとも高いタワーの上にお菓子のお城が作られている。 旅人たちが茫然としていると王国の女王さまが出てきた。黒と白のドレスを纏った女の子だ。「さぁ、キサと遊ぼう! みんなで遊ぼう! 旅人さん。そうだ、遊んでくれたらあなたたちは元の世界に帰りたいんでしょ? かえしてあげる。覚醒をなかったことにしてあげる! キサはなんでもできるんだよ。なぁんでも。ふふふ、悪いやつらはみぃんな、いなくなっちゃうの!」
岩のように重々しい静寂の広がるロストレイル室内。 窓から見えるのはときどき獲物を狙った蛇のように走る亀裂の輝く紺碧色をしたディラックの空。 ――もうすぐ、インヤンガイ、インヤンガイ…… ノイズ混じりにアナウンスが流れる。 四人掛けの座席の並ぶのに依頼を受けた者たちは各々、自由に腰をおろしていた。依頼を受けた者同士仲良くしようという素振りもなく誰も口を開かない。 赤ん坊を一人殺して、世界を救え、か。 エク・シュヴァイスはかぶっていた黒帽子の端に手をあてて軽く撫でる。墨をたらしたような艶やかな毛並の黒豹をそのまま人間にしたような姿。知的なスーツと右目には片眼鏡、左目は機械を埋め込んだ人工的なものだが少しもそうとは感じさせない。 自慢の黒毛は表情を他者に読まさないという利点があり、誰も今、エクの頭を占めている不穏な思いを知るものはいない。 エクのなかで司書の告げた言葉がぐるぐるとまわっていた。 時間が許す限り報告書を片っ端から見たが、欠片を肉体に所持した者はその力ゆえに世界を危険に晒す。さらにすさまじい回復力から殺すしか取り出す方法はないとエクのなかでは結論に達したが。 だから、殺す? 赤ん坊をか? エクは奥歯を音がするほどに噛みしめた。 司書もキサの父親のハワードもそう結論を出したことにエクは反感を覚えた。 自分も、そうだった。 「お前たちも、あの司書と同じ考えか?」 エクは静かに尋ねた。 向き合う形で座っている白い着物服に褐色の肌、黒と白が逆転した独特の瞳、黒髪は左のこめかみのところだけ長く、白い折りこみ飾りのついたムシアメは何も言わない。 染めすぎて質の悪くなった銀の髪の毛に、月光のような銀の目、どこか幼さすら感じる顔に鮮やかな色合いの服装、ズボンにはハートや星の飾りといったものが大量についた子どもが大好きな夢いっぱい詰め込んだおもちゃ箱をそのまま人にしたようなマスカダイン・F・ 羽空は肩に載せたキャンディ色のはと丸=ロートグリッドとともに目を向ける。 最後に窓際に一人で腰かけた臼木 桂花が億劫げに一瞥を向けた。白いチャイナ服に、無理に夜会巻きにして銀の鳥の髪飾りでまとめた髪、赤縁眼鏡の奥にある若葉色の瞳が鋭く同行者たちを見る。その膝の上に腰かけたポチという名前のドッグフォームもきょとんとしている。 リーリス・キャロンはキサに欠片があると発覚した事件に関わり、インヤンガイの現地にとどまっている。 ノートからは先に 『私は、単独行動をとるわ。それでキサのことを監視してわかったことはメールするね!』 とメッセージが送られてきた。 「黒豹の紳士さん、ボクはね、あの世界、とっても大切なんだよね。あそこは、シロガネさん……ボクのとっても大切な人が産まれて、育って、生きてた世界なんだよね。だから絶対に守るよ。キサちゃんには一度も会ったことがないけど、笑ってほしいなって思うよ」 うーんと、マスカダインは俯いて笑う。 「うまく言えないけど、キサちゃんの作った世界に行ってみたいのもあるんだよね! ボクは、まだ考えてるところだけど、キサちゃんは生きたまま欠片を出せると思うんだよね」 「わいは呪術道具や。必要ならいくらでも動くつもりやけど……欠片を奪うのにはあんまり役に立たんと思うで。やからキサはんの気を引くのは手伝えるけど、それ以上は期待せんといて」 とムシアメ。 「考えたんだけど、力を溜めている相手の不意を衝くのは難しいわ。力を使った後なら隙もできるかもしれない。その後のことはみんなに任せるわ」 「どういう意味だ」 エクが桂花を見る。 「言ったままよ。私、キサを抱いてお宮を回ったの。私はキサを傷つけたくないのよ、ごめんなさい。隙を作る協力をする。私がキサに願いを叶えてもらったあとがチャンスだと思うの。そのあとなんとかできるかもしれないでしょ」 「願いっていうのはなんだ」 「……覚醒をなかったことにしてもらいたいの」 桂花は慎重に答えた。この場にいる者で彼女の真の願いを知る者はいないだろう。 「覚醒したこと、後悔してはるんか?」 「私は、ただのОLだったのよ? いきなりロストナンバーなんて大変すぎるわ。もとに戻りたいと思うのは普通でしょ?」 「わいは覚醒してよかったほうやと思ってるからな」 ムシアメはしみじみと語る。ターミナルで弟分とも再会し、自分たちのような道具を必要としないモフトピアを見て再帰属を夢見ることもできた。 兄、と弟の不安げな顔を振り切って自分はここに来た。あのとき、壊れる覚悟はすでにしてきた。 「だったら! ぎりぎりまで、みんなで考えようよ。絶対になにか方法はあるはずだよ!」 「マスカダイン……そうだな。ついたみたいだぞ」 それぞれ覚悟を決めてロストレイルから降りていくのにエクは迷ったように帽子に触れる。仲間の一人でもキサを殺すと告げたら、もうここには戻る気はなかった。せめてリーダーのために帽子一つだけを残そうとは思っていた。 エクは迷いながらも帽子を深くかぶって歩き出す。 ★ ★ ★ インヤンガイの空は灰色。 建物もくすんだ灰色。 そのなかを青と白のドレスをひらひらと風になびかせて歓喜に満ちたステップを踏み、踊る。 「敵になった、敵になった……大好きよ、キサ!」 リーリスは笑う、笑う、笑う。 命からがら生き残ったリーリスはすぐに外に飛び出すと、顔にいくつもの目を生み出して魅了の力を今できる範囲で全開に、さらに精神感応で街一つを精神汚染してインヤンガイの街にいる暴霊という暴霊を自分の元に引き寄せていく。黒く濁った苦痛に満ちた顔の死人たちをぐんぐんとその小さな体に貪欲に飲み込んで、力へと変える。 リーリスの顔に凶悪な笑みが浮かぶ。 まだよ、まだよ、まだよ! 「もっと、もっとよ! ああ、お前たちじゃあだめね。おなかがすいたわ!」 目につく暴霊を食らい尽くしたリーリスはふわふわと飛んで、高層ビルに同調を試みる。インヤンガイのエネルギーは霊力ならば取り込んでエネルギーに出来ると考えたのだ。 ビルの屋上から灰色の街を見下して、どんどん力を吸収していく。 だめ。これじゃあ、まだたりないわ。たりない、たりない、たりない! リーリスは哄笑する。 あのとき、リーリスは確かに絶望を感じた。たかだか泣くしか能のない、頭すら打ち抜かれた赤ん坊相手に! リーリスは下手をしたら消滅させられていた。今いるのはただ運がよかっただけだ。 屈辱、そのあと全身に広がる獰悪な歓喜。 リーリスは、どんどん力をため込んでいく。もっと、もっともっとよ! 街一つ、その周辺のエネルギーすら奪ってリーリスは急速に力を戻した。 「これでいいわね」 リーリスはとりあえず満足してあらかじめ用意しておいたボウイーナイフで左手首を斬り落としにかかった。 ごとごとごと、まるで人形の手首のように手は落ちていった。失っても肉体はアメーバのように即座に戻るのでなんら害はない。 手首はぐにゃと歪んで鳩になるのに一つだけがリーリスの姿をとった。 「お前はエク、お前は臼木、お前はムシアメ、お前は羽空、それで私を狙うお前だけ人型で、ずっと扉を開けて中を窺え。誰かがキサの頭の針を取ったら、対応する者が中に飛び込みそいつの手首・ギアごと塵化して世界計の針を奪え。残った全員がそいつに融合、世界計の力でチャイ=ブレの束縛を壊し、この世界の階層を変えるのよ」 鳩たちは赤い瞳でリーリスを見るとこくんと頷いて飛び立つ。 外からキサを監視するとメッセージは送ったから誰もリーリスのことは気にしないだろう。 「私が直接手を下す必要があるかしら?」 リーリスは可愛らしく小首を傾げる。 キサにはリーリスの力は一切通じない。むしろ、下手に攻撃したり、力を使えばキサの本能は自分の命が脅かされたと判断し、あのときとは違って明白な殺意を持って反撃に出てくるだろう。 失った力の分だけ、もっと食べなくちゃ。力はどれだけあっても足りない。 「おいで暴霊、お前の望みを叶えてあげる、お前を救ってあげる……さあ!」 リーリスを包んで黒い魂は渦を作り、悲鳴をあげて食われていく。 ★ ★ ★ そのどこかで見たことがある、けれどなにもかもちぐはぐな世界に四人は圧倒された。 一番はじめに我に返ったのはマスカダインだった。一歩前に出てうやうやしく黒白のドレスのキサに頭をさげる。 「はじめまして、女王様。ボクは旅の道化師、ジェスターなんてしないんだけどね。今日は特別だよ」 「とくべつ?」 「そう、あなたの世界に仕えたいんだ!」 「ふーん、へんなのー!」 キサはマスカダインの態度にからからと笑っていたが、何かに気が付いて目を輝かせるとぱっと姿を消した。 「え、女王様はどこ!」 「わっ! キサはん」 「んふふ。捕まえた。ムシアメ、ちゃん? でしょ? あってるー?」 ムシアメの背後からキサが突然と現れて、その腰に飛びつくと悪戯が成功したように笑う。ムシアメは目を瞬かせるとこくんと頷いた。 「わいのこと、覚えていてくれたん? えーと、久しぶり? わい、生まれたてのキサはん抱っこした事あるで……まぁ、蚕と人の姿をひっきりなしに切り替えとった変な道具でもええわ」 あのときの自分の混乱ぷりを思い出してムシアメが遠い目をするのにくすくすくすとキサは笑って頷いた。 「うん。おぼえてる! ううん、教えてくれてるの」 「教える?」 気になる言葉にムシアメが眉根を寄せる。 「そ。あれはエク! ママの知り合い!」 指差されてエクはびくっと震えたが、すぐにマスカダインのようなテンションは無理でも挨拶しようと自分の帽子に手を伸ばし、あるべきものがないことに、自分の帽子がキサの頭にあるのに瞠目した。 「臼木 桂花、でしょ?」 「キサ……貴女と一緒に巡り鬼をしてお宮を回ったわ。貴女は覚えてないと思っていたけど、……え」 桂花は視界がぶれて驚く。 桂花の眼鏡をキサがかけていた。 「やだ、これ、ふわふわする。んー」 キサは眼鏡を両手で目から離して瞬く。 「キサはん、大丈夫かいな。それは二人の大切なものや、返さんとアカンよ」 「返す!」 ぱっと帽子も、眼鏡も持ち主の元に戻った。 キサはまだ目をぱちぱちさせているのにムシアメが気遣うと、その腕にしがみついた。 「キサ、ねぇ、貴女のママの理沙子さんに挨拶したいの。案内して貰える?」 桂花の言葉にキサはむっとした顔をしてそっぽ向いた。 「遊んでくれなくちゃいや! つまらないのは嫌い! ママは女王さまなの。だから簡単に会うのはだめ。キサは、えーと、女王さまの家来なの。だから家来は簡単に女王さまを出さないの」 自分こそこの世界を作り出し、姿は女王様で、傲慢な神のように振舞っているが、キサのなかで配役が決まっているらしい。 さらに退屈がいやで、自分以外が注目されるのも、気にかけられるのも面白くなくてすぐに拗ねてしまった。 「なら、遊ぶか」 エクがとりなすがキサはそっぽ向いたままだ。 「そうだ! 女王様、ボクがいいもの見せてあげる」 マスカダインはキサの機嫌をなおそうと、ポケットからボールをとりだしてぽーんと投げる。一個、二個、三個……それにぷにぷにのはと丸がいつの間にかくわわる。 はと丸はひょーんとキサに飛び、小さな手からぱっと白い花を差し出した。 「えーい!」 マスカダインがお手玉していたホールが大きく宙に投げられると花に変わって、キサにはらはらと落ちる。 キサははと丸を抱っこして、にっと笑った。 「すごーい。すごーい。いいわ。マスカダインはキサの家来よ! うん。遊んであげる!」 「気に入りましたか? 女王様? お花、とっても似合ってるよ」 「うん。気に入った! ふふふ。キサ、ママみたい? キサ、ママみたいになりたいの! お花、似会ってる?」 「……なら、俺も家来にしてくれ。キサ、遊ぶならおままごとはどうだ? ママみたいなことがいっぱいできるぞ」 エクはすぐに提案した。 ママみたいに、理沙子みたいになりたいと言うのならばままごとぐらいしか思い浮かばなかった。 「わいも、家来にして、な。けど、わい、遊びはようわからんからキサはん、教えて」 ムシアメも二人の作ったチャンスに乗りかかる。 「そうね。キサ、遊びましょう? なにがいいかしら? この世界はいろんなものがいっぱいあるわよ?」 「ままごと! エクがいったからじゃないからね、キサが決めたの!」 「わかってるわ。そうね、キサが決めたのね」 桂花はすぐにキサの言葉を肯定する。そうしてキサが機嫌よくなるのにほっと肩から力を抜いた。 「けど、おままごとだと、えーと」 遊ぶといっても具体的なルールや方法を知っているわけではないのでキサは考え出す。それも当然だ、キサは元をただせば赤ん坊。 なにかをしたい、こうしたいと思っても、そのための知識が欠落している。 おままごとがなんなのかも、はっきりと理解してはいないとエクは察して口を開いた。 「俺は息子役でいいぜ。キサは当然、理沙子みたいなママ役だろう?」 「そうよ! じゃあ、パパは、ムシアメちゃんね!」 「わいが?」 「マスカダインは家来よ」 「はいっ!」 「桂花は、えーと、えーと」 「なら、私は姉……いいえ、家が広いならお手伝いさんがいるわね」 「そう! それよ!」 「なら、家が必要だわ」 「家、家はあるわ。キサのお城、あそこよ」 一番高いところに聳え立つ真っ白いクリームといちご、チョコレートの扉がついたお城を指差してキサは胸を張る。 「いらっしゃい!」 キサの声に空を泳ぐ大型の船はふわふわと近づき、目の前で止まった。 ブルーインブルーの海賊船のイメージが全員の頭のなかに浮かぶ。 船から階段が降りてきたのにキサは駆けだしていくあとに続いて乗り込むと無人で、勝手に動き出した。 船が漂う空中から見えるのはヴォロスのような木々の生い茂った深い森、モフトピアのような生き物たちが踊る地上…… 「すごいね! 楽しくってずっと遊んでられる! 足りないものも傷つけるものもなんにもない夢の世界。ボクもこういう世界に居たかったの! ずっとずっと!」 演技なのか本気なのか、マスカダインはキサをたたえる。 エクはその隙をついて機械の目で世界を見る。 生き物は? この世界にいるのか? 理沙子はどこだ? 理沙子はキサを守ろうとして逃げてこうなった。キサはここにいる、なら理沙子は? 生きて、いるのか、お前は? しかし、機械の目はその世界の虚しい真実を見る。 生きている者はぱっと見る限りいない。 この世界はキサが作った。けれど知識のない無知な赤ん坊では命までは与えられなかった。 だからエクは探す。 理沙子はどこなのか、と。そして目が捕えた。 「城の、なかかか」 まだ生きている。けれどその反応は祈ることしか知らない者のように弱弱しい。 城の扉前で船は停止し、再びなにもない空間に階段が現れた。キサが歩き出すのにマスカダインは恭しく手を貸す。 そうして全員が船から降りると、また船は勝手に行ってしまった。 扉が開き、甘い匂いが漂うお菓子だらけの城内をキサはスキップしながら進みだす。 「ここが家よ? いい? ここからままごとよ? 家来は、えーと、お城をちゃんとするの。そう、ちゃんといるのよ? 息子はキサがいい子にするの」 「はぁーい」 「わかったわ」 家来とお手伝いの返事にキサは満足してエクの手をとった。 「こっちよ! 息子はママと一緒! ほら、パパもよ」 「あ、ああ」 「わかったわ」 二人を引っ張っていくキサを見届けたあとマスカダインはきょろきょろと周囲を見る。桂花も城のなかを伺う。 「これ、本物かしら?」 「舐めてみたらおいしいかもしれないよ! 本当にすごいのね!」 「……お手伝いにしていてよかったわ。家族だとしたらキサの目をくぐって城のなかを歩けなかったもの」 「そこまで計算していたの」 「当たり前でしょ。ママみたいになりたい、つまりは、家族がほしいってことなら、家族以外に執着したりしないわ」 キサはまず自分の息子を部屋に案内した。 白いクリームの壁とクッキーのドア、なかには椅子とテーブル、それにベッドがあるが、それもすべてキャンディやいちごと御菓子で作られていた。 天井からは色とりどりの飾り、部屋の隅には小さな子どもが遊ぶ玩具に溢れていた。 「ここが息子の部屋。気に入った?」 「いい部屋だな」 「本当? キサ、いいママ?」 「ああ、ありがとう……ママ」 「じゃあ、もっとプレゼント!」 「ん?」 エクは目を瞬かせると、視界に何か落ちてきた。見れば、帽子に赤いリボンがついていた。キサが期待をこめてエクを見る。 「……ありがとう、ママ」 「えへへ。ムシアメちゃん、いこう!」 「へ、あ、ああ? ちょ、キサはん!」 キサは満足してムシアメの手をとって歩き出す。はやくお城を自慢したくてたまらないらしく、すでにエクのことは気にかけていない。 ほほえましいほど、無知な女の子だ。 エクはノートを開くと桂花たちに理沙子のことを報せる。そのとき、背中に視線を感じて振り返った。 「? なんだ」 生き物の気配はない。しかし、何かが自分を見ていた。 「……気のせい、か?」 ムシアメを連れてキサは部屋の奥にやってきた。 「ここがキサの部屋だよ」 エクの部屋と同じく、クリームのソファ、キャンディのテーブル、クッキーのベッド、天井からは色とりどりの飾りと小さな子供が遊ぶ玩具が溢れている。どうも部屋のイメージは一つの考えで――キサが赤ん坊のときいた部屋を元に作られているらしい。 「キサはママ、ムシアメちゃんはパパね」 「わかったわ。なぁ、ちと聞いてもええか?」 「なぁに、パパ? 待って、おかえりなさいのキスは? いつもするんでしょ?」 「え、ええっ、わいがするん?」 「そうよ? パパだもん。だって、キサのパパも……うん。していた」 「キサはん?」 いきなり勢いをなくして俯くキサの顔をムシアメは覗き込む。 「ほら、して」 「……わかったわ」 遠慮がちに額にキスするとキサは満足したらしい、ムシアメと一緒にソファに腰を下ろした。 「なぁ、キサはん、この世界の反魂術ってわかる?」 「なに、それ」 「えーと、死んだ人を生き返らせる術や。すまんなぁ、呪術道具『呪い紡ぎの虫天』として気になるんや。一個だけ見た事あるんやけれど、原理違うかもしれんし」 「パパはお仕事してるんだ、よね?」 「そうや。お仕事やお仕事、パパやから、ママや子供のためにも仕事せないかんやろ? それをママに手伝ってほしいんや」 「いいよ。キサが調べてあげる」 「調べるって、どうやって」 「聞けば教えてくれるよ?」 「……誰に」 「ここに」 キサはなんのことなく頭を指差した。 「んーとね、生き返らせるの、あるよ。……囲む、特殊な香、同じレベルの術者が四人、ほぼ同じタイミング、月の出る夜、一日の変わる時刻、自害、魂、絶望、死するものの願いを叶える……だってー」 ムシアメはあっけにとられてキサを見つめていたが、あわてて頷いた。 「あ、ありがとう。助かるわ」 「ママは偉いの! パパを助けるの!」 「うん、偉いな」 キサはじっとムシアメを見つめる。 「キサはんはパパとママが好きか?」 「ママは大好きよ。パパは……パパは、怖い顔して、いらないって言ってた」 「キサはん」 「頭のなかのこと、うまく言葉にできないけど……パパは嫌い」 すべてはわからなくても欠片を肉体に宿してからキサは幼いなりにも自分の置かれている状況を曖昧にも理解してもいた。 「それで、このあとなにするの?」 「へ、あ、そっか、パパがなんかするんか。そうやな」 ムシアメもだんだんとキサと遊ぶには自分から働きかける必要があるということを理解したが、弱ったように頭をかいた。 「子ども相手に遊んだ事がなかったからなぁ。すまんなぁ」 「ぶー」 キサが不満げに頬を膨らせる。 「よし、髪型、ちょいと変えんか? わい、そういうの得意やで」 「して!」 キサは無防備に背を向けるとムシアメは長い髪に慎重に触れる。 さらさらの髪の毛を優しく撫でながらムシアメの手が一本の髪の毛を抜き取る。これで、もし、キサが殺されたとしても自分が――弟の顔、何年も前に助けることの出来なかった彼女の顔が浮かぶ。あのときは時間がなかった。死体し失われてしまっていたし、術も調べるのに時間がかかって、魂が消えるのを見届けたのもあって、どうしても一歩を踏み出すことが出来なかった。 けど、今なら、たぶん、出来る。 禁忌とわかっていても、自分はそれをしようしている。この踏み出してしまう衝動の理由を知らないにもかかわらず。 「ムシアメちゃん? どうしたの?」 「へ」 「難しい顔してる」 「ああ、すまん、すまん。キサはんに似合う髪型を考えとったんや」 「本当に?」 子どもは、驚くほどに無防備で、それでいて鋭い。ムシアメは押し黙る。キサはムシアメの頬をそっと撫でた。 「ムシアメちゃんの、髪の飾り、きれい」 「これか?」 「うん」 キサは大きく頷いた。 「キサもほしい」 「わいの貸してあげるわ」 「本当?」 「ええで。ひと房だけまだらなんやね。ここにつけたるわ」 「うん!」 髪の毛から飾りをとってムシアメはキサの髪のひと房だけ灰色のまだらの髪につける。キサはにこにこと笑っていたが、すぐに伺うような顔になる。 「どうしてそんな顔するの? キサと遊ぶのつまらない?」 「わい、どんな顔してる?」 「うーん、おなかがへった顔?」 ムシアメは噴出した。 「安心しい、おなかは減ってないわ」 「本当?」 「ほんま、ほんま」 ムシアメが頷くのにキサは髪飾りを指に巻きつけながら、そっと身を寄せた。ムシアメの胸に顔を埋めて目を閉じる。 「ムシアメちゃん、あったかい」 「キサはん」 「キサのこと抱っこしてくれたでしょ? はじめましてって、いってくれたでしょ? キサ、ちゃんと知ってるの。ムシアメちゃんは道具なんだよね? ちゃんと覚えたよ!」 「そうや。わいは呪術道具や」 「いまは?」 「いま? ……いまもそうや。けど、そうやなぁ、ちょっと行く場所がない状態で困るなぁ、道具なのに、使われる場所がないしなぁ。けど、わいの場合は、そのほうがええんかもしれん」 覚醒したとき、いろんなものを失くした。道具なのに、生き残る必要なんてなかったのに。 「ならキサのこと守ってよ」 キサはきらきらと目を期待に輝かせてムシアメを見つめる。 「ムシアメちゃん、キサのそばにいて、キサのこと守って。ムシアメちゃんのことキサが必要としてあげるから、ねっ! キサとずっと一緒にいよう?」 「キサはん」 「だからね、そんな顔しないで。キサはムシアメちゃんが笑えるようにしてあげるよ。なんでもできるもん。だからかわりにムシアメちゃんはキサのこと守って、ね? 守られてあげる」 キサはムシアメの胸のなかに抱きついて頬を寄せる。 ちいさなぬくもりをムシアメはじっと見下ろした。 自分は、 自分は、この子の、 自分は、この子の、死を考えている ムシアメはたまらない気持になった。なんでや、自分は道具や、なんでこんなもんを感じるんや? 弟分は道具でも人らしいが、反してムシアメは道具としてこだわり続けてきた。道具であることを否定されれば自分には何も残らない。 「っ……なんでや、なんでこんなことになったんや」 「ムシアメちゃん? どうして、お目から雨が出るの? へんなの」 キサはきょとんとした顔でムシアメを見る。 「ちゃうんや。これは……これは違うんや。あのな、キサはんに弟分が会いたいって言っとたんや、だからキサはん、生きて、生きてほしいんや」 けれど頭の隅で考えている。もし、キサが死んだらアマムシはんになんて言おうか、と道具として冷静に。 「……ムシアメちゃんは?」 「わい? わいは」 「キサはムシアメちゃんの弟分ちゃんのこと知らないよ。だからね、ムシアメちゃんはどうなの? キサはね、ムシアメちゃんが大好き。だって面白いもの。蚕になったり人になったりして」 「キサはん、まだそれ言うか」 ムシアメは情けない声を出した。 「ムシアメちゃんが大好き。会いに来てくれて嬉しかった。ムシアメちゃんはどう?」 「……わいは」 ムシアメが言いよどむとキサは両手を広げて、胸の中に抱きしめた。 「よしよし。ママがしてるの、覚えてる。よしよしってすると、落ち着くの。キサはよしよし大好き!」 「そうか」 「ムシアメちゃんも笑って」 「わいは平気や」 「ほんと?」 「ほんまほんま」 「よかった。じゃあ、キサを今度はよしよしして」 「ええで」 ムシアメの胸のなかにキサは再びもぐりこむ。安心しきって、うとうとと。目を閉じて眠りはじめる。 ムシアメはキサの頭を撫でる。 エクからのメッセージを受け取ってマスカダインは眉を寄せた。 「つまり、この世界にあるものって命がないってことなの?」 「そういうことね。けど、理沙子さんは生きてるのね」 そっけなく桂花は答える。 「どこにいるのかも、エクさんの目でなんとなくわかってるみたいだからね。ボクたち、急がないと!」 マスカダインと桂花は城のなかを探索していた。幸いにもキサが干渉する気配はない。 この世界を構成し監視しているキサは一つのことに集中するとそれ以外は気にしないらしい。 赤ん坊は大人のように計算や打算はないが、その分、無邪気で、気まぐれなところが恐ろしい。 エクは第一に自分の生存を優先し、下手に部屋の外に出ることは避けていた。かわりに目で得た情報をノートに書き込んで桂花とマスカダインのフォローにまわる。 「……それって寂しいね」 ぽつりとマスカダインは呟く。 「ボクはね、失ってから気が付いたから……キサちゃんには、そうなってほしくないんだよね。幸せな気持ち、たくさんの人と過ごす楽しさ。ねぇ、桂花さん、あなたのキサちゃんへのお願いって覚醒を無効化することだけどさ、それって、どういうことになるのかな」 「知らないわ。だって、キサは神様なんでしょ? ……ここじゃないの?」 桂花はマスカダインの質問を避けて白い扉の前に立った。 砂糖菓子の扉を二人は押し開いて、息を飲む。 鮮やかな花に埋もれた透明な硝子の棺のなかに理沙子が眠っている。マスカダインは息を飲んで駆け寄るのに桂花も続く。 棺を押し開けると桂花は理沙子に触れた。 「冷たい」 「死んでる?」 「呼吸をしているわ。けど、危ないわね」 「これって」 「キサね。……母親が襲われて、作った空間……ここで母親を守っているんだわ。けど、このままじゃ、いずれは死んでしまう」 桂花の言葉にマスカダインはすぐにエクにメッセージを返信してぎゅうと拳を握りしめる。 「ボク、女王様と話すよ! いっぱいお話をして、知ってもらうんだ。つらいことや苦しいこともいずれは生きる力になる。戦える武器になれるってこと……キサちゃんはまだ引き返せれるんだよ! ボクは信じるよ、絶対に! それに、ボク、いろんな依頼を見てきたけど、一つだけ欠片を取り出しても生きてる人のこと知ってるんだよ!」 マスカダインは祈るように走り出した。 あははははははははははははははは! そういうことなんだぁ! あはははははははははは! みぃつけた、キサのよ、わ、み♪ キサは目覚めるとさっと起き上がってきょろきょろと周囲を見回した。 「リーリスおねぇちゃんがいる」 突然、ドアが乱暴に開けられてキサは振り返った。 「女王様! お話があるんだね!」 マスカダインが乗り出したのにキサは目をぱくちりさせる。 「ボクね、女王様といろいろとお話したいんだよ。女王様、お話好き?」 「大きな音、こわい」 キサはむっとムシアメの背中に隠れた。 「パパ、やっつけて!」 「キサはん、えーと、えーと」 「ボク、やられちゃうの!」 「何馬鹿してるんだ。キサ、話を聞け」 桂花と合流したエクが部屋に乗り込むと鋭い声をあげるのにキサはますます不機嫌な顔をした。 「もう息子は部屋にいなくちゃいけないでしょ」 エクはキサに大股に近づくと、顔を覗き込んで昂奮を落ち着け、冷静な声で告げる。 「よく聞け。このままだと、理沙子は死ぬかもしれない」 「死ぬってなに」 エクは言葉を失った。 死をキサは知らないのだ。 だから、奪うことにためらいがない。与えることにもためらいがない。 「……っ」 「キサ、いらっしゃい」 絶句するエクの傍らから桂花が呼ぶのにキサは目を瞬かせた。 「私が教えてあげるわ」 桂花が進むのにキサはムシアメの腕にしがみついてあとに続く。急にマスカダインやエクが自分の理解不能な言葉を投げつけてきたのに怒りと不安を覚えてむすっとしていた。 たいしてエクとマスカダインは混乱していた。見た目こそ大人であるが、キサが知恵のない赤ん坊だというすっかり忘れていたのだ。 硝子の棺のなかにいる理沙子の前に桂花はキサを連れてきた。そしてその頬に触れさせてから自分の頬に触れさせる。 「どう? 冷たいでしょ? 違うでしょ。このままだと危険っていうのはこういうこと」 「……ママは寝ているだけよ」 「キサはん、このままやと、ママは、もうキサはんに会ってくれんのやで。キサはんは、わいに抱っこされてあたたかくて好きやっていってくれたやろ?」 ムシアメが言葉を付け加える。 「このままやとママはキサはんを抱きしめられなくなるんや」 「それは、いや」 キサは弱弱しく反論する。 「なら、ここから出るんだ。俺たちには助ける方法がないんだ」 エクの言葉にキサは不満げな顔をした。 「どうしても?」 「このままなくしていいのか?」 強い口調にキサはびくっと震え上がり、瞳に涙をためて睨みむのにぎくりとエクは拳を握りしめた。 「やだ、それはやだやだやだ! ぜったいや!」 キサの怒りに共鳴して城が大きく揺れたのに全員が身構えた。 「キサはん、わいの術で大丈夫にしたるから落ち着くんや!」 「みんなが、みんながキミのことを守ってくれるんだよ? ボクの話したかったおはなしはね。キサちゃん、これからいっぱい大変だよ。苦しいよ、重いものもあるよ、けど、素敵な贈り物、いっぱいもらうんだ。そのためにも、ここからボクたちと出るんだ」 キサは俯いたままだ、獣のように唸った。 「やだやだやだやだ! 楽しいのがいいの、面白いのが好きなの。つらいのってなに? 重いものなんていらない! ここはキサの世界だもん」 「キサちゃん、ここにあるものは大切なものが欠けてるんだよ? ちゃんと知らないと本当の意味で満たされないんだよね。普通の女の子に戻ろう。ボクの考えが正しければ、きっとキサちゃんは普通に戻れる」 その言葉に桂花が遮るように口を開いた。 「キサ、あなたが満足するまで遊んだわ。なら、願いを叶えて。そしたら、この人たちの言うことなんて聞かなくていいように私がしてあげる」 「本当? 本当ね! どうしたらいいの?」 キサは桂花に飛びついた。 「私の覚醒をなかったことにして」 桂花の言葉にキサは目を瞬かせた。 「いいよ! ……ひこうき、おちる、ひの、なかで……」 「待て!」 エクが吠えた。 「どういうことだ。桂花! お前の願いっていうのは!」 「そのままよ。私は覚醒をなかったことにしてもらうの。それで死ぬのよ。私はね、生きてるのが間違いなの」 桂花は皮肉ぽく笑いながらキサをしっかりと抱きしめる。 「あの人は私を捨てたの。自分に見えない所で野垂れ死んで欲しいんですって。何で私、生きてるのかしら? 覚醒しないで死ねば良かった。本当の死人になっておけば良かった。あの時死ねば、誰一人困らせなかったのにって、だから」 「だからなんだ。お前は何をキサにさせようとしているのかわかってるのか!」 激しい嫌悪にエクは怒鳴っていた。 自分が捨てられた過去が。お前なんていらないのだと。 自分が殺されかけた過去が。お前なんていらないのだと。 エクのなかで爆発する。 「おまえは……なにもしらない子どもに人殺しをさせるな! それが大人のすることか! この子は、何も知らないが、いずれは成長するんだぞ? その結果、お前の死に加担したことを理解したらどれだけ苦しむと思う! どれだけ辛いと思う!」 エクの言葉に桂花は押し黙るがキサを抱いて後ろに下がる。 「キサ、桂花の願いは聞くな!」 「だって、遊んでくれたから」 「人殺しになっていいのか!」 「エク、なに言ってるのかわかんない」 キサが怯えるのにエクは舌打ちしたくなった。人の生死のわからない、だから何も恐れないことがこれほどに厄介だとは思わなかった。 「キサはん、それなら、わいを壊したらええ。人の生死がわからんのなら、わいは道具やけど、人の見た目をもってるから多少はわかるんやないか」 「ムシアメちゃん?」 ムシアメは真剣な顔でキサを見つめる。 「わいは人ちゃう。道具や。やから人を殺すような罪はならんから遠慮せんでええ。壊してみたらええ。壊したらもう戻らん。そしたら少しはわかるかもしれへん」 ふるふるとキサはムシアメを見つめたまま首を横に振る。 「ずっと一緒っていったじゃない。キサのこと守るって」 「キサはん、死っていうのはな、そうやって一緒におられんようになることや」 キサはとうとう泣き出した。それに合わせて城がぐらり、ぐらりと今度は怯えたように小刻みに揺れはじめた。 「みんな、よくわからないことばっかり、いじわるばっかり……っ」 なぁら、リーリスがおしえてあげるよ♪ キサ♪ 城の壁が塵と消えて、そこからリーリスが笑いながら現れた。 「遊びにきたわ、キサ」 リーリスは笑う。 なんて弱弱しい女王さま! 「リーリスおねぇちゃん」 魅了も、精神感応もキサには効かない。この世界をキサが支配するから、キサのいやがるもの、傷つけるものは存在できない。 けれど、それは明白に傷つけるという形があるものだけ 言葉に形はないからキサを容易く傷つけられると仲間たちが証明した。 「キサが力を使う度、皆も理沙子さんも死んでいく……ほら、みて、こんなふうに」 リーリスの手が掲げられて、エクは殺気を感じて理沙子を抱えて逃げた。元いた場所に穴が開いている。 マスカダインがギアを取り出して飴玉を撃つが、リーリスはそれを塵と変える。 「邪魔ね。……ふふ、リーリスが見せてあげる。キサ、いま、キサはなにか願った? そうなると、リーリスの体がねぇ」 ぐしゃあとリーリスの体が塵と化して潰れる。 「あ」 キサは小さな声を漏らす。 リーリスの頭は潰れ、そこからあふれ出す苦しむ悪霊たちの顔 そのなかに理沙子がいる。 憎しみに満ちた顔 キサは見る 塵で作られたそれらはぐにゃりと形を変えて、黒く、苦悶の声をあげる。 キサは耐えきれずとうとう悲鳴をあげる。 「いゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」 城が激しく揺れる。 キサの心の悲鳴に合わせて激しくもだえるように 「いゃああああああああああああああああああああああああああ!」 キサのなかで母が殺されかけた絶望と憎悪が蘇る。 だから否定して作り出した世界は旅人たちの与えた死のイメージによって崩壊し始めた。 否定したものがキサを蝕んでいく。 「……ムシアメちゃん、たすけて、たけすて、こわい、こわいよ、たすけて………たすけて」 少女は何も信じられず、床に蹲るとわが身を抱いて震えながら小さな声で救いを求めるのにリーリスは馬鹿にしたように高らかに笑う。 「あははははははははははははは! 弱い弱い女王さま!」 伸ばした手が真っ直ぐにキサの頭を狙う。 キサは何もできない。 それに桂花が飛び出した。 ざしゅ。と音をたてて、血が飛び散る。 キサに血がかかる。 リーリスにも。 頭半分が潰れた桂花はぐらりと地面に倒れる。 「別に、いいのよ……死ぬ方法が、なんでも、死ねるなら、私は」 リーリスは舌打ちした。 「塵族がぁあああ! 私の邪魔をするなぁぁぁ!」 桂花の体は塵と変わって、リーリスに飲み込まれて消えていく。 完全に消える死をキサは見た。 「うそ、つき」 キサは呟く。 「あそぶって、ともだちだっていったのに……だから、つくったのに」 リーリスは眉根を寄せた。 「りーりすおねえちゃんがいったのに、たのしくするって」 「だから楽しくしてるじゃない?」 「桂花、いなくなっちゃった」 「塵族如きがいなくなってもいいじゃない? 私は楽しいわ! ねぇ、キサァ、はやく、欠片をちょうだい。ふふふ」 リーリスは何度もインヤンガイに訪れて、キサに呪いのように繰り返した。 遊んであげる 世界を面白くしてあげる 毒のように言葉はキサを侵食し、面白いことが大好きな女の子にした。 だからキサは楽しい世界を無意識にも刷り込まれた言葉のままに作り出し、リーリスが世界にはいってきても放置した。キサは赤ん坊のときから可愛がってくれていたリーリスを心から信用していたから。 リーリスにとってキサは自分から力を奪った敵だ。キサ自身がそう自覚してなくても。 そしてリーリスの面白いとキサの面白いは違いすぎた。 無表情のキサのドレスが真っ黒に染まり、全身から力が爆発する。 「!」 キサの周りの命がある者力が、ことごとく奪われていく。 「きえて、ぜんぶ」 赤ん坊に知識はないが、感情はある。それは黒く、名のない、激しいものとなって周囲を襲う。 リーリスは怯む。これではあのときと、フェイのときの二の舞、いいや、それよりももっとタチが悪い。 キサははっきりとリーリスを敵として認知した。 やり返そうにも、この世界はキサの作った世界。否定したものは消えるしかない。監視につけた分身たちが散っていく。 ぎゃああああああああああああああああああああああああ! リーリスは悲鳴をあげながら外にいる自分の分身に呼びかけ、世界から逃げようとするのに外にいた分身が潰され、手足がもがれた。 おのれ、おのれ、塵族! 「あ、あはははははははははははははははは! そうよ、キサ、そうやってキサはみんなころしていくのね、私も、桂花も、みぃんなころしていくのね!」 悲鳴と哄笑が世界を揺るがせる。 キサは知った。死ぬことを。失うことを。奪われることを。――無垢な赤ん坊の心を容易く破壊する。 「キサはん! アカン!」 キサを後ろから抱きしめてムシアメは必死に止めようして、全身の力が奪われて倒れこんだ。 「あ、ぁあああああああああ!」 ムシアメは全身の痛みに悲鳴をあげた。全身から力という力がどんどん奪われていくのがわかる。 「……ムシアメちゃん? どうして、どうして? どうして? だめ、だめだめだめぇえ! やめて、やめて、やめて! ムシアメちゃんにひどいことしないで! っ、ああああ、キサが、キサのせい? キサがいるから、キサのせい、キサのキサキサのせい、キサなんて、」 キサはムシアメを見つめて、茫然とする。そして泣き出しそうな顔をして首を横に振ってずるずると下がっていく。 「キサ!」 理沙子を抱いてエクは叫ぶ。下手に近づけば、自分も、理沙子も力を奪われるのでじりじりと退避するしかない。 「エクさんは、ママさんを守ってね!」 「おい」 「キサちゃん! 落ち着くんだよ! はと丸、またちょっと痛い思いするかもだけど、おねがいだよ!」 マスカダインは前に駆けだしていく。 奪う力に全身が痛むが、それも一回だけならはと丸が肩代わりしてくれる。 「ボクたちがいるよ。ボクたちがキミを守るんだよ! 信じてほしいんだよね! 絶対に絶対に守るから、だから、キサちゃん、欠片に言うんだよ。出ていってって。今まで、欠片を持っていて、それで取り出されても生きてる人、戦争のとき、偶然欠片のはいったアマリリスさんって人いるんだけど、その人の欠片を灰人さんは奪った、けど生きてた。つまり、欠片には欠片を取り出す力があるんだよ!」 それは憶測に過ぎない、けれどマスカダインの知る中で、唯一欠片を肉体に所持して生きていた。 再び激しい痛みが襲いかかってきたのにマスカダインは倒れが、信じて手を伸ばす。 「信じてよ、ね?」 世界が悲鳴をあげる。それは誰かの涙のように。 リーリスの残した呪いの言葉がキサの心を蝕んでいく。自分がいらないものだけを傷つけようとしたのにムシアメも、マスカダインも傷つけてしまった。 リーリスの哄笑がまだどこからか聞こえ、世界は大きく揺れる。 キサは両手で頭を抱え込む。 自分を、 そうだ 傷つける自分が消えればいいのだ、桂花みたいに。 ざらぁと音をたててキサの肉体は消え始める。 欠片が、キサを食らい始めた。 「キサはん、落ち着こう、な」 ムシアメは片手を差し出した。 この手は、呪いを紡ぎだす。 誰かの血で、誰かの死で、赤く濡れている。だから命の在るところは自分に似合わない。 けれど、もし、許されるのならば 「わいの手、とって」 キサは首を横に振って逃げる。ムシアメは手をさらに伸ばした。 「キサはん」 キサは首を横に振る。 「キサはん」 「どうしていいのか、わからない、わかんない。死ぬの、なんなのかわからなかった。けど、桂花、死んで、ああなるの。知らなかったの……キサは奪うだけなの? ムシアメちゃん、ひどいことした、の」 「……それでも、わいはキサはんに生きていてほしい。だから一緒に考えよ、な。わいはな、キサはんが誰かを傷つけるの見たくないんや」 弟分ではなくて、道具ではなくて。それがムシアメ自身の言葉。禁忌だと認知していながらその術を使おうとした理由。 「ムシアメちゃんが壊れたら、やだ。胸が、苦しい、苦しくて、苦しくてやだ」 キサはもう感情のままに力を奮いはしなかった。 それは弱弱しいものへと変わり、キサの心に同調するようにして沈む。 ムシアメはキサの手を握りしめる。この手を、この子は愛してくれたから 「こういうときはな、ごめんなさいっていえばええんよ」 「ごめんなさい?」 「そうや。わいも一緒に謝る。許してくれる方法を考える。やから、キサはんは自分のこと否定せんといて。キサはんがそうするとわいも苦しいんよ」 「……ムシアメちゃん、むしあめちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ、キサのこと嫌いにならないで」 キサは泣きながらムシアメに飛びついて縋り、泣き続ける。 「キサちゃん、ボクも考えるよ」 マスカダインが笑う。 「キサちゃんを守りたいって思う、みんなが考えるよ。だから外に出よう」 「……キサ、俺も考えてやる。お前の欠片のことも、これからのことも。わからないなら、俺たちも考える。お前も知っていけばいい。世界図書館にお前を保護してもらう。マスカダインが言うことが正しいなら、きっとお前の欠片をとれるはずだ。誰も、もう傷つけることなく、奪うこともない……普通の女の子になるんだ」 エクの言葉にキサは小さく頷く。 キサにも自分が危ないということが、死ぬことが、奪うことを体験して理解した。それがキサに僅かながらも欠片の力を抑える効果をもたらせた。 「キサはん、真理数が……」 キサの頭上には真理数が消えていた。 欠片は罰のように、少女から世界を失わせた。 そして、夢見る世界は崩壊する。 重体の理沙子は外で待っていたハワードと、彼の護衛をしていた旅人が引き取り、すぐに怪我の治癒がなされた。 幸いにもその場にいた者は治癒に長けていたことと、理沙子は首を絞められての酸素不足の仮死状態であったのに、病院に運ばれて一命は取り留めた。 キサはその間、ずっとムシアメの背に怯えるように隠れていた。 赤ん坊であっても欠片があるゆえにキサは自分の父親が自分の死を決意したことを知っている。死がなんなのかを知ったキサにとって、父親は恐れの対象でしかなかった。 ターミナル・世界図書館。 依頼の顛末はすぐに司書に報告された。 担当にあたった黒猫にゃんこは、現在は黒い猫の本体の姿で沈痛な面持ちで深いため息をついた。 「キサの欠片は、キサの脳、つまりは、とっても深いところにあるんだよね。だから、マスカダインが言ってみたいな方法では今の段階ではとるのは難しい。だって、出ていけっていっても具体的なイメージがキサには出来ないし、欠片がキサと強く密着してるから」 現在キサは世界図書館に保護され、正式に登録手続きを行い、ムシアメがなだめ役として同行して医務室チームが検査を開始した。 にゃんこはクゥから受け取った書類を見て淡々と報告するのにマスカダインはがくっとうなだれた。 「そうなのねぇ~」 「じゃあ、どうなるんだ。キサは」 エクが焦がれるように問う。 「保護した以上、ギアを与えて力をある程度は抑えるから今回みたいなことはもう起こらないよ。君たちの報告からキサは知ることで力をコントロールできるみたい。つまりね、キサはこれからいろんな経験を積むことで自分の力で欠片を否定することが出来れば世界図書館にある欠片も利用したら穏便に取り出すことも可能だろうって推測してるにゃあ」 「つまり、知識が必要ってことだね! マスダさん、わかったよ。いっぱい勉強するんだね」 マスカダインが真顔で断言する。 「まぁ、簡単に言うと、そういうことだね。今回はそれを思いついたマスカダインと保護するって考えたエクのお手柄だにょ」 「そういうことか。理沙子はこのことは」 「にゃんこは一匹しかないないの、頭も一つなの出来ることは一個しかないの! もぅ気になるなら君からこのことを話しにいってあげなよー。きっと喜ぶよ? アデル家は娘を世界図書館に保護されることには同意したけど、今回の事件でいろいろと複雑みたい」 「むー。難しいね! よーし! マスダさんはキサちゃんにお話して知識を与えるのね!」 元気よくマスカダインは駆けだしていく。 エクはその背を見送り、にゃんこに向き直って一番気になっていたことを口にした。 「リーリスのことはどうするんだ」 エクはリーリスのしたことをすべて覚えていた。いつもならば悪知恵の働くリーリスは魅了の力を使い、口封じをするのだが、キサによって力のほとんどを奪われ、逃げるしか出来ない状況にそれも叶わなかったのだ。 エクは気になって帰りのロストレイル内を探したが、そのなかにリーリスの姿はなかった。 「リーリスがターミナルに戻った形跡はないにゃあ」 「つまり」 「インヤンガイに潜伏しているみたいだね」 エクの目がにゃんこを見る。にゃんこはエクを見返した。 「このままにしておけないから、捕獲依頼を出してターミナルに連れ帰ってもらうよ。今回は状況が状況だからリーリスからの話もしっかりと聞いておかないとエクたちの話だけでは判断できないからね」 にゃんこの言葉にエクは頷いた。 「そうか。忙しいのに悪かった」 エクは背を向けて歩き出し、ふと視界に入った赤いリボンに目をとめた。 キサと遊んでいたときにつけたものだ。柔らかなリボンに触れると自然と口の端に苦い笑みが零れ落ちた。
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