ソアが一部を借りている農地チェンバーは、いつかのパジャマパーティのように、うっすらと夕闇に沈みつつあった。「ミルカさん、まだかなあ…」 しばらく表で待っていたソアは、溜め息をついて家に戻る。 星の瞬き始めた空を背景にした古い民家、急勾配の茅葺きの屋根、変色し、ところどころ割れたり隙間があったりするけれど、それゆえ使い込まれた感じのある引き戸をくぐり抜けると、土を敷き詰め踏み込んだ土間に続いて、磨き込まれた板間に上がる。気づいて脱いだ履物を脇へ揃え、板間の向こう、やや黄ばんだ畳の中央に仕切られている囲炉裏端にぽとりと腰を落とした。 ターミナルなのだ、寒くはない。 けれど、薄赤い熾き火を光らせて、釣り下がった鍋を温めている囲炉裏を眺めていると、一人である寒さとか疲れがゆっくりと溶け出し消え去っていくように思える。 ルイスは、こんな火を眺めたことがあるのだろうか。 ぼんやりと、静かに燃える温もりの側で、憩ったことがあるのだろうか。 ターミナルの悪意を煽り、敵意を掻き立て、人々を翻弄した鉄仮面の行方を追って、チャイ=ブレの中に飛び込んだミルカ達は無事救出された。だが、ルイスは激しい一太刀を浴びた後、行方がわからなくなってしまっている。 いずれはどこかで死んでいくのだろう、そう囁かれている。 ぶるっ、とソアは体を震わせて、鍋に手を伸ばした。飴色の木の蓋を取り上げ、木杓子でゆっくりと中身をかき混ぜる。借りている畑でとれた里芋、長ネギ、セリ、タケノコ、こんにゃく、それに人参も加えてみた。湯気をたてる一匙を、手元の大振りの木椀に掬い、目を閉じて啜ってみる。「……うん」 出汁は十分きいている。醤油と野菜の甘味のバランスもいい。 そっと隣を見下ろして、深緑の鉢に盛ったもちもちした団子の数を確認する。サツマイモとひじきを練り込んでほんのり甘く仕上げてある。ミルカが来てから、おしゃべりしつつ煮炊きすると、ちょうどいい具合に味がしみ込むだろう。 パジャマパーティの時は戸を外して部屋を広くしていたが、今日はどれも閉めてある。こっそり、というのではないけれど、『記憶献上の儀』を越えた二人には、もっと深く静かに話してみたいことが一杯溜まっている。 出汁をもう少々加え、鍋の蓋を少しずらして、ソアはもう片側の二つの小鉢を見下ろした。 片方には丁寧に手入れした糠床で漬けた大根。 もう片方には芋の茎と葉のつやつやしたきんぴら。 御飯もいい具合に炊きあがっている。準備された二膳の箸と二つの湯のみ。 隣の部屋には白く洗い上げたシーツの布団が二組。昼の間に十分干して、ふかふかと膨らんだところを取り入れた。 もちろん、お風呂の準備も万端だ。食べている間に少し冷めてしまうだろうけど、薪を足せばすぐに温まるし、そうやって用意する間もきっと話は尽きないだろう。 喜んでくれるミルカの顔を想像してにっこりしたソアの耳に、こんばんは、と声が届いた。「ミルカさん!」「こんばんは! よろしくお願いします!」 慌てて立ち上がって戸口へ走ると、鮮やかな大きな帽子を脱いでぺこりと一礼、ミルカが満面の笑みで立っていて、手にしていたものを差し上げた。「え?」「お泊まりにおやつはかかせないと思って」「わあ…っ」 今夜をミルカも楽しみにしていてくれた、そう気づいて、ソアは顔が熱くなる。嬉しくて嬉しくて、入ってきてくれたミルカの先に立ちながら、ふわふわ舞い上がっていきそうだ。「ああ…すごくいい匂い」 土間に靴を脱いで、ミルカが目を閉じて呟いた。「何だかとっても懐かしい場所に帰ってきたみたい」「……あり、がとう」 ソアはいそいそとお茶を準備する。ミルカに勧めた座布団も、この間ソアが手作りしたものだ。「気持ちいいなぁ」 囲炉裏の火を見つめながら、ミルカが嬉しそうに呟いた。 ゆっくり話そう。 熾き火のように消えない想いを、一つずつ。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ミルカ・アハティアラ(cefr6795)ソア・ヒタネ(cwed3922)=========
「はい、どうぞ」 「ありがとう」 木の椀に盛られた具沢山の汁ものは、スープというより滋味溢れる野菜の煮物にしっとりと甘い優しいスープが絡まっているような味わいだった。お箸の遣い方は少し練習してきたし、これも使って下さいと差し出された木のスプーンもしゃれていて使いたかったけれど、ミルカは、少しずつ少しずつ、汁とつややかに炊き上げられた御飯、きんぴらと漬け物を口に運ぶ。 「人参、甘い……砂糖は入ってないんですよね」 「はい」 ソアが嬉しそうに頷いて、手にしていた鉢からお団子のようなものをそっと鍋に滑らせていれる。 「それは」 「サツマイモとひじきのお団子。もう少ししたらよそいますね」 「じゃあ、お腹空けとかないと」 「え?」 「凄くおいしいから、お野菜だけでどんどん食べ進んでいっちゃいそう」 「…持ってきて頂いたお菓子の分も空けとかなくちゃいけないですね」 「ほんとだ」 お互いににっこり笑って、またふうふう、ふうふう、と息を吹きかけて冷ましながら、里芋を口に入れ、タケノコを噛み締める。 「あつっ…すみません、一枚脱ぎます」 「わたしも」 くすくす笑い合って、額を拭い、染まった頬にさらに笑みを浮かべる。 「ああ……おいしいなあ……」 極まったようにミルカが呟いたのは、もういいかもしれません、とお代わりの時に継ぎ分けられたお団子を、熱さに涙目になりながら呑み込んだ後。 「どうしよう、すごくすごくおいしいです。もっともらってもいいですか?」 「わあ…」 ソアがぱあっと顔を赤らめる。 「嬉しい…。大丈夫です、うんとありますし、足りなければ作りますよ」 「ほんと? わあ、嬉しいなあっ…」 健啖ぶりを見せるミルカにお代わりを追加しながら、ソアはふと滲みそうになる視界に瞬いた。 こんな何でもない当たり前の光景が、危うく奇跡になるところだったのだ、そう過った気持ちに俯く。 「……ミルカさんがチャイ=ブレの中から戻って来ないって聞いて、眠れないくらい心配したけど、こうしてまたお食事とかできてすごく嬉しいです」 「…」 ミルカが動きを止めたのがわかった。 「ミルカさん、勇敢でしたね…すごいなって思いました」 ソアも椀を抱えたままだ。 「わたしだったら危険な場所に自分から飛び込む勇気なんて、きっと持てなかった。わたしもロストナンバーとして生きている以上、そういうことから目を背けちゃいけないのに…よく知ってる人が普通に戦いに行って危険な目に遭っているのに、まだ怖い気持ちが勝ってしまって…」 言い切って、少し怯えながら、それでもぐいと顔を上げると、ミルカがまっすぐソアを見つめている。そのきらきら光る銀の髪と、同じぐらい眩しく輝く紫の瞳に見惚れながら微笑んだ。 「わたし……ミルカさんみたいに強くなりたいな」 「っ」 びくりとミルカが急に震え、見る見る赤くなるのに、困らせたような気がして、ソアは慌てて首を振った。 「ごめんなさい、暗い話になっちゃいましたね」 ごはんが終わったらお風呂に入りましょうか、ちょっと湯加減見て来ますね、と立ち上がり、なおも自分を追いかけてくる視線を感じて振り返る。 ミルカは真面目な表情で、ソアを見上げていた。自分より遥かに小柄な相手が、しかも囲炉裏端に座っているはずなのに、ひどく大きな存在に感じた。 「そうだ、お背中流しますよ!」 片目をつぶって慌て気味に風呂場へ向かう。脱衣場に、縫い上げてあった揃いの浴衣をちゃんと準備していたかどうか、それだけを考えて部屋を出ていった。 「帰って来た、なあ…」 湯船の中で、ミルカはそっと呟いてみる。 さっきまでソアがあれこれと世話を焼いてくれて、しかも背中まで流してもらってしまった。一緒に入りませんか、と声をかけたけれど、ちょっと片付けてきますね、と微笑まれて、何だか無理じいできなくなった。 前のパジャマ・パーティは賑やかだったけれど、今日はふたりきり。女の子らしい可愛いパジャマも持参したけれど、ソアがお揃いの浴衣を準備してくれていたから、それを着させてもらうことにした。 「……」 濡れた銀髪をタオルで包んで、それでも額に垂れ落ちた一房を摘むと、ぴちゃん、と雫が大きく響く。 「…一緒のお布団で寝ていいですか、ってソアさんに聞いてみよう」 ふたりきりで、すごく近い距離に居るのに、最後の一歩が踏み込めないのは、ルイスのことのせいだとわかっている。 ソアはミルカの心情を気遣い、ミルカはソアに負担をかけたことを抱えている。自分よりは大柄なソアの姿が、今夜は少し小さく見える。緑の瞳が、今もなおミルカを案じてくれているのがわかる。 半人前だと思う。わたしはまだまだ半人前だ。めいっぱい背伸びをして、でもまだまだ届かない。 自分の考えたこと行ったことで、まだこうやって人に心配をかけ、労ってもらってしまっている。 「サンタクロースなのに、な」 「ミルカさん?」 「はい!」 慌てて顔を上げると、ソアがそっと戸口から覗いている。 「お湯、ぬるくありませんか」 「大丈夫! それより、一緒に入りませんか」 今度はわたしがソアさんの背中を流したいから。 「え……じゃあ…」 おずおずと頷くソアにほっとする。 「これ…おせんべい、ですか?」 「ジンジャーブレッド。壱番世界のクリスマス近くで食べられるお菓子だそうです。わたしのいた世界でサンタブレッドというのがあったんですけど、それとそっくりだから持ってきました」 ミルカが持参したのはハート型や人形型、家型、森の木型などに形どられている小さなパンのようなものだ。黒みがかった生地には砂糖がかかっていたり、目鼻や模様が描かれていたり、チョコレートで包まれているものもある。 「? 生姜…?」 「あたり。それは中にプルーンのジャムが入ってるの」 「……不思議な味…でも、おいしいですね!」 ソアは首を傾げながらも、次のジンジャーブレッドに手を出している。ふかふかの布団の上、湯船で十分温まった体は浴衣一枚でも寒さを感じず、添えられた熱いほうじ茶にも舌鼓を打つ。 「……ルイスさんのこと…」 話し出したミルカに、ソアはゆっくりとお茶を飲みながら頷く。 「……ごめんなさい」 「え?」 「ルイスさんは怖い人だと分かっていたけど、あの人を探す皆のお手伝いが、自分にはできるんじゃないかって思って提案したこと」 何もできない焦りが繰り返し積み重なっていた。 「それが一緒に行ってくれた人を危険な目に合わせてしまったこと」 できることばかり考えて、できなかったときのこと、万が一できてしまったときに発生する危険のことは思い浮かばなかった。 「………待っている間、本当はとても怖かったけれど、それ以上に申し訳ない気持ちでいっぱいだった」 このまま死ぬのかも知れない。 そういう恐怖と同時に、視界に入った仲間の横顔に、血の気が引く想いを味わった。 この人達を、わたしが、こんなところに連れ込んでしまった、脱出する手立てもないままに。 ジンジャーブレッドの人形を手にとる。無邪気な丸い瞳でこちらを見上げる顔は、あの時のミルカの顔そっくりな気がする。そろそろと持ち上げ、頭からがぶりとかぶりつき、もぐもぐと噛む。視界が緩く蕩けていくのを感じた。 そうだ、こんなふうに、チャイ=ブレに咀嚼されるしかなかったのかも知れないのに、そんな責任なんか取れないのに、わたしは自分だけではなくて、皆を巻き込み飛び込ませてしまった。 ごくり、と強く呑み下す。 「ソアさんが助けに来てくれた時、すごくすごく嬉しかった…」 手に残ったジンジャーブレッドは自分の甘さの象徴。 「……ごめんなさい」 頭を下げる。そうだ、今もまだ。 「心配させてしまって、本当にごめんなさいっ!」 「………お友達じゃないですか」 ソアが静かに呟いた。 「……お友達の心配をするの、当然じゃないですか」 同じように俯いたソアが、ぎゅっとこぶしを膝の上で握りしめる。 「……ミルカさんが無事に戻ってきてくれて……ミルカさんとまた、こうして一緒に居られて、わたし」 ソアが顔を上げる気配にミルカも顔を上げる。視界に飛び込んだのは、明るく澄んだ草色の瞳と、零れるような笑顔。 「とっても、嬉しいです」 「ソア…さん…」 帰って来たんだ。 ミルカの胸に声が響く。 帰って来たのは、良かったんだ。 この笑顔がそう言ってくれている。 「ミルカさんは『サンタさん』ってお仕事をするんですよね」 ソアは幸せそうに笑いながら続ける。 「クリスマスに皆さんの所に贈り物を届ける人…ですよね?」 「はい」 「皆さんに贈り物と夢を届けるなんて、とても素敵なお仕事だと思います」 ソアがジンジャーブレッドを食べ終えて、両手の指先を胸元で合わせる。 「もし今度のクリスマス、ターミナルでサンタさんのお仕事をするのなら、わたしもお手伝いさせてください。力仕事には自信あるので、荷物運びのお役にたてるかもしれないし、牛になってそりも引きますよ………そうだ」 優しい懇願。誰が拒めよう。 半人前だ。ああ確かに半人前だ。でも今日は、半人前のままの自分で、甘えてもいいですか? そう胸の中でソアに問う。 「「一緒のお布団で寝ましょうか」」 重なった声に二人は笑い合い、頷き合う。 ジンジャーブレッドを片付けて、一つの布団に一緒に入って、お互いの熱で温め合って。 くすくす笑いと囁き声が響き続ける、あれやこれやと高くなったり低くなったり、やがて少しずつ途切れ出し。 「…そうだ……せっかくだから……前はできなかった恋のお話でもしますか……?」 まるで周囲も一緒に眠り込ませそうな、柔らかな吐息まじりの声でミルカが囁き。 夜は更けていく。 翌朝。 「んーっ」 ソアは台所で伸びをする。 体がまだまったりと解れたままなのを起こすように、いそいそと朝ごはんを作りにかかる。前の時は先に寝てしまったから、今度はミルカが眠るまで起きていたかったから、ちょっと頑張り過ぎたけれど、優しい寝息が聴こえ出したのを覚えているから、願いは果たしたと思う。 「おみそ汁と、浅漬けと、おひたしと卵焼き…」 きんぴらの残りに揚げを入れて焚き直した。お団子は小さめに切ってみそ汁の具の一つに。上がる湯気に無意識に笑み綻ぶ。 おいしいものを作ろう。 おいしいものを作って、一緒に食べよう。 がたりと背後で音がして、境の襖を開ける気配に振り返る。 「………おはようございます、ミルカさん」 微笑むソアに、ミルカは眩げに笑み返した。
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