イラスト/倖野ユキコ(iyps2551)
0世界にも酒を飲む場所はいくつかある。 壱番世界のマフィアのボスが出入りする場所もあれば、ちょっとした睦言を紡ぎたい男女が気軽に出入りするシングルスバーまで様々だ。 その店はそれらのバーの中でも、1,2を争う歴史を紡いできたバーだった。 地上に立つチェンバーの奥。黒壇の取っ手の無い扉を押し開ければ目前には階段。 地下深く延々と伸びるその階段をどれ程降りるだろうか。 ようやく辿り着いた扉は白檀。 両開きになっているらしいその扉もまた重く、されど押し開ける彼女の手つきは微塵もその重さを感じさせるものではない。 小さな店だった。 大人が四人も手を広げれば壁に手がつくほどの幅。奥行きは三人分程だろうか。 手前と奥を区切るのは、壁から壁に渡された厚い一枚板のカウンター。 黒光りするその表面は、壁にかかったたったランプの揺れる明かりによって仄かに浮かび上がっている。 カウンターの向こう側、床から捧げられる光は壁に作り付けられた無数の酒瓶を陰影深く浮かび上がらせ、隣の宿り木に座る人物の判別すらも怪しくさせるものだった。 明かりの横こそ、真に暗闇を形作るものなのだということをこれ以上なく印象付ける作りに、女は知らず笑みを浮かべている。 片方の肩にのみかかる、大胆に胸元をカットしたイブニングドレス。 紫紺の布地はその重さを感じさせる重厚なもの。だが豊満な胸の谷間を印象づける型のそれは、腰のあたりに咲く薄紅の薔薇をあしらったウェストリボンをアクセントにし、その印象を和らげる。 足元は右側の太もも付近まで入った大胆なスリットから、斜めに流れるように左側に向かって長くなっていくスカートを纏っていた。 一枚布で仕立てられたように見えるそれを堂々と着こなすハイユ・ティップラルは、先に訪れていたらしい連れの、常とは異なる格好を上から下へ、下から上へと楽しそうに眺めやり、笑みを深くする。「待たせた?」「いや、こちらも少し前に来た所だ。どうだ、面白いところだろう?」 肩ほどの髪を揺らして宿り木に座ったまま振り返った女がそう言って微笑む。「流石アマリリスくん。素敵なところ知ってるじゃん」 言いつつハイユは、無遠慮に眺めることを、やめようとしない。「――そこまでじろじろ見られると、照れが出てしまうな」 全く照れを感じさせない口調で、嫌味なく微笑むアマリリスの衣装もやはり、ドレスだった。 勇ましい軍服を彩る朱色ではなく、純白の白。 繻子の白地に様々な花がやはり白の糸で抜いとられ、首元は白金を編み込んだ大きめのネックレスで覆われている。 両肩から胸元付近まで四角くカットされた首元に輝くその装飾は、段々に編み込まれ無数の真珠が仄明かりを反射し、色とりどりの煌きを見せている。 足元まですとんと切り落とされたようなそれは、無数の刺繍で象られ単調な印象を与えない。 両の肩を覆う白い羽根のような短いケープは、そのまま彼女の背に宿る翼と一体化しているかのように見えた。「綺麗じゃん」「そちらこそ」 アマリリスに促され宿り木に腰を下ろすハイユ。 アマリリスに供されていたのと同様に、小皿に盛りつけられたチーズが供される。「ここは常に一組しか客をいれない場所なんだ。だから、私と君が帰るまでは、二人のための空間にしてくれる――勿論、素敵なマスターが傍にいてくれた上で、ね」「で、何人口説いたわけ?」 今にも薔薇の花を差し出してきそうなアマリリスの横顔を眺めて、ハイユが揶揄するも言われた方は、気にする様子がない。「ここで待ち合わせたのは君が初めてだ、と言ったら信じるかい?」 軽く肩をすくめて茶目っ気たっぷりに切り返す女将軍の横顔に、ものぐさメイドは「さぁてねぇ」と応じる。「ま、とりあえず乾杯と行こうよ」「そうするとしよう」 合意に至った二人。 まるでそのタイミングを見計らったかのように、二人の前に、コースターが置かれ、静かにオールド・ファッションド・グラスが乗せられた。 ミキシンググラスから並んだグラスへ注がれるそのカクテルは、プリマスジンとローズのライム・ジュースを半ばずつ。 古式ゆかしいギムレットが2杯分、ピタリと注がれる。 揺らめく灯りに照らされて、緑を含む、神秘的な黄色の液体が輝いていた。「"ギムレット"になります」 ハイユが来て初めて口を開いたマスター。 ハイユは手元の酒を数度まばたいて見つめ、アマリリスに幾度めかの笑みを投げかける。「あんたの趣味?」「風情があるだろう?」「あんたにお似合いの酒だね」「そう言ってくれると思った」 乾杯、と小さく声を揃え、打ち鳴らされる厚手のグラス。 二人の密やかな夜語りは、始まったばかりだ。 終わりの始まりを迎えるにはまだ早すぎる。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372)ハイユ・ティップラル(cxda9871)=========
「こうして呑むのは祝勝会いらいかね?」 酸味よりも甘みの強いギムレットを軽く飲みほして口唇を艶めかせたメイドが革製のコースターにグラスを置いて、息をつく。 「そうだな。君とは一度、ゆっくり飲みたいと思っていたのでね。急な誘いだったが、受けてくれて嬉しかったよ」 麗人はかくや、という風情で微笑むアマリリスの横顔をみながら、ハイユは笑みをこぼす。 「お酒はねー、あたしは御館様……あたしを今のあたしにして下さった方に教えていただいたわ」 ロックグラスを揺らすように弄び、氷を動かしては色味の変化を楽しむかのようにする様子のまま言う美女の横顔を、アマリリスは少しだけ顔を傾けて、眺めていた。 「酒は、美味しく、楽しく――ね」 「よい方だな」 酒は逃げるものではない。興じるものでもない。味を愉しみ、空気を楽しみ、共にあるものとの時を嬉しむ。 そういうものだという意味なのだろう、とアマリリスは解釈し、応える。 そんな彼女をちらりと横目で見て、ハイユはにたり、と笑いかけた。 「もう一つ」 なんであろうかと小首をかしげる翼人の将軍の素直な表情を見て、ひと呼吸。 「酔った時にしか見せない顔をわかるようになれ」 重々しいその口調はきっとその主人の口ぶりなのだろう。 背後に潜む剽軽さを感じさせるもの。 「それは、相手の、ということだよな?」 無用の確認だが、と問いかけるアマリリスにハイユは笑って少し身を寄せると、必要もないのに片手の裏を右頬にあて、左側に座するアマリリスに囁きかけた。 「だからね。アマリリスちゃんもあたしの前で限界まで自己を開放しちゃっていいのよ?」 † 頭上に浮かぶ、真理数。 親友の眠る故郷から遠くあるこの地に至っていくつかの季節を数えた。 そんな彼女の頭上にほとんど安定して浮かんでいるそれは、カンダータのもの。 まだほんの数年。 だけどその時間は、かつての故郷で親友が先に逝き、彼女が残した国や子らを見守っていた時間と比すると――比較できるものでない、という想いもあるのだが――かなりの濃密さを持つものだった。それは真理を知ったゆえではない。 ナラゴニアとの闘争、身の内へ取り込んだ世界計とそれがもたらした力、カンダータの武人達とのやりとりや、そこで起こった大規模な戦闘に身をおく自分の姿。 安定の二文字が最前に来る彼女の世界と比してみると、それは騒乱の塊であるかのようにすら思える。 「色々と、あったな」 この数年の過ぎし日々。それは決して自分だけの感慨ではないと思う。 よくも悪くも安定していたこの0世界において発生した数多の事象は、この数十年の内で確実に特異点とでもいうべき事象であったはずだった。 「色々あったねぇ……」 ハイユもうむうむ、と頷きを返す。 北極星号が旅だったのは、ほんの少し前のこと。彼らが帰ってくるまでには、まだ長い時間がかかるだろう。 乗車しなかった旅人達の中でも自らの新しい故郷を決め帰属した者も少なくない。 アマリリスもまた、その一人。 だからこそ、今彼女は故郷を思い返すことが多くなっていた。 新たな故郷を己の内に定める――かつての故郷との完全なる決別を意味するのだと、無意識に、意識的に、自覚しているがゆえのことだろう。 ハイユと酒を酌み交わしたいと考えていたのは以前からだ。 だが、その想いが強くなったのは間違いなく今の状況ゆえに。どこか、生き様の根底が似ているように感じる彼女に、今の自分を聞いてもらい、覚えていてもらいたいと、そう思ったからだった。 ――おまかせで。 そう頼んだアマリリスとハイユの元へ、それぞれグラスが差し出される。 アマリリスの前にはブラッド・オレンジの色が強く残る、朱色のカクテル。 ワイングラスの口元には、小ぶりな薔薇の花が飾られ、控えめだが華やかな香りを添えている。 ハイユにはブランデーグラスに注がれた琥珀色の液体。 通常はビルドですが、と言葉を添えたマスターが、ドマーニと、ラスティ・ネイルですとだけ告げてきた。 いただこう、と返したアマリリスが飾りを片手にとり、他方の手で口元へとグラスを持っていく。 「美味しいな――それに、いい薫りだ」 グラスに添えられた皿にアメリアの華を置き、アマリリスは数秒、目を閉じる。 「かつての故郷には、特別な場所があったんだ」 † 空から見下ろしたその丘は、薄紅の絨毯が敷き詰められたかのように花々がうめつくす丘だった。 ほどほどの距離にある王都にある白亜の宮殿との対比が好ましいその場所は、ただただ美しいと表現すべき、場所だった。 揺すれた花が、今グラスの横に添えられたものと同様、いや、それ以上に濃厚な香りを風にそよがせている、そんな場所。 白銀の髪。紫の瞳。こぼれ落ちる、光に溢れた笑み。 そんな彼女と出会った場所で、その彼女が眠る場所だった。 ――王子様、私を攫って。 彼女のその言葉は、今も明瞭に思い出すことができる。 だが、今自分は彼女のいない地へ、彼女の眠らない世界へ、その身を向かわせると決めたのだ。 「花を毎年捧げにいくと、勝手に約束したのに、破ってしまった」 綺麗ねと笑って、また来年もお願いねと微笑みかけてきた、愛しい親友。 彼女が亡くなって後、アマリリスはその毎年彼女を訪った。 だがそれも、この世界にくるまでのこと。 彼女は怒っているのではないか、と益体もない考えに憑かれたこともあった。 だが最近になって、ふと彼女の言葉がよみがえる。この世界に来て後、様々な事象に取り紛れて忘れかけていた、彼女の言葉。 「――あなたの花は、空を自由に舞っているのが似合うわと、そう言ってくれた人だった」 だから、というわけではない。 むしろ彼女はいつかこういう決断をしなければならなくなる時がアマリリスにくるのだと、予見していたのかもしれないという推測は核心に近いレベルで抱いてはいたが、それだけでなく。 あの地は私がいなくても、大丈夫。 その想いがあることが、一番だった。 それほどに、親友の子らは、強く美しく育ち、国もまた、まだまだその盛りを超えていないように思える。 彼女たちならば、大丈夫。そう思えるから――。 「だから、私は自由に舞おうと思う」 私は私の道を往く。 そう決めたのだと語るアマリリスの頭に、不意にハイユの手が伸びた。 よしよし、という風情で撫でるメイドの手に、苦笑して身を任せるアマリリス。 「なんつーかね」 グラスを手にとって最後の一口を飲み干したハイユが笑う。 「戦場で生きてきて今は愛に生きてる、ってあたり似てると思うんよ。まあ、アマリリスちゃんは天然つーか素でそういう言動してる感じだし、あたしは口説いたりとかあんまりしないけど――だって、気に入ったコがいたらもっとストレートに物理的な感じで愛を表現するし。こんな風にね!」 そう言って、すっと腰に手を回すハイユは、軽くアマリリスの肩に頭を預けて見上げて見せた。 アマリリスもそれに応じ、ハイユの頭に己のそれを預けてみせる。 しばし横たわる、密やかな時。 やがて二人は身を離す。 † ゆっくりと動く翼は、彼女の酔いを表しているのだろうか。 アマリリスはおかわりを頼むと、「これからの世界」へ想いを馳せた。 カンダータの人達。共に生きる彼らの姿は、壱番世界の、つまりはこの0番世界のスタンダードな人類とほぼ変わらない姿を原型とする。 「あの世界で私のこの姿は浮くだろうな」 こんなふうに勝手に動く翼は、隠した方がいいのかもしれない――そう呟くアマリリスの言葉に宿る、微かな不安。 種族、寿命、文化――その何もかもが異なる世界に、かつて彼女は愛すべき親友に誘われ踏み込んだ。 今回は、その彼女がいるわけではない。 ただ、あの世界の者達と明日を過ごしたいと、その衝動が身を突き動かしただけなのだ。 考える間もなく、苦労が多いのはわかっている。 「だがそれでもあの世界で、前向きに歩き続ける人達と共に私もまた一から頑張っていこうと思うんだ」 常よりも重々しさを備えた言葉を紡ぐアマリリス。 「ねぇ」 何だい? と問いかけてきたハイユに応じる。 「純粋に生物学的観点の疑問なんだけど現地人と子作りしたら子どもに翼って遺伝するんかね?」 かく、と肩が落ちるのを感じた。そんなアマリリスを見て、ハイユはけらけらと笑ってみせる。 「あー、でもアマリリスちゃんがほかの男のものになっちゃうのはやだなー。あたしのものにはならないとしても、せめてみんなのアマリリスちゃんでいてほしいし」 「そ、そうか……ハイユ」 「んー?」 「ありがとう」 紫紺の女性の言葉が、アマリリスの不安を感じ取っての言葉だと理解したのだろう。 そう礼を言うアマリリスだったが、ハイユは「えー、意味わかんないんですけどーなんでありがとうよ」ととぼけて返す。 のみならず、まだ続けた。 「あ、そういやアマリリスちゃん、料理苦手だったじゃん? じゃあそれを前面に押し出して萌えキャラになるといいよ! きっと人気出るよ!」 「そうだろうか――?」 かなり怪しく感じていると語る目に見られても構わずに、ハイユは一人納得しうんうんと頷いた。 「普段カッコイイのに料理はドジッ娘属性満開で『料理は、苦手なんだ……』とか恥ずかしそうに言ってごらんよ? ギャップ萌えで30人は殺せるよ?」 そ、そうか……? と若干引きつった笑みを浮かべるアマリリス。 「さらに『君のために何か作りたかったんだがな……』ってちょっぴりしゅんとした感じで言っちゃうじゃん? そしたらもう、健気萌えと自分の前だけの特別な顔萌えで3桁はイケるね!」 何がイクのか、聞きたいが、聞けない。微妙な感覚を抱くアマリリス。多分、不安を払拭させようと言ってくれているのだと――思いは、するの、だが。 そんな二人の前に、また2つのグラスが差し出された。 † 紅玉色のカンパリと、琥珀色のウィスキー、そしてドライベルモット。カクテルグラスに注がれた濃茶の色合いのそれはアマリリスの元へ。 そしてハイユの前には、薄い黄色味を帯びた液体。 「オールド・パルと、レディ・デイです」とマスターは言う。 後者に関しては、「普通はウィスキーとクレームドバナナを用いるのですが、今回はウォッカとグレープフルーツをメインにしています」とだけ告げてきた。 その味は、通常の甘さと柔らかさを伝えるのではなく、しびれるような酒の強さ、酸味――それでいて、微かに残る果実の甘み。 そんな味わいの、酒だった。 「ハイユ」 同様に酒を味わっていたアマリリスが、ささやくように呼びかける。 「君は、どうするんだ?」 「あたし?」 「そう、君だ。この先を考えたりは、しないのか?」 「あたしは適当に生きることにしてるからね」 残った酒を味わい、ハイユは笑う。 「それにお嬢もいるし。ま、こうしてたまーにでなく綺麗な子やかわいい子といちゃいちゃできれば、言うことはないしねー」 楽しげに笑うハイユ。 その表情に、アマリリスも笑顔で頷いた。 「君ならきっと、その通りに生きていくのだろうな――今日は、ありがとう」 そう言ってハイユの手をとるアマリリス。 「楽しい時を過ごさせてもらった」 騎士らしくその手に口唇を寄せ、キスを落とす。 少しくすぐったそうに肩を進めながら、ハイユは言う。 「アマリリスの花言葉は、内気と誇りなんだって? 内気――ってのはどう考えてもだし、うん、やっぱアマリリスちゃんは、誇り、って感じだね。大丈夫、あたしが保証するから、どーんと行ってきな。向こうでまたこうして飲もうよ」 「ああ、そうしよう」 応じるアマリリス。立ち上がった彼女の腰にさくっと手を回し、ハイユは笑ってその顔を見上げた。 「で、今日はこれで終わり?」 「お望みならば、何軒でも付きあおう」 「そうこなくっちゃね」 ご馳走様、と支払いを済ませ、外への扉を押し開けるアマリリス。 「ありがとうございました」とだけ応じ、頭を下げる店主。 彼が頭を上げるころ、ゆるゆると重い扉が音も無く閉まった。 それは、店の内からみれば黒壇の扉。外から見れば、白檀の扉。 階段を登った先には、その逆、内側に白檀、外側が黒檀の扉がまっていることだろう。 貴重な香木を黒壇の木の裏に合わせ作られた、その扉。 誰しもが抱える心に宿る、微かな濁り。 黒い扉をくぐって持ち込んだそれが、友との語らいで洗い流され、真白の世界が開けるように――。 そんな思いが込められた扉が、今日も客の未来へ向かって開き、マスターはただ、その背中を見送っていた。
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