ロストレイルはヴォロスに向けて走り続けている。 窓の外はディラックの空、深海の闇とも真空の虚とも見えるその空間を、東野 楽園は静かに眺め続けている。 さっきから隣に座った華月が物問いたげな瞳を向けているのはわかっているが、それにどのような応えも今は口に出せない気がして、ただ闇を眺めている。『私にアクセサリーを仕立てて欲しいの』 願った楽園に、華月は少し考え込んで、こう尋ねた。『どのようなものがいいでしょう』『私に、似合いの』 両手の指を開いて、ひたりと胸にあてて笑ってみせる。 痛々しく見えてしまうだろうか。 彼との恋があれほどそっけなく散ってしまったことを、ターミナル中が知っている、或いは、依頼を受けようと世界図書館の報告書をひも解く者なら多少は。 そして、華月もまた、知っているだろうと思っている。 けれど、肩までに短く切った髪をどこか眩く見つめる華月の目に、嘲りはない憐れみもない。 彼女もまた、自分の心をかけた恋をしていると、楽園もまた、知っている。 知っているからこそ、今の楽園にふさわしいアクセサリーを仕立てて欲しかった。『……ヴォロスに』 切り出したのは華月だ。『宝石市がたつそうです』『宝石市?』『シャイバラという街で。普段はそれほど目立つことのない小さな街だそうですが、宝石市、「スース」と呼ばれるその市がたつと、街の人口は昼間だけ数倍に膨れ上がるとか』 考え考え話す瞳は、既にその市の様子を思い描いているのだろう。きらきらと明るく輝いている。『飛び切りの宝石が集まるんでしょうね』『飛び切りの宝石職人もまた集まるでしょう』『見てみたいわ』『そこなら、楽園さんに似合う宝石も、その加工方法も見つかるかも知れない』『華月にとっても、またとない勉強の機会になりそう』『一緒に行きませんか』『もちろん』 楽園の金色の瞳が何を追っているのか、華月にはわからない。 けれど、命がけで想った相手に拒まれる傷み、それを受け入れて進もうとする覚悟、それらは、孤島の中で陰惨な悪夢に浸っていた幼い少女の殻を砕いたことを知っているから、その死と再生を言祝ぎたいと思う。 視線を戻し、ロストレイルの座席にまっすぐに座る。 滑らかな飴色の壁に手すり、長い年月をくぐり抜けてきただろうに、色褪せることのなく往時の鮮やかさを保っているように見える座席の刺繍、いろいろな依頼に出向くのだろう、姿格好も様々なロストナンバー達が、今も一緒にヴォロスへ向かっている中、ぽつりと一人、その路線から離れていく自分を感じる。 華月もまた、ターミナルから離れていくつもりなのだ。 思い出す。 インヤンガイに帰属した『彼』に作ったイヤーカフ。 装いを落としたヴァネッサの首を飾ったネックレス。 人が新たな世界へ入る時に、儀式のように越えた証を求めるのなら、傷みも哀しみも、恐れも期待も封じ込めたアクセサリーを仕立てたい。 楽園は、いや、楽園のどこが、その証にふさわしい場所だろう。 額か、耳か、首筋か。胸元か手首か、それとも華奢な足首か。 服に付けるのか、素肌を飾るのか、それとも髪をまとめるのか。 一つ細工を作るごとに、華月の中で痛みと喜びが去来する。 私はこの程度のものしか作れないのか。 この程度だった私が、これほどのものを作り上げようとしているのか。 ロストレイルが止まった。 お互いに見交わして、それでも一言も交わさず、楽園と華月はロストレイルを降りる。 駅から暫く歩かなくてはならなかった。 平坦な丘をうねうねと続く幾本もの細い道を、三々五々、荷物を背負い、親子連れで、恋人同士で、或いは師弟と見える連れ合いが一方向目指して進んでいく。「これが皆…」 気づいて絶句する華月に、楽園は頷いて振り向き、道の彼方の街を眺めた。 黄土色の城壁に続き、高々と構えられた門は、今大きく開かれている。 うんと遠くまで歩くのだろうと思ったが、意外に早く門に辿り着き、二人はまた息を呑んだ。 門は途轍もなく大きい。 城壁を数倍重ねたような高さ、その中程まで黒く塗られた扉があり、左右の塔から幾つもの部分に分けて開け閉めされるようだ。「『見下しの門』だ」「さすがに大きい」 側で囁かれることばに華月が戸惑う。「『見下しの門』?」「あんたら『スース』は初めてかね」 隣を歩いていた穏やかな顔の老人が笑った。「はい、名高い宝石市を一目見たくて」「ならば、覚えておきなさい。『スース』では人の命はどんな小粒の宝石よりも軽い」「えっ…」「穏やかじゃないわね」 たじろぐ華月に代わって楽園が応じる。「この人達は殺されに行くとでも言うの」「叔父貴、何てことを」 老人の隣に居た若い男が顔をしかめて謝った。「許して下さい。叔父貴は宝石の目利きにうるさくて。価値がわからぬ者を好かないのです」 こちらも随分な言い様だ、と楽園は冷ややかな目になる。「この門が『見下しの門』と呼ばれる意味はすぐわかります……目を閉じて」「え」「何」「いいから目を閉じて…ほら来た!」「っっ!」 ぱらぱらぱらっと突然降り注いだ雫に、楽園と華月は目を閉じ、慌てて顔を拭う。無色透明、けれど拭った指から、かかった髪から鮮烈な柑橘系な薫りがしている。「何、これ」「門の左右の塔から撒いてるんです。この匂いは特別でね、一両日はどれほど洗ってもとれない」 若い男が苦笑する。「こちらがどんな香水をつけていても、この街を訪れた者はこの匂いをつけられる。なぜだかわかりますか?」「いえ」「宝石を守るためですよ。『スース』で良からぬ騒ぎを起こして逃げ出せば、近郊にすぐに触れが回る。そうすると、『スース』の管理官達がこの匂いを目当てにシラミ潰しに追い回すというわけだ」 つまり、この街は始めから、訪れる者を『盗賊になるかも知れない』と考えている。だから、付けられた名前が『見下しの門』。「宝石が全ての上に君臨する。人は、その宝石の美を引き出すための手足に過ぎぬ」 老人は底知れない黒い瞳で華月と楽園に笑いかけた。「小さな手足を宝石に喰われぬように気をお付け」「とんでもないところね」「ごめんなさい」 華月が思わず謝るのに、楽園が首を振る。「いいわ、それほど厳重な守りなら、よほど素晴しいものがおいてあ…」「あ…」 『見下しの門』を急ぎ足に通り過ぎた二人は、茫然と立ちすくむ。 あらゆる通りに色彩が溢れている。輝きが満ちている。光が飛び散り、人が光の波間に呑み込まれそうだ。「…行きましょう」「え…ええ」 楽園が唇を引き締め脚を踏み出し、華月がおどおどと後に付き従い……だがやがて、二人は幻惑の光の洪水に、吸い込まれるように誘い込まれるように、深く深くシャイバラの街の中に呑み込まれていった。 =========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>華月(cade5246)東野 楽園(cwbw1545)=========
「シャイバラは人を喰い、『スース』は生き血を啜る」 道腹で聴こえた物騒な台詞に、華月がどきりとした顔になり、楽園は冷ややかな一瞥を投げて歩み過ぎる。 「子どもを連れてくるなら、用心しなよ、お宝に目を眩ませている間に居なくなるぜ」 けけけっと嗤う男が楽園を覗き込んでも、彼女は動じた気配を見せない。 「邪魔よ」 ハエでも追い払うように相手を押しのけ、一瞬相手が身を引いた隙に男が立ち塞がっていた屋台を覗いて息を呑んだ。 「お嬢さん、その金色の目玉一つと、こいつと引き換えはどうだね」 薄汚れた指先で指し示すそれは、大粒のダイヤモンド、エメラルド、ルビー。無造作に広げられたように見える柔らかな黒い布の上にざらざらと転がされたそれらは、一つ一つに既に十分美しいカットがされている。 「…」 楽園は応えず、じろりと相手のごま塩の無精髭を見やった。 いい加減な口調であっても、男は汚れた指では宝石を触らない。客に請われたときだけ、指先にごく薄い手袋をはめて、宝石を取り扱っている、それこそまるで生身の人間の一部であるかのように。 「どう?」 「見事です」 隣に何とか潜り込んだ華月がごくりと唾を呑むのがわかった。 「ヴァネッサさんの『エメラルド・キャッスル』の宝石も素晴しかったけれど」 さすが噂に聞くヴォロスの宝石市ですね、と華月は溜め息まじりに呟く。 不愉快な二人連れに脅しつけられて、ついさっきまでおどおどしていた気配だったが、目的を思い出したのだろう、きゅっと結んだ唇、瞳を輝かせて珍しい宝石や手の込んだ宝飾品に魅入っている。 「あの宝石、すごいですね。あれを何に仕立てればいいのか、わからないぐらい」 「そうね」 指差されたのは血が滴るような色を弾いているルビーだ。それほど大粒ではないが、白い柔らかな布に置かれた宝石は、もうどんなものも付け加えることができないように思える。 削ぎ落とされ、磨き抜かれ、その美の髄だけを考え抜かれた立体に凝縮された宝石(いし)。 楽園が凝視しているのに気づいたのだろう、店の主はじっと楽園の方を見つめている。それは、買ってくれるのかどうかというよりは、楽園が宝石にふさわしいかどうか、見定めようとでもしているようだ。 あの無礼な男の言い分もわかる、と楽園は不快な二人連れを思い出していた。 宝石はそれ一つで完結した美、輝くのに人を必要としていない。人は宝石を我が身の引き立て役だと認識しているけれど、宝石は人を引き立て役にせずともただただ美しく在ることができる。 華月が、何に仕立てればいいのかわからぬと言うのも道理、ここの宝石はどれも十分な美を満たしており、鑑賞されることさえ必要としていないように見える。 誇り高い、究極の構造物。 じろじろとこちらを値踏みしている店主の男の視線に、楽園は自分もまた宝石の一つとなったように感じた。 楽園はまだまだ小娘でしかない。恋をすることでそれを悟り、恋を失い別離を経験し、傷を切り開いて凝った何かを流し出して立ち上がってきた。 自分もまた、原石のままではなく、砥石で研がれ磨かれてきただろうか。 顔を上げて男の視線を受け止めながら、口を開いた。 「私ね、ヴォロスへの帰属を考えているの」 側に居た華月が小さく息を呑む。 「ふふ、驚いた? でも本当」 どのみちロストナンバーのままでは時は動かず先へ進まない。 指を伸ばしてルビーに触れる。男はそれを制止しない。楽園が差し出した手に、男は静かに手袋を載せた。 ほっそりした手にはめる時、長袖の手首から酷く傷つけられた手首が見える。華月がわずかに体を震わせるのがわかった。 「両親のいない世界に再帰属する気もない」 手首の傷を見やりながら、楽園はルビーを摘む。温かなぬくもり、いやむしろ、極精巧に作られた模造心臓のように感じるそれを、掌に載せる。 「私は大人になりたい。身も心も成熟した女として羽化したい」 店の影に居た男達がのっそりと姿を見せた。楽園が少しでもおかしなまねをしようものなら、すぐにひっ捕まえようというのだろう、腕まくりをし、指を鳴らし、肩を揺すってみせる。 これが現実。美しく輝く宝石を、いつでもどれでも手に入れて愛おしめるようなことはあり得ない。所有するにふさわしい格がなければ、店を離れて半歩もせずに、襲われ殺されてしまうのだろう。 「神託の都メイム……あそこの夢守りになりたいと思うの」 楽園はルビーをそっと降ろした。無造作にばらまかれたような、そのくせ、ただの一つも重なり合ったり擦れ合ったりしないように広げられた宝石達を、一つ一つ撫でていく。 「ずっと覚めない夢を見ていた……いい加減目を覚まさなきゃ」 どれでも選べるようなつもりで眺めていられるのは少女の時代だ。 「今度は私が迷える人達を託宣で導く」 楽園の自慢は歌声だ。両親が褒めてくれた金糸雀の美声、安らかに眠る人達の枕元で囀るのは金糸雀の幸福、傷付き疲れはて束の間まどろみにきた人々を子守歌で癒して送り返そう。 「勿論、現地の人と絆を繋ぐのが前提だけれど……こうと決めたらやりとげてみせる、必ず」 何度も何度も考え直し、考えては考え直して決めた、誰かに依存するのはもうやめようと。 「だからこれは再出発の旅なの。ここに根付く覚悟を正す巡礼の旅」 全ての宝石を眺めた後、手袋を外し、楽園はぐい、と顔を上げて店の主を見据えた。 「華月、貴女の仕立てたアクセサリーをお守りに身に付けて、前を向いて生きていくの」 華月は小さく溜め息をつく。 ヴォロスの有名な宝石市、『スース』に並ぶ品物は、本当に素晴しいものばかりだった。 宝石だけではない、蜘蛛の巣にかかる雨滴を模したもの、美しい蓮の花弁に転がる露を表したもの、森林の奥に佇む宮殿や、湖上に浮かぶ幽玄の城、清流に躍る木の葉や夜空に散り広がる星々、平原に通路のように残る真白な竜骨。それらヴォロスの美しい情景や形を写し取ったものもあれば、宝石と金属を幾何学的にリズミカルに配置したものもある。 単に宝石を愛しむ者としてだけではない、数々の細工を作るうちに開いた華月の目は、そこにある意匠の意味を読み取ることができた。掛けられた情熱と技術と工夫、職人達の心意気や限界への挑戦を見て取ることができた。 楽園と一緒に歩きながら、全ての店の全ての品を思う存分見て回りたかった。一つの店で一日過ごしてもいい、一年ほどかけて『スース』に通えば、華月の世界はもっと繊細で優美で力強いものとなっただろう、その誘惑に心が揺れた。 だがしかし、目の前で楽園が、店の男のあからさまに強欲な視線に身をさらしても、自分の願いを語るのを聞いて、はっと我に返る。 そうだ、華月は楽園に装飾品をしつらえるのだ。 もう一度、店の品物に視線を注ぐ。 楽園にはどんな装飾品が似合うのだろう。 依頼されてから、華月はずっと考え続けていた。 思い描いたのは、髪を飾るシンプルな髪飾り、そして腕を飾るブレスレットだ。 けれど今、目の前の楽園の横顔を見つめると、急に胸に迫ってくる一つの想いがあった。 楽園の頭上には真理数のちらつきがある。 彼女は近い将来、このヴォロスへと帰属するだろう。 華月もまた、夢浮橋へと帰属する。 かつて、リエに依頼された時、華月はただ自分のあるべき場所をみつけた彼を見送るだけの役割だった。 でも今は違う。華月もまた自分の居場所を得て旅立つのだ。 旅立つ彼女へと送る、旅立つ華月の旅人としての最後の依頼。 それはまるで、合わせ鏡の席で手を振るような感覚でもある。 オパールだ、と思った。 幸運の石、新しい旅へと出る楽園に贈る石。 そして、真珠。 長い時間をかけて育まれたそれは、幾重にも眩く輝く層で包まれていて、同じものは世界に二つとない、魂そのもの。 旅の行く手を輝き照らし守り導く光と、どれほど躓こうと倒れようと、再び立ち上がって新たな一歩を踏み出していく勇気の塊。 ふと、華月の視線が一つの方向に引き寄せられた。 不可思議な形をした淡く光る層で包まれたもの。それは確かに真珠なのだが。 「失礼ながら」 指を伸ばそうとした矢先、すぐ側から老人の声がして、華月は振り向く。 さきほどの二人組みが立っていた。 「それは儂らが買うものじゃよ、あんたらには荷が勝ち過ぎる」 「バロック真珠は扱いが難しいんですよ、お嬢さん」 若い男が苦笑しながら首を振る。 「素人が手を出しても、たいしたものにはならない。どうせならこのあたりの普通の真珠をお使いなさい、可愛らしく」 お前にはその真実の価値がわかっていない。お前にはその本当の美しさを引き出せない。 無力を詰られ無能を嗤われ無知をそしられたような気がして、思わず怯んで引きそうになった、が、寸前、店の男の視線に怯まず立ち向かっていた楽園と、その手首の傷が脳裏を過った。 「いいえ」 素早く手を伸ばす。一番欲しい、奇妙な形のバロック真珠を示し、興味深そうに眺めていた店の主に言い放つ。 「これを下さい」 従うのは、自分の心、ただ一つ。 今までも、これからも。 だから、後悔することなく、歩いていける。 「あんた、喧嘩を売る気かね」 「貴方が売りたいなら買います」 華月は振り返った。にっこり笑う。 「うんと高くふっかけて下さい」 「叔父貴」 「……バロックあたりで騒ぎなさんな、いこうか」 「はい」 肩をそびやかせて去っていく二人に、華月はほう、と息を吐く。 「驚いた」 店の女主人がくすりと笑って話しかけてきた。 「あんた、あいつらを知らないんだね。あれはヴォロスの宝石商、ベンドンだよ。『スース』の中でも顔が利く。売りたくなくても売らなくちゃならなくなる」 「そうなんですか」 でも、私、どうしてもこれが欲しくて。 不思議な形のバロック真珠は、淡いピンク色をしている。小さな翼のようにも、羽根のようにも、花びらのようにも見える。細いピンをベースに配置して、銀細工で枝のように飾ってやれば、波に漂う真珠の花のように見えるだろう。同じようなものを数本、まとめ髪にさせば華やかになる。 デザインが泉のように湧き出るのをしっかり覚え込みながら、もう一度店の中を見回すと、あった。小粒であるが、ミルク色の靄を透かす暁の光のようなオパール。 「これも頂けますか」 「いいものを選ぶね。値が張るよ」 「構いません」 むしろ、新たな旅立ちに使い惜しみしては身動きできなくなるだろう。 オパールはブレスレットにしよう、と思った。手首の傷がある上に嵌めるものだが、あえて隠さない方向でデザインを考えよう。ふとした瞬間に見えるように、辛い時でもすぐにまた顔をあげて勧めるように。 今まで生き延びて来た、自分の誇りを思い出せるように。 加えて、華月は、こっそり自分と鷹頼用にお揃いのダイヤモンドを購入した。自分の手で細工して、お揃いの指輪にしよう、そう思った矢先、透明で鮮やかな歌声が響いて振り向く。 楽園は一人の男の子を膝に、宝石を求めてごった返す人々の中、道から少し外れた空き地にしつらえられたベンチに座り、ゆりかごのように揺らしつつ歌を歌っている。 『子どもでいられる時間は砂糖菓子 とろける甘さを楽しむ間もなく 流れ去って消えていく 時は無情ね、そうでしょう? ショウウンの前にも私の前にも ふさわしい夜がまたやってくる 子どもでいられる時間は幻 手に入ったことに気づかないまま 終わって消えてしまうもの 時は非情ね、そうでしょう? ショウウンの前にも私の前にも 優しい夜がまたやってくる…』 ショウウンと名乗った男の子は迷子だった。両親とともにやってきたのだが、美しい宝石に見惚れている間に迷子になってしまったと言う。 疲れきり動けなくなってしまったショウウンを、楽園は歌で慰めることを思いついた。歌に名前を混ぜることで、両親が聞きつけてやってきてくれることを期待した。 買い物を終えた華月がやってきて、それから間もなく両親もやってきて、子どもを両親に引き渡す時、ショウウンは少し泣いた、もっとお歌を聴きたいよ、と。 「最高の贈り物ね」 呟いた楽園は、華月がじっと走り去る子どもを見ているのに気づく。 おんなじね。 「え?」 かつての自分もあんな目をして、彼を追いかけていただろうか。いつかやってくる、彼そっくりの息子の姿を想像して。 「貴女も恋をしてるのね、華月。……見ればわかるわ」 私の恋は儚く散ってしまったけれど、せめて貴女の恋は実るといい、そう続けると、華月は何とも言えない表情になった。 「小娘でいられる時は終わった。私も貴女も大人になる」 季節が巡っていくように、人生の時間がまた一つ巡り回っていく、少女期という刹那の輝き、だからこそ、一際切なく美しい時間が。 「いいものは見つかった?」 振り向くと、華月は眩げな目で笑い返した。 「ええとても。けれど、もっと見てみたいわ」 「行きましょう」 二人は再び『スース』の中へ入り込んでいった。 揺れる欲望と羨望の光の中を、昂然と胸を張りながら。 後日、楽園のもとへ、オパールを中央に、周囲を草木を模した繊細な銀細工を施したブレスレットが完成したと届けられた。手首の傷を透かす構造に、最初は抵抗していたが、そのうちそれらのデザインが傷を巧みに生かすような作りになっていると気づき、以後は積極的につけるようになった。 同封されていたのは、バロック真珠を使ったシンプルなピン。数本合わせると、華のように見え、楽園の短い髪をうまくまとめてくれた。 二品は、その後長く楽園を飾った。
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