「そう言えばこの前、マスカローゼちゃんと握手してお友達になったんでしたぁ☆」 これは魔神によるイベントから少し経った頃の話。 春も盛り、カンダータから無口な軍人が帰還し、撫子にとって友人である少女がその恋人と楽しい日々を再び過ごせるようになった、かもしれない――そんな時期である。 そろそろ壱番世界では梅雨もすぎ、めでたく大学卒業にこぎつけて後(就職活動をしなかったため勤労学生の割には大分楽にすんだ感は否めない)、働き口を求めながらもターミナルへと住み着くことを決めた撫子。 何か日々過ごすためにいい仕事先はないものかとバイト先を探しては撃沈してを繰り返す中で。 気持ちを奮い立たせるかのように、降ってきた天啓にその身を任せることとしたらしい。 友人であるフランとは既に桜舞う樹海でお弁当デートを敢行していた。 ここはひとつ、マスカローゼとも同じ釜の飯を食べて仲を深めよう。 そんな呑気な発想で、彼女は意気揚々と現実逃避を開始し始める撫子。否、妄想か。 「それでぇ、いつかフランちゃんとマスカローゼちゃんと3人で恋バナしちゃったりぃ……きゃっ☆」 照れ隠しに近くの壁を殴ったら、物凄い音と共に壁に穴が開いたので慌ててその場を後にする。 その足で買い出しに向かう彼女の中で、デートは既に決定事項となっているらしく。 もちろん、問えば断られると確信している少女は予めマスカローゼの予定を訪ねるということなど敢えてしない。 準備万端整って後、有無を言わさず連れ出せばいいのである。 「さぁて、こんどはぁ、どんなお弁当にしましょうかあ☆」 ‡ 「どなたかに?」 森を勢い良く飛び出してきた少女――というのはもう難しいだろうが、少女のように明るい笑顔をまとった彼女――の顔を見て、仮面に表情を隠したままで、墓守の少女は問いかけた。 「マスカローゼちゃんに会いに来ましたぁ☆」 「……?」 マスカローゼと相対するように立ち止まった撫子が、杖を持つ少女の手首をつかむ。 素の彼女が持つ握力は出来る限りおさえ、優しく軽やかに、警戒されないようにその手を捉えた後、彼女は宣言した。 「マスカローゼちゃん、この前友達になったので遊びに来ましたぁ☆ 零世界に住むのはマスカローゼちゃんの方が早かったのでぇ、私の先輩になりますねぇ☆ 引っ越し蕎麦の代わりにお結び1個どうぞですぅ☆」 あっけに取られた少女を気にすることなく、撫子は続ける。 「という感じで、デートのお誘いにきましたぁ☆」 「……言っている意味が」 よくわかりませんが――そう言いかけたマスカローゼの手をつかむ力をやや強め、撫子は変わらぬ笑顔を向けていく。 「この前ぇ、握手して友達になれたと想ってますぅ。そしてぇ、私のマイブームは友達と樹海でデートすることなんですよぉ☆ だからですねぇ、今日はマスカローゼちゃんともっと仲良くなりたいなーと想ってぇ、樹海へお誘いしにきたんですぅ」 「私は……」 「さ、行きましょぉ☆」 「きゃっ」 何事か訴えかけようとした撫子を無視するかのように、その力強い握力で捉えた手首を離すことなく撫子は歩み出す。 否、走りだす。 軽いランニング程度のペースで一路樹海を目指す撫子に引きずられるように、マスカローゼもまた、墓場を後にしていくのだった。 ‡ 「つきましたぁ!」 ばばーん、と言わんばかりに振り返って両手を広げてみせる撫子。 その背後に広がっているのは、金木犀の木々が立ち並ぶ広場だった。 「この前知り合いからこの場所の事を聞いてたんですぅ。聞いた時にぃ、きっとマスカローゼちゃんが気に入ってくれるんじゃないかと思ってたんですよぉ☆」 今が盛りと咲き誇り、木の枝をしならせてさがる金木犀の花、花、花。 むせるような薫りは程よく吹き渡る風に散らされて、必要以上に主張しない。 緑を覆い尽くすほどの黄金に輝いている木々の彩りは、目を眩ませる程には強くない。 ただ、そこにある。 だが、そこにある。 満開の桜の下で花見をしたのはいつごろの事だったか。 ここもまた、一種の異界に紛れ込んだような感覚を覚えさせる場所だった。 「樹海の中には、このような場所もあるのですね――」 引かれたままだった手をゆっくりとした手つきでほどきながら、周囲を見渡すマスカローゼ。 流石に引きこもりの彼女といえども、ここまで連れて来られてしまっては、抵抗を諦めた様子だった。 「それにしても、私が、とはまたどうして――?」 金木犀が咲き誇る光景は、確かに美しい。 それを美しいと感じる感覚は当然マスカローゼの中にあるし、芳しい薫りに心を刺激されることは確かだ。 だがそれは彼女に限った事ではない。 そう、それこそ 「フランさんときたほうが、よかったのでは……? 私では良き話し相手にもなってあげられないと想いますが」 「いいえ!」 自嘲するでもなく、純粋に疑問という口調だったマスカローゼの言葉は、強力な否定の声で押しやられる。 「今日は、マスカローゼちゃんと、きたかったんです! だから、マスカローゼちゃんも、楽しみましょお☆ 普段引きこもってばっかりなんですから、たまには気晴らししないと駄目ですぅ」 「何故?」 小さく傾げられた、首。 マスクの向こう、わずかばかりに見え隠れする瞳が、しっかりと撫子の視線を囚えて離さない。 「あなたと私は少し前まで直接言葉を交わしたことがなかったはずです――いえ、誤解されないでください。私は貴方が叢雲の中で"私"と会話を重ねていた事は知っています。ですが、それは私ではなく、フランの中にいる、"私"。貴方が会話した"私"は、私の中にはいない……それこそ、握手をしたあの時が、ほとんど初めて、のはずです」 それでも、「友達になったから」という理由で、こうして連れ出すというのか。 そんな少女の質問に、撫子はさっぱりわからないという表情で答えを返す。 「知り合った人全員と仲良くなりたいって思ったら駄目ですかぁ?」 心底から不思議そうに返された答え、否、問いに、マスカローゼは続ける言葉が見つからなかった。 そんなものなのでしょうか。 少しだけ、そんな思いが胸をよぎる。 それでも、と少女は思う。 私は、"私"ではない――と。 ‡ 対マスカローゼ用に撫子が用意したのは、巨大なおにぎりだった。 前回のように奮発できなかったのは、食い扶持を稼ぐ暇がなかったがために懐が少しばかり寂しかった為で、今回のお弁当は爆弾おむすび2個に限定されていた。 ふりかけやら梅干やら昆布やらシーチキンやら炒り卵やら唐揚げソーセージやら、お茶碗1杯ごとに違う味に変えてそれを1つになるよう丼2つ合わせた中でコロコロ振って、最後に握りながら海苔を巻いて人間の顔サイズのお結びを作ったものである。 『完璧ですぅ、マスカローゼちゃんがどれだけ燃費が悪くても、このお結びなら1個で撃沈ですぅ☆』 とは作成時の本人の弁であるが、マスカローゼが燃費が悪い等という話は当然誰かから聞いたわけでもない。 そしてやはり、少女が食べきれる量ではなく――そんな巨大な質量を食べようとした経験すら、少女にはなかった。 かつて撫子が用意した弁当ほどの威容は少女に対するに必要なく、ただこれだけの量で、十二分なものであった。 「すごい、ですね」 ゆえに漏らされる感想はただそれだけ。 だがにこにこ笑いながら期待の目で見つめてくる撫子を見て、マスカローゼはひとつため息をつき、覚悟を決めた。 「いただきます」 「はい、どうぞですぅ☆」 ――十数分後。 「……ごちそうさま、です。もうこれ以上は……」 中程まで食べていた少女が、がっくりと肩を落としながらギブアップを告げる。 「えええ、作りすぎてましたかぁ? フランちゃんはもっと一杯食べてたので、マスカローゼちゃんもきっとこれくらいは食べるのかなぁと思ってたんですよお」 「私とあの人は、違うので……」 覚悟の程が、とは敢えて言わない。 「残念ですぅ……とはいえ、お粗末さまでした♪」 そうして、ただその場に座っている二人。 降り積もる橙黄色の花の薫りに包まれながら。 木の葉が舞い落ちるようにふわふわとした時間の中で、笑みを浮かべつつ座る撫子と、黙々と手にした水筒のお茶を飲むマスカローゼ。 「マスカローゼちゃんは、皆と一緒に遊んだり依頼にいったりとかはしないんですかぁ?」 ゆったりとした時間の流れにあわせるような口調で、撫子が問いかける。 「――お仕事が、ありますから」 「忙しいんでしたら私も手伝いますぅ☆ 撫子ちゃんともっともっと仲良くなりたいから、一緒に色々やりたいです」 数秒、横たわる沈黙。 フランの方が、ということは流石にマスカローゼも言いはしない。 「精度は駄目ですけど力仕事得意ですぅ、穴を掘ったり、石運んだり、そういうことだったら何でも手伝いますぅ☆」 だから、もっと一緒に色々やりましょお☆ なんと答えて良いか、逡巡する少女の様子を見て取ったように、撫子は更に言葉を重ね、手をとった。 「1人で居ると考え過ぎちゃうと思うんですぅ☆ だからこれからもたまには一緒に遊びましょぉ☆」 どうして、との言葉がでかかった。 いりません、との言葉もでかかった。 けれど、目前の女性の笑顔が、その全てを――目的を持って生きることを拒絶するマスカローゼの言葉を、封じ込める。 握られた手にじっと視線を落とし、少女はゆっくりとうなずきを返した。 「考えて、みます――」 「! はい、お願いしますぅ☆」 それが少女にとってどの程度の意味合いを持つのか、正しく理解していたのだろう。 拒絶の言葉が返ってこなかったことに驚き、それと同時に笑みを深くする。 「さ、もっと飲んでくださいですう。これもマスカローゼちゃんのために頑張って淹れてきたんですよぉ☆」 喜色を満面に浮かべた撫子からマスカローゼへささっと渡されたのは、どこから取り出したのか不明の、どんぶり大のカップ。 「さ、食べられないなら、い~っぱい飲んでくださいねぇ☆」 むせ返るような金木犀の香りに包まれる中、カップにどんどんと注がれていく茉莉花茶。 飲まないわけにはいかないだろう。 だが、飲んだらのんだできっと追加されるのだろう――仮面の下で、マスカローゼの頬が、少しひきつったような動きを見せた。
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