「お前にも分かりやすく言ってやるヨ……このままじゃ齢16にして惚け老人になるッてンだヨ!!」 ガン、と強く叩かれた机が悲鳴を上げて揺らぐ。 しぶとく、我慢強く。 自分自身に延々と言い聞かせ、正直然程好きでもない我慢というものを重ねて言葉を色々と尽くした結果、ぶち切れた。 その結果、彼の前にある小卓は叩かれた部分が炭化してしまっている。 うっかり雷を走らせてしまったようだったが、真実うっかりであったかどうかは彼についてみれば怪しいことだと言えただろう。 何故なら彼はハートのジャック。 氏族有数の力を持ち、その役目を果たせぬ現状に鬱々としながら、それでも目に付く弱者や女性に、彼が思う幸せな生を過ごさせるべく努力してきた男である。 その中で出会ってきた幾多の者達と接する時、彼は時に我慢強く、時に剽げ、時に声を荒げる。 それでも飄々と笑いながら死神とダンスを踊り、ぎりぎりの線を見極めて渡り切る。 そんな彼だからこそ、今の激高も演技でないと断じることは、出来そうにない。 だが彼自身が苛立っていることそのものは事実だろう。 基本移り気な男がその父性本能を大いに発揮し通い、生の喜び、楽しさ、人との関わりの重要性を説いてきた対象たる少女が、嘆息とともにぼそりと呟いた言葉は確かにあまりといえばあまりのものだったからだ。 『興味がありません、というよりも同じ事ばかり言いに来られても、同じ事しか返せませんが、いい加減諦めていただけませんか?』 ちゃんと楽しく生きろ、人と交われ、交わり方がわかんねェンなら無理やり連れだしてやるカラ一緒に来いヨ! 週に何度も訪れては殆ど自ら動こうとはしないマスカローゼに対してそんな趣旨の事を言い続け数ヶ月を数えている。 その間少女には様々な事があった。 魔神の主催した握手会なるものに無理やり出されたところ、謎とも言うべき人数が交流を求めてきた。 温泉郷へ連れだされた事もある。 壱番世界での戦いもあったそれは少女には関わりの無いことだった。 少女の大本たるフランは暴走の果てインヤンガイで再びその伴侶と手を取り合うことができた。 その戦いで、ジャックが己の目を自ら捨てたと聞いた少女は思う。 きっと男はこれからもそうするのだろう、と。 ‡ 「それはそれでよいではありませんか。そういう生き方も楽しいものであると、私が思うのですから」 「お前が心底そう思ってんなら止めねェ、けどヨ、違うンだろ?」 片手で頭をかきむしりながら、苦い顔をしたジャックが唸りをあげる。 「ここにゃ季節の変化がねェ、人も来ねェ、人間の情動を想起させるものがねェ。テメェは生きたまま化石になりてェみたいだが、俺はそんなことのためにお前を助けたわけじゃねェ!」 両手を広げ、ジャックは周囲を指し示し高らかに宣言した後、マスカローゼへと向き合った。 「今のお前に届かなくても何度でも繰り返し言ってやる! お前は生きていい。楽しんでいい。自分を許していいンだ!」 言うだけ言い、どうだ何かあるかとばかりにじっとマスカローゼに顔を向けるジャック。 既にその目は自身で繰り抜いたような痕等感じさせるものではない。 この墓地の周囲にある緑よりも数段明るい色をした男の瞳を見て、マスカローゼは再び嘆息する。 そんな少女を諭そうとするように、ジャックは三度口を開く。 「マスカローゼ、許せない事は大きな声で怒っていい詰っていい泣いていいンだ。ぶつかり合って壊れる関係もあるが深まる関係もある。人間はたった1人で正常に暮らせる生き物じゃない。今のお前の生き方はお前を歪めかねない……俺はそれを心配してンだヨ」 「では、問いかけますが。あなたはいかがなのです?」 それは、ジャックにとっては意外な言葉。 「あン?」 思わず上げた声に、マスカローゼはす、とその指を差し出した。 その指先が向かうのは、ジャックの持つ翡翠の瞳。 「インヤンガイで、虎部さんを救うためにその目を繰り抜いたそうですね」 「お、オウ」 淡々とした指摘に思わずジャックは気圧される。 「何故あなたは、自身の体を傷つけてでも、他人を助けようとするのです?」 「他人じゃねぇ、ツレだ。助けるのは当たり前だろうがヨ」 「そうでしょうか?」 いきなり何を言うのかとその表情で訴えてくるジャックの視線を平然と受け、マスカローゼは問いを重ねる。 「あなたこそ、ご自身を許せずにいるのではないのですか?」 「ンだと!?」 眉根を寄せて語気を荒げる男。それでも少女は言葉をとめようとしない。 「役割を自らを縛り、それが達成できない代償に弱き者を救うことで己の生きる理由としているのではないですか? けれど、あなたが本来やりたいことはそんなことではないのでは? ――それができない自分に苛立つからこそ、他の手段を無意識か意識的にかで排除して、自らを傷つける手法に走っているのではないのですか?」 マスカローゼ自身、それは確信ではなかった。 だが懐に飛び込んできたどころか、視界の端に捉えた窮鳥を救うためだけに己の生命を賭すくせ、自らの内に引いた最後の一線を誰にも許そうとしないその男の生き様は、見様によっては投げやりな、どこかいっそ破滅を欲しているかのような印象を与えるものだった。 「あなたは、自身が今ここにあること、それこそが許せないままなのでは? だからこそ、これほどまでに"わたくし"に干渉しようとされるのではないですか?」 「違う!」 「本当に?」 否定の声に被せられる、その言葉は疑問ではなく、追及の声。 「ならば何故あなたは他者へ助けを求めないのです? どうして他者を助けてばかりで、己を助けてくれと訴えないのです? 何か、やりたいと秘めていることがあるのでしょう? 可能不可能は別として、どうにか出来る方法を共に探す道もあるのではないですか?」 少女の問いかけは、青年の、我を通す事を厭わぬ善性の根を問うもの。 青年自身が救いたいと考える弱きを助けるため、如何なる犠牲も厭おうとしない――そこに自分の安全すらも簡単に投じてしまう、その背景を問いかけるもの。 そのくせ自分自身の事を他人にどうにかさせようとしない、それを許さない透徹した姿勢を糾すもの。 「何故あなたはこれほどまでに"わたくし"に構うのか。本当は、あなたが、あなた自身を許せずにいるから――その代償行為として、私にその生き方を押し付けようとしていないと、確として言えますか?」 仮面の下、マスカローゼの怜悧な視線が青年へと向けられる。 「ンな事ねェに決まってンだろうがヨ」 舌打ちしながら言う青年の言葉は、どこか強さがないようにも思える中途半端なそれ。 だがマスカローゼの追及の言葉は緩まない。 半身の少女と同様、否、それ以上に人を見る寡黙な少女が、常に秘めたる言葉の数々。 それは、娘の幸せを祈って何が悪いと嘯くジャックの矛盾を問いただすもの。 弱者を庇護する為にならば、ジャック自身を案じる者へ心痛を与える事を厭わぬ姿勢を責めるもの。 娘の幸せを祈り己の考えを押し付けるのが悪く無いというのならば、何故彼自身の幸せを考えようとしないのか。 「……一つ、ついでに尋ねますが……義父の遺品を、どこへ置いたのです?」 ぴくり、とジャックの眉が跳ねた。 「……あなたが何をなさろうと考えているのかは知りません。が、人と共に生きろというのならば――まずはご自身はどうされたいのか、教えていただけますか?」 返されるのは、しばしの沈黙。 「もしこれらの問いに応えられるというのなら、またいらしてください――それまでは、訪ねてくるのはやめていただけますか?」 立ち上がり、フードをかぶりながらジャックの目を見ずにそう言い置く少女。 「待てヨ!」 その背後に向かって声を投げつけるジャック。だが青年の声を無視し、少女は森の中へと姿を消していく。 ‡ 『……悪いナ、年寄りが説教臭くてヨ。飯食いに行こうゼ?』 もし拗ねられたり、逆切れされるようならひと通り落ち着けて、そう言って丸く収めようと思っていた。 だが、返されたのはどこまでも淡々とした、冷静な分析に基づく問いかけの数々。 誰もいない、墓場。その休憩所に独り残されたジャックはどんな言葉を返すべきか考える。 彼の故郷、エンドアの森と、すぐ側の森は全然違うもの。 だがその梢の奏でる音は変わらない。 「何て言ったらいいんだろうナァ」 森へ向かって静かに語りかけられる問い。 答えるものは、今はいない。
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