これはミルカがまだ覚醒する前のことだ。 「ミルカや」 「なんですか? おじいさん」 その日ミルカは彼女の祖父の家へ遊びに来ていた。 彼女の祖父はいわゆる「サンタおじいちゃん」一年に一度、祖父が輝く日が近づいており、その準備をどこかのんびりとした動作でしている様を眺めて色々と妄想する、もとい、将来の自分を思い描くためである。 あと最近は梱包も手伝わせてもらえるようになった。 時々皺がよってしまったり紐を結びそこねてしまったりといった小さな失敗はあるものの、教えてもらいながら概ねうまくできているんじゃないかなぁと自分では考えたりしているミルカである。 呼ばれたのもきっとそうした手伝いのあれやこれやのどれかなんだろうなぁと、そんな感じに振り返った。 そこにいた祖父は、なんというか、あれである。ぼろぼろだった。 「おじいさん!?」 その背後には、彼のそりを引く相棒でトナカイの、ヴィクセン。 何か諍いでも起こしたのだろうか。どつきあったらしい祖父の顔は蹄の跡がくっきりと残され、あちこちぼろぼろになっている。ヴィクセンの方もちょっと毛並みが毛羽立っている。だがもう既に仲直りは済ませているらしい。 おじいさんはまだ顰め面しくしているヴィクセンの首に右の手を回しながら、左の拳をつきだし、天に向けて親指を立ててみせた。 いわゆる「ぐっじょぶ」のハンドサイン。 「わし、今年、リタイア」 「どうして片言なんですか!?」 「というわけじゃからしてーこのリストを頼むぞいー」 いい笑顔のままミルカの問いをさらりと流し、祖父は一束のリストを渡したのだった。 それが何か最初理解できなかったミルカだったが、視線を落とし字面をおっていくことで、初めてその意味を識ることができた。 「これ……プレゼントを渡す子の名簿、です?」 下から見上げるようにして問いかけるミルカに、うむ、と頷いた彼女の祖父が莞爾と笑う。 「ミルカももう大分手伝いに慣れたからのぅ。もう空間移動も覚えていることじゃし、今年はミルカが皆にプレゼントを届けるのじゃ」 朝からせっせと準備していたプレゼントの山を指さされながら告げられた言葉。 一人前とはいかなくとも、半人前から0.8人前くらいには格上げされたらしいと知り、ミルカの顔に笑みが浮かんだ。 「はい、頑張ります!」 ‡ ミルカにとって、「サンタクロース」になるのは幼いころからの夢だった。 特別な能力を使える人しかなれない職業、サンタクロース。 初めて見たサンタクロースのおじいさんが、ミルカにとっては祖父だったのだ。 「一年間良い子にしていたご褒美だ、ほら、おとり」 ミルカの前に颯爽と現れた、真っ赤な衣服に身を包んだ祖父はとてもとても特別な存在に思えて。 その時もらったプレゼントも、また特別なものとなった。 ミルカが自分もサンタクロースになれる能力を受け継いでいるとしったとき、ミルカは飛び上がって喜んだ。 それから数年。 サンタクロースになるために色々と教えてもらいたいとおしかけ、その結果普段はだらしのない生活を送っている祖父に呆れ、幻滅し、それでもあのかっこいい瞬間を覚えているからこそ、さぼりたいが為にやらせているように思ってしまう――勿論、すぐにそんなことはあるはずがないと心中からその馬鹿な考えを打ち消したけど――雑用もこなすことができたのだ。 とうとう、この日が! その嬉しさに比べれば、プレゼントの梱包を手伝いながら――それが自分にではなく誰とも知らない他所の子へのものだという事実に――少しだけ抱いたヤキモチなんて、本当にくだらないものだった。 ‡ 飛び跳ねるようにでていったミルカをみやりながら、回されていた腕をうざったそうに振り払ったヴィクセンは、エーヴェルト――ミルカの祖父の名前だ――をみやり、呆れたような視線をむける。 「ま、大丈夫じゃろ」 渡した数枚の束とは比べ物にならない人数が記載された十数枚の紙を懐から取り出し、エーヴェルトは肩をすくめる。 「さて、今年は忙しいぞ。去年や一昨年のように、ミルカがプレゼントを梱包してくれていないのが、これだけあるからの」 「自業自得だ」とばかりに鼻をならすヴィクセンに、再度肩をすくめて見せると彼は隠していたプレゼントの山を取り出し、細々とした作業をはじめるのだった。 きっと其の様子をミルカが見ていたならば、祖父へよせる色褪せた尊敬の念を、比較的新しいものに変えることもできただろう。 それくらいには、真剣な面持ちだったから。 ‡ 深い根雪に覆われた山間の村。 大分遅い時間であったが、ミルカに眠気はなかった。 あるのはわくわくと、どきどきと、びくびくと、ざわざわと。 いろんないろんな感情を小さな胸に収めつつ、少女は出発前の最後の点検を終えていた。おじいさんは、奥の部屋でまだ何かやっていて手が離せないらしく、ミルカは一人で最後の準備を整えた。おっと一人じゃない。窓の外からはヴィクセンがそんなミルカの様子を見守っているのだった。 そんな祖父の家の暖炉付近で、ミルカは記念すべき一人目の名を確認し、読み上げる。 ――クリスティン・ランドルフくんのところ……! 唱えた瞬間、ミルカの身体はおじいさんの家から消えて、クリスティンの寝室に転移し終えていた。 今どきのサンタは、そりとトナカイではなくテレポートで移動するのだ。 その方が、寝ている子供を起こさずにすむし。 「えっと、クリスくんのは……あ、これです」 抱えていた袋の口を開け、中をしばらく探した後、ようやく目当ての包みを見つけることができたミルカ。 ――さぁ、あとは置けばおわり。 置く前にでもちょっと待って。 心の中の声が、ただでさえゆっくりとしていた手を止める。 本当にこの包みでいいんだっけ? 間違えてないか、何度も何度も名簿と付きあわせて確認する。 うん、大丈夫。 「はい、どうぞ」 起こさないように、そっと小さく囁いて、ミルカはプレゼントを少年の枕元へ置いた。 そう、はじめてプレゼントを渡せたのだ。 少し震えた手をはにかんだような笑顔とともに逆の手で撫でながら、ミルカは次の子のお家へと向かうべく、名簿の束を繰る。 「次は――」 名前を唱え、移動する。 その瞬間、「ひょっとして起きてたりしないかな……」という不安が頭をよぎり、到着したその部屋で、小さな寝息を聞いて安心するの、繰り返し。 何度も何度もどきどきし、何度も何度も確認し、そして一個一個、きちんきちんとプレゼント。 最後のプレゼントを配り終え、我知らず、ミルカは溜まっていた息を吐く。 その時になって、はじめて自分がすごく緊張していたのだと、思い至る。 ――エーヴェルト・アハティアラ……おじいさんのところ……! 最後にそう唱え、身体が転移する瞬間、ミルカはやり遂げた仕事を噛みしめるように、目を閉じた。 開いた時に目に入ったのは……自堕落にソファに寝こけるおじいさんの姿だった。 「もう、おじいさん! 風邪ひきますよ!」 呆れ、苦笑し、それでも憎めない祖父にそう言って、起こし寝室に押し込んだ。 まったくもう、今年はずっと寝てたんですね。 ぶつぶつと言いながら、ミルカも自室へと向かう。 脱いだ衣装を丁寧にたたみ、そうしてミルカは寝台へ横になる。 心地よい疲労と満足感。 それでも、今日尋ねた子らの一人ひとりの寝顔が浮かんできて、中々寝付くことはできなかった。 ごろり。ごろり。えへへ。ごろり。 寝返り、笑い、寝返り。 星々と降る雪の音を窓の外に聞きながら、ミルカはしばらくそれを繰り返す。 それでもやはりまだ幼いミルカは、やがて訪れた睡魔に抗う術をもたず、必要性も、持ってはいなかった。 「明日、起きてきたみんなが……笑ってくれますように……」 そう小さな祈りを捧げ、眠りの淵へと落ちていくミルカ。 その部屋の扉がそっと開いたことに、寝入ったばかりの少女が気づくはずはなく――。 ‡ 「わあ! わあ! わあ!」 朝早く、ミルカの嬉しそうな声が、部屋中に響いていた。 少女の手には、赤く、大きなサンタの帽子。 柊の葉が飾りでついた、ミルカの肩幅ほどもある縁を持つ、大きな大きな可愛い帽子。 ミルカがサンタである証。 サンタの帽子! それは、ずっとミルカが憧れていたものの一つ――もう一つはヴィクセンと共にソリを颯爽と操る大人の自分だった――だからミルカはさっそくそれを頭の上に乗せてみた。 すごい! ぴったり! それは幼いミルカでも、少し深くかぶればぴったりと落ち着くミルカのための、ミルカだけの、帽子だった。 嬉しくて鏡の前で、くるりくるりと何度も回る。 くるくるぐるぐるくるくるり。 目をまわしかねないくらい回って、ようやく落ち着いたミルカが「ありがとうございます」と小さく言の葉呟いた。 昨日プレゼントを配ることはとても嬉しく楽しかった。 けど、心の、本当に本当に隅っこの方に小さく居座るちょっとしたヤキモチがあったのもほんとうで。 皆もらえていいなぁ――。 でも、今ミルカももらえたのだ。 素敵な素敵なプレゼント。 それを手にして、ようやくミルカは実感した。 昨日ミルカが枕元においてきたのは、単なるプレゼントではないのだと。 彼女が置いてきたのは幸せ。喜び。 それは、クリスマスの朝に届けられる、子どもたちだけの特権だ。 だから、ミルカは心から声を上げてその日その朝を祝福するこちょにした。 メリークリスマス! 世界中の子どもたちにも、見習いサンタにも。 メリー・メリー・クリスマス!
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