ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
肌という肌がざわめくような不可解な感覚を覚えて目を開くと、世界は常闇に包まれていた。右を見ても左を見ても墨を流し込んだように黒いばかりで、果てという物が感じられない。 大気は冷たく、ピンと張り詰めている。暫くの間ぼんやりを身を浸す内に、ああ、と清闇は不意に得心した。これは謂わば戦場で敵と対峙した時に身を取り巻く、緊迫したあの空気と似ている。そう思い立った瞬間、今度はどこからか漂う血臭が鼻先を掠め、誰かの啜り泣きや、怨嗟の叫び声までもが聞こえ始める。頭の内を容赦なく穢す、胸の悪くなるような不協和音だ。辟易し瞑目せざるを得ない。 悪い夢なら、早く覚めちまえ。 血生臭い殺戮にも破壊にもさらさら興味はない。どうせ見るなら、目の覚めるような美景を眺めながら友と盃を酌み交わす、そんな心温まる夢がよかった。 「とんだ腑抜けになっちまったもんだなア、手前は」 ささやかな幻想を茶化す嘲笑が耳を打ち、清闇はふっと顔を上げた。 何も無かった筈の虚の空間に、いつのまにか一人の男が佇んでいる。一瞬、目の前に姿見でもあるものかと疑う。 だがその考えが誤りである証拠として、男は唇の片側だけを釣り上げる酷く厭らしい笑い方をした。 「……手前は誰だ」 「無粋なことを言うもんじゃねエよ」 鼻の先であしらわれ、密やかに苦笑する。全く持ってその通りだ。何せ、どこからどうみても目の前の男は自分にしか見えなかった。 同じ身体で、顔で、声で、それでいて自分には無いものを感じさせる男は、剥き出しになった真紅の両眼を炯炯と輝かせ、清闇を観察している。その眼差しが秘された清闇の右目へツと移ろい、憐れむように眇められたかと思うと、次の瞬間にはやはり色濃い嘲りを乗せて囁いた。 「なあ。手前が役目を思い出せるよう、手前の大切なもの全部──俺が壊してやろうか」 「ハ、」 乾いた笑いが咽を衝く。形無い人々の嘆きが飛び交う坩堝の中に、片や陶然と、片や薄弱と身を置いている。 「俺を恨んでんのか黒竜。だがな、そいつは到底聞き入れられねエ申し出だ」 黒竜と称された男は片眉を跳ね、また鼻を鳴らす。 「恨んでるのかもしれねえな。恨んで、憐れんで、馬鹿にしてるさ」 肩を竦める男の背後では、死屍累々とした奈落への道が清闇を誘うようにちらちらと揺らめいている。 最後の黒竜として生を受けた清闇は元来破壊を司り、世界を滅ぼす役目を担っていたのだから、その昏いばかりの辻へ身を置いている方が道理だろう。 そんなことは当に理解していた。理解していながら、自分を説こうとするもう一人の自分の言葉を聞く。 「手前だって知ってんだろ? 俺たちが本気になったら、神や竜が束になってかかっても敵わねエ」 血色の眸が瞬き、やがて苛立ちも露に舌を打った。 「なんでそれを行使しねえんだ。全く手前と来たら、俺の言うことにこれっぽっちも耳を貸しやしねえ」 「──『慈衛』」 不意に生来の名を呼ばれ、男はぴくりと反応を見せた。 言葉を呑み込んだ唇が震え、血色の双眼がうらめしげに清闇を射貫く。だが見返す清闇の側と言えば、いっそ晴れやかなまでに涼しげに、大らかに微笑んでみせる。 「おまえだって判ってるだろ。世界を滅ぼせと誰かに命じられて生まれてきたんだとしても、俺は生まれた時からもう選んでる。『慈衛』と、親父さんおふくろさんがそう望んでくれたのに、他に何をどうしろってんだ?」 「……不釣り合いな名だとは思わねエのか。黒竜である俺に何かを護るために生きることを課すなんざア、馬鹿げていると」 「ああ、ああ、いいぜ。なんとでもいえよ」 宥めるような言い草に鼻を顰めた男を一笑した時、清闇は気付いた。先刻まで空間を満たしていた筈の、数多の叫喚が聞こえなくなっている。漆黒に染まりきっていた視界も、僅かながら晴れつつある。 清闇はおのずと笑みを深め、四方から迫る光の波に萎縮した黒竜へ向け、片手を差し出す。 「けど、どうあってもおまえは俺の一部だ。俺はおまえを否定しねエし、俺の中にそういうものがあるってことを受け止める」 掌を返し、指の先でトン、と自らの胸を叩く。 「だからいつでも暴れてみろよ、俺が止めてやるから」 「手前……」 追い立てられるように、じりりと黒竜が退く。その爪先はもはや光に呑まれつつあった。しかし清闇は心得ている。ここでその姿が消えたとて、『世界を破壊するもの』である黒竜としての自分の側面が完全に失われることなどありはしないのだと。生涯をかけて飼い慣らす他に術は無い。 苦しげに喘鳴する男が消えるまでを見届け、静かに目を伏せる。 瞼の内側で、眩いばかりの光輪が弾けていく。 「それにな、俺は気に入ってんだよ。今だって、可愛い奴らが一杯いるからなア」 *** ──お人好しが、と。 目覚め間際に吐き捨てられた悪罵は、きっと幻聴の類では無い。 寝台から半身を起こした清闇は、未だ夢現な感覚に浸るままにひょいと肩を竦めた。 「そういうもんさ」 破壊の運命など、選びようがない。 望まれて生まれ、愛されて生き、必要とされながら人間と交わった──その喜びと幸いがある限りは、決して。
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