オープニング

 魔王座すとも
 この道を往く
 背中に負うのは
 仲間の悲鳴
 ヨーソロ、ハイホー
 錨を上げろ

 女神泣くとも
 この道を往く
 背中を押すのは
 家族の嘆き
 ヨーソロ、ハイホー
 舳先を向けろ

「……という何とも物騒な舟唄が響き渡る場所、だそうです」
 鳴海は微妙に震える声で何とか唄らしいものを歌い上げ、ほ、と息をついた。
 居並ぶロストナンバー達が、なんじゃそれはどうしたんだお前的な視線で生温く見守るのに我に返り、赤面しつつわたわたと手を振る。
「あ、あのいやどうしても歌いたかったわけではなくてですね、実はこの唄がその海域の海魔を大人しくさせる波長を持っているというですね」
「波長?」「海魔?」
「それがヴァネッサばばあの依頼とどう関わってるんだ?」
 突っ込む一人にごほごほごほごほとわざとらしく咳き込む。
「では改めて。お願いしたいのは、『マーラー』と呼ばれる宝石の回収と設置です」
「回収?」「設置?」
「ずっと以前ですが、ブルーインブルーの港町ガックの『疾風レース』に関する依頼をさせて頂いたことがあります。沖合の島を回る船のレースで、その一年の漁域を決めます。ディス率いるチームが三年連続優勝しているんですが、最近、そのコース近くに海魔が現れ、来年のレースの開催が危ぶまれています」
 鳴海は資料と『導きの書』を確認しながら続ける。
「この海魔、帆船をぐるりと取り巻けるような海蛇のようなものですが、海底に落とされた宝石に引き寄せられてきているのではないかと思われる節があります」
 『疾風レース』に使われる女神像の島は、海底から続く巨大な女神像の掲げている王冠だということが、以前の依頼で確認されている。その島の中央にある古い遺跡に置かれていた『マーラー』という呼ばれるシャンパン・トパーズが、少し前に海賊によって盗み出さた。
「海賊達はその宝石を持って島を抜け出していく途中、海魔に襲われ船ごと沈んだようです」
 ごほん、とことさら白々しく鳴海は咳き込む。
「で、この『マーラー』は、もともと海魔退治の依頼を受けたかつてのロストナンバーが、その巨大魚の腹から見つけ出し、いろいろな事情からその島の遺跡に置いてきたもの、海にあっては海魔を引き寄せる力が、陸においては海魔を遠ざける力があるようです。お願いしたいのは、海中からその宝石を見つけ出し、もう一度島の遺跡に設置することです」
「……大体はわかったが、そこになぜヴァネッサが関わってる?」
「ごほごほごほっ!」
「で、いつもならこういう宝石探しはアリッサからの依頼ってのが常だったんだが、なぜ今回は鳴海なんだ?」
「ごほごほごほっ! 風邪かなあ…」
「……おい」
 睨まれて鳴海は咳き込むのを止め、ぼそぼそと続けた。
「いや…あの確かに、依頼はヴァネッサ卿からですが、館長は今非常にお忙しい立場におられましてですね」
「はああん、読めた」
 一人が頷く。
「アリッサが、帰属だ、儀式だ、『流転機関』捜索だと忙しい思いをしてるのを横目に、あのばばあがマントヒヒ柄のクッションとかにもたれながら、『ああ暇だわアリッサ、妖精郷も落ち着いたし何だか退屈してきたわ、そう言えばまだ見つけていない宝石があったわよね何だったかしら、そうだわ思い出したわ、ちょっとロストナンバーに探させなさい、研究材料だとか適当に言えばいいから』とか言いやがったんだろう!」
 ったく、ターミナルががたがたする時に限って、宝石探しを言いつけやがるよな、ほんと困った奴だ!
「……ははは」
 鳴海は頼りなく笑う。
 できないの、まあ館長の能力がまだ育ってないのかしら大変だわ、とか扇を揺らめかせながらふてぶてしく笑われては、さぞかしアリッサも困っただろう。
「けど、今回は『回収』じゃないんだ?」
「はい、最終目的は、遺跡への設置です。大変な時期に、本当にいろいろご足労おかけしますが、よろしくお願いいたします」
 鳴海は深々と頭を下げつつ、チケットを差し出した。


「来年の『疾風レース』……無理なんじゃねえのか」
 マルボが海を眺めるディスに話しかける。
「こう、海魔が現れてはよう……漁もままならねえ」
 ブールが溜め息をつく。あんたあ、チビどもはどうすんのさあ、と背後からかみさんに怒鳴られ、わかってらあ、と怒鳴り返す。
「あの海賊どもが何かしやがったに違いねえ」
 バックは唸る。
「女神様の海で無茶しやがるから、お怒りなんだぜ。だからすぐに沈んじまって、ざまあみろだが、海魔が離れてくんねえことにはどうしようもねえ」
 海は荒れていた。島の彼方、時折不気味な灰色の波しぶきが立ち、唐突に伸び上がる真っ黒な体がのたうっているのがわかる。
「レース最下位組はもう食えなくなってきてる。何とかしなきゃな」
 ディスは腕組みをしたまま、今度は島を見つめた。
「あいつら、島で何しやがったんだ」
 乗り込むべきか、それとも誰か助けを呼ぶべきか。
 見上げた灰色の空には激しく雲が流れるだけだ。
 

 周囲を樹々に囲まれた島の中央、小さく開けた場所に、その遺跡はあった。
 人工的にならされた砂地。成人男性が四人ほど手を繋いで抱えられるぐらいの太さのゆるやかな直方体の灰色の巨石が、あるものは立てられ、あるものは乗せられて建物の残骸のようなものになっている。
 その中央に一抱えほどの白い石で造られた台座がある。近寄り上から覗き込むと、台座には穴が開いており、底は薄暗くてよく見えないが底知れず、宝石をそのまま置くことはできない。台座周辺にはどうやら台座に乗せられていたらしい古びた木箱が、粉々に砕かれて散らばっている。
 その中に文字が彫り込まれた金属片が一枚あった。不器用に造られたペンダントトップと見えないこともない。そこには、こう書かれていた。

『ヴァネッサへ 
 旅を楽しんでいるか? いつも側に。 
          ラウド・アルデリ』

品目シナリオ 管理番号2981
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントお久しぶりでございます。
ようやくのヴァネッサおばさま宝石探しです。
ってか、相変わらず、こんな時期にかよ、ですが(汗)。

ご存知の方もおられるでしょうが、ヴァネッサの宝石探しの一部は、かつての恋人ラウドが世界層に置いて来た宝石を探す目的があります。
今回のも実はその一つで、かつてラウドが残した宝石が海賊に奪われ、今では海底に沈んでおります。ヴァネッサは噂を聞きつけ、それと察したようです。
今回は『回収』せずに置いてこいと命じたのも、世界の変化に、彼女なりに何か思うところがあったのでしょうか。どんな感じの宝石だったのか、伝えて下さると、ツンデレ気味に喜ぶかも知れません(笑)。


皆様には「宝石の発見・回収」「海蛇海魔との戦闘」「島への再設置」について、どのようにされるのか書いて頂けると有難いです。
いろいろ複雑になっている世界状況の中、気軽に楽しんでご参加下さい。

では、海賊唄の三番を歌いながら、沈没船でお待ち致します。

 俺達ぁ海賊
 この道を往く
 背中を刺すのは
 黄金の夢さ
 ヨーソロ、ハイホー
 いざ漕ぎい出せ

参加者
ジャック・ハート(cbzs7269)ツーリスト 男 24歳 ハートのジャック
アストゥルーゾ(crdm5420)ツーリスト その他 22歳 化かし屋
イング・ティエル(cvnn9859)ツーリスト 女 26歳 海竜人の魔女
ヴァージニア・劉(csfr8065)ツーリスト 男 25歳 ギャング
ベヘル・ボッラ(cfsr2890)ツーリスト 女 14歳 音楽家

ノベル

 壱番世界においては、トパーズの名前はギリシャ語の「探し求める」に由来すると言う。豊富に採取される島が霧に包まれており、探すのが極めて困難だったためらしい。昼間はその所在がわからないので、夜を待って探しに出かけて石が光るのに目印をつけ、次の日に目印を頼りに掘る。「夜に光る」伝説が「探し求める」「幸福」「洞察力」などのことばに結びつき、「友愛」に繋がった。肌身離さずつけていると、真実の友、または真実の愛人が一生離れないと信じられている。
 人の心もまた、荒れ狂う現実と凄まじい魔性に守られている。底に横たわる聖なる性が導く花冠に辿り着けば終わりかというと、実はその花冠の奥底にこそ、神秘に満ちた世界が開けている。
 そこには、真実がある。


「音響屋が居る、他の奴らは自力で潜れる。他に何が必要だ、アァ!? どうせ1度海魔ぶっ殺して手に入れた石だ、2度も3度も同じだろ、ヒャヒャヒャヒャヒャ」
 荒れ狂う波を横目にジャック・ハートは機嫌がいい。波の彼方で轟音をたてて暴れる海魔を恐怖するどころか、どれほど派手に相手してやれるかという想像に気持ちを沸き立たせている。
 彼とヴァネッサの浅からぬ因縁を知る者は、この依頼を受けた彼におそるおそる尋ねたものだ、あれだけ拒否され続けて、なおも挑む気持ちの強さの秘訣は何か。
 一瞬きょとんとしたジャックの脳裏に素早く奔ったのは、エンドアへの帰還の切望、それと関わるヴァネッサの価値。
 ターミナルを盛大に巻き込んで自滅する女は茨姫だと思った。だから近付いた。
 そういう理屈の片隅で、自分には見せなかった、飾りを取り外したヴァネッサが世界図書館の空中庭園で光と風に嬲られて立っている様を想像する心が、こう囁く。
 過去の記憶だけで生きていけるなら今より近しい距離は必要ない。尤もその前にとっくに振られたがナ。
 だが現実には、彼は鮮やかな緑の瞳を瞬かせて馬鹿笑いしながら、こう応じる。
「健気で可愛いゼェ、麗しの茨姫は? ま、そういう女ほど一歩間違えるとオッソロシイがナ」
 好き者変わり者お調子者。その視線を身に受けて、片目をつぶって笑い飛ばす。
「俺ァジェントルだからヨ、俺を振った女にも優しいゼ、ヒャハハハハ」
 見知った通りを進むうちに、いつかのジャックの活躍を覚えていた者がいたのだろう、ジャックじゃねえか今度は何直してくれるんだ、とか、何してたんだ仕事が忙しいのか、とか聞いてくれる者が居た。
「バック、知らねエか?」「ああ、バックならディスとさっき浜辺から戻ってきたぜ」
 教えられて入った酒場で、向こうからはっとしたように呼びかけてくる。
「ジャック! ジャックじゃねえか!」
「久しいナ、バック? 最近俺ァ海魔退治を引き受けててヨ?」
「えっ」
 バックは忙しくディスと視線を交わす。頷いたディスに頷き返したバックに、ジャックはニヤニヤ笑いを広げながら、
「沈んだ海賊船の近くに出るんだろ、デカいのが? 詳しく教えちゃくれねェか? ま、後はこっちに任せとけヨ」
「ほんとかよ、ジャック」
 バックの顔に露骨な安堵が広がっていく。

 
 街の人々から情報を集めているのはアストゥルーゾだ。
「……妙縁奇縁、困ったチャンな人だねぇ、まぁ言うこときいちゃうぼくも案外、困ったチャン、かな?」
 ぱっと見にはもこもこざわざわとした布の塊にしかない風貌、本当の姿は何にせよ今回は驚き恐れて何もしゃべってくれなくなるのも困るので、可愛らしい少女の顔で小首を傾げて聞いて回る。
「その宝石ってどんなのよ? ご近所の方々はしってるのかな? 良かったら教えてちょうだいな」
 地元では『女神様の光』と呼ばれていたものらしい。女神様の島の中央の古い遺跡の中に設置されていて、海の安寧を守っていた。その宝石がその場所にある限り、周囲の海は海魔も寄りつかず穏やかで、豊漁も約束されている。
 宝石そのものをはっきり見た街の者はほとんどいない。船の事故で島に漂着したものが水を求めて奥に入り込み、遺跡の中央、腰ほどの白い石の台座に小さな箱が載せられているのを見たことがあるそうだ。
 その箱は武骨ながっしりとした木箱で、台座の上にただ置かれているように見えたのだが、その台座をあちらこちらから眺めたところ、隙間から光が漏れているのが見えたと言う。よく見れば、箱の真上に小さな穴があり、そこから陽射しが差し込んでいるようだ。だが、台座の中に溢れていた光は、とてもとてもそんな光量ではなく、夜になって出向いてみれば、おそらく台座ごと光って見えたのではないかとの話があり、そこに伝承にある宝石が入っているのだろうと思われていた。
 海賊達はどこからその噂を聞きつけたものか、ひょっとすると『荒波のグルッグ』あたりが、負け続けているレースの腹いせに荒らしてみろとそそのかしたのかもしれないが、とにかく彼らはやってきて、宝石を奪って海へ逃げた。
 海底に沈む女神様の裳裾から離れるほどもなく、どこからかやってきた海魔が船を襲った。帆船を幾重にも巻ける真っ黒な海蛇で、抵抗する間もほとんどなかっただろう。
 海賊船を沈めた海魔が、その興奮を納められずに手近に居た船に襲い掛かろうとした時、乗り込んでいた老爺が古い唄を思い出した。宝石が安置される前までは、やはり海魔が暴れる時があり、その時に歌われていたものだと言うその唄を、船の全員で歌ったところ、海蛇はのたうち暴れつつも、次第次第に遠ざかり、やがて去っていったのだと言う。
「今も時折、巡視の船や、無理をして沖へ出た船に襲い掛かろうとする時には、唄を歌って難を逃れてる。こういう唄だ」
 あんたらも、もし沖へ出るなら注意しろや、と案じて野太い声で歌ってくれた。

 魔王座すとも
 この道を往く
 背中に負うのは
 仲間の悲鳴
 ヨーソロ、ハイホー
 錨を上げろ


「ルールは破るためにある、と言っても力がなかったら、こうなっちゃうのよねぇ」
 旅人の外套効果が薄ければ、すわ海魔と指差されそうなイング・ティエルは、豊満な胸を抱きかかえて潮風にピンクの髪をなびかせている。自称、数百年を生きる海竜人の魔女、それは壱番世界出身の者なら、トラベルギアの箒に乗って飛ぶ姿で十分想像できるだろう。
「小さな卵ぐらいの大きさの黄色みがかった虹色に輝く宝石ねぇ。船が出せないなら、ギアで移動しようかしらぁ」
 鳴海に確かめた宝石の形状を思い出し、ちらりとバック達と話し込むジャックをみやり、
「一緒に行く人達が荒事向いてる感じだしぃ。力仕事と荒事は任せましょぉ」
 でも、歌なら歌ってあげていいわよぉ。

 女神泣くとも
 この道を往く
 背中を押すのは
 家族の嘆き
 ヨーソロ、ハイホー
 舳先を向けろ

「―――だったかしらぁ。歌の波長が大人しく、とか言うけれどぉ。歌う人によって波長も変わるわねぇ」
 まぁ、私の魔法で空間ごと波長を操作しちゃえばいいんだけれどもぉ。
 空間と重力を操る彼女には方法は幾つもある。


「海賊の宝探しか。一度やってみたかった。噂の女神像も見てみたいな」
 薄藍色のフード付きマントの陰、人形のような整った顔立ちでつるりとした白い肌のベヘル・ボッラは、海を眺めながら呟く。淡々とした無表情さはいつも通りだが、荒れた海を興味深そうに見つめる金の瞳、さっきアストゥルーゾに海賊唄を歌って聞かせてくれた男に、もう一度歌って欲しいと頼んで、ギアのスピーカーで蒐集した。
 波長を分析しながら、主旋律が非常に狭い範囲の波長に限られているのに気づく。ついでにイングの声も蒐集したが、面白いことに壮年の男とイングの声に共通した波長が含まれているのがわかった。声の高低に差はあるが、この唄を歌う時にはほぼ同じ波長を繰り返し生み出すことになる。
 以前情報収集の為蒐集した海賊達の声音等も利用して唄を作る。多人数が陽気に歌ってるような音を意識すると、その波長はよりはっきりと際立つことがわかった。
「ベヘル!」
 呼ばれて振り返ると、ジャックが手招きしている。先に立つバックとディス、それに、
「ったく、海は煙草がシケるから憂鬱だぜ。早いとこ仕事を済ませちまおう」
 忌々しそうに唇に張りついていた煙草を吐き捨てるヴァージニア・劉が呼ばれて、小舟に集まっている。以前、ここで行われたレースで使われたホップと呼ばれる船よりは多少大きめの、けれどもベヘルとジャック、劉にバック、ディスが乗り込むともうそれで一杯な舟だ。
「大砲はねえのかよ、派手に撃ち込んで海蛇を誘い出すのはどうだ?」
 だるそうな気配の割には勇ましいことを言い出す劉に、バックが苦笑いする。
「そんなことしなくても、とっくにお待ちかねだぜ」
 ほんとに、あんたらだけで大丈夫なのかよ、と不安そうに唸りながら、それでも舟を間近には近づけてくれそうだ。
「この唄、好きだな」
 ベヘルが呟いたのを聞き止めてディスが眉を上げた。
「古い古い唄だぜ、俺のひい爺さんがよく歌ってたが、婆さんに穀潰しって罵られてたな」
「そりゃあそうだろう、仲間が悲鳴を上げようと、家族が嘆こうと、女神様が哀しもうとお宝目指してまっしぐらってんだから」
 バックが混ぜっ返す。
「けど、俺も爺さんに覚えさせられたなあ、こりゃ男の本懐だからってよ」
 バックが荒れた海に乗り出しながら、口を開いて歌い出した。意外によく通るいい声だ。

 俺達ぁ海賊
 この道を往く
 背中を刺すのは
 黄金の夢さ
 ヨーソロ、ハイホー
 いざ漕ぎい出せ

「黄金の夢か…太陽を背中に受けるって意味かねえ。太陽は東から上り西に沈むなら、西の方に台座があるんじゃねーか」
「いや、遺跡は島のほぼ真ん中だ、黄金を奪い合って、背中を刺されるってことじゃねえのか」
「かみさん泣かせ女神様泣かせ、仲間の悲鳴を聞いても魔王の住処へ突っ込んで、お宝奪うって唄だろ、極道だよなあ」
 劉のことばに、あれやこれやと言い交わすバックとディスを背中に、ベヘルはギアのスピーカーを放つ。半分は海中へ沈め、ソナーとして海魔の姿や挙動、周辺海域の様子を探り、残り半分は海上で海賊唄を周辺に流すことにする。
「海魔を呼び寄せ鎮めるなら、宝石か、石を失った女神が何かを発しているのか」
 呟いた矢先、
「見えたぞ!」
 バックの叫び声に振り返ると、彼方の海で、舟からもわかるほど巨大な鱗を輝かせた真っ黒な海蛇が、ざばんざばんとのたうちながら泳いでいる。
「あれか」
 周囲の海域では海賊唄は聴こえてこない。海蛇の暴れる場所にソナーが近づいていく。
 底の方に何か構築物がある。海蛇の大きさから言えば、ほんの一握りほどの小さなものだが、感知できる構築からすると小型の船のようだ。沈められたという海賊船だろうか。
 その船の握り潰されたような構造のほぼ中央に、一際鋭い反応を発する異物があった。非常に小さく、掌ほどもないのではないか。だが、その周囲の波に、構築物さえも揺らめかせるような特殊な波長が広がっていく。水面に居る海魔は、どうやらそれほど深く潜れないらしく、その異物を目指して潜ろうとして潜れず、怒り悶えているような有様だ。
「僕の超泳力を見て!」
 女は舟に乗せられねえ、と岸に残されていたはずのアストゥルーゾは、海に飛び込みクラーケン、鉤爪鋭い大王イカに変身していた。高速で近づいてくると、海魔をよそに一気に潜り込もうとする。
 だがさすがに海魔が気がついた。沈没した海賊船の宝石に近づこうと暴れるのを止め、身を翻してアストゥルーゾに迫っていく。
「うひゃああ、でかいでかいっ!」
 ことばは悲鳴だが口調はあくまで軽く浮かれたアストゥルーゾが、見る間に距離を詰められる。潜り込もうとした脚に噛みつかれかけ、擦り抜けた体に巻きつかれそうになる。
 ベヘルは空中のギアから海賊唄を流し始めた。
「な、なんだっ」「うわ、おい、化物かっ、唄が聴こえるっ」
「あれは俺達の仲間がやってるンだ、大人しくしてろ」
 そうジャックが宥める間に、ベヘルは海魔の様子を見ながら、波長と音量を調整し、最適化を繰り返した。
 微妙な調整のうちに気づく。この独特なパターンはひょっとすると、光の波長の翻訳ではないのか。ある光を、音源として認識出来る波長で再現すると、こんな旋律になるのではないか。
 音や映像で人をトランス状態に導くグループ、『Deus Ex Machina』ではこういう情報の扱いはお手の物だ。右手の機械腕は音響制作に特化したコンピュータ、ジャックがバックやディスを相手にしているのをいいことに、眼前に緑の透過操作盤を出現させて、計算と確認、調整と制作を繰り返す。
「海魔が静かになってきたぞ」「何だか眠っているような感じじゃねえか」
「宝石は沈没した海賊船内だ。おそらくは船長室の机か、それに類似したものの中に収納されている」
 情報をスピーカーを通し、またトラベラーズノートで伝える。
「了解っ、船内ねえっ!」
 応じたアストゥルーゾは動きの遅くなった海魔の鼻先をくらげに変わってするりと抜けて、そのまま身を翻してイルカになった。続いてまたくるりくるりと銀色に輝く小魚となり、どんどん海底へ潜っていく。
『沈没船、発見! これより潜行!』
 ノートがアストゥルーゾの報告を綴るのをじっと眺めながら、ベヘルは機器の調整に余念がない。この唄と宝石の波長の酷似は偶然ではないだろう。
 ならば、この宝石がなぜ島の遺跡に設置されていたのか。ラウドが置いてきたというのなら、別に木箱に入れておく必要はなかったはずだ。台座の上に置かねばならない理由もなかったはずだ。
 ラウドが来た時、この街は既に海魔に脅かされていたはずだ。だから、漁場を争うレースが生まれているのだ。だから、ラウドが海魔に影響を及ぼすこの宝石を見つけたのを、わざわざ台座に設置したのは偶然ではないはず、何か理由があったはずだ。
「…」
 ベヘルは一緒に舟に積み込んだ工具や材料を見下ろした。


「そのまま動くんじゃねえぞ」
 劉は両手の指から出る鋼糸を帆柱を軸に舟に張り巡らせて足場を確保した。じりじりと近寄っていく舟は、目の前の海魔から比べると塵のようだ。
 鋼糸とともに飛びかかり、宙を舞って輪切りにしてやろうと思っていた。逃げようとしたところで毒が回ってじきにくたばるだろうと。厄介なのは、海蛇が暴れて起きる大波ぐらいだろう、それも劉は命綱があるから大丈夫だろう、そう踏んでいた。
 だが大きい。舟から飛んだぐらいではひっかかるどころのものではない。
 今は周囲に響く唄のせいか、海蛇はぼんやりとした気配で海の上に漂っている。時折物憂実に体をくねらせ、それによる波が舟を上下させる以外は静かなものだ。
 劉は船縁によって海中を眺めた。澄んだ水はかなりの深さまで見通せるが、それでも海底に沈んだという沈没船の影も形も見当たらない。
 さっき、ベヘルの解析で沈没船の船長室に宝石がありそうだということが知れ、アストゥルーゾが小魚になって潜っていったところ、確かに海魔のほぼ真下に海賊船が沈んでおり、巨大な掌で握り潰されたような船体の裂け目から、何とか中へ入り込むことができたが、問題の船長室の扉は頑丈にできていたのか壊れておらず、しかもタコに変身して巻きついて引っ張ってみたけれども、鍵がかかっているらしく開かない、と報告があった。
 ただ、どうやら船長室の下、つまり船底にはどうやら穴が開いているらしい。より小さな小魚に変化して何とか入り込めたが、穴が海底の砂地と岩に食い込んでいるという。
 もっと巨大なものに化け直して、それこそさっきのクラーケンに戻って、がっつりと船にぶつかればひっくり返るかもしれない。だが、同時に海魔が我に返って暴れ出すかも知れないし、ベヘルの音響探知によると、この周辺の岩場は脆く、あまり大きな衝撃を与えると、海賊船もろとも、すぐ近くのより深い溝の中へ落ち込んでしまうかもしれない。
 宝石を傷つけそうな衝撃は与えないとなると、ジャックのゲイルやライトニングも遣い方が難しい。どうしたものかと考えた矢先、
「こちらをさっさとすませちゃいましょぉ。これさえ回収できればいんだし、ねぇ?」
 アストゥルーゾと同様、舟には乗せてもらえなかったイングが、トラベルギアの箒に乗ってやってきて、あっさりと言い放った。
「宝物は頂いて行くわよぉ。沈んだままなんて勿体ないわぁ」
 今、劉の鋼糸を網かごのように編んだものがゆっくりと海中に降ろされている。
 同時に、イングが海中に潜り、沈没船を確認、宝石の正確な位置をベヘルから指示されている。
 海中深くでイングは劉の鋼の網かごを握り、沈没船の近くまで泳ぎ寄っているはずだ。滑らかな肌を水に滑り込ませ、周囲を動き回る小魚達に紛れながら船長室まで辿り着き、やはり解放することが不可能ならば、彼女の魔法の出番だ。
「もう少し右。そこだ」
 ベヘルの指示は海中のスピーカーで届いている。
『完全に船底に岩が食い込んでるわぁ。ワタシじゃ入れないわねぇ、胸がぶつかって。仕方ないわねぇ、ちょっと持ち上げるわぁ』
「気をつけて。隣の海溝はかなり深いし、冷たい海流が巻き込んでいる」
 ベヘルが探知状況を伝える。
「落とし込んでしまうと回収できない」
『わかったわぁ』
 劉が覗き込む海中に、僅かに水泡が広がった。やがて急速に広がり巨大化してくる泡が立ちのぼる、と同時に微かに耳を圧するような、体が競り上がるような違和感が生まれる。鋼糸が引っ張られ、振動に何かが落とし込まれ包まれる気配、だがそれよりも、物音に振り返った劉は息を呑む。
「狂った」
 ベヘルが淡々と断言するより早く、目の前の真っ黒な体が大きく波打った。
『回収ぅ』
「わかった、上がれっ、ってか、逃げろっ!」
 劉は鋼糸を断ち切り、それを体に巻きつけるようイングに指示すると、急ぎバックとディスの元に駆け寄る。海魔が身震い目が覚めたように動き始めるのに、起こった波に舵をうまく扱えない。
「ベヘル!」「やっている」
 おそらくはイングの重力魔法のせいで、波長がずれた。海魔にとっては突然叩き起こされたようなもの、再度調整を試みるベヘルの努力より早く、海魔は見えない拘束を断ち切ろうと足掻き、近くにあったスピーカーを二つ、海中に叩き落とす。海中から飛び出してくる残ったスピーカーで元の音量を保持しようとするベヘル、海底から飛び上がってきたのはイング、その手にしっかりと巻きつけられ握られた鋼の籠にはきらきら光る宝石がある。その宝石を狙うかのように、口を開いてイングに襲い掛かろうとする海魔、魔法を放つ構えを見せたイングが、すぐ間近にある劉達の舟に舌打ちして箒に縋り、飛び離れようとする。追いかける海魔を、今度は相手そっくりの海魔に化けた、ただしこっちは目の痛くなるようなショッキングピンクの海魔のアストゥルーゾが、海魔にぶつかりながら気を逸らせた。
「へへええっっ、こっちこっちいっ!」「、の馬鹿っっ」
 劉が木の葉のように揺れる舟から投げ出されそうになるバックとディスを何とか食い止め、どうしてやればいい、と空中を振り仰いだ、その真上に海魔の顔がある。
「やば…、……っ!」
 絶体絶命の危機、だがそれは鮮やかに回避された。
「ジャック!」
 いつの間に飛び上がっていたのだろう。げらげらと楽しくて仕方のないように笑いながら、自分の回りにサイコシールドを球形に張ったジャックが、立ち上がった海魔の顔にぶつかっていく。海魔が殴り飛ばされたような状況になる、いやそれだけではない、海魔が怒号を上げた。ジャックが当たった場所の肉が削り取られ抉り取られているのだ。
「…ゲイル…っ」
 ばたばたと飛び散る血肉、怒り狂って一旦海中へ体を落とし、再び跳ね上がった海魔が大口を開けてジャックを呑み込む。空中に浮遊していたシャボン玉のようなサイコシールド、だが、次の瞬間、世界を覆い尽くすような絶叫とともに、海魔の体が四散し始めた。ジャックが呑み込まれた口からどんどん後ろへ進むに従い、海魔が粉々に引き千切られて海中に崩れ落ちていく。
 およそ半分ぐらいまで進んだだろうか、既にただの肉塊と化した海魔が散り飛んだ後、まるでそんな出来事などなかったように、空中に小さな透明な球が浮いていた。
「ジャック!」「ジャアアアッック!」
 バックとディスの歓声に気づき、ジャックが振り向いてにやりと笑う。
「このあたりの漁は、楽しいぜエ?」
「そうか……外側で、ゲイルを使ったのか…」
 茫然と見上げながら、劉は呟く。サイコシールドの外側にもう一枚サイコシールドを展開し、その間でゲイルの力を解放したのだろう。結果として、海魔はミキサーを一つ呑み込んだような状態になったわけだ。
 飛び散った海魔の肉を魚達は喜ぶだろう。豊かな漁場となるのは間違いない。


「さて遺跡に設置だ」
 無事確保した『マーラー』を手に、劉は島の広場に進み出た。巨石の立ち並ぶ遺跡の中央、確かに白い台座がある。小さな子どもぐらいの大きさ高さだ。
 バックとディスは、不敬にあたると島に上陸していない。
「台座の中には何があるのかしらぁ。とりあえず明かりを灯して降りてみましょぉ」
 イングの声に頷いて、
「降りられるならな」
 近づいて覗き込む。穴は予想以上に小さい。腕がようやく通るぐらいだ。
「中に安置できるなら中に置いていいんじゃないかしらぁ。それともその辺の石でも削り取って、置き場でも作った方がいいかしらぁ?」
「中に、か」
 けど、こいつも気になるんだよな、と劉は砕けた木の破片を拾い集めた。
「パズルは得意だ。こいつを組み立てりゃ台座ができるんじゃねえか」
 ベヘルが持ち込んでいた工具と材料を使い、劉は破片を組立て直し始める。
「ドア壊れたの椅子の脚が折れたの、居候に便利に使われてっからな。こん位朝飯前だ」
 いちかばちか、鋼糸を結んだ『マーラー』を穴に下げてみちゃどうだ、と劉は提案した。
「……どん位深いのか、底はあるのか。単純な好奇心だ」
「やってみよう」
 まだ鋼の網かごに入ったままの『マーラー』を、ベヘルが受け取り、穴の中へそっと降ろしてみる。スピーカーは入らないが、周囲の音響探査から興味深い事実が推測されている。この遺跡の下は、かなり大きな空洞になっているのだ。
 『マーラー』を降ろし始めると、この台座の穴が計算の上に開けられているのに気づく。陽射しは奥まで差し込まないのに、その光が届くぎりぎりの深さに『マーラー』を降ろしていくと、宝石が光を吸い込んで奥へと投げかけてくれるようなのだ。
「……お? なんだこれ? 鉄板に手紙?」
 周囲を見て回っていたアストゥルーゾがぴょこん、と足を止めて立ち止まり、金属片を拾い上げた。犬の顔になっていたのが、するりと少女の顔にすり替わる。
「なあにぃ…ペンダントトップみたいねぇ」
 イングがアストゥルーゾの手から受け取って、書かれた文章をじっと眺める。
「何だ…?」
 ジャックが珍しく生真面目な顔で呟いてイングの手から金属片を摘んだ。
 もう一度刻まれた文字をじっと眺める。
「ヴァネッサ、の文字がある」
「ヴァネッサ? ヴァネッサって、あのヴァネッサおばさま?」
 それって壱番世界の文字?、ジャック読めたの、とアストゥルーゾが突っ込んだのに、名前ぐらいはな、とジャックが低い声で応じる。
「依頼があったならば、関係があるんだろうね。それより、見てくれ」
 何か考え込むように金属片を握るジャックにベヘルが声をかけ、促した。
「覗いてみてくれ」
「…こりゃ…」「へえ…」「まあぁ」
 ジャックとアストゥルーゾ、イングがベヘルの手元から下を覗いて驚きの声を上げる。
「できたぜ」
 背後から劉がやってきて、訝しげに穴を覗き込み、ことばを失った。
「何だこりゃ」

 吊り下げられた『マーラー』は次第次第に日暮れになって、翳りつつある光を、全てを集めるかのように薄闇の中で輝いていた。
 どれほど深いのだろう。数人肩車をしても底から地表には届かないのではないか。奇妙な形で抉り込まれた岩、広さはこの遺跡以上ある。
 底の方に何かがきらきらと煌めいていた。夜空に輝く星のようなものだ。
 だが、それ以上はよく見えない。

 だが、本当の驚きはその後だった。
 劉が組み直したのは小さな木箱で、底に木組みの枠がついている。『マーラー』を落とさないように引き上げて、木箱の底の木組みの枠に入れて蓋を閉め、台座の上にそっと載せた。
「中が見えねぇな」
 残念そうに唸った劉に、ベヘルが合図する。
「遺跡のここ」「あん?」「それとここ」「お、」
 ベヘルはずっと遺跡の構造を確認していた。そして、遺跡の中に二カ所、下の空間へ通じる穴があるのを見つけた。
 示された穴からベヘルはもう中を覗いたのだろう、不可思議な表情で劉や他の人間を招く。
 覗き込んで、皆息を呑んだ。
「…っ…」

 どのような細工によるものなのか。
 先ほどまで薄暗かった洞窟は、全体が柔らかく明るい光に照らされていた。
 底の方には澄んだ薄水色の水が溜まってかすかに揺れている。どこかに穴があるのかも知れない、表面にさざ波が立っている。
 水が淡い色なのは、その底に煌めくほど白い砂が敷かれているからだ。
 砂にはところどころ、乳白色や淡い黄色の水晶が幾本もの塊になって突き立っていた。『マーラー』から注いだ光がそれらに吸い込まれ、互いに重なり合い増幅し合って輝いている。
 まるで地下にもう一つ、静謐で穏やかな世界があるのを、遠い時空を隔てて眺めているような感覚。

「たぶん、あの位置がちょうどこの反射し合う光を作り出すんだろうと思う」
 ベヘルは茫然としながら体を起こす面々に頷いた。
「探査では、台座近くの天井、つまりこの真下に、ここからは見えない水晶の塊が幾つかあって、それで入った光を増幅している」
 その増幅された光の波長を可聴できる音域に置き換えると、海賊唄に繰り返される主旋律となり、海魔の活動を鈍らせる波長となるようだ、と付け加えた。
「もう一つ面白いことに」
 ベヘルは海を指し示した。
「この洞窟は海底の女神像の裳裾あたりで、開口しているようだ」
 洞窟の中の音は、この洞窟で反響し合いつつ裳裾まで届き、その先の海に振動となって伝わっていく。
「その振動が海魔の活動を鈍らせる波長になっている」
 そして、不思議なことに、『マーラー』を置く前と置く後では、後の方がその振動が長く保たれるようなんだ。
 今となってはどういう技術なのかわからないが、あの遺跡の台座は、本来『マーラー』の光と似たような波長を放つ『何か』を置いてあったのだろう。それは『波』を送り出すもので、この洞窟の水晶を共鳴させ、その響きによって海魔を遠ざける働きがあったのだろう。
「誰がこれを作ったのか、もう誰にもわからないが、素晴しい技術だよ」
 ベヘルは愛おしそうに台座を撫でた。


 ターミナルに戻り、あの拾ってきた金属片を、壱番世界のロストナンバーに解読してもらって、そこにはこう書かれていたことがわかった。

『ヴァネッサへ 
 旅を楽しんでいるか? いつも側に。 
          ラウド・アルデリ』

 それを知ったジャックは、
「こりゃぁ…オイ、俺に渡させてくれねェか?」
 信じ難いことに、皆に頭を下げて、渡し役を請うた。
「ええーっ」
 まっさきに唇を尖らせたのはアストゥルーゾで、「……ははぁ~ん、ラブレターだね、ロマーンチックな人じゃない……でもこれじゃあ、なんかいなくなる予定の人が大事な人に残した手紙にも見えるね……そうなったときのために手紙を残した、とか……? ……もってかーえろ、ニヒヒ」と聞いた瞬間から何かを企む顔をしていたせいもあって、
「ヴァネッサさんに面白おかしく恨み節と一緒に依頼の顛末を話して、帰りにノーボディさんを探して『よ、久しぶり、いいもの見つけたんだけどさ、君からこれ、ヴァネッサさんにわたしといてよ』と、見つけた手紙を差し出す、って計画たててたのに〜!」
 悔しがることしきりだったが、
「どうせ暇だし、ヴァネッサのババアに伝えてやるのは悪かねぇ、ついてくぜ」
 と劉は笑い、
「欲しい人がいなかったら、渡しておけばいいんじゃないぃ?」
 とイングも同意し、
「ヴァネッサか。中々面白い人みたいだね」
 宝石の代わりの土産としていいんじゃないかとベヘルも頷くのに、がっくりと肩を落とした。
「わかったわかったわかったーっ。ノーボディがどうするか楽しみだったのに」
 妙縁奇縁、やっぱり僕って、困ったチャン! ニヒヒヒ! って笑おうと思ってたのに。
「ジャックがいつものジャックじゃないもんね、仕方ない」


 エメラルド・キャッスルで、ヴァネッサはいつも通り高慢な様子でロストナンバーを迎えた。ねぎらい一つなく、むしろ、依頼を済ませたのなら、どうしてわざわざやってきたの、と言いたげな口ぶりで、
「大変な苦労だったんでしょうね」
 マントヒヒ柄のクッションに寄りかかりながら、ロストナンバーを立たせたまま、小さなあくびを扇の影で噛み殺す。
 やっぱこいつ、うぜえ。
 劉は早速うんざりしたらしく、
「アンタの元恋人なんだろ。人使わずてめえで見に行きゃいいのに、怠惰にしてっとますます太るぜ」
「何のこと?」
 本当に知らぬらしいヴァネッサが、眉を寄せて体を起こす。
「それとも……宝石の回収を命じなかったのは、過去の恋を断ち切る決心がついたから? 新しい間男ができたならおめっとさん」
 ガシャガシャガシャーン!
「も、申し訳ありませんっ!」
 すぐ側でお茶の用意をしていたノーボディ、改め、イルナハトが派手に茶器をひっくり返した青くなった。ヴァネッサがひんやりとした目を向ける。
 うろたえた顔で片付けにかかるイルナハトを無視して、ジャックがヴァネッサに歩み寄った。
「これを」
「……」
 警戒心も見せず差し出された手、ベヘルはやっぱり知っていたのかと考え、アストゥルーゾは突っ込みたかったああっと地団駄を踏む。イングは興味深そうにヴァネッサを眺めているだけだ。
「アンタの彼氏の石で…アンタの彼氏からだ」
 ジャックは身を屈めた。
 ソファに体を起こしたヴァネッサの耳にキスしかねない近さ、文字の彫り込まれた金属片をじっと見下ろす相手の掌にゆっくりと触れる。
 ぴくり、とヴァネッサが体を震わせた。
 精神感応で彼女に流し込まれたのは『マーラー』の状態と、最後に見た、この世ならぬ美しい光景。
「たまには一緒に行こうゼ、茨姫」
 囁いて、体を起こすジャックを、ヴァネッサは静かに見上げる。
 二対の緑の瞳が、輝きを競うかのように視線を交わす。
「……」
 ジャックが困ったように、微かに笑った。
 ヴァネッサはゆっくりと目を伏せる。
 やがて、一言。
「美しいわ」
 続いたことばは、おそらく二度と聞けない類のものだっただろう。
「……皆の働きに、感謝します」

クリエイターコメントこの度はご参加ありがとうございます。
大変に遅れまして、申し訳ありません。
ついにここまで参りましたねえ。
今回も、皆様は十分にそれぞれの特技を生かし、発想を生かし、活躍して下さいました。
もしそうでないとしたら、それは私の筆の未熟さです。

ラウドの残した宝石で、残っているのは後一つ。
『シークレット・エメラルド』と言い、ヴォロスにあります。
ヴァネッサは今後も気まぐれで宝石探しを言いつけるでしょうが、彼女自身の変容の基盤となった依頼は、次で一つのおわりを迎えます。
長きに渡り、お付き合いありがとうございました。


またのご縁をお待ちいたしております。
公開日時2013-11-02(土) 21:50

 

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