その日、メン・タピは黒猫にゃんこからの要請でインヤンガイに堕ちた世界計の欠片をわが身に宿したキサ・アデルの教育のためにわざわざ司書棟に赴いていた。 メン・タピが扉を開けると ごん! 頭上から落ちてきた漬物石に打ち抜かれてその場に崩れるメン・タピ。 魔神の絶対的幸運も世界計の力を宿すキサの前には抗し得なかったようだ。「やったー、悪戯せいこー!」 悪戯にしては通常の人ならば即死レベルなことをやっておきながら幼い魂は悪びれない。しかしながら、メン・タピもまた魔神の端くれである。ゆらぁと立ちあがった。 そして見た。 悪戯成功を大喜びしている黒白のドレスを身に着けた十六歳くらいのキサ。その見た目は幼女を愛するメン・タピの趣味ではないのだが、だが 頭を打ってさらなる萌えにメン・タピは目覚めた。「こ、これは……!」「え?」「余は今まで師、慧竜こそが可憐の極地にあると信じてきた。そう、壱番世界の言葉で表現すれば『ロリババァ』。ロリババァにこそ至福が宿ると。だがしかしこれはなんという。ロリババァの対極ならね……ただのバカな成人にかような輝きを見いだそうとは……」「え?」「あまりに可憐な、名前はなんと?」「え、え、え」 ずりずりと迫ってくるメン・タピのぎらぎらと輝く欲望の眼、キサは本能的に危険を覚えて後ずさって壁に追いつめられた。そこにじりじりと迫り寄る巨漢。「その魂と肉体の不調和……美のありよう……」「い、いゃああああああああああああああ!」 悲鳴のあと激しい破壊音が轟いて、司書棟の一角が爆発した。☆ メ ☆ ン ☆ タ ☆ ピ ☆ メ ☆ ン ☆ タ ☆ ピ ☆「つまり、この爆発はキサのせいだと」 爆発に駆けつけた黒猫にゃんこ――黒い猫の姿のにゃんこは顔をしかめて、キサからあらかたの事情を聞きだすと尻尾を膨らませて怒った。 その横では今回、キサの家庭教師兼見守り役のロストナンバーたちが、まぁ、こういうことだと思ったよという顔でやりとりを見ている。 キサは落ち込んでしょんぼりしているのににゃんこはぷんすか中だ。「……今回相手がメン・タピだったからよかったようなものを! 能力はちゃんと使わないとだめでしょ! キサ! ああ、そうだよ、メン・タピだからよかったけど! 大切なことだから二回いいましたよ!」「小さき猫、キサ嬢に無礼であるぞ」「メン・タピは黙っていてくださいにゃあ! どうせなにしてもあー、痛かったぁで終わるんだから。てか、なんでキサを膝にだっこしてるの!」 メン・タピはちゃっかりキサを膝に抱っこしてご満悦である。キサの見た目はハイティーンといえども、巨大な魔神の前ではあまりに儚く見え、犯罪臭い……「くくくく、キサは世界計の欠片の強力な力をまだまだ扱いきれていないようだな。そもそも力を使うことを理解していないのだ。コントロールしろというほうが酷ではないのか」 にゃんこがむすーとメン・タピを睨みつける。「能力の扱いは万別、キサにはキサの能力の使うコツがあるだろう。なー」「ねー。メン・タピちゃん」「おぉおぉよしよし。ほっぺにチューしてあげよう」「んー、それはイヤ」 なんか気が付いたら仲良くなってるし。犯罪臭い……。「よし、今回の家庭教師兼見守りのみんなの役目は一つ。キサに能力の使い方を教えてあげて!」 え。いきなり。
ドアを開けた瞬間、つやつやの黒毛に頭には角、黒鱗の尻尾を持つ山猫のマフ・タークスは鼻に皺を寄せて、牙を剥いた。 膝の上にキサを座らせてご満悦の変態魔神ことメン・タピを見つめ、無言で振り返ると ぴたん、ぴたん――巨体なため他よりも若干遅れ気味に到着したトドの北斗を認めた。 マフは黙って手を差し出すのに北斗は不思議そうに頭の上に乗っかっているトラベルギアのボールを投げた。 マフは地面を蹴って飛び、ぐっと腰を捻って ばしぃいいん! (魔獣・必殺! 幼女愛好者犯罪手前野郎天誅! 神にかわっておしおきよ!) 見事なアタック、それにくわえてなんとなくなにかを察した北斗のサプライズによる超ド級の重力はキサに気を取られていた魔神の顔面にめり込み、ぐはぁという壮絶な音をさせて倒した。 膝にいたキサは世界計の欠片がもたらす幸運からぽーんと宙に投げられる。それを魔術道具であるムシアメが咄嗟に両手で受け止めた。 「ども、キサはん、元気そうで。間一髪やな」 「ムシアメちゃん! ども? あ、挨拶だね。こんにちは! 助けてくれてありがとう……? どうしたの? なんとなく顔が怖いよ」 「いや、なんや、部屋にはいってからじりじりするき。なんやろか」 ムシアメはキサをお姫様抱っこしたまま小首を傾げる。 「だいじょうぶ?」 「今は全然平気やで! うん平気や。メン・タピはんを見たら……昼間食った葉っぱが悪かったんろか?」 犯罪臭い魔神とキサのコミュニケーション光景に、ムシアメの左胸あたりがちりちりと火であぶられたように痛みだした。 魔術道具であるムシアメは人の感情を知らない。しかし、奇数な運命を経てターミナルに来たキサとは浅からぬ縁を築き、そこから感情が生じはじめたのにを戸惑い気味に受け止めていた。 そんなムシアメに地味な苛立ちからこいつ殴り倒したい衝動と触るな、ちゅちゅするな、それ俺の。むしろ、俺すら出来てない! と願望と独占欲などなど……女よりも一千倍濃いと言われる男の嫉妬を理解しろというほうが無理なことだ。――ムシアメ、それ、嫉妬。嫉妬だよ。 「オイ、こりゃ、どういうことだヨ」 ジャック・ハートが顔を険しく吐き捨てた。 「エミリエに相好崩すよりゃマシだが、爆発が悪戯だとォ?」 ジャックは眉間に皺が寄せ、人生ではじめて経験するようなとびきりひどい頭痛を我慢するようにこめかみに手をあて、深いため息をついた。 「悪ィ……ちょっとマジ切れしたワ」 ムシアメの腕のなかにいたキサの首根っこを猫の子のように掴んでぶらさげ、真正面から睨みつける。 「キサ、まずメン・タピにありがとうとごめんなさいを言え。話は全部それからだ」 「……けど」 「言い訳は聞かねェ」 「あのメン・タピちゃんに?」 キサが指差した方向にはモザイクかけなくてはいけない凄惨なメン・タピ。その前には『大丈夫、元に戻る!』 ――どこで用意されたのか看板がちゃんと立っている。 「……っ、メン・タピはいい。とりあえず、横に置いとけ。オイ、テメェはナァ、家ン中にデストラップ仕掛けたンだヨ!? 人間は手足の1本もげても十分死ぬンだ、引っ掛かったのがメン・タピでなけりゃ、他の誰でも死んでンだ! 今回はたまたま運が良かっただけだ。テメェの母親だろうがムシアメだろうが黒だろうが他の司書だろうが! 絶対メン・タピ以外引っ掛からねェなんて保証はどこにもねェ! テメェはメン・タピのおかげで人殺しにならなくて済んだんだ! ありがとうとごめんなさいを言うのは当然だろうがッ」 ジャックの言葉にキサは目をぱちくりとさせる。 「だって、今日はメン・タピちゃんが来るっていうから」 「黒が部屋に入る可能性も、俺らだった可能性もあンだろォ!」 キサはしゅんと項垂れた。目の端に涙が薄らと浮かんでいるがジャックは容赦せず、傍にあった机を拳でどんっと強く叩いた。 「チッ、2度とやっちゃならねェことはテメェらもちゃんと言え! テメェらこいつをターミナルの敵に育てるつもりか!」 大きな音に怯えたキサは両手で耳を押さえて縮こまる。 「その意見には賛成だが、怯えさせても仕方ないだろう」 マフが鼻から息を吐き出してぷらーんと吊るされたキサに近づくと、素早く机の上に乗ってキサと視線を合わせた。 「テメェの力はテメェのモンだ、まずテメェで考えろ。違うなんて言わせねェぞ、たとえそれが破片の力だとしても、今はテメェの力として利用してるだろうが、下らねェ悪戯によ」 マフはキサの額に爪ピンを放つ。 「痛っ! してないもん!」 「したから、メン・タピの頭に落ちたんだろう」 「石は……いきなり小さくなって、大きくなったんだもん!」 「はぁ?」 マフが呆れたように眉間を寄せる。 「本当は、これくらいの石を落とそうとしたの」 キサは両手で掌ほどのサイズだと示した。 「黒が文鎮に利用している石でね、ドアに挟んで落ちたら面白いなって。じぃーと見てたら石がどんどん大きくなって、漬物石になっちゃったの」 マフは険しい顔な髭をぴんと震わせた。 そうである。 キサの力は吸収と増加、空間を作り出すことである。キサは無自覚にも思いついた悪戯に気持ちが高揚して石に力を与えて巨大化させてしまったのだ。 「……無自覚ってやつは、これだからよ」 マフははぁと魂が抜けるようなため息を吐き出した。そうだ、そもそも司書室に漬物石があることのほうが可笑しいのだ。黒、お前、なに部屋で漬けてんだよってつっこむべきだ。いや、この不良司書にゃんこならありえる。これぞ司書徳の悪さよ。 ぎろっとマフがにゃんこを睨みつけるのに、にゃんこは素晴らしい反射神経を駆使してそっぽ向く。 「あのなァ! 言い訳すンナ!」 ジャックは手負いの獣の慟哭のように低い声で言い放つ。 「キサ……テメェが人殺しを楽しむ人間になりたくねェなら、早く家に帰りたいなら。テメェが面白そうと思った事は一切するな。まず周りの誰かに聞いてからにしろ。そういう癖をつけろ。テメェは針が抜けりゃ赤ん坊に戻る。陰陽街らしい生き方はその後で身につけりゃいい」 「……ジャックさんは怖い音出すから、いや」 キサはとうとうジャックの前から逃げてムシアメの腕にしがみついた。 「キサはん、悪いことをしたらどうするかって、わいも教えたで」 ムシアメに優しく諭されてもキサは不満げな顔をした。元を正せば石の巨大化は無意識なのだから叱られても素直に反省するのは難しい。さらにジャックの威圧的な態度がキサを頑なにさせた。 「力を使って覚えたいなら。カンダータでマキーナ相手にバトッてこい」 「いけないんだもん!」 キサが地団駄を踏む。 「キサは危ないから、ターミナルから出ちゃだめって! けど、力を使えるようになれば……! だから……がんばったのに!」 ふーふーと興奮した猫が毛を逆立てるようにキサは呼吸を荒くさせる。 「ストップ。あんまり興奮させすぎると危ないぜ」 マフの言葉にジャックは腕組みをして無言で応じた。 ムシアメがキサの背中を撫でて落ち着けるのに北斗がぺたんぺったんと近づき、テレパシーでキサに話しかけた。 『聞こえるかなぁ? あ、おいら、北斗と言うんですよぅ』 「ムシアメちゃんのおおきばーじょんだ!」 「キサはん、北斗はんはトドやで」 『おいら、虫じゃないよぉ! ……あのさ、マフやジャックはキサが力の使い方を間違えて悲しい思いをしないようにあえて叱ってるんだよ。それは大切なことだとおいら思うんだ。おいらもいっぱい失敗しちゃったからさ』 キサは顔をしかめる。 「そうやで。わいもな。キサはんと一緒で失敗したことあるんや」 「ムシアメちゃんも?」 キサは興味深そうに見つめてくるのにムシアメは当時の失敗を思い出したのか苦笑い気味に頷いた。 「わい、最初から強い呪術使えたわけやあらへんで。既存の呪術覚えた後になるんやけどな。虫天呪術体系作るときなー、いろいろ試してん。そったら、制御間違えて住んどるところの壁破壊してもうて。通気性が一気によくなったわ」 ムシアメの目が遠くを見つめる。あのときは弟分――アマムシがお嬢と買い物に出かけていて呪術者と二人きりだった。今後は自分で新しい呪いを生み出せと言われて黒蚕姿で葉っぱを食べながら術式を編みはじめた。既存の呪術式はすべて覚えていた自信から油断し、暴走してしまった。あのとき、下手したら呪術師を殺してしまうところだったが、彼が咄嗟に呪いを反らしてくれて壁を破壊して青い空を見るというささやかな被害で済んだのだ。いや、ささやかではないか。 「いやー、あれは怒られたなぁ」 頭をかきながらムシアメは当時を思い出して笑う。 「あのときは壁でよかったけど、下手したら大切な人を傷つけとった、それ思うと肝が冷えるわ」 「ムシアメちゃんも失敗しちゃうんだ……」 キサは不思議そうな顔をする。ムシアメが失敗をするなんて想像できないという顔だ。 『おいらもあるよー! ううん、今でも、あんまり使いこなせてるって感じじゃないかな。超能力って使い方が難しいんですよぉ』 「ちょーのうりょくー?」 『そうですよぉ。おいらたちはもともと、もっていたわけじゃないから。キサに似てるかなぁ? おいらたちの世界は隕石が落ちてきて、こういう力を持つようになっちゃったんだぁ。おいらもキサと同じで、力のことよくわからないときはびっくりしたなぁ』 北斗は湿った鼻先をキサに伸ばして小さくおうっと鳴いた。 『空を飛んで大変だったんだよぉ。うん。東京飛んじゃったし』 北斗の世界は壱番世界に酷似しており、東京という街が存在し、その街の水族館に北斗は飼育されていた。あの頃はショーのデビューを控えて一生懸命に芸を覚える真っ最中に、ついうっかり超能力に目覚めてしまった北斗は力を暴走させてとんでもない目に合った。 深夜、急に宙に浮いてしまったのだ。水のないところを泳ぐかんじは大変楽しくて調子のって水槽から脱走、さらに水族館も抜け出し……外の世界に出ると星の美しさに、つい『もっと浮きたい』と考えたときにはマッハのスピードで上空へと移動するというスリリングな体験をした。暴走した力は自分では止めたくても止まらず、降りれない状態となった。 『あのとき、泣いちゃったなぁ。もう水族館に戻れないと思ったんだ、けど朝方に疲れて、力も落ち着いてきたんだよぉ。それでなんとか水族館に戻れたんだけど、その日はショーの練習は出来なくて飼育員に心配させちゃったし、ニュースでは空飛ぶトドがいるって放送されて大変だったんだよぉ』 北斗の話にキサは目をぱちくりさせる。 『キサもいやだろうぉ? 力がコントロールできなくて怖い思いするのぉ』 「うん。怖いのはイヤ」 しょんぼりとキサは言い返す。 ムシアメと北斗の失敗談はキサを反省させるには十分な効果があった。マフは興味深そうに尻尾を振った。 「さすがにオレには失敗談なんてないからなぁ、お前もだろう? ジャック」 「まァナ」 マフは今でこそ小さくて可愛らしい猫……失礼、山猫であるが元は神の庭を管理する魔獣だ。生まれたときから力の使い方を正しく理解していた。 戦士であるジャックは力の使い方を本能で理解せねば、即死につながるような世界の生まれだ。それゆえ失敗や暴走は仲間が犠牲となる可能性が高いことには自然と厳しい態度に出てしまう。 マフやジャックはそういう意味でキサの能力の使い方がわからないという感覚を理解するのは難しい。 けれどキサも好き好んで暴走しているわけではないとなるとただ叱るだけでは無意味だともわかる。メン・タピのデストラップは問題であるが。 『少しずつ慣れていくのもいいと思うけど、1回思い切り暴れるのもいいかもね。たとえば……』 北斗がきょろきょろと視線を彷徨わせると、復活したメン・タピがよろよろと起き上がってるところだった。 「小さき者どもよ、よくも無礼を」 じー。うん。メン・タピならいいよね? 復活するみたいだし。 「?」 北斗の熱い視線にメン・タピもついうっかり視線を合わせた。 『超重力!』 おおん! トドの北斗は身を反らして吼える。 ぐしゃあ――! 「メン・タピちゃあああん! メン・タピちゃんが焼きせんべいみたいになっちゃったぁああ!」 『噂のメン・タピ分裂ってのも、あるのかなって思ったんだけどねぇ? ぺしゃんこになっちゃったなぁ』 焼きせんべい化したメン・タピに北斗は首を傾げて、前ひれでそれをぺちぺちと叩いた。 『一応、加減したつもりなんだけど、おいら、失敗しちゃったぁ』 けど、メン・タピだしいいよね。てぺぺろ★ 北斗は舌を出すと前ひれで頭をぽてっと叩いて可愛っ子ぶっていろいろと誤魔化そうとした。大丈夫、残酷な描写はない! 「キサといい、北斗、テメェもコントロールつけろよ!」 マフは頭を抱えてつっこんだ。 焼きせんべいと化したメン・タピを見てにゃんこは 「これ、生きてるよね? ……一応、クゥのところに連れてってくる。あ、部屋の破壊はやめてね!」 にゃんこが去っていったのに落ち着くためにもまずマフは悲惨な部屋からソファと椅子、それに紅茶類を発掘した。 マフはまたたび茶を全員に淹れてふるまった。ムシアメの横でキサはしょんぼりしている。 『おいらの手だと、紅茶、飲めないよ』 「重力使えよ。ただし暴走すんなよ」 『あっ。そっか。がんばってみるよぅ』 マフはソファにぽむっと腰かけると、紅茶に舌鼓を打ちながらキサが落ち着いてきたタイミングでテーブルにカップをわざと音をたてて置いた。キサが反射的に顔をあげた。 「先に言っとくが、オレ様はテメェを保護した連中みたく甘くねェ。精々、オレ様を指導役に選んじまった司書を恨むんだな」 にやぁとマフは黒い笑みを浮かべる。 「えっ」 「まさか、反省して終わりなんてことねェからな。修行するぜェ。オレ様はスパルタだからな」 キサはぎくっと震える。 「まずは、毎日、なんでもいいから破壊せずにものに増加・吸収する繰り返し実現させろ、力加減を知るトレーニングだ」 「とれーにんぐするのぉ?」 「あのな、手取り足取り教えてもらおうなんて思うなよ。オレは言ったぜ、テメェで考えろ。教えてやるのは簡単だ、それを聞いてる方はもっと簡単だ、ただ頷いてりゃいい。そうして知識として「分かる」つもりになるがそれだと意味がないだろう。それに実際に「出来る」とは話が別だ。「出来る」ようになりたきゃ、まず考えろ、それを行動に移せ」 キサは素直に頷いた。 「キサはん、わいも手伝うわ。わいな。術を使うときは落ち着くように心がけて深呼吸するようにしてるんや。今でも術を使うときは失敗のこと考えて緊張して余計な力をいれてまう、キサはんもそういうのあるんやないんか?」 「ムシアメちゃん、ありがとう」 『おいらは? え、おいらも?』 「当たり前だ! 北斗、テメェもしっかり訓練しとけ。おら、ここだと狭いから外いくぞ。外!」 室内では暴走時に対応できないので樹海周辺に訓練の場所を移した。マフは鬼教官らしく、にゃんこの部屋から発掘した竹刀を持って北斗とキサを睨みつける。 「よーし、テメェらいくぞってって、なんでキサは体操着なんだよ!」 何にも汚されない太陽のような真っ白い体操着、下は誘惑の黒ブルマ姿のキサにマフは鼻白んだ。 「メン・タピはんは教育担当やから医務室に行って声をかけたんや。なんやキサはんとおるの見るとじりじりするんやけどな。……クゥはんところでまだ回復中でな、必死にベッドから託されたんがこれでな。うん、体操着やとは思わんかった。それでカメラ預かったけど……撮らんとアカンやろか?」 「なに用意してんだよ、あいつ。てか、犯罪だろう、それ、適当にむきむきの男の写真でも渡しておけ! ……って、ちょっと目を離したらお前らなにしてんだ!」 北斗がキサにトラベルギアの北斗七星――七種類の機能があるボールをいろいろと変化させるのを見せたり、投げ合ったりして遊んでいるのにマフが竹刀で地面を打つ。 「テメェら! 遊んでないで、修行するぞ! キサは石の前に正座! 北斗はその横で浮く、沈むの訓練!」 『鬼教官だなぁ』 「マフこわーい」 「テメェらぁやる気あるのかァ!」 マフがふぅーと牙を剥くのに恐れをなしたキサと北斗は大人しく正座して訓練を開始した。 キサは小さな石の前、北斗は重力で自身が浮いたり沈んだりの練習である。 二人が大人しく訓練しているのにムシアメはジャックを探した。少し離れた樹に背を預けてジャックは腕を組んで立っていた。ムシアメが手を振って呼ぶが、ジャックは首を横に振るだけだ。 「ジャックはん……」 ムシアメにはジャックが何を気にしているのかがわかる。 ジャックはインヤンガイでさる男の死に関わって、自身は重傷から強制的にターミナルに帰還することとなった。その事件と連動してキサが欠片を暴走されたのにムシアメはインヤンガイに向かったので、ジャックの関わった事件のあらましも知っている。 ジャックが救えなかった男――キサを救おうとして殺され、死体すら利用されたフェイ。 ムシアメとて知らない相手ではないだけに、ジャックの複雑な気持ちを察してあえて無理に修行に突き合わせようとは思わない。 ジャックは深い森に生えた大木のように訓練する彼らから距離をとって沈黙を守り続けた。射抜くような視線を向ける先にはキサがいる。 キサは北斗がトラベルギアの紹介をするのに興味深そうに見つめる。 『通常、高熱、電撃、氷結、金剛、探知、閃光、空気発生装置……うん、色々とモノはあるんだよ』 「キサはねぇ、花冠なんだよー。お花いっぱいなのー」 「お前らなにサボってんだよ! ちゃんとやれ!」 「きゃー、鬼教官がきた。北斗ちゃん、逃げよう」 『逃げよう!』 訓練する集中力が切れた北斗とキサは二人してムシアメの背中に逃げるのにマフが俊敏に追いかけ、おしおきの爪ピンがさく裂する。 いたーと叫んで涙目になるキサ、北斗にムシアメが苦笑いを浮かべて間に入る。 ジャックはそこに入れない。 胸の内に燃える黒い炎。それを止められない、消せない。どうしても。それは自分を焼いてしまうことはわかっている。自分らしくない。こんなもの。自分がここにいる目的を思い出せば取るに足らないと笑えばいい。けれど笑えない。いつかターミナルを裏切る、ロストレイルを奪うという目標があるにもかかわらずターミナルの大勢の人と縁を作り、大切だと思うものを作った。 故郷には、クイーンが――ジャック・ハート! 哀れな生存者の使命と義務、野望 黒い炎が燃える。焼き尽くせ、焦がしてしまえ、己すら、大切なものすら―― 黒き炎を纏った男に伸ばした手は届かなかった。間一髪で身を呈して守ったと思ったのにすり落ちた――ぎりっと奥歯を音がするほどに噛みしめる。黒い炎が視界を覆い尽くす。煉獄のその先にある苦痛に満ちた悲鳴のような吐息が零れ落ちる。 「ジャック・ハート」 呼ばれて反射的に顔をあげるとキサがいたのにぎょっとした。 「なんだヨ」 「見てみて! 石、おっきくしたー、ちいさくしたりー! できたの! 一番にほうこーく!」 キサの手のなかで石は小さくなったり大きくなったりするのに皮肉ぽくジャックは笑う。 「ムシアメじゃなくていいのかヨ? 好きなやつに一番初めに報告すンじゃねェのか?」 「キサはジャックさんのこと好きだよ?」 キサは不思議そうにジャックを見つめた。ジャックは瞠目する。 「キサのために怒ってくれたんでしょ? それくらいは、わかるもの。大きな音をたてられるのは嫌い、ジャックさんが正しいと思ってることを一方的に命令されるのも嫌いよ。けど、キサはジャックさんのこと好きよ、それに……怖くはないもの」 「アァ?」 「ジャックさんの目、どうして、そんなにも後悔しているの? キサ、覚えてるよ。生まれたときのこと、ジャックさんはそんな目、してなかったもの」 ジャックは沈黙する。キサは笑う。 後悔。届かないと諦めるしかない。亡くなったものは変えられないなら再び伸ばす事が無意味だとジャックは思う。 失敗すれば死ぬしかない、そんな生き方を今までしてきたのだ。 弱さは死でしかない。けれどターミナルでジャックもまた変わった。それがジャックの価値観をブレさせ、制御を振り払う。 笑おうとして失敗する。あのときはまだ、こんな重い責はなかった。 「屈んで」 「アン?」 「いいから、いいから! だいじょうぶだよ。ジャックさん、キサがいい子、いい子してあげる。キサはママに教えてもらったの、泣いてもねいいんだって、ママが言ってたの。泣いてもいいから抱きしめてあげるんだって」 「俺ァ女を腕ンなかで泣かせることはあっても、泣くことはねェヨ」 「……そっか! ジャックさん、抱きしめてくれる人いなかったのか。いつも抱きしめてあげる立場で。ママね、パパに抱きしめてもらってる、パパはママに抱きしめてもらってる。キサはママとパパに抱きしめてもらってるから、別の人にしてあげるの! ジャックさんにも!」 ジャックは抱きしめられ、髪の毛が乱暴に撫でられる。後悔は消えない。薄れない。自分が許さなければ、 目の前のキサは何も知らない。けれど許すという、抱きしめるという。この子に罪はない。けれどある男は死んだ。自分のせいだと、それは自分が勝手に背負った罪だ。この少女はターミナルいる以上仲間だ。憎しみと悔しさが胸を満たしても。理性ではわかっている。この子に罪はないのだと ジャックは乱暴にキサの手を振りほどいた。けれどキサは気にしない。 「俺はいいンだよ」 「うん。わかった。けど、してほしいときはキサはいつだってしてあげるよ!」 「ハッ、乳臭さがなくなったらいいやがれヨ、そんなセリフ」 「乳くさい? おやつに牛乳飲んだせいかな?」 くんくんとキサは自分の真っ白い体操着の匂いを嗅ぐのにジャックはとうとう笑い出した。腹の底から溢れて、止まらない。腹が痛くて、目から涙すら出てきたのにようやく落ち着くと、肩を竦めた。 「あ、ムシアメちゃんにも自慢にいかなくちゃ!」 落ち着きのないキサは急いで走り出そうとして不意に足を止めて振り返ると両手を広げ 「ジャックさんがまたそんな顔したらしあげる! だいじょうぶだよー!」 陽だまりのようにキサは笑って、駆けだしていく。 「みてみてー! ムシアメちゃん、キサ、力をコントロール、ちょびっとできるよ!」 「おめでとうさん」 ムシアメの言葉にキサは満足げに笑う。 「一日猛練習して……いや、人類にはとるにたにないモンでもキサには大きな一歩だな。よくやったじャねェか」 マフがようやく微笑んで、キサの頭をぽんぽんと撫でる。その横では猛特訓によってふわふわと浮くコツをつかんだ北斗が浮遊している。 「ッて、これで終わりじゃないからぞォ! 毎日やれよ。毎日だ!」 「はーい」 『がんばるよぉ』 「ふふ。北斗ちゃん、空飛ぶのもっと自由にできるようになったらキサをのっけて、ターミナルの空をいっぱーいお散歩しようね! キサ、がんばって、いろんな世界に行けるようになるからね。それでムシアメちゃん達といっぱいいろんなところに行くの! もちろん北斗ちゃんとマフさんとも!」 「ガキのお守りは今日一日で十分だ」 「えー。一緒に冒険しようよ。マフさん」 『そうだよぉ』 「……お前ら二人がいるとロクな目にあいそうにねェ」 「ぶー。いいもん。ムシアメちゃん、いっぱい行こうね!」 「わいと?」 ムシアメは目をぱちぱちさせる。それにキサは不満げに頬を膨らませた。 「キサ、ムシアメちゃん達と旅に行くためにがんばったんだよ! キサね、いろんな世界にみんなと行ってみたいもん」 「キサはん」 まっすぐな瞳で、キサはムシアメに胸を張る。 「いろんな人と知り合ったり、学んだりしたい。けど、一番はムシアメちゃんとね、思い出を作りたいからだよ。だからね、ムシアメちゃんさえよかったら、いっぱい話して、弟分さんのことやお嬢さんのこととか、いろんなものを見よう! さ、そろそろメン・タピちゃんが回復したかも。ごめんなさい言いに行こう。北斗ちゃん!」 『キサ、おいらの上にのる?』 「乗る! きゃああー、もっとスピードあげてー」 『よーし。いくぞぉ』 「オイ、調子のって怪我するんじゃねェぞ! だー、待てっての!」 キサが北斗の上に乗って猛スピードで移動するのにマフが怒鳴って追いかける。ムシアメは苦笑いして歩き出す。 「あ、ジャックはん」 「メン・タピに謝りにいくンだろう? 俺がキサにしろッて言ったんだ、ちゃんと謝るか見届けねェとナ」 ジャックが笑うのにムシアメは穏やかに目を細めて頷いた。
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