蜂の巣のような建物はどんなときも眠らない。美しくも破滅を孕んだ不夜城。 非合法組織のなかでも五大組織と言われ他の追随を許さない権力を有する暴力団組織、美龍会から依頼が舞い込んだ。 立派な木造の門をくぐれば、瓦屋根の屋敷といってもいい建物が旅人たちを出迎える。玄関をくぐれば若い男衆の丁重な案内に従って長い廊下を歩いて辿りついたのは広い畳みの部屋。その一段高い正面に鮮やかな紺色に華を散らした着物を着崩した屋敷の持ち主にして、美龍会のボスであるエバが座っていた。「おうっ、よくきたなぁ。こっちこいよ。客人にお茶だ。……ああ、依頼だが、簡単な御使いにいってほしいのさ」 そう言ってエバが自分の頭に手をやると、なにかをぱちんと外した。そして差し出したのは一本の角を生やした赤鬼の面であった。怒りを孕んだ、それは見事な面に誰の目も釘付けになる。「おれぇらはこの面をつけて人じゃあ、ありえねぇ力を霊力として纏えんのさ」 五大組織のなかでも美龍会は昔堅気な組織として、収入はテリトリーの地区で商いを営む店からケツ代――店のトラブルを一手に引き受けることを生業としている。 五大組織のなかでも抜ききの武力を誇るのは≪アヤカシ≫と呼ばれる仮面に封じられた怨念を我が身に纏い、人外のような能力を得る技を持つからだ。「ちょいと前におまえらや他の組織とケンカしちまって、仮面がいくつか壊れちまったのをそろそろなおしてぇってなぁ。そのためにうちの刺青師がきてんだよ。おい、入ってこい!」 襖が開き、しずしずと入ってきたのは銀髪の、それは美しくも妖艶な女だった。一見その姿は娼婦のように、銀の花の描かれた着物から収まりきらない肌があらわにしても気にすることもなく、煙管を吹かして笑う。しかし不思議と下品ではなく、つんとした品があった。「おや、こりゃあ、かわいい子らやねぇ。アタシはシロガネっていうんだ。よろしくねぇ。旅人さんたちよ」「うちの仮面を作ってる、刺青師だ」 エバが手招きするとシロガネはその横に歩み寄り、しなだれた。「刺青っていってもタダじゃないやね。ソイツの肌に合うものしかアタシは彫らない。ソイツの力を引き出したり、封じたり、何かのきっかけになるようなモンをねぇ。ボス様のいくつかの刺青を彫ったのはアタシだしねぇ」「こいつはいい女だし、いい腕をしているのさ。仮面を作らないときは刺青を彫って生計をたててんからな。お前らも彫ってもらうか? 彫られても特殊なもんでのこらねぇもんもあるしよ。なぁ」 エバの手がシロガネの華奢な手をとると、腕に鮮やかな何か動物の尾のようなものが浮きあがり、消えた。「こんな風によ、消えちまう」「おやおや、ボス様よ、悪いことを旅人様に教えてどうするんだい? まぁ、アタシはいいけどねぇ。かわいがってあげるよ。ふふ」 代々、美龍会専属の仮面を作る一族の出であるシロガネ自身が術者のはしくれでもあるという。彫る相手の要望に応え、絵と墨を使い、霊力による術を施す。それによって術者でないものにも術を使用する力を与えたり、肉体強化、また逆にそれらの力を封じたり、もっと別の用途もあるという。それを応用したのが≪アヤカシ≫という被る者に人外の力を与える仮面なのだそうだ。「この仮面はよ、墨が重要で、とりにいきたいそうだ」「墨って言ってもただの墨じゃないけどねぇ。この墨はねぇ、暴霊からとるのさ。アンタたち今まで暴霊退治は? あいつらは退治したら消えちまうだろう? その消える前にこの壺のなかに閉じ込めてほっておくのさ。そうしたら、浄化できなかった恨み辛みが粉となる」 シロガネの差し出したのは素焼きの丸壺だった。「アンタ達には、これに暴霊を捕えるのに協力してほしいのさ。なぁに、いつもの要領で暴れてる霊を適当に痛めつけてくれりゃあいい。動けなくなったあたりでこの壺の蓋を開けていれるのさ。ああ、けど、気を付けな。この壺は口を向けたものはなんでも吸いこんじまう。人だろうが、霊だろうがねぇ。そしたら絶対に出てこれない」「現場にはシロガネも同行する。霊を入れるタイミングはこいつが教えてくれる。壺はあんたたち旅人たちに預けるそうだ」 暴霊退治する場所は五階建ての庭に楡の木が一本だけある小さなビル。いつの頃からか集まった暴霊は何度退治をしても集まり、今まで放置していたが今年に入り売却を考えだした持ち主は困っているという。「別に土地が悪いわけでも、方向が霊を呼び寄せるわけでもねぇんだがなぁ。なにかしらあんのかもしねぇ」「ふふ。女の声がするそうだよ。怨みがましい、怨みがましいってねぇ、恨みのある女ほど怖いものはねぇさ。仮面作りにはちょうどいいさねぇ。その女はまだ退治されちゃいないようだねぇ、どれだけの濃い墨になるか楽しいみだ。ああ、けど、問題は一体こいつの本体はどこにいるんだろうね、声だけして現れやしいな。どうやって他の霊を呼んでねんだかねぇ」 シロガネはころころと笑った。「アタシは、刺青を彫るだけでさして力がないからねぇ。しっかりと守っておくれよ? か弱いんだ。ああ、けど、アンタたちはうちのダンナを殺しちまったからねぇ」 ダンナという言葉に旅人たちは目を丸める。 すっとシロガネが立ち上がった。「うちのダンナは美龍会の幹部、鬼一という人殺しの好きな狂人さ。ちょいと死ぬにはもってこいの日に、あんたたちと喧嘩をやって死んじまった。まぁあんな男だ、ろくな死に方はしないと思っていたさ。けどねぇ、三千年の朝も共にいようと誓った男だ、復讐の一つもしないと憐れだろう? ボス様には、もう了解はとつてあるさね」「一回ぽっきりだ。出来なきゃ諦めるとのことだ。そういう約束だ。あとはおまえらがうまくやりな。信用してるぜ」「ふふ。さぁて、どうするかいねぇ。女の復讐は怖いモンさ」 シロカネの赤い唇が笑みを作り出す。
美龍会の屋敷を囲む門からロストナンバーの四人に続き、案内役のシロガネが表に出ると目的のビルに向けて歩きだした。 今まで緊張と我慢の連続だったのにマスカダイン・F・羽空は両腕を空に向けて伸びて、ちらりとシロガネを見た。 涼しげなシロガネの横顔ににへらぁと力なく笑う。エバの前では真剣な御話だよねー、とこれでも空気を読んで普段使用していない頬肉に力をいれて真面目な顔と態度をし続けて疲れた反動は大きかった。 「シロガネさん」 マスカダインの呼びかけにシロガネは視線をそちらに向ける。 「良い人なのね! お兄さん、良い人守るよ!」 「おや、ありがとう、銀色のお兄さん」 シロガネは静かに応じる。二人の様子を見ていたリーリス・キャロンは赤い眼を輝かせて近づいた。 「お兄さんやさしー!」 「ふふふーん! だって、お兄さん、道化師だからねー。こんなこともできちゃうよー!」 リーリスがきょとんとした顔をする前で、マスカダインはポケットに手をいれて、恭しく取り出した。期待にリーリスが注目するなかひらかれた手のなかは空っぽ。リーリスは目を瞬かせる。 「ポケットにいれた手にあると思うでしょー? ところがどっこい! じゃーん、ポケットにいれてない片方の手でしたー!」 「わぁ、キャンディ! リーリス、食べていいの? ありがとう、お兄ちゃん」 マスカダインが差し出すスティクキャンディを受け取ったリーリスは極上の笑みを浮かべて、キャンディを舐めはじめる。 その微笑ましい光景を見てダンジャ・グイニは眼鏡越しに目を細めて微笑む。設楽一意は皮肉ぽい笑みを浮かべたままちらりとシロガネを見た。 職業柄、一意が興味を惹かれたのはシロガネよりも術だ。 (暴霊を墨に……ねぇ。まぁ怨念を塗りつけて強化っていえば、呪いのかわりになりそうだ) 禍々しい力を秘めた仮面は魔具として一流品だとわかるが、被ったときの【変化】は見ていないので実際にどんなものなのかはわからないし、墨を作る過程を見なくては判断できないが自分の力と近い分類であることは理解した。 (俺の仕事でも何か利用できないか……まぁ、思いついたらいいし、思いつかなかったらそれもいいか) 特別困っているわけでもないので私事は一旦棚上げしておく。 問題はシロガネだ。この依頼のなかで彼女がなにをしかけてくるか。シロガネの顔を見る限り平然とした佇まいからは何か企んでいる雰囲気はない。今まで仕事でその手の女を多く見てきたがもっと執拗にどろどろとしていた。 (まぁ内に秘めてるだけかもしれねぇが……) 表だけ見て判断することの危険性を一意は良く知っている。 (俺だって、あの子になにかあったらそいつを殺してやろうくらいは思うしな。どんなにあの子が悲しがっても) 一意の視線に気がついてシロガネがゆっくりと首を動かした。 にぃと唇が笑みを浮かべる。まるで挑発だ。 「なぁに、見蕩れちまったかい、兄さん」 「美人だからな」 「おや、口のうまいことだ兄さん、けど、アタシは、あんたより、随分と年上だからね、口説くにゃあ、もっと若い子を選ぶべきだよ」 「俺とそう変わらないように見えるが……女の年齢聞くほど野暮でもねぇよ。それより、あんたに俺の式を何匹かつけておくつもりなんだがいいよな? あんたを守るためにも」 「あい、かまやしいよ。それが兄さんたちを守ることにもなるんだろう?」 あっさりとしているのに細い針のような棘がある。一意は何か言い返そうとしたがやめて、かわりに器用に右肩だけを竦めてみせた。 「あー、ピアスじゃらじらゃらお兄さん!」 マスカダインが叫ぶ。 「お兄さん、式を呼ぶならマスダさん協力するよ! ギアで水飴出してどろーっとるのでいろいろと描けるよ! どうかなぁ!道化師手品のネタ再現得意だからもしものときはボクも呼べるかな!」 「あのなぁ、術は手品じゃねぇぞ」 「けど、ほら、知らないよりは知ってるほうがいいよねー! 結界とか知っていたらもしものときなんか出来るかもだよー」 「素人が手だしたら痛い目見るぜ」 一意の冷淡な、しかし、それゆえに真実味のある言葉にマスカダインは引き下がるしかない。 「結界はあたしが張るよ。っていっても水飴じゃあ、真似できないだろうけどねぇ」 とダンジャ。 「えー! できないのー!」 「あたしのは、これを使うからねぇ」 ダンジャが笑いながら取り出したのは針だ。この針で妖素――ダンジャ自身の持つ一般的に魔力と呼ばれる力を具現化、糸として縫って形を作り出すのだ。 「シロガネ、あんたを防御結界で包むけど、いいかい?」 「好きにしておくれ。それより、壺は誰が持つんだい? もう現場についちまうよ? そろそろこれを持つお人を決めたほうがよくないかい?」 シロガネが可笑しそうに微笑んで、片手に持つ荒縄でくくられた素焼きの壺を差し出した。 「そうだね。あたしが」 「はいはーい! リーリス、もちたーい! だって、可愛い以外の特技がないからぁ、せめて、荷物持ちぐらいにはなりたいでーす」 「おや、そうかい?」 片腕をあげてにこにこと笑うリーリスをダンジャは目を細めて見つめる。 「いやー、リーリスちゃん、いい子だねー! はい、いい子には御褒美だよー!」 「んふふ。お兄さん、褒めてくれてありがとう! やーん、飴、もう一個くれるの? うれしー!」 マスカダインからスティクキャンディをもらってリーリスは御満悦だ。 ダンジャにしても壺を持つのは他に希望者がいれば譲るつもりでいたのでリーリスが持つことに異論はない。 ようやくビルに辿りついた。 何年も人の手がはいらず、雨風に晒されたせいで禿げた灰色のアスファルト。ビルのなかを外から覗ける範囲で見ると床のあちこちに投げ捨てられたゴミが散乱し、悪臭を放ち、ビル全体が陰気さを漂わせていた。 ビルを囲む小さな庭は雑草が無造作に生えて、大人の足の膝ほどまで伸びてさながらジャングル状態だ。 楡の木があるのは裏手らしく見えないが、きっとそこも大差ないだろう。 「ほら、壺だよ。落さないでおくれよ」 シロガネが腰を落としてリーリスに壺を差し出す。それを両手で受け取ったリーリスは笑顔を浮かべて頷いた。 「うん。わかった。任せて! それで聞きたいんだけどぉ」 赤い目が輝く。 「この壺の使用方法ってただしいの?」 「……ああ、もちろん」 じっとリーリスはシロガネの眸を見つめる。シロガネも目を逸らさない。 「うん。わかった! 変なこと聞いてごめんなさぁい!」 「かまやしないよ。さて、さっさと入って暴霊を」 「待てよ。壺のかわりにあんたが持つのはこれだ」 一意が差し出した顔には札がはってあり、一目で式だとわかる。が、その姿が問題だ――白くて、ふわふわの 「ぷ」 シロガネが口に手をあてて吹きだした。 「あはははは。こりゃあ、かわいいねぇ! まさか大の男がうさぎの式かい!」 「なっ! うさぎは古来から神話にも出る」 一意が反論しようとするのに、ぽんっと肩が叩かれた。見るとマスカダインがきらきらした目をしている。 「やっぱりボクとキミはすごくいい相棒になれるとおもうんだよねー! うさぎは手品で使われる頭のいい動物なんだよー!」 「手品じゃないっていってるだろうって、あっ、おい」 「ふわふわー。かわいー」 「本当だね、すごくふわふわじゃないか」 リーリスに抱っこされ、ダンジャが頭を撫でられて大人気のうさぎは照れたように前足で顔を隠した。 シロガネの胸のなかに抱っこされたうさぎは耳をぱたぱたと動かしてほほえましい。 ダンジャは素早く手を動かして防御結界を張っていく。その姿は目に糸や生地が見えなくとも十分に仕立て屋だ。 「よーし、お兄さん、がんばっちゃうぞー!」 「いさましいねぇ」 やる気満々のマスカダインはくるっと振り返り、後ろについる一意の肩をがっしりと掴んだ。 「もちろん、バディはどんなときも一緒だよねー」 「俺はバディになった覚えはねぇぜ」 「なにいってるのー。こういうときは男ががんばらなくちゃねー! だって、リーリスちゃんは可愛いしか特技ないっていうしー、ダンジャさんはシロガネさんを守らなくちゃいけないしー!」 「俺は足が遅いんだ」 「大丈夫。バディのために肩を貸す、これも美しき友情の芽生えだよねー!」 「あのなぁ。まぁ、俺はこういう仕事向きだがよ」 一意はちらりとシロガネに目を向ける。その隣にいたダンジャが微笑んで頷いた。シロガネの復讐については式とダンジャに任せて丈夫だろう。 なにより女同士のほうがシロガネの警戒心もとかれる可能性が高い。 「お兄さん、がんばっちゃうよー!」 「どういう作戦で行くんだ」 「そうだねー。お兄さん、ここに来る前にこんなの買ってきたんだよねー!」 マスカダインが差し出したのは細い、赤蝋燭だった。その蝋燭の中心には白い墨で文字か書かれていた。 「この世界、霊さんいっぱいなのねー。だから、こういう除霊の道具もわりと売ってるんだよねー! あっ、けど、祓うんじゃなくて、嫌がるし避けるものなのね! これで追い詰めて、一か所に集めるの!」 「ふぅん。それの効きが悪いやつは俺とあんたが集めるわけか」 「うん。そういうことー!」 「ちょっとおまち」 ダンジャが冷静な声が二人に飛ぶ。 「このビルにいるのはどれくらいの霊かわからないけど、数が多ければそれだけ危険も増すんじゃないかい? あたしの結界で暴霊を閉じ込めて悪さできないようにしておこうと思うんだよ」 「そうだな。暴霊を集めれば、そこに邪が集まっちまう。結界に閉じ込めるほうがいいかもな。一人で出来るのか?」 「ババアに任せな」 にっとダンジャが頼もしく微笑んだ。 「かわりに体を使うのは男前のあんたたちに任せたよ?」 「お兄さんがんばるよー! 結界はよろしくねー!」 「まぁ、できる範囲でやってやるよ」 「じゃあ、リーリスのお嬢ちゃんも……あれ?」 マスカダインが目をぱちぱちさせる。リーリスがいつの間にかいなくなっているのにきょろきょろと周りを見まわす。 「あ! いたー!」 「あ、見つかっちゃった!」 リーリスがひょいと廊下の角から姿をあらわしたのにマスカダインは腰に手をあてて眉根を寄せてわざと怖い顔をする。 「リーリスちゃん、可愛いのしか特技ないんだから危ないよ! お兄さんたちの傍にいなさい!」 「……はぁい!」 リーリスは素直に返事してマスカダインに近づくと、その腰にぎゅうと抱きついた。 「ごめんなさい、おじちゃーん。気を付けるからリーリスのこときらいにならないでね」 「もちろーん! わかればいいんだよ!」 マスカダインは頭を撫でるのにリーリスは赤い目を輝かして笑った。 仲間たちから離れたのは暴霊を一匹見つけて、食べていたのだ。さすがに仲間たちに見られるわけにはいかないのでそこは配慮したが気をつけないと怪しまれてしまう。 (女の霊がいるので一番怪しいのは楡よね。いけないかなぁ) 可愛いのが特技と言ったリーリスを仲間たちには戦力外と判断してくれているが、下手に離れてしまうと目立ってしまう。 「あたしは、ちょいと気になってる場所があるんだよ」 「どうするんだ?」 一意が眉根を寄せた。 「庭があるんだろう? そっちに行きたいのさ。こんな建物のなかじゃあ、大きな結界は縫えないからね」 「楡の木がある庭か」 「もしかしたら女の霊がいるかもしれない。あとは屋上が可能性としては考えてるんだよ、そっちは霊を追い込むあんたたちに任せるさ。もし庭にいてまぁ一匹ぐいならババアにもなんとかできるさ」 ダンジャと一意の会話にリーリスは唇が緩む。 「はぁい、リーリスも可愛いだけだけど、がんばる! それにもしものときは霊を壺にいれればいいんでしょ? きっと出来ると思うわ」 赤い目を輝かせてリーリスは提案する。 ――ああ、おなか、すいたぁ! もし、追いこみや引きつけに人数が必要なときはノートで連絡することをダンジャは一意とマスカダインに約束させて、リーリス、シロガネとともに庭の楡の木を目指した。 「あたしはね、あんたと話してみたいと思っていたよ。シロガネ」 「おや、どうして?」 「あたしはね、あんたみたいな情の強い女は嫌いじゃないよ。一度きりっていうのも潔良いしね。鬼一っていうのは男冥利に尽きね」 「なにもしてやらなくちゃ憐れじゃないか」 シロガネはダンジャの言葉に笑みを浮かべた。今まで見てきた美しいがどこか油断ならないものではなく、自然と漏れた親しみのあるものだったのにダンジャも微笑み返す。 「だからね、その情に応えてあたしらは全力で受け立つ気になったのさ。まぁ、あとあと世界図書の活動がやりにくくなっちゃ困るからねぇ」 他世界での経験も踏まえて、ダンジャは静かに説明するとシロガネは頷いた。 「今のところ、アタシの復讐は成功かねえ」 「おや、怖いことを言うね」 「女の復讐は怖いってもんさ。アタシもあんたみたいな女は嫌いじゃないよ。ちょいと特殊みたいだね。なぁに、美龍会は人と獣の半端者だから鼻が利くのさ。ふふっ……ひとつ、この依頼とは関係ないことだがあんたは口がかたそうだから、それを見込んで聞きたいことがある」 「なんだい?」 ダンジャが聞き返すとシロガネは悩むような、苦しむように顔をしかめた。その苦渋の表情に無理に聞きだすのは得策ではないと判断してあえて口は挟まずシロガネが言葉を発するのを辛抱強く待った。 「あんたのところには、もっと、こう……いや、やっぱり」 「なんだい、言いかけたことは最後までおいいよ」 「……じゃあ、聞くことにしようかね」 ダンジャの言葉に励まされてシロガネは力無く笑い、顔をあげた。その目に切実な決意があった。 「あんたたちのところに、ある男はいないかい? もう、あんまり覚えちゃいけいけど、その男は――」 シロガネが口を開こうとしたとき、肌が泡立つような不吉な音が響き、ダンジャは本能的に針を取り出してシロガネの前に立った。 肌にねっとりと沁み入る様な音が耳をねぶる。 「当たりだったようだね。シロガネ、話はあとだ。あんたはあたしの後ろから離れるんじゃないよ?」 「わかったよ。あの女の子は」 「一人でいっちまったのかい? 急がないと!」 ダンジャは駆けだした。 長い廊下を抜けて、庭に出ると草が無造作に生えているのに、木の周りだの草だけ灰色に染まって無残に枯れ果てていた。 幹の中心が黒い。 ア、アァウゥウウウウアアアアアアアアアアウゥウウウウウウウウウアアアア 黒い部分をダンジャはじっと凝視してそれがなんなのか理解した。 どろりとした憎悪の黒に染まった顔。絶望の黒に落ちくぼんだ眼窩から流れる恨みの黒に染まった涙、底なし沼のように黒い口から雄たけびがあがる。 その前にリーリスでじっと立ちつくしている。 「リーリス! 大丈夫かい!」 「うん。平気だよー。叫ぶしか出来ないみたいだもん」 雄たけびが声にならない声となって囁く。 憎い――! その一言は空気を黒く淀ませ、風に吹かれて遠くへと流れていく。 女はただそこにいて憎むだけしか出来ない。しかし木の枝が風に揺れて声は遠くへと運ばれ、他の霊を呼び寄せてしまう。 「……もうおやめ」 暴霊に説得がどれだけ効果があるかはわからないが、目の前の女の姿はあまりにも痛々しく、ダンジャは優しく声をかけていた。 「そんなことしても満たされないことはあんたがわかってるだろう? 何があったかのか話せるなら聞くよ。恨み言はババアに預けて、楽におなり」 霊はなおも唸り続ける。新しい霊を呼んでしまう恐れがあるがこのまま倒してしまうにはあまりにも憐れな存在だ。 「あんたの苦しみをちょっとでも癒せないのかい?」 「無駄じゃないのかな。おばちゃん」 リーリスは振り返って微笑む。 「もう憎いのしかわからないんだよ。この女の人」 「……憎いんじゃなくて、助けてて言っているようにあたしには聞こえるんだよ。ねぇあんた」 ダンジャの声に女にはじめて戸惑いが生じ、苦悶の声をあげる。 「自分の憎しみに、自分が捕まっちゃってるんだね。苦しくて悲しいね」 リーリスは囁き、木の幹に顔を埋める。 だったら、それ、リーリスにちょうだい? にぃいいとリーリスの唇が歪んだ笑みを作る。ダンジャが見ているが、この状態ならばれずに幹のなかだけ塵化させれば問題はない。 リーリスは気がついた。 「おばちゃん、木を切ってあげて」 「なんだい藪から棒に」 「はやく! 女の霊が苦しんでるのはこのせいだよ」 リーリスの言葉にダンジャは妖糸を幹に投げた。すぱん! 幹が縦に割れ、飛び出したのは木に縛り付けられるようにして埋められた人骨だった。 「むごいね、こりゃあ」 「死体がここにあって離れられなかったんだね。リーリスね、こういうものの記憶を読むは得意よ。うん。ここの管理人さんがこの子を殺して、ここに埋めたの。けど、怖くなってこのビルを売ろうとしたけど、こんな状態でしょ? 私たちがこの子を消したら証拠隠滅になるって企んでたみたい」 「あんたの無念はあたしらがちゃんと理解したよ」 けれど霊は消えない。深い憎悪に囚われた霊は自らが逝くところが叶わず、真実を思い出したことでさらなる憎悪に身を震わせた。 殺してやる、殺してやる、殺してやる! 女がはっきりと声をあげる。なにを憎んでいたのかを思いだし、明確な憎悪が向かう場所を与えてしまった。 此処で女の人骨を供養しても、彼女の暴れ出した憎悪はビルの管理人を殺し、血の味を覚えればさらなる血を求めて無関係な者すらその手にかけていくだろう。 「縛り続けられるよりはマシ、かねぇ……リーリス、その霊を壺のなかにいれておやり」 「うん!」 ダンジャは真っ直ぐに霊が壺に吸いこまれる様子を見ていると壺に吸いこまれる女の顔が一瞬だけ安堵としているのに気がついた。 「壺にいれて正解だよ。ダンジャ、壺のなかにいれれば恨みに穢れた魂は浄化され、墨が人とまた繋がる。そしてまた生まれる。この壺の名、あんたたちは誰一人聞かなかったが、サービスだ。森羅万象というのさ。物事は繋がりあい、支え合い、永久となる」 シロガネが微笑むのにダンジャも苦微笑を浮かべた。 「いつか、あの女も墨となって、誰と繋がる、か。さて、あたしは大仕事にかからないとね」 「がんばってー。リーリスは、この木のなかにある骨をおろしておくね」 「頼むよ。親族にちゃんと戻してやらないとね。シロガネ、あんたの組織にそういうことを頼むことは出来るかい?」 「構わないよ。ボスさまねぇ、卑怯な輩が大嫌いだ。キッチリと落し前つけてくれるよ」 「そりゃ、よかった」 シロガネの返事にダンジャはすばやく結界の仮縫いをはじめた。その姿は見る者が見れば舞いととれなくもない、無駄のない肉体の奏でる静かな、しかし素早い動きの連続だ。それがだんだんと透明な形を――糸は赤く輝き、結界を作り出していくのは幻想的だ。 結界を構成しながらダンジャは自分の予想がはずれていたと直感した。 シロガネの復讐は自分が死ぬかまたは怪我をして、旅人を貶めること、もしくは依頼の失敗させることだと踏んでいた。 けれど話をして、先ほどの頼みを承諾してくれたことといい、シロガネは協力的だ。 じゃあ復讐はなんだい? 「よーし。リーリスもがんばっちゃうぞー! おじちゃんたちがこっちに誘導するね!」 「危ないことはおよしよ」 「だいじょーぶ、シロガネのおねぇちゃんはおばちゃんおねがいね?」 リーリスはにこにこと笑って建物のなかに入る。とたんに赤い目が宝石のように輝きを増して、ビルの一階を魅了が包み、霊たちを寄せていく。 「おじちゃんたちまだみたいだし、いいよね?」 ぺろりと舌を出して笑った。 「いただきまぁす」 「ひゃっはははあああああああ!」 「おい」 「このクソうじ虫どもがぁ!」 「おい」 「いますぐあうちゅ!」 「うるせ」 殴られた頭を抱えてマスカダインは蹲り、キッと一意を睨みつける。若干涙目。 「テンション高いのはいいが、落ちつけ。ギアで撃つたんびに放送禁止用語を叫んでるんじゃねぇよ」 マスカダインと一意は最上階から蝋燭から立ち上る白い煙で霊をいぶって追い詰め、おろおろとしている霊に白兎が飛び付いて誘導し、兎たちの届かない空中にいる霊をマスカダインが飴弾でフォローしていくという作戦だ。 「だって、ボク、こうしないとやりづらいんだもん」 「せめて叫ぶな」 「無理!」 「……めんどくせぇ」 「そんなこといわずに! んー、けど、シロガネさん、大丈夫かな? 失くした物に縛られるとかボクよくわからないけどさー。生きてる人傷つけたくないんだよね」 「丈夫だろう。式神がついてる」 「うん。そこは信用してるよー。けどさ、本当にもしものときさ、インヤンガイの人間にハートフルな説得って効くモンかねぇ」 「そうやって自分が信じてなきゃ効果あるもんもないんじゃないのか? 自分が疑えば相手にも届かないだろう。な、なんだよ。じっと見つめてきて」 「キミ、いいこといったぁ! 今のマスダさん名言集その三集に今の載せておくねー!」 「なんだよ、それ」 呆れる一意にマスカダインはにこにこと笑う。 「けど、気になるんだよねぇ。シロガネさんの墨ってさ。恨みで破壊するだけの存在になったモノを力に変えるってトコロ」 「ん? なんだよ」 「ううん。よーし、マスダさん、はりきっていくよー!」 「がんばれよ。あともう一階で……おかしいな、一階にいた霊の気配が消えた?」 「え? 逃げたのかな? いいことだよね!」 マスカダインの言葉に一意は眉根を寄せた。そんなかんじはないが――と思った瞬間、白山のように白兎たち集まった箇所から飛び出す黒い影があった。 「大物か! おい、撃て、あいつ、外に行くぞ」 「いかせないぜぇ、この黒塊野郎!」 飴弾を蛇のように素早く避けた霊は不吉な笑い声をあげて窓硝子を突き破って外に飛び出した。 「あー、そっちはだめだよー! 庭には!」 「くそ!」 それに気がついたのはシロガネが先だった。顔をあげてビルから飛び出した黒い塊を睨みつける。ダンジャも気がついて顔をあげるが、結界を作る手は動かし続けていた。 「やばいね、まだ結界は作り終わってないのにねぇ」 暴霊はダンジャに狙いを定めて、放たれた矢のように真っ直ぐに襲いかかってくる。 「くっ! シロガネ!」 シロガネがダンジャの前に飛び出すと、右腕を差し出した。 「女を襲うようなクズに、救いはないよ。とっとと、消えな」 窓から顔を出してギアを構えていたマスカダインはそれを見て息を飲んだ。銀狐だ。それも牛のように大きそれは暴霊をひと噛みすると、がしゃん! 硝子が割れるような音をたてて噛み砕き、前足でひっかいて蹴散らしていく。 「あれが力?」 「おい、式を通じてあっちにいくぞ」 「え、わぁ! って、あれでいくの!」 首根っこを掴まれてマスカダインは一意にひきずられていく先を見て悲鳴をあげた。 「うさぎにくわれるー!」 「黙ってろ!」 なんと人間大のうさぎがあーんと口を開けているのだ。 それがぱくりっと二人を飲む。 「ぎゃあー、あああって、え、わ」 「うおっ!」 一意とマスカダインはなんとシロガネの胸から飛び出した。というのも式はシロガネの胸に抱っこされていたのだ。 空中に吐き出された二人はそのまま落下した。 「なにしてるのー! おじちゃんたちのえっち」 「いたた。俺らは急いでたんだ。なぁ、マスダ」 「そうだよー。ん、誰かクッション用意してくれたの? すごくやわらか」 むにゅ。むにゅむにゅむにゅ。思わず一度揉んだあと二度、三度ほど揉んでしまった手に吸いついてくるような柔らかい、これは―― はっ! マスカダインが恐る恐る顔をあげるとシロガネが微笑んで、片手をあげた。 「これ以上はお金とるよ、坊や!」 平手打ちが炸裂した。 「う、うう。ひどいよ。ひどいよ。ボク、わざとじゃないんだよぉ~」 「わかってる。わかってるっての。ほら、あとちょっとだ。とっととやっちまうぜ。シロガネの式のおかげであいつも弱ってるからな」 「わ、わかってるよー!」 しくしくと落ち込むマスカダインを叱咤して一意は式のうさぎたちに命令する。人間大の大きいものから掌サイズの小さなものがわらわらと飛んだり跳ねたりして暴霊を集めていく。 「大きく作ったつもりだけど、こりゃ、大量だねぇ」 ダンジャの結界にすし詰め状態の霊たちが各自文句いっぱいに唸っている。さながらホラー映像のような光景だが、どこか間抜けだ。 「あとはリーリスにおまかせー!」 リーリスはにこにこと笑って壺で霊たちを吸いこんでいく。 「墨で描いたやつが、そのまま式なのか。体内で飼ってるのか」 シロガネの片腕に戻った銀狐を一意は興味深そうに見ると狐はそっけなくシロガネの腕からさらに別のところに移動して見えなくなったが、かわりに銀の魚が優雅に泳いでいた。 「なんだい、兄さん、兄さんもほしいなら描いてあげほようかい? 百八○匹のうさぎをその背中に」 「……やめてくれ」 背中いっぱいの兎の集団。それがシロガネのみたいに動き出したら全身うさぎまみれだ。 「ふぅん。けど、その墨を使って、事前に絵を描いたら式を呼びやすいかもな。今度、あんたの墨、借りにいってもいいかい?」 「おや、つれないね。描かせてくれないのかい。酒に付き合ってくれたら墨を提供してやるよ。もちろん、あんたの奢りでね。兄さん」 「怖い女だな、あんた」 「まぁね」 「聞いてもいいかい? 復讐っていうのはなんだったんだい。あたしの事も守ってくれたしね。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのかい?」 ダンジャの言葉にシロガネは肩を竦めた。 「あんたたちに知ってもらいたかったのさ。あんたたちを憎んでるやつがいるってことを。無力でも、思うだけでも、いるってことを。忘れてほしくなったのさ。あんたたちは今回のことでアタシのことを気にしただろう? 恐れたし警戒した。それがアタシの復讐さ」 ふふっとシロガネは笑った。 それはあまりにも無力で、けれど効果的なものだった。憎まれていると思えば疑い、恐れる。 「だから、許すのさ。それもあんたたちには効くだろう?」 許されることが咎となることもある。だからシロガネは笑う。 「へぇ。思ったよりタチが良くないね」 ダンジャも微笑んだ。 「言ったろう? 女の復讐は怖いのさ。ん、なんだい? 銀髪の坊や。まだ拗ねてるのかい?」 「そうじゃないよー。ボクさ、あんたに墨入れてほしいんだ。もちろん、ガチのほうで! 右腕とかいいなーって」 マスカダインが右腕を差し出す。その目は真剣だった。 「鳥とかで、強そうな鷲がいいんだよね! 今度こそ、……忘れたくないことがあってね。もちろん、只の絵でもいいよー。仕込んでも良いよ。シロガネさんみたいなの出てきたら面白そうだしねー」 シロガネの手が伸びてマスカダインの頬に触れる。顔が寄せられてマスカダインはぎょっとした。口づけが交わせそうなほどの距離でシロガネは囁いた。 「今のアンタはちょいと役不足だよ。坊や。わかってンだろう? 自分のなかにあるモンを全部片付けたら、またおいで。そのときは腕によりをかけてうんときれいなモンを彫ってあげるよ。いい男におなりよ」 シロガネは微笑んで、マスカダインの額に頬に素早くキスを送るとさっさと離れた。 「大丈夫。あんたはいい男になれるよ。アタシが保障してやる」 「あー、内緒話して楽しそう。リーリスも! 霊は壺のなかだよー」 ちょっとだけ食べちゃったけどね。とリーリスは心の中で付け足した。
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