秋が深まると、壱番世界ではオレンジ色のカボチャの飾りが目に付くようになる。 ハロウィーン。 民間行事の中では、仮装を楽しめる賑やかなお祭りとして知られている。 ハロウィーンが終われば、クリスマスカラーに街は彩られ、それが終われば新年を祝う飾りに変わっていく。 子ども達にとっては楽しいイベントが毎月やってくる冬の季節の始まりだ。 壱番世界で賑やかな子ども達のお祭りで知られるハロウィーンは、ダンジャ・グイニの生まれた世界ギダにも似通ったものはあった。 秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭り。 古くは十月三十一日が一年の終わりで、この夜は死者の霊が家族の元に訪ねてくると信じられていたが、その中には害をもたらす精霊や魔女も混ざっていたため、身を守るべく仮面をつけ、焚き火をして追い払っていた。 それが今では、仮装をしてお菓子を貰う子ども達の楽しむお祭りになっている。 お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ♪ 子ども達の真似を小さく呟き、ページを捲る。 ダンジャは、図書室でハロウィーンのことを調べて思ったのは、近代のものではなく、古代ケルト人の行っていた祭りの方が近いかも知れないということ――。 一年が終わる日。 その夜は、世界の果てにある『石の森』から霊がやってくる。 年の境目である一夜。 人々に安息をもたらす夜に、永遠に彷徨う七十二の霊達がやってくる。 『永遠に彷徨う七十二の霊達がやってくるぞ!』 七十二の霊達のうち、“物書き”と対の“絵描き”が脱落した。 “物書き”は“絵描き”の心象が迷子のように表現されていたから、いつかそんな時が来るのではないかと憂えていた。 それが来てしまった。 共にいつか終わりを迎えられる時が来ると願っていた。 だけど。 “絵描き”は先に絶望してしまった。 いつか終わる“かも知れない”償いよりも、消して終わらない責め苦を選んだのだ。 希望を持ち続けるより、諦めて責め苦のもたらす痛みだけを抱き続ける方を。 期待を抱かせ、いつか手元に舞い降りる時を測り、試す。 残酷な希望。 選択をした“絵描き”は、世界の果てにある『石の森』を構成する一部となる決意をした。 石でできた枯れ木の森。 生を感じさせるものはない。 ただ、葉のない細い幹を持った木々がある。 多くが枯れ木のような姿形をしているのは、絶望を心に抱き変化しただろうか。 木々を育む土も、ざらついた石で出来、背筋が凍るような死の光景。 空も灰色の雲で覆われ、光の差すことのない世界の果て。 風さえも、『石の森』では、勢いを失い停滞し淀む。 絶望と死だけが寄り添う。 死と親しいものたちの世界。 共に償いを続けてきた同胞達は、“絵描き”の終焉を見届けるために集い、その姿を記憶に留め、無言で背を向けた。 決して短くない期間を共に過ごした同胞に、掛けてやりたい言葉は沢山あった。 けれど、選択をした“絵描き”に贈るに相応しい言葉が出てくるとは思えなかった。 心ない言葉をぶつけてしまいそうで、何も口にすることなく、“絵描き”の前から去ったのだ。 同胞達と“絵描き”の距離が離れていく。 寄り添ってあった心も離れて、自身の心が冷たくなっていくよう。 胸を耐えるために鷲づかみにして、見送った。 ぽつりと取り残された“絵描き” 同胞の誰かが振り向いて、小さく呟いた。 楽になれるわね、と。 僻みでもなく、ただ“絵描き”の心を思っての言葉。 いつか終わるかも知れないという希望だけを抱いて前に進むには、“絵描き”の心は磨り潰される寸前だったから。 選択の意志がある内に選ぶことができたのは、行幸だった。 “絵描き”が向こう側の住人となったことで、遠い筈だった『石の森』が、近く感じた。 同時に自身を戒める。 それは駄目だと。 明日はわが身ではないのかと。 気持ちの天秤を傾けてはいけないと。 脱落すれば、楽になれる。 心が揺らぐ。 細胞の一片があれば、再生して復活する強い身体だが、心はいつまでも脆い人間のまま。 心が揺らぐのも試練の一つに違いない。 背を向けていた同胞が振り返る。 “絵描き”の最期を心に刻みつけて、前に進むための戒めとするために。 選択をした“絵描き”を純粋に見送るために。 『石の森』の外側にあることを望んだのか、“絵描き”は、その場から動かない。 石と接している場所、足もとから少しずつ、生の持つ色を、何もかも消し去ってしまう灰の色を纏った石へと変えていく。 生から無へと作り替えられていくのは、想像を絶する痛みに違いない。 『石の森』に囚われ始めた身よりも、先へ進む同胞達のことが気に掛かるのか。 “絵描き”は、自身の最期を看取るべく、立ち止まって見つめている同胞だった者達へ、何か言葉を紡ごうと口を開きかけたが、それらは言葉となることもなく、閉じられた。 自分の意志は、同胞達から離れるときに、口にした。 別れの言葉も、それまで秘めていた言葉も全て、託してきた。 同胞達とはもう共に歩むことは出来ない気持ちが悲しみを、苦しくとも楽しいと思える時もあったことを思い出し、それらがない交ぜになった表情を浮かべ、石化が心の臓へ到達し、痛みが増していく中、回顧した。 ぱきり。 “絵描き”は罪悪感に苛まれ、顔を歪めて叫びかけ、木になった。 何も語ることのない、無の存在。 『石の森』の枯れ木の一本へと。 同胞であり、“共犯者”でもあった者達は、“絵描き”が、何を言葉にしたかったのか、言葉に出来なかったのか。 “絵描き”を見送った“共犯者”達は、分かっていた。 言葉にしなかった思いを――。 一年の終わりの夜、新しい年を迎える街は賑わいを見せる。 人の姿に紛れ、祭りを楽しむ霊達。 その中に霊の仲間を見つけ、ダンジャはひっそりと微笑んだ。 一年に一度の邂逅に。 「久しぶりだね」 “解体屋”シンガ・バロナイと偶然に出会い、ダンジャは声をかけた。 「ああ」 言葉少なながらも言葉を交わし、夜市が並ぶ広場で大人達が酒を傾けている中に混じり、しばらくして戻って来た。 両手には酒の入った杯。 「身体が温まるよ」 言葉と共に手渡され、杯を掲げ、喉へと流し込んだ。 紙袋には木の実と干した果実が入っていた。 それらを摘みながら、静かに見送る。 体内を酒精が巡り、冷えた身体の体温を上げる。 二人の前を大人達、子ども達が行き交う。 人の中に混じる仲間の姿。 生者であるダンジャに会いに来たのだろうか、と自分に良い方へと考える。 霊となった仲間に会えた。 運命の気まぐれだとしても、嬉しい計らいに素直に喜ぶ。 だが、姿を認めても声をかけることはしない。 生者と死者の境界を越えることなく、互いが同じ場にある、それだけで良いと思えたから。 生者にとっての祭りも、死者にとっても祭りとなっている。 「なぁ、七十二の霊達って、ここにいるのかな」 「俺達の中に紛れて祭りを楽しんでいたりしてなー」 「えー! 怖いこと言わないでよ、兄ちゃんー!」 仮装をした兄弟らしき男の子達が、ぱたぱたと石畳を駆けていく。 ポケットに詰め込んだ、紙包みのキャンディが一粒飛び出した。 ダンジャはキャンディをキャッチすると、対となる“解体屋”の方を見やり、笑みを浮かべた。 七十二の霊達が実在した愚かなる人間達であったことを知る者は既に無く、様々な伝説となり、土地によってその内容は千差万別だ。 それでいい。 誰かが話して聞かせる昔話になってしまっても。 いつか終わるだろうか。 終わらなくてもいい。 もう、世界を憎まないから――。 夜は長いようで短い。 今を楽しむ為に。 永遠を巡る旅人は、一夜の祭りの中に身を置き、静かに杯を傾けた。
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