0世界の片隅にあるオープンカフェ。 ウッドデッキに並んでいるテーブルセットに席に着いているのは、一足先に到着したフブキ・マイヤー。 真っ白なワニ型獣人で、白衣を纏っている。 魔法薬の調合を得意とする薬師だ。 左手の薬指には金色の輝きが煌めく。 テーブルの上には、ソーサーがあり、珈琲の満たされているカップを持ち上げて、液体を流し込み味わっていた。 フブキの黒瞳は、どこか沈んでみえる。 待ち人が来たらしく、ウェイトレスが案内してきた。 「待たせてしまったでござろうか」 そういって、現れたのはダンプ・ヴィルニア。 灰色の鱗に鮮やかな青の髪、理知的な赤瞳に金縁の片眼鏡。 背にはダンプと同じ背丈のありそうなギター。トラベルギアでもあるそれは、必要な時に姿を変形させる。 フォークロア的な衣装を身に纏ったダンプの一番の特徴は、黒の日傘。 ダンプの身体を陽射しから遮る程なので、かなり大振りの物だ。 「俺が早く着きすぎただけだ。今日は、わざわざ付き合ってもらって助かるよ、ダンプさん」 フブキと同じ物を注文し、ダンプが席に着く。 日傘をテーブルに立てかける。 「相談事でござったな」 「お前さんなら、良い解決策を思いついてくれるのではないかと思ったのだ。俺と同じ妻帯者だからな」 「ふむ。既婚者ならではの悩みでござろうか」 沈んだ表情のフブキに、ダンプは微かに笑みを浮かべた。 「いやいや。そういう甘ったるい話ではなくてな」 珈琲が運ばれてくると、ダンプは薫りを堪能してから口元へと運ぶ。 「実は……」 そう切り出したフブキは、心の内に抱え込んでいた思いを少しずつ言葉にして、話し始めた。 フブキには、愛する妻と子どもがいる。 勿論、覚醒してからは未だ会えないままだ。 きっかけは、伝説の魔法薬再現のために試作していたところ、暴発したときに覚醒し、現在に至っている。 そんな経緯もあって、暴発したときのフブキが居ない状態がどれほどだったのだろうかと考えると、早く戻らなければと思う。 最悪フブキは死亡したと思われている可能性もあるのだ。 自分は、今ここにいて、生きているのに、その事を知らせる術も、会いに行くことも出来ない。 もし、自分が死んでしまったと処理されていたなら、きっと妻と子どもを悲しませてしまっている。 幸せにすると誓ったというのに。 今は反対にフブキが居ないことで不幸にしてしまっているのだ。 暴発はしたが、幸いにも実験に使っていた部屋がそれ程被害がなくとも、フブキの姿が消えている時点で、妻を不安にさせてしまう。 魔法薬の新薬を開発していたわけだから、怪しげな組織に目を付けられ、拉致されたと考えられてしまう可能性もある。 考え始めればきりがないとは分かっている。 だが、これほどの間、妻と子どもと離ればなれになるのは初めてで、不安になる気持ちは止めどなく溢れてくるのだ。 自分がそこに居れば、解決できること。 妻の不安を取り去ってやることが出来ること。 自分が居れば出来たであろうIFをつらつらと考えてしまう。 それはきっと、今現在埋められない希望だ。 離ればなれでいることで生まれる不安。 この不安と付き合っていくには一体どうしたらいいというのだ。 「俺はここにいるのに、知らせる術がないのはな……」 語る言葉は、心の不安を口にした物だが、表情は変わらずに、いつもと同じ冷静さを保っている。 話ながら整理して順番に語ってしまうのも、性格的な物だが、思って居ることについては素直に口にすることが出来たと思う。 「連れ合いのことを気に掛けるのは、それがしも変わらぬよ」 共に妻帯者であるからこそ、心配する気持ちも理解できる。 フブキのことを聞き、ダンプもひとつ小話でもしてみようという、気楽さを感じさせる口ぶりで話し始めた。 不安に思っているのは、フブキだけではないと、同士は居るのだとわかり合えればと思ったのだった。 穏やかな老後を過ごしていた筈の未来は、簡単に崩れ去った。 ダンプと妻の間には子どもも授かり、立派に成長して独り立ちしていくのを見送ることができた。 幸いにも互いに不幸など訪れることなく、肩を並べて年を重ねてゆけた。 夫婦揃って続けて居た冒険者家業は、加齢による体力の減退を感じて、引退した。 そのあとは、穏やかな人生を送っていたと思う。 忙しかった日々は懐かしいとは思うが、こんなにもゆっくりと妻と過ごすのは、冒険者時代とは違った感覚をダンプにもたらしてくれた。 新しい生活を送っているような、そんな感覚だった。 妻と年老いて死ぬのも悪くないと思っていた頃、不幸は突然やってくる。 ダンプの居た国はグリエルという、民主制の国。 世界一巨大な国に対抗するのが吸血鬼組織だった。 そんな吸血鬼が襲撃してきた夜、ダンプは外の気配が気になり妻を寝室に待機させて、様子を見に行った。 家の中には、ダンプと妻しか居ないはずなのに、どうやって忍び込んだのか、吸血鬼が居たのだ。 灯りしか手にしていなかったダンプは、抵抗するも吸血鬼に襲われ、吸血鬼化してしまう。 湧き上がる吸血衝動。 このままでは、自分は愛する妻の血を吸ってしまう。 それだけは駄目だと、吸血衝動をねじ伏せ、何とか妻に説明をし、幸せの象徴である妻の居る家から、逃げるようにして離れた。 襲ってきた吸血鬼を倒すのだ。 妻との幸せな暮らしを壊した吸血鬼を滅ぼせば、この苦痛から解放されるのだろうかという僅かな希望の元、ダンプは吸血鬼を求めた。 飢えと疲労に苛まれつつも、不幸をもたらした吸血鬼を見つけ、滅ぼすことに成功する。 だが、吸血鬼を滅ぼしても、ダンプの吸血鬼化は解けることはなかった。 僅かな希望は地に落ちた。 ならば、後は自身を滅ぼせば、解決する。 冒険者として過ごしてきたダンプには、すんなりと解決策を実行する手立ても知っていた。 最後に妻の顔を見たい。 愛する妻にひと目会いたくて、ダンプは家路を急いだ。 吸血鬼を倒したことを伝え、もう安全だと安堵させたら、自分も去ろう。 妻には寂しい思いをさせてしまうが、これだけは仕方ない。 夜に紛れ、妻のいる寝室へと向かう。 静かに眠る妻の面は、いつ見ても美しかった。 初めてであったときのことを思い出す。 走馬燈のように、妻との思い出が溢れ出る。 妻の顔を見て、始めて抱いた吸血衝動が襲い掛かり、収めようと必死に藻掻いている時、妻が目覚めた。 「あなた、おかえりなさい」 帰ってきたダンプに喜び、そして吸血衝動に苦しむ姿を見て、彼女は身体を差しだした。 無事に帰ってきてくれたことを喜び、いつまでも共にあろうと彼女は言ってくれた。 「あなたは死ぬつもりでしょう。ならば、私も一緒に連れていってください」 最期まで共に居ます、と。 妻の覚悟に感謝しながらも、ダンプは嬉しかった。 始めて口にした妻の血は、今までのどんな料理よりも、蕩けるような幸せを孕んだ美味さだった。 「それがしは老いの軛から外れたとはいえ、妻はどうしているのでござろうと考えると……」 先を考えるのは怖い。 「ダンプさん……」 フブキは、ダンプの話を聞いて、いつも被っている冷静な仮面を取り去ってしまう。 愛する妻を愛して、妻も望んでくれたとはいえ、きっとダンプは手にかけたくはなかっただろう。 吸血鬼化して、衝動に抗えず求めてしまったとはいえ。 その血が例えようもなく、美味だったとしても。 何と甘い罪の味だろう。 「つらい話をさせてしまっただろうか」 フブキにとって、そう聞くのがせいぜいだった。 「いや、それがしも誰かに聞いて欲しいと思っていたのかも知れぬ。気に病むことはないのでござる」 ダンプは大丈夫と目元に優しさを讃え、赤瞳を細めた。 溜め込んだままなら、きっと心を病んでしまったかも知れない。 愚痴吐きのようだが、口にすることで堪っていた不安を誰かに聞いて貰うのは、一番効果的な不安除去の仕方だ。 共に妻を持つ身なら、尚更わかり合える。 ダンプは溜息をひとつつき、 「……まぁ、それがしとしても襲われるまで、まさか街中で襲われるとは思わなかったでござるよ」 安全な街中、それも冒険者が多いこの国に夜中に潜んでくる吸血鬼が居るとは思わなかったのだ。 絶対などないのだ実感した。 人生を変えてしまった程の。 「気をつけるにこしたことはないと思うが、万が一の対処法はあるのだろうか」 出来れば、準備しておこうとフブキは思う。 魔法薬が出来れば、もしかしてダンプは帰る時に持たせてあげられるかもしれない。 吸血鬼化したダンプには毒にしかならないが、同じ不幸が訪れないよう。 ダンプは、冒険者時代の知識と自身が体験したことを参考に、吸血鬼相手の対策を伝授する。 フブキは頷きながら、記憶していく。 「まぁ、世界を見つけておらん現状で言うても仕方ないでござるが」 「確かになぁ。だが、備えあれば憂いなしというだろう」 ダンプから貰った知識は無駄にはしないよと、フブキは言う。 互いが経験してきたことは、無駄ではないのだ。 自分が体験したことは、きっと誰かの助けになる。 「先ずは、何よりも世界を見つけることが先決だ。俺たちには、戻るべき場所がある」 フブキは、決意を秘めた声音で紡いだ。 「そうでござるな」 ダンプは、妻の最期を看取ってやりたかった。 既に吸血鬼である自分は、二度と人のいる場所には戻れないだろう。 ただ、望めるのなら。 妻の遺体の前で灰になりたい。 共に寄り添って。 それがダンプの望みだった。 口にすることはないが、希望を捨てることはなく、その時は来るのだと信じて、ダンプはフブキの言葉に深く頷いたのだった。
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