その日、世界司書の紫上緋穂はいつも依頼の説明に使っている部屋ではなく、自分の司書室へと依頼の説明を聞きに来た者を集めた。前にもこんなことがあったが、こういう時はたいてい外に漏らせない内容や、結構驚くようなことが起こっていたりするのである。 窓際にはイーゼルと画材達、そして洋風の部屋の中になぜか桐でできた和箪笥のあるこの司書室のソファに、今はお雛様のような女性が先客として座っていた。そう、香房【夢現鏡】の女主人、夢幻の宮である。その彼女は珍しく、部屋に入ってきたロストナンバー達に視線も向けずになにか考えこむようにしていた。その横顔は青ざめている。「やっほー、来てくれて有難う!」 いつものように、そう、殊更いつもの様に装って、緋穂はロストナンバー達を出迎える。ロストナンバー達が不思議そうに夢幻の宮に視線を向けると、緋穂は困ったように「あはは」と笑った。「世界計の欠片がね、飛んでっちゃってることは皆知ってるよね? それがね、見つかったから回収して欲しいんだ」 緋穂は導きの書を繰りながら、いつもの様に依頼内容を告げる。「『雅なる絵巻物・夢浮橋(ゆめのうきはし)』って世界に行って来てね!」「……え!?」 告げられたロストナンバー達が一瞬固まる。聞いたことのない世界の名前だったからだ。だが、彼らとは恐らく別の意味で反応した者がいた。そう、夢幻の宮だ。「あのね、その世界……どうやら彼女の出身世界らしいんだ」「ええっ!?」 驚くロストナンバー達の声に振り向いた夢幻の宮は、複雑そうな笑みを浮かべていた。 *-*-*「わたくしの出身世界、夢浮橋は文明的には壱番世界の現代に近いです。けれども電子機器類は一般にはほとんど普及しておらず、人々は壱番世界で言う平安時代の様な形で過ごしておりまする。もちろん、建物は和風ばかり……権力者の家は寝殿造りが主でございます。人々の装束も、着物が主でございます」 緋穂に促されて訥々と、夢幻の宮は語り始める。「食事などは現代に近く、また国の重要機関などでは電子機器による研究なども行われておりますれば、わたくしもその恩恵に預かり香りの研究をしていた次第であります」 夢幻の宮の知る時代の夢浮橋は、彼女の出身国である『暁王朝(あかつきおうちょう)』と長年敵対関係にあった『冷我国(れいがこく)』とが戦を始めそうな緊張状態を続けていたという。 この世界では香術師という特殊な職業があり、優秀な香術師を抱えているかどうかが国の強さを決めると言われているらしい。夢幻の宮はさすがに当時の帝――今上帝(きんじょうてい)の娘であったからして小競り合いなどの戦に直接動員されることはなかったが、香りについての研究の指揮をとっていたという。「勿論、先陣切って戦うのは民兵、兵士や陰陽師、巫女の方々でした。香術師は裏からの工作が主でございます。しかし私は戦が始まる前に覚醒してしまいましたので……その後、国がどうなったのか知る由もありませぬ」 そこで緋穂が説明を引き取った。「今の暁王朝は、どうやら冷我国との戦が終わって一年ほど経っているみたいだね、戦は一年ほど前に暁王朝の勝利に終わったけれど、長年の戦いで民は疲弊しているよ。でね」 声をひそめるようにして緋穂は続ける。「今回の世界計の欠片は、怨霊に取り込まれているみたいなんだよ」「……怨霊?」「元々怨霊が出る世界だったんだよね?」 緋穂の問いに夢幻の宮はゆっくりと頷いた。「ええ……。頻繁にではありませんが、怨霊や物怪による事件もございました。ただ都……『暁京』には幾つもの結界が張られているため、都の外の方が怨霊も物怪も多く見られました」「それがね、今回導きの書に浮かび上がった予言は、都の中みたいなんだ。夜の道で、一台の牛車が世界計の欠片を取り込んだ怨霊に襲われるの。みんなも知っていると思うけど、世界計の欠片を取り込んだ者は大きな力を得るから……普通の怨霊と違ってバワーアップしてるんじゃないかな」 緋穂によれば襲われる牛車には牛飼いと馬で付き従う男性がひとりいるらしい。牛車の中には男性がひとり乗っているようだ。「怨霊退治といえば陰陽師や香術師の出番らしいんだけどね、どうやらこの人たちはそれのどれにも属さないみたいで。刀と弓で戦おうとするからこのままだとやられちゃう。彼らを倒したら、怨霊は近くの家や人を襲うかもしれない。被害が広がるのは確かだから、怨霊を倒して解決してきて欲しいんだよ」 街灯が設置されていないため、夜道は暗い。手燭の灯りくらいしかない中で戦うのは大変だと思うが、なんとか怨霊を退治して世界計の欠片を回収してほしいと緋穂はいう。「ついでに襲われた三人を助ければ、夢浮橋についての情報を得られるかもしれないから、情報収集もしてきて~」 いつもの調子で軽く言われたが、新しい世界に踏み込むがゆえ、色々と注意も必要だろう。彼らを助けたとしても怪しまれれば情報収集どころではなくなる。「わたくしもまいりまする……。少しでも土地に詳しい者がいたほうが良いでございましょう。とはいえ私がいた頃からどのくらい都が変わり果てたのかは分かりませぬが……」 郷愁とはまた違うのだろう、恐らく純粋に「気になる」のだ。夢幻の宮はおずおずと手を上げた。「勿論!」 緋穂はぱっと、5枚のチケットを差し出した。
この世界には街灯などない。ゆえに辺りには闇が立ち込めていて、進むには灯りがなければ足元がおぼつかなくなりそうだった。 この世界を、文字通り集まったロストナンバーの中の誰よりもよく知っている夢幻の宮はそれを見越して、松明や手燭を持参してた。それを皆に配る。皆がそれらに火をつけている間、彼女を見つめていたのは華月。 (世界計の欠片が新しい世界への道を作った。私は自分の故郷が見つかったなら嬉しいのかしら。帰りたいと思うのかしら) 目の前の夢幻の宮は自らの世界が見つかったのだ。司書室で震えるように青ざめていたのは突然の事だったからだろうか。 (わからない。ただ揚羽の事だけが思い浮かぶ) 華月の場合、故郷自体に帰りたいと言うよりも、気になるのは大切な大切な親友のこと。葛藤が胸を占める。 「ねえ、夢幻の宮」 「はい、華月様。なんでございましょうか?」 紙燭に照らされた彼女の表情は、虫の垂れ絹の奥にうっすら見える程度だ。彼女は今、いつもの十二単ではなく旅装束である壺装束に市女笠と、顔を隠す虫の垂れ絹をつけている。この世界の貴族の女性は、異性の親兄弟にすらもめったに素顔を見せぬものらしい。 「故郷に帰れて嬉しい? このまま帰属したいと思う?」 華月の口から出たのは、自分の葛藤の混じった言葉。自らが葛藤の渦中にいるからして、ついつい他の人の意見も聞きたくなったのだ。すると夢幻の宮は顔の前にかかっている絹を両手でどけるようにして、困ったように軽く笑んだ。 「嬉しい嬉しくない以前に、複雑、でございます……。わたくしがいた時代より15年余りの年月が過ぎておりますから……まずは現状を把握しないとなんとも言えませぬね」 それは尤もである。覚醒してそれほど時間が経っていなければ状況の変化も小さくて済むものだが、15年余りとなれば微妙だ。その間に国同士の大きな戦も起こったという。大きな変化が起こっていることは間違いないだろう。覚醒経緯も彼女の複雑さに輪をかけているかもしれない。 「……それに、わたくしの大切な方は0世界におりまする。その御方がこの世界への帰属を望まれるのでしたら、拒む理由はございませぬが……やはり、同じ世界に帰属しとうございますね。大切なお方が故郷に居らっしゃる方が、故郷へ帰りたく思うのと同じ想いかと」 「なるほど……そうよね。なんとなく、わかったきがするわ。ありがとう、変なこと聞いてごめんなさい」 「いえ……」 そっと、夢幻の宮は微笑む。故郷が見つかったとなればどうするか、その動向が気になっているのは華月だけではないはずだ。いつかは聞かれるだろうと彼女も思っていたのだろう。 ノラ・グースはシーアールシー ゼロと火を分けあいながら、心弾むのを抑えきれないでいた。 (新しい世界に来るときは、いつもどきどきなのですっ) 今まで行ったことのなかった世界。どんな風なのだろう、どきどきわくわくが止まらない。 彼はいつもの貴族服ではなく、群青色の呉服を着用していた。そして唐傘をさす。いつもの服だと目立ってしまうからといって服を変えてきたのだ。よい選択である。 (ノラは、『物怪』なのです。お助けする人に怖がられてしまうかもなのです、あうあう) 確かに猫又であるノラはこの世界では『物怪』の類に分類されてしまうだろう。その心配も尤もなものだ。ノラは華月との話が終わった風な夢幻の宮にとてとてと近づいた。 「夢幻の宮さんの世界が見つかってよかったのですー」 「……ありがとうございます」 小さく、夢幻の宮は返して。ノラはその返事を聞いて首を傾げて疑問を紡ぐ。 「ええと、一つお尋ねしたいことがあるのです」 「なんでございましょう?」 「この世界の物怪さんは、皆さんが皆さんぜーんぶ悪さをする物怪さんなのでしょうか。もしぜーんぶ悪い物怪さんでしたら、ノラは隠れん坊するのですー」 ノラが言いたいのは、もし物怪すべてが悪いものとして見られているようならば、三人を助けた後何処かへ隠れるということだ。少しの間考えて夢幻の宮は首を振った。 「いえ……陰陽師などと縁を持っていたり、人間の手助けをしたりする良い物怪もおりまする。陰陽師の式神のように人間とは違う外見の者もおりますれば……。ただ、物怪と交わりのない者は驚くでしょうし、物怪が悪さをすることが多くなれば、心ない者から良くない思いをぶつけられることもあるでしょう……」 悪い物怪ばかりではないが、免疫がなければそりゃあ当たり前に驚かれるということだ。悪さをする物怪が増えれば、それらと同じようにしか見てもらえないこともあるだろう。そういう偏見はどこの世界でも同じということだ。 「ノラ、隠れていたほうがいいです?」 「いきなり危害を加えられることはないと思いますよ。けれども物怪嫌いの貴族もおりますれば……今の段階ではこれから救出する相手がどんな思想をお持ちかは分かりかねますゆえ……」 だが、怨霊から助けだせば、無碍にはすまいと夢幻の宮は言う。ノラは納得して頷いた。 「さてはて、世界計の欠片か、人の命か。この場合はどちらが大事なのでござろうなぁ」 松明を手にしたダンプ・ヴィルニアはひとりごちる。 三人の人間を助けるのと怨霊を倒して世界計の欠片を手に入れるの、どちらを優先するべきか。 穿った見方をすれば、三人の命は出来れば助けて欲しいけれど、それよりも世界計の欠片を手に入れるのが重要だともとれる依頼内容だった。世界司書としてはそんなつもりはなかったのだろうが、少し考えてしまう。 「なぁに、それがしはただ言われたことをこなすだけでござるよ」 再びひとりごちて、思考を終える。と、隣を歩いていたゼロが口を開いた。 「ゼロは報告書で読んだのです。世界計の欠片を取り込んだ住人は、世界の仕組みを理解するそうなのです」 「世界の仕組みでござるか」 「そして其れを変えうる強大な力も持つのだと。ならばこの世界の事情を最もよく知るのは怨霊さんなのですー」 なるほど、ゼロのいうことにも理がある。だとすれば怨霊は何の目的を持って牛車を襲うのだろうか。 「うわぁぁぁっ!」 「この、怨霊め!」 と、築地塀を曲がった辺から声が聞こえてきた。そちらでは、僅かであるが灯りが揺れている。灯りの持ち手が動いている証だ。 「急ぎましょう!」 華月の声に頷き合い、五人は手に持った明かりを消さぬような速度で走りながら、角を曲がる。 「「「!」」」 道の真中には牛車が。牛飼いは怯えた様子ながらも必死に牛を落ち着かせようとしている。馬で付き従っている男性は、背負っている矢筒から矢を抜いて弓に番えた。そして引き絞って放つ――だがただの弓では怨霊に傷を負わせることはできず、矢はそのまま怨霊の身体を通過していってしまった。 「何事だ!」 急に牛車が止まり、供の者達が声を上げ始めて様子がおかしいと思わぬ者はおるまい。女人であれば牛車の中で震えているかもしれないが、今回は男性である。鋭い声を上げて牛車から姿を表したのは、スラリとした、背の高い美丈夫。狩衣姿のその男性はバサリと音を立てて牛車から飛び降りた。 「鷹頼(たかより)様! 危険ですから牛車の中へ……!」 「危険だからといって牛車の中で震えていては、頭中将としてだらしがなさすぎる。怨霊など、この刀で……」 スッと刀を抜き放つ鷹頼。しかしこの世界の常識で言えば、普通の刀で怨霊や物怪に立ち向かうのは無謀すぎる。このままでは危ない。五人は急ぐ。 と、ノラの紙燭の火が消えた。彼はもどかしそうにトラベルギアのランタンを取り出し、灯りを強くして、そして叫ぶ。 「陰陽師なのですー、怨霊退治は陰陽師にお任せなのですー!」 「陰陽師達が来てくださったようです。若、ここは彼らにお任せして……」 「む……」 鷹頼という男性も並の人間が特殊な武器や術なしで怨霊に挑む無謀さを知ってはいるのだろう。不満そうではあるが従者の提案を否定はしない。 「ダンプ・ヴィルニア、推して参る!」 夜となれば日を気にせず戦えるのはありがたい、ダンプは三人との距離を詰め、怨霊から守るように立ちはだかる。 ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉ! もはや言葉とも取れぬ怨嗟の声が牛車へと向かう。ダンプが発動させたのは波の魔法。声とは空気の振動であるからして、干渉することは可能であると考える。事実、怨嗟の声は狙った牛車から逸れて、誰も居ない方へと受け流された。 「結界を張るわ!」 駆け寄ってきた華月が牛車の前で結界を発動させると、牛車と従者を含む足元に五芒星の陣が出現する。詠唱もなく完成したその結界は、彼らがそこからでなければ守ってくれるだろう。 「フレアカイザーなのですー」 ノラは魔術書と杖を取り出し、火柱の魔法を発動させる。夜の闇にまばゆいそれは怨霊の身体を包み込むように、夜空を燃やした。 うがぁぁぁぁぁぁぁ! 苦しそうに呻く怨霊の前に一歩出たのは、暗闇の中でも薄ぼんやりと白く浮き上がっていたゼロ。その白は炎を反射させて、赤い服を纏ったように見える。 「この世界の何を、どう変えたいのです? なぜ彼らを襲うのです」 怨霊に対話を仕掛けたゼロを見て、他の仲間は目を丸くした。その発想はなかった。倒して世界計の欠片を回収する、それしかないと思っていたが……。 『闇を……禁呪を……香術を……』 怨霊の声は聞き取りにくかったが、そう言っているように聞こえた。夢幻の宮が青ざめ、口元に手を持って行って「そんな、事まで知って……」と小さく呟いたのには、誰も気がついていなかった。 『鷹頼……恨めしい……妹、捨てた……』 「妹さん、です?」 ゼロが小首を傾げる。すると夢幻の宮が横からそっと口を挟んだ。 「この世界は男性が女性の家へ通うという形で恋人達は逢瀬を重ねます……ですから、もしかしたらこの怨霊の妹さんに鷹頼さんという方が通われていて――恋人同士であったものの、鷹頼さんは妹さんとお別れになったということではないでしょうか」 男性が通ってこなくなればそれまで、そういった暗黙の了解がある。無論円満に別れたわけではないので、この場合女が捨てられた形となるのだ。文を送っても返事をもらえず、ひどければ受け取ってすらもらえない。返事が来たとしても忙しいから今日はいけない、などと少々の落胆と多少の希望をもたせたやり方もあるようだが……完全に捨てられたというからには、なにか決定的なことがあったに違いない。 「なるほどなのです。ではどうして怨霊となったのです?」 ゼロの追求に、怨霊は少しばかり身体を震わせるようにして。 『妹……死んだ……私、怒りに任せて馬を駆り……事故……』 恐らく怒りと悲しみの矛先を鷹頼に直接向けようとして、その途中で事故にあったのではないか。そうして魂が晴らせなかった恨みを抱いて怨霊と化した――。 「ということは、全くの私怨なのです? 世界を変えたいというのとつながらないのです」 もしかしたら、裏で何かつながるのかもしれないが、この世界に来たばかりのゼロたちには、とぎれとぎれの言葉からはそこまではわからなかった。 「急激すぎる変化はそれで泣く人も出るのが常なのだそうなのです。世界計の欠片を手放して成仏し、生きている人たちによる穏健な改革に期待することを推奨するのです」 ゼロは、怨霊に対して説得を続ける。穏便な解決法がないものかと探し続ける。 「外からゼロたちのような者が来るようになった時点で、この世界は変化を免れないのですー」 『手放す……手放す……?』 「そうなのですー」 『鷹頼を、鷹頼を道連れにしてから――』 「いけない!」 華月が衝撃波に対する結界を展開する。その結界は衝撃波を阻み、結界内ものは守られた。 ダンプはギアの【斧弦槍】を灼熱化させて振るう。自身は盾役のつもりだが、ただ守るだけではなくこれは他の仲間の攻撃を当てやすくするための助力。「当たったらまずい」と相手が思って避けてくれた所に仲間の攻撃が当たれば重畳。 「今度はファイアーボールなのですー」 ノラが火の玉をいくつも作り出し、怨霊へと投げつける。苦しげに呻く怨霊を見て、ゼロが呟いた。 「自分で世界計の欠片を手放すことはできないのです? そんなに恨みの念に駆られているのです?」 「世界計の欠片を取り込んで力が増したことで、復讐を行う絶好の機会だと思っているのかも知れませぬ……」 その呟きを拾った夢幻の宮が、ぽつりと返した。 その間も戦いは続けられている。 結界を次々と展開しながら、仲間や牛車を守る華月。付け入る隙をしっかり見極めては間髪入れずに武器を振るうダンプ。続けて炎の魔法で怨霊を責め立てるノラ。 ぐぅ……ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁ……! 怨霊の叫び声も、攻撃の力も弱まっているように感じた。衝撃が、最初よりも弱まっているのだ。 「もしかしたら、ゼロ様に話を聞いていただけたことで、幾らかは想いが昇華したのかもかもしれませぬ……」 「ゼロも役に立てたのです?」 首を傾げるゼロに、夢幻の宮は頷いて。 想いは、どのような形であれ吐き出せば、多少は昇華できる。だが怨霊となってしまった彼には、それを聞いてくれる相手はいなくて。ただただ、恨みを増幅させるしかなかったのかもしれない。 けれどもゼロは尋ねた。彼の思いを吐き出させた。受け止めた。きっと彼も心の何処かでは、世界計の欠片を手放してもいいと思っているのかもしれない。もしくは、世界計の欠片を得ることで知ってしまった世界の事情が衝撃的だったのか。 (怨霊は弱ってきているわ……) 仕掛けるチャンスだ、そう悟った華月はダンプとノラに視線を投げかけて。 まずはノラが仕掛ける。狙った敵を逃さない、炎の柱で怨霊を包み込んだ。続けてダンプが灼熱化させたギアを振るう。こちらは避けられてしまう――だがもとよりそれが狙い。 華月は怨霊がダンプの攻撃を避けた隙を狙って前へと踏み出す。こわくないなんてことはない。けれども不思議と身体は前へと動くのだ。 (この世界の人達を護る為? 依頼を果たす為? わからない) けれども華月の身体は前へと踏み出す。槍を伸ばして槍へと結界を纏わせる。そのまま怨霊へと一撃入れて。槍を抜かぬまま、怨霊を串刺しにしたまま、華月は身体にも結界を纏わせる。 そして――怨霊へと手を伸ばした。 感触はなかった。ただ、嫌な空気が腕にまとわりつくようにしていただけ。華月は伸ばした手で世界計の欠片を狙う。 半ば透けていた怨霊の、ちょうど心臓部に当たる場所にそれは薄く光り輝いて見えた。 ガシッと掴みとり、手を引きぬく。そしてそのまま後ろ飛びで後退り、怨霊との距離をとった。 おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……。 それは怨嗟というより絶望に聞こえた。 「成仏してくださいなのですー」 ノラが炎の玉を放ち、願う。炎の玉を受けてゆらゆらと揺れる怨霊を見て、ダンプは終わりを感じていた。もう避けられぬだろう、恐らくこれがとどめの一撃となる。ダンプはギアを横薙ぎに振るった。 ヴおぉぉぉぉぉぉぉ……。 夜の闇に後を引くような叫び声を残して、怨霊の姿は次第に掻き消えていった。 *-*-* 「助かりました、偶然陰陽師達が近くにいるなんて、運が良かった」 我に返った従者が明るい声で言うと、鷹頼と呼ばれた男が前に出て、頭を下げた。 「この度は俺の不始末から手を煩わせて申し訳ない。まさか、こんなことになるとは……」 鷹頼は、付き合っていた女を捨てた悪い男、そんな風には見えなかった。どの世界でもあるように、恐らく自然消滅してしまった関係なのだろう。この世界では、男性が複数の恋人を持つことは責められない。いや、女性からすれば内心穏やかではないようではあるのだが。 きっと彼らにも、なにか事情があるのだろう。 「いえ……無事でよかったわ。少しだけ、この国の……都のことを質問してもいいかしら?」 「質問……?」 華月の言葉に不思議そうに眉を動かす鷹頼と従者達。都の陰陽師であれば、都のことは知っているはずだからだ。と、ダンプが横から助け舟を出した。 「それがし達はこちらの姫君が物怪にさらわれて、遠くに運ばれていたのを探し、救出して長旅から都に戻ってきたばかりなのでござるよ」 「ああ、なるほど。姫君がご無事で何よりです」 虫の垂れ絹でしっかり顔を隠した夢幻の宮に会釈をする鷹頼。夢幻の宮もそれに会釈を返す。まさか彼女が皇族だとは思っていないのだろう。だとすれば、礼の取り方が軽いのは、鷹頼の身分が高いからかもしれない。 「一般の生活や都の雰囲気、政治情勢の変化や主だった事件を知りたいのですー」 ゼロに問われ、鷹頼は少し考えるようにして。 「冷我国との戦が一年ほど前に終わったのは当然知っているだろうと思うが……民の生活は一応落ち着いているようにはみえる。一応というのは長期に渡る戦で、男手が徴収され、なおかつ帰らぬ者となった兵もそれなりの数、いるからだ。男手を無くした民は多く、生活も苦しいものとなっているだろう。それに加えて」 「加えて?」 「怨霊と物怪が頻繁に都の中に出るようになった。悪質な奴らがな」 「以前は、都の中にはそんなにいなかったと記憶しているわ」 事前に世界司書から聞いた話を思い出して華月が話の続きを促す。 「ああ。戦が終わった直後くらいからだな、増えだしたのは」 「原因はわかっているのです?」 「そういうのは陰陽師や香術師の方が詳しいだろう? 陰陽寮に戻れば自然と耳に入るんじゃないか?」 ノラの問に答えた鷹頼の言葉。そうだ、自分達は陰陽師ということになっているのである。 「政治情勢の変化は……そうだな、戦の間に病気で身罷られた先帝の代わりに、東宮が今上帝となられた」 「……!」 それを聞いてふらり、夢幻の宮がよろめいた。ダンプが彼女を支えたのを見ると、従者が「お話が終わるまでの間、姫君は牛車の中で休まれては」と勧めてきたので、ダンプは彼女を促す。 「……亡くなった先帝は……私の父です。今上帝は……何らかの理由で東宮が代替わりしていなければ、一番上の兄でしょう……」 「なるほどでござる」 従者に聞こえないように、そっと夢幻の宮が呟いた。ダンプは彼女が思わずよろめいた理由を知って、ゆっくりと牛車の中へと彼女を促した。 「後は政治情勢か……今上帝が即位された後、冷我国の姫を入内させたな。これには大臣たちもこぞって反対したらしいが、帝が独断で決めてしまったらしい。気の毒に、敗戦国からの献上物扱いだっていう噂だ」 「ここ一年は戦の処理が主だったというわけね」 華月は頷いて、牛車の中で休ませてもらっている夢幻の宮に近づいた。 「夢幻の宮、大丈夫? あなたも聞きたいことがあったら聞いたほうがいいと思うわ」 「わたくしは……」 口ごもる彼女。その姿を見て華月は気持ちはわかる、と思った。自らが去った後のことを詳しく聞きたくとも、15年も昔の事であれば不自然に思われてしまう。そしてこの鷹頼という男性にしろ従者にしろ、20代ぐらいに見えるからして、15年前はほんの子供だったに違いない。尋ねても、芳しい答えが帰ってくるとは思えなかった。 「無理強いはしないわ。ないならいいの。ただ、後悔しないようにと思って」 「いえ……ありがとうございます、華月様」 華月は小さく微笑み、それに返すように夢幻の宮も微笑んだ。 *-*-* 鷹頼と皆が話している間、ノラはそっとその場を離れた。曲がり角の向こうに身を隠し、口を開く。 「都の中で隠れん坊してる物怪さんはいらっしゃいませんかー?」 小声で呼び掛けるのは物怪に対して。猫又であるノラならば、物怪も話をしてくれるだろうと思ったからだ。 暫くの間、小さな声で呼び続けてみる。すると。 『おい』 小さくいらえがあった。ノラはきょろきょろとあたりを見回す。だがそれらしい相手はいない。 『おい、ここだここ!』 ちょっとむっとしたような風に声の主は自分の存在を主張した。ノラが足元を見ると、漸くこっちを見たかとばかりに胸を張った、小さな狐がいた。 「ちっちゃい狐さんなのですー」 『ちっちゃいいうな!』 その狐は掌に乗るくらいのサイズで、さらさらの毛並みが夜風に撫でられていた。可愛いと言いたくなるサイズだが、この分だときっと本人(?)は気にしているのだろうから言わないでおく。 『お前、俺達の仲間か? さっき呼んだだろ』 「はいなのですー。お聞きしたいことがあるのですー」 『お前新顔だな。都じゃ見た事ねぇ。で、なんだ? 俺様はこの都一の物知り、灯弥(とうや)ってんだ』 「ノラはノラなのですー」 自称「都一の物知り」である狐の物怪に、ノラも丁寧に名乗り返して。そして質問を投げかける。 「先ほどの怨霊さんのように、いきなり霊力が増した怨霊さんや物怪さん、他にもいらっしゃるんですかー?」 『さっきのあいつかぁ……なんかおかしいと思ってたんだよな。急に強くなっちまって。あいつも力を持て余してたんじゃねーかなー』 灯弥は考えこむようにして、その後「ああ、他にいるかだっけか」と顔を上げた。 『急に力を増したってやつは他には聞かねぇなぁ……今のところ、だけどな。だが都に物怪や霊の類が集まってきているのは確実だぜ。一年前と比べて悪い奴が格段に増えてきてらぁ』 「なんで都に来たのかわからないのですー?」 『俺達は悪い奴らとあまり関わりになりたくないもんでなぁ。ああ、でもこれはさっきの質問に通じるかも知れねぇ」 「なんなのです?」 灯弥は前足でノラを招いた。ノラは彼に近づくべく、しゃがみこんで耳を近づける。 『都には、低級の霊や物怪避けの結界が張られているんだよ。また都内で発生した怨霊や生霊は別だが……だからな、その結界を通ってきたとしたら、ある程度力を持っている奴か、または力をつけた奴……つーはずなんだよ』 なるほど、結界を通り抜けられるだけの力が必要だということか。都を覆う結界は、ある程度の弱い物怪や霊をふるいにかけているというわけだ。だが、少しばかり灯弥の歯切れは悪そうだった。 「あ、そろそろ戻らないとですー。お話きかせてくれて、ありがとうなのですー」 あまり長いこと仲間達から離れているわけにも行かない。ノラはぺこりとお辞儀をして。 『いや、いーってことよ。あの変な力を持ったやつをやっつけてくれたんだ。こっちこそ礼を言うぜ』 「では、またなのですー」 手を振るノラに、灯弥は器用に前足を振って返した。 *-*-* ノラが皆のもとに戻ると、お礼もしたいし立ち話もなんだからと従者が鷹頼に、屋敷に招いてはどうかと話をしているところだった。 「ああ、そうだな。気が利かなくてすまぬ」 「いや、それには及ばぬでござるよ」 その申し出はありがたくもあったが、ここで屋敷に招かれては「姫」について色々詮索もされるだろう。無事を伝える使者も遣わされてしまうだろうし、色々面倒である。 「この近くに迎えの車を待たせているでござる。姫様も早くご家族に無事な姿をお見せしたいと思っているでござろう」 ダンプが機転を利かせてやんわりと、それらしく断りを入れる。幸い鷹頼も従者達もその言葉に納得してくれたようで、それならと諦めてくれたようだ。 「もう大丈夫でございまする。牛車をお借りしてしまい、申し訳ありませぬ」 話が終わりに近づいてきたことに気がついたのだろう、夢幻の宮がゆっくりと牛車から降りてくる。ダンプはそんな彼女に手を貸した。 「いや、このくらい礼を言われる程ではない。気分は大丈夫か?」 「……はい」 気遣わしげな鷹頼に、夢幻の宮は車内では外していた市女笠をかぶり直しながら頷き返した。 「命を助けていただいた恩は忘れまい。なにか困ったことがあれば、頭中将・藤原鷹頼を訪ねるがいい。必ず助けになろう」 「ありがとうなのですー」 「ありがとう」 ゼロと華月が代表して礼を述べる。意外に、鷹頼という人物は情に厚いようにも見えた。 牛車に乗り込んだ鷹頼。そして従者達がゆっくりと去っていく。 「『トウノチュウジョウ』というのは役職でござろうか?」 「名前は『藤原鷹頼』って言っていたのですー」 ダンプとゼロが顔を見合わせて、鷹頼の名乗りを検分しようとしていた。と、夢幻の宮が口をはさむ。 「『頭中将』というのは、近衛府という武官の中の次官と、蔵人所(くろうどどころ)という帝の側に仕える職業のトップ、蔵人頭(くろうどのとう)を兼任しているということですね。大臣家子息の出世コースでございまする」 「ということは、鷹頼さんはエリートなのです?」 「そういうことになりますね。藤原家は、左大臣を排出している家系ですから……彼も左大臣家の子息でしょう」 ゼロの問いに頷いた夢幻の宮。一同もその説明を受けて、色々と納得する部分もあった。 ともあれこの縁は、今後この世界を旅するにあたって有益なものになるだろう。貴族との、それも左大臣家との縁ができていれば、何かと便宜を測ってもらえるに違いない。 「そろそろ帰りのロストレイルの時間なのですー」 ノラの声に一同はロストレイルの停車場へと急ぐ。だから、誰にも聞き止められなかった。夢幻の宮のそのつぶやきは。 「鷹頼様……あの小さかった子が、あんなに大きくなって……」 【了】
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