オープニング

 ひっそりと、その催しは図書館ホールの隅に貼られた一枚のチラシだけで告知された。
 ――館長公邸・オープンガーデンのおしらせ。
 オープンガーデンとは、個人宅の庭を一般に開放し、訪れた人が庭の花樹を愛で、家人のもてなしを受けることでと交流を愉しむというもの。英国では古くからある習慣だ。
 今はアリッサだけが暮らしている館長公邸は、七つもの庭園を持っている。うち二つは、つねに訪問者に開かれているが、あとの五つは平素は非公開。それが、このオープンガーデンの日だけは立ち入りが許されるというのだ。
「……でも、裏手にある『妖精の庭』だけは、今回も立入禁止なの。ごめんね」
 アリッサは言った。
「でも、あとは自由に見学してもらえるわ」
 今回見学できる4つの庭とは以下のとおりである。

・キッチンガーデン
菜園とハーブ園からなり、公邸の厨房でつかわれる野菜とハーブの一部はここで育てられている。頼めば、少しなら収穫物を分けてもらえるかもしれない。

・ローズガーデン
本来は特別な賓客にだけ公開されている薔薇園。多種多様な薔薇ばかりが植えられ、丹精こめて育てられているほか、温室もしつらえられている。

・ワイルドガーデン
イギリスの自然の風景を再現した庭。荒削りな、丘陵地帯を模した土地で野趣あふれる灌木や野草が観察できる。

・プライベートガーデン
公邸の中庭。典型的な英国風の庭で、規模は小さいが、あずまやや噴水などが目を楽しませてくれる。

「見学は数人ごとの班に分かれてもらって、キッチンガーデン、ローズガーデン、ワイルドガーデンを時間差で巡ってもらいます。最後に、プライベートガーデンで、お茶の時間にしましょう」
 紅茶とスコーン、サンドイッチなどが用意され、ちょっとしたガーデンパーティーを楽しめるという。
「どうしてオープンガーデンなんて思いついたの?」
 ロストナンバーのひとりが、アリッサに尋ねた。
 すると彼女は小首を傾げて、答える。
「ロバート卿から薦められたの。みんなが公邸の庭に興味を持ってるようだからって。素敵なアイデアだって思ったわ。とっても楽しいイベントになりそうだったし」


   ◆  ◆  ◆


 オープンガーデン当日。
 集まったロストナンバーの前に、ひとりの庭師が佇んでいた。
「いらっしゃい。今日一日、おれが皆の案内をする杖彦(ツエヒコ)だ。よろしくなー」
 のんびりとした口調で挨拶をし、被っていた麦わら帽子をひょいと持ちあげる。
「……案山子?」
 そう。
 庭師の姿はまさに、畑に立つ案山子(かかし)そのものだった。
 頭にはへのへのもへじを書いた布袋。
 背丈はひょろ長く、わらを束ねた頼りなげな手足が伸びている。
 着古してあちこちがほつれた作業着のような上下に、首には紅の首巻を巻いている。
 黒の長靴はつま先がぱっくりと開き、歩く度にがっぽがっぽと鳴くのだが当の本人は気にならないらしい。
「さーて、どの庭から見ていきたい? プライベートガーデンは最後だから、それ以外で」
 目や口は動かないようで、声は布の奥からうつろに響く。
 布袋の中にもわらが詰まっているはずだが、どうやって話しているかは謎である。
 「さあ、一日は短い。先を急ごう」と促し、杖彦はロストナンバー一同を引きつれ、庭をめざしていく。
 庭師が歩くたび、布袋の頭からわっさわっさとわらがこぼれ落ちていくのを見つめ、世界司書・予祝之命は深くため息をついた。
「……やれやれ。プライベートガーデンに至るまでに、杖彦さまの頭がカラッポにならなければ良いのですが」
 予祝は落ちたわらを集めながら、庭師と旅人たちの背を追った。


======
!注意!
シナリオ群『オープンガーデン』は、同一の時系列の出来事を扱っています。ひとりのキャラクターの、『オープンガーデン』シナリオへの複数エントリーはご遠慮下さい。
また、見学は小班に分かれて時間差で行われ、ガーデンパーティーは班ごとのテーブルになるため、『オープンガーデン』シナリオ間でのリンクはあまり気を使わないでお願いします。
======

品目シナリオ 管理番号1750
クリエイター西尾遊戯(wzyd7536)
クリエイターコメント館長公邸で開かれる催しのお誘いにあがりました。
前半は3つの庭園を見学。
後半はプライベートガーデンでお茶会となります。

普段は開かれることのない庭。
またとないこの機会を、心ゆくまでお楽しみください。

★当日はNPC2名が同行いたします。
 なにかありましたらお声掛けください。
 ●公邸庭師・杖彦(ツエヒコ)
 ●世界司書・予祝之命(czrm8388)

参加者
音成 梓(camd1904)コンダクター 男 24歳 歌うウェイター
東野 楽園(cwbw1545)コンダクター 女 14歳 夢守(神託の都メイムの夢守)
ティリクティア(curp9866)ツーリスト 女 10歳 巫女姫
橘神 繭人(cxfw2585)ツーリスト 男 27歳 花贄
南河 昴(cprr8927)コンダクター 女 16歳 古書店アルバイト
イェンス・カルヴィネン(cxtp4628)コンダクター 男 50歳 作家

ノベル

 杖彦が歩きながら改めて一同に庭巡りの順番をたずねたところ、道順は任せるという答えが多く返ってきた。
 どのみち全ての庭を見学できるのだから、どこから見ても構わない、ということらしい。
 「じゃあ、おれが考えた道順でいいかなー?」と首を捻り、
「最初は、『ワイルドガーデン』に行こう」
 庭師はおもむろにそう告げると、広大な庭をひょこひょこと進んでいく。
「いいお天気ね。日傘を無粋に感じてしまうほど」
 フリルで縁取った少女らしい日傘をさし、東野 楽園が庭師と並ぶように歩く。
「花を見ながらのお茶会は、故郷に居たころ良くしていたのよね」
 薄紅に白と赤を配したドレスをカジュアルに着こなしたティリクティアが、後のお茶会も楽しみと二人に続いた。
「緑に囲まれていると気持ちが清々しくなるよね。これは、どの世界でも同じなのかなぁ」
 故郷が植物によって守護されていたことや、その身の半分が樹木神ということもあり、橘神 繭人はいつもよりのびのびとこの催しを楽しんでいた。
 そこへ、イェンス・カルヴィネンが声を掛ける。
「やあ。ロワンタンではお世話になったね」
 声の主に気付いた繭人の表情がぱっと輝く。
 二人は、かつて世界横断運動会にて一緒に行動をしたことがあるのだ。
「公邸の庭ってだけあって、広いし手入れが行き届いてて綺麗なモンだなー」
 目をキラキラさせながら、音成 梓は杖彦に向かって写真を撮っても良いかと問いかける。
「せっかく来たんだし、いくらでも撮っていくといいさー」
 なにかしら制約があるものと思っていたものの、すんなり許可が出たとあって、梓は遠慮なくシャッターをきりはじめた。
 南河 昴は予祝之命とともにしんがりを務めながら、庭師の姿を見てこんなことを考えていた。
(もしかして、ライオンとブリキの庭師さんもいる? ……のかな。エメラルドキャッスルもあるし)
 あとで聞いてみよう。
 そう決意し、皆の背を追った。


  ◆ ◆ ◆


 しばらく歩くと園路とわかるレンガの敷石がなくなり、代わりに道とわかる程度の砂利が敷かれはじめた。
 柵も木片を継ぎ合わせ、なんとか形を保っているという簡素な作りだ。
 周囲は背の高い木もあり、日差しがさえぎられてやや薄暗く感じられる。
 足下には野草が生い茂り、並木や花壇といった整えられた様相のものは見あたらない。
 眼前に小さな池が見えはじめたところで杖彦が振り返り、両腕を大仰に広げた。
「公邸の庭へようこそ! ここが『ワイルドガーデン』さー」
 その言葉に、さぞや美しい庭が見られるのだろうとデジカメを構えていた梓が、すっとんきょうな声をあげた。
「えっ。これが庭!?」
 改めて周囲を見渡すが、木立の中に草木が好き放題に生えているようにしか見えない。
「ずいぶんと、退屈な場所ね」
 楽園はローズガーデンが目当てで参加していただけに、花が乏しく彩りにも欠けるこの場所はあまり興味をもてないようだ。
「俺も、こういう趣向の庭園を見るのは初めてだよ」
 繭人が感心したように足下を見やった。
 一応の砂利道が敷かれておりそれが小道とわかるが、生い茂る野草に覆われ、実際にその場に立たないと道の先が見えない。
「整形式の庭園とは違って、自然の姿をあるがまま取り入れて造られた庭。それが、『ワイルドガーデン』なんだ」
「美しく整えられた庭も素敵だけど、こういう自然のままの庭もまた素敵ね」
 ティリクティアは庭師の言葉に故郷の友人を思いだし、微笑む。
 思いかえせば、彼が思うがまま野花を咲かせていたのは、自然そのものの風情を楽しもうという考えがあったのかもしれない。
「僕の家は都市部にあるから、こういう荒削りな景色の方が、より自然を感じられる気がするね」
 イェンスはそう感想を漏らし、濃厚な空気を吸いこむべく深呼吸をくり返した。
 外界と切り離されることで、時間が止まったような錯覚に陥る。
 途方もない時間と労力の上にこの場が成り立っていると思うと、イェンスは庭師たちに頭がさがる思いだった。
 むせかえるように茂る緑の中に立っていると、自然との一体感を感じるようだ。
「こんな風景のなかで、夜の星が見れたらいいのにな」
 昴は池に落ちかけたロボットフォームセクタンのアルビレオを腕に抱え、水面に映りこんだ濃緑をのぞきこむ。
 ワイルドガーデンはまさに、庭を愛でると言うよりも、風景全体を愛でる庭といった方が良いだろう。
 一行は濃密な緑の空間を堪能した後、次の庭へ向かった。


  ◆ ◆ ◆


「『ローズガーデン』はこっちだよー」
 杖彦が手招く先にはレンガ造りの堅牢な壁があった。
 梓やイェンスの背をも越え、圧倒的な高さで一同の視界をふさいでいる。
 庭師の立つ前には一枚の扉があり、皆が扉の前にそろうと、人さし指をそっと口元に当てた。
「『ワイルドガーデン』とはここでさよならだ。さあ、みんな扉の先に注目して」
 一同が見守るなか、庭師が扉に手をかける。
「いち、にい、の、さん……!」
 三つ数えた後、一気に扉を開け放つ。
 ほのかに漂うあまい芳香。
 そして――
「……わぁ、綺麗!」
 昴が目を輝かせたのも無理はない。
 扉の先には、色とりどりの薔薇が視界一面に咲き誇っていた。
 急に世界が明るくなったようだ。
 ワイルドガーデンとの落差に驚かされながら、楽園が真っ先に第二の庭へ進む。
「ああ、とてもいい匂い」
「これこれ! こーいうのを待ってたんだよ!」
 薔薇園と呼ぶにふさわしい庭を前に、梓もデジカメを手にシャッターチャンスを探る。
「この壁は、二つの庭を惹き立たせるためにあるんだね」
 背後に広がる殺伐とした自然風景と、扉の先に広がる彩りあふれる景色を見比べ、繭人は感嘆の声を漏らしながら扉をくぐった。
 昴は目についた薔薇の名を、ひとつひとつ庭師に尋ねていく。
 庭園にある草花は、この庭に限らず、主に壱番世界のものを育てているのだという。
「杖彦さん、この紫色の薔薇は?」
「オールドローズの中でも古い、フランス種の【カルディナル・ドゥ・リシュリュー】だな」
「こっちの薄ピンクの薔薇は?」
「それはイギリス種の【ヘリテージ】」
「この真っ赤なのは?」
「それは日本種の【朱王】さー」
 庭師は律儀に答えていく。
「古くからある薔薇を『オールドローズ』。品種改良でつくられたものを『モダンローズ』っていって、由来ごとに分けるんだ」
 『オールドローズ』は主に薔薇の原種を指す。一季咲きで花の色彩も限られるが、繊細で優雅な姿のものが多く、香りも豊かだ。
 『モダンローズ』は主にひとの手を加えた品種を指す。四季を問わず咲くものが多く、より華やかで見栄えのある色と形が特徴だ。育てやすく品種改良もされており、庭造りの主流にもなっている。
 由来も様々あれば、木の形――樹型も多彩だ。
 高さ1.5m以上にも育ち、直系15cmという大輪をつけることも珍しくない『ハイブリッド・ティー系』。
 樹高1mほどで直系10cm前後の中輪花を多くつける『フロリバンダ系』。
 『ミニチュアローズ』は樹高15~40cmで、花の直径も2cm程度と小ぶりな種類だ。
 つるを伸ばすものは『クライミングローズ』と呼ばれるなど、長くひとと共に在った花だけあって、その系統は奥深い。
「へぇえ。こんなにたくさん種類があるなんて知らなかったな」
 昴は改めて薔薇園を眺め、まだまだ興味が尽きない様子だ。
「失礼。杖彦君、今の説明、メモをとっても構わないかな?」
 0世界にある借家の庭のためにも勉強をさせてもらえたら、とイェンスが問いかける。
 問われた庭師は、がくがくと頭を揺すって喜んだ。
 布袋からわさわさとわらがこぼれ落ち、予祝とティリクティアが慌ててかき集める。
「おれがひとの役に立てるっていったら、庭のことくらいだしな。こんな説明が役立つならいくらでも!」
「ありがとう。それなら、他では見られないような珍しい草花についても教えて欲しい。うちの子達にも話してやりたくてね」
 イェンスの質問がひととおり済んだところで、ティリクティアが拾い集めたわらを渡しながら、杖彦に問いかける。
「私もこんな風に薔薇を育てたいわ。薔薇をうまく育てるコツって、あるのかしら?」
 杖彦は、「ああー、どおりで頭が軽いと思ったんだ」と言いながらわらを受け取ると、首元からぐいぐい押し込み、布袋の口を絞り直す。
「育てる場所や、気候にもよるかなー。まあ手軽に鉢植えを楽しむなら、ミニ薔薇や中輪の種類を選ぶといいさ」
 花は水はけの良い土に植え、風通しが良く、日当たりの良いところに置いてやるのが鉄則だ。
 水は芽が出るころに多くやり、葉にはかけないこと。
 四季咲きの花なら肥料を欠かさないこと。
「咲き終えた花は、次に咲く花のために早めに切り落としてしまうのも大切なんだよね」
 繭人も話に加わり、やがてイェンスとティリクティアの三人でベンチに座りこみ、ガーデニング談議に花が咲いた。


 ひと心地ついた庭師に向かい、くるくると日傘を回しながら楽園が問いかける。
「杖彦さんは案山子なのね。こんなお伽噺があるのをご存じ?」
 そういって、ある物語のタイトルを挙げる。
 「あ、それ、わたしも同じことを思った」と、昴も花壇から顔をあげ、話に加わる。
「ライオンとブリキの庭師って、いたりするの?」
 少女二人に問いかけられるも、庭師は首をかしげるしかない。
 その物語を、知らないのだ。
「壱番世界のお伽噺ですよ」
 話の見えない杖彦に、司書が手短に物語を語って聞かせる。
 内容については納得したものの、杖彦は笑って否定した。
「残念だけど、ライオンとブリキの庭師は知らないなあ」
「閉ざされた花園が出てくる小説も、あったわね」
 ぴたりと日傘の回転を止め、楽園が穏やかな口調で続ける。
「この花園は一体どんな秘密を隠しているのかしら。……貴方はご存じ? 杖彦さん」
 楽園の顔には日傘の影が落ちており、その表情は見えない。
 杖彦は楽園に向きなおり、首をかしげた。
「その小説がどんな内容かは知らないけど、この庭に秘密があるってことはないんじゃないかなー?」
 それは、庭師の本心からの言葉のようだった。
 楽園がさらに言葉を重ねようとした時、
「杖彦、ちょっと教えて!」
 ティリクティアの呼ぶ声に、杖彦がひょいと頭をさげる。
「わるい。ちょっと、あっちの話も聞いてくるな」
 杖彦はそう告げ、ひょこひょこと走っていく。


 庭師と入れ違いに、イェンスがベンチを離れた。
 杖彦を加え、繭人とティリクティアのガーデニング話はなおも続く。
 梓と昴は好奇心旺盛なお互いのセクタンを追いかけ、庭の先にあった温室で面白い写真を撮ろうと駆けまわっているようだ。
 楽園は嘆息し、小さく独りごちる。
「この子達には棘がある。でもそれは他人を傷付けるためじゃなく自分を守る為。……怖がりなのよ。まるでだれかさんそっくり」
 少女の独白を耳にし、イェンスはかつて共に在った妻を思いだしていた。
 妻は美しいだけでなく、狂気と言う名の棘を持っていた。
 だがはたして、妻の棘は少女の言うような生やさしいものであっただろうかと、手首に巻いた『グィネヴィア』を知らず指先で撫でる。
 一方、楽園の眼前には予祝が佇んでいた。
 足下に影が伸びていたこともあり、予祝は楽園が背後で独白を零していると気付いていた。
 だが、なにも言わずに、花を見つめ続けた。
 楽園も返事を期待するでなく、続ける。
「この子達も、生まれ持った棘で他人を、自分さえも傷付けてしまう因果な葛藤に苦しんでいるのかしら」
 司書は眼前にあった花に手を伸ばす。
「……小娘じゃあるまいし。くだらない自己投影だって嗤って頂戴」
 ――シャキン
 鋭利な音が響き、足下に一輪の薔薇が落ちる。
 予祝の手には剪定(せんてい)ハサミが握られていた。
「剪定は、木を若返らせるために行うそうです」
 ゆっくりと楽園を振り返り、続ける。
「コツは、良い芽の上で切ること。良い芽を探し、その上で切る。そうすれば、また立派な花が咲くそうです」
「……勝手に切ったりして、杖彦さんに怒られるわよ」
 棘を含んだ言葉を投げかけるも、
「問題ありません。これは先ほど、杖彦さまからお借りしたものですから」
 そうして手にしていたハサミを持ち直し、柄の部分を楽園に向ける。
「いかがですか」
 問いかける司書の表情は、目隠しのせいで伺いしれない。
 楽園はしばしその柄を見つめた後、奪うようにハサミを手にした。
 独特の流線を描く剪定ハサミは重く、楽園の手にしっくりと収まる。
 司書の手に日傘を押しつけ、楽園は花壇をくまなく見てまわった。
 やがて一輪の薔薇をわし掴みにすると、ためらうことなく、その茎にハサミを入れる。
 司書は日傘をくるくると回しながら、その様子を眺めていた。
 ――私が心を捧げる相手は決まってる。
 楽園は、てのひらに残った真紅の花弁を握りしめた。
 ――私がこの手で、あの人の胸に真っ赤な薔薇を咲かせるの。
 イェンスは足下に転がってきた薔薇を拾いあげ、表情を曇らせた。
 花は、まだらに変色していた。


  ◆ ◆ ◆


 病気にかかった薔薇の応急処置をした後、杖彦は気を取り直して一同を次の庭へ誘う。
「三つ目の庭は『キッチンガーデン』だねー」
 菜園とハーブ園からなるここは、公邸の料理に使われる植物を中心に育てられている。
 庭園の中では最も実用的で、身近なものかもしれない。
「俺、この庭を一番楽しみにしてたんだよな!」
 梓は料理好きとあって、元々公邸の厨房で使われているハーブや野菜に興味があったのだ。
「どの庭もすげーよなー。ここぞとばかりに見に来てよかったぜ」
 植えられた野菜を見て、どんな料理に合うだろうかとついレシピまで考えはじめてしまう。
「ここにある植物は一般的なものとか、よく使われるものを中心に、庭師が選んで育ててるんだ。厨房の甘露丸に頼まれたら、それを植えたりとか」
「アリッサの好きな野菜なんかも育てられているの?」
 ティリクティアの問いに、杖彦が首をかしげる。
「館長の好きな野菜はわからないけど、カモミールやミントのハーブティーをよく飲むって聞いたことがあるかなあ」
「なあ、ちょっとで良いから、ハーブを分けてくれないかな」
 梓が申し出れば、
「僕も、香りのきつくない物があれば分けていただきたいかな」
 ハーブの苦手な同居人がいるのでと断りを入れ、イェンス。
「わたしも。司書さんに、ハーブティーつくってもらいたいんです」
 前に飲む機会があったとき、飲み損ねてしまったからと、昴も挙手する。
「たくさんは無理だけど、ちょっとずつなら良いって言われてる」
 杖彦の言葉に、繭人が進み出た。
「あの、それなら、俺の能力が役に立てるかも」
 ためしに、手近にあったハーブを勢いよく成長させて見せる。
 繭人は自身の能力で、植物の成長に干渉することができるのだ。
 これなら、量を採らずとも多く持ち帰ることができるだろう。
 「便利な能力だなー」と感心した後、庭師は先ほどの問いに答えるべく、それぞれのハーブの元へ案内する。
「料理に使うならスープの薬味やソースに使えるバージル。フェンネルは魚料理に合うって聞いたことがあるな。匂いのきつくないのなら、セルフィーユとか、ローレルはどうかなあ」
 それぞれを摘み採りながら、渡していく。
「疲れに効果のあるハーブティーって、あるのかな?」
「疲労回復なら、消化不良や胃腸の疲れに効くレモングラス。ビタミンCが多くて免疫力を高めるローズヒップ。ローズヒップには、眼精疲労にも効くハイビスカスをブレンドしても良いさー」
「も、もう一回おねがいしますっ」
 昴はトラベラーズノートを取りだし、杖彦の言葉を必至で書き留めた。
「あんたたちは、いいのかー?」
 楽園と予祝に声を掛けるも、二人はそろって首を横に振る。
 庭を眺めるのはともかく、ハーブを使って何かしようというところまでは興味が至らないらしい。
「じゃあ、お待ちかね。次が最後の庭だな」
 やっとお茶会に呼ばれることができるとあって、一同は歩き疲れた足を弾ませ、先を急いだ。


 『キッチンガーデン』と『プライベートガーデン』を繋ぐ道すがら、先頭を歩いていた梓が「あ、そういえばさ」と、振り返る。
「今回立ち入り禁止の『妖精の庭』って杖彦、君? は、見たことあんの?」
 誰もが、問いかけたいと思いつつ、それをためらっていた。
 梓の言葉は、集まった皆の思いを的確に代弁していた。
「……あーと、変な意味じゃなくって。こんだけ綺麗な庭ばっかりだからそこもすげぇ綺麗なんだろうなって思ってさ。見たことあるならどんなのかちょっと聞いてみたいなー、なんて」
 問われた杖彦に、皆の視線が集中する。
 案山子姿の庭師は、ぼりぼりと頭をかいていた。
 先ほど詰め直したわらが、再びばらばらと落ちていく。
「見たことは、あるよー」
 でも、あそこは立ち入りが制限されているから。
 と、庭師は空を見あげるようにして語る。
「『妖精の庭』は庭っていうより、ちょっとした森みたいなところなんだ」
 先ほど訪れた『ワイルドガーデン』よりももっと深い緑がある場所で、木陰が多いため湿気も多く、他の庭に比べると陰気な雰囲気だという。
「地面は苔で覆われてるし、あちこちキノコが生えてるし。遊びに行って、楽しいようなところじゃないんだよなあ」
「へー……」
 てっきり、もっと華やかな庭を想像していた梓は、庭師の回答に拍子抜けしてしまった。
「楽しくなさそうでも、興味はあるのよね」
 ティリクティアが上目遣いで庭師を見あげるも、
「あの庭は庭師の立ち入りも制限されてる。おれの一存でどうにかなる話じゃないんだなー」
 質問はこれで終了ととった杖彦が再び歩きだし、皆を手招く。
「ほら。そこの薔薇のアーチを抜けたら、『プライベートガーデン』だ」
 先を行く庭師を見送り、梓は落ちたわらを拾い集めた。
 質問をしている最中も、わらが気になって仕方なかったのだ。
「とりあえず、あとであの布袋にヘアピン刺したり、帽子を被せてみっか……」
 同行者たちの背を見送ってなお、金髪の少女と司書はその場に佇んでいる。
 頬をふくらませ、ティリクティアは納得がいかないようだ。
「予祝だって、気になるでしょ」
 傍らに佇む司書は、黙ってかぶりを振る。
「その衣装は、冒険には向きませんよ」
 「さあ、行きましょう」とうながし、二人は四番目の庭に向かった。


  ◆ ◆ ◆


 『プライベートガーデン』は公邸の中庭にある。
 先ほどまで見てまわっていた庭に比べれば小規模ではあったが、その広さは主がくつろぐのには充分過ぎるほどだ。
 敷地内にはあずまやや噴水があり、四季を巡り多彩な彩りをはなつよう、いくつもの花壇がふんだんに設けられている。
「今日巡ったどの庭も見応えのあるものだったけれど、こういった生活空間にこそ、英国庭園のこだわりと奥深さを感じるね」
 イェンスはそう漏らすと、持ちこんだカメラで周囲の情景を写真におさめた。
 庭巡りの間に準備が整えられたのだろう。
 一同はあらかじめ用意されていたテーブルに招かれ、お茶とお菓子を前に憩いのひとときを楽しんでいた。
「一回で良いから、こういう庭で紅茶淹れてみたかったんだって! いいだろ?」
 梓は皆が席に着くのを待ってティーポットに手を伸ばす。
 本職ウェイターの血が騒いで仕方ないらしい。
「でも、客人を働かせたらおれが怒られちまうし!」
 杖彦は自分が叱られてしまうと慌てたが、
「梓さまの言葉通り、最初の一杯だけという条件でお願いするのはいかがでしょう」
 「障りがあるようでしたら、わたくしも一緒に怒られますから」という予祝の提案を受け、庭師はしぶしぶ了承する。
「言っておくけど、紅茶にはうるさくてよ?」
 楽園がちらと梓を見れば、彼もプロなりに自信があるらしく「お任せください、お客様」と恭しくお辞儀をしてみせる。
 お茶が入るまでに、差し入れを持ち寄った二人が一同に品を勧める。
「今日はとっておきのを持ってきたのよね」
 テーブルにはティリクティアが出発前に預けた、ハローズの特製ベリーパイが切り分けて置かれていた。
 見た目に華やかなベリーとサクサクのパイ生地は、一度食べたらやみつきになるとターミナルでも人気の焼き菓子だ。
「このクッキーとパンケーキは、わたしから」
 昴がおずおずと勧めた皿には、雪だるまや人形をかたどったクッキーが並んでいた。
 どれひとつとして同じ表情のものがないのが、作り手である昴のこだわりだ。
「可愛くて、食べるのがもったいないねえ」
 繭人の言葉に、昴が「ありがとう」とはにかむ。
 こんがり焼けたパンケーキからは、香ばしいかおりが漂う。
 その他にも、テーブルの上には新鮮なフルーツや、キッチンガーデンで採れた野菜の盛り合わせなど、様々な軽食が並んでいる。
「おれはごらんの通り飲み食いができないから、遠慮なくみんなで楽しむといいさー」
 美味しいお茶と食べ物があれば、集まった皆の会話も自然と弾む。
「こんな素敵なお庭を独り占めだなんて、館長も意外と強欲ね。……もっとも、気持ちはわからなくもないけど」
 楽園がそうこぼすのへ、
「ここは植物の力が満ちているから、なんだか俺まで元気になるような気がする」
 繭人は皿の上のケーキを小さく削り、ゆっくりと口に運んでいた。
 もともと食は細いので、あれもこれもと頬張るわけにはいかないが、ゆっくり食べて怒る者が居るわけでもない。
「普段からここの庭が解放されていないのはとっても残念だけれど、私がいた神殿の中庭も、ある程度の地位のひと達しか入る事ができなかったのよね」
 特定の者しか踏み居ることができないから、訪れる者は心安らかに過ごす事ができる。
 つまりは、そういう事なのかもしれないとティリクティアは思った。


 昴は予祝と杖彦に向かって、ロストメモリーの生活について話を聞きたいと言った。
 昴自身、かつては世界司書になりたいと考えていたという。
「ふたりとも、出身世界のことを考えたりはしないの?」
「ええ」
 と、予祝が即答する。
「記憶にないものは、考えようがありません」
「おれも毎日庭仕事をしてるのが楽しいから、前にどこで暮らしてたとか、どうでもいいかなー」
 表情をうかがうように、質問を重ねる。
「知りたいとも、思わない?」
 司書は昴の目線を受け、ひらいた口を一度閉じた。
 一呼吸した後、答える。
「もし知ることができたとしても、わたくしはやはり『ここに在る』ことを選ぶような気がします」
 姉に再び自分を忘れられるのは悲しいとも思っていた昴は、二人の回答にこころが揺れた。
「みんながわたしのことを忘れてくれるなら、それがいいって思ってたんだけど……」
 ティーカップの底を見つめたまま黙した昴に、司書は言う。
「わたくしからすれば、その『迷い』は貴いものです」
 予祝には、もはや『迷い』を抱くだけの記憶が存在しない。
 0世界に帰属するということは、その『迷い』さえも手放すということだ。
「気が済むまで、悩み抜けば良いのだと思います」
 そうしてあがくうちに、いずれ己の本当の気持ちに向き合うことができるのではないか、と、司書は昴の焼いたクッキーをほおばった。
「……嗚呼、美味しい」
 楽園は梓の淹れた紅茶を飲み干し、ほうっと息を吐く。
 ティーカップに残る紅茶の香りを楽しんだあと、改めて庭園を見渡す。
 幼いころは、こんなふうに薔薇園を歩けるなんて夢にも思っていなかった。
 目当てのローズガーデンを堪能でき、こうしてのどかな時間を満喫することもできた今、楽園はそれなりに今日の催しを満喫していた。
 ――本当はあの人と来たかったけど……いいの。いいのよ。もういいの。


「みんな、オープンガーデンは楽しんでもらえたかしら」
 やがてアリッサが挨拶に現れ、一同に声をかける。
「今日はお招きありがとう。いろいろと勉強になったし、土産話もできて充実した時間を過ごすことができたよ」
「俺も、植物の話がたくさんできて楽しかった」
 イェンスと繭人が、アリッサと杖彦に向かって礼を述べる。
「どういたしまして。私も、みなさんに楽しんでもらえたなら嬉しいです」
「おれも、あんたたちと話しながら庭を歩けて、楽しかった」
 杖彦が麦わら帽をひょいと持ちあげ、深々とお辞儀をする。
 「そうだ!」と、とつじょ梓が立ちあがる。
「せっかくだし、ここにいるみんなで記念撮影しようぜ!」
 滅多に入れない庭で、せっかく縁のあった者たちなのだ。
 記念のひとつも残しておけたなら、在りし日の記念となるだろう。
 居合わせた公邸のメイドにデジカメを託し、梓はともに庭園を訪れた五名と庭師、司書、そしてアリッサの総勢九名を噴水の前に集めた。
 女性陣が中央に並び、左右を男性陣が固める。
 風がかけぬけ、木々がざわめく。
 楽園が空を見あげ、つぶやいた。
「ここは秘密の花園。綺羅のように大事な思い出が詰まった宝石箱なのね、きっと」
 素晴らしいものがあるのだと自慢したくてたまらない。
 けれど大切に思えばこそ、隠して、自分だけのものにもしたくなる。
「それじゃあ、みんな一番いい笑顔で!」
 梓のかけ声に、皆が緊張した面持ちでカメラに向かう――。



 時を惜しめと、汝等に告ぐ。
 今というこの時。
 摘めるうちに花の蕾を摘みなさい。
 いつ何時も悔いることのないように。

 "今日という日の花を摘め"



クリエイターコメントこのたびはシナリオへのご参加、まことにありがとうございました!
以前にもご縁をいただけた方が多く、始終楽しく書かせていただきました。
撮影した記念写真は司書が焼き増しして、みなさまの元へお届けしたいと思います。
ぜひ、記念の一枚としてお手元に置いてくださいませ。

それでは、また別の機会にお会いする、その時まで。
公開日時2012-04-05(木) 21:40

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル