『フォーチュン・グッズ』はターミナルの賑やかな通りから少し引っ込んだ、細い路地の奥にある。たいていは静かな店内で、より物静かな黒づくめの服の店主、ロンが掌サイズの様々な品物を売り買いしているだけなのだが。『私には尾がない 私はケネディを知らない 私には愛がない 私は貝ではない』「おや?」 今日は耳障りで調子っぱずれの歌声が響いている。 首を傾げながら黒い金属扉を開くと、うっとうしそうな顔をして立っていたロンが振り返った。「いらっしゃいませ、何をお求め」『私はCDではない 私には重さがない 私は問わない 私はみかけ通りではない』 店の中に入るとよりざらざらとうるさい感じの歌声が響き渡る。 よく見ると、それはロンの掌に載せられている小箱から鳴っているようだ。黒くねっとりした塗りを施されたサイコロのような箱の表面には、金色の飾り文字で『V』『W』『Y』『Z』『M』『L』がそれぞれの面に書かれている。「…申し訳ありません、お騒がせしまして」 ロンが少し声を張り上げた。「昨日手に入れたもので、壱番世界から来たもののようですが、この通りずっと鳴り続けて止まらないのです」 しかも次第に声が大きくなってきているようで。「放置するわけにもいかず、かといってこのままではいい加減ぶち切れてたたき壊したくなりそうで」「でしょうね」 声を止める方法があるにはあることはあるんですが。 ロンは古びてぼろぼろになった紙切れをそっと広げた。『…を鳴らせば黙ります』「何を?」「その部分がこの通り、穴が空いてしまっています」 だから困っているんですよ。「鳴らせば、というからには、何かの音なんでしょうね?」「たぶんそうでしょう。いろいろ試してみたんですが」 目覚ましの音、クラッシック音楽、鳥の声、人の悲鳴、風や波の音、警笛音。「一瞬止まりかけたのは最後の警笛音だけで、後は全くだめでした」『私は先生ではない 私は生徒でもない 私はもちろんハチではない〜〜!』「うわわ」 小箱は満足そうに叫んだ後、再び歌い始める。『私には尾がない! 私はケネディを知らない! 私には愛がない! 私は貝ではない!』 その声は明らかにさっきより大きく、不快感の増すものになっている。「実は、この歌が鳴らす音のヒントじゃないかと思うんですが」 ロンが小箱をできるだけ遠くに置いてきながら、うんざりした顔で振り返った。「僕には謎が解けません」 何とかあいつを黙らせてもらえませんか?「どうしても駄目なら最終手段も」 ロンがするりと抜き出したのは細身の拳銃、かなり頭にはきているらしい。「ま、まあちょっと待って、歌にヒントね、ちょっと考えてみるよ」「よろしくお願いしますね」 小箱までの距離をはかりながら、ロンが据わった目で頷いた。
「しかし、一体何だろうな、これは」 西光太郎は首を捻る。自称、コンダクター含め『百の職を持つ男』、様々な知識を広く浅く持っていることにかけては自信があるが、小箱の正体については想像がつかない。 「新手の目覚ましか?」 「それにしては鳴り続けというのが腑に落ちませんわ」 大事な友人、理恵に何か小物を買おうと店に立ち寄ったシャルロッテ・長崎が一緒に首を傾げた。 「でも、なかなか興味深い小箱ですわね。謎解きというのはとても好きですわ」 澄んだ青い瞳で微笑む。 「ちょっと解いていきましょうか」 「何かの目的で作られた道具だとは思うんだ」 光太郎が頷きながら、 「正体がわかったならちゃんと使ってあげたいな。…まあ、ロンが迷惑してるようだから、音はとりあえず止めるとして」 「正体がわからなくても構いませんが」 ロンが眉間に縦じわを寄せつつ、光太郎を振り返る。 「あいつを黙らせてくれるなら」 「あ、でも、でもね」 さっきから歌声にもめげずに小箱に近寄り、あちらこちらから眺めていた新井理恵が、慌てたようにロンと小箱の間に滑り込む。 あたし、頭使うの、壊滅的に駄目だから、とつぶやきながら、そっと小さな袋を取り出した。 「きっと、意味があると思うんだ、この小箱。だから、フォーチュン・クッキーでも摘んで、ちょっと落ち着いて……どこでこの小箱手に入れたのか、話してくれると、何かわかるかもしれないでしょ?」 「フォーチュン・クッキー、ですか」 何を思い出したのか、ロンの眉間が少し緩んだ。小箱にきっちり狙いをつけていた銃を下ろして、もう片方の手で理恵の差し出したクッキーを摘む。 「厳密に言うと、僕が手に入れたのではなくて送りつけられてきたんです」 かり、と小さくクッキーを齧って、溜め息をついた。 「送りつけられた?」 誰に? 「……フェイに」 「フェイ」 「僕の、理解出来ない不出来で不思議な兄です」 「お兄さん…」 じゃあ、ひょっとしてこれはロンへのプレゼントなのかな、と理恵は考えついたが、相手の険しい表情にそっと尋ねた。 「お兄さん、嫌い…?」 「嫌いですね」 間髪入れずに鋭い声で応えが返って、これは触れないでおいた方がいいかも、と理恵はひきつった。 「フェイが送りつけた時点で十分不愉快ですが」 じろりとロンは小箱を見やった。 小箱はあいかわらず楽しげに、ますます音量を上げ、歌い続けている。 『私には愛がない! 私は貝ではない! 私はCDではない! 私には重さがない!』 「愛がない…あいがない……あ、ひょっとして『I』がない、か?」 光太郎が不意に声を上げる。 「歌詞にヒントがあるんだろう? それなら」 私は貝(カイ=X)ではない。 私はCD(CD)ではない。 私は先生(ティーチャー=T)ではない。 私は生徒(スチューデント=S)でもない。 「…ってことじゃないのか?」 「リドルですわね」 シャルロッテがすぐさま頷いて、後を続けた。 「リドル?」 理恵が小首を傾げるのを愛しげに見返し、シャルロッテが『謎解き』ですわ、と説明した。 「『尾が無い』は『O』、『ハチ』はBeeで『B』、『重さ』はW……いえ、『G』でしょうか」 「見かけ通りではない、はどうだろう?」 「それはやはり」 シャルロッテがくすりと目を細めて笑った。 「ここは素直に『表面の文字(V、W、Y、Z、M、L)ではない』と考えてはいかがでしょうか」 「だよな」 うんうんと嬉しそうにうなずいた光太郎がリュックの中から英和辞書を引っ張り出した。 「アルファベットの中から、今上がった文字を抜いていって、残った文字を組み合わせると何か出てくるのかも」 『私はもちろんハチではない〜〜っ! 私には尾がないっ!! 私はケネディを知らないっ!! 私には愛がないっっ!!!』 「きゃんっ」 背後でなおボリュームを上げて響き渡った歌声に理恵が思わず跳ねる。 「ハチでないのはわかってる」 ロンがひんやりとつぶやいた。フォーチュン・クッキーを噛み砕いて理恵を押しのけ、 「ケネディを知らなくていい、愛がないのも十分理解した」 「ちょっとちょっとロン〜っっ!」 お願い、黙って、小箱さん、今にもこの人ぶち切れそう。 再び拳銃を構えるロンの指が引き金にかかる。 「そういや、ケネディがまだだったな」 「私は問わないというのもまだですわね」 ケネディってのは、あの有名なアメリカのやつだよな? 光太郎が綴りを確認すると、 「シャルちゃんっ」 ロンの相手をしている理恵が悲鳴じみた声で助けを求める。 「大丈夫ですわ、理恵」 いざとなれば、わたくしの神速があります。 にっこり笑うシャルロッテは、自慢の空中のコイン3枚を一瞬で貫くレイピアを、どこへ向かって繰り出そうというのか、黙らぬ小箱か、理恵を困らせるロン自身にか。 「だめだめ〜っ」 理恵はなお焦った。 光太郎とシャルロッテが考えるのを祈るように眺めても、ロンの怒りがふつふつ滾っていくのがわかる。やがて、我慢の限界が来たのか、ロンが一つ大きく息をついた。拳銃をゆっくり丁寧に構え、小箱に照準を合わせる。 「お前が僕を嫌ってるのはよくわかった。僕もお前が大嫌いだ」 きつい声で言い放つ。 「その存在、消し去ってくれる」 「や〜ん!」 とてもロンを止め切れない、そう理恵が焦った次の瞬間、するりと間に入ってきた人影がロンの拳銃を軽く押さえた。 「壊すのはやめときなって。壊した所で音が止まる保証なんてどこにもないわけだし」 「む」 ぴくりとしてロンが引き金から指を外す。 「こりゃまた、人騒がせな箱さんだなァ」 入ってきたのは鰍、ベージュに近い薄いピンクの髪でもつれているのやら遊んでいるのやら、フォックスフォームのセクタンを連れている。修羅場に似合わぬ笑みは不敵にも見える。 そのまま、真鍮のウォレット・チェーンを揺らせながら、ロンが銃を向けている先に平然と歩んで小箱に近づいた。 「オルゴールにしては騒がしいし、録音機械か何かかね?」 取り上げてぐるぐる指先で弄くってみている。楽しそうな横顔とは裏腹に素早くて鋭い視線で正体を見極めようとしているようだ。指先の動きがしなやかで、黒い小箱が金の飾り文字を煌めかせながら、漂うように鰍の掌で躍る。 「これでもいいかもしれねぇなあ」 一緒に住んでるのに音の出るおもちゃみたいなものが何かないかと思ってきたんだが。 「止まらないのはきついか…でもまぁ、楽しそうだからいんじゃね?」 にこやかにロンを振り向けば、 「楽しそう」 ロンが再び眉をしかめた。言語道断、そう言いたげな顔ながら、客に銃口を向けているのはまずいと考えたのだろう、渋々手を下ろす。 鰍は苦笑しながら、光太郎とシャルロッテの方へ軽く片目をつぶって見せる。 「さっきの続き、ケネディを知らないは『JFK』、『問わない』は『Q』ってとこでいんじゃね?」 「あ」 「ええ確かに」 光太郎がいそいそとメモの文字を消した。 「とすると、残りは」 『AEHNPRU』 「うーむ」 光太郎が腕組みをして、並べたアルファベットを見つめる。 「何かの単語になるか? HANERUP…はデンマークの地名だし、違うだろうなあ。 PHANEUR…は人名っぽいし」 「英語系でしょうしね」 シャルロッテの考え込む。 「何かを鳴らせば止まるらしいんです」 理恵が鰍にヒントを伝えた。 「何かを鳴らす?」 鰍が小箱をひねくりながら理恵に渡す。 「警笛の音で一瞬止まりかけたって」 急いでロンから距離を取りながら、理恵がうなずいた。 「ふうん……警笛の音ねえ」 クラクションか何かかな、と鰍がつぶやき、シャルロッテが思いついた。 「単純に考えたら、『P』あたりは必ず含まれる音、ということですわね?」 アルファベット尽くしなら、『P』というのはあり得ますわ。 「あ、そうか!」 光太郎がはっとしたように辞書を確認した。 「TEACHERとSTUDENTか!」 周囲が首を傾げるのに、ほら、他は文字単体だけど、この二つは違うからさ、と残った文字から含まれるアルファベットを取り除く。 『P』 「『P』か……くくっ」 鰍が小さく笑った。 「それって放送禁止用語に当てる音でもあるよな?」 『私には重さがないっっっ!!! 私は問わないっっっっ!!! 「とにかく、それを一度叫んでみたらどうだろう?」 「一斉に?」 「一斉に」 「よし、じゃあいくぜ」 せーの。 「『P』ーっっっ!!!!!」 『私はみかけ通りではなっ……』 4人の叫びが理恵の掌の小箱に四方から降り注いだ瞬間。 「きゃっっ」 「理恵っ」 小箱はいきなり弾けた。 怯んだ理恵に慌ててシャルロッテが身構えて庇おうとする、だがほんの一瞬でぱたぱた開いた小箱は小さな紙を一枚吐き出し、くるりと裏返って、見るも鮮やかな薄紅の小さな箱に変化した。 表面には、真珠色の文字で『P』と一文字。 そして、店の中に漂ったのは、痛いほどの沈黙。 「……黙ったな」 「黙りましたわね」 「……うん」 「ありがとうございました」 ロンが拳銃をしまい込みながら頭を下げ、床に落ちた紙を拾った。 「皆様のおかげで僕も…」 「……ロン?」 動きを止めたロンが顔を強張らせ、理恵が心配そうに声をかける。 「何かあったの?」 「…いえ」 またつまらないものが見つかってしまっただけです。 ロンがむっつりしたまま、拾った紙を4人に差し出した。 『ハッピーバースディ、ロン。 道為す聖句には辿りついたか? フェイ』 「やっぱり…」 ロンさんへのプレゼントだったんだ、と理恵はロンを見たが、相手は依然険しい表情で視線を彼方に向けている。 「『道為す聖句』?」 「ああもうそれは気になさらずに」 ロンは平坦な声で応じた。 「僕とフェイの間で長い間やりとりしている冗談です」 「冗談とは?」 興味を引かれたらしいシャルロッテが尋ねる。 「…つまらない話ですよ」 「聞きたいな」 光太郎が促す。 「………世界を構成する秘密を先に手に入れた方が相手に知らせようと」 「ふぅん」 「『道為す聖句』……」 光太郎が何か引っ掛かるんだが、という顔で首を捻りながら繰り返す。 「『道為す聖句』…」 「完全に黙っちまったな、こいつ」 鰍が理恵の掌から小箱を取り上げた。 「見かけも綺麗になっちまったけど」 黙ったままってのも寂しい感じだな。 鰍の指先でくるくると動かされるそれは、さっきまでの騒ぎを忘れたようにただただ弄ばれているだけだ。 「無事に音が止まって、誰も要らないなら、譲り受けようかと思ってたんだが」 鰍が残念そうにつぶやいた。 「賑やかになりそうだし、うちの子達も喜ぶかもな、って」 これじゃあ、ただの箱だよな? 理恵の掌に戻す。 「うん…」 理恵はもう一度ロンを盗み見た。 ロンはどこか遠い所を見たまま、考え込んでいて何も言わない。 「あの……ちょっとこれ、借りていい?」 「え……ええ、どうぞ」 さっきから考えていたことを試したくて、理恵はそっと箱を掌に載せたまま、店の片隅に歩いていった。 「『道為す聖句』……何か、さっき、考えてたことがあるような気がするんだけどなあ」 「意味か?」 「残った文字を組み合わせていた時に、ひょっとしてこれもありか、と」 光太郎が眉を寄せ、しきりと考え込んでいるのに、鰍が首を傾げる。 「『みちなすせいく』」 シャルロッテがゆっくりと繰り返す。 「……みち…なす………せい……あ…っ」 光太郎がはっとしたように、メモにことばを書きつけ始める。 「何だ?」 「何かありました?」 残り二人が覗き込むのを背中に、理恵は少し息を吸い込むと、みんなから離れた場所で手にした小箱に小さく歌いかけた。 『あたしはあなたを知らない あたしは小箱さんの正体を知らない 小箱さんの正体を教えてくれると嬉しいな その歌であなたの正体教えて』 優しい静かな語りかけに似た声が終わった次の瞬間、小箱の中で細い鎖が滑り落ちるような音が響く。 そして。 甘い声が小さく応じた。 『私は私を知らない。 私はあなたを知りたい。 あなたのことを私に話してほしい。 私の大好きなあなたのことを』 「っ!」 ロンが弾かれたように振り返るのと、光太郎が、わかった、と声を上げるのが同時だった。 「『道為す聖句』って、これ、さっきの単純にアルファベットを覗いただけの文字を、キーボードにあわせて出てくるひらがなだよ。それを組み替えたんだ!」 「……ロン」 理恵がそっと小箱を差し出す。 「プレゼントだよ」 「……」 ロンが面映そうな顔をして眺め、やがて静かに首を振った。 「……謎を解いたのは僕じゃない。だから、それは僕は受け取れません」 「……世界を構築する秘密……『道為す聖句』……PROBLEMの『P』か」 光太郎がつぶやいたとたん、再び小箱が歌う。 『私は私を知らない。 私はあなたを知りたい。 あなたのことを私に話してほしい。 私の大好きなあなたのことを』 「裏返って、『P』で鳴るようになっちまった」 鰍はくすくす笑った。 「こんなストレートな告白を、放送禁止用語の音で言わせるなんて、フェイってやつはずいぶんふざけたやつだよな?」 「足りなかったのですわ」 シャルロッテが優しく付け加えた。 「音が足りなかったのではありませんか? あなたからの、ことばが?」 「寂しいから、黙ってる本音を吐き出してくれ、か?」 光太郎が全てを呑み込む応えを一つ、提示してみる。 「ひょっとして、君の声の波長、さっきの『P』の音や理恵の歌う声に凄く近いのかな?」 語りかければ開いたのかもしれない、ロンが自分の声で、応えを教えてくれないかと。 拳銃などを持ち出さずに。 遠くへ放置しておかないで。 騒がしくても掌に載せて、ただ愛しんで。 「ロン」 理恵がもう一度、掌に載せた桜色の小箱を差し出した。 「どうする?」 鰍の問いに、ロンが再び首を振った。 「僕には受け取る資格がありません」 「でも」 「…なら、俺が預かっとこう」 理恵の掌から小箱を取り上げ、ロンに頷いた。 「ターミナルで探偵事務所をやっている。聞きたくなったら、いつでも来てくれ」 ロンは無言で静かに頭を下げた。
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