オープニング

「う…むっ」
 ホームに辿り着いたジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは、翻したスカートを押さえ、大きく目を見開いて去っていくロストレイルを見つめて唸る。
「やはり、間に合わなかったのう」
 軽く舌打ちする。
 インヤンガイでの依頼はスムーズだった。古い廃屋に満ちていた暴霊の退治は、ジュリエッタの新たに得た技能であっさり片付いた。ただ、その廃屋の持ち主がジュリエッタを歓待すると言って聞かず、しかも夜に近づくに従って、その好意がいささか怪しげなものに傾きつつあったのを何とか固辞し、ようやく抜け出してホームに飛び込んだのだが、ロストレイルは時間通りに発車、ジュリエッタはインヤンガイに取り残されてしまった。
「次の列車は……翌日昼、か」
 トラベラーズノートで問い合わせた結果に、ジュリエッタは溜め息をつく。
「夜をどこで過ごすか、じゃな…」
 もちろん、依頼者の元に戻れば、おそらく十分なもてなしが(余計なものも含め)受けられるだろう。がしかし、翌日昼の列車に無事に乗れる可能性は、なお低くなる。
 脳裏を掠めた大事な人の顔に再び小さく溜め息をついたジュリエッタは、ぱっと顔を輝かせた。
「そうじゃ、あそこならここから何とか行けたはず」
 それに、困っていると聞けば、追い返すような相手でもない。
 ジュリエッタはいそいそと夜の迫る街を駆け出した。


「まあ…いらっしゃいませ、ジュリエッタさま」
 辿り着いた『弓張月』で訪いを取り次いでもらうと、すぐさまリーラが姿を見せた。真っ青に澄んだ瞳が、眩げにジュリエッタに向けられる。
「一体どうなさったのです」
 からころと動く木の車で近寄ってくるリーラは、いつか出逢った時より大人びて、しかも微笑む目元や唇の端に匂い立つような華があった。
「夜分に申し訳ない、というより、忙しい時にまことに相済まぬ」
 ジュリエッタは静かに頭を下げた。恩も義理もある相手だが、それでも花街娼館街にとって、今は書き入れ時、猫の手も借りたい状態だろう。そんな時に面倒事を頼む、自分の立場は心得ている。
「実はインヤンガイへ仕事で参っていたのだが、戻る便を逃してしまった。困っておる時に、こちらを思いついてしまった。一夜の宿を借りられぬだろうか」
「まあ、それはそれは」
 リーラは心配そうに瞬いた。
「ご友人などはご一緒ではありませんか」
「生憎、今回は私一人が居残ってしまった」
「わかりました、ではすぐに金鳳さまにお尋ねして参ります……もし、私でだめなら虎鋭も口を添えてくれるでしょう。見回りから戻り次第、金鳳さまにお願いに上がるよう、伝えましょう」
 親しげで深い信頼を窺わせるその口調に、ジュリエッタは微笑んだ。
「虎鋭、か。リエは元気にしておるのじゃな」
「…はい」
 木の車の向きを変えかけたリーラが、嬉しそうに誇らしげに頷く。
「先日、虎鋭のお父様がいらっしゃいました。私が……私のような者が、虎鋭を望んでおりますとお伝えしても、お叱りになることなく、ただただ大きく頷いて下さいました」
 一瞬瞳を翳らせたリーラが、小さく繰り返す。
「私のような者が。本当ならば、大切な一人息子の妻には、もっと素晴しい方をお望みでしたでしょうに」
「それは違うぞ、リーラ」
 ジュリエッタが思わず首を振る。
「そなたは立派に生きておる。どんな危機にも揺らがず息子を支えてくれると信じられる者が、息子と一生を共にしてくれる、それは親にとってどれほどの安寧であろうかの」
「……虎鋭も…揺らぎませんでした」
 掠れた声で呟いたリーラが、微かに目を潤ませてにっこりと笑う。
「碌な親ではないが、よろしく頼むと」
「これは当てられた」
 ジュリエッタは笑い返した。リエ・フーが、いつものように軽く肩を竦め、しなやかな動きで肩越しに言い放つのが見えた気がした。
 ロクな親じゃねえが、頼んだぜ、リーラ。
 それはきっと、リエがリーラ以外には見せなかった甘い本音。
「おいおい、何をごちゃごちゃ話してるんだ」
 からりと奥の戸が開けられて、目元に黒い眼帯を巻いた金鳳が供一人連れず出てくる。
「聞き覚えのある声だと思ってたら、ジュリエッタか? 以前旨い料理をたくさん振舞ってくれたな?」
「久しいの、金鳳。あの時作った料理が幾皿かなくなっておったようだが」
「そりゃあ、有難く頂いたさ。後で兄貴に子どもじみたことをするんじゃないと、久々に叱られたがな。この腕ならば『弓張月』の料理番も任せられる、と虎鋭に持ちかけたが、あっさり蹴られた」
 あいつらにはあいつらの道がある、遮るなら、てめえだって許さねえぜ、金鳳、と。
「で、何だ? 今夜の宿を探しているのか」
「そうなのじゃ、今日の便を逃し、明日の便までの宿を探しておる」
「なら、決まった」
 金鳳はリーラに向かって笑う。
「虎鋭の手を煩わせるまでもねえ。今夜の客は、よほど善行を積んだとみえる。ジュリエッタにあの『とまと料理』とやらを振舞ってもらおう。今夜の宿代はそれで支払いとする」
「ありがとうございます、金鳳さま!」
「有難く感謝する」
 もう一度、深く頭を下げたジュリエッタは、促すリーラに続いて『弓張月』に上がり込みながら、腕まくりをした。
「それで、食材はどうなっておる? 足りぬものは買い足すが構わぬな?」


「ん……ふ」
 微かな悲鳴が聞こえた気がして、ジュリエッタは目を覚ます。
 起きた瞬間は、今自分がどこに居るのかわからなかった。
 薄い布団に薄い夜着。壱番世界ならば三、四畳ほどの狭い部屋。冷える空気は夜半のものだ。
「ここは……そうか、『弓張月』か」
 元々華子部屋だったと聞いた。部屋の隅に小さな鏡台、その側に衣服を入れる木箱が一つ置かれただけの質素な部屋だったが、リーラが布団を追加してくれ、行灯も一つ入れてくれ、それほど凍えるような想いもせず眠りについていた。
 またもや、壁の彼方、闇の奥から響いてくる声に不安を募らせて見回し、廊下と部屋を隔てる板戸を開ければ、磨き抜かれた廊下の果ては静まり返っている。
「今のは……あ、」
 もう一度切なげな声が聴こえて、ようやくジュリエッタは気がついた。薄赤くなりながら、急いで部屋に戻って布団を被る。
「そうじゃ……そうじゃな」
 ここは娼館、響いてくる悲鳴の意味ぐらいは、さすがにジュリエッタでも想像がつく。
「…まいったのぅ」
 布団に潜り込めば、声はもう響いてこない、少なくとも耳をそばだてない限りは。しかし、ジュリエッタも恋を知り、気持ちの揺れを感じる年頃だし、想う人はあるのだしで、全く無視もできずに悶々としている間に、はっきり目が覚めてしまった。
「……仕方ない」
 ジュリエッタは夜着の上に、与えられていた厚手の綿入れを羽織ってそっと部屋を抜け出す。ひんやりとした廊下を歩んで、ちょっと庭でも見て回り、疲れたところでまた眠ればよい、そう考えたところで、縁側の前方から来る背の高い姿に気がついた。
 薄いシャツにゆとりをもたせた上着とズボン、身動きすると微かに鎖の音が響く。茶色の髪は短く刈り上げられ、しなやかで力強い動きが、ジュリエッタの姿を認めたのだろう、ぴたりと止まった。廊下を塞ぐように立ち止まる、攻撃をしかければ一瞬にして間合いを詰め、すぐさまこちらを屠れる距離、だがしかし、すぐにふ、と気を抜いて柔らかく解れた笑顔で声をかけてきた。
「どうしたの、眠れない? ジュリエッタさん」
「…そうなのじゃ。リオは?」
「張り番の交代だよ。一人、もめたのがいて、入れ替わった」
「なるほど……いろいろと大変じゃな」
「……もう少ししたら静まると思うんだ」
 察したようにリオは苦笑する。
「お客も娼妓も眠るからね」
 けれど中には朝まで続ける剛の者も居る。
「よければ、俺達の棟で少し過ごす?」
 お茶ぐらいは入れてあげられるよ。
 軽く顎で指し示す、その首筋にふいに明るい月光が当たった。薄闇で煌めくほどに鮮やかな青い目、ちらりとジュリエッタを見やる視線は少年のものでは既になく。
 夜半に男女二人の逢瀬は危険だろうか。
 それでもリオの瞳は静かだった。年相応にというよりも、より年齢を重ねた男の賢さをたたえて、薄く笑む。
「トマト料理を金鳳は喜んでいたよ。レシピを一つ二つ教えてもらってもいいかな」
 卒なくことばを繋ぐのは、さすがに娼館育ちというべきか。
「リーラは結婚するのじゃな」
「もう少ししたら『菊花月』で宴を張る。良く思わないものもいるからね、ごく身内だけの式になる」
「姉君の婚姻、寂しくはないかの」
「…」
 一瞬リオは目を見開いた。女だね、とくすりと笑う。
「俺の初恋は秘密にしておくよ。虎鋭は背中を任せられるいい男だ。何の不満もない」
 言いおいて、リオが見上げた空には満月がかかっている。つられて、ジュリエッタも月を見上げた。
 澄み渡った夜気に白々とした光を投げている、凄艶な月を凝視する相手の顔に、アクアーリオの表情が過る。
「俺が願うのは、ただ一つ」
 自分の胸に拳をあてて、微かに目を細める。
「この命が尽きるまで、何があっても諦めずに生き長らえること」
 君たちがくれた命だから。
「でも、もし、もう一つ願いが叶うなら」
 風が小さな囁きを運ぶ。 


 幸福であるように、ただ、願う。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)

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品目企画シナリオ 管理番号3114
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございました。
使うことがないと思っていたタイトルを使わせて頂きました。
しかも、予想外にアクアーリオとの会話をお望みとは。
お膳立てだけさせて頂き、後はゆっくり会話して頂こうと思います。
ジュリエッタ様の今後のこと、想い人のこと、願いや祈りのこと、お好きなようにお話し下さいませ。

参加者
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)コンダクター 女 16歳 女子大生

ノベル

「狭いところだけど、どうぞ」
 ジュリエッタが招き入れられたのは、リオの私室かと思えば、そうではなかった。華子部屋と同じように狭い和室、数人入ればもう一杯になるだろう畳敷きの部屋、中央に短い脚のテーブルが一つ、別の部屋から持ってきたのだろう、ふんわりとした座布団だけが豪奢な織のものだ。
「女の人は冷えるといけない。これも、膝にかけておいて」
 加えて渡されたもう一枚の綿入れ夜着を、ジュリエッタは有難く折り畳んだ膝の上からかけた。
「レシピじゃったな、思いつく限り、書き残そう」
 差し出した手に厚手の紙が数枚と、古風な形の筆。
「筆…」
「もちろん、ボールペンもあるけど、『ここ』ではそういう形のものを好むんだ」
「なるほど……」
 うむむ、とちょっと眉を寄せ、ジュリエッタは使い慣れない道具を操る。壱番世界のもののように長くはなく、帯にちょっと挟めるぐらいの長さだったのが幸い、添えられた墨壺から何度も墨を足しつつ、レシピを書き綴る。
「それに、その文字はちょっとやそっとでは消せないからね」
 残しておくのにちょうどいいよ。
 一度姿を消したリオが、温かで柔らかな薫りの茶をいれてきてくれて、それを含む。
「む、これはまた」
「美味しい? 良かった」
 ふわっと優しい笑顔になったリオには、ロストレイル双子座号の時の顔も、その後の旅団との激しい戦闘時の顔も見られない。
 その笑顔を見つめたジュリエッタは、掌に包んだ茶器に目を落とした。
 窓の外にはきっとさきほどの満月が浮かんでいるのだろう。窓を開ければ、この器の茶の面に、静かに冴え渡って映るのだろう。
 その月に、ふとリーラの顔が重なった。
「トマトあんかけチャーハンやトマト入り餃子と…一先ずこれで〆じゃ」
 うわ、どれも美味しそうだね、と喜んで手に取ったリオは、もう一度、ジュリエッタの説明を聞きながら、細かなことを書き加えていく。
「俺も一つ二つ、作ってみようかな。壱番世界にあるようなトマトがあると、一層美味しいだろうから、次の依頼で頼むっていう手もあるね」
 けれど、駄目かな、異世界の生物を根付かせてしまうのは。
 考え込むリオの顔をじっと眺め、ジュリエッタはそっと口を開く。
「……わたくしの母上も決して祝福されぬ恋愛を貫き不運な目に遭っても父上やわたくしに愚痴一つ言わない強い方じゃった………もろちんリオ殿、今は虎鋭の存在もあるとはいえ、リーラ殿のあの強さはどこからきておるのじゃろう?」
「…」
 きょとんとした様子でリオが顔を上げ、やがて少し顔を強張らせるのに、ジュリエッタは急いで付け加える。
「もちろん話せる範囲で構わぬが」
「俺より……ロストナンバーの皆の方がよく知ってるんじゃないのかな」
 少しためらってから、リオは呟く。
「俺が覚えてるのは、生まれたときからリーラ、と一緒で」
 今の月陰花園と違い、男は生まれた時から、男衆にならねば捨てられると知っていた。幼子一人、放逐されれば、生きていける者は限られる。
「ただ俺はリーラとそっくりだったから」
 中にはそういう客もあるだろうと、二人で夜伽につくことになっていて、それはもう、殺されなくていいのだから、どれほど惨くて酷い状況であれ、生きているだけでましなことで。
「俺達は、そういう生き方しか選べなかった」
 生きてれば御の字。
 けれどもリーラがそれを苦にしていたのもまた事実。
「何にもできない姉なんて姉の意味がないって零してた」
 くすりと笑うリオの横顔に、一瞬リーラに似た華やかな色が匂う。
「今ならわかるけど、もうちょっとすれば花街行列でお披露目して、『双子華』で身を売り始めるという矢先、俺は遣いに出たまま帰れなくなった……ディアスポラ現象だね」
 いつも通りの道を、お遣いが遅くなったので姉が折檻されるかも知れないと急いでいた。胸には些少のお金があり、渡された文があり、少しでも速く届けなくてはならなかった、そんな時。
「…どうして、空を見上げたんだろう」
 何かに呼ばれた気がして、空を見上げた。いつだって地べたばかり見ていて、振り仰ぐことさえなかったのに、あの時は急に引きつけられて。
「……そこに、妙なものが走り去るのが見えた」
 天を駆け抜ける煌めく道。そこを疾る不可思議な箱の連なり。驚いた口を開いて、あれは何、と叫ぼうとしたとたん、足下が崩れ落ちた。
「気づいたのは洞窟だった。薄暗くて、壁を這う巨大な化物がうじゃうじゃ居て、すぐ側に居た俺と似たようなやつが、あっという間に捕まって、目の前で食べられてた」
 逃げて逃げて逃げ回って、何が起こったのか、どうしてこんなところに居るのか、けれど胸に抱いていた金も文も無くしてしまった今は、戻ったところで折檻の上、死ぬしかないのははっきりしていて。
「そこへやってきたのが、パパ・ビランチャ達だった」
 信じられない力で次々と化物を片付けて、リオや数人の似たような者を助け上げた。聞くところによると、その洞窟は『そういうこと』が起こりやすい場所で、時々『拾い集め』に来るそうだ。
「後は想像つくと思うけど」
 世界樹旅団に救われても、状況はさほど変わらなかった。パパ・ビランチャの元で旅団の侵攻に加わらなければ、あの洞窟に戻されるか、ナレンシフから外へ放り出されて終わる。
「俺は、全てを忘れることにした」
 そうしなければ、生きていけない。
「……俺がいなくなった後、リーラは、俺を逃がしたと思われたみたいだ」
 厳しい折檻はリーラの両脚の機能を奪った。
「それでもさ、生きたかったんだよ、俺達は」
 どこかで生きていると知っていた。どこかで生きていてくれと願っていた。お互いの間に張られた細い細い感覚の糸を、いつかたぐり寄せられるようにと祈っていた、再会の時が、敵同士であったとしても。
「それを、断ち切ったのが、世界図書館のロストナンバーだよ」
「それは…」
「いや、誤解しないで欲しいんだ」
 リオは新しい茶をいれ直した。鉄瓶のような入れ物から注がれた湯は、わずかに冷めてはいたけれど、茶葉を膨らませるにはちょうど良かったらしく、味わいはより深くなる。
「リーラは言ってた。頬を叩かれて目を覚まされたようなものだった、って」
 お前は誰だ、そう聞かれたような気がしたわ。
 それまで二人で一人だった。どんな傷みも理不尽も、二人で受け止め堪えてきた。けれど、花街行列から攫われて、決められた未来から外されて、ようやく気づいた、リオにはリオの、自分には自分の運命があるのだと。
「人生の肩代わりなんてできないのに気づいた、って」
 自分の幸不幸さえリオの在り方に頼っていた自分に気がついた。
「俺達は……そこで一人、になったんだと思う…」
 戸惑うように消える声音に、ジュリエッタは一つ、腑に落ちた。
 なるほど、リーラはロストナンバーの繰り返しの介入の中で、他の誰とも交換することのない『自分の人生』に気づき、それを生き抜くことこそが大事だと知ったのだろう。
 けれど、リオは、かつてリーラから切り離され、世界樹旅団から切り離され、そして今世界図書館から切り離されて、ようやく一人で生きていこうとしている。自分に掛けられている願いや祈りに応えようと必死に頑張っているままで、まだ自分の本当の想いには気づいていないのかも知れない。
「わたくしも、いずれ旅を止める」
 ジュリエッタは穏やかに微笑んだ。
「リーラ殿達が幸せであるよう願う、確かにそれはリオ殿の本心じゃろう。ただそれだけでは駄目じゃと思う」
「え…?」
 訝しげな顔でリオがジュリエッタを振り向く。
「まだ始まったばかりとはいえ、己自身の幸せとは何かを見定めそれに向かって歩むことこそ大事なのじゃと思う」
 微かに苦い笑みになったのは、戸惑うリオにかつての自分を見るからか。
「家の再興ばかりを願い、現実を見る心を見失いつつあったわたくしのようにはなってほしくないのじゃ」
「……俺は…」
 一瞬ひどく痛いところを突かれたような顔で、リオは俯き、視線を逸らした。
 さっきまでゆったりとした大人然とした気配が消え、困惑し立ち竦む少年の顔が戻る。確かに手足は伸び、身長は高くなり、逞しくなり、したたかになった。けれど、力を伸ばす手法は覚えても、それをどこへ向ければいいのか、わからなくなった、きっとリエがリーラを支え始めてから。
「そんな心を分かってくれた想い人と共に、わたくしはいたいと思う」
 ジュリエッタのことばに、ちらり、とリオは視線を投げる。
「まあどうなるかは神のみぞ知るじゃが…心や躰だけでなく、食欲を満たす所としてこのレシピを役に立ててくれれば嬉しいのじゃ」
 にっこり笑み返した彼女に、改めてレシピを覗き込んだ。
「……御飯は……旨い方がいいんだよね」
 独り言のように漏れた呟き。
「料理番が欲しいって知ってるけど」
 リオは自分の両手をじっと見つめている。
 いつ崩れるかわからぬ体に迷うのだろうか。
 けれど、それはわたくしだって、皆だって同じなのじゃぞ。命は取り返しがきかぬ、失えばそれまで、だからこそ。
 続けかけたことばをジュリエッタは微笑んで封じ、こう告げるに留まった。
「出会った人、これから出会う皆のことを大事に、な」
 リオはいつ気づくだろう。
 誰もが願いを抱え、誰もがその願いを満たそうとして歩いていく、たった一つの命のままで。


 翌日。 
「ではまた。『Arrivederci』」
 軽やかに告げて去っていくジュリエッタの後ろ姿を、リオはじっと見送っていたが、やがて踵を返しながら苦笑した。
「誰かのひとに気持ちを寄せるって」
 俺も結構花街育ちだな。
 目を細めて振り仰ぐ空には、薄く微かに月が浮かんでいる。

クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございました。
加えて大変遅れましたこと、お詫び申し上げます。


正直なところをぶっちゃけますと、
リオが何かに悩んでいるとは、
WRは気づいておりませんでした(笑)。
インヤンガイに帰属し、仲間にも恵まれ、
大事な姉も落ち着いていく。
けれど、ご依頼のプレイングを読み込ませて頂くうち、
ああそうか、リオも男の子だもんね、みたいな納得が。
居場所が出来、仲間が出来、力が伸び、成長し、
そうなれば「何になりたいか」と考えるのは当然。
それを改めてジュリエッタさまに、
問われたようなものだと感じました。
そう考えると『満月=満たされた月』は
うまく嵌まりましたね。

ご依頼とは少し違いますが、リオは、
ジュリエッタさまを、
夜だけでなく昼間も空にあり、
問いかけ見守り続ける存在として意識しているようです。


ジュリエッタさまも、どうか末永くお幸せに!
公開日時2014-02-10(月) 22:40

 

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