「壱番世界にも、サンタクロースがいるって聞いたんです! みなさん、行ってみません?」 ある日、トラベラーズ・カフェに飛び込んできたミルカ・アハティアラは目を輝かせてそう言った。居合わせたのはゼシカ・ホーエンハイム、イテュセイそれに樹菓。「いやここにもいるじゃん目の前に」 ミニスカ・サンタ姿のミルカに一つ目っ娘イテュセイが突っ込み、「サンタさん? 絵本の? ゼシ、会いたい!」 瞳をきらきらさせる純朴幼女、ゼシカが立ち上がり、「わかりました、行きましょう」 ゼシカとミルカの勢いに巻き込まれたように樹菓が大きく頷いて同意する。「イテュセイさんは?」「行かないなんて言ってないもん、サンタって何? 神様? それおいしい?」「えーとですね」 質問を予想していたのか、ミルカは三人が腰を降ろしていたテーブルに、数枚の紙を広げてみせる。「これがサンタクロースのいる村だそうです。雪の頃に行けたら良かったんですけど、それでもとにかく、行きたいんです」「ええ、是非行きましょう」 樹菓はミルカの熱心さににこにこ微笑みながら、壱番世界、中国の文官風のゆったりとした袖から差し出した指先で、紙を押さえる。「まあ、変わった建物……とんがり帽子みたいですね、ちょうどミルカさんの被っているような」「うわあ、おっきな雪だるまさん! ゼシも作りたい!」「うーむ残念だが、今は夏だからね、ほらこっち見て、からっからだから。ぎらつく青い空照りつける陽射し、雪も氷もなし、どっちかっていうと炎天下のテーマパーク3時間待ち?」 言ってて暑くなってきちゃった、とイテュセイが額を拭うまねをする。「え〜」 ゼシカは残念そうに青い目を瞬いてミルカを見る。「で、でもっ」 ミルカは紫の瞳でひしっとゼシカを見返し、びしりと指先で一枚の写真を押さえる。「ほら、サンタです、正真正銘の!」「ほんとだ!」 白いお髭、白い眉毛、白い綿のついた赤い帽子、赤いベストにあったかそうなブーツと緑のズボン、それに山盛りになったプレゼント、とゼシカは一つ一つ指差しながら確認し、最後にぴたりと眼鏡で指を止める。「優しそう……眼鏡の、お顔…」「ゼシカさん!」 樹菓が腰まであるオレンジのストレートヘアを揺らせて、急いで覗き込んだ。「ほら見て下さい、後ろにたくさん本がありますよ! それにこっちには、赤い帽子のお姉さん達がプレゼントを詰めてます!」 この本には一体何が書いてあるんでしょうね、と冥府三等書記官であった彼女は、ゼシカへの配慮だけではなく、そちらも気になったようだ。「今から準備してるのかなあ…」「きっとそうですよ!」「うんうん!」 樹菓とミルカが繰り返し頷く。「え〜でもさ年末に欲しいものを今から決めてる子どもって少なくない? てか、今から決めてるとクリスマスに欲しいものと違ってきたりして」「イテュセイさん!」 たらりんとテーブルに寝そべりながら、イテュセイが眠そうに一つ目を瞬くのに、ミルカは立ち上がって腰に手を当て覗き込む。「つまり何ですか、行きたいんですか行きたくないんですか」「う〜」「わたしは、すっごく行きたいんです! 行きたいからチケットお願いしてきます!」「ゼシも行きたい!」「私も行きたいです!」 残り二人がはいはい、と手を上げてもイテュセイはぐったりと寝そべったままだ。「イテュセイさん? あれ? 顔熱くない? え、ちょっと!」 ぷんぷんしつつ相手を覗き込んだミルカは、イテュセイの顔に手を当てて驚く。それを振り払うこともなく、イテュセイは顔を歪めて唸った。「頭痛い〜何かむかむかする〜しんどい〜苦しい〜」「ひょっとして、熱中症?!」「お水お水!」「暑いの? 大丈夫?」 ハンカチで煽ぐゼシカ、慌てて水を取りに行く樹菓、ミルカは医務室に向かって走り出しながら、ついでにチケット頼んできますね、と声をかける。「行きますよね、イテュセイさん!」「とにかく一枚もらっといて〜……うえええ」「一つ目さぁん」 頑張って〜、とゼシカはぱたぱた煽ぎ続ける。 主要空港からバスを乗り継いで1時間少々。「かあさん、もうすぐ着くよね!」「はいはいもうすぐ」 くるくる巻き毛の男の子と穏やかな目の女性。「サンタさんに会える?」「もちろん、パパも楽しみだよ」 背伸びしつつ窓を覗く女の子を抱えた髭の男性。「子どもの頃から憧れてたわ、ようやく会えるのね」「君もロマンチストだな」 寄り添い互いの温もりに微笑む青と赤のペアルックシャツの男女。 バスの中で交わされる家族や恋人達の会話も期待に満ちている。 イテュセイの願いが届いたのか、今日はそれほど陽射しも強くなかった。「4世紀、中東の一地方に実在した聖人、聖ニコラウスがモデル…」 ミルカは壱番世界のサンタクロースについての本を読んでいる。「不幸な人々を助けようとしてさまざまな奇跡を起こした……貧しさから身売りをしなくてはならなかった娘の家の煙突に金貨を入れ、それが干してあった靴下に入った。そのお金で一家が助かったことから、サンタロース物語が生まれたとされている…本物…じゃないのかなあ……」 ミルカの居た世界では、サンタクロースは日々忙しく働いている。世界中の子どもたちに夢と贈り物を届けている。「サンタクロースはラップランドのコルヴァトゥントゥリの山の中、お手伝いをする妖精(トントゥ)と一緒に住んでいる。トントゥは、赤いトンガリ帽子に赤い服を着た妖精で、森の中や家々に住んでいて、人の目につかないところでお手伝いをしてくれる……」「サンタさんみたい、えーと、えーと、ミルカサンタさんみたい」 同じサンタで呼び方が被ってしまうのに気づいたのか、ゼシカは戸惑いつつ呼び名を変え、ミルカの開いた本を指差す。確かに、本に描かれたサンタクロースの側でいそいそとプレゼントを運んでいる妖精の姿は、ミルカによく似ている。「おじいさんみたい…」 ミルカは微笑んだ。「おじいさんも、わたしがしっかりしなくちゃ、あちこち片付けられなくて大変だったなぁ」「見えてきましたよ」 樹菓が嬉しそうに声を上げ、残り三人は顔を上げた。 大きな樅の木が囲む小さな空き地に、木造の、とんがり帽子じみた造りの建物が点在している。真夏でも人は結構来ているようで、観光客が次々とやってくる。「このあたりの緯度なら白夜か、夜になっても暗くならない」「でもずいぶん涼しいって、空港でも言ってましたよ、イテュセイさん」「うんそれは認める真夏のテーマパークよりはましかも知れない、てか」 樹菓になだめられてバスから降りつつ、イテュセイはゆっくり伸びをする。「広いねえ、ここ……いい匂いがする。御飯食べられるとこがあるのかな」「それに何だか、皆楽しそうです」 隣で樹菓が周囲を見回しながら頷き、建物の一つを指差した。「あそこ。手紙が出せるみたいですよ」「サンタクロースからの手紙……異世界へも送ってくれればいいのに」 ミルカがくすりと笑った。「こじいんのみんなに、お手紙、書いてくれるかな」 期待一杯で見上げてくるゼシカに、「頼んでみましょう」 ミルカも大きく頷き返し、正面の『サンタクロース・オフィス』に向かって歩き出した。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ミルカ・アハティアラ(cefr6795)ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)イテュセイ(cbhd9793)樹菓(cwcw2489)=========
とんがり帽子を伏せたような屋根は古い木の色。 それと同じように、室内も年代を重ねた木で造られていた。 「うわぁ」 ゼシカの感嘆の声は壁や柱を飾ったクリスマス色一杯の地図や壁掛けやクリスマスオーナメントに向けられている。 「もうクリスマスみたい」 「ほんと」 ミルカも周囲を見回しながら頷く。 さすがに冷房を効かせてあるせいもあって、フェルトや分厚いキルトで造られたものにも暑苦しさを感じるというよりは、真夏の世界から、いきなり雪の世界へ連れ込まれたような感覚だ。 「サンタクロースという方は一年間を良い子で過ごしたごほうびに贈り物を下さる方なのだそうですね」 物珍しげに色々な飾り物を見ながら、樹菓が微笑む。壁にはいろいろなお願いやメッセージを貼付けたボードもある。 「贈り物のために良い子で過ごす事が一概に悪いとは申しません。評価とは行動に対してなされるもの。冥府でもそのように扱っております。思うばかりで何もしていないのでは善行と見なされませんし、何を思ってであれ周囲に良い影響を与えたのであればそれは善行と呼んで差し支えないでしょう」 ミルカが教えたことを元に、樹菓なりの納得をしているのに笑み返しながら、ミルカの胸には小さな不安が過る、壱番世界のサンタクロースは、自分が知っている故郷のサンタとは違うものなのかも知れない、と。 故郷のサンタクロースと似た格好なのに、どう見ても照りつける陽射しの下、ブルーインブルーのような浜辺で長い板のようなもので、波の間をバランスを取りながら進んでいるサンタクロース(?)の写真を指先で突く。 そういえば司書の湯木さんが、壱番世界のサンタは厳しい試験をくぐりぬけているって教えてくれたっけ、と思い出した。何でも、五十メートル先の家へ走っていって煙突から中に入り、プレゼントを置き、子供達が用意したクッキーとミルクを食べきり、来た時と同じように煙突から出て行って戻ってくるというのを二分以内に達成しなくてはいけないとか言っていた。もし自分がコンダクターだったら、サンタになれる自信はないなぁ、と溜め息をつく。 「ミルカさん?」 「あ、この奥みたい、行きましょう!」 それでも、子供たちに夢を与えるお仕事なのは変わらないはず、と気を取り直して、後ろから来ているイテュセイを振り返る。 「あちゅい~……こうなったら今を冬にするしか…きたれ真夏のブリザードぉぉぉ~あつはなついねぇ~!」 バスを降りて一瞬は元気になったイテュセイだったが、建物に入るまでの陽射しと照り返しに再びぐったりしたらしく、がっと天井を見上げて両手を差し伸べた。周囲に居た他の観光客がぎょっとしたように少し距離を置くのに構わず、一つ目で上を睨んでいたが、やがてがっくりと肩を落とす。 「ちょっと全然涼しくならないJANG! これは壱番世界の陰謀よね実は密かに壱番世界常夏計画が進んでいて壱番世界のKIRINをリア充の衝撃で壊滅させようってことに違いな」 「ま、まあ、ほら行きましょう、後でトナカイレストランとかも寄るから、ね!」 メロンソーダどこ、ねえ何か冷たいものを私に注いで冷やして凍らせて等等のたまう神的存在をミルカはずるずる引きずって奥へ進む。 と、先に進んでいたゼシカがしょんぼりした顔で戻ってきた。 「どうしたんですか、ゼシカちゃん?」 「今、サンタさんいないんだって」 「え?」 思わぬ返答に瞬きしつつ、もう一度ゼシカとともに『サンタクロース・オフィス』に入ってみる。 「あ…」 天井から吊り下げられた大きな銅色の機械。円形でゆっくりと回っていて、よく見ると天井に描かれた大きな丸い地図のあちらこちらを指している針がついている。 黒光りする板で造られた壁。分厚い赤いカーテンがかかった大きな窓が一つ。 天井まで届く本棚に色とりどり、厚みも様々の本がぎっしり。その前にどっしりとした木の机があって、インク壺や金色のペンや羽根ペン、丸まった厚紙や革や何かを書き込んだ書類、それに地図を描いた球体を金属の棒で支えたものが載せてある。机の後ろにはがっしりとした椅子があって、そこに赤いチェックの毛布とマントのようなものがかけてあった。 部屋には別の机もあって、そこには細々としたもの、作りかけのおもちゃ、カウベル、ロープなどが載っており、その横には木のトロッコに布や木切れなどが分けて積んである。ぬいぐるみを置いたロッキングチェアが一つ、ローテーブルに大きなマグカップが一つ。 確かにそこには誰もいなかったが、それでもその部屋は、そこに住まう人の温かさ大きさ優しさを思わせた。何より。 「…おじいさん…」 思わずミルカが呟いたのは、その部屋の雰囲気が故郷のクリスマス前に準備にいそしむ祖父の気配そのものだったからで。 「…どこに行ったのかしら」 ゼシカが聞いたところでは、いつも大抵ここに居るはずなのだが、ちょっと用足しに出かけたのではないかとのこと。すぐに戻ってくるだろうと言われたのだが、それでも『彼』はなかなか戻らない。 「ちょっとちょっとぉ、時間が限られてんだし、先他のとこ行こうよぉ」 呆然とするミルカに抱えられたままだったイテュセイが、えいや、とばかりに分身した。 「メロンソーダ飲みたい! 樹菓ちゃん付き合って! トナカイレストランへレッツらGOー!」 「む、むむむっ、ゼシカちゃん、あたしが愛を注いであげる! 一緒にポスト・オフィスでお手紙書きましょ!」 「ミルカちゃんっ! 何かお土産とか見よう! プレゼント・ショップへ出発!」 それぞれにイテュセイにがしりと腕を抱えられ手を握られ体を押されて、一行は分散した。 「いらっしゃいませ」 トナカイ・レストランでにこやかに迎えたのは短めの髪にトナカイ角のカチューシャをつけた青年、隣で微笑んだ女性も同じようなカフェスタイルでイテュセイと樹菓をテーブルに案内する。 「メロンソーダ! え、ない? あ、じゃあこの青いソーダ! 氷じゃんじゃん入れてもってきて、サイズL!」 「お祭りと言えば特別なお料理です。私の知る生者の世界でも、こちらの世界群でも、それは共通しています。クリスマスにはどんなものを召し上がるのでしょうか。良い子のお祭りですからお菓子は欠かせないでしょうね」 出されたメニューは写真付きだ。 揚げた芋やスープ、果実を入れたパン、焼いた肉にとろりとしたソースを絡ませたもの、生野菜などの素朴なものがある一方で、コース料理として魚や肉、温野菜などを組み合わせたものもある。 ぱりっと焼かれたローストチキン、真っ白な雪を思わせるポテトサラダとブロッコリ、人参などをあわせたクリスマスサラダ、ケーキの類もかなりあった。 コースを食べている時間はないだろうと視線を移した樹菓が見つけたのは、茶色の幹を組み合わせたようにアレンジされているチョコレートロールケーキ、『ブッシュドノエル』。 「あら、木の形のお菓子ですか。ふふ、私の名前のようですね」 では、これを一つ頂けますか。 「今度はこっちのピンクのソーダ! L!」 よほど暑かったのががぶがぶとソーダを飲むイテュセイの横で、運ばれて来たハーブティとブッシュドノエルに舌鼓を打つ。 「メリークリスマス」 小さく囁いたさっきの女性が、樅の木を模した可愛いオーナメントを、当店からのプレゼントです、とそっと置いてくれた。 「奴はこういう所来なかったからあたし記憶にないのよね!」 イテュセイははしゃぎながら、ミルカを引っ張ってプレゼント・ショップへ飛び込む。 「こんにちは」 「こんにちは!」 笑顔で迎えたくれたのは赤いとんがり帽子を被り、赤いロングスカートを履いた店員だ。赤いシャツに薄手のチョッキまで着ているせいだろう、店の中は結構冷房が強い。明るい照明に照らされた棚の間にはオーナメントを吊り下げた樅の木が飾られ、赤や青や金の光を弾いている。涼を求めてでもあるのだろう、店には結構な人が棚の前を行き来し、ロゴ入りのシャツやカウベル型のキーホルダーなどを手に取って、レジに並んでいく。 「で、何買うの?」 「トナカイのぬいぐるみか何か、ないかしら」 ミルカの脳裏を過ったのは、覚醒した時のことだ。突然異世界へ跳ばされてしまったミルカが心細くてどうしようもなかった時に、傘をさしかけてくれた男の子に何かお礼をしたくて、一人前になれるように願いを込めたお守りの人形を渡してしまった。 もちろん、それを後悔はしていない。どんな場所であろうと、ミルカはちゃんとサンタクロースとしての仕事ができたのだし、それは今もミルカを支えてくれている想いだから。 けれど、その祖父のトナカイ、ヴィクセンに似せてつくった人形に似たものがあれば欲しい、それもまた本当の気持ちだ。 「トナカイねえ…こんなのは?」「う」 巨大なトナカイの被り物、それこそ何かのイベント用ですかそれ、みたいなのをずぼんと被ってみせたイテュセイに、ミルカは思わず体を引く。 「トナカイ着ぐるみ、トナカイパジャマ、トナカイなりきり赤い鼻角カチューシャセット!」 「あ、あのできれば持ち帰れるものがいいな、と」 「持ち帰れるわよ、ついでに着て帰れば問題ナッシング!」 「そうじゃなくて、掌にちょんと載るぐらいの方が嬉しいかなーと」 「じゃあこっちか、トナカイカウベル三十個セット!」「違う!」 ああだこうだと賑やかに品物を選んでいると、樹菓がやってきた。 「こちらでは壱番世界の玩具や書籍も拝見できるのでしたね」 「あれ、あたしは?」 「何やらクリスマス・ハウスならサンタクロースが居るかもとお出かけに」 「むむむ、抜け駆けしたな! 後で追いかけよう!」 「樹菓さんは何を見るんですか?」 「はい」 オレンジ色の髪を揺らして、樹菓は微笑む。 「冥府には時として、まだ幼い死者も現れます。何度あってもそのたび心が痛みますので、せめて一時でもお慰めできるよう、玩具をいくつか買います」 「あ、じゃあこれがいいんじゃないかな君も入れちゃうかも知れないサンタクロース大袋!」「だからどうしてそういう選択肢を」 ぐいと突き出された、確かに子ども一人二人は入りそうな真っ白な袋を手に、樹菓は少し戸惑い、やがてやんわりとイテュセイの手に返す。 「親が恋しい年頃ですので、書籍は家族に関するものに致しましょう。冥府へ戻る日のために」 「ああ、それってわかります」「無視かい!」 突っ込むイテュセイの側でミルカが頷く。 「故郷に居た時も、おかあさんおとうさんが出てくる本を下さいって願う子ども達がいました。なるべく温かそうな絵で、楽しそうな話を贈ったけれど」 あの子は楽しんでくれたかしら、とミルカは思い出し、ふとポスト・オフィスへ向かった親のいないもう一人の少女、ゼシカを想った。 「後でポストへ行ってみよう……あ」 呟きながら、ちょうど見上げた棚に、ちょこんと載せられた幾つものミニトナカイ。フェルトと毛と革で造られたそれは、ちょうど掌に握り込めるぐらいの大きさ、けれども艶やかに磨かれたガラス玉の黒い瞳は、まるでミルカを待っていたかのようだ。 「これにしよう」 「えーそれって普通のトナカイじゃん変身しないし噛みつかないよ?」 何でそんなの買っちゃうかなあと不服そうにぶつぶつ言うイテュセイをよそに、レジに持っていくと、赤いとんがり帽子の店員が澄んだ青い瞳で笑いかけた。 「ヴィクセンをお買い上げですね」 「…え?」 忘れるはずもない、それは祖父のトナカイの名前、驚きに目を見張ると、相手はこのトナカイのシリーズの名前ですよ、と教えてくれた。 「クリスマスの日に一番よく働くトナカイで、老いたサンタクロースでも夜空を素早く駆けることができるのは、ヴィクセンが頑張るからだと言われてますよ」 「そうなんですか」 ミルカは笑顔を溢れさせた。 「ふうん、住所はわかってるんだー」「うん」 手元を覗き込むイテュセイにゼシカは金色の髪を揺らしてこくんと頷いた。 買い求めた絵葉書には鮮やかな緑と赤で飾られたクリスマス・ツリーが描かれている。切手は笑み綻んだサンタクロースだ。メリークリスマス、と踊った金色の文字の片隅に、ゼシカは文字を書き連ねる。 孤児院のシスターはゼシカのことをとても心配していた。だから、元気にしていると知らせるつもりだ。もうすぐ帰るから安心してほしい、と。 「……」「どうしたの?」 ふと書くのを止めて中空を見たゼシカの耳に、イテュセイの声は聴こえていない。思い出したのは二つの顔。魔法使いさんと郵便屋さん。 ずっとこのままじゃいけないのはわかっている。大好きな人達とずっと一緒は楽しくて幸せだが、ゼシカは大人になりたいと願う。 なぜなら、それが両親の願いだと思うからだ。それに、大人になってしたいことが一杯ある。 「ううん、何でもない」 「ゼシカちゃん」 声をかけられてゼシカとイテュセイは振り返る。ミルカが赤い紙袋を手ににこにこ笑っている。 「あれ、あたしは?」「樹菓さんとプレゼント・ショップにいますよ」 「え、じゃあもう一人のあたしは?」「クリスマス・ハウスへサンタクロースを捜しに。でも、もしよかったら聖なる森に行ってみませんか?」 さっきインフォメーションで確認したんですが、まだサンタクロースが戻らないって、オフィスの人も不思議がっていました。もし見つけたら声をかけてくれって。 ミルカはゼシカが手紙を投函するのを見守り、一緒に森へ向かって歩き出す。 「これだけあちこち人がいるのに、誰もサンタクロースを見ていないなんておかしいでしょう? 森へ入ったんじゃないかしら」 「聖邪の森ですって! いいことの裏には必ず悪いことがあるっていう人間の戒めが込められているのね。いいところじゃない」 「いえ、聖なる森ですよ」「樹菓さん」 プレゼント・ショップでの買い物が終わったのだろう、彼女も赤い袋を下げてこちらへやってくる。その隣に居たイテュセイがあっという間に駆け寄ってきてこちらのイテュセイにぶつかり抱き合い解け合って一体化する。 「で、あたしは結局クリスマス・ハウスに居るのね? 何してんだかぼっちで!」 まあいいわ、ほっといて森へレッツらGO! 四人はサンタクロースを捜して森へ向かう。 「うー寒い寒い寒い冷えた冷えた冷えた」 クリスマス・ハウスでのイベントが終わる直前、イテュセイは青ざめて震えていた。トナカイ・レストランで冷たいものをがばがば飲み過ぎたかも知れない。 もう少しで終わる、もう少しだと言い聞かせて、サンタクロースに扮した青年の『お仕事解説』や世界中の子ども達の願いごとと、それを叶えるための工夫や労力や、クリスマスに起きた不思議な話などを凌いできたが、ぼちぼちそれも限界か。 何せアクター達はぎっちり着込んでいるので、ただでさえ暑いところを、この真夏世界のクリスマス・ハウスは、人が数人は入れそうな暖炉といい、積み上がった薪や分厚いカーペットや毛布などがぎっしりなもので、気持ちだけでもなお暑い。 イベントに時に前に出て、サンタクロースの袋からプレゼントを取り出す役や、子ども達のお願いを電話で聞き取るなんてことをしている観客ももちろん暑い。 よって、冷房はガンガンに効いていた。半袖Tシャツのおっさんがトイレを探そうとするぐらいには。 よって、ただでさえ冷えていたイテュセイはなお冷えていた、もう全身つらら一歩手前。 「ふ…」 それを想像したとたん、おそらく体は忍耐を放棄したのだろう。むずむずと鼻がかゆくなり、堪え難くなり、押さえる間もなく、イテュセイは最後の挨拶をしている青年めがけて目一杯くしゃみをかました。 「フェーックショイッッッ!!」(メギド!) 何か妙なもんが入った気がした、そう思った次の瞬間。 「おおお!」「雪だ!」「雪じゃないか!」「この夏に!」「奇跡だ!」 観客ばかりかアクター達も驚きに目を見張り、窓へ張り付き、外へ駆け出す。 いきなりの降雪だった。大量の真っ白な雪がどさどさと降り落ちたかと思うと、一気にあたりを埋めたのだ。鮮やかで深みのある葉を陽射しに照り返らせていた樹々も、あっという間に雪化粧となり、飛び出した人々が顔を歪めるほどの白い世界が外に展開する。 「ホワイトクリスマース! てへ」 開け放たれ空っぽになったクリスマス・ハウスでイテュセイはちょっと舌を出し、それからふと、生真面目な顔で暖炉に近づく。 クリスマス・ハウスは新しかった。周りの揃えられた品物も。だが、部屋の暖炉に使われているレンガには、非常に古いものがあるのが見て取れた。 『命は奇跡』 ことばではない。そのようにイテュセイが受け止めただけだ。 『生きることが命の意味』 レンガからだろうか、それとも、この地に居する何かの力が、サンタクロースという姿を借りて結実したのか。揺らめくように立ち上がる気配は、暖炉の奥からそっとイテュセイを覗き込み微笑んだように感じた。 「何だったんだ、今のは」「いやー一体何が」 再び観客達が戻ってくる。窓の外の雪は暑さですぐに溶けたようだ。 「ドングリフォームなら迷わない! って持ってなかった!」 森の入り口でイテュセイはわらわらとちびイテュセイに分裂した。 「じゃああたしでいいわ。置いていきます。これは道しるべじゃなくて、もしあたしが帰れなくなったらそのあたしを連れて帰ってね…っていう…ごめん泣くところじゃないよね…よよよ」 「行きますよ、イテュセイさん」 「あ待って待ってせめて落とすとこまではきちんとやらせて!」 進み始めたゼシカとミルカ、樹菓の後を、一人ちびイテュセイを置いて追いかけていく。 ミルカは緊張していた。 どんなひとなのだろう。会えたなら、挨拶して、自分も立派なサンタになりたいのだと伝えよう。そう強い想いと抱くと共に、なれるかな、という不安も抱えつつ、一歩一歩森に入り込んでいく。 「えーと、このあたりでもう一人。待ってんのよ?」「がんばってー」 イテュセイがまた一人、ちびを置く。 ゼシカは思い出している。 孤児院でのクリスマス。親のいない子供たちの為に、シスターが町の人たちと一緒にパーティーを開いてくれた。ゼシカも一杯プレゼントを貰った。七面鳥やケーキ、それに沢山のご馳走。 「ゼシはひとりぼっちなんかじゃなかった」 小さく声に出してみる。そうだ、慈しんでくれる人が側にいた。 ゼシカが欲しいのはパパとママ、あったかい家族、だ。夢でもいい、一度でいいから叶うといい。木に凭れて居眠りしたらそんな夢が見られるかなとも思う。 「あのね、こないだパパが夢に出てきたの」 盛り上がった土を踏み、倒れた木をよいしょと跨ぎ、ミルカと手を繋いでゼシカは話す。 「夢の中でパパ、サンタさんになれなくてごめんねってゼシに何度も謝ってたわ。ひとりぼっちにしてごめんねって………でもね、違うの。ゼシはひとりぼっちなんかじゃない」 「このあたりにもう一人」「よっしゃ任せてー」「頑張るのよ、あんたら」 イテュセイのちびはもう四、五人ほども置いたか。 かなり森に入ったように思うのに、振り返ればまだ木の間からサンタクロース村の建物が透けて見える。前方はもちろん、樹々がみっしりと立ち並び、最奥がどうなっているのかは見えない。 樹菓は思う。全世界から慕われておられる御方ですので失礼のないよう、ごあいさつを申し上げよう、と。 けれど、樹菓の頭にあるのは、ミルカに見せてもらった絵本で描かれていた恰幅のよい老人であって、そのせいで、前からやってくる青年には訝しく見つめ返しただけだった。 次に気づいたのはゼシカ、戸惑いならも、背後に背負う大きな白い袋に瞬きして立ち止まる。 「サンタ…さん?」 「え?」 ミルカがゼシカの見ている方向に目を凝らす。だが、樹々が重なり合っている中、予想しているような赤い服も白い髭も見当たらない。 「どこ?」「そこ」 ゼシカが指差す方向を眉を寄せて見つめた。 「あれが…その方ですか」 樹菓が頷き、やがて不思議そうに首を傾げた。 「気のせいでしょうか、何か、お姿がどんどん変わっていかれるような」 「どこに?」「そちらです」 樹菓が示すその方向はゼシカと同じ、だが、まだミルカには見つからない。 「あなたがサンタね!うちのもんがお世話になったみたいじゃないのよぉー!」 ふいにイテュセイが高らかに言い放ってミルカはぎょっとした。 「それにしても全世界の子供に一日でプレゼントを配るなんてアナタ相当やるわね! 神の中でも相当の地位と見たわ! 仲良くしましょ!」 からから笑いながらずんずんイテュセイが近づいていくのも、ゼシカ、樹菓が教えたのと同じ方向だ。なのに、ミルカには見えない。 「どこ!」「何言ってるの、ここにいるじゃない」 イテュセイがきょとんとしたように振り返り、立てた親指でくい、と真隣を示す。 「この度の拝謁、恐悦至極に存じます。私、樹菓と申しまして冥府の三等書記官を務める身にございます」 同じようにすぐ間近にいるように、樹菓が深々と身を屈めて挨拶した。 「サンタさん! 本当のサンタさんね!」 ゼシカが嬉しそうに見上げて笑いかける。頭を撫でられているように目を細め、 「あのね、孤児院に帰ってシスターを手伝うのがゼシの夢なの、今度はゼシが子供達のお世話をするの。だからサンタさん、その子たちにステキなプレゼントを頂戴ね、約束よ」 一気にまくしたてて、それが受け入れらたようにほっとした顔になる。 だが。 だが、ミルカには見えない、聴こえない、わからない。 「どこ、なの…」 体が竦んで震えそうになる。なぜ残りの三人に見える相手がミルカには見えないのか、感じられないのか。それはミルカがサンタクロースの弟子でしかなく、一人前ではないからか。 だが、次の瞬間、 『ミルカ・アハティアラ』 「っっっ!」 荘厳な声が森中に響き渡り、思わず耳を押さえる。人の声というより、森が、いや、世界がふいに話しかけてきたような衝撃。 「だれ…」「いやだからサンタクロースだって」「サンタさんだよ」「サンタクロースさまでしょう?」 「ほら見て!」 背後から駆け寄ってきたのはどうやら残されていたイテュセイ、ミルカの側を駆け抜けてどう見ても何もない空間に突進したかと思うと、ぎゅうっと何かに抱きついて。 「あ!」 見えた。白い綿のような縁取りのある赤い服の上下、ぶかぶかの茶色の長靴、真っ白の癖のある髪が垂れた上に乗っている赤い帽子、真っ白な髭に埋もれるような笑顔。やや突き出したお腹にしがみついたイテュセイに、よしよしと載せる大きな手。 「おじい…さん…」 おじいさんではない。それはわかっているが、ミルカの心の底にあるものがはっきりと感じ取る。 『彼』はサンタクロースだ。 あちこちに飾られていた写真や何かに写っていた老人ではない。数々のイベントに紹介されていたり、絵本に描かれていたりする男でもない。 本物だ。 ミルカや祖父と同じく、素敵なプレゼントで皆に笑顔を届ける仕事をする者。 「捜させてしまったようだね」 穏やかな声が話しかけてきた。その声にさっき響き渡ったのと同じ音律を感じる。 「オフィスをずいぶん空けてしまったかな」 森の奥へ入ったら出るのに時間がかかってしまってね。 「帰りは安心! あたしの分身が道案内を、ってなぜここに集合してるかな君達は!」「えー」「だって退屈」「来ちゃったてへぺろ」「慌てたー置いてかれたと思った!」「置いてったんだってば!」 仕方ないな、空から道を確認するか、とぱっと飛び上がってしまうイテュセイにも相手はうろたえた様子はなかった。ただ眩げに空を見上げ、 「あんな風に軽々飛べると、ヴィクセンにも苦労させなくて済むんだが」 軽く片目をつぶってミルカを見る。 「え?」 「君にはどんなプレゼントが必要なのか、後でゆっくり聞かせておくれ」 戸惑うミルカに優しく頷く、その顔に、今は逢えない祖父の笑顔が重なった。 写真を撮ろう、ミルカはそう思った。 この森を出る直前に、皆で写真を。 ひょっとしたら、『彼』は写らないのかも知れないけれど。
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