その日、世界司書の紫上緋穂がいつも依頼説明に使っている部屋へ行ったロストナンバーは、思わぬ人物の存在に目を見張ることになった。 綺麗な薄黄緑色に扇面、小花を半円のように散らした訪問着に身を包んだその女性。長い黒髪は一部結いあげているもののそのすべてを結い上げることは出来ないのか、結い上げた下から綺麗に垂らしている。 扉が開いた音でそちらを確認するために振り向いた彼女の髪から、いい香りがした。 そう、香房【夢現鏡】の女主人、夢幻の宮が普段着用している十二単からはだいぶ軽装になってそこにいたのである。「いらっしゃーい! 入って入って。説明するよー!」 緋穂の声で我に返ったロストナンバー達。彼らが入室してくると夢幻の宮は静かに会釈をした。「今日はヴォロスに行ってもらいますー。先日調べてもらったシャハル王国にあるルルヤニって町でお祭りが行われるらしいんだ。そこに遊びに……おっと、覚醒したロストナンバーを迎えにいった後なら遊んできてもいいよー」 ちなみに祭があるって教えてくれたおじさんは町の名前間違えてたみたい、と緋穂は笑った。ロストナンバー達はなんとなくその言葉で察する。要するにロストナンバー保護は難しくないのだろう、と。「保護して欲しいロストナンバーは、紫色の髪の女の子。菖蒲(あやめ)ちゃんって言うんだ、12歳くらい。町の裏通りを彷徨っているところを、酔っ払い二人に絡まれてる」「絡まれているところを保護、だな?」 一人のロストナンバーが声を上げると、緋穂は珍しく首を振って口を開く。「ううん。助けてくれる人がいるんだ。フードとマントを被った旅人さんみたいなんだけど。みんなが到着するのはどんなに急いでも旅人さんが菖蒲ちゃんを助けた後だから、どうにか旅人さんから菖蒲ちゃんを引き受けて」 なるほど、緋穂の言葉に一同は頷く。旅人はそのままだったら言葉の通じない菖蒲を、異国からの迷子とみなして祭の本部に届けるだろう。そうなる前に菖蒲を引き渡して貰う方法を考えるのだ。「そんなに難しくないと思うけどね。だから彼女を回収した後は、お祭り騒ぎの町を見て回って来て!」「私も同行させて頂きまする。お仕事を終えた後は、香料を見て回るつもりでございます」 おっとりと、夢幻の宮が微笑んだ。 *-*-* ルルヤニの町のこの祭は『オシェル祭』と呼ばれ、年に一度この時期に行われる。シャハル王国は一年中花の絶えぬ国だが、ルルヤニではこの時期が一番オシェルの花が綺麗に、沢山咲くのだ。だから祭りもこの時期に行われる。 オシェルの花とは百合に似た真っ白な花弁に赤い花芯、しなやかな茎と丈夫な葉を持つ、15~20cmほどの高さの花だ。 シャハル王国を建国したと言われている伝説の女王、ユララリアのまつげから生まれたと言われている。 この花は幸せを呼ぶ象徴とされており、シャハルでは結婚式のブーケにもよく使われる。今回の祭のさなかにも、一組のカップルが結婚式を上げる際にオシェルのブーケを持つ。オシェル祭での結婚式は年に一組しか行えないため、町娘たちの憧れだ。幸せを呼ぶオシェル祭の最中に婚礼を上げた二人には、最上の幸せが待っていると言われているのだから。 また、オシェルの花は『ルルヤニの花冠』を作るのにも使われる。これは祭の最後に町全体を囲む花冠を作るというイベントだ。町全体へ幸福を呼び込んで、そして逃がさないようにしようという思いが込められているという。 それぞれが編んだパーツをくっつけて、そして一本にしてひとつの大きな花冠にするのだ。 祭りの目玉はこれだけではない。 祭の盛り上がりを期待して、多くのキャラバンが広場で市場を開く。 食べ物から工芸品、加工品、薬草に切花に押し花、香料……様々なものが売られているが、やはり一番多いのは植物に関するものだろう。この日ばかりは全商品2割引になるというのだから、買わない手はない。 他にも踊り子に扮した子供達や少女達がステージでショーを行ったり、旅芸人の舞台も予定されている。それらを見るのもいいだろう。 結婚式の手伝いも喜ばれるだろうし、花冠を作るのには人手が必要だ。 一日ゆっくり、存分に楽しむのがいいだろう。======※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。======
その町が見えてくると、それだけで花の甘い香りがほんわりと漂ってくるようだった。 歩みを進める度に近づくわいわいとした喧騒は楽しげなものばかりで、思わず足を早めてしまいそうになる。 小さな子供がタタタッとロストナンバー達を追い抜いていった。後ろから母親のものらしき声が聞こえる。家族連れで祭に来たのだろうか、諌める声もどこか楽しげだ。 「着いたー!」 ユーウォンが大きな声を上げたのも無理は無い。町の入口だけでもう、祭の気分が満載なのだ。 あちらこちらに花で飾られた建物。きっとその中でも一番多く使われているのがオシェルの花なのだろう。花たちも今日の日を盛り上げるために咲いたのだとばかりにキラキラと笑顔を見せている。 花の甘い香りに混ざって、食べ物の屋台の出すお腹を刺激するいい香りが鼻孔をくすぐる。喧騒の合間から、楽しそうな音楽が聞こえる。 町中が祭という非日常の空間に飲み込まれていた。 「お祭りの楽しそうな空気の中で言葉も通じずに一人ぼっち……菖蒲さんはさぞ心細い思いをしているでしょう」 ジューンが表情を曇らせる。緋穂の予言では酔漢に絡まれたところを旅人らしき人物がすくってくれるという話だが、それでも言葉が通じなければ心細いに違いない。 突然見ず知らずの場所に落とされ、言葉が通じないというのはディアスポラした者ならだいたい経験してきた道だ。その時の気持ちはそれぞれ違うとてはいえ、少女が陥っている状況を想像するに難くはない。 「絶えないね、覚醒する人」 ジューンの言葉の影でぽつり呟いたのは物好き屋。彼には複雑な思いがある。 (こうしてまた一人、異世界に飛ばされて。図書館に属することで、旅団との戦いやら図書館のいざこざに巻き込まれる――いつまで続くかな、この災難の連鎖は) 災難――そう、どんな形であれ慣れ親しんだ世界からはじき出されるなんて、災難である事のほうが多い。中には幸運だという人もいるだろうが、それは少数派だろう。 「自慢じゃねェが俺ァこのナリだ、出るなら最終手段だろ、ヒャヒャヒャヒャヒャ」 ジャック・ハートは自分の事を客観的に理解している。自分が出ると話がこじれる可能性が高いことも、子供が怯えるだろうこともわかっていた。 「必要なフォローはするゼ。ここを繋ぐとかナ」 だから基本は他のメンバーのフォローに回るつもりでいるトントンと指で頭を叩いて。必要であれば思念で会話ができるようにしてくれるという。 「それは助かります。万が一の場合はおねがい致しますね」 ジューンが柔らかく微笑んだ。その横で福増 在利は考えこむような素振りの後、顔を上げて。 「旅人さんに聞かれたら、異国から一緒に来て、祭りではぐれてしまって捜索していたというのが一番いいかもしれないですね。……ただ僕は見た目人間じゃないし、見つけるまでは手伝えるけど保護までは……」 「あ、だったらおれも保護の時には出ないほうがいい?」 在利は美しい植物の葉のような緑色の竜、ユーウォンは虹から切り取ったような鮮やかなオレンジ色の竜だ。たしかに突然出ていっては、警戒されるかもしれない。もっとも、他の世界に比べればヴォロスは理解のある方だが、それでも菖蒲を怯えさせてしまったは意味が無い。 「万一を考えるなら、僕と一緒にいましょうか」 「うん、分かった!」 在利とユーウォンも保護には当たれない、となると。 「必然的に僕とジューンさんと夢幻の宮さんが保護対応になるかな」 「そうですね」 「お手伝いいたしまする」 物好き屋の確認に、ジューンも夢幻の宮も心得たとばかりに頷いた。 「普通に迷子を探している時とおんなじ事をすればいいんだよ。手分けして探して、見つけたら、大きな声で名前呼んでさ。『良かった、見つかった』って走り寄ってけば」 「そうですね。今回は現場が裏通りと言うのはわかっていることですし、裏通りを手分けして捜索すれば……」 「でも」 両腕を広げて熱弁するユーウォンに頷いたジューン。だがそこに在利が口を挟んだ。 「どうして僕達の言葉が旅人さんと菖蒲さんの両方に通じるか、説明が必要ですよね」 それは尤だ。旅人は聞く限り良心的な人物のようだが、良識的な人物であればこそ、そうした部分に疑問をいだいて菖蒲を守ろうとする可能性が高い。 「『共通言語に変換する魔法を使ってるから』じゃ駄目かな……?」 「いいんじゃねェ?」 おずおずと提案された在利の言葉をジャックが一番に肯定した。変に細かい設定をして齟齬が出るよりも、おおまかな説明、それも一言で「ああ、なるほど」と人を一応納得させられるものを用意したほうが、その場を一時凌ぐにはいい。特に今回は旅人から菖蒲を渡してもらえればいいのだから。 「そうだね、それがいいかも」 「聞かれたらそう答えさせて頂きます」 物好き屋とジューンも納得し、いざというときはその説明で切り抜けようとすり合わせる。 「大きなお祭りには迷子がつきものだね……こんなスケールの大きな迷子は、珍しいけど。頑張って見つけようね!」 ユーウォンの言葉に一同頷き、裏通り捜索に散るのだった。 *-*-* 目的の路地裏は意外とすぐに見つかった。というのも使っていない路地裏というのが意外と少なかったのだ。 大体の路地裏には屋台や出店が出ていて、祭の盛況ぶりを伺わせる。反対に細すぎる路地裏は人一人通れるかどうかというもので、酔漢二人が女の子に絡むのにはちょっと狭い。 となれば絞られるのは出店が出しにくい狭さではあるが、人は数人並んで通れる広さの路地裏。 ユーウォンがとてとてと路地裏に入ろうとしたところを近くに出店を構えていた親切なおばあさんが教えてくれたのである。 『そっちには出店が出てないよ』と。 そしてジャックが上空から遠視でその路地の様子をうかがい、フードとマント姿の人物と少女がなにか話をしている様子を見つけたのである。 その情報は直ちに仲間達に連絡され、在利とユーウォンは路地の入り口からひょっこりと顔を出しながら様子をうかがうことに。ジャックは相変わらず上空待機で、残りの三人はジューンを先頭にしてその二人へと駆け寄った。 「菖蒲さん? 見つかって良かった。菖蒲さんが迷子になったと聞いて、ずっと探していたんです」 『え? 言葉が……わかる。あなた達は、だれ?』 「あとで説明するからここは合わせてくれないかな。キミを探していたのは本当なんだ」 ジューンが声をかけながらかけより、物好き屋がそっと困惑する菖蒲に耳打ちする。 「君達はこの少女の保護者なのか?」 旅人がフードの中から声をかけてきた。そちらを見れば顔こそはっきりとは見えぬがフードの奥の瞳は強さを感じさせる。こぼれ出た金髪が太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。そして、フードとマントでは抑えきれ威圧感がかすかに漏れ出ているように感じた。 「はい、私たちは迷子の菖蒲さんを保護して欲しいという依頼を受けて、菖蒲さんを探していました。菖蒲さんを助けて下さったそうで、どうもありがとうございました」 深々と一礼するジューンに倣い、物好き屋と夢幻の宮も頭を下げて。すると旅人は、こちらが予想をしていた当然の疑問をさし挟んできた。 「貴殿らを疑うわけではないが一つ質問させて欲しい。一応保護した者として、信頼出来る筋に託さなければと思っていたのだ。その子の言葉は私には分からなかった。なぜ貴殿らの言葉はその子にも、そして私にも通じているのだ?」 その質問に三人は顔を見あわせて。代表して物好き屋が口を開く。 「……まずは菖蒲さんを助けてくれてありがとうございます。僕たちは、僕達の言葉を共通言語に変換する魔法を使っています。菖蒲さんはまだ子供ですから、この魔法が使えなくて。ご迷惑をお掛けしました」 「なるほど、魔法、か……」 その説明を聞いて旅人はフードの中の顎に軽く触れ、考えるようにして。 「いつかその魔法とやらを教えてくれ。うちのし……」 「ご主人様ー!! そんなところにいらっしゃったのですかっ!!」 なにか言いかけた旅人の言葉を遮ったのは、路地の反対側から現れた軽装の男たち。腰には剣を佩いている。見ようによっては町の自警団の者にも見えるが。 「なんでもない、今行くからそこで待っていろ!」 (ご主人様……?) その状況を見ていたロストナンバー達の頭に「?」マークが飛ぶ。もしかしてお忍びで祭を調査している町長とかだろうか。 しかしそうではないことを彼らは知っていた。図書館に同時に貼りだされていた依頼が町長関連のものであり、目の前の男はその町長にしては若くて精悍に見えるからだ。 「なんにせよ、無事に迎えが来てよかったな」 旅人はそっと手を伸ばし、大きな掌で菖蒲の頭を撫でる。言葉は通じずとも雰囲気は通じたのだろう、菖蒲は目を細めて頷いた。 「それでは失礼する」 旅人は深く礼をして、踵を返した。ふわりと風がマントを揺らし、ちらりと彼が剣を佩いているのが見えた。 「ありがとうございます」 もう一度ジューンが頭を下げたものだから、物好き屋と夢幻の宮もその後ろ姿に頭を下げる。彼らの姿が見えなくなったところで、在利とユーウォンが駆けより、ジャックが姿を見せた。 「これが魔法の正体です。これを持ってください、菖蒲さん」 ジューンが取り出したのは菖蒲用のチケット。彼女がおずおずとそれを受け取ると、ざぁっと波が引くようにそれまでノイズのようなわけのわからない言語が飛び交っていたのが、理解できる言葉へと変わっていく。 「わぁ……」 思わず歓声を上げて目を見開いた菖蒲を見て、誰もかれもが安心したような表情を見せた。彼女が少しでも落ち着いてくれれば、これからの話がしやすくなる。 「町の人の言葉がわかるようになりましたか? 改めまして、私はジューンといいます」 ジューンの言葉を皮切りに、ロストナンバー達はそれぞれ順に名乗っていく。助けてもらい、言葉がわかるようになったという安心感からか、菖蒲は在利やユーウォンの姿を見ても少し驚いただけで、怯えるようなことはなかった。ジャックのことも助けてくれた人の仲間達だということで、露骨に怯えることはなかった。 「菖蒲さんが突然こんな所に来てしまった理由を説明しませんとね」 「今から貴女に説明しなくてはならないことがあります。世界が多重であると気付いた人は異世界に飛ばされてしまうのです。さっきまで誰とも言葉が通じなかったでしょう? ここが貴女の生まれ育った世界ではない、異世界だからです。私達も菖蒲さんと同じように異世界に飛ばされて……だから同じ迷子の貴女を迎えに来たのです」 「え?」 在利が思い出したかのように口を開くと、ジューンが流れるように言葉を紡いだ。すると菖蒲は大いに戸惑った表情を見せ、助けを求めるかのように一同を見回した。 「……まぁ、いきなり詰め込むとパニックになると思うから街中散策しながらでも」 助け舟を出してくれた物好き屋を見て菖蒲はほっと胸をなでおろしたようだった。たしかにいきなり言われても、全てをすぐに理解するのは無理だ。だが菖蒲には一つだけわかったことがあって。 「あの、私、家に帰れないの?」 「「……、……」」 そうだと言ってしまうのはあまりにも無碍にしすぎだ。一瞬の沈黙は肯定したようなもの。だがジューンがそれを破った。 「帰れます、絶対帰れますよ。菖蒲さんが帰ろうと頑張る限り。だってお家の人も菖蒲さんの帰りを待っていますもの。私達と一緒に、お家へ帰る方法を探しましょう?」 やさしく菖蒲を抱きしめて、柔らかい声で彼女を包む。 「よくわからないけど」 菖蒲は言ったがすぐに帰れないことだけは嫌というほどわかっているのだろう。ぎゅっとジューンの背中に手を回して、抱きしめ返した菖蒲はジューンの胸に顔を埋める。 「……がんばる」 消え入りそうな小さな声で呟かれたそれは、少女の決意。 「後で菖蒲ちゃんが理解するまで何度も説明してあげるよ!」 「……ん、ありがとう」 ユーウォンの元気な声につられたのか、さっきよりも少しだけ明るくなった声が返ってきて、一同は安心したのだった。 *-*-* 「ンじゃ解散でいいンだよナ? 悪ィが買いたい物が山のようにあってヨ。また後でナ」 待ってましたとばかりに一番最初に動いたのはジャック。ささっと路地裏から出たと思うと人ごみに消えていく。目的地は持ち帰りのできる品物を売っている屋台。全品二割引きというだけあってどこも盛況だが、その長身を生かして列の後ろから品物を覗いていく。 「ツギメは押し花の栞、ミルは花を編み込んだコースター、マスカローゼはオシェルの髪飾りだな。頼みごとする以上フランにも香辛料買ってくか……王子に刺されそうだゼ」 指折り数えて確認しながらひょいひょいと品物を購入していく。段取りがいいというかタイミングを見極める力があるというか、それほど待たずにジャックは品物をゲットしていった。 変色しないように色止め作用のある草を煮出した汁につけてから押し花にしたという栞には、牡丹や薔薇のように花びらが何枚も重なり合った花が押されていた。色は赤から白へのグラデーション。薄くなめした上質な革に貼り付けられている。革の色は薄いもので、花の色を引き立てる。 コースターもまた、変色しないように色留めされた花を使っているという。ジャックが選んだのは小指の先ほどの薄紫の小さな花を編み込んだレースのコースターだ。小さな花を形崩さずに編みこむのは大変だろうと思って軽口で聞いてみれば、ラッパのような構造の花のため、ある意味編みこみやすいという。だが一つ一つ手作業のために、それなりに時間はかかっている。 オシェルの髪飾りは何パターンかあったが、ジャックが選んだのは塗料で綺麗に整えられた木を留め具にしたもの。ピンのように二股になっているので、前髪を留めてもいいし髪をまとめたその場所に差し込んでもいい。使い勝手のいいタイプだ。花は崩れないよう、枯れないように特殊な煮汁でコーティングされている。 それまであまり買うものを迷わなかったジャックだが、香辛料だけは少し迷った。別に渡す相手が相手だからではないとは思うが、種類が多すぎたのだ。迷った挙句店主にここでしか買えない香辛料を数種類詰め込んでもらう。パンに合うもの、肉に合うもの、、スープに合うもの、サラダに合うもの、お茶に合うもの。それぞれ説明を聞いてわかりやすくメモをとった。 「あとは、エーリヒは喰えねェもんあるから玩具だナ。緋穂はオシェルの鉢、で……何渡しても捨てる茨姫ァどうすっか。……やっぱオシェルの花束か?」 ジャックの手元の紙袋にはすでに色々入っていたが、彼はまだ買い物をするらしい。顔に似合わずマメというか、義理堅いといえばいいのか。 彼はおもちゃを選びながら考える。オシェルの鉢と生花は隣り合って売っていたから、出発直前に買ったほうがいいだろう。今回は生花を持ち帰っても大丈夫だというのは事前に司書に確かめてある。 「ん? これは木で出来てるのか? その割になめらかで、細工も手が込んでるじゃねェか」 「はい。子供が触るものですから、木の棘が出ないようにヤスリを丁寧にかけて、そしてつや消し効果のある汁を塗ってあるんです」 ジャックが手にしたのはおもちゃの馬車。平らなところで動かせば車輪と馬の足が動くような細工になっている、木のおもちゃだ。感嘆の声をあげれば若い職人が嬉しそうに説明してくれた。 「よし、これをもらうゼ」 「ありがとうございます!」 職人が袋に詰めてくれている間、ジャックはふと隣の店を見た。 (あれがいいかもしれねェな) 心の中て呟いた彼は、支払いを終えて品物を受け取ると、隣の店へと移動した。 *-*-* 物好き屋も皆に断って、ひとり、観光と買い物に出ていた。 ひとりのほうが何となく落ち着くのは、これ以上深い縁を結びたくないという深層心理の現れだろうか。 ふらふら、ふらふらと人ごみの中を歩きまわる。 美味しそうな食べ物、飲み物も沢山見かけたが、思うのは昔から自分に従ってくれる仲間が好きだろうな、とか食べさせてあげたいなという思いばかり。 (……何かお土産でも買って帰ろうか) きょろと首を巡らせ、店を覗きこむ。全員に共通で配れるものとなると何がいいだろうか。それぞれ趣味があるから、なかなかに難しい。けれども。 (……『必要なもの』にすればいいか。チェンバーの家はまだ建ててないけど、部屋鍵に付けるキーホルダーでも) 物好き屋は小物雑貨を売っている店へと向かう。そこにはいろいろな種類の花を使ったキーホルダーがあった。またここで悩みが発生する。誰にどんなのを買っていくか。 (うーん……花冠の国っていうだけあって、種類が多いな) さあどうしよう、棚の前で腕を組む物好き屋。そんな彼に店主が声を掛けた。 「にいちゃん、恋人にプレゼントかい?」 「いや、ち、ちがいます……大切な人達には違いないけど」 「じゃあそんなに悩むこと無いんじゃねぇか? 大切な人なら兄ちゃんが一番、何が似合うか知ってるだろう?」 「!」 店主の言葉に目の前が開けたような気がして。物好き屋はもう一度品揃えを見る。 (これは、ミカンの花に似てる。こっちは、元気な赤。後は、この落ち着いた色ならつけてくれるかな……) それぞれ渡す三人のことを考え、そして3つのキーホルダーを手に取る。そしてはっと我に返って。 (自分の分はいいかな、遺すものが多くなるだけだ) まるで世捨て人のような、何かを諦めきったような顔をして、物好き屋はキーホルダーを3つ、店主に渡して会計をお願いした。 買い物を終えてすることの無くなった物好き屋は、あてどもなくふらふらと町中を歩き回っていた。祭の喧騒も、なんだか自分と遠いところにあるように感じてしまう。 ふう、小さくため息を付いて視線を動かした先に、明らかにヴォロスの人々の中で浮いている格好の人物がいた。その人物がいる店の売り物を見ればなるほど、香木や香料である。 「夢幻の宮さん」 「あ、物好き屋様」 彼女の買い物が終わった頃を見計らって、物好き屋は声を掛けた。買い物客の邪魔にならないように移動し、改めて声をかける。 「先日はどうも、ありがとう」 「いえ、お役に立てたのでしたら幸いです」 先日、物好き屋は『手紙』を書くために夢幻の宮の香房を訪れていた。その時の礼を改めて述べる。それには訳があった。 「あの……、前に書いた手紙、やっぱり預かってもらって構わないかな」 「構いませぬが……」 「……手元にあると、柑橘の香りでノラに気付かれるから」 「そうでございましたか」 一度は手紙を持って帰ることにした物好き屋だったが、やはり夢現鏡で保管してもらいたいのだという。 「かしこまりました、お預かりいたしましょう」 香りは次に開ける時まで封じる術がかけられている。香りがあまり外に出ることはないが、夢幻の宮はあえて何も言わずに白い封筒を受け取る。 「取りにいらっしゃるまで、厳重に保管させて頂きます。もし……」 夢幻の宮は手紙を胸元に仕舞い、そして小さな鞄から細工のされたはまぐりを差し出した。物好き屋が手にとって開けると、そこからはレモンの香りがふわっと立ち上った。中には練香水と言われる液体ではない香料が収められていたのである。 「柑橘の香りの素を尋ねられたら、こちらをお見せくださいませ」 「……そうだね、ありがとう」 自分の好きなレモンの香りをもう一度吸い込んで、物好き屋は薄く微笑んだ。 *-*-* 「今日はこの街のお祭りだそうです。みんなで花冠を作って街を囲んで、幸せを封じ込めるそうです。私達もお手伝いして、幸せをお裾分けして貰いましょう」 「菖蒲さんはどうします? あんまり楽しくない買い物になっちゃうかもしれませんけど、一緒に来ます? そこは菖蒲さんの考えに任せます、けど一人で行動するのは禁止ですよ」 「疲れてなかったら一緒に行こうよ!」 ジューンと在利とユーウォンに誘われて、菖蒲は嬉しそうに頷いた。聞く所によれば、うじうじ悩むのはもう少しちゃんと詳しい話を理解してからにするのだという。折角だからお祭りを楽しみたいというのだ。彼女の前向きさに感心しつつ、少しばかり安堵する。ここで帰りたいと泣かれて駄々をこねられても、どうすることもできぬのだから。 「では、行きましょうか」 明確な買い物目的があるのは在利だけのようなので、三人は在利の後をついていく。 「何を買うの?」 「薬草をメインに、染料や香料、服も探そうかなと」 興味津々のユーウォンに答えて上げつつ、期待するのはやはり―― (……持病を治せる効果があるかもしれない薬草とか、売ってないかなぁ) ――期待はしていないけど、やっぱりあるなら欲しいと思ってしまう。 「薬草かぁ……効能を全部覚えて調合していくんだよね、すごいなぁ。あ、あっちに薬草のお店、あったよ!」 ユーウォンは感心しつつ、先ほど裏路地探しの時に薬草屋を見つけたことを告げる。 「おくすり屋さんなの?」 「ええ。まあそんなものです」 迷子防止のためにジューンと手を繋いだ菖蒲がおずおずと声をかけてきたので、在利は振り返って笑む。今の菖蒲に錬金術の説明をしても、混乱させるだけだろうから。それに在利の家が代々薬師であることに違いはない。 「お姉さんすごいね!」 「えと……」 キラキラした羨望の眼差しを向けられてしまったものだから、在利は否定するのも気が引けて。ジューンもユーウォンも、あえてツッコミを入れてこない。もしかしたらこの二人も在利の性別を誤解しているのかもしれないが。 「えーと、ではちょっと薬草を見ますね。集中してしまうかもしれないので、退屈でしたら近くのお店でも見ていてください」 どうしようか迷った挙句訂正する機を逸してしまい、在利は露台に並べられている薬草と説明書きを丁寧に見ていった。 傷に効く、腹下しに効く、痛み止め、食欲増進、心臓に効く、造血作用、体温を下げる、体温を上げる、利尿作用がある……様々な薬草が様々な薬効を持っていて、売られている。 在利は店主にたくさんの質問をしたが、店主は親切でひとつひとつ丁寧に質問に答えてくれた。使用分量の目安を聞けば、今まで在利が使っていたものより少量でたくさんの効果が得られるものもあった。薬をのむのが大変だという人にとっては少量で済むのはありがたい。またコストパフォーマンスがいいに越したことはない。 「そういえば、細胞が死滅していくような症状に効く薬草なんて無いですよね……?」 「細胞が死滅? うーん」 腕を組んで考えこむ店主。在利がやっぱり無いかと思ったその時。 「お姉ちゃんが望む効果かは分からないが、王都の薬師が細胞を活性化させるとか何とかの薬の研究をしているって聞いたことならあるなあ。噂だがね」 「!」 もしかしたら在利が探しているものに近いかもしれない。不確定な情報ではあるが情報があるのと無いのとでは大違いだ。ほくほく顔で薬草数種類を買い、店主に礼を言って皆を探す。0世界に帰ってからの買った薬草の研究も、捗りそうである。 あ、性別訂正するの忘れてた。 「はい、これ。オシェルの花弁チップスだって! 塩味と砂糖味と買ってきたから分けて食べようよ!」 運良く薬草の屋台の近くに空いた場所を見つけ、そこで在利を待つことにしたユーウォンとジューンと菖蒲。近くでいい匂いがすると出かけたユーウォンが持って帰ってきたのは二つの紙袋。その中を覗けば、オシェルの花びらを薄い衣で包んで揚げた物が入っていた。 「菖蒲ちゃんもジューンさんもどうぞ!」 「ありがとう!」 「ありがとうございます」 女子二人はそれぞれ手を伸ばして。ユーウォンは大胆にわさっとひとつかみ。口に入れればカリッとサクッとしていて。 「おいしい!」 「美味しいですね」 「うん、おいしいね!」 甘いのもしょっぱいのも後引く美味しさで、ついつい手が出てしまう。在利が合流する頃には袋は空っぽになり、ユーウォンが飲み物を買いに行っていた。 「お待たせしました」 「お帰りなさい。いい買い物ができたようですね」 「お陰様で」 合流した在利の表情を見て、ジューンが微笑む。在利も購入した薬草のたっぷり入った袋を手に、ほくほく顔だ。 「あれ、ユーウォンさんは……」 「飲み物を買いに行ってくださってますが、遅いですね」 ユーウォンが飲み物を買いに行ってしばらく経つが、まだ戻ってきていなかった。迷っているということは無いはずだが、店が混んでいるのだろうか……。 口を縛った革袋にストローの代わりに植物の茎を刺したものを4つ手に持ったユーウォンは、オシェルの鉢植えの前で悩んでいた。 「鉢植え綺麗……持って帰っちゃダメかな?」 「大丈夫ですよ」 「わっ!」 と、熱心に見ていた所に後ろから声を掛けられて、革袋を落としそうになる。何とか耐えて振り返れば、夢幻の宮が立っていた。 「夢幻の宮さん!」 「司書の紫上様にジャック様が尋ねていらっしゃるのを聞いていたのですが、オシェルの生花を持って帰っても大丈夫だということです」 「本当!?」 きらんとユーウォンの瞳が輝く。大丈夫ならぜひ持って帰りたかった。すぐにどの鉢植えがいいか丹念に物色し、店主に育て方を聞く。0世界は停滞しているからここと同じように育つかは分からないが、大切に育てるつもりだ。 「教えてくれて有難う、夢幻の宮さん!」 「どういたしまして」 こんな遣り取りをしていたからして、ユーウォンが一同の元へ戻った時はかなり心配されていたのだった。 「次は何を見るのー?」 飲み物を飲んで一息ついたところで無邪気に菖蒲が口を開いた。ユーウォンもわくわくした様子で答えを待ってる。 「染料や香料、衣服ですね。身だしなみは大切ですし、服装とか幅を広げたいですしね。それにヴォロスの衣装も気になりますし」 というわけで訪れた服屋で在利と菖蒲はきゃっきゃと買い物。その様子はまるで女の子同士の買い物である。 ユーウォンは大きな帽子をかぶってみたり、長いマントを付けて引きずってみたり、彼は彼で楽しんでいる。 ジューンは菖蒲の後ろで、彼女から目を離さないようにして微笑みながらその様子を見ている。 「お姉ちゃん、こんなのはどう?」 菖蒲が差し出したのは、キャラバンの女たちが着るような民族衣装風のワンピース。カラフルで可愛いのだが……。 「素敵ですね。えっと、でも僕は……」 「気に入らない? じゃあ、この花を折り込んだストールは?」 「これはっ……」 在利の食指が動く。オフホワイトの糸を使って編みあげられたショールには、かわいいピンクの花が織り込まれていて、とても愛らしい。 未だに菖蒲の誤解は解けていないが在利は男である。けれどもその生い立ちからか、どうしても女性観点の見方になってしまうところがあった。センスはいいのだが。 「これから寒くなりそうですし、一枚あってもいいかもしれません」 「うん、お姉ちゃんに似合うよ!」 菖蒲がショールをはおらせてくれて。それを見たジューンがパチパチと小さく拍手をする。帽子をとっかえひっかえ楽しんでいたユーウォンは在利の様子に気がつくと「似合う似合う!」と褒め称えた。 「じゃあ、これを買います!」 皆に似合うと褒められて、気が付けば男だとまた伝え忘れてしまった。 *-*-* 夕刻を過ぎると人々が大量のオシェルの切花を広場で配り始めた。町を囲む花冠の作成が開始されるのである。 「俺も手伝う!」 「私も!」 「一緒に作りましょう」 ユーウォンと菖蒲が声を上げ、ジューンも賛同する。染料と香料を買い込んだ在利、物好き屋、夢幻の宮も合流して花冠の編み方を教わった。 「あ、花がもうありませんね。もらってきま――」 「ほらヨ」 立ち上がりかけたジューンの前に大量のオシェルの花が差し出された。よく見てみればジャックではないか。 「花運ぶくらいなら協力できるゼ」 「ありがとございます」 「お兄ちゃん、有難う!」 ジューンと菖蒲に礼を言われれば、そんなに悪い気もしない。ジャックは土産用の花束を傷つかぬように近くのテーブルに置き、椅子に腰を掛けてその作業を見つめた。 それぞれ数人で編んだ物を今度は一本になるようにつなげていく。そして街を囲むように大きな花冠をつくり上げるのだ。 すでに陽は落ちて暗くなりかけてはいたけれど、篝火を焚いたりして辺りは明るくされている。 「ユララリア様、今年もルルヤニの町に幸福を!」 「幸福を!」 人々の声が町中に響く。白いオシェルの花冠は掲げられ、篝火の灯りで真珠のごとく輝いている。 「こうして人々は、毎年幸福を願っているのですね」 「古い慣習か……」 ぽうっと淡く光る花冠を見て、ジューンと物好き屋が呟く。 「ほら、大きな花冠だよ。きっとキミにも幸せが訪れるから泣かないで」 ユーウォンは見つけた迷子の頭を撫でて、花冠を指さす。 「人々の、溢れんばかりの思いが感じられるようです」 うっとりと、在利はその光景を見つめている。 「……私にも幸せは来る?」 ぽつり呟いた菖蒲の声は、歓声にかき消されて誰にも届いていないと思われた――否。 「来るさ」 呟きを聞きとめたのはジャック。そっと菖蒲の横に立って、差し出したのは可愛い人形。 「え……」 反射的にその30cmほどの人形に手を伸ばした菖蒲は、ジャックを見上げて。 「菖蒲……お前の旅の始まりの記念だ。良けりゃ連れてってやってくれヨ、菖蒲ママ?」 「……、うん……」 目を閉じて彼女が人形を抱きしめるのを、ジャックは満足気に見つめた。その目尻に輝くものが滲み出ているのは見て見ぬふりをして。 「……子供にゃ独りじゃ寂しすぎる夜もあるだろォからヨ」 夜空を見上げたジャックのその呟きは、今度こそ喧騒の中へと消えていった。 【了】
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