それは、とある術者の作り出した呪術。その界隈では知らぬものは居ない呪術師の作った、奇異で有能な呪術具。 「あー、桑の葉食べたいなぁ」 「アカンて、今時期やないし」 「でも今食いたいねん」 「気持ちは分かるんやけどな」 ……『その界隈では知らぬものは居ない呪術師』の作った傑作の呪術の道具たち、の昔話。 ■ こぽぽ、と怪しげな鍋から黒か紫か分からないような煙が上がっている。そこには爬虫類の目玉や、人の爪らしき物体、魚の尻尾などが入れられており、不快な異臭を放っている。そんなことは気にもせず、その部屋の主は机の上に乗っている壷にありとあらゆる虫たちを投げ込んでいる。 「蜻蛉に蟷螂、蜉蝣に尺取虫。後は……」 出来るだけ同種は入れぬように、と呟きながらどんどん投げ込んでいく。蟻に毒蛾に蠍にゴキb……なんともひどい壷の中身だろうか……だがかまわず新しい虫を投げ入れていく。 そんな光景をテーブルの端から眺める虫一匹。名をムシアメ。蚕の名の蠱毒を耐えた呪術の道具である。 「なぁ、今度は何作るつもりなん。わいだけじゃアカンのやったら濃い毒か……取り憑かせる為の虫か」 声の主に対して、真剣な呪術師はその目的を目線を向けぬまま答える。 「ああ、今度は娘を守るためのもの。蜘蛛になるか蜈蚣になるかはやってみないと分からないが、解呪の専門をな」 それはわいも無理やわ、と笑って言って再び壷を見るムシアメ。その壷には見覚えがあった。かつて、自分もあの中に放り込まれた一匹だったのだから。 あの中で何が起きたかはあまり覚えてはいない。ただ、気がついたら自分はあの中に一匹だったのである。良くわからない文字が書いてある札と、あまり好ましくない臭いの中、蓋が開けられ自分の主人と対面した時、色々な情報が頭の中を駆け巡った。そして、呪いの道具の道を歩み始めたのである。 108匹の虫を入れたところで呪術師は呪符を壷の中に入れ、蓋をした。ムシアメの時とは違う、間逆の効果のある符を。その符をムシアメがまじまじと見ていた時に、ふと中の蚕と目があった。自分と同じ虫で、白い色をした蚕。なんだか不思議な感覚に囚われて、その時間が一瞬のように感じたし、一生みたいな感じもした。なぜかは分からない。 蓋が閉まり、呪術師はムシアメの方をやっと見た。そして、今回の蠱毒について少しずつ話し始めた。 「娘は、本当にかわいい。しかも、普通の女の子だ。」 「……普通の女の子で主人はんが親バカで溺愛しとるのは知っとるよ」 ムシアメが言うとコホン、と照れ隠しのように咳払いをして呪術師は話を続けた。 「それでな、私のかわいい娘に手出しをする輩がいるものでね。しかも無粋な方法で」 『かわいい娘』がもはや名称になってるやん、と思いながらもムシアメは話の腰を折ることはせず、なんとなく理解して話を続ける。 「そうか、直接手出しされれば娘さん何かしら対処出来るもんな」 「そうだ。この前なんかも捕まりかけたときに相手の隙をついて連絡を寄越した上で退避したんだ。賢いだろう、うちのかわいい娘は」 そんなんやから娘さんからウザがられて距離置かれてるんやろな、と思ったが口には出さない。そこは大人の対応のムシアメ。相槌を打ちつつ静かに話を聞いている。 「こんな時だけは自分の力を狙ってくる輩は腹が立つよ」 「あれ?いつもは腹立たないんか?」 「そりゃそうさ、狙ってくる輩がいればその分自分の力が強大だって事に繋がる。それに実験用の素材すら手に入るんだからね」 「なるほど。確かに有名であればあるほど狙われるもんな」 本当にこの人は自分の能力を誇っているのだな、と思い、また自分もそんな人が作った道具なのだと思うときばらなあかんな、と笑みをたたえながら思っていた。自分はまだまだ呪術については未熟で教えてもらった呪いしか仕掛けられないが、きっと沢山使いこなせるようになって主人はんを楽させて上げれればな、と思ったのであった。 「だけど、娘に関しては話は別さ。あの子にはこんな陰気くさいことに係わらずに幸せな人生を歩んで欲しいんだ」 「ホント、主人はん娘さんに溺愛やな」 「そりゃそうさ。最愛の人の忘れ形見でもあるんだからね」 ああ、と納得したようにムシアメは呟く。奥さんがその命と引き換えに娘さんを産んだんやったと。奥さんもえらく綺麗な人で亡くなったときは反魂術にまで手を出そうとしていた、と聞いたことがあった。誰からだったかは思い出せないが。 「だから、娘を守る為なら何でもやるのさ」 蓋の上にさらに札を貼って、部屋から出て行く呪術師の肩に乗って、ムシアメは一緒にこの部屋を去った。 ――蓋の中で、遍く幾多の虫たちが必死に他の虫たちに喰らいついている。 蓋をするとき呪術師は呟いた。最後に生き残ったやつが一番濃い毒を持っている。それを知るため、そして他のものの魂を喰らい己の力としたものが一番良い呪術具になるのだよ、と。 ■ 「んで、三日七晩越した先に残ってたのが……」 「わいってことかいな」 「そういうことやね」 へぇ、と興味深そうな雰囲気で返事をかえすアマムシ。そのときに残ってたのがまたしても蚕。そして蓋を閉めるときに目の合ったあの蚕だったのである。そして、同じ壷を使った『壷兄弟』として今に至る。 「ホンマ、まさに弟の誕生の瞬間や! 蓋開けたときはめっちゃ興奮したで」 「兄ぃでもそないなことなるときあるんやな」 「主人はんの気持ちがちょっとだけ分かった気ぃするわ」 「男やけどな」 「男やけどな」 顔を見合わせてどっ、と笑う。なんとも言えない絶妙な間。さすがだ兄弟、とケラケラ笑いながらどちらともなく言った。 「そいやなんで人に化けれるんか最初わからんかってん」 「なんでや?」 「なんでやーって聞いたら『いや、娘に悪い虫がつかないようにな』だと」 「目には目を虫には虫をってか」 「……あながち間違っては居ない、わな」 最初は嫌がってたけどな、と物思いに呟く。なにせ人に化けられるとは言っても元は蚕。虫である。怪訝そうな顔を浮かべながらアマムシを連れて歩いていたのだろう。次第に、彼らの陽気な部分を見て打ち解けて慣れていった訳だ。ただ、プライベートの範囲がどれくらいまで入り込んで良いか分からない部分があって、トイレまでついていかないにしても、友達と一緒に遊んでいたり一人になりたいときに付いて来られると、守る為とは分かってはいるけれど帰ってくれ、と何度も言われたりもした。 「今となっては良い思い出やな」 「やね」 「ホンマ女性っちゅうんは良くわからん」 「わいらだって仕事やっちゅうねん使命やっちゅうねん」 「ホンマや」 そんな他愛のない会話をしながら陰鬱とした街を闊歩していく男達。その会話は至極楽しそうなもので。どんな他人でも仲が良いのが伺えるだろう。その二人は今や成長し、片や『呪い紡ぎ』片や『呪い喰い』とまで称されるように成長していた。その界隈では主人同様知らないものがいないほどに。 「あー、むっちゃ桑の葉食いたい」 「あんま連呼せんといてや、わいまで食いたなってくるやん」 「ええやん、蚕なんやから桑の葉食いたなって当然やねん」 「我慢し! これから仕事やろが!」 「しゃあないか、他の葉で我慢しとこ」 「あああそうしとけ」 「良い糸出るか知らんで」 「無理にでも出さんかい!」 そして、二人は他の世界でも一緒に旅をすることになる。その話は、また別のときに。 二人でいれば、それだけで楽しい物語になるのだから。
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