オープニング

「ほんとにいいのかな、俺が入って?」
「何よ今更」
 金髪オールバックにサングラス、日焼けした肌に羽織ったジャケット、締まった腰に両手をあてて、珍しくカーサー・アストゥリカが戸口でたじろぐのに、ヘルウェンディ・ブルックリンはぐい、と顎を反らせる。きつい赤い瞳はカラーコンタクト、奥に輝く瞳は黒、内側に燃え盛る炎はきかん気で、実父譲りの無謀さはたびたび依頼で実証済み、それを頭のどこかで冷静に受け止めている『男』の気配に、引くに引けなくなる。
「家庭訪問だと思えばいいでしょ」「それは困る」
 カーサーが赤い瞳を瞬かせて切り返す。
「どうしてよ、あんたは私の教師でしょ!」
 ちっちっちっ、とカーサーは指先を振って見せた。
「確かに今夜はプライベート・レッスンだが」
 笑ませた口許に淡い欲望をちらつかせる。意味に気づいたヘルウェンディが薄赤くなるのに、そっと体を寄せて青いスターピアスの耳元に囁いた。
「ウェンディ、俺にばっかり教えさせるんじゃねえだろ?」
「も、う!」
「HAHAHAHA! 安心しろって、今夜全てを教えてくれなんて言わないさ!」
「もう!」
 一発目はとにかく、二発目なぜヘルウェンディに殴られたのか、さすがのカーサーもわからない。


「ふー、おいしかった! 腕を上げたな、ウェンディ」
 ソファにまったり体を伸ばしながら、カーサーは満足の溜め息を漏らす。
「そう、かな」
 きれいに平らげられた料理の皿を片付けながら、ヘルウェンディは嬉しそうに笑うが、ふと一瞬、瞳を翳らせて呟く。
「あいつは相変わらず無反応だけど」
「お父さんのこと?」
「どれだけ頑張って作っても、何も言わない、褒めるどころか、感想一つないのよ!」
「食べてくれるんだ?」
「え、…うん」
「良かったじゃないか」
 カーサーの赤い瞳は誇らしそうに輝く。
「頑張ったかいがあったよな?」
「うん……そうね」
 皿をじっと見つめながら、ヘルウェンディは少し考え込み、唐突に顔を上げる。
「そうよね、最初は見向きもしなかったのに、食べるんだもの、大きな進歩よね!」
「そうさ」
 その『最初』の頃にどんなものが提供されたのか、何となく想像はつくが、それでもあの父親が彼女の料理を食べているのは驚嘆に価する、とカーサーは思う。
 彼は人を信じない。人間の中にある善意とか好意とか誠実さなどは彼に無縁だ。もちろん、彼は自分も信じていない。同じように世界から放逐された実の娘が慕ってくれるような『自分』も、その娘が行く末を案じ幸福を願ってくれている『自分』も信じていない。
 カーサーの目からすれば、ファルファレロ・ロッソは複雑な家庭環境をどうにかしのいで生き延びた、繊細で傷つきやすい少年だ。生き残るために自分の親さえ手にかけてきた、友達を支配者に差し出し、権力に跪くふりで寝首をかいてのし上がった、つまりは幻の楼閣の有様を、誰よりもよく知っている子どもだ。
 おそらくヘルウェンディには父親の置かれていた非情さを理解できないだろうし、これからも二人の気持ちが重なることはないだろう。
 けれど、とカーサーは思う、治安の悪い学校に籍を置き続けた教師として。
 そういう子どもほど、一番傷ついているものだ、自分が大切なものの護り方一つ知らないことに。自分には根本的なところが欠けていて、それが永久に埋められないと深く理解する絶望に。
「カーサー」
「うん? 食後のコーヒーはいいから、少しこっちに座ってくれよ、お嬢さん?」
 近づかなくちゃ、レッスンが始められないだろ?
 片目をつぶって誘い、サングラスをかけて目を閉じる。
「さあ、俺に感じさせてくれ、ウェンディのこと」
「カーサー」
 だが、繰り返された声に急いで目を開けた、今にも泣き出しそうな声音に気づいたから。
「いつか……ねえ、いつか、」
 ヘルウェンディは泣き笑いの表情で小首を傾げる。
「私、いつかあいつを失ってしまうのかな」
「…ウェンディ」
「だってあいつ馬鹿なのよ、人殺しだし無茶ばっかりするし大怪我しても女の人を連れ込むしろくに御飯食べないしお酒ばっかり呑んでるし」
 立ち上がったカーサーは、ついに顔を覆ってしまったウェンディの側に寄り添う。
「どうしよう、きっといつかあいつ、依頼とか喧嘩で死ぬわ、どこか私が知らないとこで野たれ死ぬわ、私はそれを知らないで待ってるのよ、いい加減にしろって怒りながら。あいつが血塗れになって虫の息になってても、私きっとののしってるのよ、残してったスープのことで」
「はいはい、お嬢さん」
 零れる涙を両手で受け止める小さな頭にキスして抱きかかえる。
「実の父親を想像上とは言え、そう派手に殺しまくらないでくれ、心臓に悪い」
「俺はちーーーーっとも構わねえぜ」
「「っっ!」」
 突然響いた冷ややかな声にカーサーは顔を上げた。弾かれたように振り向くヘルウェンディ、その二人の視線の先に、乱れた黒髪をかきあげながら、据わった視線をこちらに向けているスーツ姿がある。
「何なら、今すぐ殺し合いを始めても構わねえ。俺の部屋を勝手にホテルに使われちゃたまらねえからな」
「何てこと言うのよ!」
 カーサーが口を挟む前に、ヘルウェンディが噛みついた。泣き濡れた目元を一擦り、それまでの弱気が芝居だったのかと思うほどの激しさで、
「また呑んできてるの、この間怪我したばっかりなのに!」
「俺はてめぇがどうなろうと知ったこっちゃねえ、だからてめぇも俺のやり方に口出しすんな、そう言わなかったか?」
 冷笑してカーサーの側を通り過ぎるファルファレロ、声もでないほどの怒りに震え、カーサーを無視してヘルウェンディが怒鳴り返す。
「心配してるのよ、当然でしょ、家族なんだから!」
「……」
 棚に置かれた酒瓶に手を伸ばしたファルファレロが、ぴたりと動きを止めた。やがて、のろのろとそれを掴んで振り返る瞳は、漆黒の闇色に染まっている。
「家族だ?」
 俺の留守に男を連れ込む売女が家族か。
「てめえのことなんか娘ともなんとも思っちゃねえ、他人は出てけ!」
 ぶん、と振り回された酒瓶で、真っ先に指したのがヘルウェンディなのに、視線がカーサーに向いているあたり、果たしてヘルウェンディは気づいているのか、いや気づいていないか。
「他人って…何よ!」
 ぎゅ、と握りしめた指が何を意識したのか、カーサーにはわかる。父親が決して嵌めてくれようとしない指輪、ヘルウェンディがスターピアスの次に、いや悔しいことに、それと同等には大事にしているあの指輪だろう。
「あんたこそ、放っておいてよ、自分のことは自分で決めるわ!」
「自分のケツ一つ拭けねえガキが何言ってやがる」
 ファルファレロが嘲笑しつつ、これみよがしに酒瓶を煽った。一気に傾け、溢れる酒を手の甲で拭い、
「ここは誰かに助けてもらわなきゃ、生きていけないようなお子様の暮らす場所じゃねえ!」
「お酒を呑まなきゃ、娘と話もできないくせに父親面しないで!」
「いつ俺が父親面したよ!」
「今してるじゃない!」
「目障りだから失せろって言ってんだ!」
「あんたこそ、こんなことしててどうすんのよ!」
 ヘルウェンディの声が揺れた。ファルファレロが拭った口許、さっきは影になって見えなかった部分に内出血の痕があるのに気づいたのだ。よく見れば、スーツの一部が裂けていて、下のシャツに薄赤い染みがついている。
「また怪我したのね!」
「さっさと帰れ、俺に構うな!」
「嫌よ、帰らない、帰るもんですか!」
「そこのクソ野郎にお手て握ってもらって失せやがれ!」
「ストップ、ストーップ!」
 段々距離を詰めつつ、お互いに力の限りののしりあう二人の間に、カーサーは割って入った。
「てめぇに用はねえ」
「カーサー、私は」
「とりあえず、さ。落ち着こうぜ」
 ファルファレロの前に両手を掲げて立ち塞がると、相手を僅かに見下ろす形となる。それに気づいたファルファレロが露骨に不愉快そうな顔になるのに、肩を竦めてみせる。
「ウェンディを泣かせたくないんだ」
「……ちっ」
 睨み上げてくる視線に苦笑して、今度は背後のヘルウェンディに呼びかける。
「ウェンディ? 俺をお父さんに紹介してくれないのか?」
「……カーサー・アストゥリカよ」
 背中から声が聴こえて、そっと震える手が当てられる。
「私の…先」「恋人」「おい」
 三つの声が同時に重なり、続いた一瞬の沈黙に、ファルファレロのドスのきいた声が響いた。
「てめぇに父親呼ばわりされる筋合いもねえ」
 ひゅぅ、と軽く吹いたカーサーの口笛の意味を、ファルファレロは読み取ったのだろう、怒りに目を細めながら唸った。
「ずうずうしい奴は嫌いだ」


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>

ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)
ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)
カーサー・アストゥリカ(cufw8780)

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品目企画シナリオ 管理番号2840
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございました。
大事な大事な一人娘に対して、どう振舞っていいかわからない不器用な父親の話ですよね? 
それとも、ただ一人残された、自分によく似た父親を放っておけない自分に苛立つ多感な娘の話でしたか? 
或いはまた、離れてきた懐かしい世界を彷彿とさせるやりとりを微笑ましく見守る教師の話、もしくは意地っ張りの恋人と片意地なその父親との和解を手伝う恋人の話?

いずれにせよ、互いを思う人々の物語であるのは間違いありません。
敬意を込めて、語らせて頂きましょう。

参加者
カーサー・アストゥリカ(cufw8780)コンダクター 男 19歳 教師
ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)コンダクター 女 15歳 家出娘/自警団
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア

ノベル

 まあ考えてみれば、だ。
 カーサーは依然二人の間に立ち塞がる形で考える。
 怪我して帰ってみりゃ自分の部屋で娘と男がいちゃついてた、なんて状況だもんなぁ。もし俺がそんな立場だったら……うわっ、ヤベェ、嫁入りまでシミュレートして泣きそうだ!
 正直なもので自分を睨み上げているファルファレロの黒い瞳に目を潤ませそうになって、慌てて自制する。
 兎にも角にもお父さんの気持ちはなんとなく察しがつく。ウェンディの素直じゃなさは父親譲りだな、いいことだ。
「……」「……」「…………」
 痛いような沈黙、空気はちりちりして一触即発、こういう状態は初めてでもないが、いつまでたっても慣れないものだ。
 カーサーは今まで繰り返し味わった修羅場に想いを馳せる。
 とにかく、二人とも感情的になっていて収拾がつかない。今はカーサーだけでも冷静に慎重にいこうと決心して、上げていた両手をゆっくりと降ろす。大人しくするのはガラじゃないが。
(俺はお父さん…ファルファレロとも打ち解けたいんだよ)


 NYに帰って妹に会ってきた。パパもママも幸せそうだった。
 ヘルウェンディはカーサーの広い背中と、それに隠れかねない父親の姿をじっと睨みつけながら考える。
 寂しいけど、心の何処かでホッとした。私の家族はもう大丈夫だって、パパとママと妹と3人仲良く幸せになれるに違いないって。だから壱番世界を捨てる決心をした。
 それは大きな決別、はっきりとした自覚。幸せになって欲しい家族が確実に幸せになるとわかった直感。だからこそ、余計にもう片方の『親』が気になった。
 今もカーサーを睨んだまま、自分に視線を合わせようとしないファルファレロ、その目をどうしても捉えたくて口を開く。
「壱番世界は私がいなくても大丈夫だけど、あんたには私がいなきゃ駄目」
「…なにぃ」
 不愉快そうな唸りとともに視線がカーサーから外れる。ヘルウェンディは俯き加減だった顔をぐいと振り上げる。
「無茶しないよう見張ってあげる人間がいなきゃ、いつかどっかで野たれ死ぬに決まってる」
「てめえ」
「馬鹿だって思うでしょ! 自分でもそう思う! でも考えて決めた事、ここで、ターミナルであんたと暮らしたい!」
 叫んだ瞬間、ぴくりと揺れたカーサーの背中に再び視線が吸いつけられた。広くて伸びやかな、今にも真っ白い翼を生やして飛び立てそうな健やかなライン。しがみつきたい甘えたい。
(あんたの事だけじゃない)
 胸の中で呟く。
(壱番世界に帰ったらカーサーともこれまで通りじゃいられない。カーサーは皆の先生で私だけの先生じゃなくなっちゃうもの。でも、ここなら年の差をうるさく言う人いないし)
 望むだけ距離を詰められる。さっきの感覚を思い出し、それに力を得て、もう一度。
「夜、たまに叫んで飛び起きてるの知ってる……とんでもないくそったれのろくでなしだってわかってる」
「何を勘違いしてやがるんだ。いい加減気付け」
 密林の虎、砂漠の蛇、そんな感じの殺気に満ちた唸り声が響いた。
「俺はてめえが求めてるようなものにはなれねえ。てめえが望んでるものなんざ、はなから持ってねえ」
 ファルファレロが吐き捨てる声は干涸びている。
「娘? 家族? はっ、くだらねえ。今更生き方を変えられねえ」
 嘲笑いながらポケットを探る、その仕草が何を示すのかに気づいて、ヘルウェンディは息を呑む。
「ずっと独りでやってきた……誰にも文句は言わせねえ!」
「いやぁっ!」
 カーサーの背中を越えて手を伸ばす、その前で、ファルファレロは取り出した小さな金属を思い切り窓の外へ放り投げた。ヘルウェンディの悲鳴を耳にしていたのだろう、薄笑いを浮かべて振り返り、
「これで身軽になった」
「…っ」
 よろめいたヘルウェンディをカーサーががしりと支える。その二人を冷ややかに眺めながら、ファルファレロはなおも嘲笑を重ねる。
「どうした? 物欲しそうな面しやがって。そんなに惜しいなら取って来い」
 くい、と窓の外へ顎をしゃくって、顔を歪める。
「うぜえんだよ、しつこくつきまといやがって。足手まといのくせに口ばっか一人前で飯はクソまずい」
「……あんた」
「よい子はおうちに帰りな。今までのは全部夢だったんだ。起きたら忘れちまう夢……」
 どこか謳うような声は一転、醜く嗄れる。
「かかずりあって人生台無しにすんじゃねえよ」
「…ファルファレロ」
「カーサーとか言ったな。そいつを連れてさっさと失せな」
 くるりと背中を向ける。カーサーの温かみに満ちた後ろ姿に比べれば、その背中はまるで今にも突き崩せそうなほど脆くて弱々しく霞んで見える。
「クソ忌々しい、人を信じろとか愛せとか許せとか御託並べやがって」
「なに、よ……なによ、何よ!」
 ぶつっ、とヘルウェンディの何かがぶち切れた音が、カーサーにも聴こえた気がした。
「何よ、この臆病者! 弱虫! 誰かにすがることが怖いなら、指輪に八つ当たりなんてしてないで、ちゃんとそう白状しなさいよ馬鹿!!」
「んだと!」
 親子だなあ、とカーサーは妙なところで感心する。今にも途切れそうだった会話が見事に復活する。お互い、相手の痛いところは十分にわかりあっているというわけだ。
「俺がいつ怖いなんて言った!」「言えないほど怖いんでしょう!」「この糞アマ!」「カッコばかりつけてもちゃんとした女は惚れてくれないんだから!」
「っっっっ!」
 あ、あっちも切れた。
 カーサーがそう思った瞬間、ファルファレロは銃を抜き放った。悲しいかな、そういうところは読み込み済み、背後にヘルウェンディを庇って踏み出そうとしたカーサーを、ヘルウェンディ自身が押しのけて前に出ようとする、その手に、ファルファレロはファウストを投げ渡す。
「えっ?」
「そいつで俺を撃てたら家においてやる」
「っっっ」
 銃を抱えたヘルウェンディの体が一気に総毛立ったのがわかった。
「どうした? 撃てよ。ちゃんと心臓を狙え!」
 二人の前でファルファレロはシャツを掴んだ。思い切り両手で引き開ける。弾けたボタンが飛ぶ。思わずファウストを胸に抱え込んでしまったヘルウェンディに、素肌を晒し、ぱん、と片手で胸の中央を叩いて、ファルファレロは大笑いする。
 だが、
「所詮その程度の覚悟か! 人を殺す度胸もねえくせに救うとか許すとか寝言ほざくんじゃねえ! 否定される事、許されないでいる事が俺の存在意義なんだよ!」
 続いた声は、どこか悲壮な響きを宿していた。
 がたがた震えながら銃を抱き締めて自分を見る娘、その姿を目に焼き付けようとでもするように、ファルファレロは呻いた。
「俺はいつかお前を殺す……わかるんだよ、ずっとその繰り返しだったから」
 俺につきまとう女はろくな目にあわねえ。
「俺はお前を、お前らを撃てる」「っ」
 ファルファレロがもう一つの銃を抜いた。ゆっくり照準を合わせて薄く笑う。
「お前か? それとも、お前からか?」
「OKOK、ここから逸らさないでくれよ」
 カーサーは素早く動いた。一歩進み、ファルファレロの銃のバレルを握って自分の胸に当てる。
「本当は頭が良かったんだが、ちょっと話しにくいからここで勘弁してくれ」
「おいっ」「カーサー!」
「その二択なら俺で決まりだ、でもちょっと話を聞いてほしい」
「て、めえっ」「カーサー止めて!」
「黙っててくれウエンディ」
 銃を引こうとするファルファレロ、だが銃はびくとも動かない。悲鳴を上げてしがみつこうとするヘルウェンディをもう片方の手で制して、カーサーは話を続けた。
「ウェンディが0世界に残るって話は聞いたか? 俺ァ聞いてからずっと考えてた。それでな、ちと手狭な所だが俺の部屋でウェンディと…一緒に暮らしたい、そう思ってるんだ」
「くっ」「…カー……サー」
 震えるヘルウェンディの声、できればもうちょっと素敵なシチュエーションで愛情込めて囁きたかったところだ。
「今日勝手にここへ入っちまったのは謝る、止めなかった俺も同罪だ。その詫びを後日改めてしたいんだ。今度はきちんと手順を追って、ここに来て」
「何を、言い、やがるっ」
 ファルファレロはなおも銃を引き抜こうと抵抗する。ぼつぼつ足蹴りか膝蹴りが飛んできそうな気配、それでもそこまでやらないのは、きっと少しでも話を続けたいと心の底では願っているからだろう。勝手な読み込みを力に変えて、なお一歩踏み込む。
「招かれざる客なのかもしれねぇけど、俺はお父さ…ファルファレロ、さん、にも幸せを感じてほしいんだよ……ほんの僅かでもな」
 苛立ち荒れる相手の顔にいつもなら片目をつぶって和らげるところだが、今は背後にヘルウェンディがいる、視線を外すわけにはいかなかった。
「それにはウェンディの存在が必要不可欠だと思ってる。だからここで俺を撃つのは良い、でもウェンディは撃たないでくれ」「カーサー!」「それだけで俺はHAPPYだ」「カーサー!!」
 握った手を離す、間髪入れず、銃口が正面からカーサーの顔面を狙う。それならウェンディにはまず当たらない、いい角度だ。微笑んだカーサーの前で、飛び退ったファルファレロは、予想に違わず引き金を引く。
「いやあああああっっっ!」
 響く銃声をヘルウェンディの悲鳴がかき消す、だが。
「、……あれ?」
 来るはずの衝撃はなかった。
 こともあろうに、ファルファレロがこんな間近の敵を外した。きょとんとするカーサーに、見る見る真っ赤になったファルファレロが銃を放り捨て、
「こいつが答えだ、くそったれええええ!!」
「う、わっ、ちょっ、待っ!」
 銃口にも怯えなかったカーサーは、さすがに次々飛んでくる酒瓶に慌てた。必死に両腕を上げ、背後のヘルウェンディを庇いつつ後退する。ファルファレロは何を考えたのか、それとも単なる八つ当たりなのか、部屋の中を飛び回り、手にしたものをことごとく投げつけながら叫んでいる。
「目障りなんだよ、とっととでてけ!! 俺は俺である事を死ぬまでやめられねえんだ!!」
 シーツを引き破る。カーテンを引き裂く。手にしたものを投げつけ叩きつけ、壁を殴りつけ雑誌を破き、さながら追い詰められた野生動物だ。 
「危ないっ、おいっ、落ち着けっ、って、え。ウェンディ! 何をす」
 ドンッ。
 ゆらり、とカーサーの隣から現れたヘルウェンディがいきなり銃を構えて引き金を引いた。今しも部屋の隅に走り込もうとしたファルファレロの鼻先数㎝の壁がばらばらと崩れる。
「てめ……っっ!」
 驚いたように歪んだ顔でファルファレロが振り返る。その彼にヘルウェンディは再び銃を向けた。
「ウェンディっ!」
 バンバンバンバンッ!
「う、あっっ!」
 おもちゃのような音をたてて、立て続けにファルファレロの周囲を弾丸が穿つ。飛び散る家財道具、砕け散る酒瓶、舞う布切れ。その中央で、さすがに身を竦め身動きしなくなったファルファレロの前髪が、最後の一発に掠められて千切れ飛ぶ。
「ウ、ウェンディ……?」
 ヘルウェンディはゆっくりとファウストをカーサーに手渡した。おっかなびっくり、それを受け取ると、彼女は壁際に座り込んでいるファルファレロに異様な静かさで近づいていく。ひょっとして彼女のトラベルギア、ヘルター・スケルターを預かっておいた方がよかったか、と焦るカーサーの前で、ヘルウェンディは座り込んだ父親の前に腰を落とし、手を伸ばした。
「な、何だよ、てめえ………っ!」
 ファルファレロが凍りついた。目の前に居たヘルウェンディにいきなり抱き締められたのだ。驚愕と不安と混乱で空を見ているファルファレロに、ヘルウェンディは涙声で囁く。
「そんなに嫌なら振りほどけばいい。暴れて追い出せばいい。どうして? やりなさいよ、できるでしょ」「……」
 ファルファレロは固まったままだ。何がどうなっているのかわからない、そういう顔で必死に瞬きを繰り返す瞳を、カーサーは同情を持って見つめる。
「ママへの仕打ちは絶対に許さない。だけど……私は今、あんたの中の子供を抱き締めてる。子供の頃のあんたを抱き締めてるの」
「……」
「手遅れでも独りよがりでもいい。本当はずっとこうしたかった。ママだってきっと同じ気持ちだった筈よ」
「……」
 ヘルウェンディの重ねられる囁きにもファルファレロは反応しない。だんだん茫洋としていく目が、のろのろと閉じられていく。
 無反応になったファルファレロの手を取り、ヘルウェンディは取り出した指輪を握らせた。窓の外へ投げられたものではない、自分が大切に持っていた指輪の方だ。
「父さんなんて死んでも言わない。でも……あんたの事、大嫌いだけど死んでほしくないの……お願い……長生きして頂戴……独りになろうとしないで」


 これは何だ。
 ファルファレロは考えている。
 自分を包む柔らかな体温には覚えがある。耳元で囁かれる声にも覚えがある。掌に触れるものにも覚えがある。
 けれど、それがこんなに側にある意味がわからない。状況が理解できない。
 何だか息が詰まるような気がして、体の全ての血が抜き去られていくような気がして、目を閉じ崩れるままにしていると、唐突に暗い視界に真っ青な海が広がった。
 白い雲。瞬きするのも忘れるほど鮮やかな空と海。
 腐った街の彼方には、そうだ、海があったんだ。
 眩しくて気づかなかった。
 いや、気づいていたのか。
 気づいていたから、あの青い石が忘れられなかったのか。
 潮騒を越えて、遠く声が響いてくる。

 あんたがあんたであることをやめられないのとおんなじよ。
 私はこうなの。
 ヘルウェンディ・ブルックリンはこういう娘なの。
 諦めて。

クリエイターコメントこの度はご参加ありがとうございました。
ぶち切れた娘ほど、父親にとって怖いものはないんじゃないでしょうか。いや、恋人にとってもそうかもしれないですが。
さすが、この親にしてこの子あり。
もっとも、この後すぐにファルファレロ様が大人しくなるなどとは、もちろん残りのお二方とも思ってはいらっしゃらないでしょう。
けれど、何かは少し変わるかもしれませんね。


Sincerely そう手紙に書くぐらいには(笑)。


またのご縁をお待ちいたしております。
公開日時2013-09-04(水) 21:50

 

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